大六壬の課式雑感~課式の構造


■ はじめに

 ここでは、大六壬の課式がどのような構造になっているかを書いてみました。
 課式を出したり看たりするときに少しは役に立つのではないかと思っています。

■ 月将とは何ぞや?

 ちょっと不思議に思っていることがあります。月将について、出し方については詳しく書かかれているのですが、どういうことかを詳しく解説した本はありません。ただし私の知る限り(蔵書)のことで、講座や通信教育などでは詳しく解説されているのかもしれません。
 中井英祐師の本には、「黄道を24等分して太陽がそれらの分点を過ぎていく24節気のことで、いわゆる太陽の過宮のこと」とあるだけで、わかる人にはわかるし(占星術をやっている人ならわかる)、わからない人には何のことかわからないです。
 もちろんわからなくても占いはできるのですが、大六壬では月将が非常に重要なのですから、その意味するところは知っておくべきでしょう。
 とはいえ、ここで天文学の初歩から解説していくと長くなるので、それは省くとして、ただ大六壬をやろうという人であれば西洋占星術の知識もあると思いますので、西洋占星術との対比をしてみますとわかりやすいかもしれません。

黄経 0度 30度 60度 90度120度150度 180度210度240度270度300度330度
新暦3/214/205/216/217/238/23 9/2310/2411/2312/221/212/18
星座白羊金牛双子巨蟹獅子処女 天秤天蠍人馬山羊宝瓶双魚
節気春分穀雨小満夏至大暑処暑 秋分霜降小雪冬至大寒雨水
月将

 西洋占星術でいう誕生星座とは、太陽が黄道十二宮上のどの星座の位置にあるかということを示すものでした。
 月将というのもそれと同じで、あくまで天球上のこと、つまり天球のどの位置に太陽があるかということを示すもので、地上のことではありません。
 地上では子が北、午が南ですが、同様に天球上にも十二支で示される位置(天の方位)があるということです。
 で、中国天文学においては、天球上での方位は、春分点を亥と戌の境としています。(春分点については中学校の理科の教科書に載っていると思います)
 なぜ亥と戌の境が春分点なのかは、いろいろな参考書(といっても図書館や本屋さんにある書籍ぐらいですが)をひもといているのですが、はっきりとした理由を私は知りません。ちなみに、亥は天の門戸と呼ばれます。

 そこで、月将とは何か? の結論ですが、月将とは、
   「その時刻に太陽が天球上のどの位置にあるかを天球上の十二支の方位で表したもの」
と、ここでは言っておきます。

■ 占時の上に月将が来る理由

 一部特殊な大六壬を除いては、「地盤の占時の十二支の上に月将の支の載せて順に十二支を配する」ことになっています。私は、大六壬を学び始めのころはよく取り違えておりましたが、その理由がわかってからは間違えなくなりました。
 ここのところの説明が、中井師の本では、「地盤は変わらず天盤は動く」と表現されています。わかったようなわからないような…。しかし、これからの説明で、中井師の言いたかったことがおぼろげながらわかるでしょう。ただ、もっとはっきり言ってよ、とは言いたくなりますが。

 前章で「月将とは太陽の天球上の位置」と説明しました。
 図を書いてよく考えてみると、地盤の占時支の上に月将を置くということは、
   「その時、地上からみて太陽がどの方位にあるか」
を示していることになります。

 右の図を見ながら次の説明を読んでください。
 例えば、この日の月将が子であるとき、太陽は天球上の子の位置にあるということです。そして午前10時ぐらいは時間でいえば巳刻ですが、午前10時ぐらいだと太陽が巳の方位にある、すなわち太陽は南南東にありますよ、ということを表しているわけです。全く図のとおりです。すなわち巳の方位の上に天球上の子が来ています。さらに時間がすすみ正午になれば太陽は南すなわち地上では午の方位に来るわけですが、太陽とともに月将(天球)は移動するわけで、午の上に子が来ます。まあ実際には太陽や天球が動いているわけではなく地上の方が動いているわけですが、真ん中の人からはそう見えるわけです。

 とすれば、天盤は何を意味しているのでしょうか。月将を子としますと、巳の上は子、午の上は丑というふうに続きます。すなわち、天球上の方位の十二支が、地上からみてどの方角にあるかを示しているということになるわけです。そしてそれは太陽と同じように動いていきます。それが「地盤は変わらず天盤は動く」の意味です。

 さらに次で課式の構造の本論へ。

■ 課式とは何ぞや?

 結論からいえば、課式の構成からみれば、大六壬は四柱推命よりは占星術に近いというのが、私の印象であり意見です。
 以下は、私の単なる思いつきをまとめたもので、まだ十分に検討されたものではないことをまずお断りしておきます。

 四柱推命における命式は、暦ですから、基本的には地上の現象といえると思います。もちろん暦自体は天球上の現象(太陽なり月なり惑星なり)を反映して作られているわけですが…。
 したがって、その判断も地上の現象からの類推が多くなります。寒暖とか燥湿とか、とくに四季の変化から類推することが多くあります。
 一方、大六壬でもっとも重視されるのは天盤と地盤の相剋関係です。三伝を決める際に真っ先に賊剋を採るということが、それを示しているといえるでしょう。
 で、日干支の天盤支を重視し、さらに三伝、陰神と考えていくと、大六壬では、次のように考えられているのではないでしょうか?

   (1)天盤と地盤が相剋関係にある場合に、その支が示すものに何らかの動きが表れる。
      この場合、地が天を剋すことは、天の道に外れており、その動きもよけい激しい。
   (2)地上(地盤)で起こっていることが、その表象として天空(天盤)に示される。

 (1)をちょっと考えてみると、天と地の方位の十二支関係が剋の関係が多ければ多いほど激動し、剋の関係がなければ動きは少ない。例えば、剋の多い課式の極端な場合は返吟課でしょうが、そのときは動きが激しいといえます。逆は伏吟課で天盤と地盤が同じ支になるわけですが、そのとき物事は停滞すると判断します。そしてその他の課式はその数に応じて変わるということになります。
 (2)はまさしく占星術的な考え方です。
 (1)(2)ともに大六壬の基本スタンスですが、こういう考えは四柱推命にはありません。天干と地支という呼び方はしますが、天干は実際の天球とは何ら関係はありませんし、そもそも日干支は大六壬では地盤にくるわけですから、2つのスタンスが命式には全くあてはまりません。
 しいていえば、天干が表象、地支はその根拠という考え方はわずかに似ていないこともありませんが、四柱命式の出し方と六壬課式の出し方は根本的に違うのですから、その意義は違うと考えるのが妥当でしょう。ただ、主体を日干支とするところは共通していますが。
 ちなみに、四柱推命では月支を重視しますが、あくまで季節をみるわけで、六壬の月将とは意味が違います。

 ここまで来て、皆さんの大六壬の課式に対する見方も変わってくるのではないでしょうか。

   ①日干支が地上での主体、天盤支(干上神、支上神)はその表象。
   ②陰神とは、その支の類神が地上でどうなっているか、
    そしてその表象は天盤でどう示されているかを表したもの。
   ③三伝とは、そのときに主体の周囲でもっとも動きの激しいものを手がかりとして、
    その事象が推移するさまを予測するもの。

 ちょっとわかりにくいかもしれませんが、私は以上のように考えて、大六壬の課式を看ています。この見方は、いわゆる伝統的な手法と矛盾するものではないと思っています。

■ おわりに

 では、占時の上に月将ではなく方位を使うとか、占時のかわりに抽籤で十二支を求めるとか、上の話とは違う課式の出し方があります。これらは、また別の論理が考えられます。例えば方位を使う場合は、地上の方位と人やものの動きや存在する方位との関係ですし、抽籤となると、これは天意という風にいえるかと思います。
 これらの方法は、私自身は使いませんので、それほどよく考えたことはありません。これらの方法を用いている占者の方々に得られた課式の構造や考え方についてご意見を伺いたいものです。



作成  2008年 5月19日
改訂  2021年 4月15日  HTML5への対応、一部修正

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