六壬断案 その4



  前程仕進 例43~例56




 前程仕進 例43~例56


例43 応貢元丁卯生42歳占前程 戊申年六月丁丑日午将未時

螣蛇貴人螣蛇天空白虎
貴人
天后

 邵先生の判断は、「この課は魁杜天門であるが、阻隔にはならない。六儀が助け守り、三奇拱秀で、低くても役人の長、高ければ侍従へ上り、その地位を推測するのは難しい。活人の功があるため、上天降福、北斗扶身、三光拱照、禄神催逼、すなわち日食禄である。人がこの課をみれば、まさに退連茹とするが、いうまでもなく甲戌旬であり、戌は六儀、戌が乾に加わるのはこれを朝天という。亥子丑は三奇拱照とする。午は丁の建禄で干上に臨み、日禄扶身、行年ともに白虎であるが、催官符使とする。貴人は三奇の中にあり、前後に挟まれる。ここで螣蛇は吉将とし、名を前一先鋒とよぶ。これは科挙に高位で合格すること疑いなし。丁徳は亥にあり、戌亥子はともに陰に属して、故に陰徳洪大と知る。神明福佑である。亥は上帝で子は紫微、丑は北斗とし、これを上天降福という。」
 貢元は38歳のときに、北方が辺境を侵したとき、彼は京東にいて友人30人余りとともに李家眷属70世帯余りを守った。また名前も知らない者37人を含めて諸人を船に載せて渡し、自らは友とともに沿岸を西に逃げた。このことが先生が課を見て、陰徳扶持と知ったのである。後に貢元は礼部の官に就き、貴寿ともに全うした。

 要するに好い判断なのですが、この課は部分部分を見ると悪いことが結構あります。
 まず魁杜天門ですが、これは戌が亥上にあることで、一般には悪いとします。しかし戌は六儀すなわち甲戌旬の初めの支であり、悪くはありません。
 また螣蛇が支上初伝に来てこれは官鬼螣蛇でいかにも悪そうです。しかし干上午と冲で、地支丑土が剋します。官鬼トウ蛇は剋冲でその凶意を解くとされます。
 白虎が干上に来てこれも悪そうですが、午火が白虎を抑えるので凶意はなく、むしろ権威の象徴です。さらに天空は奉書の神であり、身を助けます。天空は凶神ですが、試験においては吉神です。
 この課では三伝の遁干が甲尊、乙奇、丙奇であり、日干が丁奇で三奇となります。亥に貴人がつきこれは貴人登天門で高位につくことを示しています。また末伝戌は子土螣蛇を剋し、干上午と火局をなしますので、終わりもよいと判断できます。


例44 何秀才己未生51歳占応試 己酉年正月庚辰日子将酉時

白虎六合貴人白虎勾陳
太陰
トウ蛇

 邵先生の判断は、「何丈はすでに2度科挙を受け、今年も試験占いをやったがうまくなく、ただご令息は28番目で合格するだろう。」 何曰く、「わが子は学問も浅くどうして合格するだろうか?」 先生曰く、「この課は秋の終わりに喜びと悲しみがあることをしめす。10月に炊臼の夢(妻が死ぬこと)を心配する。」
 何丈は当時合格することを切に望んでいたが、病に阻まれ、その子が試験を受けた。全く思いもよらず、28番目で合格した。
 先生曰く、「何丈は入場せず、まさに息子が合格する。もし入場していれば合格することはなかったであろう。何丈は5年の後官を得るが、1,2年で亡くなる。行年が一巡する甲子を迎えることはない。日上は亥で庚の子孫である。庚の気を奪って水を生じる。また勾陳を得るので落ちることはない。亥は4で申は7である。4×7で28である。亥は水道となし、勾陳は滞神で日上に加わる、よって本身は下痢の病である。庚は寅を妻とし、盗気の上にあって、10月に臨んで白虎が加わり妻を喪う。夜貴が宅にあり閉口であってまた本命でもある。ゆえに官を得るとしても久しくは続かず死ぬ。」
 後に何公は57歳で合格したものの、59歳で死亡した。

 この課から、自分は科挙に合格せず息子が合格する、と判断するのは至難の業です。干上亥は庚を洩らして自らは弱く子孫が強くなり、官に対する勾陳は印綬のことですから、言われればそうかというぐらいで、断を下すには至りません。
 本文中にはありませんが、酉年の喪門吊客はそれぞれ亥、未です。畢法賦にいう「喪吊全逢掛縞衣」であり、これは葬儀のあることです。亥上は寅で財ですから妻の死という判断はできます。また未上は戌でこれは印で親になりますが、未は閉口すなわち甲戌旬の旬尾であり、また末伝が空亡ですから、これはむしろ本人が次の旬すなわち甲を迎えずに亡くなることを示すと考えます。59歳の行年は甲子であり子は空亡酉上です。すなわち落空となります。
 ただちょっとわからないのは57歳で科挙に合格するということです。未は本命で貴人がついており、未上は戌で57歳の行年は戌ですから、まあわからないこともないのですが、未の貴人は息子と考えられ、さらに本人というのはちと虫がよすぎるような気がします。


例45 応秀才占前程亦得此課

白虎六合貴人白虎勾陳
太陰
螣蛇

 邵先生の判断は、「この課は先に失い後に得る、先は虚で後に実、消耗して廃れてしまう。妻財を得て家を起こす。水利にあたり財をえる。もし功名を求めるならそれは得られない。敗尽くすといってもまた発する。兄弟もまた散る。喜ぶべきは妻と子が家を成し、晩年は福寿を受ける。店房住まいについては無気である。日上に亥をみるのは脱気で、そのままなら発することができない。また脱上が発用であり脱上逢脱、必ず詩書は荒廃し、家道は空虚である。初伝に妻宮を見て、引帰された中伝は長生、寅の長生は亥にあり、中伝は末伝を引帰するが、これは本身である。これは破敗の後妻子が家を起こすということで、これによって福を受ける。」
 応は果たして妻を得て酒を造って生計を立てた。子供はみなよく、遂に福を受けて亡くなった。けだし日上初伝はともに脱であり、かえって妻爻が生計を引帰したといえる。寅上巳は庚金の長生である。末伝申は巳に加わり、果たして生路を末伝に得た、故に晩年は福を受けたということである。末伝申は禄神である。

 この課は前例44と同じです。ただ古本によれば占月時が異なるとのこと。また年命も異なるでしょう。ただし占時が不明なので何ともいえません。
 この課の解釈の方が例44よりはすっきりしています。すなわち、自分自身は脱上逢脱となり弱くなるのですが、妻子が発達してそれによりおこぼれを受けるというストーリーはわかります。寅巳申は三刑であり、寅は申を冲しますので、決して本人がよくなるということにはなりません。末伝申自体も力がなく福を十分受けるまでには至らないのではないかと思います。ただし、幸いなのは三伝が土支であり我を生じます。すなわち家の福を受けることにはなると思います。


例46 徐将仕辛卯生18歳占前程 戊申年六月戊辰日未将巳時

白虎白虎青龍太常天空
玄武
天后

 邵先生の判断は、「三淵を渉る(三淵課)とは苦労するもので、苦労するのに成すことがない。干支の上は午未の合で経歴はよく、3回の辞令を受ける間に、両親の死に遭う。申は子孫で午の上にあり子息は得がたい。後日弟を子とする。妻は出産で亡くなる。遠方で勤めたり苦労が多かったりして、最後は他の土地で終わる。45、6歳のときは行年は子丑に至り、三淵の外に出る。この年を過ぎることができてもまた事は済まず。三淵を渉るとは、一伝は遠くまた一伝で、空亡に入る。初伝は子息で陽刃官鬼の上にあり、故に子は得がたい。中伝は兄弟で子息の上にあるので、弟を子とする。末伝は妻爻で空亡に坐し、天后穢神、これは不吉であり、故に出産で亡くなるとする。戊辰干支はみな東南神であり、辛卯命もまた東方、三伝は西方に流れる。さらに三淵を渉るのは、順行でも西北に陥る、すなわち他の土地で死すとする。伝はすでに巡らず、故に子はまた帰らず。」
 徐は25歳で試験に合格して当年岳州の役人となり、27歳に父が亡くなり、29歳で渾州の役人となって、30歳で母を亡くす。33歳で州の司戸を授かり、当年冬に赴任すると、34歳で妻を出産で亡くす。4人の娘はいたが、男の子はなく、一番下の弟を子とする。再び広西の提学幹官を授かり、また広州の東[カン]縣に赴任し、45歳で亡くなる。子は家を出てからついに戻ってこなかった。

 この課式をみて、例のように解釈するのはなかなか難しいと思います。というより、はっきりいって無理でしょう。
 この課の三伝申戌子は「渉三淵」と言われ、事を行うのに不利とされます。
 解釈は読めばわかると思います。3回の辞令とは三淵から得たものでしょう。天后穢神がよくわかりませんが、おそらく六月夏の死神は戌ですので、天后が死神の上にあることを示していると思います。
 本命卯は東方、日支は辰でこれは東南方、干支上神は午未で南、南西方です。三伝は西から北へ移っていきます。これをもって他の土地へ移ると判断するのは、なかなか私にはできません。


例47 徐教授戊子生21歳占前程仕進
   戊申年甲寅月丙寅日亥将申時


六合六合天空貴人六合
貴人
玄武

 邵先生の判断は、「申は占時で干上で日干から剋される。丙は夫であり申は妻である。初伝はまた申でその上は空亡である。これは妻を剋し、亥数は4であるから4人の妻を剋す。子月には子息をまた剋する。六合が地を得ていない。申は西南の金で巳の上は炉やかまどの上であり必ず西北で名声があがる。申は今日の駅馬であり四維(寅申巳亥)がみなあり、年をとるまで波乱がある。宅上丙火は寅の生を受け、内外のことをあれこれ言うべきではない。まさに四旬のうちに曹という人に遇い身を立てることになる。本命の駅馬は長生でありそれで年をとるまで波乱があるといったのである。中伝は亥で月将であり、空亡を論じない。ただ時は少々遅れるが、月将貴人が時上に乗じて身に臨み伝をなすのは、4年後にまさに表に出るということで立身出世をするということである。また寅は身を生じ、11月は天馬が寅にあって天門(亥)に臨み、玄武は本家に帰り、黒殺となる。中伝には天門があり、末伝は天門の上にあることになるので、必ず地方に出てからまた天子を奉ずることになる。また地位は六曹で刑職につくが、これは黒殺のゆえである。四維は天子に代わって四方を守ることで、必ず4回任につく。」
 徐君は当年江州徳化県令を得て2月に任につき、5月に妻である楊氏を亡くし、庚戌に再び李氏をめとった。辛亥に宣撫使劉大中の推挙で、諸王府の教授を得る。妻をまた亡くし、さらに毛氏を娶った。まさに中伝の亥が示すように次から次へと出世したのである。果たして4年後、諸王の教授から鐃州の通判となり、さらに宣州の通判となった。このとき曹泳が州知事であった。すなわち大渉上客を奉じることになる。曹が京に赴くとき徐もこれに随った。毛氏が死にさらに江氏を娶る。江陰州軍の知事から転じて、監察御史となる。7月に除吏部侍郎、さらに枢密院承旨となって、86歳まで波乱の人生であった。

 新法とは昼夜貴人が逆になります。しかしいわゆる簾幕貴人であり、貴人であることにはかわりありません。
 とくに判断に対する解説は不要だと思います。
 この課で重要なことは中伝が亥で空亡ですが、月将であり簾幕貴人だということです。本文にもありますが、月将は空亡と見ないということです。
 課伝がいずれも四孟支ですから、動きの激しい課ということがいえます。
 末伝が玄武ですが、「玄武だからといって必ず凶ととる必要はない、配合がよければ官旺運となる」と本書の注にはあります。が、妻を4人も亡くすというのは少し尋常ではなく、これはやはり申が寅に冲されることが影響していると思います。
 ちなみに新法では申はトウ蛇、寅は白虎であり、あまりよい十二天将ではありません。


例48 楊秀才辛未生39歳占前程 己酉年2月庚戌日亥将辰時

六合トウ蛇太常六合太陰
太常
螣蛇

 邵先生の判断は、「年をとるまで波乱が続き、ただ士人の書籍仲介業となるぐらいである。庚の上は卯で空亡であり、これは朽木が彫るに堪えないということで、虚名である。戌は模範とするが落空であり、巳の炉火はあるといっても模範鋳はない(庚金が鋳造されない)末伝は盗気で、これは子孫は勉強をしないということである。職業を改めるのがよい。4年後は店屋に宅を得る。家計は楽ではないが、飢えるわけではない。子孫は氷を売って生計を立てるがそれが好い。富貴とはいえないが長寿である。金の長生は巳で、巳は4、2つの巳で8である。巳の上は子で9である。8×9は72である。」
 楊は書を読み該博であったが、試験には通らず。後に徐侍郎の教授となり、楊教授と呼ばれるようになるが、これは単なる呼び名にすぎない。42歳に店屋を得て住み、子供は氷を売って生計をなす。果たして邵先生の言ったとおりとなった。

 これは畢法賦にいう「朽木難雕別作為」であります。これは物事が成就しないことであり凶といえます。頭がいいが成就しないということから富貴は難しいといえます。しかしながら初伝は戌土六合で庚金を生じていますので凶というほどではなく、富貴は難しいにしても普通に暮らせるということでしょう。
 巳は官鬼で太常ですので、商売を表すと考えられます。末伝は子孫爻であり、壬が遁干していますので、水に関係する商売、例えば飲食業とかが考えられます。これで氷と読みきるのはちょっと無理でしょう。
 72歳まで生きると判断したことについては、ちょっとまねできませんね。


例49 応秀才本命酉占前程 己卯日午将丑時

玄武青龍貴人玄武勾陳
朱雀
白虎

 邵先生の判断は、「鼠が羊の上にいるのを忌み、鶏は犬の吠える喉に驚く。みな嫉妬の心がある。よくけんかをし、人の欠点をあげつらう。ゆえに将来は明るくない。およそ七殺元辰は、もし将来を占えば多くは嫉妬を生じ、だいたい占えば多くは傷つけられるものである。初伝は破で玄武がありこれは駅馬でもある。あちこちに奔走、いろいろなことを思いつく人である。身宅みな貴人であり、子は勾陳、申は空亡。これはいわば中身のない話ということである。
 己は巳を父母とし、妻宮に加わるので、妻の制するところなる。また駅馬と破砕であり、これはじっとしておらず行き先不明ということである。子息は身の寄るところにあり身の剋するところとなる。子息は得がたい。申は空亡で夜貴人となり宅にある。これは神像に不安がある。
 妻が身宮に臨み上下から剋の挟み撃ちを受ける。もし不和でなければ病気が多い。鋳印乗軒課で、身に玄武が乗じて子に加わり、上は火下は水、玄武は賊であり、これを走範という。卯が白虎で戌に加わるのを破模という。虎が卯を傷つけまた軒を落とす。故に功名は成らず、かつ覆堕の患がある。」
 後壬戌二月、争役のために車に乗って入城したところ、落ちて足を折り、血気が上にのぼり死ぬ。けだし卯は車を示し、己土の死にあたる。支神は最も重要であり、もし己卯日でなければ死ぬとはいえない。

 最初の鼠が羊の頭にいるというのは子が己(未)の上にあるのを指し、これは意味がわかりますが、次の鶏は犬の吠えるのに驚くというのはちょっとわかりません。本命酉でトウ蛇ですから鶏が驚くのはわかりますが、犬の吠える喉とは何でしょうか?発用は巳で巳上は戌ですが、つながりがよくわかりません。七殺元辰とは日干己の官鬼が日支卯であることを示します。
 三伝が巳戌卯の場合を鋳印乗軒課といい、太常があれば吉といえますが、この場合は吉将がありませんので、鋳印課とはいえません。末伝が官鬼白虎であり、現代ならさしづめ交通事故の恐れがあります。


例50 葉助教45歳占前程 戊寅日申将未時

六合六合朱雀天空青龍
勾陳
青龍

 邵先生の判断は、「干支がみな天羅羊刃、四課発伝、伝は日上に帰る。目下の赴任は羅刃にあたる。来年の行年亥上には子であり、これは今日の地網にあたるとなる。来年は必ず父を亡くす。49歳は寅上に卯をみてこれは今日の支神である。卯は6、辰は5、巳は4で合計15年、監司の職となる。16,7年必ずや官を降り無職となる。8年たち23年後に寿命を終わる。」
 先生は卯辰巳の3支で15年といい、午は合計していない。なぜか?およそ支上から順に数えて来るので、これは転居や転職である。ところが、午に至れば午は羊刃であり、まったくよくない。午は9数であり、8年で午が表れるということで、死と判断したのである。

 ふつうに天羅地網といえば辰戌ですが、ここでは日干寄宮の一つ先を天羅といい、日支の一つ先を地網といっています。月将が占時の一つ先であれば、必ず干上は天羅、支上は地網となるわけで、これ自体にあまり深い意味を持たせることはないと思います。天羅が支上神に来るのは意味があるかと思いますが・・・。
 しかしながら、本文中で子が今日の地網にあたるとあります。これはちょっとわかりません。補註には子が午を冲し、午は戊日の父にあたるとあります。ただ私はちょっと違う考えを持っています。
 寅の行年に支上神が巡ってきて官鬼にあたります。その陰神発用は辰でこれは役人ですので、役につくという判断はいいかと思います。これも辰土が戊日干と助関係にあるからです。中伝が初伝を生じるのでこの間は比較的よいでしょう。ここでの卯辰巳の数目の使い方はなかなか真似ができません。


例51 伊秀才戊辰生41歳占科試 戊申年癸亥日未将巳時

太常太陰太常貴人太陰
太陰
貴人

 邵先生の判断は、「課名は出戸、占試はすなわち吉。太陰卯に乗じて幕貴となり、日干に加わる、また日貴は末伝にある。先に暗く後に明るい。確実に登科になり、来年は五甲疑いなし。およそ癸亥は六甲の最後の日であり、日は支について、終身かくの如きのみ。旧蒙晦窒を得て喜び、斯道発揮にして幕貴を出す。伝に出て日貴に向かう、日貴は夜貴の上にあり、ゆえに先に暗く後に明るいとする。行年午上に申が乗じ、干支の長生で文星学堂であり、日貴と合する。寅上辰は年命であり、昼夜貴人がこれをはさむ、故に必ず及第する。」
 伊秀才は伊県知事の弟であり、何度も試験を受けたがそのたびに落第していた。今先生が合格するといったのは甚だ信じられなかったが、果たして及第し、次の年は五甲の成績であった。

 試験占いで、これほど見やすい課式はないでしょう。
 発用は空亡ですが、試験占いで空亡はあまり気にする必要はありません。まさに昼夜貴人が一課二課に表れ、しかも中伝末伝にありますので、合格は疑いありません。


例52 応寺簿甲戌生36歳占前程 己酉年七月丁丑日午将辰時

朱雀天空太常貴人朱雀
貴人
太陰

 邵先生の判断は、「寺簿中年で、水は官星として、朝郎になるのはなかなか難しいとする。満局みな貴人であるがこれは多くは謀である。身と初伝中伝は空であり、十を求めても一も得られず、いたずらに心を浪費するばかりである。日上は発用で亥官星を加え、末伝支は亥上で、日は絶に向かい(日去投絶)、支は絶を迎える。その上支上に卯木があり、丁火の敗で、丑土の死は卯であり、これは酒色のことではない。およそ日上に太歳が来て朱雀となるのは上申書であるが、これが何の益になろうか、いたずらに放り出され貶められるのみである。しかしてこの寺簿には欠点が二つある。その1つは、妾を囲って妻とすること、その2は母親に不孝であること。ゆえに将来は暗く、寿命も長くない。もし過ちを改めれば寿命が延びないことない。」
 応寺簿は笑いながら去っていった。果たして十項目の上申書を出し、あらぬことを書き綴った。このとき秦檜正はこの言を嫌い、もし間違いが明らかになれば、かならず竄貶を招く。けだし日上太歳が朱雀となるのは上申書を欲することになる。日貴は官鬼で、太歳に加わるのは、その書がでたらめであることを示す。三伝日上ともに貴人であるが、貴が多いのは貴としないで、十を求めて一を得ずとするのである。丁日は申を妻とし、酉は妾とする。酉が日上に加わり、それに貴人を加えて、かえって申を剋する。申はまた空亡、これは妾を賎妻としていることである。丁は卯を母とし、酉がこれを制する。すなわち寵妾が母に不敬をなすということである。母の本宮は巳であり、酉丑を起こす。これは母とは別れて同居しないことである。丁の敗は卯、死は酉、絶は亥、これおは倫理に欠けるということで、天は許すはずがない。どうして将来を尋ねることができようか。もし己の身を慎んで徳を修めればいいが、そうでなければ災いは避けられない。

 一見一課二課ともに昼夜貴人であることから、前の例と同じように見えます。ところがこれは凶であると邵彦和は断じています。これは畢法賦にいう「課伝倶貴転無依」という状況です。また干上は空亡で貴人は落空です。試験占いは空亡は気にしませんが、この場合は将来を占うのですから、これは凶象です。
 さて、邵先生は本人を前に辛らつな意見を述べていますが、これはおそらく応寺簿の日頃の行いを知っていたためだろうと思います。つまりは貴人が多いといっても全く貴とはいえず、財に朱雀ですから派手な妾をもち、卯は父母ですが酉に冲剋されるので親不孝であるとは、容易に想像がつきます。
 この占例の重要な点は「貴多きは貴となさず」というところにあり、また日頃の行いが悪ければ貴人が全く働かないというところにあるのだと考えます。


例53 馬知丞一作宋馮丞戊辰生42歳占昇遷
   己酉年十月丙子日卯将丑時


青龍青龍白虎貴人朱雀
六合
螣蛇

 邵先生の判断は、「登三天(三伝が辰午申)、本来は昇遷の象である。ただ登るに関を過ぎずを嫌う。関とは子日のことである。既に関を過ぎずとは、昇遷は難しいということである。もし跳び過ぎればまた先に進んでもあっというまに退くということ、目下は必ず障害があり、堂上の妻はきっと長くはない。白虎が宅にあり、父母が乗ずる。これは父母の棺の中にシロアリが巣食っていて、ついには災いを成す。子孫に利なし。」
 けだし辰が年命であり、丙火の子孫とする。子孫から登三天となるのは身に及んでそこで止まるということである。末伝は透過身去といっても、また空亡であるので子孫に利はないということである

 登三天課というのは昇進の課といいますが、よく見ると決して好い課ともいえません。末伝空亡であり、日支子が午を冲し、さらに青龍がトウ蛇になるのですから竜頭蛇尾でしりすぼみです。
 少しばかり本文を解説します。
 堂上の妻とは、午の類神は堂家でその上にある申のことです。末伝にありますが空亡となります。また白虎寅と冲になります。
 寅は木で父母を指しますが、十月の死にあたります。すなわち棺であり、それが白虎(金神)に剋されますので朽ちていると判断します。
 丙の子孫は土であり辰青龍となりますが、末伝はトウ蛇でこれはまさに竜頭蛇尾ということです。
 身に及んでそこで止まるというのは、辰午申は三天を登るとするのですが、初伝は年命辰であり、初伝辰から中伝午へ遷るのに、巳(丙日干)を通り過ぎてしまうことを言っています。すなわち身すなわち日干には到達するのですが行き過ぎてしまい、また初伝が年命であることから初伝にとどまることになり、昇進には至らない、ということです。透過身去というのも同じような意味です。目下のところは昇進は難しいと判断します。


例54 趙将仕丁巳生52歳占武試 戊申年12月庚辰日子将子時

天后六合六合天后天后
青龍
朱雀

 邵先生の判断は、「将仕の禄は虚禄である。武職兵権というのはただ金が盛んなのが必要で、金がなければ男で武であろうか。この課は武なく文があり、今は任にはつかず、必ず嶽廟の職に改められる。かれはむしろ読書に宜しく科第を取る。己酉は中挙、庚戌は登科で二甲二十一名となる。けだし庚禄は申で、禄は空、太常は入伝せず、よって武は不可。寅上青龍は入廟し、天后は恩沢の神である。よって文を習うによろしい。末伝巳は朱雀となり長生で、官星学堂、故に科甲である。日干天地盤みな空禄、空のゆえに武はならず。嶽廟に宜しいとは宅上に辰をみて、辰は山丘、寅は廟、故に嶽廟読書について功名を取る」
 趙は信じなかったが、果たして広南の任には赴けず、遂に潭州の嶽廟を授かり、数人と書を読み、己酉に国子監の中挙となり庚戌に及第した。

 武は金というのが面白いところです。干戈という言葉がありますが、まさに干戈は金です。申酉空亡ですから、この課は金が全くの空亡ということで、武に向かないと判断したものでしょう。
 ではなぜ武でなく文か?末伝をみると巳でこれは朱雀です。朱雀は文章であり、巳火に旺じています。官鬼ですが、年命でありさらに日干の長生で学堂でもあります。これだけそろえば文に生きるべきだと思います。
 この課は初伝空亡なので、結局武試は受けられないか受けても通らないと判断します。また三伝は三刑ですから当初の願望はなかなか成就しにくいといえるでしょう。


例55 鄒大官人庚辰生30歳占比試弓馬取功名
   己酉年四月初一戊申日酉将申時


玄武玄武太常天空青龍
太常
青龍

 邵先生の判断は、「課は昴星で虎視と名づく。身上には馬があり弓はなく、馬は陽刃を帯び、もし狐色の馬ならば、決して乗ってはいけない。他に害をなす。いわんや走るところでは、汚れがあり、新しい服を着た人をそばに寄せてはいけない。その場に行き、まずは汚れをとらなければならない。けだし干支上は自刑であり、客も主も投ぜず、行年の上は申で、申は矢であるが地を得ない。日支は酉をみて干は午を見る。名づけて四勝殺という。各々その能力について虚勢をはるということである。陽刃午は青龍で、少しばかり兵部の好意を得るのみである。初伝戌は玄武で六害である。どうして当たることがあろうか。けだし巳は弓となし、申は矢となす。今馬があり矢があっても弓がなく、それで事は成就しない。」
 鄒は後に何度か試したが当たらず、趙侍郎権兵部を得て、ようやく官職のない位階を与えられた。

 馬があって弓がないというのは、午は課伝にあるが巳が課伝にないことをいいます。類神をみますと巳の類神に弓があります。ただ申の類神に武器がありますので、申ととれないこともありませんが、申自体日支であり課伝にはありません。
 狐色というのは原文では焦黄となっています。焦はこげることでこれは午の遁干丙からきています。
 汚れとは酉が太常で衣服、その上神が戌で玄武であり、玄武が汚れを意味します。
 客も主も投ぜず、というのは意味がよくわからないと思いますが、これは畢法賦「賓主不投刑在上」から来ています。午酉は自刑でしかも剋の関係、二課四課は未戌でこれも刑です。すなわち主客の間で争いが起きます。
 末伝は午で陽刃とはいえ青龍で日干を生じますので、わずかながら利があります。


例56 龔県尉辛巳生29歳占前程 己酉年十月壬午日寅将寅時

太常六合六合太常太常
六合
玄武

 邵先生の判断は、「この課は、日干が禄をいただき太常を兼ねている。必ず兼職がある。また俸禄は増える。若し昇進や転職ならばまだである。けだし干支は自刑であり、後に上の寵愛を受け、ついに清廉ならざることをなす。また寵妾を得ることで色を貪るが、医者にかかって治る。(昇進の妨げになるので)兼職を解いてもらうとしたが果たせず。しかし幸いにも一人の外路監司が懇ろに報告したため、遂に任と解いてもらうことができる。」
 伏吟というのは目下は動きがなく、時が替わるのを待つしかない。およそ干支は自刑であり、これはうぬぼれることである。月建の一つ先子には玄武がつくが、これは天医である。行年午と冲で午は六合で、昼貴人ならば天后である。また干の偏財で妾とする。玄武六合天后となれば貪色不正となる。ただし子は天医でこれは医を尋ねる兆しである。
 子午は官員の往来するところであり道路の神である。月建のひとつさきは外監司であり、必ず外により解決する。[キョウ]県尉は、主簿が辞職したことで、その後任となった。太守の覚えめでたく、ついには傍若無人となる。干支自刑はうぬぼれるということである。また一人の妾をかこい、下稍元合(意味不明)、多く不正をなす。あともみな判断のとおりである。

 意味のわからない言葉はともかく、だいたいは本文中に解説されているのでわかると思います。
 伏吟課で初伝中伝が自刑なら一課三課をとるわけで、初伝中伝は動きはありませんが、末伝は中伝の冲をとりますので、末伝ではじめて動きが出てきます。子は旧暦の十一月ですから、現在の月建の一つ先ということになります。
 子午は官員の往来するところ、道路の神というのがちょっとわかりませんが、午の類神に道路があり、子の類神は江湖で、これが往来ということかと思います。
 なお、この課は新法では夜貴人は巳となり、昼夜逆になります。ちなみに亥は天空、午は天后、子は青龍となります。この天将でも上の事象は十分に説明がつくと思います。要は術者の直観力と分析力がものをいうということなのでしょう。


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   作成  2011年 5月 8日
   改訂  2018年 2月25日  HTML5への対応