「気象篇」新解 - “hiroto的”解釈


はじめに

 「気象篇」について、あらためて私流に解釈してみました。ただし、一部意味がわからず、訳をあきらめているところもあります。皆様の研究に期待します。
 さて、内容ですが、干支関係や神殺について主に論じていますが、断片的な知識の羅列です。しかし、四柱推命の古典としては重要なものの一つだと思います。
 今回の新解では、前の古典新解と同様、できるだけ命式例を入れるようにしました。理解の助けになれば幸いです。
 テキストは台湾の宏業書局発行の『星平会海』 をベースにしています。
 例によって、細かな誤訳があるかもしれませんが、そこは皆さんの四柱推命の知識で補ってほしいと思います。




今夫立四柱而取五行、定一運而関十載。清濁純駁、万有不斉、好悪是非、理難執一。
故古之論命研究精微、則由体而該用、今之論命、拘泥格局、遂執仮而失真、是必先観気象規模、乃富貴貧賎之綱領。次論用神出処、尽死生窮達之精微、不須八字繁華、只要五行和気、浪指三元六甲、誰知萬緒千端。
学者務要、鉤元索隱、発表帰根、向実尋虚、従無取有、雖曰命之理微、於此思過半矣。
然大海従於勺水、少陰産於老陽、成乃敗之機、変乃化之漸、此又所当深察。乃若一陽解凍。
 四柱命式を作成してその五行を取り、大運を定めてそれに十年を割り当てる。命式の清濁や純駁はそれぞれ異なり、よしあしや是非については、は一つの理屈をとるだけでは難しい。(一つの理屈に固執してはならない)
 昔の推命は命式を詳しく検討し、体用の理論に則っていたが、今の推命は格局にこだわりすぎ、結局にせの推命になっている。四柱推命においては、必ずまず気象や規模をみて、富貴や貧窮のかぎを明らかにし、次に用神の出処を論じ、死生窮達の詳細を明らかにしなければならない。八字に諸々の神殺を付けるのではなく、五行が和やかであることが必要である。むやみに命式をみても、どうしてその深奥がわかるだろうか。
 学ぶものは、深い意味を探り、表に現れるものの根本を知り、その虚実を尋ね、無から有を取る、この四つの言葉に勤めること。これは命理の理微といってもよいが、この四つがわかれば思い半ばに過ぎる。
 大海も柄杓の水ぐらいの量から始まり、少陰も老陽より生まれる。成敗の機会、変化の時間は、この文を深く洞察することにより、一陽解凍のように理解できるようになる。

 このイントロダクションはなかなか含蓄のある文章です。私自身耳が痛いです。果たしてむやみに命式を見ていないかと反省させられます。
 まずは命式のおよその方向、ポイント(気象規模や綱領)を明らかにして、それから詳細をみていく必要があると思います。細かな刑冲や神殺にこだわっては判断を誤ることが往々にしてありますから。


三伏生寒。陽剛不中、亢則害也。剛而能柔、吉之道也。柔弱偏枯、小人之象、剛健中正、君子之風。
 夏至を過ぎれば、暑い中にも寒さが生じてくる。陽が強すぎるときは、それに抵抗すればかえって害になる。剛(陽)の命式は柔(陰)を持つことが吉命となるための条件である。柔弱にすぎるのは、普通の人である。剛健で五行に偏りがなければ、君子の風格がある。

 三伏とは夏至のあとの3回の庚日のことをいい、最後の庚日は立秋を過ぎます。すなわち夏の盛りを過ぎたころのことを指します。あとは、剛柔の命の話ですが、いわゆる陽命、陰命ということになろうかと思います。この陰陽の命については、陽史明師の「実践的陰陽論からの四柱推命鑑定入門」が詳しいです。


過於寒薄、和暖処、終難奮発、過於燥烈、水激処、反有凶災。
 あまりに寒すぎる(冬生まれで水が強い)命式では、多少暖かい行運でも発福は難しい。あまりに燥である(火が強く水がない)命式では、水の強過ぎる行運ではかえって凶災がある。

 註によると寒すぎる命とは純陰で亥月生まれで日主が弱い命とされています。それに加えて、火の救いのないことが条件となるでしょう。また、燥にすぎる命式とは夏至前の生まれで純火の命としています。確かにそれでは燥に過ぎるでしょう。しかし、燥に過ぎる命式は別に夏至前に限る必要もないと思います。火が強い場合は炎上格か火の従旺格ですから、水は忌神です。

過於寒薄の例   1893年11月10日  『現代破訳滴天髄』

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 全陰で冬生まれです。巳火があり全く寒いというわけでもないのですが、亥に冲されるためその作用を十分発揮できません。寒薄に過ぎる命といっていいと思います。この命は巳亥の冲により地支の根の作用が弱く、従児格といいたいところです。しかし経歴をみると、金土運の方が好運のようですので、やはり辛は巳に通根していると考えた方がいいのでしょう。すなわち従児格ではなく、傷官格というべきなのでしょう。著者の鐘義明師は、傷官格と判断しています。したがって喜神は金土となり、火は忌神となります。ということは、暖かい行運(火官殺)は忌神運ですので、なかなか官職での発展は難しいでしょう。実際早年は軍人でしたが、未運に辞職し、戊午運以降は出版事業に携わります。その後の生活はあまり楽ではなかっただろうと推測します。晩年は失明しますが、81歳まで長生きしました。これは火運は忌神とはいっても調候的には必要であり、また癸が護身の役割を果たしていることによるものでしょう。次の木運も財で日主を弱めるのですが、食傷を洩らすので喜神的です。


過於燥烈の例  1807年6月10日  『八字応用学宝典』

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 註には四柱純火とあるのですが、適当な命式が見当たりませんでした。しかし、これも十分に燥の命式です。庚偏財がありますが非常に弱く、これは従旺格です。水が忌神となります。癸壬運は確かに危ないと思いますが、若いうちなので命を落とすまでいかないかもしれません。57歳子運甲子年に亡くなります。子は午を冲して、火の根が奪われたためでしょう。


過於執実、事難顕豁。過於清冷、思有凄涼。
 用神(喜神)が一つで弱いのは、命式のよさがはっきりしない。金水が多すぎるのは、寂しく惨めな生活を送る。

 執実とは用一而不通のことと註にあります。すなわち喜神が一つだけあってそれが通じないという意味ですが、通じないとはまあ端的にいえば弱いということです。註に従えば、例えば官が喜神のときにそれを生じる財がない場合、官は弱くそれだけが頼りという状態になりますので、命式の佳さが表にはっきりと出ないということです。いわゆる財生正官とか、殺印相生とか、食傷生財とか、そういう喜神を強めるような関係がなければ、なかなか発達しないということです。
 清冷とはいわゆる金寒水冷の命で、東南の行運ではいいのですが、西北運ではとくに孤独感にさいなまれます。金寒水冷の命はいろいろと紹介しているので、ここでは挙げません。

過於執実の例   1527年12月4日?  『命理正宗』

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 乙木が冬生まれですが、幸い丁火が乙木を温める役目を果たしています。乙は亥に通根しており相対的に強い日主ですが、従旺というほど強くありません。したがって辛金は喜神です。この命式の面白いのは、時干の丁は日主を温め喜神的ですが、年干の丁火は辛を傷めるため忌神です。辛は喜神なのですが、通根もなくいかにも弱いです。しかし己戊運、とくに戊運では、一種の通関の作用で、火生土、土生金、と辛金を強めるので、この運中に発福します。なお、水運では、乙木への害が著しく、命を落とすことになります。


過於有情、志無遠達。過於用力、成亦多難。
 合が強すぎるのは、志をとげることはない。無理に用神を強めたり弱めたりするのは、艱難が多い。

 有情とはここでは合のことです。日干との合においては、日干はその合する干にとらわれるため、仮に他に財官印や吉神があってもその作用は薄くなるということのようです。ただこれはよく命式を見極めなければならないように思います。ただ、合多きを奇となさずと言い、命式中に合が多い場合は合にとらわれて、干支の相互関係が薄くなり、必ずしもよい命式とは言えなくなるということはいえると思います。
 用力とは力ずくのことでしょう。行運などで喜神が強くなれば、もちろんその行運では発達しますが、その行運が過ぎればよくない、というふうに註にはあります。私は、やや違う解釈を持っています。無理やり喜神を強めたり忌神を弱めたりというのは、例えば強めたい場合に、印を使うべきところで比劫で強めたり、弱めたい場合に、剋すべきときに洩らしたり、というふうに、うまく処理しないと、成功することは成功するが艱難が多いということだろうと思います。また、悪い干関係で処理しようとすると、やはり艱難が多いということも言えるかと思います。

過於有情、過於用力の例   1918年11月25日  「星命術語宝鑑」

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 丙が冬生まれで季節的には弱く、本来癸が強いはずなのですが、戊に合されているため作用がありません。これが干関係のよい壬であれば、水猖顕節の命となり、発福します。よって丙が強い命なのですが、早年は木火運と忌神運です。戊辰己運は火を洩らして多少よくなり、財の年には食傷生財で財を得ます。もっとも、命式に土金はありませんし丙は洩らして吉命になる場合は少なく、大富とまではいかず、小金持ちになる程度です。


過於貴人、逢災自愈、過於悪殺、遇福難享。
 貴人が多いのは、災いにあっても自分で克服する。悪い神殺が多いのは福にめぐりあっても実現しない。

 まあこれは貴人や凶殺を買いかぶりすぎで、貴人があっても凶命である例、凶殺があっても吉命である例は枚挙にいとまがありません。まあ貴人はあればあった方がいいし、凶殺はなければない方がいいという程度でしょう。


五行絶処、禄馬扶身。四柱奇中、比肩分福。
 五行が絶であっても、財官が日干を助けることになることもある。財官がすばらしい命では、比肩をみれば福を減じることになる。

 例えば甲日主で申は絶ですが、申中に水があり、天干に水があればその根となり、日主を生じるというような場合をいいます。後の句は比肩争官劫財ということです。官や財が喜神の場合は日主が強く比肩は忌神であるのは、理の当然といえるでしょう。


陰陽固有剛柔、干支豈無顛倒。
 陰陽にはもとより剛柔がある。干支は繰り返すものである。

 この句がなぜここに入っているのかはさだかでありません。顛倒とは註によれば反復の意だそうです。訳もそのようにしています。ただ、私は五行の関係が一筋縄ではいかないというような意味だと解釈しています。例えば、七殺は日主を弱めますが、印があると殺印相生で印を強め、結果的に日主を強めることがあり、これがまさに顛倒の例ではないかと思います。


雖聘妻不識其夫。本有子不顧其母。父無子而不独、子有父而反孤。
 結婚しても妻はその夫がわからない。子がいてもその母を顧みることもない。子がない父親でも孤独というわけではない。父がいる子はかえって孤独である。

 意味としては次のようなことです。
 正官があっても(間に)正官を剋するものがあれば正官の働きはなくなる。食傷があっても、(その食傷が合されれば)その作用が日干に及ばないこともある。食傷がないから子供がいないということにはならない。財があれば逆に孤独になることもある。
 当初の訳を修正して、註にしたがいました。
 ここで夫とか子とか父とかはすべて実際の六親ではなく、変通星のことを指しています。変通星についてわかっていれば、そう難しい文ではありません。


生尚可以再生、死不可以復死。既死亦非為鬼、逢生又不成人。
 生まれてからもなお再生するということもあるが、いったん死ねばよみがえることはない。すでに死んだものは、幽霊となることもない。生に逢ったからといってまた人になるわけでもない。

 意味はこういうことでしょう。
 長生があってそれが弱くても、さらに生じられることもできるが、生気のない命式でさらに死絶運が巡ってもそれ以上悪くならない。しかし長生の行運でよくなるということはない。
 しかし、生気のない命式でも行運で気を得て発福することは当然あると私は考えます。


子多母病、如佃甫田、母多子病、如臨深淵。
 子が多いのは母の病であり、田畑をようやく耕すようなものである。母が多いのは子の病であり、深い淵に臨むようなものである。

 食傷が多いのは身を弱めますし、根がなく印が多い命式は、印が喜神であっても危なっかしい命式です。例えば甲で根がなく水の多い命式では浮木の害があります。


不正不衝、不偏不合、不橫不刑、不直不破。
其為衝也。啓六極之岐門。其為合也、闢萬物之形跡。其為刑也、変而改正。其為破也、敵而有傷。
 正でなければ衝でなく、偏でなければ合でなく、横でなければ刑でなく、直でなければ破でない。
 衝というのは、六極の岐門を開く。合というのは、万物の形跡を開く。刑というのは、変じて改正する。破というのは、敵となって傷をうける。

 この部分は『三命通会』の原文によりました。
 前半の意味はよくわかりません。わかることだけ書くと、正でないというのは陰陽が正のことで、例えば子午の冲はいずれも陽支、丑未の冲はいずれも陰支というふうに、陰陽が異なる場合は冲にならないということ。偏というのは陰陽不正で、例えば甲己の合は陰陽が異なります。こういう意味でしょう。横というのはよくわかりませんが、刑というのは、例えば寅午戌の会局が巳午未の方局を刑するというふうに、会と方の関係ですから、これを横といったのかもしれません。また破というのは方角でいえば直角の関係ですから、直というのはそのことを指すのかと思います。
 その後の句は、合冲刑破の解釈を示していると思います。六極の岐門をひらくとは冲開墓庫、万物の形跡を開くとは解冲、変じて改正、敵となり傷をうけるとは悪い作用全般のことを指していると思います。
 合冲は必ずしも悪いばかりではありませんが、刑破はよくありません。ただし四柱推命では、刑破については最近はあまり重要視しない人が多いです。私は結構みますが。


是以棘地生金、不若蘭田種玉。
 これにより刺のある場所が金を生じるということもあるが、蘭田種玉には及ばない。

 棘地とは悪い場所とか作用、具体的には刑とか破とか。蘭田とはよい場所、合とか場合によっては冲とか。生金とか種玉とは吉神のことでしょう。すなわち、刑や破があっても吉神は吉であるが、好い作用を受けた吉神には及ばないという意味だと思います。


吉神相我功求相吉之神。凶物傷身解用傷凶之物。
 吉神が日干を助ける場合、その吉神を助ける神が必要である。凶神が日干を傷つける場合、凶神を傷つけることでその害を解く。

 このことは何度も説明するとおりです。例えば、正官が喜神のときは財がくれば財生正官でよく、七殺が忌神のときは食神が来れば食神制殺がよいというわけです。


五行各得其所者、帰聚成福。一局皆失其垣者、流蕩無依。
 五行が月令を得て旺相すれば、非常な幸運となる。格局が破れ通根すべきものが通根していなければ、漂泊の運となる。

 五行とありますが、内格の場合は喜用神、従格の場合は従する五行が月令に旺じ時支に通じれば一般的に吉です。その場合、月令が冲されたり、格局が壊されたりすれば、当然凶となります。


大運折除成歳、小運逆順由時。
 大運は、三日を一年として、割り返すことで歳を出す。小運の順逆は時間より起こす。

 小運は一般的には男命は丙寅から順に、女命は壬申から逆に起こすのが普通です。別法として、時干支より起こす方法もありますが、この句はその方法を示しているのでしょう。
 それにしてもなぜ突然こういう句が入っているのかは疑問です。


文庫衝而文明盛、武庫掩而干戈寧。
 文庫(戌)が衝となれば文明は盛んになり、武庫(丑)が蔽われれば戦争は鎮まる。

 訳では全く意味がわかりませんが、文庫とは火の墓である戌、武庫とは金の墓である丑のことを指します。戌は聡明であり、丑は好戦の人とありますが、まあそれはどうでしょうか?衝とは冲のことでこれは問題ないでしょう。掩とは、註によると金が火の制を受けることだそうです。まあ火は文明の象徴、金は武器の象徴ということでこのような句となったのでしょうが、あまり意味のあるものとは思えません。


飛龍離天隨雲入淵。潛龍在淵隨雲上天。
 年支に亥、月支に辰があり壬水が強ければ、文章にすぐれるが、世間から身を隠す。年支に亥、時支に辰があり日時の壬水が強ければ、大志を抱く。

 註によれば、龍とは辰、天とは亥、雲とは壬水を指します。この命式にあまり意味があるようには思いませんが、例を見て考えましょう。

潛龍在淵隨雲上天の例   1911年11月27日  『命理通鑑』

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 上の条件に当てはまる命があまり見つかりませんでした。年支に亥があり、時干支が壬辰です。辛日主で丑に通根して己土の印がありますが、壬水の方が強い命式です。これは女命ですが、珠玉淘洗、金水傷官の典型的な美人の命です。ただし寒すぎの感があり、貴命としては今一歩というところでしょう。ただし志は高かったのでしょうか、20代から東方運に入り、比較的名の通った女優となりました。
 ただ、これは日主が傷官の洩に堪える命だからで、例えば日支が巳とかであれば、巳亥の冲であまりよくない命となりそうです。


大林龍出値天河、四庫土全居九五。
 戊辰、丁未があり、その他の地支が丑、戌であれば、大人である。

 大林龍とは戊辰です。天河とは天河水で丙午丁未のことですが、四庫土全とあるのですから丁未を指します。九五とは易卦の五爻が陽爻であることです。格局でいえば、四庫格の特殊な例といえます。
 こういう命は非常に珍しいとはいえますが、覚えていても例が少ないので応用はほとんど不可能でしょう。

大林龍出値天河四庫土全の例   1928年11月3日  『四柱推命学入門』

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 辰戌丑未と全部冲です。これにより地支の作用はなさそうな気がしますが、いわゆる冲開というもので、むしろ潜在的な作用が表に表れます。天干には四行があり、木運東方運と続きますので、非常な好命です。
 この命は漫画家の手塚治虫の命です。生年月日は小山内彰師の『四柱推命学入門』から採っています。


長流龍復帰大海、五湖水聚掌群黎。
 壬辰で時支が亥があり、水が多いのは、庶民を掌握する。

 長流龍とは壬辰のことで、それが大海に帰るというのは時支が亥であること、すなわち辛亥ということだろうと思います。納音が大海水である壬戌癸亥のことかもしれません。
 壬辰日は魁罡日であり、魁罡格の特殊な例といえるかと思います。

長流龍復帰大海の例   1943年10月1日  『八字批論選集』

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 季節は秋で壬日主で、従旺格といえます。金水木が喜神です。火は忌神ですが調候的には必要です。戊己大運は忌神運ですが、その他は合したり冲したりして、さほど吉凶の波が強くありません。辰運からはまずまずの運となるでしょう。この命は企業の主管の命とありますが、中国ではだいたい担当部長とか担当役員というような役職です。


六合有功権尊六部、三刑得用威震三辺。
 六合が刑冲を受けた喜神を救えば、高い官職につく。三刑が命式にとって有用であれば、権威は辺境の地に伝わる。

 六部というのは古の中国の実務機関です。
 前の句はわかると思いますが、後の句はちょっとわかりにくいです。註によれば、刑は本来不吉なものですが、日主が強すぎる場合には有用である、とあります。ただし有用といっても、中央でえらくなるのではなく、辺境の地でえらくなるということで、これは七殺羊刃に似た感じがあります。

六合有功、三刑得用の例   1859年6月29日  『八字応用学宝典』

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 戊日主で夏生まれですので強い日主で、財官喜神となります。丑運は午未の合を解きますが、丑未戌の三刑となります。日主が強すぎる場合には刑は有用で、この運中に中華民国海軍総長になります。しかし、甲運戊午年に刺されて死亡します。甲運は己と合して、土が強く土化し、また戊午は喜神時柱と天剋地冲です。また歳運反吟の年でもあります。


子午端門、双拱岐嶷憑正外。巳寅生地、十分秀気合乾坤。
 子、午が方局または会局をなせば、非常に強い。巳寅は長生であり、才気あふれ、亥申と合する。

 端門とは正面の門、岐嶷とは山の名前、正外とは方局と会局のことです。巳寅が亥申と合するのはわかりますが、なぜ巳寅を出したのかはちょっとわかりません。巳は火の方局孟支であり、寅は火の会局長生ですが、火の方が秀気ということなのでしょうか。


天地包蔵神得用、顕豁胸襟。風雷激烈貴無虧、飛揚姓字。
 亥申があって力があるときは、高い志を有する。巳卯が激しい時にさらに貴人があれば、名声が高くなる。

 天地とは乾坤であり亥申のことです。風雷とは巽震であり巳卯のことです。註によると激烈とは、虚拱にして冲に逢うことを指すようですが、よくわかりません。拱貴格や拱禄格のことかとも思いましたが、どうもうまく説明できません。


賊地成家、賊乱家亡身必喪。梁材就斫、木多金缺用難成。
 年月日支の争合が解かれれば家は栄えるが、再び争合となれば、家は滅び身を喪う。柱となる木は切られる必要がある。木多く金少ないのは役に立たない。

 註によれば、月支蔵干が五陰であることが条件です。年日支中の蔵干が月支と争合をしている状態を賊地というようですが、句のいうようなことになるのかどうかはよくわかりません。これにあまり拘泥しない方がいいと思います。
 後の句はよく言われていることですので説明不要でしょう。


純陽地戸包陰、兵権顕赫。独虎天門帯木、臺閣清高。
 地支がすべて陽であっても陰を挟むので、権力を握る。寅と亥が合すると木気になり、高官になっても清廉である。

 純陽であっても間に陰を挟み剛を制する、というのはちょっとこじつけのような気がします。陽に過ぎる命は凶命とまでは言わないまでも不吉とされますが、それでも好命の人がいるので、それを説明するための方便だと思います。
 天門とは亥で、寅亥の合は木気ですが、木は仁だからということでしょうか。これもまた一部の例の説明にすぎないと思います。


学堂逢駅馬、山斗文章。日主坐咸池、江湖花酒。
 学堂と駅馬があるのは、学問において第一人者となる。日支が咸池であるのは、色や酒におぼれて漂泊の身となる。

 これは神殺の説明です。全ての場合がそうなるとは言いませんが、全くのハズレというわけでもないように思います。
 学堂は長生なのですが、いろいろな取り方があります。また駅馬は長生の冲なのですが、これも年支からとったり日支からとったりします。ただ註には、寅申巳亥が多い命式は聡明とあります。すなわち、四生支であることが重要ということなのでしょう。

学堂逢駅馬の例   1904年2月5日  

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 学堂で駅馬という例で聡明な人の例を探すのに苦労しました。ということは、この神殺は使えないのかもしれません。それはともかく、甲辰、丙寅はいずれも納音が火であり、寅は学堂にあたります。しかも正位です。寅は年支辰の駅馬でもあります。また巳は己巳木の駅馬でいわゆる自馬になります。もっともこの命のよさは官が印を生じて日主を強めるいわゆる官印双全になることです。これは元の東京都知事美濃部亮吉の命です。


日主坐咸池の例   1969年7月18日  『八字応用学宝典』

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 日支午は咸池でしかも紅艶でもあります。また争合です。これは好色の女命です。


福滿須防有禍、凶多未必無禎。
 福が満ちていても、災いを防がないといけない。凶神が多いからといっても、必ずしもめでたくないというわけでもない。

 福とは喜神の印、凶とは忌神の官殺と註にはあります。が、とくに印や官殺にこだわらなくてもいいでしょう。命式中に喜神や忌神が多くても、行運でひっくりかえることがある、油断してはいけないし、悲観しすぎることもない、ということでしょう。


馬頭帯箭、生於秦而死於楚。馬後加鞭、朝乎南而暮乎北。
 駅馬が日時支にあって刑冲を受けるのは、異郷で死ぬことになる。駅馬が行運から刑冲を受ければ、落ち着かない人生になる。

 註には会合であれば連韁といい、そのような目には遭わないとあります。

馬頭帯箭、馬後加鞭の例   1940年7月22日  『現代破訳滴天髄』

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 寅は駅馬で申と冲していますが、これは刑でもあります。丁運丁巳年は、巳申の合で冲を解くのですが、寅申巳は三刑でどちらかといえば凶です。この年火災により家を失った命です。丁運丁年で火が極端に強くなり、火災を示唆しますが、まあ偶然でしょう。劫財が強いので年支の財を極端に傷つけ、財産を失うことは予想がつきます。


性霊形寝、多因濁裏流清、貌俊心蒙、蓋是清中涵濁。
 用神のよさが表れるかどうかは、濁から清の命になるときである。表面は聡明でも内心は無知なのは、清の中に濁の要素があるものである。

 清濁の問題については、なかなか説明が難しいです。『命理通鑑』には、清濁の二文字はなかなか言葉で説明することはできず、命式を数多く看て自ら理解するしかない、とあります。それでもあえていえば、喜神が傷つけられずかつ忌神が制せられているのを清、喜神が傷つけられたり(傷官見官など)忌神を抑えられない(正官化殺など)場合や正偏の六親が混在している場合(官殺混雑など)を濁といえるでしょうか。
 濁命というのは比較的多いのですが、清命というのはなかなかありません。清命の例としては、「四柱推命の実占-難解な命式」の例1に挙げている宋子文の命式がそうです。ただし判断はなかなか難しい命式です。


一将当関、群邪自服。衆凶剋主、片力難勝。
 喜神が命式のカギとなる場所にいれば、忌神が多くても心配無い。多くの凶神が日主を剋すときは、日主だけでは対抗できない。

 意味はわかると思います。例を参考にしてください。

一将当関群邪自服の例   1883年10月8日  「現代破訳滴天髄」

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 秋の乙木で季節的に弱く、辛七殺が季節に旺じて二つの酉に通根しており強いです。乙日主も亥や未に通根しているので全く弱いわけではありませんが、晩秋で癸もありやや寒い命式です。幸い丁火食神が貼身しており、霜を融かし殺を制するという一石二鳥の働きをするため、好命となります。中華民国元行政院長兼国防部長の閻錫山の命です。


衆凶剋主片力難勝の例   1949年7月22日  「現代破訳滴天髄」

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 地支が丑未で己土が2干あるので土が強い命式です。日主癸は当然弱いです。金水喜神で木火土は喜神です。幸い喜神の辛印が貼身しています。しかし辛がやられると非常に危ない命式です。とくに丙は辛と合して取り去りますし、丁は辛を剋して弱めます。甲は己と合して土化しますし、乙は癸を洩らして弱めます。
 乙運丁卯年に工事中の爆破の際に石に当たって命を落としました。乙は日主を弱め、丁は辛を剋し、卯は未と会して未を出して丁の根と生じます。辛はやられて日主を生じることができません。


脱此輩忌見此輩。化斯神喜見斯神。
 合があるとき同一五行の干支をみるのはよくない。化気では化した五行がさらにあるのがよい。

 註によると、脱とは干合において自分の性質から脱することを指すようです。註の説明によれば、例えば甲日主で己の干合がある場合には、化すれば甲己は土に変化し、甲本来の性質はなくなります。しかし、命式中木気が強ければ干合は成立しない、まして己をはさんで甲があれば争合となり、干合は不成立です。逆に、土気が強ければ、甲己は土化して化格が成立する、ということです。すなわち化気格が成立する場合、従旺格(一行得気格)的な化気格がよいというわけです。


駅馬無韁、南北東西之客。桃花帯殺、娼優隸卒之徒。
 駅馬に合がないのは、落ち着かない漂泊の命である。桃花が七殺であるのは、下賎の者(娼妓、俳優、小役人、兵卒)である。

 昔は他郷において死ぬということが良くないこととされていましたので、駅馬が活動的なことは避けたいことだったのですが、(個人の価値観にもよりますが)現代においては移動はあたりまえであり、合がなくてもよいと思います。
 また、今や俳優や歌手が下賎な者とはいえず、職業によっては必要な場合もあります。ただし、私生活は乱れることが多いです。ただ桃花帯殺よりも食傷桃花の方がより乱れやすいという気がします。

桃花帯殺の例   1963年4月25日  「八字応用学宝典」

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 コンパニオンの命。中国語では応召女郎というのですが、某辞書にはステッキガールという訳がついていました。私には何のことかわからず、ネットで検索すると、昭和初期の言葉でいまや死語となっています。
 ところで、年支卯が日干支からの桃花帯殺となっています。火土が強く、火土は忌神です。未運までは忌神運となります。日支の冲もあり男運には恵まれないでしょう。


母子有始終之靠、夫妻得生死相依。
 用神が印や食神であるのは、一生頼りにするものである。用神が妻財や官殺であるのは、生死をともにするものである。

 註とはすこし違う訳としました。生と剋の干関係の違いを述べたものでしょう。生関係は福徳、剋関係は富貴に関わるものだと、私は考えています。いずれにしても用神(喜神)が刑冲などで壊されるのはよくありません。


双眼無瞳、火土殺乾癸水。大腸有病、丙丁剋損庚金。
 眼が見えないのは、火土殺が癸を乾燥させる場合である。大腸に病があるのは、丙丁が庚金を剋して損なう場合である。

 以下はそのまま当てはめると外れます。せいぜいその部位に影響すると考えるのが無難です。癸は通常は腎臓、膀胱などですが、註では瞳のことだとしています。また一つの註には、水が欠ければ腎が衰え、腎が衰えれば目が明らかでない、とあります。通常目は木行ですから、木に潤いがなければ目を患うというようなことでしょう。ただ、実占的にはあまり当たらず、むしろ火土の病とか手足の障害(例えば小児麻痺)とかが出てくる場合が多いように思います。
 庚金は大腸ですから、後の句の意味は明白です。

火土殺乾癸水の例   1983年7月17日  「八字応用学宝典」

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 天干癸は亥に通根していますが、亥は未と木の半会です。また己土に剋されています。印である酉金は時支で遠く火で抑えられているので力になりません。すなわち癸水が孤立している状況です。午運甲戌年に脳病で亡くなっています。火が強く、また甲は己と合して土化して癸を剋します。目ではありませんが、脳神経系統をやられてしまいました。仮に午運を過ぎても火土運が続きますので夭折の命です。


丙丁剋損庚金の例   1973年3月11日  「八字応用学宝典」

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 木火が強く、金水は喜神です。丙辰運丙寅年丁卯年に大腸の手術を受けています。


土行湿地而傾根、伯牛有恨、火値炎天而得局、顔子無憂。
 土が水の強い地支に行けば土は弱くなり、伯牛(孔子の弟子)も病にかかる。夏生まれの火が局をえれば、顔子(孔子の弟子)も憂いがない。(清貧を楽しむ)

 伯牛は重いハンセン病で孔子も窓越しに見舞いをしたと『論語』にあります。顔子は孔子が最も気に入っていた弟子ですが、出仕もせず貧乏を楽しみ若くして亡くなりました。

顔子の命  『星命術語宝鑑』

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 顔子の命と伝えられる命式です。丑未と子午は冲ですが、午未の合が解冲して火土が強くでます。火土が強く辛財は己の生を受けるといっても、汚玉となり凶意があります。すなわち財に力がなく、貧命です。食傷が強いので聡明でしょうが、やや人見知りをするタイプか。丁運は辛を強く剋するため、この運中に亡くなりました。


水泛木浮、死無棺槨。火炎土燥、生受孤単。
妻多力弱、花粉生涯。馬弱比多、形骸飄泊。
 水溢れ木浮くは、死ぬ時は棺おけがない(横死する)。火炎土燥は一生孤独である。
 妻財が多くて日主が弱ければ、花柳界に身を投じる。財が弱く比肩が多いのは、漂泊の身となる。

 訳にはとくに問題ないでしょう。馬というのはここでは財のことです。

水泛木浮の例  1953年1月4日  『星命術語宝鑑』

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 冬生まれで水が強く浮木凍木の命ですが、幸い甲と卯が日主のすぐそばにあり、それが救いとなっています。ただし卯は子に刑されていますが。酉運まではよくありません。実際花柳界にいて、妾になるなどしていましたが、それ以降は申運を除けば浮木凍木の害を抑えますので、運勢は好転します。晩年好景の命です。


妻多力弱の例  1963年1月16日  『八字命批範例』

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 この命は女命ですが、男命でも好色淫乱の命です。財が水で強く、己土濁壬の悪い関係があり、しかも丑未で日支の冲があります。よほど身を慎んで修養に励まないと道を誤ります。申運まではとくに男女関係において問題が多い命です。


凡遇凶神交会、善以少而難成。吉曜併臨、悪雖多而亦化、道従理悟、神入心生、熟読苦求、巨微徴矣。
 およそ凶神が多いのは、いいところはなく成功しない。吉星が多いのは、悪いことがあってもまた吉となる。道は理によって悟ることができ、精神を集中することで理解できるようになる。この文章をよく熟読し考え、マクロミクロをよく見極めなければならない。

 あとがきです。訳もとくに問題ないでしょう。



あとがき

 気象篇を見直しました。あちこち訳を修正し、また自説も挿入しています。
 気象篇は重要だとは思いますが、話があちこちに飛んでいる感じがあり、整理が必要かと思いますが、それはとりあえず皆さんの方でお願いします。



   作成  2009年 4月 5日
   改訂  2018年 5月 3日  レイアウト変更、HTML5への対応