***** 2020年7月11日 ***** (独り言) 6月半ば、交通新聞社「JR時刻表」1997年9月号の時刻表を復刻する、と いう告知が流れた。 特に節目でもないこの時分にナニユエ、と少々首を傾げつつも、20年目 の時になかなか運ばなかったことが、遅まきながらでも動くのはめでたき こと、と前向きに解釈して、そもそもどの道買うのだから(笑)そこは気 にしないのだったが、さてどこで買えるのかと検索してみると、交通新聞 社からのリリースでは、ないらしい。先般、同業他社である JTB から出 ていた、東海道新幹線開業前後のもののような、多少アレンジを加えての 「復刻」とも、どうやら様子が違う。 現地のみの流通の気配濃厚、部数もそんなに多くないのかもしれず、新 型ウィルスがらみで何かと行動も鈍るこんな折、ここは確実に、安中観光 機構の通販でまずは確保。ひとまず安心したところで、ネットにチラ見せ のような画像があって、あれっ、薄い・・・・・これは「JR時刻表」をま るっと復刻したわけでは、なかったか・・・・・にしては安い気がしたわ そういえば。この薄さでは信越本線抜粋版、なのだろうな。タイトルも JR でなく「HW時刻表」となってる・・・・・ん、Haisen Walk? 7月に入り、いよいよ現物が届いた。あれっ、小さい・・・・・B5 でな く A5 なのね。つまり一般に再版或いは完コピというようなニュアンスで 言われる「復刻」というより、交通新聞社公認の再掲、ということなのだ な。時刻表ページの上端には、白山色やモントレー色があしらわれ、なに げに芸が細かい。 そのようなわけで全体的に「薄い本」の様相(笑)ながら、肝心な部分 はホンモノ由来の「復刻」であって、関係者のインタビュー記事があり、 更に米屋”写音集”こうじ氏の写真作品が添えられ、なかなか豪華。 パラパラとページを繰れば、最後の「あさま37号」に、移行ダイヤで 9/30発は経由が変わる但し書きの「能登」など、そうだったそうだったと 往時を思い起こさせられる。モントレーで運行された臨時9348M(送り込 みがサヨナラの語呂合わせで 9347M)は、万一の積み残しに備えて秘密裏 に設定されてたので、載ってない。アレ、本来なら上り最終である、362M に乗った葬式乗り鉄(当時まだそんな呼び名はなかったか)が、後から降 りてきたモントレーを見て「もう一度走らせろ」などと騒ぎ出した、とい うイワク付きだったりする。 さて。 「文化むら」の奥にいる 2両の 189系とロクサンが、化粧直しされた。 189系は廃車後約 10年の 2007年秋から暮にかけて一度塗り直されていた が、そこからまた 12年ぶりとなる。現役時代の全般検査より相当に長い スパンで、相応に傷みも進むのは致し方ないことだったが、概ね 10年サ イクル、保存するということは、これを繰り返すということなのだ・・・。 前回は塗って終わりだったのが、今回は式典を行うという。その位置付 けの違いはよく判らないが、小さなことでも PR して呼び込むということ は、悪いことではない。むしろ最近まで、あまりにも発信を欠いていた。 というわけで、移動のハードルもいくらか下がったところで、いい機会 ではあるし、半年弱ぶりに訪ねてみようかと。 電車に揺られて横川。まずは外から偵察をとアプトの道を進み、いたい た、ピカピカの 189系。 ん? ネットで流れていた画像は、色温度の具合でそう見えてるだけかと思っ ていたが、こうして直に見ると、現役時代や、前回の塗りと、大分印象が 違う。窓下のグレー、どうも濃く見える。すぐ上のグリーンもまたやや地 味目にくすんだオリーブドラブ風味で、互いのコントラストが乏しく繋がっ て見えるのは、曇り空のせいだけではあるまい。思わず、スマホに突っ込 んでる往時の写真を呼び出して見比べたが・・・・・ん゛ー。 麻苧茶屋を覗くと、例の復刻時刻表他、色々グッズが増えてる。磯部温 泉の温泉マーク手拭い、廃線ウォークの Tシャツや帽子に、え?、霧積温 泉のペナント。 ペナント。ぬおおおお。 絵柄の建物は金湯館か・・・・・今はなききりづみ館しか行ったことな いけど。白黒青赤と4色のバリエーション、今新規で作るとも考えにくいし、 これはデッドストックでも出てきたのであろうか。 今日はざんげ岩でも登ろう・・・・・1年以上ご無沙汰である・・・・・ かと一応の算段もしていたが、雨がぽつぽつ降りだしてしまった。189系の 式典に間に合わせるにはそろそろ登りたいところだったが、予報見ると雨 の中登る羽目になりそうであるし、霞んで見えなくなっては元も子もない・・・。 今日は「ELぐんま よこかわ」がやってくる。 群馬ディスティネーションキャンぺーンは新型ウィルスにからむ諸々で、 ほぼ壊滅状態、前回の東日本大震災といい災難続きなのだったが、運休を 余儀なくされた「ELぐんま よこかわ」と返しの「SLぐんま よこかわ」が、 今日から再開というのである。見ておこうか。 入場券を買ってホームへ入ると、1番には和太鼓が並べられ、出迎えの 準備がされている。どこから撮ろうかとウロウロする間にも、雨は誤魔化 しようのない降り方になり、未練タラタラで空を睨む。 やがて、少し遅れて「ELぐんま よこかわ」が向かいの 3番に入ってき た。停止すると太鼓の演奏が始まり、これを入れながら、ぱちり、ぱちり。 遅れが災いして後続の普通列車に遮られる場面もあったが、ビシッとキメ て演奏は終わり、ホームは拍手で包まれる。 にしても雨、本降りですがな。ざんげ岩は駄目か・・・。 一息ついて、おぎのやドライブインで早めの昼食。まだ玄米弁当や鶏も も弁当がある。久々に鶏もも弁当を所望。 そういえば、群馬DC 向けか何かの、釜めしの限定掛け紙があった筈だ が、延期になってから、遅ればせながらといったアナウンスをとんと聞か ない。群馬DC 自体が終わってしまった以上、お蔵入りの憂き目に遭って、 しまったのか・・・。 弁当売り場にアマビエだるまが(笑)。ああこれ、上毛新聞のネットニュー スで見たヤツだ。どこで買えるのかと速攻調べたのだが、全然判らなかっ たのだ・・・・・ここで売ってるわけでもないようだし。これはあとで。 そろそろ、文化むらへ。 まずは売店でグッズなど物色すると、これまで売り切れ続きだったラッ クレールサブレ、ようやく初めて見た。3枚入りなんだ・・・・・ともあ れ、見たからにはと所望。 奥へ進んで、今日だけは通れる「アプトくん」の踏切を渡り式典会場ま でやってくると、なかなかの人出。「ELぐんま よこかわ」で来てる人が 多いのかもしれないが、これだけ動員できるなら、これまで化粧直しの度 にやればよかったのに、と今更ながらに思ったりする。 それはさておき、いよいよ式典が始まった。経緯や事情を知らなかった が、今回地元の方の寄付で成された由。市長に始まり、来賓も JR関係や 県など錚々たる風で、どうも、単に塗り直しましたでは、済まないカンジ。 締め括りに、同時期に塗り直されたロクサン共々、汽笛吹鳴と行うとい う。ならばタイフォンカバーの開く様を捉えようと、クハ189の横顔の位 置に陣取って、その時を待つ。市長他の来賓が乗り込む。 「それでは、どーぞー!」 プワァァァァァン・・・・・あでゃ、音はすれども、タイフォンカバー 開かづ。どうも向こう側だけ開いてる気配。がっくし。 気を取り直し、続いて始まった車内見学の列に並ぶ。最初のうちはそこ そこ進んだが、中間車の連結面から入って、先頭車の乗務員扉から出る、 そこの運転台がネックになってるらしく、ピタリと止まる。見上げれば空 模様はすっかり持ち直し、ざんげ岩、行けそうである。どうしよう、どう しよう。 少しずつ列は進むので、逡巡しつつも並び続ける。今日は客室内の長年 籠った空気の匂いでも嗅げれば、くらいに考えていたので運転台が込むな ら飛ばしてもよかったのだが、出口が運転台下の乗務員扉となると、ショー トカットは難しそうである・・・・・と、前方で、もういいですと入口か ら出てくる人が。ムムム。 入口近くまでやって来て、自分の番を待っていると、そこにいたスタッ フさん、あれれまあまあどうも(笑)。熱心にボランティアに参加なさっ ていて、頭が下がる。折角なので、今回の塗色について思うところを訊い てみると、然るべき資料を基に発注したもので、物は確かであるらしい。 んー・・・・・でも、と言いたいのを堪えてると(笑)丁度順番になり、 お礼を言いつつ中へ入る。 上がるなり、洗面台のジョージアの自販機など廃車当時そのままで、 200系をあしらった大清水のお茶の缶のサンプルなど、もうちょっとした タイムカプセル状態。 客室へ進むと、おっ、ロクサンが窓の外に見えている。若干向こうの方 が高く、色々と向きは違うが、下りで横川へ着く際に、待機線にいる姿を 認めた時の・・・・・「5分だってさ」「釜めし食うよな?」「誰行く?」 「よしじゃあ金集めるぞー」。 運転台の横軽スイッチなどもしっかり撮って、麻苧茶屋の方から出て、 霧積のペナントやらを買って、登山口へ。行くしかないわなあ。 こんな雨上がりではヒルがウジャウジャは覚悟の上だったが、本当に多 くて、これまでになく靴となく脚となく、ピンピン弾きまくり。1年以上 のブランクとステイホーム肥りとで身体も重いわで、あわよくばと思った 「SLぐんま よこかわ」は汽笛だけを遠くに聞き、上がった雨は再び降り、 1時間オーバーでざんげ岩に辿り着いた時には、189系の車内公開はとうに 終わって会場の賑わいもすっかり消え失せて、わずかに、撤収作業と思し き人影が見えるだけだった。 間に合わなかったかぁ・・・・・本当は式典の様子を俯瞰したかったの だが、午前中の雨で諦め、午後持ち直したところでこうして来たわけだが、 やはり車内見学で時間を取り過ぎたか。 とはいえ、高い所からで失礼いたしますが(笑)、本日はありがとうご ざいました。 今こうして、眼下に化粧直しを済ませた 189系がいる。思い起こせば、 横川へやって来たのは、1998年秋だった。「文化むら」への搬入待ちの機 関車達が 5番線に連なり、編成を分割して、その隣へ押し込むように収まっ た。丸山へ押し上げられたのが1999年2月15日、間もなく世間の悪意に晒 されて、半年余りで再び横川4番へ。暫くそのままに置かれていたが、2両 を残しここまで繋がっていた仲間達が解体されたのが、2006年正月。2両 は「文化むら」の奥で保存されたが塗装の傷みが進み、2007年秋に再塗装 が行われ、そして12年余りを経て、今回塗り直される・・・・・ずっと、 ざんげ岩でそれを見て来た。今度塗り直される時、まだ登ってるのだろう か・・・。 (終)