黄昏の空元気〜横軽散文雑文残り分  1997年10月




 西村京太郎の短編に「EF63形機関車の証言」というのがある。ここでトリックを明かすような野暮はしないが、十津川警部はしかし、上りホームと下りホームの区別もつかなんだか? 全てそこから、話がややこしくなっている気がするけど・・・。まあストーリー的に致し方ないとして、機関区(国鉄時代の話らしい)ではなく横川駅にロクサンが所属してる風なのも便宜上以下同文として、容疑者がやたら何気鉄だったりするのが、毎度ながらとても妙。彼が深見、つーニアピン名字なのも、若干気になる。

 一応これも、私の「横軽文庫」に納まっていたりする。RM誌の連載「峠の四季帳」読みたさに、創刊号から購読している同誌から掲載号を抜き出して並べたことをルーツとするこの文庫も、同誌や他誌の横軽関連掲載号が加わり、さらに昨今巷に起きた横軽本の大増発(オノレもじゃ)を受けて、あっけなくオーバーフロー。駄目押しに9月号の時刻表が加わる。あぁ今月発売の雑誌もか。

 床に堆く積まれたスタックを前に、感無量。

 EF63の双頭連結器。これの自連側のナックルが固定式だ、という事実を実は最近知った。つーことはロクサンの2エンド同士では連結出来ないのだろうか。あ、密連にするのか。(ぉ

 これも最近気付いたのだが、EF63には、JRマークが無い。さらに「JR東日本」の楕円形銘板も、付いてない。あのアンテナ以外、そして茶ガマ以外(苦笑)、ほぼ完全に「国鉄メイク」を留めている。かのEF58−61にさえ、楕円形銘板は付いているのに、である。これは異例中の異例と言えまいか? その本当の理由は、知らない。知らないながら、そこに孤高なる空気を感じずにおれない。下界の波風など気にも留めていない、迎合などする気も無い、ただ使命を果たすだけ・・・・・・・他のどこよりも厳しい仕事をこなす山男の、そんな心意気と思い込んでみたい気もする。

 だってかっちょいーじゃん。

 EF63の中でも、意外と知られていない「変形機」(?)が、15号機。2エンドのおでこの通風口が、塞がっている。理由は知らない(ことにしとく)。それがいつ頃からのことなのか・・・・・・最後の5年くらいしか撮っていない私でも、通風口が健在の15号を撮っているから、それなりにごく最近だったことになる。形態分類系ベラベラ蘊蓄たれ野郎に、攻略本にも載ってない15号機ネタをフッてやると、ワザアリは無理にしろユーコーくらいは取れるかも。

 そういや、訳アリで本務機に就けないロクサンがいたけど、何号機だっけか。

 かく言う私、ロクサンの形態分類ネタには疎い。疎いから自慢げにベラベラ始める輩の前では寝てしまうし、上り1号トンネル出た所でひっくり返っちゃったのが何号機だとか、JR貨物で保管してあるのが何号機だとか、ヘタすりゃ即答出来なかったりする。ロクサンはロクサンでいーじゃん、と言いつつ、しかしその実1次型が好きだ。ところで最近出番の多いカメラは中古で買ったEOS630だったりして、この期に及んで動体予測AFに感動している私は田舎者なのだけど、アダプターでニッコールなんぞを着けてみたりするあたり、周囲に「いーおすろくさん」と呼ぶことを強要しているあたり、やはりどこかおかしい。

 EOS630には黒とガンメタがあったけど、かのEF63には、ヘッドライトの縁が銀色のと、ボディ色のとがいる。しかしこれも攻略本には載っていないので、結構レアネタらしい。製造時期や全検の時期によるのかと思えば、これがどうもランダムのようで・・・・・・・2次型連番の、しかも1ヶ月違いで最後の全検を受けてそれぞれ茶ガマになった18号と19号と、その前の最後に青ガマ出場した12号と13号あたりでも、両方あった気がする。識者の情報を乞う! ところでトミックスのNゲージはデフォルトで銀縁になっているけど、さてさて今度発売の18号19号茶ガマセット他の展開では、どこまで「リアル」になっているのだろう? これも気になるところだ。同社には散財させられ^H^H^H^H^H^H次々と染みる製品をリリースするので感謝申し上げている次第であるけど、この辺のディテールまで押さえてあるのは、基本ですかな!?

 仮に天賞堂16番なら、やってくれる筈だ。(ぉ

 トミックスといえば、模型ビデオの中でどっかで見たよーな丸山変電所窓越しカットが登場するけど、これは、気のせいかな。気のせいだよな。そうだよな。そうなのか。どうなんだ。

 因みに、別カットやカタログや製品パッケージ関係で、某大御所氏も2、3、非常に気にかけておられる。(ぉ

 トミックスの「丸山変電所」で、疑惑の(?)「窓越しカット」やってみたいと思っていたけど、手にしてみればレジンの無垢で、くり抜くわけにもいかずあえなく断念。ぢつわこれ、行きがかり上2つ持っているのだけど、一方は矢ヶ崎変電所ってことにしとこかな。しかし蓄電池室のみというのが、なんとも惜しい。

 そうそう、横川〜軽井沢間11.2kmを1/150にすると、およそ75m。不可能な長さでは、無さそうだ(何がだ?)。因みに両駅の高低差は3.7m弱。ざんげ岩は横川駅より1.7m弱高いことになる。私の身長もそんくらい。すると横川駅のNゲージレイアウトを作ってその傍らに立てば、そこはざんげ岩・・・・・泣ける話である。

 誰か全線造ってくれたら(他力本願)とっても嬉しい。御岳や丁須の頭や五輪岩に顎乗せて、俯瞰してみたい。座頭転がしからも覗いてみたり。御岳東稜からもいい。表妙義からもと言ったら遠すぎるけど、これ、「横川鉄道文化むら」に進言してみようかしら? いやいや横川から眼鏡橋まででもいいから。

 眼鏡橋で思い出した。これ結構現実的だと思うのだが、碓氷川橋梁に、EF63を1ユニットと、「あさま」色189系のトンネルに入るまでの2、3両を静態保存出来ないだろうか、ての。勿論、これは私のただの思い付きである。しかしこれで、あの勇姿が半永久的に残されるのである。いわゆる普通の静態保存が言わば「標本」的になってしまう一方で、これは「生きた」静態保存とは言えまいか? その一瞬だけだけど、あの生きた光景が目の当たりに・・・・・・・・・坂本城跡からだって裏煉瓦からだって座頭転がしからだって・・・・・・・・「月光浴」よろしくバルブ撮影したって、くっきり(馬鹿)。

 なんたって碓氷の急勾配なので、足回りはこの際コンクリートで固定してしまったっていい。遠景ということで整備も大雑把で良いだろう。旧線が遊歩道として整備されたら、かつてのロクサンの活躍を伝える、絶好の観光スポットになると思うんだけど・・・・・・・・・どうだろう? これ、松井田町へ提案したら良いのだろうか?

 ただ、セキュリティーの問題が残るんだな・・・・・・・嘆かわし。

 碓氷峠というとやはり、「峠の釜めし」だろか。かつて熊の平で売られていた「力餅」も忘れてはいけないアイテムだろう。あの板谷の「力餅」は中にあんこの大福タイプ、これを「内式」とするなら碓氷の「力餅」は外側にあんこだから「外式」か。お好みでそれぞれ楽しめるけれど、そのどちらも1箱一気食いしたことのある私は、痩せないわけである。そういえばウチの家系は代々甘党で、ことに羊羹にはウルサく、佐賀県は小城の柴田屋という銘柄指定だったりする。村岡屋は却下らしい。ついでにウチは下戸ばかりで、時々その遺伝子を呪う私である。

 で釜めしに戻るけど、家なんかであれだけパクパク食べてても、別段特に美味いわけじゃなかったりする。釜めしのいただき方として、駅のホーム(それも横軽の、さらに横川駅の方が望ましい)や、峠を越える列車の中で、という作法を説いた御人がいらしたように思うが、これはその「様式美」という点で大いに見習いたいところ。私など、本当のところ玄米弁当の方が食べたくても、ついついこの「様式美」を重んじて釜めしにしてしまうことしばしば、なのである。

 個人的には、「おぎのや」本店で窓の外に働くロクサンを観その音を聞きながら、というのもお勧めであった。駅のホームよりも快適で、適度な「距離感」も良かった。お茶も出るし。「ざんげ岩」から駅を見下ろしながら、というのがやはり格別だったけど、これは万人にお勧め出来ないのが残念なところ。そういや「丁須の頭」で食べた時、時間が経ち過ぎてたかちょっと味が怪しかったっけな・・・・・。

 そんな釜めしの残った釜、そういえば軽井沢駅には一頃分別収集で「釜入れ」というのもあったなと思い出しつつ、これ、ご飯を炊けるというのは結構有名だったりするが、チーズフォンデュというのは、ちょっとレアじゃなかろうか?

 私の記憶が確かならば、あれは今を溯る3年前のこと。丸山でバーベキューを催した折に、チーズフォンデュを作ろうとしたところなんと適当な鍋が無い・・・・・・そこで後輩くんに「オマエ釜めし食え」と指令が出され、急遽誕生したのがこの、「チーズフォンデュ碓氷風」。美味にして鉄、これぞまさしく、新たな碓氷の味である。(以上加賀丈史風)

 これが大いに内輪受けして、以来RSBC(レール・サイド・バーベキュー・サークル=鉄道食材交歓会・・・・・・・洒落ですってば)の活動には欠かせないメニューとなった。そうそう昨年両毛線に御召列車が走った日の朝も、現場でこれやってた。ここで「ああ!」と膝叩いた人、います?(^^;;

 今年になってからか、「おぎのや」ドライブインに「峠の釜あいす」なるカップアイスが登場した。釜めしの子供みたいな器に入ってるアイスクリーム。「おぎのや」製ではないものの「おぎのや」で堂々売られているのだから、これは「公認」なのであろう。

 「釜あいす」には2種類あって、トッピングに栗かブルーベリーかが選べる。その具によって釜の色もそれぞれ茶色と青色になってる。これはなにげに、ロクサンの青ガマ茶ガマの暗示だった、なる説があるが確かなところは不明である。

 さてロクサンの最初の茶ガマ(新製直後の1号機とか言わないように)が運用に入った日、見てはいたけどまともに撮ってなかった。

 ぢつわ私、茶ガマはそんなに好きじゃなかった。

 大体なんで2次型で茶色なんだよ、というのが第一声の私がひねくれてるのは重々承知の上として、関係者の皆さんの心意気には拍手&感謝々々。見慣れてくるとそう悪くもなく、欲を言えばテール周りに昔懐かしのドーナツ形反射板も欲しかったかな。カッティング・シートでも良いから。ただ茶ガマって、俯瞰撮影じゃ映えないし、ちょっと雲が出れば色出ないし、線路際は急に賑やかになるし・・・・・・・・・・・さらにこれが4両も出て来た。酷い時には4両バラバラでユニットを組んで、つまり10ユニット中4ユニットが茶ガマ混入となってどうにもいけない。多分サービスなんだろうけど、こういう状況に至ってとうとう私も恥ずかしながら「あんだ茶ガマかよ!」とぶーたれるようになった次第。茶ガマ派の方でも「あんだブチかよ!」とぶーたれてたらしいけど。

 「期間限定」や「希少」というのは「魅力」とは異質のものだと認識している私、あんまし好きでもなかったその茶ガマ、しかしこれが最後のおめかしと思うと、こみ上げるものがあり。お祭り的にもこういうのは良かったと思うけど、しかし一方で贅沢にも、茶ガマ2ユニットというのは能が無いなと思いはじめていたりして。

 いっそ、1ユニットはレインボー指定機色にして欲しかった(馬鹿)。

 横軽でEIR使った人っているだろか。私はこの際とクーラーボックスとダークバック持参で2本ばかり使ってみたが、仕上がりがまた「濃いぃ・・・」の一言。写真としての出来はともかく、フィルム代から現像代から、2本で都合¥10Kかかったのには閉口・・・。まあこの際だから。

 濃いぃフィルムといえば、アグファの「ウルトラ」とか「オプティマ」あたりも、なかなか。

 横軽で使い捨ての3Dカメラ使った人っているだろか。レンチキュラー・レンズとかいうの使って1枚の「立体写真」に仕上げてくれるのだが、画角が狭いのが辛い。でもロクサンのジャンパ類や丸山の林立する三脚と「白山」のからみなどが立体で撮れたのは嬉しい。そんな中では、試乗会のE2の前でスピグラを操る友人(無論変人である)を撮った立体写真の、なんともおまぬーな様がなにげにヒットかな。

 そのスピグラの彼だが、他にもニコンF with モードラだの、レフレックス・ニッコール500mm/f5だの、ツァイス・イエナのゾナー着けたマミヤ645PROだの、コンタックスIIaだの、次々と横軽に不審物を持ち込んでいた。旧駅舎の頃の軽井沢駅の待合室で彼のコンタックス触った時に、どうも悪い病気もらっちゃった気がするけど、後の祭り。

 「写音集」というのがあって、これの写真のスゴさもさることながら、同梱のCDの、執念さえ感じる生録に思わず聞き入ってしまい時に目を潤ませて吊革にしがみ付いてるアブナイ私だが、シャレで「裏写音集」というのはどうか、ってな話題があったりして。丸山辺りで「むせんくん」ミックスで、「緩解お願いしますぅ」「ハイ緩解ぃ」・・・・・・・・「おーい、そこ入るよ! 駄目!」・・・・・・・・「込まったら制動」「ハイ込まったら制動」・・・・・・・・「駄目だよ! 頭が邪魔!」・・・・・・・・・・・・とゆー。「20世紀の真実」として語り継ぐべきではないのか、という大風呂敷広げたら意外と反響があって(私の周囲だけだけど)、これはイケルか?、と思うも、生憎肝心な素材が足りず・・・・・・うーん、残念無念。

 で先日、本家本元家元元祖「写音集」の方に偶然お会いした折に恐れながらとこのネタ話したら、楽しみにしてますと笑ってらした。・・・失敗したかな(汗;;)。

 ロクニが峠を登った最後と言われる、9/28夜の下り「浪漫」。これ、丸山の手前の方で「むせんくん」交えて生録したのだが、現場でマルヨかましてる人達が無関心(?)なのに些か違和感。で、音はまあまあ録れたけど、矢ヶ崎に出てロクサンとロクニとで最後に交わした言葉は、どんなものだったのだろう、と後になって気になることしきり。ロケーションを誤ったかなぁ・・・・・・・・「最後の言葉」ご存知の方、いませんか? その翌日だったかの、最後の上り三重連の後も気になる。最後の単機回送が降りて来て運用離脱する際に、ロクサンと運転区当直とで何かしら交わされたのだろうか、という疑問も頭をもたげる昨今。

 横軽最終日の前夜、風呂入りに「裏妙義」へ行くと、日テレのクルマが止まってた。明朝使うのであろう、横軽勾配説明フリップを持ったお兄さんが廊下を歩いていたりして、なかなかにリアル。

 横軽最終日の朝に、ざんげ岩からその「ズームイン!朝」の中継(と思しき爆裂現場)を俯瞰してた私だけど、夕方のフジだったかのニュースで、「こんな所にも人が」ってなキャプションでざんげ岩がアップ。あ、この先っぽの奴、オレだよオレ。

 日本の鉄道のこれだけの「大事件」、TVなど特番でも組まれるかと思いきや、番組表はいつもの体裁のまま。とりあえず「あさま37号」に時間帯が重なる「ニュースステーション」を留守録していた私だが、やはり何か物足りない。それに久米宏の態度も毎度ながらのアレだし、少年っぽさ(男らしさと換言してもいい)のカケラも無さげな彼よりも、筑紫哲也や木村太郎の方が、感覚を共有出来る気がする。せめて彼らに託したかったところである・・・。

 これは元々私のオリジナルではないのだが、手遅れ議論好きの(!?)テレ朝(‘87年4月1日にも「国鉄が死んだ日」とやった同局である)が「あさま」を借り切っての生放送をしちゃうってネタがあった。「あさまで生テレビ・どうするどうなる信越本線と日本」(笑)。勿論コメンテーターにも凝る。かの雄弁なレールウェイ・ライター大先生にもご登場願って、「マニア」と「ファン」との格付けの必要性(!)と自らの正統性について不毛^H^H語って頂くというのも、余興にはなりそうだ。

 でまぁ、何を激論するのかよく分からないけれど、いつもと違う時間に「わたなべのりつぐです。とうとう、この日が来てしまいました(中略)と日本! いよいよ、上野駅を発車です」ちゃーちゃーちゃぁちゃらっちゃ〜などと始まり、沿線の実況を交えて走りながら、とにかくなんか熱い激論しちゃう。トンネル区間でブラック・アウトして、映像が戻ると車内が荒れてるというお約束も、期待したいところ・・・・・であった。

 ところで、知る人ぞ知る海砂利水魚の「有田デゴイチ」つーキャラクターには笑かしてもらった。ステレオタイプな「鉄道マニア」の井出達で、9月のいつだか横川から生中継で出てた。かなり良いセン行っていたが、いかんせん門外漢、小技がまだまだ甘い! ワンポイント・レクチャーを申し出たいところだ。

 最後の「あさま37号」を見送るべく夜にまたざんげ岩に登った私。下から電話がかかって来て、相手は”爆心地”横川駅下りホームにいるふくしま氏。フラッシュ飛ばして来たので負けじとヘッドランプで応戦すると、下界ではこのコミュニケーションの成立(?)を目の当たりにした人達が、異様に盛り上がってるのが電話ごしに判った。すっかりお祭りである。可笑しさが切なさと入り乱れる。

 横軽の上りの最終営業列車が、急遽走った臨時列車だったことは意外とレアネタみたいだけど、なんでも「本来上り最終列車だった筈の列車」の乗客(の多分ごく一部)がこれを不服とし、「もう1本走らせて乗せろ!」と駄々こねたらしい、という伝聞。真偽はともかくとして、その価値観を前提とした気持ちも解らんでもないけど、しかしそこで損失補填を強請るたぁ、なんともみみっちい。まぁ他人事的に、馬鹿っぽくて笑えた話ではある。これも「20世紀の真実」か。



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