次客法は、私はあまり経験がなく使うことがないのですが、結構多くの人が悩むようです。まあ、私は実占家ではないので、悩む局面がほとんどないのですが。(みなさんプロなんですかねえ)
まずは、透派の「六壬大法」から紹介します。というのは、私も次客法については、この文に言い尽くされているように思うからです。
同じ時でも事は同じでなく、判断もまた同じではない。同じ課ならだいたい同じような判断になるが、細かく見ると同じではない。どうして次客を重ねる必要があるだろうか。
説明の必要はないと思います。しかし、私の目からみると「同略不同細」というのはなかなか示唆に富んでいます。
なお、「干支六壬大法」の張耀文師、佐藤六龍師の補足説明によると、占的が同じ場合にのみ次の時として占うと書かれています。次の時とは、最初が午時であれば、次の占いでは午時であっても未時を使う、ということです。これが一般にいわれる次客法です。
張鋐曰く、一日のうちに常に数人が来て占うとき、同じ時刻を得てみる場合には次客法というものがある。昔は年命というものを使わなかったからである。その後に占うときはだいたいその人の年命を並べ、課は同じでも年命は同じでないので、次客法は遂に廃れて使わない。これは私が先人から聞いた話である。
私が思うに、課は同じでも各人の占うことは必ずしもことごとく同じというわけではなく、それぞれの考えるところに応じて占い判断すればよい。もし課が同じで占うことが同じである場合には、各人の年命上神将でもって、課伝を比較参照して判断すべきである。
次客法にいたってはその説は一つではない。例えば次のような説がある。二人目も同じ時間を得れば、この時の三つ先の時間を正時として取り、三人目はそのときの五つ前の時を正時としてとればよい。
前というのは先のことで、たとえば子刻の前三辰とは卯刻となります。後五というのは、日本語では前にあたり、子刻の後五辰とは未刻となります。
四人目五人目はまた二人目三人目の正時から三つ先あるいは五つ前の時間をとって正時とする。その正時の上に月将を加えて課を出す。
また次のような説もある。陽日であれば三つ先、陰日であれば五つ前の時間を取る。また陽時であれば三つ先、陰時であれば五つ前を取る。これらは月将を時に加えて課を作るという、時を換えて月将を換えない方法である。
またある説では、陽日はその地盤の三つ先の支を月将として、陰日は地盤の五つ前を月将として取るとする。
金口訣では、陽神は月将の天盤の三つ前を月将としてとり、陰神は月将の天盤の五つ先を月将としてとる。ともにもとの月将のかわりにそれぞれ求めた月将を時の上に加えて課を出す。これはみな月将を換えて時間を換えない方法である。
以上のように意見はいろいろであり、その意義はよくわからないので、私はそれらの考えは全然採用していない。
特に説明は不要だと思います。次客法として前三後五という方法を紹介していますが、次客法は使わないというのが、名著「大六壬探源」の結論なのでした。
次にここで紹介されている「金口訣」をあげます。
解して曰く、次客法というのは一時の間に数客が同じ方角から占いを求めに来た場合で、これには移神換将の説がある。或いは換将、或いは換日辰、ある人が考えたのは大六壬は式によって合を作り、その法はみな同じことだというのである。
移神というのは十二天将を換える方法、換将とは月将を換える方法、換日辰とは日干支を換える方法で、つまり課式のどこを換えるかということに着目していろいろな方法を挙げているわけです。
私がこれを考えるに、似たりよったりで適当でない。歴家の説明の後なにがしかの月将を用いるというのは、このことをみるとこの換将の方法はおおむね取るべきでない。もし来た人の本命や行年上で課を作り占うのは、一年以内の吉凶はわかるにしても、その意味はかなり違う。かしこい人はまさに詳しく比較検討してほしい。
法に曰く、陽将は後三前五、陰将は前三後五、という。同じ課で次客があれば、将を換えて神を換えない、更に人元上の遁干を起こして、本位にいたるのを検討する。
例えば十二月壬寅日で午時申位の場合、功曹寅が将で、神は玄武、人元は戊である。
「金口訣」のとり方は私が使う新法とは異なり、貴人の出し方は古法であり、また遁干に時干法(壬日の時の遁干)を使ったりするので、少し勝手が違います。この場合は、月将が子ですから、申の上が寅となります。昼貴人が巳で順貴人ですので、寅が玄武となります。また遁干も壬寅、癸卯・・・、戊申となり、申の人元は戊となります。
いやしくも天客を設け(意味不明)、また申の上に座すものは、十二月は子が月将であったが、陽将の場合は三つ前なので、酉を月将として、午に加えて申に至れば登明亥が将となる。さらに戌(戊のまちがい)建すなわち甲寅から起こして申にいたると遁干は庚となる。また次客があれば、申の上に座すのは、酉からさらに五つ先を月将と置くと、寅がそれにあたるので午の上に加えて申まで数えると、天{ゴウ}辰がそれにあたる。さらに庚建、すなわち戊寅から申まで数えると、甲が人元となる。このときの貴神は玄武であり、これは変わらない。こうやっていったりきたりして、十二種類の課ができるが、十三番目からはもとにもどる。
「金口訣」のとり方の次客法のとり方は独特なものがありますし、もともと課式の立て方も普通の大六壬とやや異なります。よって、この項には深入りはしません。こういう方法もあるというだけです。
一つの課でいくつかのことを占う場合、昔からこういう方法がある。課伝は捨てて、盤の類神について見て推測するだけである。もし、一つの課で求財のことをみて、さらに結婚のこと、また疾病のことを聞かれた場合、まずは財爻が空亡でなく、命上と生合であれば、財は必ず得るとし、そうでなければ望みなしとする。太陰がつく支が空亡でなく、命上と生合であれば、結婚は必ずでき、そうでなければならないとする。白虎がつく支が旺相しているのは病が重く、白虎太陰が制せられれば病気はたいしたことはなく、制がなければ凶とする。
命上というのは年命の上ではなく、干上神と考えた方がいいと思います。もちろん年命や年命上神との関係も重要ですが、それ以上に干上神、日干との関係が重要だと私は思います。
なお、ここでちょっと注意してほしいのは、「課伝を捨てる」ということです。すなわち、課式自体は全く見ないと言っています。
一つの課で数人の同じことを占う場合、昔からこういう方法がある。課伝を捨てて、盤における本命を見て推測するのである。もし試験合格について数人を占うなら、そのうち誰が通るのかは盤におけるその人の本命を見て、朱雀がつく支と本命が生合すれば、また貴人が本命を挟むとか、本命に貴人が加わるとか、徳や禄が本命に加わるとかすれば、その人は必ず合格する。もし本命上で刑害があったり凶将がついたりすれば、その人は必ず不合格となる。
この場合の命は素直に本命(年命)といっていいでしょう。
読んでわかるとおり、この書においても、別の課を立てるということにはなっていません。
ある人が尋ねた。王縣丞(縣の高官)と汪五公(地位不明)は、同月将日時に同じこの課を得た。どうして王縣丞は昇進が許されて、汪五公はかえって服装の色が変わる(地位が変化する)となったのか。
先生が答えていうには、縣丞は本命が寅であり長生に臨んでいる。恩沢の神を得て、しかも行年は官星であり、これは在任者によく、必ず昇進するといえる。汪公の命は未であり、下は辰に望み、上には戌を得る。行年はさらに盗気を添える。これは時間がたった者にとってはよくない。必ずつぶれるものである。幸い汪公の場合は寅が亥の上にあり、亥が身を生じるので、そんなにひどいことにならずにすんだだけである。
この文章は、とある課式についての解説の一部であって、課式の例を示していませんので、少しわかりにくいと思います。ただ、ここで述べていることは、本命や行年が違うと同じ課でも反対の判断がありうるという話です。しかし、課は同じですから、本命は悪くても課自体のよさに助けられるということがあると言っていて、これは課式を見るという立場であります。
メールで何人かの人から質問された次客法、同時異占ですが、何人かから来るということは、これはテーマとして掲げなければと思い、とりあえず手元の本からいくつか抜粋してあげました。ちょっと急いで作ったので、説明不足の感じはするかもしれません。
同時異占の解決策は次客法の他に、時刻の支を使わないという方法があります。例えば、くじをひく、とか、玉をころがして十二個の穴のどこに入るかをみる(まあルーレットみたいなもの)とか、偶然性を利用する方法です。これを占時のかわりに使えば、実際の時刻とは関係なく立課できます。ただし、この場合昼夜貴人をどうするかとかいう問題などはあります。「大六壬予測学」(この本は名著だと思います)の秦瑞生師などはくじで占時を引く方法でやっています。私は、こういう方法は(六壬としては)正統的でないと思っていますが、しかし大六壬の一法には違いなく、間違いでは決してありません。それで当てられる人はそれでいいでしょう。
どちらをやられるかは、皆さんそれぞれやってみて、肌に合う方を行えばいいと思います。正しい時刻でやらねばならない、などと堅苦しいことは申しません。