2006.9.18 鹿児島へ
 夜明け前にノロノロと起き出して、まずはPCを立ち上げる。カチカチ・・・・・はふ・・・・・おーしっ! 0500現在、福岡は強風域からも脱してる。 昨夜の予報より少し足を速めていたらしい。フフフ、晴れ男復活である。このまま日本海側へ逸れるようで、伊丹にいるであろうYSも、 帰り支度をしているかもしれない・・・・・いやもう発っているかも。JACのページでも特に新しい情報は無し。もう代案を考える必要は無さそうだ。

 今日はYSへの、最後の搭乗。さよならを言うつもりで。

 朝食は焼き鯖、んー。ついでにお代わり。身支度を整えてチェックアウト、通りでは市役所だかのトラックが止まって、折れた枝やらを片付けていた。 風はまだ少しあるが、雨は止んでいる。台風一過とはいかないようだけれど・・・・・空港に着いて、早速チェックイン。機内持ち込み仕様に装備をあらためて、 荷物を預ける・・・・・ふと一昨日の羽田のことを思い出し、フィルムは大丈夫かと検査のお兄さんに一応確認すると、大丈夫とです、 とのことなのでそのまま通してもらう。

 1タミの送迎デッキへ上がる。出発ロビーへ向かう前に、鹿児島からの到着便を一目見ようと・・・・・マルヨ(鉄用語)指定席にはやはり、いないか・・・。 そろそろかと言う時・・・・・ぶーん・・・・・やややっ、向こうを南へ向かう機影、小さな機体に大きな垂直尾翼、まさしく・・・・・ 天神のあたりを飛び過ぎる。ああ、天神や中洲を絡めて、撮ってみたかった・・・・・市街地を飛び越して、ぐるーりと回り込んでくる。 バンクする刹那、着陸灯がキラリ。くぅぅ。望遠は預けてしまったのでコンパクトデジカメのデジタルズームで無理矢理寄せる。画質よりもその姿をとにかく、 収めておきたかった。やがて真っ直ぐ降りてきて、スポットイン。エンジンが止まり乗客が降りてくるところまで見届け、こちらもイソイソと搭乗待合室へ。

 見回すと心なしかやや濃厚な空気が漂っていた。アイツもかな、アイツもだろ、とさり気なくマークしつつ、装備を整えて搭乗案内に備える。 ぴんぽんぱんぽーん・・・・・おーし! スススとあくまでもさり気なく(のつもり)前へ進み、ポールは逃したが2番手で改札を通過。 係のおねいさんに、カメラを手に手にどう見てもバイアスのかかった集団が、ぞろぞろと付いて行く。おねいさんは「鹿児島行」の札を高く掲げた。 彼女にしてみれば日常の業務の一部に過ぎなかったとしても、これが最後、これが最後と頭の中が一杯のヤカラには、そんな風景も情緒たっぷりに、沁みる。

 階段を降り、いよいよエプロンへ案内される。バスには乗らず、すぐそこのYSに向かって歩き出す。こちらにお尻を向けて佇む、JA8766。 思えば3年前のやはり今頃に、JAC機として最初に乗ったのも、このJA8766だった。その1年後には、あの与論へのウハウハ飛行に連れて行ってもらい、 昨年暮れには、種子島からの帰りでサンセット・クルーズをキメた・・・・・こうして振り返ると、スターとも言えたJA8717とは別に、 JAC機の中にあって特別な存在だったのかもしれない。最初の時は、鹿児島から福岡へ向かった。そして今日、その逆の道を辿って、最後の別れをする。 長い長い旅の末に、一緒に鹿児島へ帰る・・・・・なんだかそんな錯覚を伴いつつ。

 そういえば、福岡発は初めてだったか。都会の空港で乗り込むというのも、かつての「YSの時代」を疑似体験するような気分があって、 特に羽田のそれがウハウハだったが、そんな感覚を身体にしみ込ませるのも、これが最後の機会・・・・・パチパチと撮りつつ、左舷を前進する。 今回パノラマカメラなんてのも持って来たりしていて、これで乗り込む乗客の列を交えて、がらしゃこん!、と。色々と取っ換え引っ換え、 ちょっとしみじみ感から離れてしまったが、痩せ我慢することもなかろう。

 いつものようにタラップを上がりながら、振り返って自分撮り。最後の座席となる2Dに収まる。隣の2Cはいつまでも埋まらず、 とうとうタラップが畳まれ始めた・・・・・ををを、またまた隣に気遣い無用のウハウハ搭乗! 前のポケットには既に例の「搭乗証明書」が挟まってて、 前回と絵柄も変わって有難く頂戴。さらにANKのそれよろしく団扇まである。これもまた記念品であるらしかった。足元の気配に窓の外を覗くと、 床下に手荷物を詰め込んでいるところだった。あ、あれオレの三脚じゃん。

 くぉぉぉぉぉぉぉぼうん・・・ひょぉぉぉぉぉぅぅぅぅぅぅぅぅぃぃぃぃぃぃぃぃぃ・・・・・。

 びぃぃぃぃぃぃぃ・・・・・電動歯ブラシを噛み締めるような振動と騒音を、少しも逃すまいと受け止めながら、CAさんの非常設備の案内を眺める。 機はRW16へ出、そして駆け出した。

 ぶぉぉぉぉぉぉんんんぉぉぉぉんんんんぉぉぉぉんんんんぉぉぉぉんんんん・・・・・。

 さらば、福岡。さらば、この加速感。

 抱き上げられるような離陸上昇。窓に顔を押し付けるようにして、子供のように・・・・・いつもそんなだが・・・・・ 遠ざかる福岡の街並みを、眺めていた。大宰府の上空を過ぎる筈だが・・・・・んー、雲の中。 どこを飛んでいるのかすぐ判らなくなったが、やがてぽっかり雲海の上へ出た。エンジン・ナセルが、スピナーが、日差しに輝く。 白と青しか無い世界だったが、ウハウハと撮影モード。

 傍目にどう映ってるか知らないが・・・・・というか我ながら痛い程見えてるが・・・・・外ばっかり眺めていたものだから、 CAさんの動きに気付かなかった。気配にハッと振り返ると、CAさんが笑顔で絵葉書を広げながら、後ろへ去ろうとするところだった。

 ちょ、ちょっと待ったーっ!

 慌てながらも出来る限り平静を装いつつ・・・・・バレバレだろ・・・・・絵葉書を頂戴。サーブとダッシュ8とYSと並ぶ、 ほのぼのイラスト。仲良く揃っているのも、あと僅か・・・。

 場所も判らないままに、暫くするとエンジンの音が若干下がり、機は下降を始めた。再び雲の中・・・・・再び視界が戻ってきた頃、 右前方に桜島が見えた。空港の南へ回り込んでいるのだろう、そのままぐるーりと北へ向けてアプローチか、と思えば、 なんだかちょっと遠回りしている風。スパイラル? 順番待ち? 気のせいか? そんなことを言ってるうちに、 機は真っ直ぐ前を見定めるように、着陸進入に入った。隼人や国分の街が見える。クルマであの辺りをウロついたのは昨年の正月のことだったが、 なんだか遠い昔のような気もする。そしてYSで過ごす時間もやがて、あと数分で、過去の思い出の中へ、押し流される。

 どすん、ずずずずずずずずずず・・・・・ぶぉぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・。

 とうとう、降りてしまった。

 迎える鹿児島空港の風景は、心なしか懐かしく映った。たしかに今年は初めてではあったが、間の諸々を飛び越えて、3年前の初訪問の記憶が巡る。 3年、かぁ・・・・・機はエプロンへ向かう。管制塔のある建物の窓に・・・・・むむ、見えた。

 |さ|よ|う|な|ら|YS|11| |僕|ら|は|君|を|忘|れ|な|い|

 プリンターで出したのであろう、窓のひとつひとつを使って、貼り出された言葉。先に「YS−11 栄光の翼」に付いたDVDで見た、 あのままに・・・・・いや、まさに当事者たるYSの機内から見るそれは、殊の外に沁みる。そうさ、私も忘れやしない・・・。 窓はJACのフロアと思っていたが、こちらの建物とするとこれは、航空局の人達なのだろうか。毎日々々その名を呼び、時に共に天候と戦ってきた、 管制の人達。いわば一緒に飛んでいた仲といえ、その想いはまた、特別であるに違いなく。そういえばJCABのYSも年内に、後を追うように去る。

 タラップを降りるやウハウハ撮る暇も無くバスに乗せられ、ターミナルへ。車内よりキョロキョロと視界の隙間を探し、遠ざかるYSを追う・・・・・ 福岡へ取って返すJA8766を見送るべく、荷物を受け取り、ともかく屋上へ。

 チャリン、と50円玉を入れて、ガラリと回転ゲートを押す。久しぶりの送迎デッキは、ギャラリーもちらほら、あと2週間という割には静かな気もしたが、 そういえば着陸の時、金網に張り付いている人も特に見かけなかったような。にしても、この至って平和な送迎デッキにあって、 独りでかいリュックに三脚だの脚立だの抱えてアフアフ言ってるヤカラというのも、なんとも・・・。遠くを見るとJA8766が次のフライトの支度をしている。 やがてバスが横付けされ、乗客が乗り込み、きょぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・・・エンジンがスタート。タキシングして行く様を追い、ぶーん・・・・・離陸を見送る。

 再び、YSのいない鹿児島。

 空が晴れてきた。霧島は雲がかかっていたが、折角なので何機か駐機しているのを、パノラマで入れてみたり。次にYSがやって来るのは夕方、 それまでどうしたもんかなー、とぼんやり眺めていると、

 「あのぉ、わいえすじゅういちってどこですか?」

 御婦人に尋ねられた。あらー・・・・・さっき福岡へ発ったばかりで夕方まで見られないと答えると、残念そうにしていた。そうだよなー、 朝出て夕方帰る以外にはさっきの30分きり、ベースの鹿児島で、こんなに減ってるとは思わないかもな・・・。 ひょっとしたらサーブあたりを誤認する人もいるかもしれない。

 三脚と脚立とリュックをロッカーに押し込んで、カメラと換えのレンズとフィルムとリブレットと・・・・・それでも一応、軽装になる。 ふーっ、やれやれ。JACのカウンターを偵察すると、「ありがとう 日本の翼」のいつもの立て看板に、吸盤でYS書き割りのようなモンがくっついており。 その書き割りから「ありがとう 日本の翼」の赤い幕が垂れ下がる。うわ、これ欲しいぃ・・・。持ち去るわけにもいかないので、写真撮りまくり。 ついでに自分も入れて記撮もしちゃう。

 さて、夕方までどうしたものか・・・・・すぐそこの西郷公園やチェコ村も、とうに巡ってるし、それならヒコーキを眺めていたい気もする・・・・・ 聊かやる気なしモードで、ををそうだと鹿児島空港名物の足湯に浸かる。幾度も訪れながら、意外と機会が無かった。手ぬぐいを売っていたのでこれを求め、 しかし使わずに丁寧に持ち帰るという悲しい性を背負いつつ、うー、あー、と暫し寛ぐ。また自分撮りなんぞして、さてぶらりと出かけるかな、 と思えばどうも空模様が怪しい。

 ざぁー! ゴロゴロゴロ・・・。

 うへ、鹿児島ウェザーかよ。傘ロッカーだよ。しかしすぐ出かけなくて良かったぁ・・・・・とりあえずレストランに入って何か食うことにする。 リブレット開いて、気象情報を見ると、強気の晴れマーク。ならば通り雨だろうと信じることにして、ウダウダ。

 雨はじきに止んで、日が差してきた。西の空を見ると、もう大丈夫かな・・・・・ターミナルを出て北側へ回り、てくてくとトンネルで滑走路を潜って、 逆サイのお茶畑に出る。思えば鹿児島空港の周りをこんな風に歩くのも、結構久しぶりだったかもしれない。思えば丁度3年前、 重装備で汗ダラダラでひいこら言って歩いていたんであるここいらを。その後はもっぱらクルマになって・・・・・それはともかく、今日は軽装で散歩気分。 こんな風に過ごす時間を、もっと持てば良かったかな。

 離着陸する飛行機を眺めつつ、まずのお目当ては管制塔下の建物にある、あの窓の張り紙のメッセージ。これが空港エプロン側にあるものだから、 一般人は飛行機に乗るか、滑走路逆サイから超望遠で覗くしか見る方法が無いのだったが・・・・・うー、400mm級でも厳しかったか。ともかくぱちり。 消防の施設を迂回して、さらに滑走路沿いにテクテクと進んで、南側のトンネルの道の角に差し掛かると、どうも風景が違う。 この辺りには民家のような生垣のようなものがあったような気がするのだが・・・。

 「空港公園」。そう刻まれている石碑のようなものに、「平成17年度環境対策事業 (財)空港環境整備協会援助」ともある。 昨年暮以来の訪問だから、その間に出来たのか?・・・気に留めずとも工事くらいは目撃したのだろうか。広場に面して公民館のようなものがあり、 ひょっとしたら前からここは、公民館だったのか? そういえば、あの滑走路の舗装のカケラはどうしたろう・・・・・見回すと、 お、敷地内に丁寧に並べて置かれている。「海軍航空隊第二国分特攻基地 滑走路コンクリート破片」。以前は道端の道祖神か何かのような佇まいだったが、 確かに伝えていくという、ここの人達の意思を見るようであり。3年前、あの重装備の行軍でえっちらおっちらと、トンネルを潜って坂を上り、 最初に目に止まったのが、このカケラだった。鹿児島空港やこの地の歴史など何も知らずに訪れて、どうも印象に残ったのだったが、 もう最後となるかもしれないこの訪問で、このカケラの今後を見届けたような格好、これも縁であろうか。

 さてそろそろ、福岡からの到着の迎え方を考えないと・・・・・これが恐らく、JAC機の飛ぶ姿の見納めとなる。定時なら1700、 日没までには1時間半程あったが、西日の風情は出るだろう。たーだ、西の空には雲があり、こいつが邪魔をする懸念はあり・・・・・ シルエットでも良いかな、そっちの方がハズレは少なそうだよな・・・・・滑走路南端に向かいながら、ふと過ぎる。

 まーたシルエットぉ?

 それもなあ。当人も忘れてるようなシルエット写真が、夥しく死蔵されているに違いないのである・・・・・止めよう、 今更逃げのシルエットなどは止めだ。最後はやはり勝負だな・・・・・南端を回り込んで、順光側に出る。来るなら今来い、 ああ今はちょっと待ってくれ、よし今来い、などと西の空の雲を気にしつつ待つこと暫し、遠くに光点を認めた。

 あれだ。

 光点はやがてはっきり3つに見え、そして・・・・・びぃぃぃぃぃぃぃ・・・・・あの音が聞こえてくる。

 ええとシャッターは、露出補正は、AFは、手ブレ補正は、光線は・・・・・ああっ、陰りやがった。ちょっと待った、出直してくれ、 ねえ、ゴー・アラウンドしませんか?

 びぃぃぃぃぃぃぃぃぃぉぉぉぉぉぉぉぉぅぅぅんんんんんん・・・。

 かしゃかしゃかしゃ!

 ・・・・・ぶぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・YSが地上で減速している頃、ざーんねーんでしたーとばかりに、日が差した。 くそっ、最後の最後に、喰らっちまったい! しかし気持ちは清々しかった。笑みさえ浮かんだ。そうやっていつも、悩ませてくれたんだよなー ・・・・・「そんな鹿児島の思い出」の中へ、独り遠い目に。

 空港公園まで戻り、南側のトンネルを潜って空港ターミナルへ向かう。あー、最初に来た時、ここの自販機の前でへたり込んで、 冷たいモン飲んで生き返ったっけか、あのデニーズみたいなジョイフルには結局入らなかったな、などと思いつつターミナル前までやって来ると、 おっ、さっき降りてきたJACのYSが。JA8768、ちゃんと運用に戻ってる。西日を受けてオレンジ色に映える雲をバックに佇む姿を眺めていると、 整備の人達だろうか、仕事が終わったところらしく、YSの傍らで記撮しているようだった。文字通り肌で触れ合ってきた人達の、 その想いは外野から推し量ることなど出来ないけれど、ちょっと、きゅん、と来る光景。「どーもありがとっ!」・・・・・写真に納まった人の、 いかにも現場の人といった感じの、よく通る声だった。

 ロッカーから荷物を引っ張り出し、再びフル装備となって送迎デッキへ向かう。三脚と脚立、このために持って来た。この3日間、 運んで運んで、飛行機に積んでまた運んで、ロッカー入れてまた運んで、ようやくの出番なのである。暮れ行く中エプロンに佇むYSを・・・・・ 乗降扉のあたりが手前のQ400に遮られてしまっていたが・・・・・名残の段階露光。ひょっとしたら今にもよく見えるところへ移動するカモ、 と粘るだけ粘ってみたが、結局時間切れ。

 JALの最終羽田行1878便は1940発とまた随分早い。スカイマークはいつの間にか撤退してやがるし・・・・・ その為か軒並み安売りの設定が無くなった気がするこの路線、当初はバースデー枠を取り損ね、 泣く泣く3倍くらいもする普通料金の席を押さえていたのだったが、これも天佑か間近になってバースデーのキャンセル待ちに、ありつけた。 それはさておき搭乗手続きを済ませ、待合ロビーからその姿を探す・・・・・屋上より益々厳しく、YSの首が見えづ。

 たまごっち仕様の777はターミナルを離れ、そして滑走路の南端へ向かった。今回は左舷窓側の18A席をしっかりゲット、 普通料金で予約したのをうまいことスライドさせたのだが・・・・・・闇の中を色とりどりの光点が流れていく。やがて機はくるりを向きを変え、 滑走路に進入した。拍車を入れる。心地良い加速感と共に、鹿児島空港が後へと飛び去り始める。その流れが後からせり上がり始める刹那、 ナトリウム光の色味に包まれた中に、見慣れたダックテールのシルエットが、見えた。現役旅客機として見る、最後の姿。

 777は容赦無く鹿児島空港を引き離し、やがて羽田への巡航に入った。こうして家路につくのも、何度目だろう・・・・・最初に鹿児島を訪れたのは、 丁度3年前だった。昼間の話ではないが、3年の旅を終えて家路につくような錯覚に囚われる。或いはある意味その通りなのかも、 知れなかったが・・・・・3年・・・・・その前には伊丹や北海道シリーズがあり、最初に羽田でANKの離島便を撮り始めてからでは、 7度目の夏が、過ぎようとしていた。その間あちこちウロついては、山ほどシャッターも切ってきたが、その割には結局、ごくごく僅かなマグレを除けば、 己の腕前のホドを痛感するようなシロモノばかり・・・・・ハッキリ言えば悔いも無いではないが、しかしまあ、それが等身大の「YSな日々」の記録であって、 いわばリアリズム、それもまた、いとをかし。今回一足早く、お別れをしたJAC機。あと2週間、ただただ、その歴史が無事締め括られることを、祈る。 日本の空にはまだ暫く、残った仲間が飛び続ける。あと幾度、その翼の上に季節が巡るのかは判らないが、「YSな日々」はまだまだ、続きそうである。