***** 2019年1月27日 *****
(独り言)


 ピンポイントで行くにはちと遠いが、他と絡めるならばお手軽か、とい
うイベントがたまたま重なったので、出かけることにした。昨年暮にあっ
た、安中で国指定重文追加指定記念シンポジウムを聴いて以来。

 毎度のところで高崎までやって来て、入線してきた横川行の電車、うっ
すら雪化粧。高機にいた機関車や、上越線から来た電車に雪が付いている
のは見たが、この電車は今、電留線から出てきたばかりの風。

 今日の晴れ予報しか見ないで来たので、昨日或いは昨夜どうだったのか
はさっぱりなのだったが、どうも降ったらしい。高崎市内ではそうでもな
かったのが、信越線を西へ進むと、段々地面が白くなって、途中擦れ違っ
た電車が真っ白け。あれ昨夜横川に泊まったヤツだろ。横川どうなってん
だ。

 果たして、横川駅は雪化粧。それでも数cm かといったところだったが、
今シーズン初めて見る雪に、若干アゲアゲ。とはいえ周囲の山々も白いも
のは見えこそすれ、雪景色と言い切れる程でもなく、この晴天にじきに溶
けて消えてしまいそうではあって。



 午前中ほぼノープランで来たのだったが、ひとまずは雪の丸山まで行っ
て来るかと、改札を出ると「サムライマラソン」のポスターが。その下に
は「安中市が舞台」と張り紙追加・・・・・地理的には今の安中市域に違
いない、違いないのだけど、時は幕末・・・・・「現在の安中市」か、や
はりここは「安中藩」じゃあ、ございませんか。安中まで合ってるんだか
ら通じますって。

 はさておき、ロクサンも雪被ってるカナと「文化むら」の横から覗くと、
既に火が入っているためか、全然、といった具合。この分では・・・・・
丸山へ急がねば。

 アプトの道には既に先客の足跡が。雪自体知らずに来たから、まっさら
を逃したという感はないが、ここは地元の人が日課の散歩に来たりするよ
うな道だから・・・・・ほら、犬と思しき足跡もある。

 変電所周辺はまだ踏み荒らされた形跡なく、まずはこれをぱちり。とは
いえ数cm 程度、地面の細かな凸凹を覆う程でもなく、パッと見は足跡だ
らけと変わらない(笑)。昨年3月に降りしきる中でウハウハしたので、
まあいいのだけど・・・。

 横川へ戻って、峠の横丁・・・・・安中市観光機構を覗くと、「サムラ
イマラソン」の予告だか特報だかの映像がループ・・・・・長居すると、
ちょっときつい(笑)。原作本は平積み、さらに「ひもとくアプト式鉄道
のはなし」が、たしか前回来た時から置かれていて。新アイテムの温泉手
拭いなどちょっとグッと来たが、今日のところは一旦クールダウン。

 おぎのやで丼物でブランチ。そうそう、おぎのやの法被着た、テディ・
ベアみたいなモン、売ってるのだ。足の裏にはおぎのやの刺繍まで入って
おり・・・・・これは前回既に(笑)。



 久々に文化むらに入ろうかと戻ると、ロクサンが何やら入れ替え中とい
うか、ヨと連結したり離れたり。そのあたりをパチパチとスナップ。地面
の雪は大分解けてきたが、テールランプのレンズに、先程と光線が変わっ
て白く輝く雪の中を伸びるレールが、映り込んでいて、映り込みネタは焼
き直し感半端ない気もしつつ、好きなものはしょうがないのでこれを、ぱ
ちり、ぱちり。

 この季節とあって、文化むらの中は閑散としたものだったが、青茶揃っ
てたロクサン絵馬と、国の重文追加指定を受けての「旧碓氷峠鉄道施設ガ
イドブック」第3版、それから上毛かるたボールペン(笑)の「う」を所
望・・・・・このボールペンは恐らく全部あるに違いなく、フルコンプの
猛者も、或いはいるのではなかろか。

 それと。

 「ひもとくアプト式鉄道のはなし」、置かれてる。暮には峠の横丁でも
目撃していたが、発刊から半年余の、どこにも無いどこにも無いと気を揉
んだ空白期間は一体、何だったのか・・・。

 余談だが受験の滑り止めと称して各地で販売・配布されている撒き砂、
発癌性物質が僅かに含まれているのだとかで最近それを止めてる、という
ニュースに最近接したが、ココのは変わらず絶賛販売中(笑)。尤も連日
浴びる位でなければ実質的に影響が無い程、極々微量なのだそうだけども
・・・・・そらそうだ、でなければ現場の人が大変なことになる。



 園内を一巡りして、西松井田へ移動。

 ようやっと本日の本題。安中市役所松井田支所で、碓氷峠浪漫倶楽部の
講演。


     廃線から鉄道文化むら・そしてその先へ
       −新たな碓氷峠像の想像へ−


 講師は、碓氷峠交流記念財団の、理事長さん。

 旧松井田町では「碓氷峠鉄道文化むら開設準備室」でその準備に携わり、
鉄道廃止から 1年後の開演を目指したがさすがに間に合わなかった由。展
示車両については JR から随分と便宜を図ってもらい、無償或いはタダ同
然で(その代わり整備は JR 関連業者)引き取れたこと、EF63も動態保存
分の 24、25号機は相応の資産扱いながら他は鉄屑扱いだったが、後に静態
保存の 11、12号機を動態化した時に小言を言われた(笑)的なエピソード
などなど。

 坂本ダム近くで掘っていた温泉(そういやあったあった)は結局放棄し
て、峠の湯にはゴルフ場から分けて貰っている由で、それ故容量的に制約
があっるのだとか、くつろぎの郷の農園は野生動物に食い荒らされて止め
たとか、鉄道廃止前後か現在へ至る、試行錯誤の歴史の数々・・・・・もっ
と大きなお話もありましたけども。

 JR はまだ鉄道博物館の構想がなかった頃で、事業として疑問視するスタ
ンスであったらしく、「文化むら」への出資も断られてしまったのが、後
に鉄博を作ることになって、視察にも来たそうで、一方高崎の保存車は既
に譲ってしまった後で残念がっていたとか、なんとか。

 役場に入る以前は川崎の鉄道に勤めていて、空気が悪いので辞めたと仰っ
ていたけれども、どちらにいらっしゃいましたの。(^^; 

 ともあれ、横軽廃止前から始まって、当時の松井田町と、両隣の安中市
と軽井沢町、群馬県、それぞれの事情や思惑などが絡みつつ、今日の姿が
ある・・・・・そういったところを再認識。

 そして、これも既に、歴史なのである。



 講演は予定を少し押して、電車の都合があったので、最後の少しを残し
て、やむなく退席。

 電車を乗り継ぎ前橋。城南工房の「上毛電鉄デハ写真展」にお邪魔。後
から見覚えのある方が入ってきて、奇しくも一昨年の安中での碓氷峠写真
展のメンバーが、4人(笑)。昨日も 1人来たらしい。またそのうち、ねえ
などと・・・・・ひとまず今年は「文化むら」 20周年が、控えているわけ
だけれども。



(終)