<柴川順二様> その信仰にならう

藤尾正人

last updated: 2004.10.10(sibakawa.html)

この一文は、一九八九年三月二九日、北海道・北見市 川東住民センターでの柴川順二様の告別式において、藤尾正人が述べた式辞に補筆。

柴川順二 一九〇一年一二月一二日生誕・一九八九年三月二七日永眠 八八歳  




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はっきりしたクリスチャン

柴川さんはクリスチャンでした。はっきりしたクリスチャンでした。あの方はクリスチャンかな、どうかなといった、はっきりしないクリスチャンではありませんでした。「柴川さん!」と呼べば、「クリスチャン!」と、こだまがはね返ってくるようなクリスチャンでした。

柴川順二様に「愛は奇跡を生む」という自伝があります。それによると、静岡県でお生まれになった柴川さんの、そのお母さんも、お祖母さんも、熱心なクリスチャンでした。柴川さんは、かえってこれに反発して、一時仏教に凝りましたが、北海道に渡られたあと、むかしの野付牛、今の北見で、伝道者・浅田又三郎先生に導かれ、悔い改めて、一九三二年、昭和七年七月三日にバプテスマをうけられます。それからは猛然と伝道されました。その後の人生は「薄荷商」や「材木商」の道をあゆみつつ、まさに山あり、谷ありの、聖書でいう旅人の人生でした。

「ヘブル人への手紙」一一章一三節に「これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、地上では旅人であり、寄留者であることを、みずから言いあらわした」とあるとおりです。

ある時わたしは、北海道を柴川さんのお供をして伝道の旅をしました。そのとき列車の窓ぎわで柴川さんが、「わたしの信仰なんて、こうでございますよ」と言いながら、手の平を波打たせられたその手つきが忘れられません。「柴川さんと言えばクリスチャン」と申しましたが、そのクリスチャンは、「こうでございますよ」という、波打つ信仰なのです。一本調子に「ハレルヤ!アーメン」で進む信仰ではありませんでした。その事業も大成功を収めたこともあり、谷底へ落ちられたこともありました。柴川さんの信仰も波打たれたにちがいありません。


信仰のわざ

「ヨハネ黙示録」の一四章一三節に、「今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである。み霊(たま)もいう、しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」とあります。

今、柴川さんのご遺体を前にして、「主にあって死ぬ死人は幸いだ」ということばに慰められます。どうしてですか、労苦を解かれるからです。病いからも解放されるからです。主のみ前に休みが与えられるからです。しかし、そのあとの「そのわざが彼らについていく」が気になります。「わざ」といえば「おこない」です。わたしたちの生前の行為の善も悪も、ずっとついてきて、神の前で裁かれるのかと心配になります。

しかし、キリスト信者は裁かれません。どうしてでしょうか。イエス・キリストご自身が、「神が遣わされた者(キリスト)を信じることが、神のわざである」と、ヨハネ福音書六章二九節で語っていられるからです。死んだあとついてくる「わざ」とは、「キリスト信仰」なのです。

むかし内村鑑三という、人々に大きな影響を与えたクリスチャンがいました。札幌農学校・今の北海道大学の第二回卒業生です。彼も人生最大の「事業」、つまり「わざ」は、「キリストを信じること」だとして、こう言いました。

「わが事業は信者をつくることではない。また聖書を講ずることでもない。また霊魂を救うことでもない。

わが事業はイエス・キリストを信じることである。彼にありて、わが事業はすでにすんだのである。われが安らかに人生を楽しみうるはこれがためである。われが事業にあせらないのも、またこれがためである。

事業、事業とあせる米国流のキリスト教は、余(よ)の全然堪ええないところである。」

だから「わざがついていく」といわれても、安心なのです。


森林三代・信仰三代

柴川さんは、会社にとっても、地域社会にとっても、並みの人ではありません。指導者でした。しかし、飄々(ひょうひょう)とした、腰のひくい、指導者らしからぬ指導者でした。そして家にあってはゴッドファーザーでした。

毎朝、食膳が整い味噌汁がつがれると、柴川さんは食前の祈りをされました。終わると味噌汁は冷え、もう一度鍋に返してあたためるほどの長い祈りでした。お子様はひたすら父の祈りの短かからんことを願いましたが、それは毎朝のことでした。

しかし、ごらんください。その五人のお子様は、すべて父上の激しいキリスト信仰を継がれました。佐野妙子様、柴川正義様、柴川林也様、柴川秀夫様、柴川理一郎様、みなどこをたたいてもクリスチャンのひびきのする方々です。

いつか柴川さんのお供をして、北海道の東部を伝道旅行したとき、柴川さんは窓から見える深い森を指して「森林三代」の話をされました。

伐採や山火事で裸になった山を放っておくと、白樺や柳など寿命の短い木が自然に生え、葉を落とし二十年ほどで枯れてゆく。その土からナラやブナなど、葉の広い、大きな濶葉(かつよう)樹が生え、さらにそれにまじって、エゾマツ、トドマツなどの針葉樹の巨木が伸び、針濶(しんかつ)混合時代となり、最後に濶葉樹が枯れて針葉樹海ができるというお話でした。初代が落とした葉の上に二代目が育ち、二代目の蓄えた栄養の上に、三代目が大きく伸びるというのです。

そのことばのように、柴川家では柴川さんの親の代から、いやお祖母さまの代から森林三代ならぬ、信仰三代、四代、五代が育っているのはうれしいことです。


信仰にならう

さて、「ヘブル人への手紙」一三章七節に、「神のことばをあなたがたに語った指導者たちのことを、いつも思い起こしなさい。彼らの生活の最後を見て、その信仰にならいなさい。イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも、変わることがない」とあります。

柴川さんの「生活の最後を見て」とあります。柴川さんは、その生涯の最後にスケールの大きなことをされました。北見市街が見渡せる、ご自分の十五万坪ほどの山に「十字が丘」をひらき公園として開放されました。そこへ十字架形の池を掘り、愛の鐘の塔を建て、復活堂をつくり、ふもとにぶどう園を育て、オホーツク海側では無理といわれたのに、研究をかさね「北見ワイン」まで製造されました。また「断食祈祷院」を開設して、全国から希望者を受け入れ指導されました。国際ギデオン協会の聖書配布活動でも一生懸命でした。

わたしがお供をして廻った、さまざまな教派の教会でも、いかに柴川さんに助けられたかを牧師さんから聞きました。柴川さんはスケールの大きい指導者でした。

しかし聖書は「その生活の最後を見て、その信仰にならいなさい」というのです。「生活にならえ」とは申しません。

この告別式で柴川様を賛美する合唱をしてはならないのです。かくまで柴川さんを突き動かしたキリストを思うのです。生活にならうのでなく、信仰にならうのです。その生まれる前から、柴川さんをとらえ、養い、担われた、イエスを思うのです。目標!キリストなのです。

ですから今日は柴川順二様の告別式であると同時に、柴川家の五人のお子様がたが、信仰の出発点に並ばれる日なのです。父と仰ぐ人は、きのうも、今日も変わらないイエス・キリストの中に消え去りました。そのイエス・キリストを目指して、柴川家の皆様も再出発される日としていただきたいのです。


会衆の皆様へ

最後に会衆の皆さまに申し上げます。

キリストは、キリストを信じ、従う家族をかくも恵み、祝福されます。たとい、打ちくず折れることがあろうとも、「生き抜く力」を与えられます。四方から艱難が押し寄せても、倒されません。むっくり起きる、起き上がり小法師のように立ち上がります。柴川さんの人生がそうでした。

そればかりか、キリストを信じれば、永遠のいのちまで与えられ、どんな罪もゆるされ、裁かれないのです。

「ヨハネ福音書」の三章一六節に、「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」とありますが、この「世」とは世界中の方々のことです。皆様のことです。

どうか、この機会に、柴川さんが見つめ、そのご家族が仰いでいられるイエス・キリストに関心をお寄せくださいませんか。お信じなさいませんか。

この柴川さんのお写真は、わたしたちにそう語りかけていられるように思います。



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