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1995年11月8日 東京〜成田                   

 1995年11月8日は、俺が生まれて初めて日本を離れる記念すべき  
日である。                              
 妹の佳代の親友である佐藤ひろ子さんもいっしょに行くことになってい  
る。航空機は、18:00発のシンガポール航空(SQ012)であるが、 
早めに空港に行った方がよいという佳代のアドバイスを信じ、俺とひろ子  
さんは、この日の10:00に東京駅の銀の鈴待ち合わせ場所で落ち合う  
ことにした。銀の鈴ってどこか知らなかったが、何とか約束の時間に間に  
合い、ひろ子さんと落ち合うことができた。東京から成田までは成田エク  
スプレスで行こうというひろ子さんの提案である。少し贅沢かと思ったが、 
ひろ子さんに任せることにした。                    

1995年11月8日 ロスアンゼルス                 

 航空機の中で目を覚ますと朝だった。機長のアナウンスによると、日付  
はまだ8日。時刻は午前10時。ときどき機がゆれてその度にベルト装着  
の表示が点灯する。ロスアンゼルスが近いらしい。ひろ子さんと窓の外を  
見るとアメリカ大陸のゴツゴツとした感じの大地が遥か下方に見える。   

10:35 ロスアンゼルス国際空港着 入国審査            

11:00 ダーと落ち合う。ダーと会えないんじゃないかと思って心配  
     だったのでひとまず安心した。空港のファストフード店でコー  
     ヒーを飲む。すんげまじー。ダーに聞くとアメリカのコーヒー  
     はどこ行ってもこんな感じ(水の様に薄い)らしい。      
     
11:30 シンガポール航空の帰りの便のリコンファーム(予約の確認) 
     をシンガポール航空のカウンターで行う。最初、エスパニッシュ 
     系のお姉ちゃんに英語で話したのだが、うまく通じなかったが、 
     日本語の通じる人がいたのでなんとかなった。先が思いやられる。
      空港の駐車場からヨセミテ国立公園方面に向け出発。     

 ルート5を北上する。Bakersfieldsを通過、WheelerRidgeからルート9  
9である。Tulareを通って、Fresnoへと向かう。途中、小さな町でガソリ  
ンスタンドでガスを補給した。ここのガソリンスタンドで白人女性(40  
才位)の店員からコーヒーを買う。                   

 綿花畑が延々と続いたと思うと葡萄畑がどこまでも続く。ホルスタイン  
が何千頭も放牧されている牧場。いままで感じたことのない広々とおおら  
かな大地だ。しかし、景色の変化が乏しく、2時間もするとさすがに外の  
景色にも飽きてくる。Fresnoは、地図でみても、フリーウエーから実物を  
見ても大きな町だ。ここからヨセミテに向かうルート49からは、山岳地  
帯が近づいてくるので少し景色が変わってくる。             
 午後5時を過ぎ、だいぶ暗くなって来た。Fresnoは大きな町なので宿は  
いくらでもあっただろうが、ダーが「大きな町は嫌いだ」と言うので、も  
う少し先で宿を探す事にする。しかし、このルート49沿いには町らしい  
町はない。地図で見ても小さな町がぽつんぽつんとあるだけである。その  
小さな町にしてもガソリンスタンドが1件か2件あるだけで宿(モーテル) 
は見当たらない。かなりヨセミテよりのところでやっとモーテル発見。2  
ベッド、3人で税込みで$50でOK。チャーミングな60才くらいのお  
ばさんが受け付けをやっていた。もちろん英語で交渉。ちょっと緊張した  
が、海外の達人ダーがいるので安心だ。ここの宿はかなり豪華な宿だ。$  
50以上だったらやめようと言っていたが、ぎりぎり予算内だ。最初にし  
てはLUCKYだ。ベッドが2つなので、俺とひろ子さんがひとつづつベッ 
ドを使い、ダーは寝袋に寝ることになった。俺らは、旅なれてないので、  
ダーが気を使ってくれる。                       



1995年11月9日 ヨセミテ国立公園〜Bishop            

 朝7時に目が覚めた。アメリカ2日目は、天気がよく、とても気持ちの  
いい朝で始まった。俺らが泊まった宿は、Black Hawk Lodgeというモーテ  
ルだ。8時頃、宿のおばさんにさよならを言って、この宿を後にする。   
 ヨセミテの手前でガソリンを補給。ガソリンスタンドのおにいちゃんに、 
ジャイアントツリーの場所を聞く。ヨセミテ国立公園の入り口で$4払っ  
て、パンフレットをもらう。ジャイアントツリーは Waonaというところにあ 
る。駐車場で車から降りると、そこにすでに数本の巨大木がそびえている。 
杉や松も巨大だ。マツボックリ(Cone)が30cm位の大きさだ。立て看板に  
野性動物の餌だから取ってはいけないと書いていた。ちょっと拾ったら、  
そばを通りかかったアメリカンレディが、「いーけないんだ♪いけないん  
だ♪」とはやしたてていた(ほんまかいな)。              
 グリズリーズジャイアントツリーと呼ばれる有名な巨大セコイアは駐車  
場から 1km位歩いたところにある。でかい木がそこら中にあるので俺は、カ 
メラ小僧と化してパチパチ写真を撮りまくった。グリズリーズジャイアン  
トツリーの奥の方にも見所があったが、けっこうな登り坂を歩いて足がデ  
クになっていたのでそうそうに引き返した。お昼が近いので餌場を目指し  
て Waonaを後にする。                         
 ヨセミテ渓谷に向かう。トンネルを抜けると視界が開けて素晴しい景観  
が広がる。View Pointで車を止め、スナップ写真&風景写真を撮りまくり。 
ここには、観光バスなども止まっており、アメリカ人、東洋人等100人  
はいるかと思われる位、人がいた。ヨセミテ渓谷の奥まで行くと行き止ま  
りなので折り返し戻るほかはない。道が入り組んでいて地図がほとんど役  
にたたない。なんどもピクニックエリアとかに入り込んでは出たりした。  
 ヨセミテ滝、ヴァーブル滝、ネバダ滝、ブライダルベル滝等大きな滝が  
あり、3人でそこに行く予定だったが、道路から離れすぎていたり、看板  
が見つからなかったりして、結局行けずじまいだった。          
 お昼が過ぎた。腹がへってきた。さあ、飯屋をさがそう。地図を見ると  
かなり先だ。ルート120EASTをめざす。しかし、間違ってルート120  
WESTに入ってしまった。最初にダーが「方向が違うような気がする。」と  
言い出した。ヨセミテの出口を過ぎて、標識をみるとはたしてWESTの表示  
が。方向が逆ではねーの。この頃から俺は峠道で気持ちが悪くなってきた。 
元来た方向に戻る前に一休み一休み。ここで一息ついた。空気が冷たく気  
持ちいい。ひろ子さんはコンパスを車の屋根に乗せ、なにやら遊んでいる。 
さてと、出発するか。車を出すとき、ガチャッと妙な音が。ひろ子さんが  
コンパスを車の屋根に置き忘れたのだ。このコンパスは、ダーが大事にし  
ている品らしい。戻って見るとコンパスは無残にも壊れていた。      
(合掌)ダーは、「大丈夫、大丈夫」と言っていたが、内心すごいショッ  
クだったと思う。                           
 気を取り直し、ルート120EASTに向かう。途中White Wolfという場所が 
あるはずだ。紅葉の真っ盛りで木々の葉がきれいだ。ハイキングをする家  
族連れ、サイクリングをする人等が目立つ。日本なら行楽シーズン真っ盛  
りだろうが、ここではもうシーズンオフなのだそうだ。アメリカ人は、寒  
いのが苦手なのか。                          
 俺はといえば車酔いがひどくなってきて少し目をつぶって眠ることにし  
た。ここヨセミテを1日でまわるのは惜しい。もし時間が許せば、2、3  
日かけて回りたいところだ。といっても、車からながめるだけでも十分満  
足はできる。                             
 俺が目を覚ますと、White Wolfの入口はとうにすぎていた。オフシーズ  
ンのため道路沿いの店はどこもかしこも閉まっていた。やっとヨセミテを  
抜け、ルート395を南下。ヨセミテを抜けるのにこんなに時間がかかる  
とは思っていなかった。ルート395は砂漠地帯というか荒野というかそ  
んな感じの景色である。天候は、午前中晴れていたが、少し雲がかかって  
きた。店らしきものはなにもない。どこまで行ってもなにもない。途中   
Toms Placeあたりでトイレがあったのでそこでトイレタイム。 (Rest Area 
というらしい)とりあえず、トイレだけでもあったのは Luckyだ。このへん 
はどこまでいっても家1件も見当たらない所だ。「この辺、土地は安いだ  
ろうな。」「これじゃ、おとなりさんがいないじゃない。」「コヨーテが  
おとなりさんだよ」はははは。しかし、腹が減ってたまらない。3時過ぎ  
だ。こうなったらBishopを目指すしかない。               
 4時過ぎ頃Bishop到着。こぎれいな感じの良い町である。近くにスキー  
場のあるリゾート地のようだ。さっそくマクドナルドに入り3人めいめい  
のオーダをとり、むさぼり食う。俺の場合はチーズバーガー2個とポテト  
の大、ホットコーヒーのNo.4のセット。3.07ドル。安いもんだ。ポテトが  
うまい。コーヒーは薄くてあいかわらずまずい。(ダーはアメリカンコー  
ヒーのまずさにはあきらめの境地らしい)アメリカではこんな感じでなに  
からなにまで安い。ガソリンは 1/4位だし、ビールも1缶あたり50円位だ。
なんで日本はあんなに物価が高いんだー、と怒りを覚える。で満腹になっ  
た3人はウォールマートに買い物に行った。ビール1ダース、ミネラルウォー
ター、チーズ、パン、サルサソース、マヨネーズ(あたりはずれがある。  
今回はまアまアとの事)、ポテトチップス、ハム、牛乳、カップヌードル  
3人分等を買った。しめて、$28位。日本だったら5、6千円はする量  
である。これで2、3日は買い物をせずにすむ。次は宿探しである。ガイ  
ドブックで探す。宿は、スポーツマンズロッジというへんてこな名前の所  
に決めた。3人、2ベッド、$38。昨日に劣らずいい宿だ。まアこの町  
はリゾート地なのでこの位はするのだろう。               
 強力な送風機があるので洗濯物がすぐ乾きそう。(これを書いている時  
点でかなり乾いてきた)                        
 夜は、CATVで映画を見た。なかなか面白い。明日はDeath Valleyに行き、 
LAS VEGAS を通過して行けるところまで行く予定。日本にも電話をした。が、
西山さんはまだ会社に来ていなかった。また明日電話しよ。        



1995年11月10日  Bishop〜Death valley〜Kingman        

 8:00AM過ぎSports Man's Lodge出発、Bishopを後にする。今日も天気が  
いい。出発前にガススタンド(EXON)でダーとコーヒーを買う。 $0.75。   
 Bishopは、良い町だった。写真をとらなかったのが残念。ルート395  
を南下。この辺は砂漠地帯の両側に山脈がそびえるといったような景観だ。 
一応谷間の様だが川は流れていない。造山活動でできた地形のようにみえ  
る。Bigpine通過。ここもきれいな町だ。9:00頃 Independence通過。「独  
立」とはいかにもアメリカらしいネーミングの町だ。 9:30頃Lone Pine通  
過。当初、Olanchaまで行って、そこから Death Valleyに向かう予定だった 
が、Lone Pineからルート136を使って Death Valleyに向かうことにす  
る。この辺はまったくの砂漠地帯だ。背の低い草しか生えていない。右手  
に干上がった湖が見える。オーウェンズ湖(Owens Lake)だ。まったいらな  
地面が、どこまでも続く。水があればかなり大きな湖だ。         
 ルート136に入ってからは48マイル程は、なにもない、と看板に書  
いてあった。登ったり、下ったり、なかなか飽きない道だ。砂漠のなかに  
妙な植物が生えている。サボテンかと思ったら違うらしい。        
 Furuace Creek まで173マイル走破。ここでガス補給。リゾート地の  
せいでガソリンが1割程高い。ペプシの缶が$1.00。           
 途中の町(名前は忘れた)でお土産を買う。ここではカントリーウェス  
タンの演奏等を野外でやっていて、観客がたくさんいた。なかに入るのは  
自由らしい。3人で少し入って見た。食い物にはありつけそうにないので  
あきらめてDante's Viewに向かう。ちなみにお土産として帽子と絵葉書、  
ポスター等を買った。ひろ子さんは、 Tシャツを買ったみたいだ。     
 Dante's View 13:30頃到着。ここに着くまでに、合衆国で一番低い(海抜 
以下)と言われているところを通り、その後、かなり高いところに登って  
きた。見晴らしが非常によい。眼下に白い塩の平原が広がる。異様な光景  
とも素晴しい眺めともどちらとも言える。ここに30分位いた。ここで持  
参のパン、ハム、チーズ、サルサソース等で各自昼食をとる。       
 ダーが地図をみて計画をねっていたらしく、「今日中にかなり先の方に  
行かないと日程が苦しい」とか言い出す。確かに、昨日今日の進み具合を  
見ているとなかなか足がのびていない。とりあえず、次の目的地、グラン  
ドキャニオンにできるだけ近づくことにする。ルート190、373、95 
のルートを目指した。(地図で見る限り1番近そうだった)        
 14:00 Dante's View出発。ルート190の突き当たりのDeath Valley JCT 
で標識発見。                             
「ラスベガスまで82マイル」 「うん?地図で調べたルートより20マ  
イルも短いぞ」「20マイルの差は大きいですよ」と言うことで地図に載っ 
ていないマイナーな道を使用することにする。地元の人間位しか使わない  
のか、車の往来が極端に少ない。標識に「Rough Road」とあったので「こ  
れでダートになるのか」と覚悟したが、なかなか舗装は良い。地図にない  
道を小一時間程行くと、 Pahrumpというあまりぱっとしないが、どことなく 
味のある町に着く。なかなか味のあるバーを通りすぎた。ダーによるとヨー 
ロッパにもこの手のバーがたくさんあるらしい。 Pahrumpからはルート53 
で地図に載っている道である。これを南下して Las Vegas方面を目指す。こ 
の辺はあいかわらずの砂漠地帯である。トイレに行きたいが、ガソリンス  
タンドが全然ない。とりあえず、がまんすることにする。 Pahrumpから1時 
間半位でLas Vegas近郊に達する。Las Vegasの町に入ると、時間がかかり  
そうなので、脇を通りすぎるルートを選ぶ。石川ナビゲーターなかなかの  
ものである。なーんつーて。 Las Vegasをちょっとすぎたとろでガソリンス 
タンドでトイレタイム。ここでカセットテープ3巻を買い込む。レジでの  
支払いで少し戸惑った。$17が$70に聞こえて文句をいったが、しば  
らくして自分の勘違いに気付き、「OK OK.」と言って、ごまかして払って  
出てきた。外は暗くなりかけている。日没である。ルート93を南下し、  
一路 Kingmanを目指す。                        
 日が暮れてから暗くなるのが非常に早い。暗い道はダーには辛いらしい。 
メガネに乱視が入ってないのだそうだ。しかし、標識なんかは俺よりは良  
く見えている。最近俺の目が悪くなったのか。アメリカの道は明りが全然  
ないから外の景色が全然わからない。ルート93沿いもなにもない砂漠地  
帯らしい。家の明りもなにもない。                   
 King Manが近づき、モーテルの広告が出てきた。MOTEL 6の看板。「ON   
ROUTE 93」ということは、この道をまっすぐ行けばあるわけだ。わかりや  
すい。とりあえず今日は最初にそのその宿に交渉に行くことにする。ダー  
によると安くて良い宿らしい。King Manの町が見えてきた。なかなか大き  
そうな町だ。「江刺よりは大きそうだな」と俺。「でもそんなに大きくな  
いよ」とダー。「花巻くらいかな」と俺。「そんなローカルな話はやめて  
くれー」ダーは、うんざりしたように言う。               
 今日の到着地King Manに着いた。めでたし、めでたし。まずは夕食を食  
いに Karl's Jrに行く。めいめいにハンバーガーをたのむ。店員がなにかい 
ろいろ聞いて来る。訳がわからない。ジュースのコップのサイズの事を聞  
いているらしいが、何と答えていいのかわからないので、ひろ子さんは、  
「OK」と言ったら、すんげーでかいコップが出たので、俺が 「Smaller   
please」と言って中位のにしてもらう。俺がFamous COMBO $3.5。ひろ子  
さんがWestern COMBO $4.5。ダーがSwiss BergerとLarge Potato。ちなみ  
にアメリカでは Fried Potatoとかでは通じないらしい。French Fry と言わ 
ないと出てこない。ハンバーガーをもち帰りにしてもらい、宿を探しにに  
行く。先程看板広告が出ていた MOTEL 6である。 MOTEL 6発見。予想よりか 
なり立派だ。ちょっと高そう。俺が単独で交渉する事になった。上限 $40と 
する。いちおう3ベッドの部屋があるか聞いて見る。聞いた。3ベッドの  
部屋はなく、 $42。ちょっと予算オーバーだ。やむなくここをあきらめて先 
程通りすぎたときに見た $19のモーテルに行ってみることにする。     
 Frontier MOTEL。西部らしいネーミングである。呼び鈴を鳴らす。これ  
は一回でいいのだがせっかちな俺は2回も鳴らしてしまった。そのせいか  
わからないが、出てきたカレーくさいインド人のおばさんは機嫌が悪そう  
だ。3人2ベッドで $27。悪くない値段だ。部屋もなかなかきれいだし、  
電子レンジ、冷蔵庫まである。これは当たりらしい。テレビもケーブルテ  
レビが入る。 CNNニュースのあと、ジョディ・フォスター主演の「告発の  
行方」を見た。それから、俺は外で電話をした。アトランタの稲石のとこ  
ろにかけてみた。留守なのか、女性の声の留守電のメッセージが入ってい  
るのみだ。あきらめて田舎に電話をかけた。母と父と少し話をした。国際  
電話を意識しているせいか、向こうの方があわてていてすぐに切られた。  
まあ、慣れていないのでしょうがないか。11時過ぎに消灯就寝。今日は  
気分がすぐれず、ビールも飲む気がしない。洗濯もしなかった。明日(1  
1/11)まとめて洗おう。                      



1995年11月11日 Grand Canion〜Flag Staff           

 Frontier Motel 8:30出発。インターステート40を東へ100マイル  
程進み、Grand Canionへのジャンクションの手前のWilliamsという町のガ  
ソリンスタンドで休憩。今日も快晴である。この辺では、天気が悪いのは、 
よほど運が悪いか、日頃の行いが悪いかどちらからしい。1時間程でグラ  
キャンことGrand Canionに到着。素晴しい眺め。想像以上だ。日本人観光  
客もかなりいるみたいだ。ダーは、こんなところに来る日本人が嫌いらし  
く、「ほげ、ほげ」とか言って、そんな日本人に話しかけられても韓国人  
かなにかのまねをして逃げているらしい。まことに彼らしい。ここでおみ  
やげをしこたま買った。知佐子夫妻へのおみやげ、会社関係のおみやげ etc。
マーサビュー等をまわって、3時間以上ここにいた。ひろ子さんは、フィ  
ルムを巻取る前にカメラの蓋をあけてしまい、フィルム1本だめにした。  
あー、もったいない。でも俺がたくさん写真を撮っているから大丈夫。   
 3時過ぎ、Grand Canion出発。ちょっと長居をしすぎたらしい。ルート  
64をEASTへ。Flag Staffへ向かう。ルート89とのジャンクションでガ  
ソリンスタンドに寄る。今朝と同じ様にひろ子さんが、ガソリン入れ係り  
だ。俺はトイレを探す。外をうろうろしたが見つからない。と、休憩中の  
インディアン人種らしきグループに 「Inside,Inside」と教えてもらった。 
建物の中にあるらしい。用をたして車に戻ると、先程のインディアンが   
「Excuse me,sir」 とか言って寄ってきて「この先で、トラックが壊れて、 
電話をしなくてはならん。小銭をくれないか云々」と言ってきた。ダーは、 
「No coin,no maney」と言って追っ払った。たぶん、単なるこずかいせび  
りだとは思うが、本当に困っていたとしたら悪いことをした、と少し複雑  
な気持ちだった。                           
 俺が、「行きたい、行きたい」と言っていたアリゾナ大隕石孔のありか  
は、みつからず。時間もなかった。明日行くことにする。         
 Flag Staff 16:30到着。安そうなMOTEL発見。看板に$20と書いてある。  
怪しげな MOTELではある。今日は、ひろ子さんが交渉係だ。今日こそは、3 
ベッドを!ダーは、3日連続寝袋で寝ているのだ。今日の受付は、アラブ  
人だ。 $38 TAX込で3ベッド。案内してもらう。「スイートルームだ」と  
ダー。多少怪しげな宿ではあるが、今日も当たりの様だ。2部屋あるので  
1部屋をダーの部屋とする。これで彼も思う存分煙草が吸える。(いつも  
外に出て吸っているのだ)部屋と部屋の間のドアの鍵を間違って閉めてし  
まったが、先程のアラブ人に来てもらって開けてもらう。ついでにトイレ  
ルームが水浸しだったので、モップで拭きとってもらう。         
 先程のアラブ人に聞いておいたショッピングモールに買い物にいく。地  
図の通りに行ったのだが見つからない。「アラブ人にいっぱい食わされた  
か」とか言っていたが、単なる見落としだった。戻ってくる途中に見つかっ 
た。OK。買い物を済まして宿で夕食だ。今日は、豪華な食事だ。スーパー  
で冷凍食品を買ってきたのだ。久しぶりにハンバーガー以外の食事だ。米  
はインディカ米だが、いちおう、めしはめし。ビールもうまい。スチーム  
もついていて洗濯ものも乾く乾く。それと、絵葉書を秋本と西山さんの分  
を書く。明日ポストに入れてこよう。でも、着くのは日本に帰ってからな  
んだろうな。                             



1995年11月12日  Flag Staff〜Las Vegas            

 FINECREST MOTEL 8時半出発。前の晩は、近くを通る貨物列車の汽笛の  
音で時折目を覚ましたが、わりあいよく眠れた。朝食は、ひろ子さんがゆ  
うべ買ったワッフルを3人で分けて食べる。ハム、サラミ、チーズをのせ  
て電子レンジで暖めてサルサソースをつけて食べてみたら結構うまかった。 
チェックアウトは、オフィスのドアの所にある鍵受けに鍵を入れるだけで  
OKだ。宿代はすべて前金制なのだ。                   
 まず最初に俺が「行きたい、行きたい」と騒いでいたSUN SET CRATERに  
向かう。ルート89を昨日来た方向を逆に向かう。SUN SET CRATERの表示  
を発見。公園の入口のところには受付の人がいなかったので$4の料金は払  
わず、車で通過。最初にビジターセンターに行く。ここで、まずい25セ  
ントのコーヒーを飲む。俺は全部飲んだが、ダーは、途中で残りを捨てた  
らしい。ここでただの地図かなにかないか聞いて見たが、$4するというの  
でやめた。公園の奥のほうに行くと、火山の噴火のあとやクレーターなど  
が見れる所がある。そこの見学コースを3人でぶらぶら見て回った。溶岩  
のあとなどは、わかりやすかったが、クレーターはどれがクレーターなの  
かわからない。たぶん、この辺いったいがクレーターなのだろう。この土  
地も隕石が落ちてきたり、火山が噴火したり、よくよく運の悪い土地だと  
思う。期待した程の場所でなかったので、あまり納得のできぬまま、 SUN  
SET CRATERを後にする。目指すは、 LasVegasである。          
 途中、 KINGMANにたちよる。ガソリンの補給と胃袋への補給である。ガ  
ソリンスタンドのおやじは気さくでいろいろと話しかけてくる。よくわか  
らないが、てきとうに"Yes"とか"Yeah"とか相槌をうつ。「Grand Canion  
に行くのか?」と聞いている。もう昨日行ったのだが、"Yes"とか適当な  
ものである。ダーが「洗車はいくらか」と聞いた。"Thirty six dollers"  
とおやじ。"46?"と聞き返す。 36が46に聞こえてしまう。        
  KINGMANは有名なRoute66が一部残っているところの出発点である。現  
在残っているRoute66は、ここKINGMANからSELIGMANまでのルートである。  
我々は先を急いでいたのでInterState44を FLAGSTAFFからWILLIAMS、   
SELIGMAN、KINGMANと通ってきた(Route66は遠回りだったので使わなかっ  
た)                                 
 昼食はTACOBELLでタコスである。セットで頼んだが量が多い。俺の頼ん  
だNo.4のセットは4個のセットだが、1個残してしまった。あア日本の米  
の食事が恋しい。ガソリンスタンドのおやじにうまいステーキ屋を聞いた  
のだがみつけじまいだった。                      
 LAS VEGASには16:30頃到着。宿は、Town Lodge Motelに決定。ここはコイン
ランドリー付き。受付のおやじにバケツと洗剤を借り、車を3人で洗う。結構
キレイになった。おやじにカジノの場所を聞く。洗濯の後、3人でカジノに繰
り出す。$20〜$40くらいで軽く遊ぶ。俺はおなかが痛くなった。ひろ子
さんと一緒にカジノ内のレストランに入ったのだが、満足に食事がのどを通ら
ない。明日は6時起床だ。

☆メモ1: Town Lodge Motel 2bed 3adult $42 メキシカン(アジア系?)の
     受付のおじさんが親切
☆メモ2: Las Vegasでは、ちょうどCOMDEXをやっており、宿で受付のおじさ
     んに "Computer?"と聞かれた。訳もわからずに"Yes,yes."とか答え
     ていたがそうゆー事だったのか。



1995年11月13日  Las Vegas〜Los Angeles            


 俺は、5時半過ぎ起床。前日、シャワーを浴びなかったので、朝使おうと思
い早く起きた。しかし、目覚まし時計の音がうるさいと、ひろ子さん、ダーに
は不評だった。Las Vegas 7時過ぎ出発。目指すはBarstow。ダーのお薦めの
アウトレット店街がある都市である。InterState15を東進。どこまでもまっす
ぐなフリーウェイが続く。ときどき、車にひかれた小動物が道路にころがって
いる。それと、ブレーキをかけたタイヤの痕が道の外に出ているのがたくさん
ある。居眠り運転などは日常茶飯事なのだろう。             
 カリフォルニアとネバダの州境で検疫所があり、検疫官に"Do you have  
fruits?"と聞かれた。"No, we have no fruit."と答え、無事通過。他の車は
もっと詳しく調べられていたようだが、俺らは得体の知れない日本人なので、
こりゃ面倒だから通しちゃえというところか。              
 朝早くからのドライブが気持ちいい。予定どおり、10時 Barstow 到着。
高級ブランド品のアウトレット店がずらりと並ぶかなり大きなモール街だ。 
 ここで、俺は Levis のジーンズを2本(501の色違い)とGジャン、CD
2枚とCOACHのバッグ、手袋、財布を買った。B級品ではあるが、日本での値段
の1/4ぐらいであり、かなり安い。このモール街でも日本人を見かけた。 
(若い女の子のグループ)グランドキャニオンといい、日本人はどこにでもい
る感じである。ひろ子さんも「安い、安い」とか言って、COACHの店でたくさん
買い込んでいた。確かに日本でバッグ1個買える金額で5個も6個も買えるの
だから、ひろ子さんが狂喜するのも無理はない。             
 俺は思うのだが(皆も同じように思うに違いない)、日本は物価が高すぎる。
 お昼は、IN"N OUTでハンバーガー。ここは混んでいる。かなり待たされた。
しかし、ハンバーガーはうんざりだ。おえっ。ダーにはぜいたくだと言われる。
 4時頃 Los Angeles の街に入る。ずーっとアリゾナやネバダ、カリフォルニ
アの田舎をまわっていたので、都会が新鮮に感じる。真っ先にレンタカーの 
Hertzに行き、3日間のレンタル延長を申し込む。ダーの英語はかなりBrokenだ
が、おもしろいように通じる。やはり実践的英語はつおい。見習わなくては。
 L.A.の街で宿を捜す。途中、Suplveda通りで吉野やの牛丼を発見。よろこび
勇んで入る。Beef Bawlの大盛り&Japanese pickles(漬け物)&Miso soup 
(みそ汁)をたのむ。味は少しかわっているが、確かに牛丼である。食後、お
茶を頼んだが、ティーパックの緑茶でがっかりした。           
 久々に米の飯を食ったお兄ちゃんは元気が戻った。宿探しにも力が入る。 
20:00頃ようやく Santa Monica で$42の宿を見つける。 なかなかきれいな
MOTELである。                             
 宿が決まったところで、日本に電話をする。人気の少ない通りの公衆電話か
らかけたので、少しびくびくしながらダイヤルする。会社の西山さんとやっと
話ができた。仕事では特に大きな問題は起きていないようだ。よかった。また
明日電話すると約束する。明日は少し寝坊ができそうだ。         

このコーナーは 07年08月28日14:52に更新されました