hirotoの生活と意見 - タイ王国生活編
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■ タイ王国生活編について
実は、2020年4月にタイへの異動が決まっていたのですが、ご存じのとおり新型コロナの流行で3月からタイへのビザの発行が停止され、私の人事異動はいったん撤回になりました。私のみならず、私の属する会社の社員の海外への異動辞令もいったん撤回されました。
その後、中国や欧米への異動は徐々に発令されていましたが、私の異動については、すなわちタイへの異動辞令は、タイへの航空便もしばらく途絶え、またビザの発給もずっと停止されていたこともあり、半年以上棚上げとなっていましたが、10月にノンイミグラント・ビザの発給が再開され、フライトの予約もぼつぼつ可能となってきたことからあらためて異動の運びとなりました。それにあわせて、この日記(不定期ですが)も再開することにし、タイトルも「タイ王国生活編」としました。そういえば、思い返すとこの日記を始めたのは2005年、韓国駐在を始めた頃でした。
ちなみに私の海外での生活は、アメリカ、台湾、韓国に続いて4か国目になります。現時点では通算9年ですが、タイにいる間に2桁の年数になる予定です。
相変わらずの生活雑記ですが、今後ともよろしくお願いいたします。
2021年12月31日(金)
12月29日から年休をとって、29日は大掃除。ホテルなのでいちおう部屋の掃除はしてくれるのだが、通り一辺倒なので細かいところは自分で掃除しなければならない。で、29日は3時間近くかけて部屋の掃除やらエアコンのフィルタの掃除やらをしていた。
30日は買物。お雑煮の材料である大根、ニンジン、干ししいたけ、鶏肉などを購入。
で、31日の本日はとくにやることはない。例年やっている六壬による来年(すなわち2022年)の測局のページの作成とためていた日記の作成、および依頼されている占いを並行してやることとする。せっかくの大晦日だが一日中PCの前にすわっている。
夕方になりお風呂、そのあと実家に電話して両親にあいさつ。両親とも80歳をとうに超えているのだが、二人とも元気そうであった。ただ何かあったときに帰れない(14日間の隔離が必要なので)のはちょっとつらいところである。まあそういう世の中なのでしょうがないといえばしょうがないのだが。
電話のあと、PCに保存していたベートーベンの第九を再生、指揮者はブルノー・ワルターでかなり古い録音だが、聴いているうちに年末だということを実感してきた。やはり年末は第九だな。ちなみに正月はヨハン・シュトラウスだ。
かみさんとは8時ごろ電話。そのあとは眠くなり就寝。
というところで午前0時ごろ、外の花火の音で目がさめる。起きて外をみるとあちこちで花火が上がっている。残念ながら寝ぼけていたので写真は撮れませんでした。あしからず。でも日本の花火に比べればさほど立派な花火ではなかった。でも昨年はそれもできなかったので、まあよかったのではないでしょうか。
花火を見続けるより睡魔の方が強く、すぐにまた寝入る。
2021年12月11日(土)
11月13日に続けてバンコクネタとなる。
実は11月中旬から仕事が忙しく、土日はほとんど自宅で仕事をしているか、四柱推命の鑑定をしているかだった。もちろん一日中部屋に閉じこもっているわけではなく、適当に買物に出たり、ジョギングしたりということはしていたのだが、基本的にはアパート(ホテル)から半径1.5km以内で休日を過ごしていたのである。
仕事も一段落したので(と感じているのは私だけか?)バンコクのホテルを予約して久しぶりに休むことにした、なお、昨日10日はタイの憲法記念日で休日だったが自宅(ホテル)で仕事をしていた。
せっかくなので、今回は買物と両替が主な目的だった前回とは違い、少しばかりバンコク観光のまねごとをするつもりである。
前回と同様バンコク行きは運転手にお願いして7時半に迎えにきてもらう。
今日の目的地はワット・プラケオ(王宮)。タイの最強の観光名所である。新型コロナで外国人観光客の少なくなっている今がねらい目であろう。人も少なく時間をかけてみることができる。
予想通り車も少なく10時すぎに到着。ワット・プラケオは改装中で入口がよくわからなかったが何とかたどりつき、観光客も少なくすぐに入ることができた。中に入ってその先に外国人用のチケット売場があり(タイ人は無料)、そこで500バーツを支払ってから入場。
王宮というだけあって広いし建物が入り組んでいて同じような場所を右往左往していた。ワット・プラケオの写真はネット上にたくさんあるので、あまりないアングルの写真を一枚。
1時間半ぐらいみてから、次にワット・ポーに向かう。歩いてすぐだと思っていたが、意外と距離があって20分ぐらい歩いた。ワット・ポーを訳せば菩提寺ということになるが、正式名称はえらく長い。ここは涅槃仏で有名であり、写真も多くあるので写真は省略。説明もネットを参照ください。
1時間ぐらい見て回ったところで寺を出る。歩いて地下鉄のサナムチャイ駅に行き、地下鉄でサラディーン駅へ、そこからBTSのシーロム駅に乗り換えである。地下鉄とBTSで駅名が違うので要注意。乗り換えもいったん外に出てどっちにいくのか迷うが、スマホの地図を見ながら無事にシーロム駅でBTSに乗る。のどが渇いたので乗る前にコンビニに寄ってジュースを一口飲む。なおBTSでは飲食禁止。
いったんサイアムで降りてセントラルワールドの紀伊国屋書店に寄ってみる。ここは日本語の本はあるが趣味の本や子供の本がメインで一般の書籍はあまりない。もちろんタイ語の本や洋書はあるが。
で、再びBTSでプロムポン駅に行き、エムクォーティエの紀伊国屋書店に行く。買ったのは『21 Lessons』(Y.N.ハラリ著)、『世界と日本経済大予測2022-23』(渡邉哲也著)の2冊。ハラリの方は文庫版では初版、まあなるべく厚い本の方が長く読めると思い購入。書き方が独特で難解なので(内容が難解でなくても)おそらく読み終わるまで時間がかかるだろう。後者はまああまり悩まずに読めるので疲れたときにはいいかもしれない。
そのあとフジスーパーに寄って石鹸とヘアトニックを購入。石鹸はかねて探していた「柿渋」。前来たときには買うのを忘れていて購入した。ヘアトニックはルシード。ちょうどなくなる寸前に買えてよかった。ところで台湾や韓国に駐在していたときもヘアトニックは日本製を使っていた。そもそも海外に無香料のヘアトニックがほとんど見当たらない。たぶんサクセスとか輸入したら日本人に売れると思うが。
そのあとBTSでナナ駅に行き、徒歩でホテルへ。今日のホテルはソフィテル・スクンビット。海外の観光客には人気のホテルのようで、チェックインも20分待った。とくにヨーロッパ人が多い。一つの理由はプールがあることであろう。チェックインを終えて部屋に向かうときにプールのある階で乗り降りする人が結構いた。
ホテルは1500バーツとやや高め(朝食なし)。部屋はまあ普通の二人部屋だが、一人には広すぎる。当然日本のビジネスホテルよりも格段に広い。
しばし部屋で休憩。4時すぎにホテルを出て居酒屋を探す。今日はいくつかめぼしをつけて歩いたのだが、結局ホテルからそう遠くない店にした。例によってビールと冷奴、おすすめの鯛の薄造りをいただいた。ただ真鯛ではないような気がする。鯛の一種かもしれないが。あとだし巻きとゲソをもらい、さらに日本酒を2合ほど。
カウンターで飲んでいたのだが、私だけかと思いきや、後からうら若き女性が2名ほど次々と入ってきて別室に向かっていった。男性の日本語が聞こえるので駐在員とどこかのおねえさんの飲み会であろう。まあ私も若いころはそういうことをしていたので気持ちはよくわかる。が、このコロナ下で大丈夫か?
2時間ほど飲んで会計をしてもらうと2千バーツほど。まあタイでは普通の値段、安くはないが高くもない。チップを2百バーツほどおいて店をでる。
ホテルに戻る途中にワトソンズがあったのでマルチビタミンとアセロラ(たぶんビタミンC)を購入。さらにコンビニで酒とピーナツを買って戻る。
部屋で買ってきた本(渡邉氏の本)を読みながら酒を飲んでいるとかみさんからLINE電話。今日の報告と世間話をして電話を切る。9時前だったが、歩き回って疲れてたせいかすぐに就寝。
翌朝は6時ごろ起き出してシャワーを浴び、本を読みながら昨夜買ったコーヒーとクロワッサンで朝食。
会社の運転手に10時に迎えにきてもらって昼過ぎにはラヨーンに帰り着く。
2021年11月13日(土)
今月からバンコクは海外の観光客を解禁したのだが、店で酒が飲めるようになったと聞いて、11月2日にバンコクのホテルを予約した。そして今日バンコクの市街地に行くことになったのである。(パチパチ)
これまでタイには何度も来ているが、空港と工場(ラヨーン)の間しか行き来したことがなく、バンコクの市街地に行ったこともなければ泊まったこともなかった。すなわち生まれて初めてのバンコクである。(空港を除く)
バンコクには会社の運転手に頼んで連れていってもらうことにした。運転手は基本的にタイ語しかしゃべらないので、タイ語で日程を説明、7時半にホテルに来てもらい、バンコクのBTSプロムポン駅までをお願いした。ちなみにタイ語ではバンコクはクルンテープと言う。詳しくはネットで調べてみてください。
7時半にラヨーンを出発。事前に調べたとおり土曜日の朝方は道路は比較的すいている。それでも2時間以上かかってバンコクの市街地に到着。市街地も土曜日の朝はさほど混んでいない。BTSのプロムポン駅のところで下してもらう。運転手には明日朝10時にホテルに来るようにお願いしてから別れる。
車を降りたのは10時前だった。予想よりだいぶ早く着いた。とくにやることもなくいったんプロムポン駅前にあるベンチャシリ公園でしばし休憩。2時間以上車に乗っていただけなのだが、まあ休みは必要。そして公園を散歩、というほど広い公園ではないが。
公園を出て通りをあるいてスクムビット通りをプラカノン駅に向かって歩く。日本の地下鉄だと1駅徒歩15~20分ぐらいで着くが、地図でみると2.5km以上あって30分かかった。さすがに歩くのはだるいのでBTSに乗りナナ駅に行く。
今日の目的の一つはタイバーツを日本円に両替することである。タイに来て給料をもらって10か月になるが、結構タイバーツがたまっていて、レートのいい今のうちに日本円にしようという算段。今日のレートは1万円=2950バーツ、まあまあである。タイバーツを日本円〇万円に両替する。
そのあとBTSでプロムポン駅に戻り駅前にあるデパート「エムクォーティエ」に行く。今日の二つめの目的は紀伊国屋書店に行き日本語の本を買うことである。さんざん迷ったあげく買ったのは3冊。「タイ語のことわざ慣用句」(シリラック他著)、「スピリチュアルズ」(橘玲著)、「経済学の宇宙」(岩井克人著)。読むのに時間がかかりそうな本を選んだ。
ここまでで1時。次に駅の向かいのデパート「エムポリアル」に行ってみる。まずはトイレに行き、中を一通りみたがまああまり買いたいものというか、私とは縁がなさそうだった。
なおプロムポン駅はまだ開発途上で駅近くにまた何かできるようである。ネットでみると「エムスフェア」という商業施設がさらにできるようだ。写真はその工事中の様子。その周辺でもタワークレーンが見え、あちこちで高層ビルの建築を行っていることがわかる。
チェックインは3時でまだ時間はあるが、早めのチェックインができるか、試しにホテルに行ってみることにする。
今日の泊まりはホリディ・イン・スクムビットで1泊1300バーツ(朝食なし)、日本円で5千円ぐらい。チェックイン可能ということでホテルでしばし休憩。昼食もとらず歩き回っていたので少々疲れた。空腹だが夕食にとっておこう。
4時前にホテルを出て、プロムポン駅近くのフジ・スーパー1号店に行く。バンコクでは有名な日本人向けのスーパーで、さほど広くはなくまあ日本の田舎のスーパーという感じ。しかしラヨーンでは手に入らないものもあって(それでもシラチャでは手に入るものが多いが)ヒガシマルのうどんスープやらS&Bのスパゲッティソースからし明太子やらいりごまやら永谷園の松茸の味お吸い物やらを購入。松茸の味お吸い物もスパゲッティに使う予定。
そのあと日本の本を売っている古本屋2軒をのぞき、それから本日の夕食の場所をさがす。コロナの影響で店が開いているかどうかわからないので、とにかく歩いて適当な店をさがすことにしたのだが、結局疲れていてホテルに近い堅蔵水産に入った。ここでビールとげそ揚げ、小エビのから揚げ、刺身3点盛、ぶりかまを注文。なお写真はぶりかまが来る前のもの。タイではあまり魚を食べていないので、こういう注文となった。味はまあまあ普通の居酒屋の味。ビールの後は日本酒。日本酒も久しぶりでおいしく感じた。ビールを飲んだら腹いっぱいになり、ぶりかまやげそ揚げは全部は食べられなかった。非常にもったいないことをした。
勘定をしてから途中コンビニでウォッカのカクテルを買ってホテルにもどる。時間は早くて7時半ぐらい。飲みながら本を読んでいるとかみさんからLINE電話。今日のことを話してから9時ごろ就寝。
なお、翌朝は10時にホテルをチェックアウト、運転手が迎えに来てくれて、無事12時半ごろラヨーンに帰り着いた。10時チェックアウトにしたのは11時からバンコク市内の道路が混むからである。
2021年11月1日(月)
備忘のため1行だけ。父は朝方無事退院したとのこと。
2021年10月19日(火)
日記という体裁ではないが、後々の備忘のために書く。
過去には書いていないと思うが、実父は齢86歳であり、今年尿管がんが見つかった。大きさからして今年始まったものではなく、数年(ひょっとして十数年)前からあったものだという。医者の話では。
で、今年の初夏から抗がん剤治療をしていた。この治療は、がんを小さくするものではなく、当面コロナのため手術ができないということで、がんの進行や転移を抑えるための治療だとのこと。
ネット上のさまざまな情報を見た結果、抗がん剤よりもさっさと尿管を切った方が(ただし腎臓も一緒に切ることになる)早いと思い、早くから手術をするよう親にはすすめていた。
で、今日が手術の日とあいなったのである。幸い今日は在宅勤務の日で朝からホテル(サービスアパートメント)にいる。手術については、母親が病院に行って待機しており、何かあればかみさんを通じて連絡が来る予定である。
仕事はまあ在宅でいつもどおり。ただ連絡がいつ来るかもしれないので、PCの横に私用と会社用のスマホを並べて置き、いつでもとれるようにした。もっとも夕方まで何の連絡はなかったが。
夕方かみさんから連絡があり、無事終わったとの由。腹腔鏡手術だったのだが、最後に腎臓を取り出すため、結構大きく切開したらしい。また尿管がんにしては組織が堅すぎるような気がするということで医者が早々に生検に出したとのこと。
まあひとまず無事終了して何よりであった。
実は本件については、六壬で事前に見ていたのであるが、それについてはそのうちHPにアップしたい。ここではその内容は差し控える。
後は退院なのだが、おそらくは10日後ぐらいであろう。そのとき元気に病院を出られるかが気になるところだ。まあタイにいてはどうしようもないのであるが。
ということで、いろいろあったが、私自身にとっては(心配はしたものの)平穏な1日が終わる。
2021年10月2日(土)
またまた久しぶりの日記である。
タイのコロナの新規感染者は減少傾向にはあるものの、日本ほどの減り方の速さはなく、一進一退しながら徐々に減っているという感じである。9月中頃にはタイも非常事態宣言が10月にも解除になるのではないかといううわさがあったが、9月が終わる直前に非常事態宣言は11月末まで延長された。もっともこれは反政府デモを規制するためだとのうわさもある。なお、ラヨーン県について言えば、新規感染者は全く減る気配がない。おそらくワクチン接種が進んでいないことと防疫対策が十分でないことによるのだろう。
しかしながら、3か月以上もホテルに籠った生活にはさすがに飽きた。非常事態宣言継続で遠出はできないので、街歩きに出かけることにする。ホテルからはちょっと遠いが、以前から気になっていたラヨーンの官庁を見に行くことにする。
朝は6時すぎに起き出し、7時すぎに朝食ととって、歯を磨いたり洗濯物をたたんだり雑事をすませてからネットを見たりして過ごす。
10時ごろホテルを出発、一路西に向かう。ワット・ノーンサノム(日本語に訳せば側室の沼の寺)の前を通り、さらに歩いてラヨーン県事務所(タイ語から翻訳すれば管理機関、写真右)に到着。ここからしばらく官庁が続く。
写真を見るとわかるように官庁なのにりっぱな木々というよりも林を有している。もともとはこの一帯は森だったのかもしれない。
官庁の名前はGoogle Mapなどで見てもらうとして、それから20分ほど歩いて、最後にラヨーン第2級裁判所(写真左)で今回の散歩は終了。この裁判所の建物はかなり立派で、チョンブリの方からスクームビット通りを東に向かって進み、ラヨーン市街に入るところでこの建物が見える。それまであまり高い建物がないので、かなり目立つ建物である。これを見るとラヨーン市に入ったなと思うのである。
写真を見てもらうとわかるが、天気はやや曇りだが気温はそれなりに高く(天気予報によると33℃ぐらい)、官庁のあたりまで来るまでは汗だくで、持っていたタオルで何度も汗をぬぐったのであるが、この辺は風が通って心地いい。もちろん木々の陰を歩いているせいもあるだろうが、海から吹いてくる風が森を抜けて涼しい風になったのであろう。歩いていても全然汗をかかないし、むしろ汗が引っ込んでしまった。体感的には5度以上下がった感じだ。
一通り官庁を見て回って、もっとも気にいったのは写真右の地方電力公社ラヨーン支所の隣の林である。何となく神社の杜っぽくていい感じがする。実は会社に行くときにこの前を通るのだが、通るときも何となく心が落ち着く。そこにちょっと高めの、割と幹がまっすぐの樹木があるのだが、ひょっとするとそれはご神木なのかもしれない。
それにしても、さすがお役所というか、役場をいい場所に作っている。タイの役人の「えらさ」をあらためて感じるのであった。
第2級裁判所のところでUターン、ラヨーン市街へと戻る。市街へ戻る道はまた木陰もなく、再び汗をかきながら歩いた。途中さすがに汗をかきすぎたのでコンビニによってソルティライチドリンクを買って飲みながらホテルに戻る。
ホテルには12時半到着。当然汗だくなのでシャワーを浴びて、濡れた衣類は洗濯。洗濯物を干したあとはビールを飲んでちょっとお昼寝。起きたら4時すぎだった。それからとくに何をするでもなく、再びビールを飲み、さらにブランデーのごく薄い水割りを飲み、だらだらテレビを見ているうちに、かみさんから電話があり、しばらく話をする。
運動不足のせいか、たった2時間程度歩いただけで、しかも昼寝もしたというのに、いいかげん眠くなり就寝。8時すぎ。
2021年9月7日(火)
久しぶりに日記を書く。
実際のところ、このところ会社と近くのスーパーに行く以外は全く外出していない。それ以外はホテルの敷地内で過ごしている。しかもホテルのプールもフィットネスも閉鎖中で、健康維持のためにホテルの敷地内をジョギングするか、部屋でたまにラジオ体操をするぐらいだ。
ところで、6日(月)にシラチャにあるサミティベート病院からコロナワクチン2回目接種(ファイザー)のメールが来た。7日午前11時からとのこと。
そういえば1回目の話を書いていないが、1回目は8月17日(火)であった。もともと日本政府の在タイ日本人向けのワクチンプログラムに申し込み、申し込んだときはアストラゼネカのはずだったが、病院から、ファイザーがあるのでもしすぐに来れるならファイザーを打ちますよ、との話を受けて、じゃあファイザーでお願いします、となったのである。すなわち偶然(たまたま)なのである。ちなみに私の同僚の日本人はアストラゼネカである。
それはさておき、朝出勤してから問診表を記入して、会社の車でシラチャに行く。途中渋滞してるかもしれないと思い早目に会社を出たら、10時半には病院に着いてしまった。外で待っていてもしょうがないので、会場に行き整理券1番をもらいぼーっと待っていた。
待っている間に会社から電話がかかってきて、工場で新型コロナ陽性者が出たとのこと。とりあえず対応は現場責任者に任せて、私はとりあえずワクチンに専念。
11時になり日本人の1番目としてワクチンを接種。接種の前にファイザーであることを念押しして打ってもらう。痛みもなく無事終了。30分ほど待機して病院を出る。11時40分ごろ。
会社には1時前に戻り、工場の陽性者の続報を受ける。とりあえず明朝職場のクリーニングを行って操業再開ということになったが、結局その番は濃厚接触者が多いので、生産体制を組み替えることとした。
そんなこんなで午後はすぎ、5時に会社を出る。会社を出る前から注射のあとが痛み出した。ちょっとやばいかなと思いながら帰宅。夜は普通に酒をのみつまみを食べ、またかみさんにワクチン接種の報告をしてから、早く寝ることにした。9時前。
しかし夜中に腕の痛みで目がさめ、寝返りが打てないのでその後は寝たり起きたり。
朝ちょっと微熱を感じるので体温を測ると37度を越えている。何度か測りなおしたが同じ。まさか前日の酒のせいではないだろうが、ともかく37.5度を越えているので会社に入れない。というわけで本日は休みとする。
そのあとはドアに「DO NOT DISTURB」の札を掛けて寝ることに。もっとも腕が痛いのであまりよく寝られない。そのうちだるさも出てくる。ネットでみると若いほど副反応がひどいらしい。そういえばうちのかみさんはファイザーをすでに打っているが、副反応は何もなかったとのこと。かみさんよりも身体はちょっと若いのかもしれない。
ということで、9月8日(水)は何もせず。幸い腕の痛みは軽くなってきたので夜は比較的眠れた。
なお、9月9日(木)は朝から普通に戻り、腕の痛みもなくなった。
2021年8月〇〇日(〇)
たぶんこの日記に書いたことはないと思うが、実は今日は私の誕生日である。〇〇回目の誕生日だ。タイで今年の誕生日を迎えることになったのだが、コロナがなければ日本に帰国していたところである。まあしょうがない、何かのめぐりあわせだろう。
もちろんタイでもコロナの感染の広がりはとどまるところをしらず、今日は新規陽性者数は過去最高ではなかったものの、人口比にすれば日本の倍である。
ラヨーンは朝から激しい雨、日本のように長雨とはならず夕方にはやんだ。タイは今雨季のはずだが久しぶりの本格的な雨という感じである。というわけで外出もせず、ずっとホテル(サービスアパートメント)の部屋に籠りっきりである。何をやることもなく、ちょっと仕事をしたり、思索にふけったり、テレビをみたり、昼寝をしたり、何だか無意味な誕生日となりそう。
一応ホテルなので、日本のテレビを見ることができる。で、コロナの日本の状況を見ながら、ふと「OKY」という言葉を思い出した。今はあまり使われなくなったようだが、20年ぐらい前には海外駐在員の間ではよく言われた言葉である。私も台湾、韓国駐在時代に聞いた言葉である。もうそれから20年たつのかと思うとちょっと感慨にひたるところもあるが。まあ興味のある方はネットで調べてみてください。
それで、私などはコロナ対応の医者が「OKY」と言いたくなるような状況だと思うのだが、「コロナ、OKY」でネット検索してもそういう話は出てこない。医師の方々は、私と違って倫理観の高い方々なのだろうなあとあらためて感心する次第。単に海外駐在員の隠語は知らないだけかもしれないけどね。
ちなみに「OKI」という言葉もあるがこれはいただけない。「OKI」というんだったら早く日本に帰してくれと言いたくなることもある。もっとも、(事業が順調なときは)海外にいた方が楽なのは確かである。すみません、ちょっと愚痴でした。
夕方、かみさんや実家から電話がある。また父はいま入院中であるが、父からも電話があった。ありがたいことである。もう父もいい年だし、私の誕生日を覚えていてくれるだけでもありがたい。
夜に入り雨もやんで徐々に静かになってきた。ラヨーンはいま9時以降は外出禁止なので、夜はほんとに静かである。
誕生日だというのに淡々と一日が終わっていく。少し寂しい気もするが、まあ皆無事でそれぞれの日々を平穏に(平穏という言葉は適切ではないかもしれないが)過ごしていると思えば、いい一日だったと言えるのかもしれない。
と思っていたら、突然部屋の呼び出しベルがなる。「何だろう、こんな時間に(もう7時半だ)」と思ってドアを開けたら、ケーキを持ったホテルのレストランの従業員とホテルマン2人が立っていて、私の顔を見るなり、「Happy Birthday to You」などと歌いだすのでちょっと驚き、いやちょっとではないな。もう誕生日がめでたいという歳でもないが、それでもやっぱりうれしかった。ホテルの気遣いに感謝、感謝である。
ホテルの方々は歌い終わって戻っていった。私はケーキを写真にとり(大きさがわかるようにスマホを横に置いた)、かみさんにLINEで送ったあと、8分の1ほどいただく。普段あまり甘いものを食べないので、それでもうお腹いっぱい。
誕生日も終わろうかというときになって、心が温まった感じ。このことをかみさんに報告してからベッドに入る。
最後にいい一日だったと思わせてもらったが、ただ、明日も仕事かと思うとちょっと憂鬱だ、やっぱり。
2021年7月25日(日)
朝4時前に目が覚め、そのあとはベッドの中で数独をやったり、疲れてうとうとしていたりで、結局6時前まで2時間ほどベッドでごろごろしていた。
ベッドから抜け出し、朝ネットをチェック。最近朝方にタイの新規感染者が発表されるので、毎日チェックしている。そのあと、6時45分ごろホテルのレストランで朝食。休みの日はだいたい6時45分ごろ朝食をとるのだが、最近はその時間に人がいることはあまりない。以前は人がいたのだが、たぶんゴルフ場も閉めはじめているので、以前はゴルフ前に食事をとっていた人が、今は早起きしていないのであろう。ちなみに隣の部屋の日本人駐在員も最近は休日は部屋にいるようである。
まあそれはともかくとして、朝食の後部屋に戻ってタイのコロナの状況を確認すると、新規陽性者が1万5千人を超えている。前日から千人ほど増加。死者は129人で日本人も1人死亡とのこと。このところの増加スピードは普通ではないですね。私のいるラヨーン県も300人を超えて、過去最高ではないものの増加傾向。というわけで、今日も一日ホテルから出ないことにする。
実は今日はカオパンサー(入安居)という僧侶の修行の開始日で、コロナでなければお寺に行ってみようかと思っていたのだが、外出自粛中なのでやめておいてホテルに籠っていた。禁酒日なので店に行っても酒は売っていないので、買物をする理由もない。
で、一日中PCの前に座り「玉照定真経」の翻訳に取り組む。これが意外と進まないのだが、とりあえず15時ごろ訳が終わったのでアップロードする。久しぶりにHPの記事を追加した。
昼は近くのスーパーで買った韓国のインスタントラーメン「ノグリ」を食べる。何か韓国で食べていたときと味が変わっているような気がするが気のせいか。
16時すぎにかみさんからLINE。うちの実家(今かみさんは鹿児島にいる)にうなぎを買って今食べているとの電話。土用丑の日はまだ先だと思うが、まあ明日東京に戻るということで、今回の滞在の最後の夕食というところか。
その後久しぶりにバスタブにお湯をためてゆっくりと風呂に入る。といっても30分ほど。
風呂から出てビールを飲みながらNHKニュースを見るが、放映権の関係でオリンピックの動画はなく、すべて古い写真のみ。見ててもしょうがないので、テレビを見るのはやめて、ネットでニュースを見る。ビールは久しぶりにバドワイザーを飲んだが、何だかタイのビールよりおいしく感じられた。
その後ウォッカを飲みながらネットを見てダラダラ過ごし、9時ごろ就寝。
明日は在宅勤務。それにしてもこのコロナ騒ぎはいつ収束するのか、またいつ日本に一時帰国できるのか、不安ということはないが、ちょっと落ち着かない気分である。
2021年7月3日(土)
一か月ぶりの日記となる。この間何をしていたかといえば、何もしていない。というのも、6月からタイでも再びコロナが蔓延し、平日は在宅勤務と出勤を併用してなるべく社員との接触を避け、また休日は日用品の買物(ほとんど酒とつまみだが)以外の外出はしなかった。ただ5月からジョギングを始めるようになって、休みの日はもっぱら人のいない公園で1時間半ほど走ったり遊具を使った運動をしている。あとはHPのネタ作り。
昨夜はかみさんとLINE電話をしたあと9時前に就寝。早く寝すぎたせいか、11時、1時、3時、4時半、と何度も途中覚醒した。またちょっと暑いとエアコンをかけて、少し寒くなると切るということを無意識のうちにやっていたようなので、ほとんど熟睡していない。(9時~11時は熟睡していたかもしれないが)で、少し頭が痛い中、5時半に起き出す。
朝食をとるまえに6月分の家計簿をつける。家計簿といっても銀行やクレジットカードの引き落としの確認であるが、6月は幸いボーナスが入ったので大幅黒字である。またタイでも上に書いたようにほとんどお金を使うことがないのでやはり黒字である。このご時世でありがたいことではある。
朝食をとったあと、タイのニュースを確認。ついひと月前は2千人だった新規感染者が6千人を超えるようになってきている。とくにバンコクは多いが、私のいるラヨーンも増えており、この1か月で新規感染者数が1日10人程度から50人以上と過去最高を記録している。この分だとまた生活必需品以外の店は閉まることになるのではなかろうか。
昼前に本日のコロナ新規感染者の発表があり、昨日同様6千人超えであった。ラヨーンはさらに増えて69人と過去最高を更新。衛生状態や医療水準等が異なるのでインドのようなことにはならないとは思うが心配である。隣県では工場閉鎖命令も出ているようだ。
そんな中でプーケット島では観光客受け入れが始まった。果たして感染爆発は抑えられるのか注目である。
昼は買っておいたカップめん(日清シーフードヌードル)を食べて、14時から近くの公園(日本語に訳すとコート廟公園、コートの意味は不明)に運動をしに出かける。外は33℃の快晴。ただ公園は木陰が多く、木陰にいる限りは風もあって涼しく過ごせる。公園の周囲を軽くジョギング。始めは私一人だったが、3時ごろから2人のおじさんが来てやはりジョギング。その他はスケボーの練習をする子供や大人、ペタンクに興じる大人など。普段は寂しい公園だが今日はそれなりに人がいる(それほど多くはない)。
左の写真はジョギングコースとしている道路で樹木のおかげで直射日光を浴びなくてすむ。
3時半ごろジョギングや運動をやめて汗が引くのをまって4時ごろホテルに戻る。
シャワーを浴びて、洗濯をしながらビールとウォッカのソーダ割を飲む。
5時から(タイと日本の時差は2時間)池上さんのニュース解説番組を見る。池上さんの解説は相変わらず信頼感がある。これは私がNHKの「週間子どもニュース」を見ていたときと変わらない。もちろん「ん?」と思うこともなくはないが、例えば私の知っている国についても変な色をつけず(右寄りでも左寄りでもなく)、わかりやすく解説するできるのはやはり能力もさることながら人柄だろう。
7時半ごろかみさんとLINE電話。電話代がかからないので毎日電話が来る。まあお互い一人暮らしなのでまめに無事を確認することは大事だと思う。
昨夜は十分に睡眠をとれなかったので、8時すぎには就寝。一応運動をしたせいか、1時ぐらいまではよく寝られた。
2021年6月5日(土)
朝4時前に目が覚めてしまい、それから寝られずにベッドの中で数独などをして時間を過ごす。起き出したのは5時すぎ。
今日は何を隠そうかみさんの誕生日なのである。ちなみに世界的なピアニストであるアルゲリッチの誕生日でもある。というのはかみさんから聞いた話。
ところで、先日の6月3日(木)の王妃誕生日の夕方、髪を切っている最中(自分で散髪)はさみで左中指を軽く切ってしまい、あわてて救急ばんそうこう(日本ではいろいろな呼び方があるが私はカットバンと言っている。ただし使っているのはニッコーバン)を貼って止血したのだが、何回か貼り替えているうちに日本から持ってきたものの在庫がなくなってきた。結構何枚ももってきたのだが一度ケガをすると何回も貼り替えるので、あっという間になくなってきたというわけである。
「カットバン、タイ」でネット検索すると「いいものはないので日本から持参することをすすめる」ととあるHPに書かれてある(ちょっと古い記事である)。そんなはずはなかろう、と思い「タイ、バンドエイド」で検索すると、3Mの「Nexcare」が紹介されていた。ただ別のサイトには、Nexcareは2020年販売中止とあったので果たして買えるのかどうかわからない。まあ買物のついでに探してみましょう。救急ばんそうこうなので薬局に行くまでもなく、おそらくコンビニやスーパーに売っているはず。
今回検索してわかったのだが、ネットで「タイ、薬、おすすめ」で探してもなかなか救急ばんそうこうは探せないものである。それでカットバンとかバンドエイドなどと検索ワードを変えてみたのだ。
ちなみに、カットバンは私の出身地鹿児島では一般的だが、九州沖縄ではリバテープと呼ばれることが多い。かみさんも鹿児島出身だがリバテープと言っている。東京など関東圏はバンドエイドである。なお北海道ではサビオ(もとはスウェーデンの会社のブランド名)と呼ばれるらしい。なおサビオは現在北海道でしか売っていないそうである。
ということで、昼頃BigC(スーパーマーケット)に行ってみた。買物の目的はカットバンもさることながら、会社の制服(工場なので下はデニムである)用のベルトを買うのが主な目的。日本から持ってきたベルトが汗のせいか早くも傷んでしまったのである。
ベルトを物色してまあまあのもの(199バーツ)を見つけたあと、カットバンを探す。薬のコーナーに行くとすぐに見つかった。販売中止と書いてあったNexcareも売っていたが、Tensoplasticを購入。写真左参照。表から見るとタイ製かどうかわからないが、箱の裏はしっかりタイ語で書かれている。元々どこの製品かは知らない。製造年月をみると2018年9月でだいぶ古いが、一応5年間は使えるとのことなのでまあ大丈夫だろう。でも日本で新しいのを買った方が安心かもしれない。
その他ビールやつまみなどを買って帰宅。途中はあまり感じなかったが、いざ部屋に戻りシャツを脱ぐと、シャツや下着は汗でびっしょり。洗濯物がまだ溜まっていないのでとりあえずは干して乾かす。洗濯は明日する予定。
その後はHPのネタ作りと日記の整理。
夕方、久しぶりにバスタブにお湯をはって風呂に入る。風呂上りにはビール。小腹がすいたので、インスタントのクラムチャウダーを食べる。
朝4時前から起きていたので、さすがに眠くなりうとうとしていたら、かみさんからLINE電話。誕生日なのだが、たんたん(淡々)とした一日だったらしい。明日はピアノの発表会なので、と早々に電話は終了。私も眠かったのでちょうどよかった。
8時半にはベッドに入り就寝。
2021年5月26日(水)
今日は仏誕節(ウィサーカブーチャー)というタイの祝日である。タイの陰暦である6月15日が仏誕節になるそうである。中国や日本の陰暦では4月15日になる。日付は陰暦なので同じだが月が2か月ずれるのはなぜだろうか?タイの暦法については詳しくないのでよくわからないが、タイ陰暦正月が太陽暦の12月に当たることを考えると、冬至のころを正月としたのかもしれない。Webで検索してみると同じように考えている人もいる。今のところこれ以上深く調べるつもりはない。
朝3時すぎに目が覚めて、それからは数独をやって、また寝入り、4時すぎに目が覚めてスマホを見て、4時半すぎに再び寝入り、5時20分ごろ目が覚め、そして15分後目覚ましが鳴って起き出す。昨夜寝たのは10時前ぐらいなので、睡眠時間がめちゃくちゃである。年のせいか。
休みなのでそんなに早く起きなくてもいいのだが、まあ目が覚めてしまったのでしかたがない。
朝食の後は、依頼されていた四柱推命の回答の手直し。前の日曜日にはあらかた書いていたのだが、いろいろと考えて修正した。
そんなことをしているうちに10時になる。せっかくの仏誕節なので、歩いていける寺院に行ってみることにする。今日行ったのはラヨーンのワットヌーンプラ。ヌーンは丘陵、プラは僧侶なので、日本語でいえば丘僧寺か。ヌーンプラと呼ばれる僧侶がいたのかもしれない。ネットの口コミをみると王立修道院らしい。本当かはわからない。
例によって私は仏教徒ではないのでタンブンは遠慮した。タイの人たちの参拝の様子を見ていると、僧侶から水をもらって樹木の根元にかけているようである。先日ソンクラーンで仏像に水をかけるのは見たが、今日は木の根元に水をやっているようだ。ネットで検索したのだが、何を目的としているのかよくわからない。写真は右で、木の根元に人がいるのですが、写真だと小さくてわからないですね。
ホテルに戻ったのは11時半ごろ。汗だくなのでシャワーを浴びて、濡れたシャツ等は洗濯。今日は休みということで昼からビールを飲む。仏誕節は本来禁酒日なのであるが(店では酒を出さないし売らない)、私は仏教徒ではないので関係なし。
昼は冷やしうどん。近くのスーパーで買った乾麺だが、まあ日本の乾麺と大差ない。
食事をしたあとはしばらく昼寝。昨夜のむちゃくちゃな睡眠のせいかすぐに寝入ってしまう。3時前に起きて撮ってきた写真の整理や日記を書くなどして夕方になる。
休みの日なのにWEB会議を入れられてしまい、5時から参加。まあ聞いていればいいだけの会議だが。
会議が終わってさらにビールを飲み、買っておいたウォッカを飲みながら、久しぶりにごはん(タイ米)を炊く(というより湯取り法なので煮るというべきか)。いわゆるジャスミンライスで香りがいい。今日はうまくごはんだけで十分おいしくいただけた。
かみさんと長電話して10時前就寝。
2021年5月15日(土)
今週は13日木曜日から在宅勤務でずっとホテルの部屋にいるので、曜日の感覚がなくなりそうだ。ただ、土曜日と日曜日は(スマホの)目覚ましがならないようにしているので、それで今日は休日だというのはわかる。もっとも目覚ましが鳴る前に起きるし、今日も実は4時半ごろから目覚めているのだが。
6時ごろシャワーを浴びてしばらくボーっとしてから6時50分ごろレストランに朝食をとりに行く。
朝食の後はHPのネタづくり。このところ『六壬尋原』の翻訳を続けている。午前中はほぼそれで時間を費やした。
昼になり、ちょっとOREOをつまんだ後、1時すぎにホテルを出る。今日はちょっと運動をしようと思って、Tシャツと短パンとジョギングシューズという姿で外に出る。目的地はグーグルマップでみるとシームアン公園と書いてあるが、ラヨーン市役所近くの公園である。
公園に着いたのは1時半を過ぎていた。写真のようにカラフル遊具もあるが、そのほかにもサッカー場や1周500mのランニングコース(路面はアスファルト)もある。先日前を通ったときは大人がフットサルに興じていたのだが、今日は中学生ぐらいの女の子がスケボーで遊んでいるのと、年寄りが日陰で休んでいるぐらいで、人は少なかった。午前中雨が降ったので、30℃ぐらいとそれほど暑くはなかったのだが、まあ真昼間に運動をする人はそうはいませんわな。
今日公園に来たのは走るため。実は東京に転勤してからこの3年ぐらい、ウォーキングはするがジョギングはおろかわずかな距離でも走ったことがない。横断歩道を信号が点滅してから走るぐらいである。だから人がいる時間に走るのはちょっと恥ずかしいので、人がいないと思われる昼に来たのである。で、案の定誰もいない。狙い通りである。
まずは200mほどゆっくり走る。すこし休んで500mジョギング。3分ほど休んで100mほどジョギングした後スピードを加速して200mほど走る。私は中距離が得意だったのだが200mでスピードダウン。倒れると助けてくれる人もいないので、無理はしない。
30分ほど走ったり歩いたり休んだりしていると、ぽつぽつ雨が落ちてきた。タイはもうそろそろ雨季に入る。雨が降ると大変なので、早めに帰ることにする。
帰る途中で川のそばを歩いていると、川で遊んでいた男の子に追いかけられる。5歳ぐらいだろうか。手には蛇をにぎっている。さすがに蛇に咬まれると大変なので走って逃げた。蛇をにぎっていなかったら逃げなかったのだが。まあ逃げるのを見て面白がっていただけだろう。
ホテルの部屋に戻ると汗だく。シャワーを浴びて汗だくの服やタオルを洗濯。洗濯の間にビール。
6時ごろお腹もすいてきたので、冷凍していたごはん(タイ米)に鰹節をのせて、インスタント味噌汁とともにいただく。鰹節がおいしい。
7時ごろかみさんに電話。前に注文していた楽譜が届いたとのこと。作曲者は私の大学の先輩であるが、つい3年前に亡くなられた。その先輩の作った曲の楽譜を出そうと、別の先輩たちが奔走して出版にこぎつけたのである。かみさんにその楽譜や序文などの写真をLINEで送ってもらったが、早世した先輩のことを思い出し少々感傷的になったのであった。よく言われることだが、いい人は早く亡くなるものである。そういえば私の同級生ですでに故人となっている人も何人かはいるが、みないい人たちばかりだった。残っている人にろくなヤツがいないという意味ではありませんので。念のため。
感傷的な思いを引きずりつつ就寝。9時ごろ。
2021年5月3日(月)
日本は憲法記念日で祝日なのであるが、タイは別に祝日でも何でもない。実際役所は開いている。しかし民間企業は5月1日のメーデーの振替休日ということで、休みのところが多い。で、わが社も休みである。
朝5時半に起きて、7時前にレストランに行くと、同じく休みとなっている日系企業に勤める日本人ががちらほら。もちろん私もその一人であるのだが。
で、今日は何をするかというととくにやらなきゃいけないこともないのだが、今日は一日天気がよさそうなので、久しぶりに散歩に行こうと思う。で、ルートを探索し、ラヨーンの海岸線まで歩いていくことに決める。ただし日中は35℃になりそうなので昼はやめて夕方歩くことにする。
それまでは過去作ったHPの編集をしたりテレビを見たり。
紅茶とビスケットを食べながら、日本のテレビ「ひるおび」を見る。コロナの話題を聞きながら、日本社会の構造の変化について思いをいたした。以下は理論的な話ではなく、床屋談義みたいなものなので、そのつもりで読んでください。(というほど読んでる人はいないと思うが)
この1年コロナで話題になるのは飲食業であるが、私が子供のころを思いかえすと、そのころはここまで飲食業が盛んではなかったように思う。たまにラーメンの出前を頼んだり、デパートや動物園に行ったついでに食堂(昔はレストランなどとは言わなかった)で昼ごはんを食べるぐらいであったように思う。普通の家庭は夕食は家でとるものであった。矢野顕子の「ごはんができたよ」の世界である。それが変わってきたのは1970年代後半から80年代にかけてではなかったか。ピークは「ジャパンアズNo.1」などとおだてられていたころで、そのころから経済成長率が鈍化してくる(バブル期を除く)。これはなぜだろうか。
飲食というのは基本的に付加価値をつけにくく、付加価値をつけて高く売るということができにくい。一部の高級料理店はもちろん付加価値をつけているわけだが、それでも毎年2パーセントずつ値上げしているという店は、皆無ではないかもしれないが、まあほとんどないだろう。まして庶民の居酒屋は値下げこそすれ、毎年値上げするなどはありえない。すなわち従業員の給料だって上がらないわけで、飲食業の占める割合が高くなれば、国全体としての経済成長は低くなると予想される。
話はやや飛躍するが、中進国はだいたい飲食業やタクシー(タイならソンテウとかトゥクトゥクとかバイタクとか)が多く、また観光地には土産物屋がやたらとある。観光業でも毎年付加価値をつけるのは難しい。ディズニーランドとかなら出し物を変えて値段を上げることは可能であろうが、自然や歴史的建造物だとそういうわけにはいかない。テレビを見ながら思うのは、日本は先進国ではなく中進国になろうとしているのではないか、いやすでに先進国ではなく中進国となっているのではないかということである。インバウンドで経済をあげようと政府は企んでいたようだが、であれば、観光で成り立っている国は大いに潤っていそうだがそうはなっていない。しょせんインバウンドというのは他人頼みであ。先にも述べたが、観光で未来永劫付加価値を付け続けることはほぼ不可能であるし、世の中が不景気になり全世界の国が観光する余裕がなくなればまっさきに影響を受ける。今回その弱点が図らずも露呈したと言えるだろう。
今でこそGNPは3位だが、将来7位以下になることは多くの経済予測が示している。これは戦争や疫病などが起きない前提での予測であるから、今回のコロナ騒ぎでそれ(日本の凋落)が加速しているかもしれない。
私は平成の始めぐらいから、2000年から2050年に向かって日本はどんどん沈んでいくが2050年ごろ復活する、と予言している(ある人の受け売り)。その予言(日本沈没の部分)は外れてほしいが、どうも当たりそうな気がしてしょうがない。最近とくにそう思う。しかし、この状況ではもっと早く低迷してしまうかもしれない。しかしそうなら復活も早まるかもしれない。私の生きている間に「日本沈没」から「日本浮上」になってほしい。
閑話休題。ま、そんなことをつらつら考えたり、またHPの改訂などをやっているうちに4時すぎとなる。
短パンとTシャツに着替え、ランニングシューズ(日本から持参)をはいて散歩に出る。ラヨーンの海岸線を目指して出発。
途中、歩く人にはほとんど逢わず、出逢うのは犬だけである。タイはやたらと犬がいる。大半は誰かの飼い犬なのだろうが、首輪をつけているわけでもなく放っておかれている。で、たまに集団で吠えられるが、そそくさとその場を立ち去ればとくに害はない。とはいうものの、たまに吠えながら近づいてくるので少し恐怖である。
海岸近くに行ったところで日がだいぶかげり、木陰に入ると涼しさすら感じる。日中は暑いが、夕方になれば30℃以下になるのでだいぶ過ごしやすくなる。
海岸で休憩しようと思ったのだが、予想よりも遅くなったので休憩せずにホテルに戻ることにする。
ホテルに戻ったのは6時15分前、1時間半ほど歩いたことになる。結構速足で歩いたので汗だく。すぐにシャワーを浴びて汗で濡れた服は洗濯。久しぶりに身体に活が入った感じがする。
洗濯をしながら(もちろん洗濯は洗濯機がやる)ビールを飲む。ひとごこちついた。
かみさんと長電話をして、寝る前に数独をちょっとやって、10時前に就寝。
2021年5月1日(土)
久しぶりの日記である。といっても、以下は単なる雑記である。後で読み返したときの備忘録。
駐タイ日本大使がコロナに感染して入院したというニュースは4月の始めであった。(今日現在大使がどうなっているか知らないが、タイではもう仕事ができないんじゃないかなあ?)それが引き金というわけではないだろうが、ソンクラーン休みの後ラヨーンでも感染者が急増し、県知事からは在宅勤務の要請(義務ではない)のお達しがあり、4月19日からわが社も交替で在宅勤務を行うこととなった。その後、ラヨーンは多少新規感染者が減少、今は落ち着いた状態である。
日記を書いていないのは、ソンクラーン明け以降、会社とホテルの往復してしておらず、ほとんど外に出ていなかったので、あまり書くことがなかったためである。仕事以外で変わったことといえば、ある方に六壬に関する質問を受け、それの調べ物をしていたぐらいか。とにかく、コンビニにビールを買いに行くぐらいで、ほとんど外には出ていない。連日にわか雨が降り、外に出る気にもならなかったというのもあるが。
今日は5月1日でメーデーであるが、昼頃ビールとウィスキーを買いに出たぐらいで、基本的にはホテルで過ごす。実は今日から4連休なのだが、ずっとホテルで過ごす予定。
ラヨーンはレストランや居酒屋は夜9時までで酒の提供はできない状況である。バンコクやチョンブリ(日本人学校があり日本人が多い)では、レストランや居酒屋の営業は完全に禁止となった。もちろん休業補償などはなし。こういうときに軍のトップが首相である国は強い。命令一つで不人気な政策も実行できるのである。日本とは大違いである。それに引き替え日本の体たらくにはもはやあきれるしかない。
ただ、タイは法律や規則を決めて発表(だいたい発表即施行である)してからやおら具体的な手続きを定めるので、、政策の遂行が行き当たりばったり的なところはある。だが、決めることはトップダウンであり早い。今のプラユット政権には批判も多いが、目下の日本政府よりはましなような気がする。
ところで、タイでも医療のひっ迫は始まってきているようで、基本的には感染者は病院に隔離なのであるが、現在病院が満床に近く、病院を政府の方で開設した。体育館のようなところにベッドと医療用器具をちょこっと並べているだけの施設で、聞くところによるとそこに行きたがる人はいないらしいが、強制的に隔離されるのである。こういうことができるのも軍のトップならではというところか。
4連休初日ということだが、上にも書いたように昼に買物に出たぐらい。
夕方は散髪。床屋に任せると刈り上げられてしまうので自分で髪を切るのである。タイの床屋も別に免許をもっているわけではないし…。タイに来てからすでに3回ほど自分で散髪したのでコツはつかめた。まあまあの出来だと思ってシャワーを浴び髪の毛を落としてから見ると、切り残しがちらほら。その部分を手直しして散髪は完了。
髪の毛の掃除をしてからビールを飲む。時計は5時半を過ぎているところ。
飲みながらつらつら考えたのだが、散髪も自分でやるし、感染防止のため会社の飲み会もなく、ホテルは朝食付きで、昼も夜も(夜は酒を飲むので)そんなに食べないし(会社での食堂でも1食30バーツ弱)、飲みに外に出ることもないので、4月はほとんどお金を使っていない。4月に使ったのは5千バーツほどで(ホテル代は会社負担である)、日本円にすれば1万7千円ほど。ほとんど部屋飲みの酒代である。というわけで、4月は給与(というか銀行預金)に全く手を付けず大幅黒字となっている。こんな生活をしていると確実にお金は貯まりますね。
また、4月はソンクラーンなど休みが多かったが、音楽を聞いたり、日記を書いたり、占いやタイ語の勉強をしたり、HPの改訂をしたり、たまに買物ついでに散歩したりして過ごした。そして、そういう生活でも全く苦にならない自分をあらためて発見した。日本では自粛疲れという言葉が流行っているようだが、私には全く当てはまらないし、定年後もこうやって過ごすことができそうである。
ということで、今日はグダグダと雑多なことを書き並べた。まあ明日以降も、コロナが収束しない限り同じような生活を送る気がする。
飲みが一段落してネットを見ようとするとWifiが安定しない。夕方停電があったのでその影響が長引いているのかもしれない。なお翌日かみさんからLINEが通じないと文句があったが、私のせいではありません。
結局ネットもテレビも見ずに早々に就寝。8時半ごろベッドに入り、9時半には寝入る。
2021年4月15日(木)
今日はソンクラーン祝日(3連休)の最終日。本来ならバンコクで過ごすはずだったのだが、4月10日の日記にも書いたようにホテルをキャンセルしたので、この休みの間ラヨーンのホテル(サービスアパートメントだが実質的にはホテルである)で過ごし、ほとんど外に出なかった。まあ天気もあまり安定していなかったし。
今日は天気もいいので出かけることにする。といっても近くを散歩する程度だが。
10時ごろホテルを出る。地元の人(会社の人)に聞いたのだが、いつもの年なら水かけが派手に行われる通りを歩く。が、今年は閑散としたもの、というか例年の状態を知らないので何とも言えないが、少なくとも人通りは普段の休日に比べても少ない。
ソンクラーンなのでお寺に行くことにして、前に行ったことのあるワットコートティムターラムに行ってみることにする。前回は万仏節(マーカブーチャ)の時に来たお寺だ。心なしかそのときよりも人が少ない感じがする。ラヨーンも最近新型コロナの感染者が増加しており、みな警戒しているのかもしれない。人が少ないので感染の危険がなく良いのだが、それはそれでちょっと寂しい感じはする。
せっかくなのでお賽銭(というのか?)をあげて、仏像に水をかける。水のかけ方を知らなかったので、前の人がやっているのもまねて、さも何事もなかったように手を合わせて終わり。その仏像の写真は右。水をかけているシーンを撮りたかったが、赤の他人を撮るのは失礼なのでやめておいた。ちなみに、仏像の横にあるおちょこで水をかけるのである。柄杓ではない。
メインの仏像にも手を合わせてからお寺を出る。20分ほどいただろうか。
とても暑くてそんなに長くは散歩していられない。そのあとは近くのTESCO/LOTUSで買物をして帰ることにする。
ホテルに戻ったのは12時半ごろ。あまりに暑いので、空を見上げると、太陽は頭上にある。ほんとに頭上なので自分の影を見ると、ちょうど足の部分しか影がない。つまり自分の身体の影が足元にしかないという状態。これは日本では経験できないことである。後で調べてみると、4月15日のラヨーンの太陽高度は12時30分で86度であるそうなので、ほとんど頭上である。(参考:https://keisan.casio.jp/)どうりで暑いはずである。
部屋で涼んでいると、部屋の掃除にメイドさんたちが来室。いつもどおり10分程度で終了。
そのあとシャワーを浴びて、ビールを飲む。まだ夕方4時で外は明るい。
明日からまた会社であるが、この感染状況だとおそらく一部在宅勤務ということになるだろう。ホテルはネット環境もよく特に問題はないのだが、自分の部屋だとあまり仕事は進まないので、できれば出勤したいところ。会社に行くのに満員電車に乗るわけでもないし。
だらだらビールとウィスキーを飲んで、ボーっとして時間を過ごす。NHKニュース(NC9)を見て、かみさんと電話をしてから早々に就寝。8時すぎ。
2021年4月10日(土)
早く寝たので、さすがに朝3時ごろ目が覚める。下痢は収まったものの、今度は熱っぽい。とにかく布団をかぶって寝る。
6時ごろベッドを抜け出して体温を測定。38度3分である。とにかく朝食をとろうと思ったが熱があるままでホテルのレストランに行くわけにもいかず、部屋でインスタントラーメンを作ることに。その前に「Do Not Disturb」の札をドアノブにかける。インスタントラーメンを食べた後バファリンを服用。
今週からタイでも新型コロナの患者が増加しており、チェンマイでは、バンコクから帰省もしくは観光に来た人に2週間の隔離を要請することにしたとのこと。2週間も隔離されたのではソンクラーン休みは終わってしまうのに、急に決めても守る人はごく少ないと思うのだが。要はチェンマイに来るなということなのであろうが。
ということで、ここでバンコクに行くと、ラヨーンに戻っても隔離される可能性もあるなと思い、ソンクラーン中にバンコクに行くことは取りやめにした。幸い、ホテルは今日までにキャンセルすればキャンセル料はとられない。ネットでキャンセルの手続きをして、キャンセル確認のメールが届くのを見届けてから、ベッドに戻る。今日はとにかく安静第一である。
昼はナビスコリッツを5枚ぐらい。その後もベッドで寝る。
夕方起きると汗をかいていた。熱も引いた感じである。体温を測ると37度3分、熱は下がってきているようだ。
夜はスパゲッティを茹でて、Pregoのオリジナルソースをかけて食べる。お腹の調子は戻ってきているので、ビールを飲む。そして再びベッドへ。
今日はとにかく一日ベッドで過ごした。9時半ごろ就寝。
2021年4月9日(金)
今日は平日で、いつもどおり5時半ごろ起きて、7時にホテルを出て7時半ごろ出勤。
今日は会社のソンクラーン行事の日。ソンクラーンは13~15日であるが、来週は休む人が多いので、会社としてはその前に行事をやってしまうということだろう。
8時に先日買ったアロハシャツに着替える。なぜアロハシャツなのかはネットで調べてください。
8時半から会社にある祠(サーンというらしい)を順に参拝する。会社には3箇所あり、昔からあるようなのだがなぜ3箇所なのかはよくわからない。最初にお参りする神様はブラフマー神のようであるから、3箇所というのは三大最高神(ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ)のことなのかもしれない。まあ私の宗教は神道なのであまり関心はないが、ちょっと気になるところである。後で一人で行ってみよう。
初めてなので、以前からいる社長にくっついて同じように所作をする。花を備えて線香を立てて拝むということを3箇所で行った。9時すぎには終了。
その後、午前10時からは僧侶9名が来社してお経をあげる儀式。会社の食堂(オープンスペース)に急ぎの業務のない人が集まる。会社にはドイツ人やフランス人もいるのだが、彼らは忙しいというわけではないはずだが集まってこない。キリスト教徒だろうから、会社行事とはいえ仏教の儀式そのものだから出席するわけにはいかないのだろう。その点、社長も私も他の日本人駐在員も参列。おそらく私以外は仏教徒だろうし、また日本人はこと宗教に関しては節操がないので、気にも留めずに出席している。私もその一人である。
この儀式は予想以上に長く、僧侶の読経は30分も続いただろうか。ありがたいといえばありがたい。
その後僧侶一人ひとりに供物を捧げるのであるが、まあこれは形だけ。僧侶だってお菓子ばっかりもらってもしょうがなかろう。後でお金を渡すということになるのである。であれば、日本みたいに最初からお金にすればいいのにと思う人もいるだろうが、形というのは大事だ。僧侶に供物を捧げるという行為が大事なのだと思う。
11時すぎに儀式は終了。その後は昼食のお弁当。私はパッタイを選ぶが、残念ながらあまりおいしくはなかった。カフェ・アマゾン提供とのことだったが。
昼からは普通に仕事、ただしアロハシャツのまま。退社直前に着替えて5時20分ごろ会社を出る。
会社を出る前からお腹の調子が今一つだったのだが、ホテルに戻ってからは本格的に下痢。トイレに何度も行き、当然のことながら夕食をとる気にもならず、正露丸を服用してから早々にベッドに入る。
原因はいくつか考えられるが、昨夜の海鮮料理か(実は昨夜はパタヤのシーフードレストランで歓迎会であった)、昼のパッタイか、あるいは昼から冷房がガンガンきいた部屋でアロハシャツ一枚で仕事をしていて身体とお腹が冷えたせいか。熱を測ると37度3分。まさかコロナではないと思うが…。
とにかく大事をとって就寝。
2021年4月4日(日)
早く寝たせいで朝どころではなく夜の1時前に目が覚めてしまい、その後は30分~1時間おきに寝付いたと思ったら夢を見て起き、時計をみてからまた寝入る、といういうことを繰り返して、結局5時前に起き出して、メールを書いたり、日記を書いたりしていた。
6時半すぎに朝食をとりにレストラン(1階)に行く。日曜の朝なのにホテルの入口に多くの車が停まっている。そのうち一部は休日出勤用だろうが、半分はおそらくゴルフであろう。近くにゴルフ場も多く、7時ないし8時スタートなら納得の時間。以前、上司に「休日はゴルフしかやることがないよ」などと言われたが、私はそれなりに休日を満喫しているので、ゴルフは今のところやっていない。まあそのうちやることになるかもしれないが。
朝から曇っているなと思っていたら、10時ごろ大雨となり途中から雷も鳴り出した。ゴルフに行った人は大変だろうなと同情する。雷も鳴っているのでおそらくは続けられないだろう。
私はというと、今日は外出する必要もなく(すでにアロハシャツは買ったので)部屋でのんびり過ごす予定。まあ一日中HPのネタづくり。こういう日にタイ語を勉強すればいいのだろうが、それはやる気にならない。
そうこうしているうちに昼過ぎには雨も雷もおさまってくる。タイの雨は長くは降らないと聞いていたが、今日も2時間半程度で雨は止んだ。なぜタイの雨は短時間でおさまるのか?ネットで調べてみても適当な解説は得られない。雷を伴い、雲も結構分厚く広がっているのでのでスコールとも言い難い。まあ対流性降雨なのではあろうが。
ともかくも昼からは日もさしてきて、雨が降った分窓を開けるとむわっとするので、窓を閉めて空調をかけっぱなし。
HPのネタに飽きたので、バンコクの観光の下調べ。来週のソンクラーンはバンコクに行く予定。そんなことをしていると時間がつぶれて夕方になる。
4時ごろから自ら散髪。結婚してからというもの、かみさんに髪を切ってもらっていたのだが、タイにはかみさんが同行しておらず、髪切り用のハサミだけを渡されている。タイに来て3か月以上たち、時折長くなった髪を自分で切っていたのだが、今日約1か月ぶりに髪を切る。近くに床屋は何軒もあるのだが、そこのポスターをみるとひと頃のパンクロッカーみたいなみたいな髪型か、いわゆるその筋の方々のような髪型か、はたまた女性のような長髪のような髪型で、とても私のような髪型はできそうにない。自分で鏡を見ながら切った方がましだろう、ということで自分で切っているのである。30分ぐらい格闘して散髪を終え、シャワーを浴びてからさらに床掃除をやったら、5時半になっていた。仕上がりはまあまあ。後ろは見えないが手触りの感じではよさそう。
外を見ると日が沈みつつある。午前中雨だったが、夕方は晴れた。ふとみると彩雲が出ていた。あわててスマホで撮ったが、まもなく消えてしまった。良いことが起こることを期待しよう。
ビールを飲み、酒を飲んで、さらにインスタントラーメンを食べたあと、HPのネタ作りの続き。
朝あまりに寝られなかったので、頑張って起きていたのだが、眠くなり、9時には就寝。
2021年4月3日(土)
朝6時すぎに起きる。
昨夜は近くの居酒屋(日本人がやっている)で一人で夕食兼飲み。1月2日にラヨーン入りしたので、3か月がたったわけでその記念日である。個人的には非常に長く感じられた3か月間であった。ラヨーンに来た日がずいぶん昔のことのように感じられる。そういう感慨にひたって酒を飲んでいて、昨夜はちょっと遅く寝たので起きたのはやや遅くなった。
7時ごろ朝食をとってから、クローゼットに干しっぱなしにしていた洗濯物をかたづけたり、ゲームをしたり。そうこうしていると部屋の掃除にメイドさんが2人来た。まだ9時半である。いつもは昼前か午後2時前後に来るのだが、予想外に早かった。洗濯物を片付けておいて正解だった。
掃除が終わってメイドさんが引き上げてからは、しばらくダラダラと過ごす。
11時ごろ、ソンクラーンのためアロハシャツを買いに、徒歩でショッピングモールPassinone(写真右)に行く。歩いて20分ぐらいであるが、今の時期に20分も歩くのはほとんど苦行である。実際、外を歩いているタイ人はほとんどというより全くいない。歩いているとすれば外国人である。しかし運動不足の私としては、ここはやはり歩いて行くという選択肢をえらぶ。
Passioneの中にあるBigC(スーパー)でアロハシャツを選ぶ。何のためのアロハシャツかといえば、今週金曜日(9日)にソンクラーン祭りをやるのだが、そのときに会社の制服ではなくアロハシャツを着てこいとの指示があったためである。別に制服でも問題はないだろうが、まあ一応私も会社では偉い人なので、率先垂範という意味もあるのだ。
その他、酒やらつまみやら諸々を購入してから帰宅。買ってきたアロハシャツは左の写真のようなもの。価格は299バーツ、日本円で千円ちょっと。BigCで並んでいたものでは一番高いものである。まあ一度しか着ないので安物でも構わなかったのだが…。
それはそうと、帰りも20分かけて歩いたら汗だくである。そのままではいられないのでシャワーを浴びて、汗まみれの服は洗濯。洗濯の間、ビールを飲み、しばらくボーっとしている。
洗濯が終わって洗濯ものを干してからしばし昼寝。
1時間ほど昼寝したあと、5時ぐらいから夕食の準備。今日は久しぶりにごはんを炊くことにする。買っておいたタイ米を炊くのだが、きょうは「湯とり法」という炊き方に挑戦。湯とり法についてはネットで検索すると出てきます。そのやり方にしたがってお米を炊く。いや炊くというより煮るといった方がいいだろう。(この表現もウェブサイトに書いてあったがその通り)サイトに書いてあるとおりの時間で炊く。買っておいたテフロンコーティングの鍋で炊くとこびりつくこともなくまずまず上手くできた。夕食はそれにふりかけをかけて、あとはインスタント味噌汁(日本から持ってきた「あさげ」)という超シンプルな夕食。ホテルの朝食で栄養をとれるので、栄養のことはあまり心配しなくてOK。
夕食の後は、かみさんとLINE電話。10分弱話をして、何だか疲れていたので、早々に就寝。8時前には寝入る。
2021年3月27日(土)
朝5時前に目が覚めたが、数独などして起き出したのは6時すぎ。
昨日シャワーを浴びてから、昨日洗濯したものを畳み、レストランに行き朝食をとる。いつもの土曜日の朝のパターンである。
今日は会社の運転手に頼んでシラチャのMaxValuに連れていってもらうことにしている。10時出発の予定だが、その前に机の片づけなどをする。
10時にホテルを出る。2,3年前は高速があまりできておらず工事中で道も混んでいて(工事中は今も相変わらずだ)、ラヨーンからシラチャに行くのに1時間半以上かかっていたそうだが、土曜の午前中ということもあって道はすいていて順調。11時ちょっと前にイオン系のMaxValuに到着。なおJ-Parkの方のMaxValuではなく市街地の方である。
シラチャに来たのは2度目だが、1度目は出張で1泊しただけで、しかも夜にホテルに入り朝早くにチェックアウトしたので、シラチャの街自体は見ておらず、事実上初めて来たようなものである。
シラチャには日本企業も多く、また日本語学校があるため、日本人が多く住んでいる地区である。私の同僚の家族持ちはみなシラチャに住んでいる。日本人でラヨーンに住んでいるのは単身赴任の社長と私だけである。で、MaxValuには日本人が多いと思いきや、午前中ということもあり日本人よりもタイ人の方が多かったような気がする。
で、ラヨーンでは手に入らない食べ物、そばとか七味とか乾燥わかめとかうどんスープとかを購入。なおめんつゆは近くのLOTUS/TESCOで手に入る。
残念ながら期待したほどのものはなかったが、ちょっと予想しなかったのは日本の本が置いてあったことである。もちろんバンコクには日本の本屋がいくつもあり、日本の本が欲しければ、多少日本より遅れるが手に入らないことはない(そうである)。面白いと思ったのは、料理や手芸の本が多かったこと。いかに家族連れが多く住んでいるかを物語っているような本の並びであった。
2階にあるすき屋で牛丼を食べてから近くを散歩。300mほど歩くとロビンソン百貨店のやっているパシフィックパークに行ってみたが、普通のモールっぽかったので長居はせずに、ラヨーンに戻る。30分ほど炎天下を歩き疲れたし。
帰りは車がやや混んでいて1時間20分ほどかかったが、まあそれでも十分以前より早くなった。
帰宅してからしばらく昼寝。夕方買物に行ってビールを買おうとしたら、店員とちかくにいたお客さんに、今日は選挙だからアルコールは売れないよと注意された。最初タイ語で言われて何のことかわからなかったが、お客さんがスマホで翻訳してくれてわかったのである。親切である。そういえばそういうことを聞いたような気がするが、すっかり忘れていた。しょうがないのでつまみとコーヒーだけ買って帰宅。冷蔵庫にビールは冷えていて、ブランデーも買ってあるので2日ぐらいは問題ない。ほんとは禁酒すりゃいいのだろうが。
で、ビールとブランデーを飲みながら、HPのネタ作り。11時ごろまで作業をして、12時前に就寝。
2021年3月20日(土)
朝6時ごろ起きる。
今日は会社の同僚(タイ人)がラヨーンの観光地を案内してくれるというお言葉に甘えて、ラヨーン1日観光ということになった。もちろん同僚は生まれがラヨーンであり、ラヨーンについては熟知している。
朝食をとって支度をして、11時に同僚の車で出発。
まずはバンペーに向かう。バンペーはタイ人にはよく知られた観光地で、もともとは漁業の町だったとのこと。ラヨーンで最も有名な観光地はサメット島であるが、そこに行く船がでる港町として知られている。
まずはバンペーで昼食。シーフードヌードルをたべる。シャコとエビと魚のすり身が入っていて基本は薄味でそれだけでも美味しいのだが、タイ人にならっていろいろな調味料(酢唐辛子とか)を加えて食べる。アロイ・マーク・マーク(タイ語でとても美味しい)を連発してしまった。
その後車でしばしドライブ、スアンソン海岸を抜けて、さらに東へ行きメーピム海岸まで行く。ここがラヨーンの東端になり、それから先はチャンタブリ県になる。
メーピム海岸は遠浅で非常にいい海水浴場で、子供のころは一日中海で遊んだものだ、と同僚は話す。ちなみに私はタイ語ができないので会話はすべて英語である。そこでドリアンチップを買う。ドリアンは生は非常に臭いが、薄くスライスして油で揚げると(ポテトチップスみたいに)、臭みはなくドリアンの若干の甘味の残るチップスとなる。ビールのつまみには最適だ、などと話す。
メーピム海岸からバックしてスアンソン海岸に戻る。同僚が、スアンは公園、ソンは松のことだと教えてくれた。最初はどれが松かわからなかったのだが、木の幹を見ると確かに松っぽい針葉樹がある。日本とは違う種類の松であるようだ。調べてないけど。ということで、日本語流にいえば松園海岸、松園海水浴場ということになる。そういえば中学の同級生に松園くんがいたな、などとくだらないことを思い出す。
車を降りて松園海岸を散歩、写真をとる。
引き続きドライブ。途中のセブンイレブンでビールを購入。ここで買わないと酒を買える時間が過ぎてしまうため。
バンペーを通過して、カオレームヤー国立公園に向かう。サメット島はまた今度。
公園の手前にあるラヨーンリゾートホテルに立ち寄ってパンフレットをもらう。同僚曰く、このホテルはそれほど高くないとのこと。こういうところで長期滞在してボーっとしているのもいい過ごし方かもしれない。タイに入国後の2週間の隔離経験で、意外と自分も長期間ボーっと過ごすことができることがわかった。そうしているとボケそうな気もするが。
そのあと国立公園に行く。なお公園は有料である。駐車場に車を止めてソンテウで海岸まで移動する。海岸はキャンプ場も兼ねているようだ。とくに何があるというわけではなく、単に海岸があり海をはさんでサメット島が見えるというだけである。写真は公園から見えるサメット島。
公園には食堂があり、そこからテイクアウトして食事を楽しむ人もいれば、ひたすら写真(景色ではなくお互いの)を撮りまくる女の子3人組もいたり、海岸をそれとなく歩くカップルもいたりで、皆思い思いに過ごしている。私は地層を眺めたり写真を撮ったり。さほど暑さは感じなかったのだが(34℃ぐらい)、同僚は汗だくで木陰で休むとのこと。私一人でうろうろして過ごした。
3時半ごろ公園を出発。ラヨーンに戻る。4時すぎにレムチャロン海岸に到着。この海岸はすでに何度か来ているところだ。キャンプ用の椅子2脚と昼に買ったビール(氷と一緒にクーラーボックスに入れていた)を持って砂浜に出る。海岸でビールを飲んで一日を終わろうということである。なお、同僚の自宅はここからさほど遠くはない。
日が徐々に沈んでいき、それを見ながらビールを飲む。日没は6時半ごろ。7時すぎには暗くなっていき、月明り(半月だった)と街の明かりと遠くに見える工業団地の明かりで足元が見えないということもなく、適度な暗さの中で二人で話し込んだ。昔話もあるが、ほとんどは結局会社や仕事の話となった。同僚も私も50半ばを過ぎていて、何というか、夢を語るというよりはどうやって仕事を引き継いでいくか、などといったおじさんの話となった。なんだかんだで夜9時ごろまで話し込み、ビールを尽きたのでお開きとした。
ホテル(サービスアパート)まで送ってもらう。ほんとに充実した楽しい一日であった。
部屋に戻り、シャワーを浴びて、ちょっと小腹がすいたのでインスタントラーメン(タイの袋のインスタントラーメンは小さい)を食べてから、しばらくして就寝。11時すぎ。
2021年3月13日(土)
最近は、土曜日はわりと活動するのだが、日曜日は近くのスーパーに酒を買いに行くぐらいでたいした活動をしていない。あとは仕事と部屋でごろごろしているだけなので、いきおい土曜日の日記が多くなる。
それはともかく今日は13日土曜日である。朝6時前に起き出す。昨夜メールを書いたりネットを見たりして結構遅くまで起きていた。で朝までぐっすり寝れればいいのだが、1時間ごとに目が覚めてエアコンを入れたり切ったりしたのであまりよく眠れていない。
よい睡眠を得ることと身体に活を入れるため今日はちょっと長時間歩くことにした。
朝食を7時ぐらいにとる。今日は日本のごはんと味噌汁、おかずは鶏肉や野菜。
よく眠れていないせいか身体の調子がいまいちだが、計画どおり9時にホテル(サービスアパート)を出発。目指すはラヨーンのバスターミナル2。実はこのバスターミナルは市街地から遠く、歩くとゆうに1時間以上はかかる。普通の散歩ならいいのだろうが、何せタイである。今日の最高気温の予想は36℃。何とか一番暑くなる前にはバースターミナルに着きたいものだ。グーグルマップの予想では10時半までには着くはず。
歩き出したのはいいが、20分も歩くと汗だくである。9時半ごろラヨーンスタジアムに到着。少し涼をとることにする。そこの前の広場で木の苗などを業者が売っている。どうやら園芸業者のイベントのようである。あまり広くはないが、盆栽やら果物や観賞用の樹木の苗などが並んでいる。そこでしばらく休憩したのだが、風もなく暑いままで休憩にならなかった。
スタジアムを出てさらに歩く。ちょっと(いや結構というべきか)さびれた住宅地の真ん中を歩く。タイの人はあまり外を歩かないので、ほとんど人と行きかうということはなく、人気のない道をひたすら歩くということになる。もちろん車やバイクは通っていくのだが、歩く私はかなり目立つ存在だろうと思う。
バスターミナルに近づくにつれて坂になって、ちょっとつらくなってきた。ラヨーン市は比較的フラットだと思っていたのだが、バスターミナルのあるところはちょっと高台であった。気力が少し萎えるが何とか歩き切ってバスターミナルに到着。途中スタジアムに寄ったので着いたのは10時半を過ぎていた。
汗だくで、切符売りのおばちゃんの声を無視してバス乗り場のベンチでしばし休憩。少し風があり人心地つく。しばらくして11時発のバンコク(エカマイ)行のバスが出ていった。ネットで見ていたバスとは違い、十数人乗りの小型バスであった。それで3時間はちょっとつらいだろうなと思ったが、今はコロナで移動する人も少ないから大型バスは使えないのだろう。まあ来月あたりそのバスを使ってバンコクに行ってみようと思う。
しばらくして汗も引いた(ただしポロシャツはまだ濡れているが)ので帰ることにする。さすがに歩いて帰る気はしないので、バスターミナル1行きのソンテウに乗ることにする。
バスターミナル1は市街地にあり、ホテルから15分ほどである。その近くのTESCO/LOTUSに寄って買物をして帰ろうかと思うので終点まで。バスターミナル1行きのソンテウは、前方に英語で「BUS TERMINAL1-2」(1と2の往復)と書いてある赤いソンテウなのですぐにわかる。料金は15バーツ。乗ったソンテウは右の写真
で、ソンテウに乗り込んだのはいいが、私一人であり全然乗ってくる人がいない。そのせいではないと思うが、運転手のおばちゃんはのんびりスマホなどをみている。20分以上たってからようやく出発。結局乗客は私一人。まあバスのあまり到着しない時間帯なのだろう。
バスーターミナル1に着くまでに途中で4人ほど乗ってきたが、ゆったりと座れて快適だった。1時間半かかった距離を15分程度で戻る。そのあとTESCO/LOTUSでビールなどを買ってホテルに帰る。帰り着いたのは13時ごろ。
シャワーを浴びたかったが、部屋の掃除をしにくるメイドさんの声が聞こえたので、掃除をしてもらい彼女を見送ってからシャワーを浴びる。ポロシャツから下着からびしょびしょだったので、シャワーの後洗濯。終わるのを待ちながら買ってきたビールを飲む。冷えていないので氷を入れて飲む。タイではビールに氷を入れるのは普通。
洗濯が終わり洗濯物を干して、今日撮ってきた写真の整理などをする。
夕方はかみさんとLINEで話をしながらウィスキーを飲む。親も兄弟もみな年をとってきて健康状態があぶなくなってきたというような話をする。タイでのほほんと暮らしている私としては、みなさんに申し訳ない。せめて稼げる間は元気でいたいものである。
今日は歩き疲れたので、7時半には就寝。
2021年3月5日(土)
昨夜9時前にはベッドに入りスマホを見ながら寝たので、夜中の0時すぎに目が覚めてしまい、またエアコンかけっぱなしで毛布もいつのまにか蹴とばしてしまっていて身体が冷えていることに気づいた。そこでエアコンを切って寝たのだが、今度は身体があったまって1時間ほどで目が覚め、それでまたエアコンをかけて、というのを繰り返し、結局そんなことを5時ぐらいまで繰り返していた。浅い睡眠を繰り返していたのだが、結局5時から数独をやったりして、6時ごろ起き出す。起きてシャワーを浴びて朝食。今日は焼き魚があったので、和食風の朝食(焼き魚にごはんと味噌汁、生野菜、ウィンナー)とした。
7時半ごろ朝食を終えて、久しぶりに資料整理。といってもPCの中身の整理なので物理的な書類ではない。
そうしているうちに10時ごろメイドさんが来て掃除。いつもは午後のことが多いのだが、今日はえらく早い。顔なじみのメイドさんだがタイ語ができないので会話にはならない。手際よく掃除をして10分足らずで出ていった。
11時前にホテルを出て、銀行(ATM)でお金をおろすついでに買物をするつもり。
お金をおろした後、ちょっと本屋さんをのぞくと、「日タイ、タイ日ひらがな辞典」が目についたので購入。値段は199バーツなので約700円。日本だと中身からして3000円はするだろうが、まあ文庫サイズなので、タイの物価水準から考えればまあそんなものかというところ。高くはないがことさら安いわけではない。なお「英タイ、タイ英辞典」は170バーツほどである。
今日は酒はジョニ赤を購入。ちょっと高いが、タイウィスキーは何となく身体によくなさそうな感じがしたもので。もっとも酒は身体にいいわけはないが。
スーパーからホテルは徒歩15分ほどだが、昼12時過ぎで一番日が高く15分で汗びっしょりである。帰宅してすぐにシャワーを浴び、その後汗で濡れた衣類を洗濯する。
汗をかいたせいか疲れてソファでダレていた。1時間弱で洗濯が終わり、そのあともダレダレ。
夕方4時ごろ実家とLINEで電話。かみさんが私の鹿児島の実家に行ってくれて、久しぶりに親とビデオ電話で会話する。うちの親も80歳をとうに超えており、ビデオ電話などはできないのでかみさんが行ってくれて初めてできたことである。まあ元気そうで何よりだった。
4時半ぐらいで会話は終了。その後はウィスキーの水割りを飲みながら夕食の準備。といっても今日は凝ったことはする気はなく、タイ米を炊いて日本から持ってきた味噌汁(永谷園のあさげ)で夕食とする。
早くから酒を飲んでいたので、8時前には就寝。
2021年2月27日(土)
朝4時ごろ目が覚めて、数独をしたりスマホを見たりして、6時ごろまでベッドにいる。
6時過ぎに起き出し、うだうだしてから朝食を食べに行く。今日はとんかつがあったので、ごはんと味噌汁、キャベツ、野菜炒めを添えてとんかつ定食風。ビュッフェ形式だが毎日メニューが変わるので飽きずに食べられる。
今日は特別やることはないのだが、昨日酒が買えなかったので酒を買うのが、今日最大のやるべきことである。しかし酒を買うだけでは面白くないので、ついでに散歩をしようとGoogleマップを見て、これまで歩いておらず、店とかが並んでいる通りを探す。ラヨーン県の市街地といっても田舎なので、ただやみくもに歩くと、まるで人家のない荒地の中の道を通る羽目になる。よって散歩の経路は慎重に選ぶ必要がある。何とか行く道を決めて20分で行けるスーパーに回り道をして1時間かけて行くことにする。
10時半ごろホテルを出て散歩スタート。酒を買う都合上、スーパーには12時から1時ごろの間には行かなければならない。
今日もタイはいい天気で日中は30℃超え、32、3℃というところか。しかし炎天下を歩いているので汗はかく。
途中歩きながらいろいろと面白い店や建物、人物を見かけて写真を撮る。ただし人物は撮らないが。
タイ、とくにラヨーンでは道を歩いている人はほとんどいない。ましてこのような炎天下ならなおさらだ。たまに見かけてもおそらく私のような日本人駐在員と思われる人だけ。それでたまにバイクタクシー(モタサイ)から声をかけられるが、無視している。だって散歩なんですから。で、今日も声をかけられたのであった。
11時半ごろ店に到着。ほぼ予定どおりの時刻。店といっても、ラヨーンでは有名なパッションというモールで、中にはレストランやスマホのショップ、銀行、シネコン、スーパー、本屋などがテナントとして入っている。目的はその中のBigCというスーパーだが、その前に本屋に行く。もちろんタイ語なので読めないのであるが、勘を頼りに語学のコーナーに行き、日本人向けのテキストがないかを探したら、日本人の初学者向けの本があった。ただ今読んでいるテキストがあるのでそれを先にやってから買うことにする。その他占いの本も探してみたら占星術の本があった。タイ語なので読めないが図はわかる。しかし占いの本は少ないような感じだ。まあタイ語が読めるようになったら本格的に探すことにしよう。
スーパーで酒などを買ってから店を出る。20分かけて帰ったら13時前。
例によって14時ごろメイドさんが来て掃除。メイドさんは最近毎日変わる。今日の人はちょっといいかげんだった。
夕方までHPのネタづくり。
5時ごろ昨日と同様バスタブにお湯をためて入る。入りながら、普段はただただぼーっとしているのだが、今日はいろいろなことを考えた。主には仕事のことで、そのせいであまりゆっくりできなかった。
風呂から上がっていつもどおりビール。今日はバドワイザーを飲んだが、バドワイザーってこんな味だったっけ?この3週間いろいろなビールを飲んでいたら味がわからなくなってしまった。
そのあとはウィスキーの水割り。
部屋では日本の民放は見られるので、池上彰の番組を見ながらしばらく酒を飲み、さらにニュースを見て、8時半ごろには飲むのもやめて、9時すぎに就寝。
2021年2月26日(金)
今日は会社は休み。マーカ・ブーチャという祝日で日本語では万仏節と訳されている。なんでも釈迦の弟子が集まったのを記念した日とのこと。さすがは仏教国である。というわけで、今日は午前中お寺巡りをすることにした。
朝は5時前には目が覚め、しばらくベッドでうだうだしたが6時ごろベッドを抜け出し、6時半ごろ朝食を取りにレストランへ行く。
朝食の後はGoogleマップで行先を確認、ネットで周辺情報をみる。
10時前にホテルを出て、まずは歩いて20分ぐらいのワットコートティムターラムに行く。ワットは寺だがあとは意味がよくわからない。
そこには古そうな建物と仏像や仏塔があるのだが年代はよくわからない。ネットによるとこの寺はラヨーン県でもっとも古く550年前のものだというが、そこまで古いようには思われなかった。さすがに万仏節ということで供物をもった人が多く訪れていた。隣に供物屋さんがあるのでそこで購入したものだろう。ちなみに供物を捧げたりお布施をあげたりするのはタンブン(徳積み)というらしい。(もちろんそれ以外のタンブンもあるが)
この寺を出てまた歩いて20分ぐらいのところにあるワットパーブラトゥに行く。パーは林、プラトゥは門なので、訳せば林門寺というべきか。もっとも境内に林らしい林はない。この寺には涅槃像(右写真)があり、私も何枚か写真を撮った。またこの寺にはいくつもの建物があり仏像が納められている。端の建物では僧がお祓い(?)をしてくれるところがある。どうもこのお寺は王室からみの寺のようで人が多い。
また20分ほどの滞在で寺を出る。近くに時計台があるのでついでに見に行く。たしかに時計台なのだが、時間がまるで合っていない。動いてはいるようだが、誰も合わせる気がないのか?それともどこか別の場所の時間なのか?そもそも、管理はどこがしているのかわからず、写真を何枚か撮って時計台を後にした。ちなみにこの時計台の通りをはさんだ向かいに時計店があり、そこの時計は正しい時刻を示していた。
そこから10分ほどのところにワットルムマハーチャイチュムポンという寺に行く。ルムは低い、マハーは大きい(仏教用語で摩訶)、チャイは勝利、チュムはたくさん、ポンは軍隊である。ここにはタクシン将軍が祀られているらしい。タイの歴史には詳しくないのでその意義はよくわからない。比較的狭いお寺で、しかも主要な建物は改装準備中のためか足場が組まれていた。
時計を見ると12時を過ぎている。タイは今は乾季から暑季に移りつつあるところで、その炎天下を歩いて回っていたので、さすがに疲れた。ホテルまでは徒歩30分かかる。途中コンビニでコーラを買う。ほんとはビールが欲しいところだが今日はタイは禁酒日であるので酒は売ってくれない。よってコーラ。
帰ってきたのは1時すぎ。汗だくで、買ったコーラを何杯も飲む。併せて日本から持ってきた塩分チャージをなめる。
疲れてしばらくグダグダしていたらメイドさんが来て部屋の掃除とベッドメーキング。10分足らずで終了。
それから撮ってきた写真の整理と、頼まれていた原稿を書く。大学の寮のOB向けの冊子に800字程度の寄稿をすることになっていて、ようやく仕上げた。併せて今日撮った写真とともに冊子の編集長に送る。これでとりあえず義務は果たしたというところ。
夕方バスタブにお湯をためて久しぶりにお風呂につかる。
風呂のあと洗濯をしながら、買っておいたビールを飲む。禁酒日ではあるが家で飲むのまでは禁止されていない。ほんとは飲まない方がいいのだろうが。
今日は炎天下の中を歩き回ったのでさすがに疲れて、9時前には就寝。
2021年2月20日(土)
朝6時ごろ起き出してシャワーを浴びてから朝食。
今日の最大のミッションはATMでお金をおろすこと。実は昨日タイバーツで初の給料をもらったのあった。1月29日に作った銀行(SCB)口座への振込である。銀行のアプリもLINEもスマホにインストールしているので、昨日LINEで入金の知らせが入るし、入金はアプリで残高を確認済みである。ちなみにATMでおろすと、その知らせもLINEに入ってくる。もっともそれは出金後にわかったのだが。
酒を買う都合もあるので、出かけるのは昼である。10時半ごろホテルを出てスーパーの銀行に行く。タイではスーパーに併設されている銀行は休日でも開いているのである。もっともATMでおろすだけなので銀行が開いているいないは関係ないが。ATMの初期画面はタイ語と英語の併記でカードを入れると暗証番号を入力するよう画面が出てくる。そのあと英語、日本語、中国語などの言葉の選択ができる。もちろん日本語。指示にしたがって金額を入力して無事お金をおろすことができた。なおスマホで残高がわかるのでレシートはもらわず。ネット情報によるとお金やカードをすぐに抜き取らないと回収されるらしい。そう聞いていたのでドキドキものだったが、あわてずに抜き取ればとくに問題はない。ただタイムカウントの音はしているようなので、5秒ぐらいで抜き取らないといけないかもしれない。こわいので出てくるのを待ち構えてすぐに抜き取った。
タイに入国して2か月。日本から持ってきてたタイバーツがなくなりそうだったのでちょうどよかった。これで安心して飲みにも行ける。
さて、お金を無事におろした後、散歩がてらラヨーンで最も大きいデパートであるセントラルに行ってみることにする。デパートといっても郊外型のモールに近いものである(右写真)。昔茨城に住んでいたころ行っていた内原のモール(通称ウチジャ)を思い出した。郊外型なので市街地にある私のホテルからは徒歩で40分ぐらい、約3kmぐらいのところにある。しかも途中には何もなく歩いて面白い通りではない。まあどういうところか一度は探検。
何とか徒歩でたどりつき中をうろつく。まあ普通のモールだけどちょっと大きく、楽器店などもあった。ただし店員は見当たらなかったが。フジレストランはいいとして、ユニクロやダイソー、やよい軒なども入っており、日本企業もがんばっているねという感じ。シネコンでは「鬼滅の刃」が上映中(のよう)であった。
デパートを出てまた徒歩で移動。途中のスーパーで酒を買って、帰り着いたのは2時半ごろ。
撮ってきた写真などを整理。そのあと依頼されていた鑑定の見直しを行う。
夕方シャワーを浴びて、ビールを飲みながらテレビを見る。
いつものように10時ごろ就寝。
2021年2月14日(日)
朝方すごい雨の音で目が覚める。というか最初は爆竹の音かと思った。一昨日は旧正月だったし、昨日の午前中も爆竹を近くで鳴らしていたので。しかし朝4時から爆竹でもないだろうと思って外をみたら雨だったのである。この時期には珍しい雨だ。そういえば今週水曜日も雨が降っていて、徐々に乾季も終わりに近づいているのかもしれない。
すっかり目が覚めてしまい、ベッドの中で数独を2問解いてから、6時前に起き出す。
テレビをつけて昨夜の地震の被害などを確認するが、停電が起きたのと交通機関の乱れと負傷者が出たというぐらいで、大規模な被害にはなってなさそうであった。もちろん負傷された方や家屋の損傷などに遭われた方々には心からお見舞いを申し上げる。今のところ死者の報告はないようだが、これは幸いなことであった。やはり大震災を経験して、日本、とくに東北は地震に強くなってきてはいるのだろうと思った。
7時前に朝食をとる。今日は珍しくパッタイがある。また日本風のカレーもあったので、カレーとパッタイという妙な組み合わせの朝食をとる。もちろん栄養のバランスを考えて野菜や果物も摂る。
9時ぐらいには雨も上がった。11時前ぐらいにホテルを出て近くを散策。Googleマップを見ると歩いて行けるところに公園があり、まずはそこに行ってみる。
遊具はあるがそこには子供はおらず、少女が一人コンクリートのたたきが打ってあるところでスケボーの練習をしていた。あとはおじさんたちが日陰にたむろって話をしているぐらい。人家や通りに近いところなので、静かな雰囲気というわけでもなく、とくに何という公園でもなかった。
公園を出て散歩を続ける。日本風の居酒屋(昼なので開いていないが)のある通りを20分ほど歩き、お寺があったのでそこに入ってみる。お寺といっても日本のお寺と違い金ぴかに彩られた建物の中にまた金ぴかの仏像があるのだが、もちろんそこではお坊さんが修行をしているのである。そこで15分程度過ごし、さすがに暑くなったので、そこから歩いて10分ほどのスーパーマーケットに行き買物。例によってお酒を買える時間制限があるので、ビールやウィスキー、つまみを購入。
13時すぎに帰ってきてから、占いの鑑定の続き。いろいろ細かく書いていたら夕方になってしまった。ほぼ完成したが、気になるところが出てきて1週間見直すことにした。
夜はビールとつまみ。少しばかりテレビをみてから、9時すぎにベッドに入り数独などをやる。そのうち寝入ってしまう。
2021年2月13日(土)
久しぶりに長時間飲んだせいか、軽い二日酔いである。頭痛とか吐き気とかはないが、起きるのがちょっと億劫だ。
それでも昨夜はあまり食べていなかったので、8時すぎに朝食を食べにレストランに行く。今日はタイ風の料理はやめて和風の朝食。もっとも油ものが多くてあっさりした朝食ということにはならなかったが。
食後、ビタミンCをやや多めにとって、ベッドで休んでいたらいつの間にか寝入る。
11時すぎに呼び鈴がなって、部屋の掃除のメイドさんが来る。先週土曜日のメイドさんと同じ。20歳ぐらいのかわいい女性であり、またもやチップをあげてしまった。普段は数人のメイドさんがワッときて一気に掃除やらベッドメーキングをするので、チップを渡しそびれるのだが、一人でやってくれるので思わず感謝してしまうのであった。
昼からはネットをみたり、依頼された四柱推命の鑑定をやったり。
5時になりビールとつまみを買いに出かける。タイでは酒を売っている時間(11時~14時と17時以降)が決まっているので、買物は自然とその時間になる。
帰宅してテレビを見ながらビールを飲む。
7時ごろかみさんとLINE電話。そのあとインスタントラーメンを食べてから寝る体制に入っていると、9時過ぎにかみさんからLINEが入りそのあと電話。東北地方で震度6強の地震だとのこと。かみさんは東京にいるが、東京も結構揺れたと言っていた。テレビをつけてみると、確かに地震のニュースがつづいている。(なお日本の民放はみられる、NHKはだめだが)しかし、テレビの映像を見る限り震度の強かった宮城や福島でも大規模な停電にはなっておらず、また津波もないとのことで死者の報告もない。震度6強といえばかなり強い地震であるはずだが、大規模な災害という感じの報告は入ってこないようだ。かみさんの方もとくに物が落ちたりというようなこともなく被害はないということで、10時すぎには寝る。
2021年2月12日(金)
朝5時すぎに起き出してシャワーを浴びてから、6時すぎに朝食。7時半前に出勤して仕事というのはいつもと変わらぬ生活パターン。
夕方になり、日本人の同僚と夕食に行く約束をしてから帰宅。
6時ごろラヨーン市街にある日本風居酒屋「伊豆益に行く。
ここラヨーン県も12月下旬からレストランで酒を出すのを禁止されていたのだが(持ち帰りはOKだった)、今週9日から酒の提供がOKになった。もっともホテルのレストランは宿泊者向けに酒を出していて(私も利用していたわけだが)、そこには外来者も来るので実際はかなり甘かったと言わざるをえない。おそらくホテル以外でも9日前から酒は提供されていたと思われる。
ということで、同僚と飲みながら日本食を頼む。日本人がいると思いきや頼む相手はみなタイ人女性だ。枝豆と酢の物とアジのたたきと、あと何か頼んだっけ?忘れてしまった。飲み物はビールとハイボールと焼酎だが、ハイボールはタイウィスキーの味だった。焼酎は芋焼酎だったが、久しぶりに焼酎を飲んだ気がする。
同僚は中途入社の社員なので、会社の古い話をひとくさり。さぞ迷惑だったことだろう。まあそれでも6時から延々10時半まで付き合ってもらった。私はタイバーツの持ち合わせが少なく、彼に出してもらうはめに。これもまた失礼な話だ。ともかくも私の方は楽しく夜を過ごせたのであった。
帰宅して12時前に就寝。
2021年2月7日(日)
朝3時前に目が覚めてしまい、しばらく数独をやったりスマホをやったりしていたが、5時ぐらいに寝入って、再び目が覚めたのは6時すぎ。起き出して6時半ごろ朝食を食べにレストランに行く。
さすがに日曜日の朝なのでレストランに人は少なく、私を入れて3人。ちなみに平日の同じ時間だと10数人はいる。
今日は日本食的な朝食にしてみた。ごはんとお味噌汁、お新香、しらす、ししゃも(?)のフライ、おでんにサラダ。ごはんはおかわりして7時15分ぐらいまでレストランにいる。
部屋に戻ってから思い立って日本の銀行口座の入出金の確認をする。まあいろいろと引かれるものがあるので。気になっているのが電気代。いわゆる新電力から電気を買っているのだが、1月分の引き落としがまだのようである。おそらく調整費の計算が手間取っているのであろう。政府からも分割徴収の依頼(事実上指導だろうが)があるようで、なかなか計算できないのかもしれない。これまで6千円前後だったが、しばらく分割するにしても月2万円を超えるのではなかろうか。2月からは卸電力価格は元に戻っているようだが。
11時すぎに買物に行く。天気がよく暑かったが、長そでのTシャツを着て出かける。昨日半袖のポロシャツで出かけたら腕が結構日焼けしていたので、というわけではなく、着るもののローテーションがたまたま当たっただけ。
今日はTESCOなどの大型スーパーではなく地元のスーパーマーケットに行ってみる。タイ語で書いてあるので正確な発音はわからないが、「セーングトーング プラス」(”ング”はあまりはっきり発音してはいけない)とよめる。昨日は日本人らしい人を数人見かけたが、さすがに地元のスーパーであるせいか、日本人と思しき人はいなかった。ただしキムチを一生懸命見ていた韓国人風の男性はいた。
台所にふきんをかけるものがないか探したのだが見つからず。ビールとかインスタントラーメンとかお米とかを購入。ふきんはBigCで昨日買っておけばよかった。
お米はタイ米でいわゆるジャスミンライスと呼ばれるものを1kg。ブランドはよくわからないのでとりあえず値段が中間ぐらいのもの。一人だし試しに買ってみるだけだし。
帰りに中国工商銀行の前を通ると、赤いちょうちんや「福」と書かれたポスターが飾られている。そういえば今週金曜日は旧正月だ。と思って見渡すと、道路にも赤ちょうちんがぶら下がっている。まあタイにも結構中国系の人はいるでしょうし。
帰宅後、昼食はオレオもどきのクッキーとコーヒー。そのあとはHPの改訂のつづきとか依頼の件を検討とか。
2時すぎ、昨日とは違うメイドさんが来て、部屋の掃除とかベッドメーキングとかしてくれた。今日も1人なのでやはりチップをあげたのだが、サービスアパートだから必要はないのかもしれない。
それにしても、タイに来てから、コロナの影響もあって観光みたいなことは全くしていない。まあもう少しコロナの状況を見極めてから活動しようと思う。まずは生活基盤を作ることが先だ。
夕方になりシャワーを浴びてから洗濯。
そのあとビールとピーナツといういつもの食事。
10時半ごろ就寝。
2021年2月6日(土)
朝4時ごろ目が覚めて、それから数独をやったりスマホをいじったり。そうしているうちにいつの間にか6時を過ぎており、ベッドから出る。
シャワーを浴びて朝食。それから日記を書いたり、PCでフリーセルをやったり。
11時過ぎたところで買物に出る。今日はちょっと歩いてラヨーン市街にあるショッピングセンター「Passione」に行ってみる。このショッピングセンターは、ラヨーンのホリディイン(たぶんラヨーンで一番高いホテル、物理的に高いという意味、ひょっとすると価格も一番か?)の隣にある。
そのショッピングセンターを一通り見てから、BigCとMR.DIYで買物。BigCはいわゆるスーパーマーケットでTESCOのような店。MR.DIYは百円ショップ的な店だが価格は均一ではない。インスタントラーメン用の器とかビールとかタイウィスキーとか小さなプラケースなどを購入。620バーツぐらい使った。日本円で2200円ぐらい。タイの物価の感覚からすれば6千円見当かそれ以上。酒は高い。たいした酒ではないのだけども(というと怒られるが)。
帰ってきたのは1時前。徒歩で片道20分はかかるので、1時間ぐらいはそのショッピングセンターにいたことになる。昼飯を食べようかとも思ったが、タイバーツが少なくなってきたのでやめにする。昼飯は100バーツも出せば食べられるのでちょっとケチ臭いとも思う。軽食であれば50バーツでも十分だし。タイバーツで給料が出るようになればちょっとは贅沢ができるが、それは今月下旬の話。
で、昼は日本から持ってきたチョコレート効果86%を2つほど。これで十分である。
昼からは音楽を聴きながらHPの改訂作業。
14時すぎにホテルのメイドさん(タイ語でメェバーン)が来て部屋の掃除をしていいかと言う。(聞き取れていないがたぶんそう言っている)もちろんOKして、彼女の作業を見ていた。今日は一人である。ベッドメイキングから私が水につけていた食器まで洗ってもらった。今日は一人だったので20バーツをチップとして渡した。若いかわいい女の子でもあったし。
それからもHPの作業の続き。
5時半ごろ、バスタブにお湯をためて、久しぶりにシャワーではなくお風呂に入る。日本にいた12月17日以来のお風呂。ただ、ずいぶん浅い(バスタブの半分しかためられない)ので、体をすべりこませて肩までつかる。そのときは足は外に出している。
とりあえずお風呂でゆっくりできた。お風呂の後、ちょうど夕陽が沈む直前でそれを見ながらビールとピーナツ。その後インスタントラーメンを作って食べる。もちろん今日買ってきた器を使ってみた。インスタントラーメンは出前一丁東京豚骨味。日本では売っていないもの。
あとは酒を飲みながらぼーっとしていて、9時半ごろ就寝。
2021年2月3日(水)
今日は在宅勤務。ただし生活リズムを壊さないために5時40分ごろ起きだす。
朝食はホテルのレストラン。朝食の内容は前のレストランとさほど変わらないが、品数は多いのと、日本米で炊いたごはんおよび納豆や梅干し、ふりかけがあること。いかに日本人が多いかわかる。実際周りをみても日本企業の駐在員と思しき人ばかりで、日本語も多く飛び交っている。
午前中から午後もWeb会議の予定が入っていて、例によって「DO NOT DISTURB」の札をドアにかけてから仕事や会議など。
3時に会議が終わったので札をしまうと、間もなくメイドさんたちがやってきて部屋の掃除やらリネンの取り換えやらしてくれて戻っていった。3人で分担してやるので、ものの10分もかからない。見ているうちにあっという間に終わったという感じ。
夜はビールやつまみを食べたあと、タイ製のスパゲッティを茹でて、Pregoのパスタソースをかけて食べる。スパゲッティというよりもラーメンにトマトソースをかけた感じだ。
夜はいつもと同じように9時半ごろベッドに入り、しばらく数独をやったが完答しないうちに寝入る。
2021年2月1日(月)
朝やっぱり4時前というか3時ごろ目が覚める。それでも寝たり起きたりを繰り返して5時半ごろ起きだす。起きてからシャワーを浴びて6時半ごろ朝食。
今日はホテルをチェックアウトしてサービスアパートメントに移るということで会社は休み。
午前中は最後の荷物まとめだが、8時には終わり、あとは会社のPCを開いてメールを見たり返事を書いたり。
11時すぎに部屋を出てチェックアウト。宿泊費は会社持ちだが、水道代や電気代、レストランの食事とかクリーニング代とかは個人持ちなので、自分で支払う。合計6000バーツ弱。2万円強というところ。レストランでは結構使ったような気がするが意外と少なかった。
会社の車でサービスアパートメントに移動。12時すぎに到着。サービスアパートメントといってもホテルと全く変わらない。通常のホテルのチェックインと同じである。
荷物を部屋に入れる。ワンベッドルームの部屋で一人には広すぎるぐらいである。一応サービスアパートメントなのでテーブルや冷蔵庫などの家具はもちろん、料理器具や食器も備え付けである。また洗濯機を希望していたので、ちゃんと洗濯機は備え付けてある。ただし台所にあり何だか、無理やり置きました、感はある。
冷蔵庫にウェルカムフルーツがあり、それを昼食にする。
スマホでWifi経由でインターネットに接続しようとしたができないので電話で問い合わせ。もちろん英語で。システム担当に確認すると返事があったっきりでなかなかつながらない。
3時ぐらいになって少し暑さも和らいだので(といっても32℃ぐらいはある)近くを散歩する。散歩に出るついでにフロントに立ち寄り、インターネットの件を確認すると、受付のお姉さんには話が伝わってなかったようで、あらためて確認してもらった。彼女曰く、事前に登録していたホテル側のパスワードが間違っていたようである。また接続台数が3台に制限されているので、4台に増やしてもらうようにしてもらった。なお4台とは会社と個人のPCとスマホで合計4台である。このお姉さんはなかなか美人でテキパキと対応してくれた。これで不満解消(笑)。
このホテル(サービスアパートメント)はラヨーン市街にあるので、いろいろなお店が近くにあり便利なところである。
とりあえず1時間ほど散歩。
いったん部屋に戻り、インターネット接続の確認。すべてOK。
5時半ごろもう一度外出。近くのスーパーに行ってみると、客がすごく並んでいる。別に店が混んでるわけではなく、体温を測定してから中に入るのでその順番待ちであろう。ただ、列をなしているのに恐れ入って、近くのコンビニ(セブンイレブン)でビールとつまみを購入。
今日はひとまずビールとつまみと昼食べ残したフルーツで夕食。なおウェルカムドリンクではないが、ワイン1本がサービスされていて、ビールのあとはワイン。もちろんワインはタイ製で赤ワイン。
テレビやネットを見たりして、10時ごろ就寝。明日は出勤である。
2021年1月31日(日)
朝4時前に目が覚めるが、6時ごろまでベッドの中でスマホを見たり数独をやったり。
6時すぎに起きて、6時50分ごろホテルのレストランで朝食。
今日はこのホテル最後の日。荷物整理は昨日のうちにやっておいたので、今日はあまりやることがない。朝から日記を書いたりHPの整理(HTML5への修正)をしたり。
昼頃コンビニに行きクッキーやおつまみを買う。クッキーは昼ごはんの代わり。この1か月は昼食はもっぱらクッキーやビスケットを3-4枚食べていた。
午後も同じようなことをして過ごす。昨日の洗濯物が乾いたので荷物に詰める。
夕食は最後の1個となったカップ麺とビール。食べ物もこれで片付いた。
夕食をとりながら始めてNHK大河ドラマ「麒麟がくる」を見た。来週最終回とのこと。コロナの影響で中途半端な時期に終わるがやむをえないだろう。
2時間時差があるので見終わってもまだ7時である。ネット見たりして過ごし、9時半ごろ就寝。
タイにいるとすっかり寝るのが早くなった。
2021年1月30日(土)
朝4時ぐらいに目が覚めて、それから寝られず、数独やらスマホでネットを見て過ごす。6時に起きだし、着替えてから朝食。
朝食の後、荷物の整理。2月からはラヨーン市街のサービスアパートメントに住むため、チェックアウトの準備。約1か月滞在していたが、荷物はそれほど多くはないので10時ぐらいに終わる。
あとはネットを見たり、日記を書いたり。
昼ごろシャワーを浴びて、ついでに下着靴下などを手洗い。
昼からも日記を書いたり、月末なので日本の銀行口座の確認をしたり。入出金のチェックは毎月月末に行っている日課である。その他HPの整理など。
夜はホテルの日本食レストランで、イカの丸焼き(塩)とビール3杯と枝豆。約630THBになんだかんだ足されて約700THBとなった。2500円弱というところか。
あとはネットを見たりして過ごす。9時半ごろ就寝。
2021年1月29日(金)
朝5時すぎに起きる。
今日は在宅勤務の日だが、午前中銀行で口座を作るということで、会社の近くのサイアム商業銀行(SCB)に行く。もちろん総務の女性が同行。パスポートとワーパミを出して、あとは言われるままにサインをしたり暗証番号を入力したり。基本的には日本の銀行と変わらない。違うところといえば印鑑ではなくサインであるということぐらいか。
口座ができたところで、スマホで残高照会や振込などができるということでスマホにアプリを登録させられたのと、情報伝達の手段としてLINE登録させられた。タイではLINEが普及していることは、入国時のホテルでも登録させられたときに知ったのだが、想像以上に普及している感じである。
なんだかんだで30分ぐらいかかったが、とりあえず口座は無事に作れたので、これで会社から給料がもらえる。
ホテルに戻り仕事の続き。5時ごろまで。
今日の夜はカップ麺ですます。「チコちゃんに叱られる」を見ながらビールとつまみ。
9時ごろベッドに入り数独などをやって就寝。
2021年1月27日(水)
いつもどおり5時半ごろ起きて、朝食をとったあと会社に行く。
会社の仕事はとくに変わったことはないのだが、ワーク・パーミット(略称ワーパミ、タイの労働許可証)がとれたということで、ラヨーンの労働局に取りに行く。バンコクなどは電子化されているようだが、ラヨーン発行のは冊子である。
会社の総務の女性に同行してもらってワーパミを受領したが、総務の女性が内容を確認すると記載事項が間違っていることがわかった。そのことを指摘すると、作り直すので待っててくれ、とのこと。もちろんタイ語なので私はわからず、彼女(総務の女性)に対応してもらった。
とりあえず椅子に座って出来上がるのを待つ。よく見るとフロアで働いているのは全員女性である。で、日本の役所ではもうなくなったが、この部署は制服である。それはいいとして、その制服がポロシャツとかなり丈の短いタイトなミニスカートであったのは驚きである。目の前を通るときにはちょっと目のやり場に困るぐらいである。どうしてそういう制服を採用したのか理解不能。まさか目の保養のためということはあるまいが。タイというかラヨーンは面白いところである。
なお、うちの会社も制服だが、工場なので作業服であり、女性も同じ服である。色気も何もない。
20分ぐらい待たされて、ようやく修正されたワーパミを受け取り、労働局を出る。
これで一応役所の手続は終了。あとは銀行の口座の作成。総務の女性と相談して、今週金曜日の午前中に銀行に行って口座を作ることにした。
夕方5時すぎに会社を出る。ラヨーンは公共交通機関がないので会社の車で行き来するのだが、運転手にそうそう残業をさせるわけにもいかず、必然的に定時に帰ることになる。
今日はホテルの日本料理屋で夕食。焼鳥とビールにした。
そのあとはテレビを見たり、かみさんとLINEで話をしたり。
10時ごろ就寝。
2021年1月24日(日)
早く寝たので朝は4時ぐらいに目が覚める。起き出したのは6時頃。6時50分頃朝食をとる。
今日は一日HPネタの改訂の予定。「Do Not Disturb」の札を扉に掛けて、ひたすらエディタに向かう。
ということで今日は、外出もせず特筆すべきことはなし。
2021年1月23日(土)
さすがに早く寝入ったので2時には目が覚めて、あとは寝たり起きたりを30分おきぐらいに繰り返す。
5時には起きて数独をやったりして時間をつぶし、7時前に朝食。珍しく朝食には誰もいなかった。
午前中は、メールの返事を書いたり、日記を書いたり、かみさんと電話したり。
11時頃うとうとしていたら、掃除のおばさんに起こされて、部屋を出ることになった。ついでに袋を持って買物に行く。
ご存じないかもしれないが、タイも店では袋はもらえないのでマイバッグを持参する必要がある。(テイクアウトの食べ物屋ではくれるようだが)で、袋を持ってまずはコンビニへ。コーラとかを購入。その後、近くを散歩。Kumon(公文)の教室の看板を見つけて写真を撮った。周辺はちょっとした住宅街なので、その子弟を狙ったのか?ただあまり流行っているふうはなかったが。今はコロナだからやってないか。
今日も天気がよく気温は32℃ぐらいか。炎天下を歩いているので久しぶりに汗をかいた。普段はクーラーのきいた部屋にいるのでほとんど汗をかくことがない。暑いが何となく気持ちがいい。
コンビニでビールが買えなかったのでTESCOでビールだけ買う。ビールだけかかえてレジに並んでいたら、前に並んでいた女性(30歳過ぎか)が笑顔で私に向かって先に行けと言う。いやたぶんそう言っていたのだと思う。その女性は手押しの買物かごに山ほど商品を入れていたので、レジに時間がかかるからビールだけかかえていた私を待たせるのは悪いということだったんだろうと思う。何と親切な、日本ではまああまり経験しないだろう。断るのも何なので「コップンカーップ」と言って先にレジをすませた。なお語尾は「クラップ」なのだが、テレビなどを見ていても「カーップ」としか聞こえない。
荷物をかかえてホテルに戻る。入口でレセプションのお姉さんに笑顔で「買物ですか?」と英語で訊かれて「イエス」と答える。すっかり顔なじみ。それにしてもさっきのTESCOのお客さんもそうだが、タイの女性は笑顔が美しい。さすが微笑みの国である。
午後はPCで音楽を聴きながら、日記を書いたり、HPのネタの整理をしたり。
夕方シャワーを浴びながら洗濯。夜はテレビを見ながらビールとおつまみ。
8時すぎにはベッドに入り、9時ごろ就寝。
2021年1月22日(金)
基本的に平日は仕事をしており、とくに変わったことはないのだが、今日は在宅勤務日で、それを利用して午後から私の2月からの住まいを探しに行く。なお、午前中はWeb会議だった。
会社はラヨーン県にあるので、同じ県に住むことにする。日本人が多く住んでいるのはシラチャで、日本人学校もあるため、私の同僚はそこに住んでいるのだが、私は単身なのでとくにそこに住む必要もない。また今回コロナの感染防止対策で県境の行き来をするためには許可証が必要になったためそれもめんどくさく、また将来同様の処置がなされるかもしれないため、仕事場と同一県内にすることにした。バンコクやパタヤとかの都市からは遠くなるが、まあそこそこにぎやかでもちろん生活には困らない。
当初は、ラヨーンの観光地である海岸沿のアパートも考えたが、ショッピングセンターとかとは遠くなるので、生活はやや不便となるため、そこはやめにした。また、ラヨーンで最も高級と目される「ホリディ・イン」もちょっと高いのでやめにした。便利だし設備も整っているのでいいのだが。
で、それよりもちょっと落ちるサービスアパートメント(実質ホテルであるが)を見て回る。いろいろあるが、とりあえず今日のところは決めず。アパートの周辺のショッピングセンターを見て回る。いくつか見て回ったが、ラヨーン市街ということもあり、私が今よく行っているLOTUS/TESCOよりも品ぞろえは充実している。案内してくれた会社の人曰く、もちろん地元のスーパーや市場もあって、そういうところの方が安いとのこと。まあ住み始めてからそういうところは探検しよう。
夕方ホテルに戻り、テレビを見ながら以前買っておいたカップ麺を食べる。食べながら、もうこのホテルともあと10日でチェックアウトであることを思い出した。フロントやレストランのお姉さん方とも顔なじみになってきたので、少し寂しい感じはする。
テレビでは「チコちゃんに叱られる」をやっていて、それをぼーっと見ながらビールを飲む。
何だか眠くなり、7時半を回ったところで就寝。
2021年1月17日(日)
朝5時ごろ起きる。
7時ごろホテルの朝食をすませて、あとは「Do Not Disturb」の札を掛けて、部屋に籠ってHPの修正。といっても内容を変えたり充実させたりするわけではなく、HTML5への移行作業のみ。
ちょっとだけタイ語の勉強。
休みなのに外出しないのは、新型コロナによる自粛のため。
それで一日が終わる。
ビールとピーナツで夕食代わり。
9時ごろ就寝。
2021年1月16日(土)
朝4時半ごろ目が覚めるが、起き出したのは6時すぎ。しばらくぼーっとしてから朝食。ホテルのビュッフェ。
例によって「Do Not Disturb」の札をドアに掛けてから、紅茶を入れて、日記を書いたりHPの整理をしたりして過ごす。紅茶はホテルの提供するティーパック。
今週は、タイは非常に涼しく、北部の方では最低気温が10℃を大きく下回った日もあったらしい。低体温で死亡した人もいるとの話も聞いた。台湾でも最低気温が3℃ということがあり、そのときには凍死した人も出たのだが、タイでもそういうことが起きるとは思わなかった。私のいる東部ラヨーン県もだいぶ涼しく、最低気温は16℃で最高気温も26℃ぐらいという涼しい日が続いた。今日はそんなことはなく、10時時点ではクーラーはいらないが、日中はクーラーが要るぐらい暑くなりそうだ。
昼になり近くのショッピングモールでビールやつまみ、水などを買う。
ホテルに戻ってからはHPの整理。音楽を聴きながらの作業。曲はモーツアルトやハイドンのピアノソナタなど。HPの整理が一段落したところで、タイ語の勉強。
夕方、シャワーを浴びながら洗濯。
夜は買ってきたカップ麺「辣豚骨」を食べる。これも日清食品。タイでもカップヌードルは人気のようだ。
テレビを見たり、かみさんとLINEで話したりして、8時半ごろベッドに入る。9時すぎ就寝。
2021年1月12日(火)
今日は在宅勤務でホテルで仕事。といっても、駐在してまだ1週間しかたっていないので、とくにやるべき仕事がたてこんでいるわけではなく、次々と来るメールや資料を読んだりするだけである。
生活のリズムを壊さないよう、起きる時間は6時前、朝食も6時半ごろとって、あとは「Do Not Disturb」の札をドアにかけて、PCの前に座り込んでいるだけ。
タイは今は乾季なので全く雨が降らずいい天気である。そんな日に部屋で籠り切りはもったいない気もするが、何せコロナが流行っていて外出もできるだけ自粛するように言われているのでしょうがない。
しかしさすがに気が滅入るので、昼は近くのコンビニに出かけて、ちょっとした買い物。水とかビールとかボールペンとか。
そんなこんなで一日が終わる。
夕食はビールとピーナツやつまみ(TARO)を食べただけ。レストランで食べてもいいのだが、部屋を出る気力がなかった。食事のために着替えもめんどくさいし。
テレビでニュースを見たり、タイ語のテープを聴いたりしてから9時ごろ就寝。
2021年1月10日(日)
4時半ごろ目が覚める。途中目が覚めたが、結構よく眠れた。ベッドの中でスマホをいじくってから6時ごろ起き出す。
午前中は個人的な資料の整理。あくまで個人的なものなので詳しくは書かない。
途中、掃除のおばちゃんが来て、部屋の掃除をするというので、部屋を出てしばらくホテルのロビーで時間をつぶす。
昼食は昨日買ってきたOLEOで済ます。
午後からはHPのアップデートのための資料作り。
夕食は買ってきていたカップ麺ですます。8時ごろ早々に就寝。
2021年1月9日(土)
目が覚めたのはだいぶ前だが、6時前に起き出す。
朝食を7時前にとって(ホテルのビュッフェだが)、その後は日記を書く。
昼前にショッピングモール(TESCO)に行く。タイは乾季なので今日もいい天気だ。タイに来て3週間になるが、全く雨が降らない。
今日はちょっと変わったものを買おうと思う。ビールは象のマークのChang、つまみはタラの珍味であるTARO、カップ麺は出前一丁とは書いていないが少年のトレードマークがついている辛味、あとはピーナツとOLEO。OLEOは日本でもあるお菓子だがタイの味は如何?
昼からは、メールを書いたりHPの修正をしたりネットサーフィンをしたりで、何となく夕方になる。夕方から洗濯(手洗い)、そしてシャワーを浴びてから、ビールとつまみ。ここでは日本のテレビが見られるので、テレビを見ながら晩酌というところ。これでは日本の生活と何ら変わりがない。まあビールの味が違うぐらい。
20時ぐらいまでテレビをみてからベッドに入る。ベッドに入ってから数独を1問(超上級者向けを20分程度で)解くと眠くなり、そのまま就寝。
外出先がタイの店だということを除くと、日本での休日と全く変わらない。
2021年1月8日(金)
昨日は在宅勤務で特記すべきことはなし。
今日は2日ぶりの出勤。7時半ごろ出社。
午前中はとくにやることもなく、ぼやーっと資料などを読んでいた。経理担当のマネージャーが来て、オリエンテーションについて立ち話。とりあえず今月末か来月始めぐらいにやりましょうということになり、日程については私の方から連絡することとした。
あとは地域の感染情報などをチェック
昼は例によって食堂で。12時10分ごろ行ったらだいぶおかずがなくなっていた。早めに行かないと飯も食いそびれてしまうかもしれない。
午後は会社の人と移民局に行く。そこでビザの変更。シングルビザで入国したのだが、それをマルチビザに変更。手続自体は会社の方で行ってくれて、私は単に行って写真を撮られるだけ。とくに質問も何もなし。あとは労働許可証の取得であるが、それは来週以降となる。
14時半ごろ会社に戻り、あとは時折届くメールに目を通したり。
17時に会社を出てホテルにいつものように17時半に戻る。
今日の夕食は、1週間お疲れ様ということで一人慰労会。レストランで餃子と鯖の塩焼き、ビール2杯。1600円ほど。このペースだと1週間に1万円ほどの勘定になる。1か月で夕食だけで4~5万円。ちょっとかかりすぎのような気がするので、来週からは節約しよう。
ラヨーンに来て初の週末らしい週末を迎えるが、コロナの感染が拡大中でロックダウンしているので、散歩ぐらいはするにしても基本的にはホテルで籠りきりの予定。
2021年1月6日(水)
今日は在宅勤務。朝食はいつもどおりホテルのレストランでビュッフェ。
在宅勤務といってもタイの業務はとくにないので、ホテルのWifiを使ってインターネット経由で日本の本社のネットワークへの接続を試みる。
本社の人とメールのやり取りをしながら、何とか接続成功。結構時間をとってしまい午前中はそれで終わる。しかしおかげで社内のイントラネットが見ることができ、本社からの連絡事項はわかるようになった。もっとも同じ内容はメールでも来るのだが。
昼休み時間を利用して買物。歩いて10分のところにあるショッピングモール、LOTUS TESCOに行く。TESCOは日本では利用することはなかったが、台湾ではよく行っていたショッピングモールである。
ここではしっかりビールが買え、他にピーナツやカップ麺を購入。カップ麺はカップヌードルシーフード味、まあ一番無難な選択かと。
13時ごろホテルに戻り、あとは日本から持ってきたタイの会社に関する資料を読んだり、ノートにまとめたりする。
17時業務終了。ピーナツつまみにビールを飲む。かみさんとLINEでやりとり。かみさんはかみさんで実家の方が大変のようである。今日はホテルのレストランには行かず、夕食はカップヌードルで済ます。シーフード味で、味は日本のものとほとんど変わらないのだが、久しぶりに食べたせいかおいしく感じる。
その後はスマホでネットを見ながら9時半ごろ就寝。
2021年1月4日(月)
4時ごろは起きていたのだが、ベッドの中でごろごろして5時半ごろ起き出す。
7時にホテルを出発、7時半ごろに会社に到着。9時から会議。私を会社幹部に紹介するためにわざわざ会議を開いてもらった。ただし、面と向かってではなく、MS Teamsを使ったWeb会議である。まあタイの会社には以前にも何度か来ているので顔は知っているのだが、あらためての挨拶。1時間ほどで終了。
あとは事務手続やら、消えているメールに目を通すなどの作業。
ラヨーン県はタイの中でもとくにコロナの感染が蔓延しているということで、会社は今日からシフト出勤制になっている。私は来たばかりだが例外ではなく、Aグループ(2日出勤、2日在宅)で、今週は6,7日が在宅勤務ということになった。ともかく、他部署とくに製造部署とは接触しないでくれということで、出勤していてもオフィスに籠りっきりの状況。当面オリエンテーションも延期ということで、正直あまりやることがない。
昼食は会社の食堂。出勤者も少なく閑散としている。ごはんとおかずとスープで30バーツほど。正確な数字がききとれなかったので、とりあえず50バーツ出したら10バーツとあと小銭がきたので30バーツは越えていたのだろう。まあ120円ぐらいというところか。
午後は日本にメールを出したり、持ってきた資料を整理したりして、何となく1日が終わる。
17時に会社を出て17時半にホテルに戻る。
ホテルのレストランで、初出勤を祝って一人でビール2杯と鉄火巻と鳥のから揚げ。日本円1600円ぐらいだろうか。
部屋に戻ってテレビを見る。CNNや現地のニュース(言葉はわからないが)をぼーっとみる。
21時ごろ就寝。
2021年1月3日(日)
新しいホテルでの朝。
今日から部屋に隔離されることもなく、またお弁当(?)も来ないので、朝食を食べに1階のレストランに行く。朝食は無料。一般的なビュッフェだが、味噌汁があるところが面白い。
朝食後は日記を整理して、さらにHPのアップ。昼前に近くのコンビニに行ってみる。なお、タイでコンビニといえばセブンイレブンであり、タイのコンビニの8割方はセブンイレブンであるらしい。もっとも私のいるラヨーン県ではGoogleマップで見る限り、セブンイレブン以外のコンビニはなさそうだ。
コンビニでビールを買おうと思ったら、アルコール類の棚にはカーテンがかかっている。確か昼11時からはアルコールの販売はOKのはずだが。ひょっとしてこの店は酒の販売を自粛しているのかもしれないと思い、その他のもの、水とかカッターとか(刃物類を全く持って来なかったので)を購入。しかし肝心の目的である酒が買えなかったのは残念。
HPの整理などしているうちに夕方になる。
18時ごろホテルのレストランに行く。日本食とイタリアンである。本当はパッタイが食べたかったのだが、焼うどんとビールを注文。日本円で千円程度である。日本の食堂だとそんなものだが、タイの物価水準からはだいぶ高い。
かみさんとLINE電話して、明日は出勤なので、少々早いが20時半ごろ就寝。意外と早く寝入ってしまった。
2021年1月2日(土)
いよいよこのホテルともお別れである。
2週間の隔離期間、始めはどうやって過ごそうかと思っていたが、過ぎてみるとあっという間であった。最初の数日間は帯状疱疹に悩まされて体調を崩し1日中寝ていた日が続き、元気になってからは占いの返事を書いたり日本の予測をしたりで、タイ語の勉強は少しやったものの、日本から持ってきた仕事関係の資料の整理などは全く手つかず。年明けに仕事が始まったらぼちぼちやるか。
昼頃会社のドライバーが迎えに来るとのことで、11時半ごろチェックアウト。会社のドライバーはもう来ていた。
支払いは会社が行うので私はとくに手続は不要。金額は6万バーツ。日本円で20万円強。3食付きとはいえ高い感じはする。タイの物価水準からすればなおさらだ。日本もどうせ外国人を入れるならホテルを助ける意味でも強制的に2週間の隔離を行えばいいのではないか。数十万円であれば金を払ってでも来る外国人はいるはずである。
それはともかく、2週間の検疫隔離が終わった証明書を受け取り、2週間使っていた体温計をおみやげに渡されて、会社の車に乗り込む。
今度はラヨン県にある会社の近くのホテルに移動。住まいが決まるまで滞在の予定。まあ1か月ほどか。
会社の人2名がホテルに来て、出所祝い(?)をしてくれた。ラヨーン県はロックアウトの真っ最中であり、市中のレストランは開いていないが、ホテルのレストランは大丈夫とのこと。サービスアパートメントを兼ねているので、滞在者に食事を出すために例外的に開いているらしい。
久しぶりにビールを飲む。さぞおいしかろうと思いきや、意外とおいしくない。酒抜きに慣れてしまったせいだろうか。まぐろの刺身と豚肉の炒め物(タイ料理)をいただく。酒はビールから日本酒に切り替えたが、日本酒もやっぱりあまりおいしいと感じられなかった。
それでも結構酔っぱらってしまい、昼食の予定がだいぶずれこみ16時半ぐらいまで食事していた。
会社の人は帰り、私は自室に戻る。かみさんとLINEのやりとりをちょっとして、18時すぎには寝入ってしまった。
午前0時に目が覚めて、ちょっと気分が悪いので太田胃散を飲んでから、また寝る。しかし、あとはほぼ1時間おきに目が覚める。
2021年1月1日(金)
あけましておめでとうございます。
部屋が西北向きなので初日の出は拝めず。まあタイは暑いので北向きの方がいいのであろうが。そういえば台湾も北向きの部屋だった。
昨日の続き。日本の予測だが、どうも悲観的な内容になった。
明日、2週間の隔離が終わりパタヤのホテルを出るので、荷物をまとめる。会社のPCやモニタ(実際はあまり使わなかった)、洋服、本などを整理、明日の着替えを除きカバンに詰める。
18時に最後の体温測定は36.7℃。問題なく報告。
NHKワールドでN響演奏会でベートーベンの3番「英雄」を聴く。19時終了。
それからまだ仕舞っていない数独の本でしばらく時間をつぶす。
やることもなく20時就寝。
2020年12月31日(木)
4時すぎから2度寝して朝5時半ぐらいに起きる。今日は大晦日だ。隔離もあと2日。
午前中は日記を書き、ようやくタイに赴任するまでの一連の手続を書き終えた。
午後は、恒例の新年の日本の予測にとりかかる。
途中13時半ごろ、掃除ということで部屋を追い出されて、ホテルのプールサイドで時間を潰す。
14時半ごろ部屋にもどり作業再開。今日のところは終わらず、明日に持ち越し。
18時に夕食。その後タイ語の勉強。
19時ごろかみさんからLINE電話。紅白を見ているらしい。私の方はタイのテレビはあまり年末らしくなく、いつもどおりの番組をやっている。
20時半ごろ就寝。
午前0時ごろ花火の音で目が覚める。パタヤではカウントダウンはやらないと思っていたのだが、やっていたようで花火の音と歓声が聞こえる。コロナは大丈夫か??
それからしばらく寝付けず。3時ごろからはうつらうつらしているが、深い眠りにはならず。
改訂 2021年 7月 4日 ファイル名変更、以降不定期に書き加える