***** 2019年3月28日 *****
(独り言)


 こういうコト言うとまたアレなんだろうが、実のところ昨今の 189系熱、
とりわけ「あさま」色のそれに対して、少しばかり温度差があった。国鉄
特急型の生き残りへのノスタルジー、あるいは「あさま」として走った日々
への思いはあれど、近年の実車は、別のモノという感覚がある。

 断っておくが、横軽現役時代知ってるもんね、とかそういうコトを、言
いたいわけではない。

 189系が特急「あさま」の運用を降りた後、その一部は「あさま」色その
ままに、新たな役割で走り続けた。ただし、先頭車にあしらわれた
”■ASAMA■”のロゴは、塗り潰されることになる・・・。

 もう「あさま」ではないのだった。往時の記憶を内に秘めながら、黙々
と余生を走り続ける・・・・・注意して観察すれば先頭車にうっすら見え
る、”■ASAMA■”の跡、そこに、この車の生き様を見たのである。

 そこなんだよ。

 いつからだったか、そこに再び”■ASAMA■”ロゴが入った。どういった
経緯かは分からないが、歓迎はされたのだろう。ただどうしても、何かの
思惑に何かが上書きされるような、そういう匂いが、漂うように思われる
のだ。

 そこなんだよ。

 とはいえ、1975年以来、既にその歳月の半分が、横軽廃止後なのであり、
「あさま」色の期間で言えば更に長く、つまり国鉄特急色よりも、こちら
が本来であるかの如き重みを伴っている。若い世代からすればこちらが当
前で、”■ASAMA■”ロゴにしても、C62 2 の燕マークのような証であるの
かも、しれなかった。

 先に言った温度差とは、「あさま」の時代を過去として捉えながら、現
在を「余生」と捉えているか、「走る伝説」であるのか、そういう違いな
のだろうか・・・・・結局ジェネレーション・ギャップなのかもしれない
けれど。



 そんなゴタクはさておいて、「ありがとう189系」である。

 この春のダイヤ改正で定期運用を失ったという 189系が、団体ツアーで
軽井沢まで入ってくる。世の反応を見ていると、「ラストラン」でほぼコ
ンセンサスのようなのだが、JR東長野支社の公式アナウンスをよくよく注
意して見ると、今回の企画は「定期運転終了の記念」であり、これが最後
です的なコトは一言も、言ってない。

 どういうことか。

 あえて邪推をすると、長野支社ではまだ走らせたい意向があるものの、
いわゆる諸般の事情で難しい、しかしまだ諦めてはいない、察しろ・・・・・
そんなトコロか。思えば横川へも本当に久しい。最後くらいはと、思うと
ころだが・・・。

 ともあれ、今日がラストランである確証はないものの、その可能性が高
いことは、間違い無さそうではある。ましてや軽井沢乗り入れとなれば・・・。

 行くしかあるまい・・・。



 前日まで傘マークと太陽マークが出たり消えたり、雪マークまで顔を出
すなど、なかなかに悩ましい予報なのだったが、なるようになるさと腹を
決めた。起きられる自信がなかったので、前の晩のうちに行けるところま
で行っておくことにして、上里SAで寝た。起きたところでまた走って、碓
氷軽井沢で降りる。

 雨ですわ。

 どうすっかねえ・・・・・まずは、しな鉄の駅で、記念切符の列に並ぶ。
降水域がすぐ抜けそうだったので傘を持たずに並んだが、小雨がなかなか
止まづ・・・・・寒いし。

 そのうちホームに案内されて雨宿りができたが、列は徐々に伸びていき、
どっと一団が駆けて来て更に加わる。新幹線で来たのかな。

 ようやく記念切符にあり付き、「[L]あさま」記念サボと、同サイズで
国鉄駅名票を模した板なども、所望。駅名票は妙にツボった。通常の出札
窓口では信越線 130周年の記念切符の在庫もあって、折角なのでとこれを
求め、今日の記念切符共々、改札スタンプを入れてもらう。ひとまず最初
のミッションはクリア。

 腹減った。

 JR東のコンビニでおにぎりなどと、今年の限定七味があったのでこれも。



 さあどうする。

 思えば昨年秋、やはりここで 189系を撮った。駅で出迎え、離山で見送っ
た。離山は線路の北側で逆光気味ということもあり、出迎えは順光側の矢ヶ
崎山にするつもりでいたのだったが、生憎この日は「碓氷峠ラン 184」が
あって、R18旧道に通行規制がかかることになっていたため、行くのであ
ればその前に登山道に入っておく必要がありそうだった。しかし現着して
みれば雨、予報では晴れが期待されたが、雨が上がりさえすれば良いとい
うものでもない。結局、リスクを避け矢ヶ崎山は諦めた。結局は晴れて、
その判断は裏目に出た格好だったが、そこまで見通せない時点で、判断し
なくてはならなかった。

 予報は上向き、今回も状況は似ている。今日こそは・・・・・今日こそ
は? まだ雨パラついてるし、浅間山どころか霧で離山すら見えないし。

 幸い今日は、前回のような制約もなく、もう暫く判断を保留できる。こ
こは様子見でと、バイパスから一度横川へ降りると、途中から晴れてきた。
振り返れば雲・・・・・出たよ。

 つい先々週来たばかりなので、横川はあまり変わり映えも・・・・・い
や、越後屋食堂は更地になっていた。霧積の道から多少草木が空けるよう
になった線路見て、旧道流して再び峠。

 浅間山、雲があるものの、一応見えてる。抜ける青空とはいかないが、
日は射して来て、概ね上向きの気配・・・・・逆戻りはないだろう。

 これは行くしかあるまい。



 実のところ、矢ヶ崎峠は何度か行ったが、矢ヶ崎山は登ったことがなかっ
た。国道の登山口から暫く尾根を伝って行くと、途中で左へ行けば矢ヶ崎
峠、右へ行けば矢ヶ崎山とに分かれる。矢ヶ崎峠へはそのまま尾根歩き、
矢ヶ崎山も、道はそう険しくなく、お手軽ハイキングといった風・・・・・
らしい。

 なまった身体をえっちらおっちらと前へ進める。登山道はプリンススキー
場の縁を通るが、その人工雪がこっちまで入り込んでいる箇所があった。
アイゼンなしの靴では、滑る滑る。それでもなんだかんだで 1時間近くか
かって、山頂。さすがにご同輩はいないか。

 空は晴れていて、眼下の軽井沢駅周辺も、まずまず見通せる。ただ遠望
する浅間山の上は曇りがちで、山頂がちと曖昧な見え方をしている。そこ
はそれ、浅間山と判ればいいと割り切ることにして、時間もないのでカメ
ラの準備。

 あれか?・・・・・一筋の白い線、「ありがとう189系」だ。いよいよ
軽井沢駅へ迫り、すかさず連写・・・・・んー、どうか、どうだ? 相手
が小さ過ぎて、架線柱避けたつもりが、面一本喰らいまくり(涙)。ま、
ま、ま、まあ、その、なんだ、去り行く返しが大事なんだよ今日は。

 返しまでの 1時間、どうしたものかと思案しつつ、山の周囲を見渡す・・・
・・・振り返れば、くねくねと降りて行く碓氷バイパスが見え、山急山の
麓あたりで、上信越道のアーチが上に架かる。その向こうには裏妙義の山々、
丁須の頭も見え、更に遠くを見やれば、川が海へ注ぐように、建物の犇く
平地が拡がり平野へ連なっていくのが、見える。

 東の方へ目を転ずると、白い箱は、熊ノ平変電所か。その背後にトンネ
ルの坑口が見えた。



 そろそろ、返しの時刻だ。

 笛交じりのタイフォンが聞こえた。

 ゆっくり、ゆっくり、再び白い線が現われる。同じ過ちは、と連写のリ
ズムを変えてみるが、今見送っているという事実で、駄目なら駄目でと、
どこか満たされたような気分が、伴っ・・・・・いやいやいやいや、折角
撮りに来たのだから、お金かかってるのだから。

 「あさま」・・・・・その列車名ゆかりの浅間山に見守られ、軽井沢を
後にする 189系。6両編成、往時の半分しかない。そのか弱い白い線は、
隣の新幹線と隔てる塀に、紛れてしまいそうだったが、目を凝らせばたし
かにそこにいて、歩みに迷いはないように、見えた。

 恐らくは、これが今生の別れとなる。撮影場所ならいくらもあったろう
が、20余年前のあの夜、ざんげ岩で最終「あさま37号」を見送ったように、
今日もまた、碓氷の地より見送ることに、拘りたかった。

 本当にこれが「ラストラン」なのか、最後の最後なのか、疑問は残る。
しかしながら「あさま」を降りてからの「余生」、或いは「走る伝説」も、
今日であれ後のいつかであれ、終わる。終わってしまえば、前述の「温度
差」も共に消え・・・・・いや、これすら全く知らない世代が、いずれ現
われる。すると今お熱の世代も、新たな「温度差」に直面するのだろうか。
歴史は繰り返す。



(終)