2015.9.13 YS−11P体験搭乗
 まさかね。

 旅客機として退く直前のJAC機に乗ったのが、丁度9年前のことだった。これが最後、とその時には信じていたが、ここに来て再び、 その機会が訪れようとわ・・・・・しかも空自のP型である。エアライン以外では初めてであって、そして恐らくは、これが最後となる公算も大、であって。

 美保基地からの発表によると、応募総数2428通、C−1に300名、YS−11には200名が当選とのことで、均せば凡そ5倍の倍率ということになるが、 遠いですが万難を排して参りマス、とハガキに意気込みを書いたのが奏功したかどうかは知らない。応募では希望機種を添えることになっていたが、 さてさてどっちが多かったのか・・・・・昨年はYSの調子が悪かったのか、全てC−1になっていたが、 今回もそれならそれで「軍用機」然とした機体は貴重な体験となる上、C−1自体が好きな機体で、更にC−2の配備が始まればフェードアウトする運命であって、 個人的にはプレミアム感は同じくらいあるわけで、つまりはハズレ無し、最初から全弾命中であって。

 んが。

 台風18号である。

 一週間前を切ったところで現れた(熱低から格上げ)それは、中国地方へ真っ直ぐ突っ込む予報、しかも13日あたりでモロに、 そこにいる・・・・・なんだよおい、その狙い澄ましたようなカンジわ。

 しかしそこは晴れ男であった。過去には台風を直前横断して福岡へ乗り込んだこともあり、9年前の時は福岡でやり過ごした翌朝に、最後の搭乗に臨んだ。 この時は伊丹へ逃げた機体もあって、朝の時点では機材繰りが間に合わない中、欠航する高知便を横目に鹿児島便は予定通りという、際どい中だったので思い出深い。

 ヤキモキするうちに台風18号は進路を東へ逸らしつつ、前倒しで日本海へ抜けた。どうだと誇らんばかりであったが、 代わりに秋雨前線を刺激したか北関東以北ではえらい水害がもたらされ、色々と複雑な思いでもあったのだが・・・・・昨日までは広島でド鉄をかましていたが、 ダイヤの乱れが収まらずにいたようで、お陰で手応えはほぼ空振り・・・・・今回欲張りの両立は成らなかったが、どちらを取るかといえば、無論今日の方を取る。

 前泊した松江からバスで米子空港へ。早速ターミナルの屋上へ上がって、美保基地をチェック。プロペラなしで見えるのは、先日退役した1153であろうか。 もう1機見えるのは五体満足で機首に「156」と読めた。この1156は随分エプロンの前の方、即ち格納庫から離れた位置にいるから、今日飛ぶのは恐らくここからの死角にいる、 残す1152なのであろう。1機で回すとすると、200名分を飛ぶのは、5回か、6回か。C−1は定員も少ない上に300名だから、2、3機で回すハズ。

 フムフムと下へ降りて、レンタカーを借りる。美保基地までは歩いてもそう遠くはないが、それよりもあちこちから撮りたい・・・・・いざ乗り出そうとすると、 金網の向うでダートサウンドが!?・・・・・あわわわとコンデジ引っ掴んで駆け寄ると、やはり1152、本日の最初の便がタキシングして行く。 ああああ、この音、この音。

 それを見送って、まずは昨年は歩いて行った、滑走路挟んでターミナルの逆サイのお立ち台へ・・・・・とこれが、旅客機の離陸に間に合わず、諦めて基地へ直行。 早めに入って、中ならではのアングルを狙うことにする。ダッシュボードには事前に貰ったピンクの紙・・・・・「27年度美保基地体験搭乗  駐 車 券」をバーンと。 これ後で貰えないかな。

 うむ御苦労、てな気分でゲートを通って駐車場に入れ、いざ、いざいざ、搭乗モードで荷物を整え、指定場所の格納庫へ向かう。エプロンへ向かい開けてきた視界には、 ペラなしの1153がドーン。ウハウハで入口の荷物検査をクリアして、まだ指定の受付時間には早いので、格納庫の開口部越しに、外に見えるC−1や、 帰ってきたYSを、ぱちり、ぱちり。

 やがて待機してた一団がぞろぞろと外へ向かった。本日第2便。自分の番のイメージトレーニングをしつつそれを追う・・・・・エアステアが畳まれ、 暫くするとプロペラが回り出した。ひょぉぉぉぉぉぉぉ・・・・・びゅぃぃぃぃぃぃぃぃぃ・・・・・あああああ(涙)。これだけの至近より、 始動からその音を聴くのは、もう何年ぶりであろうか。下総基地での催しが最後かもしれなかったが、あの時は何機も回してる状態、こうして1機の音をじっくり聴いたのは、 恐らくはJAC機以来であって。

 出発。くるりと向きを変え、滑走路東端へ向かい、暫く後に、中海へ向かって駆け上がって行った・・・・・ああ。

 そんなこんながありつつ、我々の番の第3便の受付が始まる。名前と番号を確認すると、認識票を渡された。えっ、認識票??・・・・・そうなのである。 搭乗員の挨拶と安全等々の説明の中では、これを確実に首にかけ、服の中へ入れるように言われた。万一の場合も首さえ繋がってればまず間違いなく、 自分と判ってもらえるのだろう・・・・・うーむむ。これは乗る以上は必ず、なのだろうか・・・・・P型は旅客機に準じた輸送機で、 殊に1152のような「御召機」にも供されたVIP仕様機の場合、やんごとなき方々も搭乗することがあるわけだが、何人たりともなべて、なのだろうか?

 いよいよ、来た。

 逸る気持ちを抑えつつ、大人しく列を作ってエプロンへ出た。皆ただ歩いてはいない。スマホから一眼レフまで手に手にカメラを、カシャカシャ言わせながらの前進である。 全席自由席なので、撮っていたいがモタモタしてれば席も埋まるしで、このあたりの葛藤もあったりしつつ・・・・・エアステアに足をかければもう抜かれることもなく、 余裕でエンジンなど撮りながら、機内へ・・・・・入ってすぐに、テーブルのある向かい合わせの貴賓席、 続いてラウンジ風のロングシート(?)のソファー・・・・・ここにもベルトはある・・・・・この辺りは既に目敏い先客に占領されており(笑)、 仕切りを隔てた更に後方の、通常の座席の区画へと急ぐ。

 機体のほぼ中央、主翼の上まで下がってしまうが、通常の座席の最前列ならまだエンジンとプロペラが見えるか・・・・・っと座ってみるとこれが非常口。 通常の旅客機では8列目だったように記憶するが、駄目なのだ、ここでは駄目なのだ・・・・・窓ガラス(ガラスではないが)がここだけ二重というか、 手前側にもう1枚あるものだから、その分外側へ覗き込むことが出来ず、視野が狭まるのである・・・・・あああ、思い出した。ここで経験がモノを言う(笑)。 幸い次の列の席はまだ埋まっていない。速攻チェンジ、通常であれば9D相当、に納まる。この機体独自の席番号では「19」「20」と表示があったが、多分「20」の方だろう。

 窓を覗けばなんとか、まだプロペラが見えてる。思いっきり主翼の上なので下方視界はよくないが、後方へ下がれば下がる程、プロペラが見えなくなるのもさることながら、 ダートサウンドからどんどん遠くなり、さらにプロペラ後流にかき消されて(?)、しまいには殆ど風の音だけになってしまう。旅慣れた人はここを選んだらしいが、 今日はそんな日ではない。

 キャビン内の方々でキャッキャ言ってる中、やがて案内放送があり、準備が整ったので若干前倒しで出すという。説明が続く中、第2エンジンに火が入った。 ひゅろろろろろろろろぉぉぉぉぉぉ・・・・・ぼうん・・・・・ゅゅゅゅゅゅゅぃぃぃいいいいいい・・・・・続いて第1エンジンが目覚める。

 ああぁぁぁ、これだ・・・。

 びぃぃぃぃぃぃぃぃ・・・・・エンジンが回転を上げ、タキシングを開始。今日は中海方向への離陸で、まずは滑走路東端へ進み、向きを変え、拍車を入れた。 ぶぃぃぃぃぃぃ・・・・・おうんんんおうんんんおうんんん・・・・・ぐい、と仰いだかと思えば、見る見る地面が離れて行く。

 ああぁぁぁ、これだ・・・。

 地上の飛行機達が見え、格納庫が、管制塔が見え、やがて中海が見えた。暫く真っ直ぐ昇った後、ゆっくりと左へ旋回する。 今日のコースは、反時計回りに安来や米子の市街を囲むように、一回りするらしい。ひとまずの旋回を終えると逆光で、主翼やエンジンナセルがギラリ。 大山があっちの方に、と期待していたが、裾を残して雲に覆われていて、気配が窺えるのみだった。シートベルトのランプは消えていて、 コクピット見せてもらいに行ったり、右だ左だと窓を覗いて回ったりと機内は大盛り上がりだったが、私はというとダートサウンドに耳を傾け、 ただただ座席に身を任せているだけで、なんだか満たされてしまって、立ち上がる気も起きずにいるのだった・・・・・勿体無いことしたカナ。

 そうこうするうちに機体は日本海上にあって、最終アプローチに入った。ギアダウンの機械音が上がって来る。スロットルが絞られ、ああ終わっちゃう、終わっちゃう、 といううちに地面が迫り、どすん、という程の衝撃もなく着地、滑走路をたっぷり使って進んで行き、ぶわぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・ようやっとといったタイミングで、 プロペラピッチがウィンドミルに入った。そして元のエプロンまで戻り、ひゅぅぅぅぅぅぅ・・・・・エンジンが切られた。音もなくプロペラがゆっくり回ってる。

 ああ、終わっちゃった・・・・・エンジン始動から凡そ30分、飛んだのはその半分程だったか。

 暫し機内の撮影会。殊に前方の貴賓席とラウンジは、譲り合いながらもなかなか終わらず、殆ど最終退場のようにして降機。外では今降りた人達の撮影会で賑わってる。 ハッキリと手真似では示さないがなんとなーく、もう良いでしょ的な素振りを見せるクルーに遠慮しつつ、じりじりとエプロンの外へと下がる。 これが最後、と退役間際のJAC機に乗ってから9年、まさかまさかの再搭乗だったが、今度こそ最後、なのか・・・・・或いは・・・。

 その足で新管制塔の見学。管制室のすぐ下の階らしく、エプロンがずいーっと見渡せる。逆光なので日に当たった服なんかが映り込むのが難儀だったが、 さて次のフライトを撮るぞぉ〜・・・・・っとエプロンではピタリと動きが止んでる。どうやら昼休みであるらしく、公務員だったかと思い当たるのであった。 辛抱強く待っていると、ワラワラと人が出てきて、YS−11に乗り込み、C−1に乗り込み、出発して行く。結構上の方から見下ろす珍しいアングルでウハウハと、 ガラス越しも厭わず撮る撮る撮る。出発を見送り、離陸を追い、モクモクと夏らしい雲と絡め、アプローチを出迎える。 ずっとここで過ごしたい気持ちもヤマヤマではあったが、飛ばしてる間に場所を変えたくもあり。

 駐車場へ戻って売店のある方へクルマを進める。案内の中で是非お立ち寄りを、とアピールしていたしで、美保基地土産のC−1やYS−11他の写真入りのお菓子やら物色。 滑走路を模したマフラータオルが目に止まり、滑走路上にはC−1の姿があるのだったが、折り畳まれた中にはもしや・・・・・果たして、 T−400と、YS−11! お買い上げぇ〜。

 さて目当ての撮影地へ急がねば、と車を出口へ向けると、誘導棒持った人に止まれの合図を食らう。検問を思わせる気配にナニゴトかと訝しんでいると、 資料館へどうぞ、という。是非見て欲しいという思いの顕れ、なのであろうが、あーこの感じ、自衛隊だねえ・・・・・苦笑しつつ折角なのでちょっとだけ、と寄ってみれば、 まず基地の歴史を綴るパネル写真が並んでいて、フムフムと追って行くと、

  「昭和63年 民間機事故に伴う災害派遣」

・・・ってゴムボートが駆け付ける前で水面に首突っ込んでるソレ、在りし日のJA8662「なると」ぢゃーないの。まさに基地の目の前で中海にダイブ、だったわけだが、 現在首は川崎の電車とバスの博物館、胴体は鳥取空港近く、その間の部分の輪切りは成田空港近くの航空科学博物館と、変わり果ててはいるもののまだその姿を留める。

 海軍精神注入棒なんぞまで展示されている中、順路の終わり近くに鬼太郎仕様のYS−11Pなどの模型がいくつか・・・・・おっとゆっくりしてられない。

 クルマを走らせ、昨年も訪ねた干拓地の湖岸ポイントへ向かう。先客チラホラ5、6人といったところ・・・・・だったが、試乗会ももう終わり近くだったようで、 C−1の着陸が見られただけ。暫く粘っていたがYS−11Pもエアステア畳んでしまっていて、もう人を乗せる気配がない。終わりか、終わりだ。

 折角借りたレンタカーも、結果的には基地までラクをしただけに終わったようである。それだけでは勿体無いので、帰りに米子から乗る飛行機までは時間もあるしで、 松江まで転がしてピンポンダッシュ的にバタ電ちょい鉄、その道すがら例の「ベタ踏み坂」を、 今回はぐっと引きを取って壁のように撮ってみたり・・・・・そんなこんなで日も暮れて、ANA390便で羽田へ帰る。 思えばフツーにヒコーキ乗ることすら随分と久方ぶりで、機材もやや古びた設備のB−767・・・・・この分ではこちらも次があるのか、怪しい。

 ともあれ、9年前に乗り納めたつもりだった身には、今回の体験搭乗は望外も望外のまさに「体験」であった。ダートエンジンをこれだけ傍に感じられること自体が、 「体験」とカギカッコを付けたい程と言えた。今日乗っていた子供達は、そろそろこれを知る最後の世代、になるのだろう。長いこと見届ける気分の中にある身としては、 今日、五感にもたらされたひとつひとつが、儚く愛しく思われるのであった・・・・・来年も決まったな。