フィールド・オヴ・・・・・   1996年3月




 大垣夜行から乗り継いで、京都で降りた。裏路地を選ぶように、散歩気分に浸りながら歩いて、ほどなく梅小路蒸気機関車館に着く。相変わらずの素朴な、大分煤けた、かつての「蒸機の時代」の気配を残す館内に入ると、そう幾度も訪れた訳でもないのに、何故だか「帰ってきた」ような懐かしい気分になる。

 まっすぐ扇形庫へ進み、冬の低い日差しが奥まで届く庫内で、深呼吸してみる。こうしてたたずんでいると、その淡い光が、刻々と蒸機達の表情を変えていくのが判る。そのうつろいを感じながら過ごしたくて、今日もここに来た。

 日に何度かの、公開運転の時間が近付いた。機関士が乗り込み、投炭を始める。その日の蒸機C61は、やがて浅い眠りから醒めるように、煙を勢いよく吐きはじめた。小さな男の子が「ぽー、して!」と汽笛のリクエスト。機関士はそれが耳に入らぬ様子で作業を続けていたが、ちょっと間を置いて「ボォッ!」。不意を突かれた格好の男の子は、文字どおり飛び上がって驚いた。周囲の大人達は笑い、機関士も、ちらりとこちらを見やって悪戯っぽく笑った。

 次第に人が集まって来る中、じっと蒸機を見つめている老人がいた。「お父さん、懐かしいでしょ」。その子供らしい夫婦が後ろから話し掛けたが、それにも応えず、ただじっと、蒸機を見つめている。彼の視線は目の前の蒸機を通り越して、さらには時を隔てた風景に向かっているように思えた。それは彼が蒸機とともにあった風景だろうか。

 「フィールド・オヴ・ドリームズ」という映画があった。一種の霊感を得た主人公が、周囲に変人扱いされながらも自分のトウモロコシ畑を野球のグラウンドにしてしまう。すると過去の大リーガーの亡霊達が蘇ってここに集まり、プレイを始め、やがてそれを観ようという人々も集まって来る、そんな話だったと思う。

 その昔、動力近代化の波の中で、当時の国鉄の、消え行く蒸機へのいわば最後の良心の場所としてここ、梅小路蒸気機関車館が設けられた。私には車籍の扱いなどについての知識は無いが、DLやDCが憩い、むこうで「のぞみ」がすっ飛ぶ「現実の世界」のすぐ傍らで、死んだ筈の蒸機達が、しかしここでは煙を吐き、限られた範囲ながら走りさえしている。この扇形庫とターンテーブルと僅かな線路は、さながらトウモロコシ畑の真ん中の野球場だ。ここにいる蒸機達は、「蒸機の時代」の亡霊である。ただし信じなくても見える、実体のある「亡霊」である。

 そしてこの「亡霊」達を守り続ける人達がいる。静態保存の蒸機であっても、その足回りは、油の染みた鉄の色、生きた機械の色をしていて、火さえ入れれば今にも走り出しそうだ。聞いた話では毎日のように手入れがなされているという。

 あくまでも自然な姿・・・・・・・・その本来の使命に就いている、或は定期仕業に就いている時にこそ鉄道車両は魅力的なんだ、役目を終えれば去り行くのが当り前なんだとこだわり続けていた私だったが、「亡霊」となってここでのんびり過ごす蒸機達、全国で「現実の世界」の隙間を走る蒸機達を見るうち、現役云々を超えた魅力もさることながら、そういう、近所の子供に昔話を聞かせるような存在であっても良いのではないか、と今では考えるようになった。そしてそれを守りたい、と思いはじめている。

 蒸気を吹き上げ、C61がゆっくり走り出す。ふと、カメラを構えるのを忘れていることに、気が付いた。



・・・その後リニューアルされた梅小路蒸気機関車館。そこで撮った写真、
いずれ”Cub’s GALLERY”にて、お目にかけたく思います。




Top Page