2011.1.15 海保YSさよなら@茨城空港
 茨城空港というと、完成前にチラッと覗いて、完成後にまたチラッと覗いて、百里基地のついででもなけりゃ、もう来ることも無いかもしれんなー、 程度な認識にあるのだったが、一昨日海保の解役式のニュースの中で今日の催しを知ってしまったからにはもう、緊急出動しかない・・・・・か。

 「さよならYS−11」一般公開 及び 空港特殊車両展示見学会。主催は茨城海上保安部・・・・・そう来たか。

 開催は1400からとあったので、そう急ぐ必要は無いのだが、前泊ということもないだろうし朝は羽田にいるハズで、ならばそれを見送ってから行こうか ・・・・・これが最後の機会なのでろうし・・・・・しかし外野の哀しさ、発つ時刻が判らない。となれば、待ち伏せしかない。流石に寒いのでバイクは勘弁、 そうそう荷物もあるしと、言い訳をいくつか考えてクルマで出動、まずは旧整備場地区の海保コーナーを窺う。エプロンにはまだ、「ブルーイレブン」が佇んでいて。 電源車もいなければエアステアも出ていないし、まだ少し間があるようである。

 ならばと、トイレ借りがてら国際線ターミナルの駐車場へ・・・・・30分以内なら無料なので・・・・・最上階からモノレールの旧線を望み、 遠く旧整備場地区の、ダッシュ8と重なるブルーイレブンと、天空橋から見えるJCAB機JA8709を、ぱちり。さてさてと戻ってみれば、 やややっ、ブルーイレブンの前に電源車がいる! まだエンジン始動には至っていないが、ここで1枚、などという間も惜しく、取りも直さずつばさ公園へダッシュ。

 風向きは北。となれば通常04で上がる、ハズ・・・。生憎ガスっていたが、まさか先に飛んでしまったかという不安も若干抱きつつ、ひたすら目を凝らし、 耳を欹て・・・・・と、向うをちっこいのが出て来た。海保カラーには違いなかったが、あれはガルフ機ではあるまいか。これも茨城に同行なんだっけ?、 と訝りつつ眺めていると、B滑走路端を・・・・・あれっ、通り過ぎた?? さらに国際線ターミナルの前を過ぎ・・・・・ええっ、どこ、どこ行くの? イヤーな予感・・・。

 流石に、1200には見切り発車しようと思っていた。メインは茨城空港なのだし・・・・・しかし、来ないねえ。

 と。

 ひょぉぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・・・。

 !!!

 聞こえる、聞こえる・・・・・およそ1時間、待った甲斐があったというものである。ひょぉぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・・・さらにもう一基、目覚める音が聞こえた。 さあ、いらっしゃい! びぃぃぃぃぃぃ・・・・・盛り土の向うから現れた、ブルーイレブン。角々を曲がり、B滑走路へ向かう・・・・・って、これも過ぎた!?  あややややや、どこへ行くんだよぉ・・・・・国際線ターミナルを過ぎ、A滑走路に沿って南へ行ってしまう・・・・・そういやさっきのガルフはどこへ行ったのか、 ブルーイレブン、まさか、ここでまさかの、D滑走路の05なんてこたあ、ないだろうな!? 34Rで上がるくらいなら04のハズ、そうでないなら、05だろお・・・。

 クルマに戻って、どうにも間に合わなさげだがD滑走路狙いを試みる。R357に出る交差点で、ぶーん、と聞こえた。頭上の視界が首都高湾岸線に遮られて、 正体が判らない。今のは空耳さ、クルマだよきっと、と思い込むようにしてとにかく南へ向かったが、やはりどうにも、YSの気配は無し。駄目だったか。

 気を取り直し首都高に乗り、常磐道をひた走る。千代田石岡ICからの一般道が面倒臭そうな気がしたのと、ちょっと走ってみたい気持から、遠回りだが友部から回って、 出来たての東関道、茨城空港北ICで降りて、いざ茨城空港。出来たての頃の波も過ぎてもうガラガラだろうとタカをくくっていたら、駐車場埋まってますがな。 ターミナルから一番遠い端っこの方にどうにか駐めた。

 会場はエプロンだが、1400開始というのは、この日の最終便が出た後ということらしい・・・・・ナルホド、ここならではの芸当(笑)。そのエプロンへ通じる通路の、 まだ開場前の門の前は既に数百人単位の人だかりで、ぱっと見た感じ、航空ファンというより、ヒコーキが珍しいので見に来た地元の人々、な雰囲気濃厚(失敬)。 後の方ではうみまるが控えてる(笑)。海保の係の人が拡声器で説明を始め、そうこうするうち、春秋航空のエアバスが出発、目の前を駆け上がって行く・・・・・ エプロンでは支度が早速始まり、間もなく開場、のハズだが、開場したところであのエアバスが何かで引き返して来たら、どうなるんだろ。

 いよいよ開場、走らないでくださーい、という呼びかけに従って、塊のままゾロゾロ進んでいく。今回の主役はブルーイレブンだし、中を見せてくれるという目玉でもあり、 こちらとしてもこれ以外殆ど眼中に無いのだったが(笑)、向い合せに2台連結して歩道橋状態のタラップ車や、棚に何やら満載のクルマやらを横目に、奥へ奥へと ・・・・・いたいた、ブルーイレブン。ん、解役式で塗り潰したハズの「ブルーイレブン」って文字が、しっかり入ってんですケド?

 しかしこれ、どうすんだい。塊のまんまで列になってないし・・・・・そこに気付いてか気付かずか、係の人が前から順々にと言うが、綿から糸を紡ぐが如く、 或いは砂時計の如くな状況で、前方ではエアステアを上る人達が見えるのだが、こちらはピクリとも動かづ。「後にいたのが先に行ってんじゃねーか!」 と声を上げる人やら、なんだか殺伐とした空気が・・・・・うーむ、鉄道博物館初日の惨状が脳裏を・・・・・思い出すにあれは酷かった。むしろ仕切りの悪さがだけど。

 今日はまだ想定外の動員と言えそうだったが、気付けば背後はスカスカになってて、反時計回りにブルーイレブンを遠巻きに並ばせたようだった。 立ち止らず写真も程々に、という案内も奏功してか、どうにか40分くらいで順番が回ってきた。待ってる間、入口でパンフを配っているのが見えていたが、 もう底を突いてしまったようで、ここいらでも想定外加減が窺えて。エアステアに足をかける前にまずは、 そこに置かれたうみまる&うーみんのぬいぐるみとプロペラをからめて、ぱちり。

 ドアの「ありがとう YS−11」を収めつつ上って行き、まずはコクピットを覗かせてもらい、魚眼でウハウハ。「写真は1枚だけか、チラ見程度にしてください」と、 捌くのに必死な声が聞こえる。クルーと思しき人に、羽田でどこから上がったのか訊いてみると、34Lですよ・・・・・えっ?

 「ハミングバード」枠外に「YSルール」らしきものがあって34Lも可、というような話を聞いたことがある気がするが、海保機の場合その風向きなら04というのが、 大体お決まりだったハズで・・・・・なんでもD滑走路が出来てからは、BとDで並行して離陸というのは避ける運用になったらしく、 今日も04でリクエストしたら断られた、とかなんとか・・・・・ふーむ、ルールが変わったわけかあ。そりゃ読めないわけだわ。 しかしいっそ05で上がるというのも面白かったのでは・・・・・そういや結局ガルフはどこから上がったんだろ?

 初めて見る海保機の中は、海自のTAで見た程武骨な剥き出し状態ではないものの、JCAB機よりは装備が所狭しとある感じで、海図でも広げそうな大きなテーブルの向い合せ席が、 いくつかあったり。ぱちりぱちりと撮りながら後へ進み、ブイを落とす風な穴と、人も通れるような穴・・・・・こちらはゴムボートくらいは投下出来る由。 そしてバブル窓に首突っ込んでぐるぐる見回し、ご満悦。

 右舷後方のドアから降りて、ぱちりぱちりと撮りながら周りを歩く。海保の人がいたので、鼻先の「ブルーイレブン」の表記について訊いてみる。 解役式で塗り潰されてましたが書き直したんですか? 解役式で塗ったのは水性塗料、その後に剥がしたが文字のところに白く残ってしまったので、そこだけレタッチした・・・・・ 正確でないかもしれないが、大体そういうことらしく。別のところからは、もう少し早く催したかったが年始早々は空自との調整がつかなかった・・・・・というような話も聞こえ、 ひょっとしたら、解役式の前に、お披露目をしたかったのかもしれず。

 目敏い人が行列を作っていた(笑)例の2台繋いだタラップ車の窓からも撮ったりしつつ、大体一通り撮ったかな、というところでクルマへ戻り、脚立と一脚を引っ張り出す。 久々に鼻デカ、やっちまう(笑)・・・・・元ネタはもう風化してるんじゃなかろか。

 NHKの取材クルー見て思い出したが、ときに海保的には、DVDか何か、企画されてないのかな・・・・・樺太侵攻作戦(くどい)他の映像ソースはふんだんにあるだろうし、 或いは別のタイトルのどこかに混ぜてくれるだけでも、良いのだけれど・・・・・そういや昨年の観閲式がらみのパッケージをまだチェックしてなかったわい。 いつぞやの「正当防衛射撃開始!」でブイブイな(やや誇張)アレ入りのとか持ってたりするわけだが(笑)、昨年の尖閣のアレにしても、 あんな邪魔(ぉ が入らなければフツーに公開されて2匹目のウハウハDVD化だったろうになあ、などと邪推しつつ(爆)、ここらでどうでしょう、 「日本の海を、日本の翼で」的な活躍記録なんてのは。

 ターミナルへの送迎デッキへ上がり、俯瞰気味にぱちり。ブルーイレブンの傍らでは、うみまるが記撮に応えてる・・・・・今日はもうここで、帰投待ち。 そこはぬかりなくちゃーんと、さっき海保の人に予定時間を聞いておいたのである。やがてエプロンの人だかりも去っていき、催しもいよいよ終わり。ターミナルの閉館は5時です、 とアナウンスが入った。

 大方片付いたところで、関係者と思しき人達が、ブルーイレブンの前に集まった。「茨城海上保安部 ありがとう YS−11」の横断幕を広げ、記撮に臨む。制服の人、 ツナギの人、こう言うのも甚だ僭越だけれど、皆さんいい顔してらっしゃる・・・・・ぢっと手を見る。はいチーズ、を何度かやった後、彼らは或いはエプロン袖へ引き上げ、 或いは一斉に持ち場へ散り、出発の準備に取り掛かる。くぅぅぅぅ、シブいっす。クルーと思しき人達だけまたちょっと記撮して、空自のODな電源車がやって来た。 そういやこんな取り合わせも珍しいかな・・・・・硫黄島や南鳥島ならいざ知らず。

 機長席の窓から2本指を立てた手が突き出され、くるっと回った。

 くぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・ぼうん・・・ひょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・・・。

 あぁぁ・・・・・思い起こせば、こうして出発の儀式に間近に接するのは、えらく久しぶりでは、なかったか。丘珠ベースのANK機は2003年の春、 女満別を入れてもその夏が最後だった。JAC機では鹿児島や伊丹では遠かったし、与論でフェンス越しに眺めた2004年夏あたりが、こういう間合いの最後だったろうか。 恒例の入間は遠く、下総は近い方ながらイベント会場の賑わいの中だったから、こういう風情にはない。

 機長席の窓から今度は1本指を立てた手が、くるっ。

 くぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・ぼうん・・・ひょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・・・。

 その音にずっと浸っていたかったがそういうわけにもいかず、びぃぃぃぃぃぃぃぃ・・・・・エンジンが回転を上げる。コーパイさんがこちらに手を振る。 こちらでもみんな、手を振ってる。くるりと回って滑走路へ出たブルーイレブンは、その南端へと向かって行き、そこでまたくるりと振り返り、拍車を入れた。

 ぶぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぉぉぉぉぉぉぉぉぅぅぅぅぅぅぅぅんんんんんんん・・・・・。

 カシャカシャカシャ! 正面を過ぎると例の白濁ガラスに阻まれて、みんな後ろへ下がって真っ直ぐ駆け上がっていく機影を追う。その余韻に浸る間もなく、 海保の制服の人が「最後のご挨拶にもう1度ローパスしまーす!」と告げた。夕闇が迫る中、遠く着陸灯が点る。脚を出して、気持ちバンクを振ったように見えた。 そしてそれが目の前を過ぎて行くのを追う・・・・・バブル窓の中で誰かが手を振ってるのが、見えた。

 はぁ、行っちゃった・・・・・・カメラを片付け、建物の中へ戻ろうと歩き始めると・・・・・びぃぃぃぃぃぃぃぃぃ・・・・・!!! 突如背後から、 今度は滑走路に直行してローパス、その駄目押しアンコールに歓声が上がる。こちとら対応出来ずに眺めるしかなかったが(涙)、思えばANK、JAC、JCABと、 これまでお別れセレモニーや見送りに接したことが、無かった。最後かぁ・・・・・館山へ回るのか今度こそは真っ直ぐに東の方へと小さくなっていく、その後ろ姿を追いながら、 久々に味わった出発の風情と、健気に飛び続けて来たことへの労いと、ずっと日常の片隅にいた「羽田のYS」の記憶と・・・・・機影が不意に、滲んだ気がした。

 帰りに覗いた羽田の海保のハンガー一帯はとうに灯りも落ちていたが、闇の中ぼんやりとでもそれと判る、特徴的な尾翼のシルエット。 今日も一日御苦労さま。そしてこれまで御苦労さま。でもそこにいる間はまだ、「羽田のYS」なのだからね。