***** 2019年3月17日 *****
(独り言)


 「廃線ウォーク」。

 これまで、昨年10月に熊ノ平〜矢ヶ崎、11月に熊ノ平〜峠の湯、と廃線
ウォークに参加してきたが、いずれも下り線だった。

 そこへ今度の企画は、上り線の、熊ノ平〜峠の湯。

 どっちでも、と思われがちだが、最大 66.7‰なのは、上り線。今回が
初めて・・・・・これに行かずしてどうする



 毎度の如く電車を乗り継ぎ、横川。駅を出ようとすると、待ち構えてい
る人がいて、廃線ウォークに参加ですかと訊いてくる。いえまあそうです
けどと答えるとご案内すると言う。集合場所はすぐそこのハズだったよナ、
「峠の湯」にでも変更になったのか、と訝っていると、そういうことでは
ないらしかったので、一人で行きますと先へ進む。行動中は常時ネタ拾い
なので(笑)、単独が望ましい。

 駅周辺には安政遠足の幟、

    ”映画
     「サムライマラソン」
     ゆかりの地 安中へようこそ”

・・・なんてのも立っている。折角「ご当地」であれば使わない手はない
・・・・・のだが、観た限りでは映画の方は、こっち向いてない感じで、
なんとも。全編庄内ロケで、物語もアレでは、ロケ地巡りも「聖地巡礼」
も成立しないであろうし、映画自体も同日公開の「翔んで埼玉」に席巻さ
れてしまって、どうにも影が薄い。こりゃ 5月のマラソン大会まで、話題
性で引っ張れるのか・・・・・まだ 2ヶ月もある。



 はさておき、まずは受付、廃線ウォークの特製手拭いがオマケ。そうい
えば参加料金もちょっと上がってますな(笑)。元々どう考えても採算度
外視っぽいし、これくらいは、ねえ。

 毎度のラジオ体操して、まずは「アプトの道」を歩いて峠の湯まで・・・
・・・その突き当たったところで、て草ボーボーの廃線跡になっているが、
今日歩く区間は刈ってあるものの、柵を跨いで進めそうな気にさせないよ
うに、ここは刈らずに残してある由。ナルホド。

 小休止の後、シェルパくんの駅を回り込んで、下り新線跡へ。前回は降
りて来た道だが、今回は下り線本来の向きに進む。まずは線路に置かれた
柵を越える前に、無人の「廃線跡」然とした風景を、代わる代わる写真に
撮ってから、いざ。

 歩いて歩いて、撮って撮って、また歩いて歩いて、眼鏡橋撮って、トン
ネル撮って・・・・・3号トンネル出口手前で、熊ノ平へ上がり切る前の
右カーブと縦カーブ、前回手応えがイマイチだったので、ここであーでも
ないこーでもないと撮りまくる。前方では発電機と思しきエンジン音が聞
こえ、またライトアップなどやってたに違いないのだが、ついでにまた調
子が悪いようなのだったが(笑)、構わずに狙いたいものを、撮る。

 前方の人影やライトや、何故か出口からの入射光が遮られたりと、なか
なか捗らずにいるうちに、殿のスタッフさんに追い付かれ、さすがにこれ
以上長居は出来ずタイムオーバー。熊ノ平構内で配られるお昼の釜めしに
あり付くと、先頭グループの名札にも拘らずビリで辿り着いたからであろ
うか、身体きつくないかと気遣われてしまい(汗)。ある意味ビョーキ
っちゃビョーキかも、しれんのですが・・・。



 碓日嶺鉄道碑の前に腰掛けて、お昼。今回は玉屋の力餅は売ってないの
かと思ったら出し忘れてたらしく(をゐ)、熊ノ平といえばやっぱりこれ
を食さねば、と出てきたところで所望。玉屋の遺構を眺めて、往時の賑わ
いに思いを馳せつつ、これを食す。

 と、小雪が舞ってますがな。

 いよいよ未踏の、上り新線、66.7‰の勾配へ入る。ここでもぱちりぱち
りと撮りつつ、またまた後続グループに呑まれながら下って行くのだった
が、碓氷川橋梁では、アーチの下面へ降りられる階段があり、さすがにそ
こへ入るのは NG だろうが覗き込んで、ゴクリ。

 眼鏡橋は、下り線の下に辛うじてアーチが見える。ほぼ同一平面に近く、
この 3本の橋は並んでる。

 続いて上り1号トンネル。

 下って下って、明るくなってきた辺りに、あった!

 進行方向左側、アウトカーブの上の方に見える、直線状の跡。

 1975年10月、ここで 5重連の回送が脱線、転覆した事故の跡である。幸
い犠牲者は無かったとのことだが、4両の EF63 と 1両の EF62 が、運び
出すこともままならず、現地解体になった由。原因は OSR の誤操作によ
るオーバースピードとされ、速度超過によりカーブを曲がり切れず、事故
に至ったという。

 壁の跡はパッと見出口の 50m程手前から始まり、反動で跳ねてか一旦途
切れてまた始まり、出口へ至る。内壁は荒々しく削られている風ではな
く、車体を受け流したように見て取れる。跡には青15号と思しき、青色も
はっきり、見える。

 44年近くを経て、新鮮、というのも変だが、生々しさをそのまま留めて
いるのは、不思議にも思われたが、トンネル内壁で風雨にも日光にも晒さ
れず、人の出入りもまずなく、敢えて落そうとでもしなければ案外、こん
なものなのだろうか。



 最後のトンネルを出て振り返れば、十河信二の揮毫による「新碓氷隧道」
の扁額。新線は上り線が先に出来たから、こちらにあるわけか。矢ヶ崎の
方は未だ見ていない。

 脱線転覆の跡を見てしまっては、後は消化試合のようなものだったが(笑)、
霧積温泉へ向かう道から線路をスッキリ見上げられたこのあたりも、ツアー
のために切り開いた線路の両側は、並木のようになっている。ここに限ら
ず線路のど真ん中に切り株が残っていたり、架線柱の上の方の蔓草は枯れ
るに任せて放ってあり、チェーンソーも使って、これ全部やったのかと、
その作業を想像するだけで気が遠くなる。

 これ、切り開いたからには活かさない手はないですな。

 と思ったらやはり、色々アイデアはあるそうで、軌道自転車を走らせる
ことも画策中であるらしい。ただ勾配が勾配であるので、ブレーキや車輪
の粘着に課題があるという。リターダー入れてトロッコよろしく下るだけ
というのが無難そうだが、上って帰る必要もあるだろうし、道路なら 7%
弱、いわゆる「激坂」程でないにしろ、連続勾配は、きついぞぉ・・・。

 そんなこんなで峠の湯まで戻り、終了。



 MAD氏がいらしたのでちょっとお話しして、横川まで乗っけていただい
て、電車の時間まで周辺を散策。越後屋食堂・・・・・先日火事を出して
しまい、重機が入って片付けている様子だった。実はここ、営業してるの
かしてないのかよく分からなくて、遂に入ったことがなかった。最近、TV
に出てたとかで、どれどれそのうち寄ってみよう、と思っていた矢先の火
事だった。諸行無常・・・・・自分はこことは縁が無かったのだと、諦め
るしかない。

 おぎのやドライブインでは特にネタなし。

 来月には、矢ヶ崎からの上り線踏破のツアーがあるという。今回のに申
し込んだ前後の発表だったので、後出しかよとブーたれてたのだったが、
さてどうしたものか・・・・・熊ノ平の先の上り新線は明かり区間少ない
しな(ぉ・・・・・それと前後して「文化むら」も 20周年を迎える。何
故か昨年に色々盛り上げてて、今年だってことちゃんと覚えてるよなと傍
目に不安なのだが(笑)、何かやるだろうきっと。


(終)