2004.9.20 与論へ
 来た。来たのである。・・・今を去ること5ヶ月前の4月、南西諸島を撫で斬りに、エメラルドの海を眼下にウハウハの筈だったのである。 んがしかし運命はあまりにも過酷なのであった。朝からざんざん降り、ダイヤは乱れまくり、ゴーアラウンドを繰り返した挙句福岡へ向かう機まで出る始末。 そのような状況下、かの「台風飛行」でも鳴らした我が精鋭YS部隊は遅れながらも勇躍次々と発進して行くのだったが、あろうことか全機帰還せづ。 これが戻らないことには発つに発てず、最早遅れて飛べたところで乗り継ぎ出来ず与論島に閉じ込められること必至というところまで至るに及び、 泣く泣く断念。以来苦節、5ヶ月・・・・・借りは返さねばなるまい。

 今日は与論へ飛ぶ。やはり一番長いのに乗っておかねば・・・・・海自機の硫黄島やら南鳥島やらは別として、今や国内線のYSの、南の果て。 そしてそのまま那覇へ抜ける。今回の予約カチカチの際、台風のリスクも厭わずまずこの与論便から押さえにかかったのだが、バースデー対象外の上、 なにげに料金が4月の時よりちょっと高い・・・。与論から脱出出来なくては困るので次にRACの那覇便も押さえ、さて那覇からの帰路をと取り掛かると、 連休最終日ということもあって既にバースデーの枠が残っておらづ(泣)。優先順位上出遅れは致し方ないのだったが、ええいままよとフツーの早割で予約。

 そういうわけで今回やたら財布が痛いのだが、この犠牲を無駄にしてはならぬ。

 と、やはりお天道様は見ていたのである。予報は晴れを告げるのだった。前回無理に飛べたところで、どんよりとした雲しか見えなかったであろう。 今日はひょっとすると、最高の舞台立てになるかもしれない。考えてみると今日は今年初めての搭乗。昨年暮の前回は、 メロメロになったあの、サンセット・クルーズである。なにげに濃厚な搭乗が続くように仕組まれていたのではないか、全てのつまらなぬコトは、 このひと時のためにあるのではないか・・・・・ワケの解らぬ妄想に、独りうっとり(馬鹿)。

 さて今日も、日の出より営業。(ぉ 窓の外を窺うと星も残っていて、なんとも言えないがとりあえず期待は出来そう。 脚立とカメラと換えのフィルムだけ持って、散歩へ出かける。クルマは昨夜返してしまったので、滑走路逆サイまで歩かねばならないのだが、 せいぜい片道20分やそこらの道程、散歩には丁度良い・・・・・全装備と共にでは散歩気分と程遠いので、無論これはチェックアウト前の話。

 デニーズのようなジョイフル(ぉ を過ぎ、トンネルで滑走路を潜る・・・・・思えば1年前、ターミナルを出て最初にやって来たのが、 このトンネルだった。右も左も分らず、地形図を頼りに、炎天下塩吹きながら歩き回った。徒歩での移動ではそう欲張れないから、 ある意味シビアな取捨選択をしながら行動していたと思う。今にして思えば、まるで他人事のように遠くに感じ・・・・・それが今はどうか、 レンタカーでひょいひょい、歩こうなんてハナから考えちゃいないし、結構安直に色々決めている。文明の利器とはそういうものであろうけど、 あの暑い日に想っていたことを、どれだけ今も想っているのだろうかと、ふと考える。歩く方が偉いという短絡は願い下げだが、 色々想いながら歩くあの感覚、やっぱりちょっと違うのだな・・・・・トンネルを出た。

 ホテルを出る頃は空が開けていたのに、歩くうちにいつしか、頭上を雲が覆う。あんだよ・・・・・ともかく賭けは降りないことにして、 昨夜月を狙った同じ場所に、今度は脚立を立て、金網越しにエプロンを覗いてみる。1、2、3・・・・・YSは5機だろうか。 現在何機在籍しているか覚えていなかったが、昨日といい今日といい、見かけないんである、JA8717。伊丹で方向舵を飛ばされてから、 その消息が気になるところ。まだ伊丹で足止め食っているのだろうか・・・・・昨日まで見た限りでは、 他の機種に交代という便も無かったように思うけれど、たまたま回せる状況にあるのか、他の路線では交代していたのか・・・。

 そろそろ日の出の筈だが・・・・・あうう、空は晴れてきたというに、東に雲。それも太陽のいる方角に居座る。周囲はどんどん明るくなって行く中、 太陽だけが出てこない! このままでは「たーだの順光」になってしまうではないか・・・・・案の定、1時間後ようやく、たーだの順光でぱちり。

 チェックアウトを済ませ、空港へ送ってもらう・・・・・この距離さえ歩かなくなったか・・・・・今日はいつに無くよゆーかまして、 8時台の出発便の見送りもせず、着いたらまずさっさと荷物を預けて、身軽なところでターミナルビルをウロウロ。9時台のを送迎デッキで見送ったところで、 出発搭乗口へ。折り返し与論便となる機体の到着を、窓越しに出迎える。続々と種子島と屋久島から戻る、2機のYS。さてどちらが与論行3821便となるのか ・・・・・見守っていると、どちらもすぐそこで止まった。どうやら楽しいバス旅行は無し。手前側にいるのはJA8766、昨年、 初めて乗ったJAC機だったりする。同じじゃないのがいーなーなどと思ったりもするのだったが、どうも次の乗客を迎える準備を、せっせと進めている様子。

 そして案内放送。それっと改札(?)を抜けエプロンへ降り、いつものように撮影しながら前進。ワイワイワイドで自分撮りも忘れない。 タラップ上で「ルリー」と並びでワイワイワイドかましてから、座席へと向かう・・・・・今回も栄光のVポジ、「1A」席の確保に成功なのである。 席に着いて、色々と機内持ち込み装備を確認(笑)しつつ、ふと見上げるとCAさん、見覚えが・・・・・あ、いつぞや雑誌のYS記事に出てた人だ多分。 これわこれわ・・・。

 やがてモーター音と共にタラップが畳まれ、窓を塞いでたドアが閉まって行く。いつものようにエンジン始動、いつものようにタキシング開始。 今日は外国人が乗っているためか、英語を交えた放送が入る・・・・・たしか普段は日本語のみだったと思うので、YS的にはちょっと珍しい経験。 そうこうするうちに滑走路南端までやってきて、くるりと進入すると、離陸開始。ぶぉぉぉぉぉぉぉんぉぉぉんぉぉぉんぉぉぉん・・・・・ぐぐ、 と抱き上げられるような感覚とともに、左下を高屋山上陵、上床公園の山が流れていく。さらば、鹿児島。すぐに右へバンク。 ぐるりと回り、霧島連山は雲に隠れてうーむ残念と思う間もなく、陽光が機内を射る。ちらと見た2A席ではブラインドを降ろしているようだったが、 1A席は絶対に降ろさない(爆)。

 と・・・・・先程から窓の内側の透明アクリルの傷が気になる。プロペラをそれなりにブラそうとするとピントが深くなり、 どうもこれ、写り込みそうで。しかしこの、1mm足らずの間隔で何本か並行して描かれる細い傷・・・・・どーっかで見たような・・・・・ あ゛あ゛っ! これ、フィルター枠だよ。うへ、先客がここでレンズをグリグリ当てていたに違いなく、フィルター枠の先のギザギザが、 悪さしのだ。撮ろうとすると丁度レンズの先がこの辺りに来るから、間違いない(苦笑)。気をつけていることではあるけれど、 こうして同じように撮る以上他人事では済まされない話で、窮屈に屈んでこの傷を避けて撮りつつ、自分は付けまいとあらためて肝に銘じる。

 フライトシミュレータ「YS11で空の旅」のまんまと言うのも変だけれど、バーチャルで見た風景を追体験するように・・・・・いや逆か、 ともかく機は空中を進む。晴れてはいるのだけれど霞みがちで、桜島も雲がかかり裾しか見えず残念。眼下の陸地も雲に覆われ、 ようやく陸地が見えた頃には、もう開聞岳がすぐそこ。今回も密かに期待していた錦江湾公園のH-IIロケットは、 またまた見つけられづ・・・・・うーむむむ。逆光覚悟で左舷にしたのには、これもちょっとあったのに。

 いよいよ薩摩半島を後に。屋久島を過ぎ、我が最南記録を更新し始める。CAさんが飴の入ったバスケットを持ってきて、 お好きなだけどうぞと勧められ。それではと掴み取りよろしくむんずとやる奴なんかいるのだろうかと、ふと思ったりしつつ、 「JAC」のロゴ入りのを1つだけつまみ、舐めずにすぐしまう(笑)。しばらくして今度は絵葉書を広げてやってきた。 1枚頂けますかと申し出ると、どれと選ぶ間もなく全種類1枚ずつくださり、恐縮・・・・・前は1枚だったのに、もしや欲張りに見えた?(汗)  さらに今度は、チラシが配られ。印刷そのものはフツーのツルツル紙にオフセットながら、 いかにも手作り風味の色鉛筆のほのぼのなタッチのイラストが入ってたり、原稿はCAさん達のお手製だったりするらしい。 与論までの長い道程、退屈させまいとする気遣いであろうか。福岡や屋久島行には無かったし。

 北緯30度を越えるとの放送、左手に口之島が見え。貰ったチラシの地図で確認しながら、感慨に耽りつつ、記念にぱちり。 いつしか霞は晴れて、海も空も、青い青い。プロペラの先に施された黄色が、その青の中に淡く弧を描く。眼下には時折、島や船が現れて・・・・・

 くぅぅ・・・。これを、これを求めていたのよ。

 やがて奄美大島が見え、久しぶりに見る大きな陸地に、それまでの心許なさに気付く不思議な間隔を覚えつつ、徳之島、そして沖永良部 ・・・・・浅瀬のエメラルドにもう、鳥肌。海といえば東京湾しか知らない目には聊か刺激的でさえあったかもしれず、はあ、写真と同じだあ、 などという感動の仕方は都会っ子の哀しさという他無かったが、何故にエメラルドに見えるのか鳥瞰により今更ながら得心しつつ、 いつしかエンジンの音が下がり、機はいよいよ、与論へのアプローチに入った。残念だが、ヒコーキはいつか降りなくてはならない。

 左前方に見えるのが、与論島。このまま降りていくのかと思いきや、島の北側を通り過ぎようとする・・・・・ということは!?  海側からのアプローチ! スバラシイ!! こればかりはギャンブルでしかなかったが、ウワサに聞く低空から珊瑚礁を見ながらの着陸、 最後の最後まで、魅せてくれるでわないかぁ(涙)。

 んが、肝心なところで与論島は雲の下。いけずぅ・・・そんな意地悪ないじゃんかよぉ・・・・・しかしこればかりはどうなるものでもなし、 我が愛用せるベルビアの発色に、ここは望みを託すしかない。機はどんどん高度を下げ、島を左に見ながら回り込む・・・・・うををを!  珊瑚礁! 下はもう、うわこんなのアリぃ?、て程のエメラルドだらけ。海岸が見えてくる。このまま陸に上がってしまうのが惜しい。 かしゃかしゃかしゃ! 海に遊ぶ人がYSを見上げてる。ビーチパラソルが見える・・・・・どすん、すずずずずずぶぉぉぉぉぉぉぉ・・・・・

 ああ、着いちゃった・・・。

 前回に続き、暫し呆然。程なくして、むしっとした空気が流れ込んで来る。南の島だ。

 のろのろと立ち上がり、出口へ向かうと・・・「写真沢山撮られましたか?」・・・う、あのCAさん。いやはや、お恥ずかしい。 やっぱ際立ってたかね・・・・・ええまあだのとややしどろもどろになりつつ、与論島に降り立つ。忘れずワイワイワイドでまずはぱちり。 右舷をターミナルに向けているので、鼻先を回りながら、ぱちぱち、そろそろ乗客が引き上げ、警備の人の視線が気になったところでターミナルへ。

 荷物の受取りがまたのんびりしたもので、昨年の屋久島と同様、1つ1つ手で台に載せられるのを、それ私のですみたいな感じで受け取る。 与論島の滞在時間はおよそ50分・・・・・とほほ。すかさずカウンターへ行き、乗り継ぐRAC便のチェックインを・・・・・ チケットレスが出来ないという代物だったので。鹿児島で乗り継ぎ押さえられたのかなと今更思うが遅いって。 いかにも南国らしい目のクリクリしたお嬢さんが応対するも、2人くらいで切り盛りしてるところへあれやこれやと割り込み処理が入って大忙し。 事前指定が出来なかったので半ば諦めていたのだけれど、窓側もまだ空いているというので是非にと希望。発券の様子を見ていると、なんと、 緑色のチケットに日付の丸いスタンプを捺し、座席番号をシールで貼る! なんだか物凄く嬉しいんだけど。 もしや便毎にシールの台紙が、あるのかな。物理的にダブルブッキングが起こらない理屈・・・。はさておき、席は6K、右舷。

 さて、荷物を預ける前にフィルムを補充しないと・・・・・リュック(ラムダ・カメラザックIV)をごそごそ、あーだこーだとやってると、 傍らで座っていたご婦人に「随分多い荷物だねぇ」。いやいや、夜逃げしてきたもんで。

 荷物を預けて外へ。ひょっとしたら一生涯もう見ないかもしれぬ空港の建物をぱちり。建物と一緒にワイワイワイドでぱちり。さて送迎デッキは ・・・・・たしかあったハズ・・・・・建物の中にはソレと思しき入口無く、建物の外を嗅ぎ回ると、あ、屋上への階段が・・・・・ ってテロ対策だとかで立入禁止だって。ここでもかよ。そんなに警戒するなら預ける荷物もX線くらい通したらどうだい。 羽田行だとかに乗り継ぎだったら荷物もそのまま行っちゃうんじゃないのかね・・・・・なんつーか。

 どうしたものかと見回すと、エプロンへの門の格子。ここから、JA8766を見送ることにする。取り出したるは小さなデジカメ。 格子の間に差し入れて、ぱちり。きょぉぉぉぉぉ・・・・・エンジン始動。そこへRACのダッシュ8が着陸。束の間の賑わい。 YSの排気の陽炎の向こうで、ダッシュ8がエプロンへ機種を振る。入れ替わりに、YSは滑走路へ出て行く。 その刹那、独特の匂いを乗せた温い風が吹いて来る・・・・・それを名残に、滑走路へ出たYSは海へ向かって進んで行き、 やがて垂直尾翼が見えるだけになって、その垂直尾翼がくるりと回った。そして・・・・・ぶーん・・・・・駆け上がって行く。 JA8766、いいひと時だった。

 余韻に浸っている間はない。RAC816便に乗らねば。ターミナルに戻り、案内を待ちつつ土産物などを見て回る。 「海人」とかってTシャツ、何故か富士山でも売ってた気が・・・・・そのうち案内が入り、持込品検査、そしてエプロンへ。 垂直尾翼にシーサーをあしらったダッシュ8、JA8973。乗り込むと意外とタイトな感じは受けず、荷棚がちゃんとあったりする。 目一杯海を楽しんだ風な人達に囲まれてちと浮いてる気がしないでもなかったが、窓の外を見やるとエンジンとプロペラ。丁度主翼のあたりながら、 高翼だから下界はよく見える筈。ついでにギアの出し入れまで見物出来る。

 やがてエンジン始動、これが意外と静か。CAさんの自己紹介に「訓練生」と聞こえた気もしたがそれはさておき、滑走路端まで来て、拍車が入る。 与論島が後へ遠ざかる。沖縄本島はすぐそこに見えていたが、米軍に遠慮するように(というのは思い過ごしか)一旦太平洋側へ出て、東海岸沿いに南下する。 島には滑走路やらがあちこちに見えて、話には聞いていたけれどこうして上空から目の当たりにすると、なるほどこれは・・・・・。 離陸後も、6列目だからすぐそこにエンジンがあるのに、音、特にプロペラの音が随分控え目。近くの人の話し声がよく聞こえ、 これはYSと相当の差に違いない。今度のQ400も快適性といえばさらに上かも知れず、ある意味逆に、YSを知った心地。

 今回も色々気負っては来たけれど、はてさて写真的に手応えは、うーむむ・・・。いずれにしろ、最後の退役まで徐々にフェードアウトしていく中で、 「フツーに飛んでいた頃」に戯れた記憶が、またこうして刻まれた。ここのところ「撮り」より「乗り」にウハウハが多い気もしつつ、 「フツーに飛んでいた頃」にいる間、もう少し、ジタバタしておこうかと、思う。 機はそろそろ沖縄本島の南端を回り込もうとしていた。那覇でもまた、午後だけ滞在のピンポンダッシュという節操の無さだけれど、 抜ける青空、もくもくと湧く雲・・・・・もう一夏、浴びて帰るか。