貴人を起こす方法というのは、大きくは古法と新法(といっていいでしょう)があります。
私は、基礎編では新法を紹介していますが、現代においても、古法をとるべきであるという術者もいます。
ここでは、とくに私の意見は入れずに、いろいろな本で書かれていることをそのまま紹介します。
まずは、新法の取り方を示している「六壬尋源」から紹介します。これが、新法の基本的な取り方で、そのあと、貴人のとり方についての論を紹介していきます。
なお、六壬の書だけでなく、例えば「三命通会」のような四柱推命の本においても貴人についての論考はありますが、ここでは(五行大義を除き)六壬に関する書をとりあげています。
訳については、例によって原文に忠実な訳ではなくわかりやすく意訳しています。
およそ貴人を起こすのにはまず昼夜陰陽を分ける。もし占時が卯辰巳午未申であれば、昼であり陽であるとする。
日貴人の歌。
甲は未、戊庚は丑、乙は申、己は子に求め、丙は酉、丁は亥の位で、壬は卯、癸は蛇にあたり、六辛日は寅で逢う。陽貴人は日中でこのようなものである。
陽貴人は先天においての法をとる。先天は十干は坤において起こし、徳合を貴人とする。もし甲日であれば貴人は未となる。未中には己があり、甲の合である。
夜貴人の歌。
甲は丑、戊庚は未、乙は子、己は申、丙は亥、丁は酉の上、壬は巳、癸は卯を蔵す。六辛日は午で逢い、陰貴人、夜時がまさにこれにあたる。
陰貴人は法を後天に取る。後天の坤は申に寄せる。もし庚日なら貴人は未で、未中には乙があり、庚の合である。
以上を整理すると、次のような表となります。
甲 | 乙 | 丙 | 丁 | 戊 | 己 | 庚 | 辛 | 壬 | 癸 | |
日貴人 | 未 | 申 | 酉 | 亥 | 丑 | 子 | 丑 | 寅 | 卯 | 巳 |
夜貴人 | 丑 | 子 | 亥 | 酉 | 未 | 申 | 未 | 午 | 巳 | 卯 |
先天後天の法というのが、わかりにくいと思います。次の論で説明したいと思います。
先天において坤は子にあり、後天の坤は申にある。貴人は甲と己の合で、己が臨む場所である。それで陰陽の二貴に分け、陽貴人は己が子にあり、庚以後は皆順行、辰戌に貴人は臨まず、午は子と衝(冲)なので臨まず、子は再び臨まないということで、戊は丑で終わることになる。陰貴人は己が申にあり、庚以後は逆行で、辰戌に貴人は臨まず、寅は申と衝なので臨まず、申は再び臨まないということで、戊は未で終わることになる。
ここまでで、前説の先天、後天というのがわかったでしょうか?先天卦においては、乾が北西の方角にあり、そこからぐるっと一周して、坤が真北の方角になります。後天卦においては、坤は南西の方角となり申方ということになります。甲は十干の首であり甲尊ともいいますが、そこを出発点として支を配置します。そしてその合である干にとっての貴人にするというわけです。貴人支の順序は書かれているとおりです。以上が、前説にいう「取法於先天(または後天)」ということです。
確認のため以上を表にしてみますと、
基準干 | 甲 | 乙 | 丙 | 丁 | 戊 | 己 | 庚 | 辛 | 壬 | 癸 | 備 考 |
干合 | 己 | 庚 | 辛 | 壬 | 癸 | 甲 | 乙 | 丙 | 丁 | 戊 | 基準干の干合 |
陽貴人 | 子 | 丑 | 寅 | 卯 | 巳 | 未 | 申 | 酉 | 亥 | 丑 | 辰戌午を除く、子は不再臨 |
陰貴人 | 申 | 未 | 午 | 巳 | 卯 | 丑 | 子 | 亥 | 酉 | 未 | 辰戌寅を除く、申は不再臨 |
以上のようにして、前説の表が導き出せるわけです。
辰は天罡で、戌は河魁であり、至尊の地である。あえて貴人が臨むことはない。己が子申に臨むのはまた天[ゴウ]を取り巻いているからであろうか。それで曰く、天乙貴人とは天上の一つの星であり、紫微垣の外にある。前半部分は、「五行大義」のところで説明します。 後半の葉九升のいうことは、どうも少し混乱しているようです。起貴人の法は、貴人は徳合を採ると言っているに過ぎないわけで、甲と己の貴人支が同じであると言われているわけではありません。ただ、その後、古法の歌訣の一つである、甲戊は丑未、庚辛は午寅、というのは間違いである、とはっきり書いています。これは重要な指摘ですが、異論があります。それは後述します。
貴人というのは十干の気が集まったものであり、その法は十干をもとに十二支に配布するものである。貴人は辰、戌、虚にはない。その対衝(冲)は辰戌を貴人の獄とする。対衝とは天空である。
陽貴人は順に配布する。甲と己は合して、甲は子に加え己は未に加える。故に甲は未を貴人とし、己は子を貴人とする。乙と庚は合して、乙は丑に加え庚は申に加える。故に乙は申を貴人とし、庚は丑を貴人とする。
以下丙丁、、、と続くのですが、省略しました。書かれていることは、前論と同じです。”加える”というのは、付けるというぐらいの意味でしょう。
乃坤二五黄中之合貴というのは意味が判然としません。「三命通会」にも同じ文がありますが、、、。あとではっと思い当たるかもしれません。
六壬式経にいう、十二神将は、貴人を主とする。甲戊庚日は、昼は大吉丑に治まり、夜は小吉未に治まる。乙己日は、昼は神后子に治まり、夜は伝送申に治まる。丙丁日は、昼は微明亥に治まり、夜は従魁酉に治まる。辛日は、昼は勝先午に治まり、夜は功曹寅に治まる。壬癸日は、昼は太一巳に治まり、夜は太衝卯に治まる。
これを整理して表にすると、次のようになります。
日干 | 甲 | 乙 | 丙 | 丁 | 戊 | 己 | 庚 | 辛 | 壬 | 癸 |
陽貴人 | 丑 | 子 | 亥 | 亥 | 丑 | 子 | 丑 | 午 | 巳 | 巳 |
陰貴人 | 未 | 申 | 酉 | 酉 | 未 | 申 | 未 | 寅 | 卯 | 卯 |
これはいわゆる古法のひとつであり、前の表とまったく違うのがわかると思います。「六壬式経」からの引用ですが、「龍首経」や「金匱玉衡経」も同じで、これがいわば新法になる以前の貴人のとり方の原則です。
これは紫微宮の門外に並び、天一太一ともに紫微の内の北辰の名、大帝ではない。鄭玄は間違っている。ここは貴人起例とは関係ありませんが、少し補足すると、天一、太一とも星の名前(西洋の星座でいうりゅう座に属す)であり、紫微宮とは北極星をとりかこむようになっている中国の星座です。古書の星図をみると天一、太一とも紫微宮の外に位置しています。一部の書に、太一は北辰(北極星)であると書かれていますが、それは間違いだと言っているわけです。
甲戊庚日は昼は丑で夜は未、乙己日は昼は子で夜は申、丙丁は昼は亥で夜は酉、壬癸日は昼は蛇で夜は兎、辛日は昼は午で夜は寅。これが貴人の方である。
その他の書には甲戊日は昼は丑夜は未、庚辛日は昼は午夜は寅というような例があるが、間違いである。六壬術は他術とは違って、甲戊庚を天上三奇として用いるのである。よってそれを改変してはならない。
貴人のとり方は前の「五行大義」のとり方と同じです。その他の書には云々とありますが、そのとり方は次に説明します。「金口訣」ではそれは間違いだと断定されていますが…。
楚の黄甘時望先生が貴人の起例について論じていうには、最近の人は、先天後天の説でもって貴人を起こし、曰く甲戊庚は牛羊などといっているようだが、誤って伝えられたものを伝えており、かつ牽強付会であり、その説は全くの誤りである。六壬には720課があり、甲戊庚は牛羊という説をとると、60課に違いがある。どうやって判断すればよいか。私は、その違いに注意して占ってみたが、庚日の場合は多くは当たらなかった。やはり、甲戌は牛羊を兼ねる、という見方の方が正しい。かつて六壬玉門、会門、金櫃など諸々の書を参考にして三伝四課を定め、甲戊は牛羊を兼ねるというのに従って、奇門などと同じようにみれは、まさに720課鈐とは間違いがなかったのである。(ここの訳は少し変ですが)貴人はただ陽貴人と陰貴人があり、天干にはただ陽干と陰干がある。もし世俗のいうように甲戊庚の三干が貴人を同じくし、辛がただ一つの貴人とするのは、全くの誤りであり、それでどうして占って当たることができようか。
起例は次のように定める。
甲戊は丑未を兼ね、乙己は子申の郷にあり、丙丁は亥酉の位、壬癸は卯巳に蔵し、庚辛は寅午に逢う。これが貴人の決め方である。
とりあえず、最後にあげている歌訣を表にしてみましょう。
日干 | 甲 | 乙 | 丙 | 丁 | 戊 | 己 | 庚 | 辛 | 壬 | 癸 |
陽貴人 | 丑 | 子 | 亥 | 亥 | 丑 | 子 | 寅 | 寅 | 卯 | 卯 |
陰貴人 | 未 | 申 | 酉 | 酉 | 未 | 申 | 午 | 午 | 巳 | 巳 |
先の古法の表と比較しますと、庚は大きく違い、辛壬癸は陽陰が逆になっています。ただし、720課のうち60課(庚日のみ)が違うと本文では言っているので、おそらくは歌訣が間違っており、筆者は辛壬癸は前にあげた表のとおりだと考えているのでしょう。したがって、上の表の辛壬癸は陽陰を逆にしてください。
ところで、著者は実際に占ったところ、こちらの方が当たっていると主張しています。
最近では、「戊庚が丑未を見て、甲の貴人は未丑を明らかにし、乙の貴人は申子として、己の貴人は子申の郷、丙の貴人は酉亥をとり、丁の貴人は亥酉の方、癸の貴人は巳卯を尋ね、壬の貴人は卯巳に蔵し、辛は寅午に逢う。昼夜によって陰陽を定める」という歌を用いる。清の康煕の時の《御定星暦孝原》巻五、あるいは建隆の時の《欽定協紀弁方書》巻七で訂正し、この種の起法を正確な起貴人法とした。すなわち甲の陽貴人は未で、陰貴人は丑の類である。しかし、もしこのような方法をとれば、清朝以前の六壬の諸書はことごとくみな誤りであることになる。これらを実証した経験によれば、《御定星暦孝原》が訂正した貴人訣は、六壬占では似て非なる結果になり、時には当たらないこともあった。故に議論の余地はなく、古法こそが正しいとするのである。
《協記弁法書》の天乙貴人の起例は明確で合理的な解釈を提供している。ただし乾隆以降の六壬書籍の貴人の起例はなお不完全でこの方法について考えられている。この違いの原因は、すでにある占験の実例の影響であり、六壬術はすでに千年もの間伝えられたもので、あえて僭越にも変更しなかったということによるのであろう。筆者が実証したところでは、《協記弁法書》の起例が比べるともっとも合っており、かつ解釈も合理的である。よって本書の貴人はこの方法(すなわち新法)を採用している。
最後の2つは最近の書からとりました。読めばわかるように、前者は古法をとるべきであり、後者は新法をとるべきだ、と言っています。で、二人とも実占を行ってみて、そういう結論に達したと述べています。
どちらを信じればいいの?ということで、あとがきへ続く。
以上、起貴人法について、諸説をあげました。私は、一応新法をとっていまして、基礎編にもこの取り方を紹介しています。しかし、最後から2番目の論にあるように、いまでも新法ではなく古法をとっている術者も少なくないようです。(陳剣師はその代表でしょう)
どちらが正しいか、理論上はともかく、実例で検討しようとしても、各術者が、「自分の経験ではこれが正しい」と言うもので、各術者の経験もあてになりません。ここが、六壬の難しい点の一つなのだろうと思います。つまり当たるか当たらないかは、術者の力量に負う所が大きく、六壬の課式はあくまで参考(?)でしかない、といえるでしょうか。
今後、別の章で実例研究をしていこうと思いますが、そこでの研究テーマの一つとしたいと思います。
ところで、この論の最後に、私の考えた面白い(?)説を紹介しましょう。これが正しいと考えているわけではありませんので念のため。
先の古法の歌訣を再録しますと、「甲戊庚牛羊、乙己鼠猴郷、丙丁猪鶏位、壬癸蛇兎蔵、六辛逢馬虎、此是貴人方。」でした。
これを次のように解読します。それぞれの十干と十二支が前後の順に対応するとします。甲は丑で戊庚は未、乙は子で己は申、丙は亥で丁は酉、壬は巳で癸は卯、辛は午となりこれが昼貴人とします。夜貴人は、甲は未で戊庚は丑、乙は申で己は子、丙は酉で丁は亥、壬は卯で癸は巳、辛は寅、という具合です。表にすると、
日干 | 甲 | 乙 | 丙 | 丁 | 戊 | 己 | 庚 | 辛 | 壬 | 癸 |
昼貴人 | 丑 | 子 | 亥 | 酉 | 未 | 申 | 未 | 午 | 巳 | 卯 |
夜貴人 | 未 | 申 | 酉 | 亥 | 丑 | 子 | 丑 | 寅 | 卯 | 巳 |
これをみてすぐに気がついた方はえらい。よく見ると、この表は新法の昼貴人と夜貴人が逆になっています。つまり古法は新法と逆だったというわけです……、とは、私は考えていません。ただ古法にしろ新法にしろ同じ構造をもとにしていると考えられる、ということを示したかっただけです。
ここでの結論は、貴人のとり方ひとつでも諸説があるわけで、六壬はまだまだ研究途上なのだ、ということです。