2003.7.4 新千歳へ
 そう簡単に腫れが引くワケも無く、文字通り腫れ物に触るようにシャワーを浴び、服を着、さてリュックを・・・・・あ゛ぁぁ。

 シーブリーズを吹きまくるも、気休めにすらならない。チェックアウトを済ませ、駅までの僅か数分の道程が長いこと。柔肌に陽射しが刺さる。 今日は女満別を発つ。搭乗する452便まではまだまだ時間があるので、ちょいと鉄してみようかと早起き。網走駅で夜行の「オホーツク」を撮ったりしてから、 「オホーツク2号」で北見へ向かう。なんだか特急に乗ってみたかったのである。昨日通った道も違って見える。車販のおねいさんが通ったところで、 駅弁と「スーパー宗谷」チョロQを所望。3月に宗谷岬行ったし一応。ぼーっと眺めていると、川の看板がJR北海道の駅名標の仕様になっていて、 隣の駅の部分には上流側に水源らしき名前、下流側に「オホーツク海」なんて書いてある。洒落ているというか、企業だの行政だのの垣根を越えた感じが、北海道なのかなと。

 殆ど「鉄バカ日誌」になりつつ、北見でオレカなど漁りつつ一服して、網走行きの列車で西女満別へ返す。降りるのも不安になるような駅なのだが、 ともあれホームへ降り立ち、列車を見送る。さてと、よいこらせっ・・・・・あ゛ぅぅ。道へ出て、空港へ向かう。坂道が辛い。 空港から西女満別駅へ来る際には気にならなかったのだが、こんなに急だったっけか。そして陽射しが容赦なく身体を射る・・・というか炒るというか。 ちょっと進んでは一息入れる。やっぱ体調悪いんだろか。

 見えてからなかなか近付かないターミナルに焦れながらも、足を動かし続ければそのうち着く。早速有料¥50の送迎デッキへ上がり、451便を迎えることにする。 しかしここ、日陰が無い。日除けらしきものこそあれ、朝の光線ではその陰は遠く地面に出来、全く用をなさづ。かといって一旦屋内へ戻れば、 再び有料¥50の(しつこい)ゲートを通って来ねばならぬ。僅かな日陰を求めて出入口付近の壁に張り付き、シーブリーズをしゅっしゅと吹きまくり。あー、辛い。

 そうこうするうちに451便が見え。意を決し荷物抱えて炙られに出る。大きく回り込んで、18から着陸。滑走路から直接エプロンへ向かって来る。 一通りの作業の後、乗客達が降りてくる。写真を撮ったりしてなかなかターミナルへ向かおうとしない人々・・・ナルホド超割初日(笑)。 レジを見ればJA8761。これが最後の搭乗の機体・・・さてこちらも、荷物を分けて搭乗手続きに向かうとするか。

 いつものように色々な手順を踏んで、搭乗開始。これまたいつものように写真を撮りながら前進、いつものように収まった席は6D。ANKのYSとの、 最後の時間を過ごす場所である・・・。やがていつものようにタラップが畳まれ、いつものようにエンジンが回り始め、いつものようにタキシング開始・・・・・ いつものようにということが、いつまでもでないことをしみじみ噛み締めながら、やがて訪れる離陸の加速に、身を任せた。

 機内サービスが始まったところで、またまたあの懸案事項に挑んでみる。絵葉書である。今度は一発で用件が通じたのだが、やはり無いとのこと。 もう駄目である。何らかの形で、フォローは無いものだろか。そのまま販売しては「記念品」の意味も薄れるだろうしで難しい所だとは思うけれど、 そのへんちょっと体裁を変えて「機内配付分とは別」とかすれば、いーんでわないか。駄目かね。・・・今のやりとりを聞いていた隣のおじさん、 間に入って「この団扇は貰っていいの?」。

 今回も団扇だけ貰うことにして、窓の外を眺める。機長の放送があって、大雪山系の山々など紹介。なるほどあれか・・・雪を頂いているのはさすが。 写真をパチパチ撮りながら、重大なことに気付く。なんと機内持込み用のカメラの、日付入れ機能が生きていたのである! い、一体いつの間に・・・・・ しかも日付が出鱈目である。救いようが無い。慌ててこれまで撮ったものを取り直そうとするも、既に大雪山系は通り過ぎ、雲が出てきてしまった・・・・・ ああ、今年に入ってから、何かにつけケチつきまくり。しかもANK最後の最後の搭乗で、コレ・・・思えば今回、いや前回あたりから、 つまらない判断ミスや不注意が多過ぎ。何やら重大なコトの暗示ではなかろうかと、不安にもなる。

 雲の中で高度を下げ、やがて地上が見えた。人の営みがそこかしこに窺えて、千歳の市街も近いことを物語る。いよいよ最後の着陸が、近い。 残された時間を惜しむ気持ちを他所に、機はアプローチを続け、とうとう千歳基地が見えた。左右どっちか知らないが、とりあえず19らしい。 そして着陸直前、一昨日と同じ場所に1機、トリトンブルーのYSを認める。JA8772であろう。どすん、ずずずずずず、ぶおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ ・・・・・ああ、降りてしまった。千歳は今にも降りだしそうな雲行き、晴れ男も力尽きた。ターミナル逆サイへタキシングの途中、 スピナー越しに遠くJA8772を見る。駐機スポットへ到着、名残を惜しみつつ、タラップを降りる。もう一度、ドアの「さよなら」ロゴをぱちり。 バスに乗り込み、小さくなって行くYSの後姿を、ずっと眺めていた。

 荷物を受け取り、降りたばかりのJA8761を今度は外から見に行く。駐車場を突っ切る通路をずんずん進み・・・・・肩のヒリヒリは我慢々々。 JA8761は丁度、次のフライトの支度の真っ最中。先程の到着から、1時間後には次の出発なのである。それを遠めにぱちり。・・・と、 CAさんが中から現れ、タラップで記撮を始めた。仕事の僅かな合間、風が強く髪を気にしながらポーズを取ってる。我々には届かない領域というか、 彼女らには彼女らならではの、愛着なりがあるに違いない。ミーハー感覚、などというより仕事に対する想いをそこに見るようだった。しみじみ。

 そのうちバスが到着、乗客が乗り込み始める。出発はどうようと思ってたのだが、離陸撮るのもつまらし条件もきついので、このままここで見送る。 出発までのやりとりなど、思えばこんなローアングルで見られる場所も、これまでなかなか無かった気も。まああちこちで見られた全盛期を知らないだけだが・・・。 さて帰って来る前に、JA8772を見てやろうと送迎デッキへ。おお、いるいる。けれど困ったことに、彼我の間に駐機している機の補助エンジンのせいで、 陽炎でへろへろ。風が吹いてそれが払われる瞬間を狙うも、天候が天候なので超望遠にテレコンでしかしシャッター速度上げられず、どう写ってるもんだか。

 さて、返しはどうしよう。今回、本当は滑走路南端に行くつもりだったのである。前回の雪辱である。んがしかし、風が反対向き。これではね・・・・・ ヤレヤレ行かなくて済んだか、ともちょっと思ったけれど。で、そうであれば北側からアプローチを狙うことになる。ロケハンなどしたことが無いから、 一体どんな絵が撮れるんだか分からないけれど、ともかく行くだけ行ってみるかと。荷物を全部持って行ってたのではあまりにも厳しいので、 要るものだけ小分けにして後はロッカーへ放り込む。あ゛ぁー、楽。電車に乗って南千歳へ。と、上り「トワイライトエクスプレス」がやって来た。 ををデーデーの重連たまらんなあ、とホームに収まらないのを無理矢理撮ったりしつつ、改札を抜ける。かつてここが「千歳空港駅」だった頃、 一度も来た事は無かったけれど、今や空港ターミナルへ続いていた長い渡り廊下はばっさりと切られ、函館駅や青森駅の、連絡船桟橋へ続いていた跨線橋に似た風情。 駐車場だった場所は荒れるに任せている・・・。そんな駅を後に、空港滑走路北端を目指す。どこだ、どのへんだ、 自衛隊の施設を横目に歩きながら、時折降りて来る飛行機を見て当たりを付けてみるも、地図で思ったより、実際歩くとちょっと遠い感じ。うーむむむ・・・。

 と。

 びぃぃぃぃぃぃぃぃぉぉぉぉぉぉぅぅぅぅぅぅぅんんんん・・・・・あ゛あ゛ー! 終了である。ちょっと到着早過ぎ。なす術無いままに、見送る。 まあ、撮ったところで面白く無さそうだったよな、とまたお得意の酸っぱいブドウ症候群かましつつ、とりあえず北端のソレと思しき場所だけ確認して、 さて、急いで戻らねば。今度は次の出発までの間が無いので、予め電車のダイヤまで調べておいたのである。結構カツカツなのである。 気分に追い討ちをかけるかの如く雨がパラパラ降り出し、女満別の時とは打って変わって肌寒い中着ていた上着の中へカメラを庇いながら、南千歳駅へ急ぐ。 途中、海保のYSが見え。遠いしなんだで、もう、見るだけ・・・。電車に乗って空港に戻り、駐機スポットへ。そこでまた出発の模様などを撮り。 そういや朝から1つずつ隣へ移ってないか? 一息入れて、ロッカー代も厭わず機材を代え、今度は逃すまいと早めに滑走路北端へ向かう。

 まずは気になるJA8772が良く見える場所へ。ここ、空港の工事用だか作業用だかの出入口らしかったが、ともかくそこからぱちぱち。 そのうち暗くなってきた頃、454便がやって来た。日没にはちょっと早かったのだが、この天候でかえって、青い情景で撮る機会を得た。 ただ、もう少し暗くないと、露出切ってるのがミエミエなんだよな・・・・・雲の表情も欲しいところだったが、さてさて・・・・・ びぃぃぃぃぃぃぃぃぉぉぉぉぉぉぅぅぅぅぅぅぅんんんん・・・・・これで最後かと思いつつも、そのあっけなさ過ぎる感じが、なんとなく虚しくもあり。 今度はターミナルビルをバックにタキシングして行くところを追う。ん、DC−10と絡んだな。

 JA8772の上には明かりが灯り、それが機体と濡れた舗装に輝いて、それなりの風情。あとは帰るだけ、そもそも滑走路南端から戻ることを想定して、 多少遅れても良いように羽田行きの最終便を取っていたので、時間には余裕がある。もう少し暗くなるまで待ってみよう。三脚は無いが、 露出を切ってギリギリなところまで。もう、ISサマサマである。・・・と、クルマでやって来て、話しかけてくる人あり。地元の人らしい。 「嫌いな方じゃないから」とその人は言うのだが、実はバリバリやってる人がよゆーかましているような、そんな匂いが。 写真で有名な方ともお仲間らしい。ここのアプローチをあっちの山からこうでああで、いう話は、そこいらのスポッターとはちょっと違う、 視点というか視野というか、それと積み重ねのようなものと、ある種のゆとりが滲むようで、そんな人々羨ましい。鉄方面でさえ、なかなか難しいんだが。

 ブレるギリギリまでJA8772を撮って、南千歳駅へ向かう。千歳基地の方からゴォー、バリバリバリと派手なジェット音。アフターバーナーの光が、 夕闇の中を駆けて行く・・・・・ヒコーキの用事で、ここへ来ることはもう無いかもしれないが、千歳基地のイベントはちょっと行ってみたい。 電車に乗って空港へ戻り、ロッカーの荷物を出し、最後の我慢とリュックを背負い、駐車場の逆サイへと歩く。3月の時と同じく、ナトリウム光に浮かび上がる、 JA8761。濡れた舗装面にその姿を映して、佇む。段階露光やら色々やりながら、これで見納めかとしみじみ眺める。羽田での初撮りから3年。 思えばドタバタの3年間であった。鉄な撮影で機材はそれなりに揃えてはいたが、ヒコーキ、殊にYSでは聊か勝手が違い、お気楽モードがアマアマだったことを知るのに、 そう時間を要しなかった。何故にもっと早くこのレンズを買わななんだか!、と後で思うこともしばしば、余計な遠回りをしているうちに、逃げたチャンスも数知れづ。 まあ、言い訳をしたところでしょうがないんだが、そもそも幾度か航空祭に行った程度で、高望みすること自体、間違っているのである。まあ新鮮な気分で過ごせたけれど。

 そんな、YSな日々、そして別れの中から、何かしら己の中に残るものがあるとすれば、それは趣味として幸いなことである。昭和中期の残り香を持つ機体・・・・・ 「それがかつて普通の日々だった頃」に生きた一人として、その記憶を身体に染み込ませることが出来る、ギリギリに立ち会うことが出来た。 ANKのYS達とも、個人的には一足先にこれでお別れだけれど、そのトリトンブルーの姿は、かつてのモヒカンと同じく懐かしい気分とともに、記憶に定着するのであろう。 殊に羽田で日常的に見られた頃の姿は、既に懐かしい。さてお次はJACだ、といった調子の無節操は遠慮したいが、伊丹でウハウハして以来、すっかりご無沙汰である。 鹿児島はこの間までの丘珠以上に凄い所のように聞く。北と南と掛け持ちは辛いので、ついつい後回しにしてしまったけれど・・・。 「それがかつて普通の日々だった頃」に居合わせている間、このドタバタは終わらないのであろう。写真的には、「挑む」ことの限界をいい加減痛感した次第。 分というものがある。まあ、引いて見れば見え方も変わろう。少し考えるとするか・・・。