2015.5.27 エアロラボN462AL、大空へ帰る
 遂に来た。

 前日エアロラボと国交省サイドとで長々と会議が持たれたとのことで、その結果いきなり、高松へ飛ぶこととなった由。ぶっつけ本番である。 エアロラボでは当初、羽田の近くで一回り飛んでみてから高松へ発つ、という手順を踏むつもりであったらしく、素人目にも、普通それくらいやるわな、 と至極真っ当なことと思われたが、それすら許さぬ事情なり思惑なりが、オカミの側にはあったらしい。

 厄介払い、か・・・・・まあ本機がNレジになったことや、ホンダジェットがアメリカに拠点を置いた辺りも、通ずる部分のある気もするが。

 それはさておき、元JA8709、今はN462ALとなったYS−11が、およそ8年半ぶりに、大空へ帰る。となればやはり、ここは見届けねば・・・。

 出撃である。

 午前中にランナップを行い、午後に発つという。どこから狙うかとぐるぐる思案したが、 前回3月のランナップと同じ場所・・・・・国際線ターミナル・・・・・というのも撮り直したいのはヤマヤマながらこれが最後だし芸が無いかと、京浜島へ。 モロに逆光だし遠いしで、ギャラリー皆無・・・・・機体を綺麗に撮りたいなら、普通こんなとこに来ない。

 予定では1030頃から始める由。ここからは旧整備場の様子が死角になってしまい、盛り土の向うから顔を出すところから収めたい身としては、 その少し前から、まだかまだかと構えっ放しでヘトヘトなのだったが、有難いことにエプロンでの様子をツイートしてくれる人がいて、そろそろか、いよいよか、よし来るぞ、 となってすぐ、その白い機体が現れた。空港の北岸では終わったと思った工事がまた始まっていて、生憎重機やらトラックやらが手前を犇めいているのだったが、 これもまた「今」だな、と構わず撮り続ける。

 やがて国際線ターミナルに差し掛かり、「Tokyo International Airport」の看板を背景に進む、N462AL。 屋上は大賑わいであろう国際線ターミナルの前を悠々と進み、陽炎の中へ溶けて行く・・・・・くるりと向きを変え、着陸機をやり過ごした後、A滑走路を横断する。 遠く路面の蜃気楼の上を、ぽつーんと浮かぶ影。輪郭をユラユラさせながら、刹那、その背にギラリと日射しが返す。

 これだよ・・・。

 羽田にフツーにいた頃・・・・・あの日々の残像を、そこに重ねていた。

 C滑走路の方へ向かうそれを見送り、ランナップから帰って来るのを待つ。前回は2タミ前を通って戻ってきたので、あわよくば今回も、であれば管制塔を背景に、 と目論むのだったが、結局来た道をそのまま帰ってきてしまった。これをまた追い、盛り土の向うへ消えるまで見届けた。

 さて、どうする。

 フライトまでは2、3時間あったが、羽田は現在北風運用。予報では風向きはやや南寄りに変わりそうで、既に若干追い風気味。とすればもうすぐ、 南風運用に変わるのではないか?・・・・・南となれば16R、国際線ターミナルや浮島から、バリ順で行ける。

 しかし何があるのか分からないのが羽田である。風自体は弱いので、このまま変えない可能性も残る。北風運用とすれば、順当に行けばDランの05、 YSはハミングバード枠以外でも34Lがアリと聞いたことがあったから、そちらも要警戒、か。34Rは多分ないだろう、04も・・・・・とそこへ、 04を海保機が上がって行く。え゛ー・・・・・以前04と05のパラでの離陸はやりたがらないと聞いた気がするが。

 さて、どうする。

 南風にチェンジなら恐らくは16R一択、このまま北風続行でも順当に行けば05、もしやの34L、まさかの04、論外の34Rとして、 北風南風両面待ちならば、ここは浮島が妥当と言える。もしやの34Lでも、後追い出来なくもなく、それ以外だったらもう、スッパリ諦める。

 ここでちょっと、イヤなことを考える。かつて元気に飛んでいたとはいえ、引退し再整備された後は、ジャンプすらやってない機体である。 実績ある機体であれば、エンジンが快調で舵が利けば飛ぶ筈の理屈だが、万一のことを考えたなら、海が開けた方へ向かって離陸させたい、 のではあるまいか・・・・・ぶっつけ本番を強いたのは、察するところ他ならぬオカミである。万一の場合にその経緯には頬かむりするにしても、 直接間接の影響は最小限に留めたいハズ、である・・・・・実際ソコまで考慮してるかはコチラの知る由もないが、 リスクマネジメントの本質に徹底した悲観があるとすれば、そういう考慮はあり得る・・・・・少なくとも外野でギャンブルに出る側としては、 己を納得させる筋立てがあれば、腹も括れる。

 そのようなわけで、このまま北風なら05、南風にチェンジなら16R、と見定めて、浮島へと移動。先客は5人もいたかどうか。 日射しにジリジリと炙られるので木陰に逃げ込んで、途中コンビニで買い込んだ昼飯を食しつつ一息。ネットでは取り立てて飛行に向けて参考になる情報はなかったが、 方々で同じ思いを共有している空気は伝わってきて、心の中でエールを送る。肝心のエアロラボからは、何も発して来ず・・・・・それどころじゃないか。

 文庫本捲ったりしてる間にも、頭上を行く飛行機は相変わらず北風運用。ANKの離島便があった頃・・・・・10年以上前・・・・・「羽田トラップ」と名付けた、 突然のチェンジも起こらず、ネットでは続々と34L/Rへ収束する飛行機の列が見えてる。ギリギリまで分からないが、このまま05となるか。

 予定では1400〜1430の間、とのことだったので早目に備え、心ある方のツイートを頼りに・・・・・おっ、出たか、んっ、見えた。 国際線ターミナルの前を南下してくる、N462AL。午前中と同じようにA滑走路を横切り、今度はそこで曲がって新整備場のハンガーの並ぶ前をやって来る。 微かに、ダートとプロペラの独特の音が聞こえる。そして南端の角を曲がって死角へ消えた・・・・・依然北風運用、ここまで来て34Rは無かろうナ。

 次に見えたのは、D滑走路へ渡る桟橋に差し掛かったところだった。びぃぃぃぃぃぃぃぃぃ・・・・・ダートの音もハッキリ聴き取れる。 YS−11がD滑走路を行くのはこれが初めてではないが、目の当たりにしたのは、初めて。そしてこれはきっと、D滑走路、ひいては羽田全体での、 最後となるに違いなく・・・・・そしてそれはそもそも、無かった筈のことなのであり。

 桟橋を渡り切り、ダート・サウンドは上がったり下がったりしながら、出発便を2、3先に譲った後、いよいよRW05へと進入、くるりと向きを変え、 一瞬覚悟を決めるような間を挟んで、一気に拍車を入れた。

 びぃぃぃぃぃぃぃぉぉぉぉぉぉぉぉぉんんんぉぉぉぉぉんんんぉぉぉぉぉんんんぉぉぉぉぉんん・・・・・。

 ダート・サウンドが一気に上がり、それがプロペラ後流にかき消されると、代わって左右のプロペラより発するうねりが支配的になり、それを後へ後へ脱ぎ捨てるように、 機体は疾走する。YSにとっては長い長い滑走路でしっかり助走を付け、そして遂に、舞い上がった。

 お帰りなさい!

 YS−11は、足元を確かめるように、真っ直ぐ、駆け昇る・・・・・半世紀余前、朝霧の晴れた名古屋空港で飛んで見せた試作機もかくや、 とまで言い出しては大袈裟かもしれなかったが、なにせぶっつけ本番の飛行である。試作機の初飛行と違い設計は完成されていて、プロの手で整備され、 飛んで当り前と頭で解ってはいても、やはり緊張を伴ったのは偽らざるところで・・・・・かの鳥養鶴雄氏の「飛んだよね、飛んだよね・・・」という台詞が脳裏に甦って、 「初飛行」の目撃を追体験するような感覚に、独り密かに浸る。

 N462ALは右へ緩く旋回し、そのままぐるーりと西の方へ向きを変えるかと思いきやどんどん遠ざかって、ロストしてしまった。 高松までは2時間程とのこと、羽田へ舞い戻る可能性もまだ排除出来ないが、まずは到着の報を待つばかり。 高松では、元ANKのトリトンブルーのJA8743が、迎えてくれる筈だ。YS同士の顔合わせ・・・・・出来ることなら先回りして押さえたい程だが。

 その後高松には無事に着いたようだった。一応、とニュース番組をいくつか録画してみたところ、有難くもNHK「ニュースウォッチ9」で取り上げてくれた。 エアロラボが落札した際にも取り上げていたので、これはやるかという期待はあったが、支援してくれた日本航空大学校や、YS−11のパイロットへの取材、 YS−11デビュー当時のニュース映像に、今日の羽田での空撮まで織り交ぜて、結構たっぷりな内容。飛行中のコクピット内の様子まで複数のカメラで撮ってたようで、 このあたり、今後番組にするか、パッケージ化するか、して欲しいところだが・・・・・もしエアロラボ側で扱える素材なのであったら、 寄付を兼ねてのパッケージ販売も、アリではないのか・・・・・映像は撮って出しのダラダラ流しっ放しでも、というかむしろその方が需要がありそうな。