hirotoの生活と意見 - タイ王国生活編

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■ タイ王国生活編 2025年 について

 2024年7月31日に母が亡くなり1年がたちました。父も亡くなってから3年がたちます。つまりは、タイに駐在している間に両親を喪ったということになります。タイにいて両親の死に目に会えなかったのはちょっと心残りではあります。とくに父の場合はコロナのせいで帰国が遅れたいうこともありました。
 そのうえ、一昨年から会社でも面倒なことが続いていてなかなか日記を書く気がおきずにうっちゃっていましたが、母の一年祭(家は神道なのでお祭り)も終わり、まだタイ駐在は続くものの、両親とも亡くなったことで私の人生に一区切りついた感があり、日記を再開することにしました。相変わらずの駄文ですが、私個人の備忘みたいなものですので、とくに他人に読まれることを意識せずに書いています。未来の私に対して書いているというところでしょうか。



2025年8月1日(金) 一時帰国

 今日はいつもどおりに会社に行き仕事。
 夕方4時半に会社を出て、バンコク・スワンナプーム空港に向かう。今夜の便で日本に一時帰国するのである。今回の一時帰国の目的は、運転免許証の更新。タイに駐在する前、2020年に更新してから5年がたったというわけである。(優良運転者なので)
 夜便に乗ると翌朝6時頃羽田空港に到着することになる。一応航空会社のステイタスがあるので(両親の葬儀や何やらで昨年は一時帰国が多かったため)航空会社のラウンジでビールや日本酒とつまみ(枝豆と山菜)を食べて時間を過ごす。
 フライトは予定通り。食事をとった後音楽を聴きながら仮眠。音楽はフライトで提供されている永野光浩のリラクゼーション・ミュージックである。彼の音楽だとすぐに寝付くのだが、途中で通路を人が行き来するたびに起きるので、結局合計しても2時間ぐらいしか眠れず。到着1時間半前には起こされて、そして早朝6時すぎに羽田に到着。入国手続を行って空港を出る。


2025年8月2日(土)

 昨日の続きである。
 電車を乗り継いで朝7時40分ごろ自宅に到着。飛行機であまり寝られなかったので、家に着いてからもしばらく寝る。
 9時半ごろ起きて荷物の取り出し。そして、運転免許更新のはがきが届いていたので、運転免許更新の予約。ほどなくQRコードが届き、スマホに保存。予約は江東運転免許試験場で1時からの受付。
 11時すぎ、かみさんは今日はオケ(オーケストラ)の練習に出かけていった。
 私はかみさんが出かけた後昼食を食べるため歩いて駅の近くの日高屋に行く。日高屋ではビールと野菜たっぷりタンメンという定番の食事。
 その後スーパーに行き今晩の夕食を購入。鰹のたたきや握り寿司、ヒレカツなどとにかく調理をしなくてすむお惣菜とビールを購入。タイではあまり飲めない黒ラベル、キリンクラシックラガー、マルエフ、一番搾り香るエールなど。ちなみにシンハーも店にあるが、いつも飲んでいるので日本では飲まない。
 帰宅後、夕方まで郵便物の整理。前回は6月に帰国しているので約2か月分の私宛の郵便物ということである。ほとんどは所属する法人や学会の雑誌や銀行やカード会社からの連絡である。一通り目を通して、必要なものは返事を書いて、何だかんだで2時間以上かかった。さらに会費など振込が必要なものもあり郵便局へ出向いて振込。そうこうしているうちに夕方になる。
 5時に風呂に入り、5時半ごろからビールを飲み始める。昼も日高屋でビールを飲んだので、まあ結構飲んでいますな。
 6時すぎにかみさんが帰宅。
 かみさんからオケの練習の話を聞きながら夕食。買ってきた寿司はかみさんに大半を食べられてしまい、私は鮪の握りを1貫のみ。まあ鰹のたたきは私がほとんど食べたのでよしとしよう。
 それからだらだらと飲み、10時前に就寝。


2025年8月3日(日)

 途中目が覚めたりしたのだが、タイにいるときよりもよく眠れた感じで、7時前には起きてだらだらとスマホなどを見ていたが、7時半に起き出す。かみさんはまだ寝ている。
 神棚にお茶とお酒をあげて(これは若いころからの習慣)から、かみさんに声をかけて(起こして)から、近くの神社に参拝にでかける。徒歩で10分弱、さほど大きくない神社だが地域の産土神社であり由緒正しい神社なのである。天気が良く風もなかったのだが、私が参拝に訪れると徐々に風が吹き始めて、注連縄の紙垂が1つ、また1つと揺れ始めた。こういうことはよくあって、神様の歓迎のサインと勝手に受け取っている。本殿と稲荷社に参拝して10分ほどいてから帰る。鳥居をくぐって出るときには風もやみ、紙垂の揺れは止まっていた。
 帰宅するとかみさんは朝食の用意をしており、ほどなく朝食。
 かみさんはビオラの練習、私はしばらくテレビを見ていた。
 昼前に出かける。電車で池袋に行きまず東武デパートへ。鳩居堂でお香と暑中見舞いハガキを購入。ハガキは毎年律義に暑中見舞いをくれる友人への返事のため。お香はタイで使うため。
 そのあと東武の地下で親戚にお菓子を送り、さらにサンシャイン近くのニトリで鏡(姿見)とスツールを物色。
 かみさんが譜面台を買うというので池袋ヤマハへ。譜面台と弦楽器用のチューナーを購入。
 2時前、少々遅い昼食となったが、ヤマハ近くの洋麺屋五右衛門でスパゲッティとビール。
 帰宅途中、ドラッグストアでマスク、歯ブラシ、胃薬などを購入。ここ半年ぐらい胃の調子が悪くたまに胸やけを起こすもので。今日はガストールとスクラートを購入。これまでいろいろな胃薬を購入しているがスクラートは始めて買う。就寝前に飲むことでどのくらい効果があるか期待。そのあとスーパーで夕食の食材購入。
 帰宅後、暑中見舞いの返事を書き、そして散髪。前にも書いたが散髪はかみさんにやってもらっている。
 夕食は早く5時半ごろから。明日はかみさんが朝早くアンサンブルの練習に出かけるということで、早々に就寝。9時すぎ。なお胃薬は飲まず。


2025年8月4日(月) 運転免許証更新

 朝7時すぎに起き出す。
 朝食後かみさんは8時半ごろ家を出ていった。私は、9時ごろ家を出て池袋へ行き、銀行のはしご。通帳記入や預け入れなどを行ったあと、家に戻り免許更新の書類(といってもハガキと免許証)の準備、そのあと少しばかり会社の仕事。
 11時半ごろカップ麺を食べてからシャワーを浴びて家を出て、江東運転免許試験場に向かう。
 それにしても、タイ駐在が4年半以上になるのに、更新時ハガキが来たのはちょっと変であるが、私は住民票を抜いたもののかみさんはそのまま住んでいるから、更新時ハガキが行方不明にならずに手元に届いたものであろう。本来は海外在住者は仮の住所を証明する人が必要であるはず。手続きについては警視庁のウェブサイトを参照のこと。
 それはさておき、1時前に試験場に到着し手続を行う。昔は手書きで申請書を書いたものだが、今はQRコードをかざせば書類が印刷される。そしてその書類を持って申請手数料を支払い、目の検査、写真撮影などを済ませればあとは更新時講習だけ。ずいぶん簡単になったものである。昔は数千円の交通安全協会費を支払ったものだが(強制ではない)それもなくなった。で、ここまでで15分程度。ただし15分のうち半分以上は列に並んでいる時間、並んでいるところの窓口の作業を効率化すればもっと時間は短縮できるだろう。
 更新時講習は1時半から30分間。優良運転者なので30分間の講習で済む。もっとも20年以上路上では車の運転はしていないので(原付には乗っていた)、無事故無違反は当然のことである。
 2時すぎ、無事に免許証を受け取り、地下鉄東西線で神楽坂まで。神楽坂で降りて駅のすぐそばの赤城神社に参拝。ここも毎回ではないが、帰国したときには立ち寄ることにしている。なお、ここでは風は吹かなかった。神楽坂の近くであり参拝者も多いので、まあ私などはその他大勢のうちの一人ということなのであろう。
 で、かみさんに電話。スーパーで待ちあわせし、夕食の食材を買って帰る。
 帰宅した後、私は明日タイに戻るので荷物詰め。かみさんは疲れたといって寝てしまう。
 6時ごろから私だけビールを飲み始める。そのころにはかみさんも起き出して夕食の準備。といっても酒のつまみばかりだが。
 明日は朝7時に家を出るので早めに就寝。といっても10時前なので普段と変わらないが。
 なお今日も胃薬のお世話にはならず。


2025年8月5日(火)

 朝6時半前に起きて出かける準備。かみさんは今日は忙しいとのことで、7時前に一人で羽田空港に向かう。いい天気だが少し雲があり富士山は見えなかった。
 空港第3ターミナルに着きチェックイン後吉野家で牛丼を食べる。その後改造社書店で『脳・心・人工知能〈増補版〉』(甘利俊一著)を購入。
 出国手続を行い、免税品店でおみやげ(お菓子)を買ったのちラウンジへ。フライトまでまだ1時間半ほどある。
 ラウンジではウィンナーとビール。何だかあちこちでビールばかり飲んでいるような気がする。
 フライトは順調で、機内食もしっかり食べて、タイには昼の3時前に着陸。3日前に入国申請をネットで行っているので(今年の5月1日から実施された)とくに入国も問題なし。このネットで行う入国申請だが、QRコードは送られてくるものの、とくにQRコードを使う場面はない。パスポートをスキャンすれば申請内容は係員で確認できるらしい。私の場合はパスポートの労働Visaを確認され入国スタンプを押されてそれで終わり。なお、入国の事前申請を行っていないと別室に連れていかれるようである。ちなみに私はファストトラックも使えるのだが、人数をみて入国にさほど時間もかからないと思われるときは使わない。
 アパート(ホテル)に着いたのは5時半すぎで、いつもより早い。
 荷物を取り出し洗濯。LINEでかみさんに無事に着いたことを知らせてからビールを飲みはじめる。
 またいつものように日常が始まる。明日は会社だ。ということで10時前に就寝。


2025年8月9日(土)

 今週は3日しか出勤していないので、何だかあっという間に週末が来た感じ。
 この週末は私が関係する財団法人の資料を読み修正するという作業をしなければならない。A4で150ページもあり、誤字やレイアウト等細かいチェックが必要なので大変である。
 10時半ごろ買物に出かけてビールやつまみなどを購入。タイでは昼は11時~2時しか酒を売ってくれないので、この時間にスーパーやコンビニに行く必要がある。炎天下を徒歩で行くので汗だくになる。タイ人はそもそも外を歩かないし(バイクか車を使う)汗もかかない。汗腺が日本人とは違うらしいが、本当かどうかは知らない。
 で、買物から帰って着替えてから、資料の読み込みの作業の続き。4時まで作業をしたが、まだ80ページ、半分ほどしか読めていない。
 字面を追うのに疲れたので4時に作業をやめて、着替えてアパートの周りを走る。約110m毎分以上はランニングと言われているので、私の場合最初はランニングである。もっとも長くは続かず10分も走ると息が上がってランニングからジョギングに切り替えるのだが。
 30分ほど走ってから部屋に戻り風呂に入る。ここ1年ぐらいは風呂には入浴剤を入れるようにしている。何となく身体がほぐれる感じがするので。
 で、風呂上りにビール、これが最高である。タイでの私の楽しみの一つである。つまみはゆでピーナツとさきいか。
 夕食をとらずに9時すぎにベッドに入る。
 夜中11時前に目が覚める。ちょっと胸やけ。久しぶりの胸やけである。起き出してガストールを飲む。胃酸を抑えるM1ブロッカーが配合されている。しばらく上体を起こしたまま過ごし、何とか12時すぎに再び寝入る。今度は朝まで眠れた。(といっても4時半には目が覚めたが)。


2025年8月10日(日)

 4時半に目が覚めて二度寝しようと思ったのだが寝付けず。あきらめてベッドの中で数独。
 5時20分に起き出して、PCを立ち上げて昨日の資料のチェックの続き。それに飽きたらゲームをして、そしてまた資料とにらめっこ。
 途中ビールを買いに近くのスーパーへ行く。30分ほどで戻り作業の続き。
 何とか昼過ぎに150ページ余りの資料のチェックが終わる。正直疲れた。
 昼食はパンとコーヒー。そのあと四柱推命についての質問のメールに対する回答を作成。回答自体は7月中に半分以上は書き終わっていて、その続きを書く。会社の仕事もそうなのだが、いったん手をつけて6,7割終わったところで中断し、残りを時間をおいてから手をつけるのが私のいつものパターン。一気呵成にやると見逃しがあったり冷静さを欠いていたりすることがあるので、いったん作業を中断して冷却期間をおくようにしている。この回答もそうである。
 そうしているうちに夕方になり。昨日と同様ランニング+ジョギング、その後ビール。買ってきた『脳・心・人工知能』を読みながら、今日は夕食にインスタントラーメンを食べる。昨日夕食を抜いたせいで胃酸が出すぎたのかもしれないと思い、いったん物をお腹に入れることにした。
 かみさんとLINE電話で話をしてから、9時半ごろベッドに入る。今日は念のためスクラート(胃薬)を飲んでから寝る。幸い今日は胸やけは起きず朝まで寝られた。ただし目が覚めたのは4時すぎで、やはり二度寝はできず、朝5時半に起きる。
 月曜日なので出勤。いつものように朝6時55分に家を出る。


2025年8月12日(火) 母の日

 今日はタイの母の日、シリキット王太后の誕生日で祝日である。もちろん会社は休み。私の住んでいるアパート(ホテル)では彼女のカラーである青色の旗とタイの国旗が掲げてある(1週間前から)。
 今日はとくに予定はないので、たまっている日記を書く。このページの冒頭にあるように、8月1日から日記を再開することにしていて、この前の週末(土、日)のことを書く。といっても、とくに内容はないが。
 10時半ごろ近く(といっても徒歩で20分かかる)のモールに行き買物。ちょっと思い立って本屋に立ち寄り本を1冊買う。タイ語の星占いの本。「カムピー・ドゥアンプラカーシット2568」と読むのだろうか。「聖なる運勢のお告げ 2568年」というような意味だろうと思う。中を見ると仏暦2568年(すなわち西暦2025年)の毎日のタイ式星図(ホロスコープ)およびその日の運勢が書かれているようだ。タイ語なので中身はすんなりは読めない。まあ内容はともかくとしてタイ式星図がどのように作成されているかを知るために買った本で、基本的には西洋のホロスコープと構成は同じのはずなので、星図をながめていればそのうちわかるだろう。別に日々の運勢は日本で運勢暦を買ってきているのでそれで事は足りている(九星なのであまり信じてはいないが)。
 帰宅したら12時を過ぎていた。昼食はパンとコーヒー。先日の日曜日と同じである。
 買ってきた本の表紙の写真を撮り、タイ語辞典で意味を調べる。そして日記の続きを書く。
 夕方4時になり、休みの日の日課であるランニング/ジョギング、風呂そしてビール。
 で、7時(タイでは5時)のNHKニュースを見ていると、日経平均株価が最高値更新とのこと。かみさんは日本株の投信で資産運用をしているので今のところはいい話なのであるが、個人的にはあまり喜べないのではないかと思っている。不動産価格の上昇と株価の上昇といえば1980年代から90年代にかけて起きたバブルを想起するのは私だけではあるまい。まあ今の政府日銀は当時のようなバブル潰しはしないと思うが、ちょっと先行きは不透明となってきたと感じる。
 夜はかみさんとLINE電話で話をして、9時前にはベッドにはいる。その後は数独。いつ寝入ったか覚えていないが、たぶん9時半ぐらいには寝入る。もっとも12時前に一度目は覚めたが。


2025年8月某日(-) 誕生日

 今日は私の〇〇歳の誕生日である。この歳になるとあまりめでたいという感じではないが、それでも一年の節目という思いはある。  で、平日であるので出勤日。いつもどおり7時20分ごろ出勤。
 実は総務の女性に誕生日のケーキを注文していて、朝方会社に届く予定である。もちろん自腹である。というか、タイでは誕生日は祝われるものではなく、お祝いに親しい人にふるまうの普通である。食事などをふるまえればいいのだが、何せ人数が多いので毎年ケーキで勘弁してもらうことにしている。それでもホールケーキを5個、チーズケーキを7個(塊)注文し、さらに8月上旬に買った日本のお菓子などを付けて社内に配って回った。タイバーツで1万バーツ以上、日本円に換算すると〇万円かかった。詳しくは省くが結構な金額となった。まあ年に1度のことなのでよしとしよう。なお、ホールケーキはラヨーンにあるCafe Kantaryのアメリカンチョコレートケーキ(どこがアメリカン?)、チーズケーキは同じくラヨーンにあるFRANKのプレミアムバスクチーズケーキである。
 で、ケーキが届いて、オフィス内の社員が集まって「ハッピー・バースデイ・トゥユー♪」と歌い出すのも恒例。毎年のことながらちょっと恥ずかしい。写真を撮ってから、あとは女性社員(実はオフィスに男性はあまりいない)がケーキを分けてくれて、持ってきてくれる。これで誕生日の行事は終了。
 午後になって、私の住んでいるサービスアパートメント(実質的にはホテルだが)の担当者がケーキを持って会社にやってきた。いつもは部屋に持ってきてくれるのだが、今日は会社に持参してきた。それはありがたいのだが、ケーキをみるとCafe Kantaryのチョコレートケーキで私が注文したものと同じである。他にもケーキはあるはずだが、かぶってしまった。まあありがたくいただいて持って帰る。
 会社をちょっと早めに出て帰宅。帰宅後、アパートの近くの居酒屋に行き一人で誕生祝い。いつもは寿司は鉄火巻か納豆巻なのだが、今日はちょっと贅沢して本マグロの握り寿司を注文。3貫で500バーツなのでかなり高い。ちなみに納豆巻は120バーツ、鉄火巻は150バーツ。その他はいつものようにイカ焼きとか焼鳥とか冷奴とか。
 7時半ごろアパートに戻り、かみさんとLINEで電話。他愛のない話を1時間弱ぐらいする。
 そのあとは焼酎を飲みながら(まだ飲むのか?)本を読む。9時半ごろ就寝。


2025年8月23日(土) OTOP

 土曜日は休みだが、だいたい平日と同じように6時前には起きる。
 朝食をとってから知人にメール(事務連絡)を送る。そのあとは数独で時間をつぶす。
 9時頃メイドさんが来て部屋の掃除。サービスアパートメントなので掃除は家賃に含まれている。掃除とトイレットペーパーやティッシュの交換、ごみの回収などで10分程度。
 10時前にアパートを出て、徒歩でラヨーンの競技場へいく。今週末OTOPがあるというのでそれを見に行く。
 OTOPというのは One Tambon One Product の頭文字をとったもの。日本語でいえば一村一品である。なお一村一品は大分県が発祥の地で、私は1986年から93年まで大分県に住んでいたので、一村一品運動はよく知っている。
 で、日本のデパートで行われている〇〇県物産展みたいなものを想像して行ったのだが、別にそういう感じではなく、そのあたりで開かれている市場とあまり変わりない印象である。もちろん地方の名品らしきものは売っているのだが、なぜか寿司とか中華料理とかも売っているのはご愛敬というべきか。あまり地方色を打ち出している感じはなかった。
 ちなみに私は日本のデパートで行われている物産展は好きでよく行く。で何かしら買うのだが、今回はあまり買いたいものもなく会場を後にした。
 その後スーパーに行きビールとかつまみを買って帰宅。
 昼はもらった誕生日のケーキ(冷凍している)を食べる。その後は昼寝。3時ごろ起き出して風呂を入れたのち、ホテルの周りをランニング+ジョギング。
 その後は池上さんのTV番組を見ながらビールを飲む。そしてかみさんと電話。
 9時半ごろ就寝。


2025年8月30日(土) Rangsit

 今日は1か月ぶりのバンコク。これまでも書いてきたように1か月に1度はバンコクで息抜きするようにしている。実際には割とあわただしくてあまり息抜きにはなっていないが。
 朝8時にアパートを出て10時過ぎにバンコク中央駅(バーン・スー中央駅、クルンテープ・アピワット駅など呼び方はいろいろ)に到着。ここからレッドラインでランシット駅に行く、事前にGoogle Mapで見たところではランシット駅の周辺には何もない。私の目的は単にレッドラインに乗って終点に行くということだけなのである。
 ちなみにレッドラインには何回も乗っている。というのは、ドンムアン空港(一応国際空港だが主には国内線)に行くのに使うのと、MOCA(タイ現代美術館)に行くのにレッドラインを使うからである。ちなみにMOCAにはすでに4回行った。
 でランシットだが、案の定駅周辺には何もなかった。ただ結構降りる人はいて、その人たちは迎えを待っていたりソンテウに乗ったりして駅を出て行った。私はというと、駅前のトイレを使ったあとは周辺の写真を撮って再びレッドラインでバンコク中央駅に戻ったのであった。なおレッドラインは日本のODAを活用してできている。また利用客が少ないため、今は全線(30分ほど)乗っても20バーツ(日本円で90円弱)である。(以前は40バーツだったと思うが定かでない)
 バンコク中央駅からサイアムに行き、サイアムパラゴンの紀伊国屋書店(日本語の本はないがタイの本と洋書、中国の書籍がある)で本を物色するがとくに買わず。そのあとちょっと歩いてMBKセンタービルのドンキホーテに行き、芋焼酎(黒五代)とマルタイラーメンなどを購入。さらにサイアム近くのスーパーリッチ(両替屋)で日本円を購入。(ちなみに日本円に両替するときは、Buy Japanese Yenと言っている)
 そのあとプロンポンへ移動して、お腹がすいていたので、エムポリアムの4階のフードコートでカオマンガイ(左写真)を食べる。ここのフードコートは比較的空いていて、座席を取るのに苦労しないですむので時々利用している。カオマンガイといっても、タイの伝統的なカオマンガイとは若干異にしていて、私は揚げた鳥肉も頼んでいる(鳥ミックス)。90バーツほど。
 そのあとちょっとエムクォーティエの紀伊国屋に寄るつもりだったが、いったんホテルでチェックインすることにした。今日のホテルはハイアット・プレースでプロンチットにあるホテルである。高級ホテルであるが、価格は割と安い、とはいえ日本円で1万6千円ほどする。まああまり安いホテルではくつろげないし。
 荷物を置いてから、ホテルを出てプロンポンの紀伊国屋書店へ行き、これから居酒屋で読む本を物色。で、『やりたいことは全部やりなさい』(森永卓郎著)を購入。居酒屋で読むにはちょうどいい本かもしれない(故人に対してちょっと不謹慎かもしれないが)。
 徒歩で「ばんやアソーク店」に行き、タコの刺身やサバの塩焼きを頼み、ビールと日本酒で夕食。この店では日本酒飲み比べというセットがあり、獺祭や他の日本酒が割と安く飲める。量が少ないので安くはないかもしれないが、500バーツ弱で3種類が飲めるのはお得感あり。
 7時すぎに店を出る。5時過ぎからいたので2時間弱というところ。同じビルのマックスバリューで明日の朝食のためのパンとコーヒー牛乳を買ってホテルに戻る。
 ホテルでかみさんとLINE電話。それから森卓さんの本の続きを読む(居酒屋で3分の1ぐらい読んだ)。途中で読むのをやめ10時前には寝入る。


2025年9月7日(日) スマホ機種変更

 とある財団法人で10月に行われる記念式典の打合せが9月6日(土)の昼に開催されるということで、6日の朝に一時帰国。私はその財団法人の役員と式典の幹事をやっているので出席しないわけにはいかない。まあ打合せは無事に終わり、懇親会まで参加した。その話はまあここまでとしよう。
 で、翌7日の日曜日である。今月に入って個人用のスマホ(会社から貸与されているスマホは別にある)の調子が悪く、まあ6年以上使っているスマホなので機種変更をすることにした。タイにいる時に、家の近くの携帯ショップ(ちなみにソフトバンクである)の予約をとっていたのである。それが今日の11時半。
 朝7時半に起きて、かみさんに散髪をしてもらい、それから朝食をとって11時すぎに家を出る。ショップは徒歩20分ぐらいのところにある。ちなみにかみさんは午後演奏会があるというので今日は別行動である。
 ショップでいろいろと書類を書かされたり端末に入力させられたりしたが、いよいよ機種を決めることになる。それまでつかっていたのはGoogle Pixel 3aである。6年も使っているものでショップのお兄さんにもあきれられてしまった。まあAngroidであれば何でもよかったのだが考えるのも面倒なのでGoogle Pixelの新しいもの(Pixel 10)にする。基本的にヘビーユーザーではないので、安いものでもいいのだがまあちょっと見栄をはったというところですね。契約も前のまま。基本的にWifiのあるところでしかネットとかLINEとかを使わないので3ギガのまま。タイではモバイル通信はもちろんオフである。
 ちなみに、ショップで対応してくれたお兄さんの名前が私と同じ”hiroto”で、しかも漢字も同じということで驚かれた。読みはいまどきの名前だが、使っている漢字は古臭いので珍しいのだろう。ちなみに私も同じ漢字を使っている人は、小学生のころいただけで、小学校を卒業後は見かけた事はない。まあどうでもいい話だが。
 データ移行もお願いしたのだが、これは数分で終了。それでも11時半から1時すぎまでかかった。
 1時すぎにショップを出て、銀行に行きATMで預け入れ。どこかで昼食をと思ったのだが、朝食が遅く食欲もあまりなかったので昼食はやめにして、薬局に行き胃薬と歯ブラシを購入。胃薬は太田胃散とスクラート。太田胃散は常備薬、スクラートは最近就寝前に胃がむかつくことがたまにあるため就寝前に飲める薬として。歯ブラシはタイでももちろん買えるのだが、幅広(7列以上)のものは近くに売っていないので日本で買っている。なお、幅広を買う理由は行きつけの歯科医にすすめられたので。ちなみにその歯科医も幅広のものを使用しているとのこと。
 さらにスーパーに行き、夕食のために、ビール、鰹のたたき、いかの刺身、握り寿司、ロースかつ、枝豆などを購入して家に帰る。かみさんは演奏会なので今日は夕食は作らないだろうし。
 家に帰ってから私宛に来ていた郵便物を整理する。そして明日タイに戻るので荷物詰め。といっても、ほとんどは家に置いているので荷物といってもパソコンやスマホ、下着ぐらいのものであるが。
 5時ぐらいから枝豆をつまみにビールを飲み始める。6時前にかみさんが帰宅。その後は鰹のたたきやいかの刺身、ロースかつなどを食べながら、かみさんの聴いてきた演奏会の話を聞く。なお演奏は都民交響楽団でかみさんの知り合いも何人かはいる。場所はミューザ川崎、今回の曲はめったに聴けないシベリウスの3番とニールセンの4番。もっとも私はニールセンは聴いたことがないのだが…。曲も面白く演奏も素晴らしかったかったとのかみさんの評。
 そんな話を2時間ぐらいして、明日は朝早いので早々に就寝。9時ごろに寝る。6時起床予定。


2025年9月24日(水) 健康診断

 前回の日記からずいぶん日があいてしまった。まあ平日は会社、週末は買物や個人的な趣味(もちろん占いも)に時間を費やすというあまり変化のない日々を過ごしていたので、日記に書くようなことはなかったのである。
 という平々凡々な中でも時にはイベントらしきものはあって、で今日24日は健康診断があった。まあ中身は日本の健康診断と似たようなものであり、身長体重から始まって、血圧、血液採取、視力、聴力、検尿、心電図、レントゲン、肺機能、そして問診である。ただし腹囲(いわゆるメタボ検査)はない。
 健康診断自体は嫌いではないが、タイ語でいろいろ尋ねられたり説明されたりされるのがちょっと苦痛。年齢とか名前とかはいいが、視力検査でタイ語でいろいろ説明され結局ちんぷんかんぷんであり、で説明書きを見せられてようやく理解した。なお説明書きは英語と中国語が書いてあり、英語よりも中国語の方が理解できたのは、日頃英語よりも中国語の本を読んでいるせいか、と何となく納得。
 で、血液検査や検尿、レントゲンの検査結果は後日として、今年は血圧が140/90と高めだったのと心電図検査で徐脈(脈拍数58)で問診の時に医者からいろいろ言われた。なお問診は英語。タイの大半の医者は英語は話せるので、コミュニケーションそのものはとくに問題はなかったのだが、ちょっと驚くことがいくつか。タイでは血圧は140/90はぎりぎり正常だが、140を超えたり90を超えたりすれば高血圧と判断されるとのことで、日常的に血圧を測定することをすすめられた。もう一つは徐脈で脈拍は60以上が正常だが若干低いと言われ、スポーツはするかと訊かれた。ごくたまにランニングすると答えたが、徐脈についてはとくにそれ以上のコメントはなし。心雑音もなく正常と言われて問診は終了。問診が最後であるので健診は無事に終わった。
 以上、待ち時間とかはあまりなく全部を1時間程度で終了し、豆乳をもらってオフィスに戻る。空腹に豆乳はしみる。
 健診結果は後日届く。ちなみに私はタイに駐在して5年近くになるが、帯状疱疹と新型コロナ(ATKで陽性)に感染したぐらいで、基本的に健康であり、ワクチン接種以外で病院には行ったことがない。日本では冬に風邪をよくひいていたが、タイでは風邪もひかない。なお新型コロナのときも帯状疱疹のときも若干熱が出たが病院には行かず気合で治してしまった。
 ところで、帯状疱疹は自然治癒することもなくはないが、後遺症が残ることもあるので気合で治すのは他人にはお勧めしない。私の場合は軽症で37~8度の熱が出たが高熱というほどではなく、また発疹の範囲がさほど広くなく痛みもがまんできないというほどではなかった。1週間ぐらいたったところで発疹がかさぶたとなって剥がれ落ちて完治した。
 閑話休題。健診のあとは普通に仕事をして、5時すぎに退社。
 今晩はかみさんはオーケストラの練習と言うことでLINE電話も来ないので、9時前にベッドに入り、9時半ごろには寝入る。


2025年9月26日(金) 居酒屋で考えたこと

 金曜日の夕方は早めに退社して居酒屋に行くのが恒例となっている。コロナが明けて以来の習慣で、もうかれこれ3年になる。であるから常連さんと言ってもよかろう。ただし3軒を交替で回り、また月1回は週末バンコクに行くので、まあ1軒あたりは月に1回ということになるわけだが。
 日本風の居酒屋といってもまあ日本にある居酒屋と変わらず、最初に突き出しが出てくる。今日の突き出しは「きざみオクラ」であった。オクラは夏野菜であるが、といっても年中30℃越えのタイでは夏野菜といってもピンとこないだろう。まあくだらないことはともかく、ちょっと塩気があり、上に載っているきざみ海苔が何とも微妙で(いい意味で)美味しくいただいた。ビールを飲んでいたのだが、日本酒の方がよかったかもしれない。
 ラヨーンでもバンコクでもそうだが、居酒屋で一人で飲んでいるのはだいたい私だけで、多くは友人どうしや家族やカップル(タイ人の場合)あるいは会社(日本人の場合)など複数の人でワイワイやっているのが普通である。日本人で一人で来ている人はだいたい食事をしたら帰っていき、1時間半以上も独りでビールだの日本酒だのを飲んでいるのは(私以外は)あまり見たことがない。
 で、独りで飲むときにはたいてい本を読んでいる。今日はだいぶ前に買った『日本の思想家入門』(小川仁志著)を読みながら過ごす。この本は一度読んだはずだが、中身はあまりよく覚えていなくて、新鮮な感じで読めた。その中に道元(曹洞宗の開祖)の話が紹介されているのだが、始めに読んだときは気づかなかったことが書かれていた。そこに書かれていた言葉で今回印象的だったのが「すべてのものが常に同時に存在している」、「時間が過去、現在、未来を自在に行き交うイメージ」という文である。これはまさに今私が考えている世界(宇宙と言ってもよい)の構造と似た考えである。否、同じイメージかもしれない。私の考えていることは、いままさに整理中で、そのうちまとめようと思っているが(一部は公開中)、ひょっとすると生きているうちにはまとめきれないかもしれない。それにしてもちょっと驚きである。日本に戻ったら道元の思想を勉強してみようかと思った。これは禅の修行をしようとか悟りを開こうとかいう意味ではない。私の家の宗教はあくまで神道なので宗旨替えをするつもりはない。もっともうちのかみさんの実家は曹洞宗だが。
 ビールのあとは菊水の冷酒、その後はウーロンハイを1杯、料理は鶏のモツ煮込みや砂肝、イカの醤油焼きを食べる。鶏モツは玉ひもときんかんでレバーはなかった。きんかんが大きくてちょっと食べづらかったのが印象に残る。
 7時半前に帰宅し、ほどなくかみさんとLINE電話。かみさんは血圧が高めだったが普通に戻ってきたとのこと。お互い年を取るとやはり健康の話になる。
 8時半ごろまで電話。それからしばらく飲みの続き。そして9時すぎに就寝。


2025年10月4日(土) セントラル・パークなど

 先週の週末はとくにこれといったこともなかったのであるが、今週9月29日(月)からは会社で顧客監査や第三者監査などがあり、またそれにあわせて本社や各地から人が集まってきてほとほと疲れた。なお監査自体はとくに問題なく無事に終わってほっとした。
 で、週末を迎え、今日はバンコクで過ごすことに。急に決めたわけではなく1か月前からホテルは予約済み。
 たぶん疲れているだろうから、今日はルンピニ公園でまったりと過ごそうと思い、MRTシーロム駅で下りた。しかし、雲行きが怪しく、というかパラパラと雨が降ってきたので、セントラルパークに雨宿りに行く。
 実はこのセントラル・パークは今年9月にオープンしたばかりである。サラデーン駅からすぐ。なお、サラデーン駅の近くにはドンキホーテがありたまに行くことがあったし、近くのホテルも何軒かには泊ったし、なんといってもタニヤ通りのあるところである。
 それはともかく、そのオープンしたばかりのセントラルパークに行く。そこには屋上庭園(というほと立派な庭園ではない)があり、そこからルンピニ公園が見える(写真右)。なかなかいい眺めである。ただ、この日はあいにく雨で、写真は撮った後すぐに建物の中に戻った。
 セントラルパーク自体は他のセントラルデパートとさして変わらない。規模からいえば、シーロム駅の隣のMRTルンピニ駅前にある One Bangkok (ショッピングモール)の方が大きく店も多い。ただし便利さからいえばセントラルパークの方が行きやすく、One Bangkokの方は苦戦を強いられるかもしれない。しかし、バンコクにはこうしたショッピングモールやデパートが次々とオープンしているのであるが、果たして大丈夫だろうか。BTSサイアム駅にはサイアムパラゴンやセントラルワールド、その他諸々のモールがあり、アソーク駅にはターミナル21、プロンポン駅にはエムスフィアがあり、ショッピングモールだらけである。それなりに人は多いのだが、どこも似たりよったりのモールで、果たして長続きするのだろうかと他人事ながら気になる。
 その後BTSで国立競技場駅に行くが、駅を降りると猛烈な雨。ひとまずMBKセンターに行き雨が止むのを待つ。30分ぐらい待ったがあまり弱まる気配はない。それでも少し勢いが収まったところで、傘をさしてサイアムエクスチェンジに行き、タイバーツを日本円に両替。10月10日から日本に行くので、手持ちのタイバーツを両替したのである。レートは0.22タイバーツ/円、すなわち2千2百バーツが1万円である。いくら両替したかは秘密。
 で、国立競技場駅からプロンポン駅に移動。駅前のエムポリアム(ショッピングモール)のフードコートで昼食。今日はクワィティャオ(タイの麺料理)を食べた。ちょっと味が濃かったが、たぶん水分が蒸発して汁が濃くなっていたのだろう。
 その後はエムクォーティエの紀伊国屋書店で本を物色。『「偶然」はどのようにあなたをつくるのか』(B.クラース著)と『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』(飲茶著)を購入。とくに何を買おうという目的があったわけではなく、目についた本を購入しただけである。ただ後者については、前の日記に書いたように道元の思想を知るためということは一つの理由ではある。もっともこの本で道元にはわずかしか触れていないが、東洋哲学全体からみた位置づけ(著者独自の考えではあるが)を知ることはできる。
 で、いっこうに雨が止む気配はなく、しょうがないので傘をさして近くのフジスーパーへ行き、芋焼酎(さつま無双黒)や入浴剤、 パスタソース、レトルトカレーなどを購入。
 買物が終わっても雨はやまず。ただだいぶ小降りにはなってきて、傘をさせば歩けないほどではない。で、歩いてスクムビット20通りのノボテル(ホテル)に行く。今日のお宿である。
 チェックインを済ませて部屋に行き着替え。濡れた服はハンガーにかけて、私はベッドで1時間ほど昼寝。起きると雨は上がっており、ちょっと日も差している。
 5時前にホテルを出て、今日は「伊達酒場」に行くことにする。私はこの居酒屋が好きで何度も行っているが、果たして何度目だろうか。ちなみにバンコクの居酒屋は20軒以上行っているが、ここが一番居心地がいい。何と言っても店内に掲げてある「酒場とは重荷を下ろして寛ぐ所」という書がいい(写真左、下にちょこっと写っているのはマスターである)。この書を見ると何となくほっとする。最初にこの居酒屋に来たときには、まだ仕事にあまり余裕がなくて、この書をみてほっとしたという経験が何気に思い出されるからだろうと思う。もちろん料理も美味しい。ただ値段は若干高めである。私の場合は2500~3000バーツは使う。日本円でいえば1万円から1万5千円というところか。まあ、日本の自宅近くの日本料理屋でもこのくらい使うことはもちろんあるのだが、バンコクの居酒屋ではやや高い方だろう。(もっと高いところはたくさんある) で、今日は2600バーツであった。
 ホテルに戻る途中、コンビニでビールやつまみなどを買う。
 で、部屋でビールを飲んでいるうちに寝落ちしてしまう。たぶん8時半ごろ。昼寝もしたのに。雨でちょっと消耗していたのかもしれない。


2025年10月10日(金) 一時帰国

 今日は会社の年休をとって日本に一時帰国。明日11日に私の関係する某財団法人の百二十周年記念祝賀会があるためである。
 9日(木)の夜10時のフライトでバンコクを出ると朝6時ごろ羽田に着く。羽田空港第3ターミナルの144番ゲートに到着。ここは第3ターミナルの一番遠いところで到着出口まで約1キロ(800メートルぐらいか?)ある。普通に歩いても15分ぐらいかかる。お年寄りや病気や障害のある方には大変である。遠いなあと思いながら歩くが、スワンナプーム空港もG1とか端のゲートだと到着出口まで1キロぐらいあるので、まあ羽田が特殊というわけではない。それにしても遠い。
 入国の税関審査はいつもは何も訊かれずに通過するのだが、なぜか今日は「煙草やお酒は持っていますか?」と訊かれた(たぶん始めて)。すぐに「ありません」と反射的に答えたが何かあったのだろうか?
 家に戻り朝食をとってから、10時前に家を出て銀行に行く。持ってきた日本円を銀行に預けるためである。あとは通帳記入。
 11時半に歯医者に行く。定期検診で半年に1度行くようにしている。そこの医者は私がタイに駐在していることを知っているので、タイについての世間話をしながらの検診および歯石取り。今回もとくに問題なく終了。次回は4月ごろ。そのころは日本に戻っているだろうと思うが、果たしていかに。
 午後2時に目黒の三州倶楽部に行くため、歯医者を出て目黒駅へ。目黒駅の富士そばで昼食、冷やし山菜そばを食べる。富士そばにはよく行くが、昔は食券を店員に渡してそばかうどんかを伝えるものだったが、いまは自販機で食券を購入したら、あとは番号を呼ばれるのを待つだけ。便利なものである。
 その後目黒駅の有隣堂に行き、目にとまった『道元『正法眼蔵』を読む』(角田泰隆著)を購入。道元については、前月の日記にも書いたが、彼の論が私の時空の考え方に似たところがあることがわかったので、あらためて道元の思想を学ぼうと思ったのである。ただ『正法眼蔵』は世界一難解だと高校の倫理社会で習ったことがあり、いきなり原文を読んでもわからないと思われたので、まずは解説書からというわけである。
 本を買ってから三州倶楽部へ行く。明日の祝賀会の準備のためである。行ってみるとすでに事務局の方々が来ており、一緒にテーブルを並べたり、パソコンやプロジェクタをセットして試しに投影してみたり、看板を設置したり、そんなこんなで4時までかかった。明日もあるということで、今日はそのまま解散、帰宅する。
 家の近くに来たところで、かみさんに電話してスーパーで夕食を購入。かつおやいかの刺身、ヒレカツ、野菜サラダ、ビール、焼酎などを購入。お惣菜ばかりだが、まあかみさんもオーケストラ(ビオラ)の練習で忙しく、わざわざ夕食を作ってもらうのも気がひけるし。ま、かみさんが作るより味がいいのもあるが。
 風呂に入りビールを飲み、NHKニュースや「チコちゃんに叱られる」を見ながら夕食。
 明日は9時半までに三州倶楽部に行かなければいけないので、10時すぎに就寝。そういえば昨夜は飛行機の中で2時間半ぐらいしか寝ていないのであった。


2025年10月11日(土) 記念祝賀会

 今日は某財団法人の百二十周年記念祝賀会である。私はその財団法人にお世話になった者の一人であり、そのお返しというわけではではないが、幹事などを務めさせてもらっている。
 9時半前に会場である三州倶楽部(目黒駅に近いが住所は品川区)に行く。すでに受付は始まっており、私も受付に立って来客の応対などを行う。
 記念祝賀会は11時10分から。私はとくに何もすることがない予定だったのだが、開会の辞を述べる役員が体調不良のため来られなくなったということで、急遽代打で開会の辞を述べる役を仰せつかった。短いあいさつだったがちょっと緊張したものの、何とか無事に終えられた。
 その後は百二十周年の祝辞で、来賓として塩田康一鹿児島県知事も来場、祝辞のあと講演していただいた。塩田知事には、パワーポイントを使いながら、県の目指すところなどを1時間弱講演していただいた。ご多忙のところご講演いただきあらためて感謝申し上げます。
 その後は写真撮影そして宴会。焼酎もふるまわれて盛会のうちに終了した。なお参加者は最終的に106人だったとの由。
 この百二十周年記念の準備のため3年弱を費やしたが、幹事(実行委員)の一人として企画から参画してきた。まあひとまず肩の荷が下りたというところ。もっとも、団体の機関紙に載せる記念祝賀会の記事をまとめることが残っている。明日以降はそれに関わることになるが、まあその辺は他の人に任せることにしよう。
 会の終了後、目黒の丸冨水産で打ち上げ。その後、仲間4人で雀荘に行き麻雀、半荘1回やってお開き。
 9時ごろ帰宅し、かみさんとしばらく今日の話をして、寝たのは11時すぎだった。


2025年10月12日(日) 日本での休日

 昨日無事に記念祝賀会も終わり、今日はゆっくり休む予定。朝は8時半ごろ起きて、午前中は家でごろごろしてしていた。
 とはいっても日本で買って帰りたいものもあり2時ごろから買物に出かける。かみさんはその間家でビオラの練習。
 まずは池袋東武の鳩居堂に行きお香を買う。今回は白檀、沈香、カモミールの3品。まあ12月までは十分もつでしょう。来年のカレンダーを物色したのだがまだいいものが出ておらず、今回はパス。その後池袋のジュンク堂書店に行き本を物色。目的のジャンルは決めていて、まずは道元の「正法眼蔵」に関する本といわゆる中国古典とくに四書五経に関する本と占いの暦を買う予定。最初の「正法眼蔵」に関する本については、『現代訳正法眼蔵(新装版)』(禅文化学院編)を購入。次の中国古典に関する本だが、最初の思惑とはちょっと異なり『邵雍(邵康節)』(米鴻賓著)、最後の占いの暦は『東西開運暦』(日本占術協会)、以上3冊を買う。
 ところで、今回買わなかったのだが、占いコーナーに「盲派命理」の本があった。「盲派命理」については、台湾や香港であらためて注目され始めたのは、私が台湾にいたころなので20年以上前になる。「盲派命理」についてはそのうち本格的にHPに載せようと思っていたが先を越されてしまった。しかしながら20年たってからの日本で今頃流行るか?という感じはする。日本の四柱推命は、先人たちの影響もあって長らく五行十干推命(子平真詮とか滴天髄とかの考え方)が主流だったが(私もそういう点では主流派だが)、実践的な占いという意味では、「盲派命理」もっと研究されてしかるべきだと思っていた。仕事が一段落したら深く研究しようと思っていたのだが、(繰り返しになるが)先を越されてしまった。もっとも、新ネタを紹介するのが私の役割ではないとは思ってはいるのだけれども、先を越されてちょっとくやしい(笑)。
 ジュンク堂を出たのは4時ごろ。かみさんに電話して家の近くのマツキヨで会うことにする。マツキヨでは胃腸薬(スクラート)とマスクを購入。タイは一年中暑いがたまに風邪をひいたりコロナにかかったりしないわけでもないので、マスクは常備することにしている。もちろんタイにもマスクはあるが日本製が信頼できるので。その後スーパーで今晩の夕食を買う。
 帰宅してかみさんに髪を切ってもらうのは、お決まりのパターン。そしてビール、夕食、明日のタイへの戻りの準備。
 明日はいつもの10時のフライトで、家を7時すぎには出るため、早々に就寝。10時ごろ。



   作成 2025年8月1日  日記再開、新規ファイル作成