疾病論集

■ はじめに

 六壬において疾病についてはよく研究されている分野だと思います。
 まずは、「透派六壬大法」から紹介します。最初に挙げる理由は、簡単だがポイントをついているという点にあります。その後は諸論を列記していく予定です。
 訳については、例によって原文に忠実な訳ではなくわかりやすく意訳しています。


■ 論集


「透派 六壬大法 病医」(抜粋)

一人三病厄、亥腎子膀胱、丑脾木肝胆、辰胃巳心狂、
午腸未包絡、申明酉肺黄、戌焦将症候、合常不臥寝、
龍空不是病、虎傷勾陳奇、武寒朱雀熱、蛇亢陰衰迷、
后虚貴人実、判断莫拘泥、初伝発病日、末伝生死期。

 一課は人で三課は病厄。亥は腎臓、子は膀胱、丑は脾臓、木は肝臓胆嚢、辰は胃、巳は心臓、午は腸、未は包絡、申は明(大腸)、酉は肺黄、戌は三焦。
 十二天将は症状を示す。六合と太常は寝付くまで至らない。青龍と天空は病気ではない。白虎は傷、勾陳は奇形(遺伝的なもの)、玄武は寒症、朱雀は熱症、螣蛇は亢進性、太陰は衰弱性、天后は虚症、貴人は実症。
 判断するにあたっては以上のことに拘泥してはならない。
 初伝は発病の日、末伝は生死の時期である。

 ここには漢方独特の用語があります。それらについては漢方の本やサイトを参照してほしいのですが、いくつか補足します。脾臓というのは、いわゆる脾臓ではなく、消化器系統(すい臓等)を指しています。包絡とは、個別の臓器を指すのではなく心臓を包み込む膜のようなものだそうですが、実際には形のないものです。ここでは、循環器系統にかかわる働きみたいなものと捉えてください。三焦も同様で、循環機能、消化機能、排泄機能等の総称のようで、西洋医学的には実体のないものです。ただし、あまり正確な定義にとらわれてはいけません。実際の疾病占では、状況をみて、洞察力と応用的な判断を必要とします。実占例については、別ページを参照してください。




「大六壬探源 論占事」(抜粋)

占病医以干為人、干上所乗之神将応人。以支為病、支上所乗之神将応病。以白虎病神為病症、其所乗之神応病症、所臨之将応経絡。
亥子属腎、巳午属心、寅卯属肝、申酉属肺、辰戌丑未属脾、此十二神所専属也。若変通論之、亥子主膀胱、巳亥主頭面、寅申主手足、辰戌主頂門、丑未主肩背耳、卯主大小腸、午主栄衛、酉主胆。
金神乗白虎、必是肝経受病、可治肺、而不可治肝。
木神乗白虎、必是脾経受病、可治肝、而不可治脾。
水神乗白虎、必是心経受病、可治腎、而不可治心。
火神乗白虎、必是肺経受病、可治心、而不可治肺。
土神乗白虎、必是腎経受病、可治脾、而不可治腎。
又火鬼肺病、水鬼心病、金鬼肝病、土鬼腎病、木鬼脾病。如鬼受剋、並空亡、不治亦瘥
以病人本命及類相為病人、其上乗下臨之神応病人。以死神絶神為死、其所乗之神応死、所臨之将応死期。以長生為寿、其所乗之神応寿、以臨官為禄、其所乗之神応禄、所臨之将応食禄期。以駅馬為行動、其所乗之神応行動、所臨之将応行期。以長生為医生又為薬草、其所乗之神応医生薬草、所臨之将応医室病退期。

 病医を占うには、まず日干を人とし、干上の神将を人の状況に当てはめる。日支を病気とし、支上の神将を病気の状況に当てはめる。白虎、病神を病症とし、その十二支を症状として、その臨むところの天将を経絡にあてはめる。
 亥子は腎臓、巳午は心臓、寅卯は肝臓、申酉は肺、辰戌丑未は脾臓に属し、これらの十二神がもっぱら属するところである。これを応用して論ずれば、亥子は膀胱、巳亥は頭顔、寅申は手足、辰戌は頂門、丑未は肩背耳、卯は大小腸、午は栄衛、酉は胆をつかさどる。

 栄衛とは、気(エネルギー)と血液(栄養分)のことだそうです。

 金神に白虎がつくと、肝臓の経絡が病を受け、肺を治すべき、でないと肝臓は治らない。
 木神に白虎がつくと、脾臓が経絡が病を受け、肝臓は治すべき、でないと脾臓は治らない。
 水神に白虎がつくと、心臓の経絡が病を受け、腎臓は治すべき、でないと心臓は治らない。
 金神に白虎がつくと、肺臓の経絡が病を受け、心臓は治すべき、でないと肺は治らない。
 土神に白虎がつくと、腎臓の経絡が病を受け、脾臓は治すべき、でないと腎臓は治らない。
 また、火が官鬼だと肺病、水が官鬼だと心臓病、金が官鬼だと肝臓病、土が官鬼だと腎臓病、木が官鬼だと脾臓の病となる。もし官鬼が剋されていたり、空亡だったりすれば、治らなくても徐々に快方に向う。
 病人の本命や状態をみて病人として、その上神や下神を病人に当てはめる。死神や絶神を死として、乗ずる神将を死にあてはめ、その下の神将を死期にあてはめる。長生は寿命として、長生の神を長寿にあてはめる。臨官を禄として、その乗ずる神将を禄にあてはめ、その下の神将を食禄期にあてはめる。駅馬を行動として、その乗ずる神将を行動にあてはめ、その下の神将を行動の時期とする。長生を医者や薬として、その乗ずる神将を医者や薬にあてはめ、その下の神将を病院とか治る時期とする。

 ここでの応期の決め方は、十二運が死絶の地盤支を死期、長生や建禄の地盤支を治る時期としています。死生については、課式の状態を総合的にみて決めます。




「六壬尋源 占疾病」(抜粋)

占病之法宜慎而詳、大要有四。一曰占其死生、二曰占其病症、三曰占其医薬、四曰占其鬼崇、其余不過附占而已。
占其死生
大抵日為人、辰為病、日上剋辰吉、辰上剋日凶。細分之、如四課日辰倶墓伝用復墓無刑冲者、白虎乗死気喪神剋日而無救解者、白虎臨日剋日或辰作白虎剋日者、年命復墓而乗死気者、月厭大殺飛魂死車哭神同死神死気填満、課伝内有剋日者、龍乗駅馬與武合浴盆殺加命上者、日徳日禄発用及加年命上而倶空亡者、魁罡加日龍合陰入伝者、為人占病而類神値空亡者、如占父與尊長而日及天乙空、占母而太陰空、占伯叔而太常空、占兄弟朋友青龍空、占妻妾而天后空、占子息而六合空、占奴婢而天空空、酉戌空、皆不吉。若四下剋上、與伝中倶財則憂父母、四上剋下、三伝倶印、則憂子孫、当以類神推之、此皆死之占也。
而死之期則以日干之神定、如甲乙日日絶在申、看申臨何辰、臨歳則不出一歳、臨月不出一月、臨日不出一日、当以太歳年干間之法詳之。一法以男取功曹、女取伝送加行年上以魁罡下辰為死期。
年命入墓而四殺中有生気者、課伝倶凶而類神在生旺之郷者、課伝悪殺而不来傷日者、白虎乗神剋日干而干上神又剋白虎者、白虎乗神剋今日之支、而支上神反剋虎者、白虎乗神生日、或日生白虎乗神、與白作今日之徳神者、白虎雖入墓而加午上者(如甲日虎乗未墓、若加午上為焼身無畏、若虎乗水神加午則大凶也)。白虎剋日而虎之陰神能剋虎者、日徳禄発用而不空亡者、皆生之占也。其為愈之期、則以日干之子孫定、如甲日占病丙丁愈、子孫能制魁也。此生死之占也。
占其病症
大抵日為人辰為病、而辰上神為受病之因。故当視辰上之神、神后傷風腎竭、天后乗之則男子精絶、女子血絶、登明顛狂湿風、如元武乗之則眼目交流、天罡腹通脾泄、乗空行走艱難、従魁喘嗽、労傷、如太陰乗之則肺傷脾、伝送男唇破女孕危、如虎乗之則瘡腫骨病、小吉傷食翻胃叶、如太常乗之則気噎労痩、勝光心痛目昏、乗朱雀乗之則傷風下痢、太乙則歯痛嘔血、蛇乗之則頭而疼腫、天罡遺漏風難、如乗勾咽喉腫塞、太冲胃脅多風、乗六合骨肉疼痛、功曹目疼腹痛、如青龍乗之則肝胆胃疾、大吉気促傷残、乗乙則腰腿痿脾。
十二辰所属則亥子属腎、巳午心、寅卯肝、申酉肺、辰戌丑未脾。 十二辰所変通則亥子膀胱也、巳亥頭面也、寅申手足也、辰戌頂門、丑未肩背耳也、卯大小腸也、午栄衛也、酉肺與肝胆也。
詳其神殺所相加則白虎加天罡霍乱吐瀉也、武居神后腎衰也、辰戌乗后雀痞虐等症也、勾陳乗戌咽塞也、太陰乗申腰腫也、白虎乗卯酉吐血労怯也、天乙定魁罡虚腫也、白虎乗丑腹疾也、巳亥相加心腹有癖也、神后作血支疾疽血痢也、太陰乗陽刃血支臂腹有血疾也、丑加亥乗虎與課為天吊、伝為曲直、女経不通也、勾絞殺作蛇虎入伝、小児手吊也、反吟帯白虎翻胃也、伏吟作日鬼水虫也。
究其提病原由則日上神、乗天乙則思想労苦得、乗蛇則驚恐憂疑得、雀苦心訟咒、合喜則婚姻得、勾情緒牽絆得、乗龍則経営財物得、空欺妄隠忍得、虎吊喪問病得、常醉酒飽食得、元祭祀盗賊得、陰奸私暗昧得、后閨閣酒色、虎自巳至戌、白虎乗之病在表也、自亥到辰、白虎乗之病在里也。此病症之占也。
占其医薬
男以天罡加行年上功曹下是医神也、如寅丑是子、則医即在正北也、女以天罡加行年上伝送下是医神也。医神若能剋支及能制虎、則善矣。或不然、則于今日課前第二辰下求之、如甲課在寅、則前二辰是辰也、即天乙其下求之、求之而医神能剋支及能制虎所乗神之神、則善矣。又或不然、則於天乙対冲下求之、求之而医神能剋支及能制虎所乗神之神、則善矣。又或不然、則直於制前乗神之辰下求之。無有不善矣。其医神属木土者宜丸散、水者湯、火者炙、金者針砭、此医薬之占也。
占鬼祟
有日鬼者、以鬼所乗之天官占之、乗貴則廟祠土地、蛇淫祠真武。以東南方先有怪、朱則竈君火神、或経咒願心、乗合家堂神祠或眠床当換、勾古貌神師、虎横死凶身、在申酉者尤的、不然是悪神也、常新化先霊、或許盆案未還、元斗聖不安、如亥子上則水也、陰女姑陰降、或宅損宜修、后水亡老婦、如加旺相則観音願。而白虎乗太冲則防街寓禁忌也。虎合乗四季則喪家殺神也、蛇乗寅卯自縊傷亡、勾乗四土土神作殃。
他如死気所乗亦可参看、如死気乗合家有屍柩、乗蛇沈廃久病而死者、乗勾陰府勾摂神、乗天乙香火、乗虎疾病死亡者不得解脱、或有伏屍、乗合陰婦人之陰霊之類。此鬼崇之占也。
若占疾病吉主、則男以辰加日上、巳下為吉、女以戌加日上、亥下為吉也。
若占凶訊之実否、則罡臨孟陽不実、罡臨季陰果然、更以類神占之、鮮有不中。此疾病之附占也。諸説煩瑣背理者不贅。

 疾病を占うには慎重にまた詳しく見なければならない。その大要には4つある。一つは死生である。二つ目は病気の症状である。三つ目は医薬である。四つ目は神仏怪異である。その他は単に付録である。

 この部分は、「六壬尋源」から採りましたが、オリジナルは別にあります。オリジナルがどれかは、よく文献を研究してみる必要がありますが、それは私の目指すところではないので調べてません。この章そっくりそのまま、また一部分ならばなおさら、古今のありとあらゆる図書に引用されています。例えば「大六壬占術」の病気の項も、大部分はこの章の引き写しです。見方を変えれば、昔からこれよりも優れた見方はなかったのだとも言えます。

その死生を占う
 たいていは日干を人とし、日支を病気とする。日上が日支を剋すのは吉で、支上が日干を剋すのは凶である。

 以下しばらく原文とは少し構成を変えて、箇条書きにしてみます。

 これを細かくみると、
・四課や日支が墓であり、発用や三伝にも墓があって、刑冲のないとき。
・白虎に死気や喪神がつき、日を剋して、救解するものがないとき。
・白虎が干上にあり日干を剋す、あるいは支が白虎で日を剋すとき。
・年命に墓、死気がつくとき。
・月厭、大殺、飛魂、死車、哭神などが死神や死気と同じく、悪殺で課伝が満たされるとき。
・課伝内に日干を剋すものがあるとき。
・青龍に駅馬がつく、また玄武と浴盆殺がつき、干支上にあるとき。
・日徳日禄が発用であるか、また年命上にあって空亡であるとき。
・辰戌(魁[ゴウ])が日上にあり、青龍、六合、太陰が三伝にあるとき。

 この場合の魁罡は、河魁と天罡で、辰戌のことだと思います。

・病気の状況から類神を得てその支が空亡であるとき。

 この文については、私には少し疑問です。

・父や家長を占って貴人が空亡であるとき、母を占って太陰が空亡であるとき、おじを占って太上が空亡であるとき、兄弟朋友を占って青龍が空亡であるとき、妻や妾を占って天后が空亡であるとき、子供を占って六合が空亡であるとき、奴婢を占って天空が空亡であるとき、酉戌が空亡であるとき。
以上は、みな不吉である。
 もし四課とも下剋上であって、三伝がともに財であれば(方あるいは合局でも)父母に憂いがあり、四課とも上剋下であって、三伝がともに印であれば子孫に憂いがある。また、類神については、同様に考え類推せよ。これらはみな占って死ぬ場合である。
 死期については、日干によって定める。もし甲乙日なら日絶は申であり、申の地盤は何かをみる。それが年支であれば一年以内であり、月支であれば一月以内、日支であれば一日以内である。また太歳年干間の法をいうのがあり、一法を紹介すれば、男は寅、女は申をとって、行年の上に加えて天地盤を作り、辰戌の下の支を死期とする。
 また、次の場合、
・年命が墓であっても四課神殺が生気であるとき。
・課伝ともに凶であっても類神が生旺の地にあるとき。
・課伝に悪殺があっても日干を傷つけないとき。
・白虎が乗じる支が日干を剋しても、干上神が白虎を剋すとき。
・白虎が乗じる支が日支を剋しても、支上神が白虎を剋すとき。
・白虎が日を生じ、あるいは日が白虎を生じるときで、白虎が日徳にあたるとき。
・白虎が墓に入っても午の上に加わるとき。(例えば甲日の白虎が未の場合、午の上にあれば未は身を焼き恐れることはない。もし白虎が水神の場合は午に加われば大凶である。)
・白虎が日を剋し白虎の陰神が白虎を剋すとき。
・日徳、日禄が発用で空亡でないとき。
以上はみな占って生きる場合である。
 治る時期は日干の子孫によって定める。たとえば甲日に病を占えば丙丁に治る。子孫は官鬼を制するからである。これが占って生死を求める方法である。

 原文は「能制魁」となっていますが、「大六壬預測学」には「制鬼」と解説しています。この方が意味がわかります。ただし、治る時期の求め方としては、私はあまりおすすめしません。

その病症を占う
 大抵は日干を人とし日支を病気とする。そして支上神を病気の原因とする。(以下箇条書きとします)
・子は、傷風(寒気のない風邪)、腎臓病、天后がつけば男子は精気がなく、女子は血気不足。
・亥は、精神性疾患、リウマチ、玄武がつけば涙が流れ続ける。
・戌は、腹痛下痢、天空がつけば歩行困難。

 原文は「天罡」となっていますが、順番からいって「河魁」の間違いでしょう。

・酉は、ぜんそく、疲労による虚脱、太陰がつけば肺、脾を損なう。
・申は、男は唇が切れ女は流産の可能性、白虎がつけば腫瘍、疱瘡、骨の病気。
・未は、胃腸を害して嘔吐に苦しむ、太常がつけば胸がつまる、やせる。
・午は、心臓疾患、めまい、朱雀がつけば、風邪、下痢。
・巳は、歯痛、吐血、螣蛇がつけば頭や顔に痛みのある腫れ物。
・辰は、精を漏らす、中風、勾陳がつけばのどがはれてふさがる。
・卯は、胸の痛み、六合がつけば筋肉、骨の痛み。
・寅は、目の痛み、腹痛、青龍がつけば肝臓、胃腸の病気。
・丑は、身体の傷や虚脱、貴人がつけば足腰がなえる。

 以上の項目は実占では、全くあたらないとは言いませんが、参考程度と考えた方がいいでしょう。

 十二支の配当は、亥子が腎、巳午が心、寅卯が肝、申酉が肺、辰戌丑未が脾である。
 十二支から応用して、亥子が膀胱、巳午が頭面、寅申が手足、辰戌が頂門、丑未が肩背耳で、卯は大小腸、午は栄衛、酉は肺と肝胆である。
 その神殺を合わせてみたときを詳述すれば、白虎と辰は感染症による下痢、玄武と子は腎不全、辰戌と天后朱雀は胸のつかえや発作的症状、勾陳と戌はのどのつまり、太陰と申は腰のはれ、白虎と卯酉は吐血や労咳、貴人と辰戌はむくみ、白虎と丑は腹部疾患、巳亥とは内臓の中毒(?)、子と血支は悪質の腫れ物、血便などの疾患、太陰と陽刃、血支は背腹の血液性疾患、丑が亥上にあり白虎がついて天吊といい、三伝が木局すれば月経不順、勾絞殺が螣蛇、白虎で三伝にあれば小児手吊、反吟で白虎があれば胃の不調、伏吟で日鬼があれば水虫である。

 小児手吊とは意味不明ですが、吊というのは弔と同じ意味です。つまり子供の死という意味かと思います。

 病症の原因を究明するには、干上神の十二天将をみる。
・貴人があれば精神的な疲れ
・螣蛇があれば驚き、恐れや心配ごと、疑念
・朱雀があれば悩み、争い、うらみ
・六合があれば喜びごとや結婚
・勾陳があれば男女間の感情のもつれ
・青龍があれば経営、財物
・天空があれば詐欺や虚妄、隠忍
・白虎があれば他人の死や感染症
・太常があれば暴飲暴食、アル中
・玄武があれば祭祀や盗賊
・太陰があれば秘密や不正なこと
・天后があれば酒色、淫欲

 これらにとらわれずに、十二天将の象意をよみとればいいと思います。

 白虎が巳から戌までにつけば、表面的な病気、亥から辰の間であれば内面的な病気である。
 以上が占って病症を求める方法である。

その医薬を占う
 男は辰を行年の上に加えて天地盤を作り、寅の下を医神とする。もし行年が寅の場合は(寅の上が辰、寅は辰の2つ前だから)は地盤は丑子となって、子が医神すなわち真北となる。女の場合は行年の上に辰を加えて、申の下を医神とする。医神がもし日支を剋したり白虎を制したりすればよい。
 そうでなければ、日干の次の次の支を医神とする。例えば、甲日は寅であるから、寅の次の次は辰である。すなわち辰の下の支を医神とする。この医神が日支を剋したり白虎を制したりすればよい。
 そうでなければ、貴人の対冲(天空である)の下の支を医神とする。この医神が日支を剋したり白虎を制したりすればよい。

 この部分は「大六壬預測学」によると、貴人(天乙)ではなく、天医になっています。

 そうでなければ、白虎にあたる支を制する支のうち白虎の直前の支の下を医神とする。この医神が日支を剋したり白虎を制したりすればよい。
 以上で医神が見つからない場合はよくない。
 その医神が木土に属すれば丸薬や散薬、水ならば湯薬、火ならば灸、金ならば針や石針、これが医薬占いである。

鬼崇を占う
 日鬼があるのは、日鬼がつく支の十二天将で占う。貴人であれば、先祖や土地の神である。{トウ}蛇であれば、怪しげな祠や神であり東南の方にある。朱雀であれば、竈の神である。あるいは熱心に経文などをあげるためである。六合であれば家でまつっている神であり、寝ている場所である。勾陳であれば昔の聖人である。白虎であれば横死悪人のたたりである。申や酉であればまさにそうで、そうでなければ悪い神である。太常であれば比較的新しい霊である。或いは成仏できない霊である。玄武であれば、北斗星の神が安寧でない。もし亥子上であれば水である。太陰は女の神である。あるいは家屋敷の霊である。天后であれば老婦の亡霊である。もし旺相していれば観音の願である。
 白虎が卯につけば街のすまいのタブーを犯してはならない。白虎六合が土につけば家を失うような殺神である。{トウ}蛇が寅につけば首をくくって死ぬ。勾陳が土につけば災いがある。
 その他もし死気がつくところを見るべきである。もし死気が六合につけば家に死体がある。{トウ}蛇がつけば久しく床について死んだ者である。貴人がつけばお香である。白虎がつけば病死していまだ成仏しないものか、いまだに死体がみつからないものである。六合太陰は婦人の霊である。以上が鬼崇の占いである。

 以上の部分はあまり正確な訳ではありません。他書ではこの部分はほとんどとりあげられていません。また上の内容が実際に当たるかどうかは保証の限りではありません。

 もし疾病を占って吉であるのは、男は干上に辰があって、巳下が吉である場合、女は干上に戌があって、亥の下が吉となる場合である。もし凶事の実現性を占うなら、辰が孟支(寅申巳亥)の上にあれば陽は不実であり、辰が土支の上にあれば陰は実現する。さらに類神をよくみれば、占いは的中する。これが疾病の占いであって、諸説が煩瑣で理に背くものは言うまでもない。




「五変中黄歌 釈疾病章」

要知存亡看蛇虎、陰陽二神分賓主。陽命陰傷必死亡、陰命陽傷必哀挙。
白虎天后與螣蛇、剋日須当病転加、陰與陽神各得地、行年被剋死無差。
五行日時倶入墓、絶死空亡倶要忌。総有救神亦主凶、凶吉応期看日助。
喪車鍬钁臨門戸、孝服死神兼旺位。縦有解神生復解、也須沈滞災難度。
日上救神当正時、白虎陰神自戦持。内有凶神並衰敗、天年災患瘥無疑。

 生死について知るには、螣蛇と白虎をみる。陰陽の二神を客と主に分ける。陽命は陰が傷つけると必ず死亡する。陰命は陽が傷つけると悲哀がおとずれる。

 この章は阿部泰山師も訳されています。この部分は注によると、陽命とは男性、陰命とは女性とされており、この部分の意味は、男性は陰神が日干を傷つける場合、女性は陽神が日干を傷つける場合が悪い、となっています。ただ、前の句の「陰陽二神を賓主に分ける」というのと結びつきません。陽神または陰神が本命や行年であったとき、陰神または陽神に傷つけられると悪い、というふうにも読めます。そうなると、前の句に意味が出てくるように思います。これはあくまでも私見です。

 白虎、天后、螣蛇が日干を剋すれば病はいっそう悪くなり、陰神と陽神がおのおの地を得て、行年を剋するのは、死は間違いない。
 五行でみて、日干上神、占時がともに墓であったり、絶、死、空亡であるのはよくない。総じて救神があって凶であったりする場合、その吉凶の応期は日干を助けるときを見る。

 ここには長い注がありますので、訳しますと、
 日干と占時が墓であったり、白虎、天后、螣蛇が墓であれば悪い。日干を剋さなくても死となる。もし墓を見ず、日干が死絶であれば、また凶である。この場合は救神や解神があっても作用しない。
1歳から15歳は小児として、螣蛇が日干を剋すのは必ず死ぬ。もし女児であれば、螣蛇陰神が日干を剋するのを忌み、やはり必死である。15歳から50歳は男子は白虎を忌み、気が弱って凶。女性は白虎陰神、天后を忌み、気が衰える。日干を剋せば死ぬ。さらに50歳から90歳では、男子は白虎が強く、女子は天后が強くて日干を剋せば、すなわち死ぬ。老年婦人で天后が強いのはよくない。白虎が墓に入るのは、壮年期はよくないが、老年期ではそれほどでもない。

 喪車鍬钁が門戸に臨み、孝服、死神が位に旺じているのは悪い。かりに解神があれば凶殺を解して生きるにしても、病は重く災いは免れない。

喪車という神殺はありますが、注によると喪車は巳、鍬は申、钁は酉となっています。門戸というのは干上神でしょう。孝服、死神、解神は神殺です。

干上神が救神であって強いとき、白虎の陰神が白虎を剋するとき、このような場合には、課伝に凶神があっても、長年の病気もだいたい治るものである。




「五変中黄歌 釈疾病形状章」

初伝重土噎咽喉、重金腹病涙交流、重水心滞小腹急、重木腹脹似鼓牛、
重火必須生喘急、若無重数虎当頭、五行五臓須同用、仰伏白虎一般求。
用神為太乙、螣蛇病在頭、玄武登明上、眼目涙交流、天空臨戌上、行歩不能遊、勾陳在天罡、必主病咽喉、伝送與白虎、肢体也須憂、功曹青龍胯、肝胆胃相仇、卯合胸肋病、女子損肌柔、太陰従魁上、腸痛肺中愁、子用天后位、男子本根由、太常同小吉、吐噎病難収。

 この章も阿部泰山師が訳されています。「細密鑑定極秘伝」を参照してください。

 初伝に土が重なるときは食べ物が喉につまるなどの喉の病、金が重なるときは腹や眼の病、水が重なるときは心臓や小腹の急変、木が重なるときは腹が張る病、火が重なるときは喘息である。

 重なるとは伏吟のことだと注にはありますし、阿部泰山師もそう訳しているのですが、私はどうも納得できません。初伝が重なるというのは、初伝の支と十二天将の五行が同じか、遁干との五行が同じということではないかと私は考えています。この章の後半部分はまさに初伝の支と十二天将が重なる話です。

 もし重なることがなく、白虎があれば、五行の五臓と同じように用いる。五行が重なる場合や白虎の上下神をとって五行により病状を知るのである。

 仰伏とは上神または下神のことを指すと私は思います。あるいは陰神、陽神のことかもしれない。
 以下は支と天将の五行が同じ場合を述べています。( )内には参考までに五行を示しています。

 用神が巳で螣蛇のときは病は頭にある。(火)
 玄武が亥の上にあれば、眼から涙がとまらなくなる。(水)
 天空が戌の上にあれば、背中や腰が痛くて歩くのが困難になる。(土)
 勾陳が辰にあるのは、かならず喉の病である。(土)
 申に白虎がつくのは、手足に心配事がある。(金)
 寅に青龍がつくのは、股や肝臓、胆嚢、胃がやられる。(木)
 卯に六合がつくのは、胸、肋部の病、女子は肌の柔らかさを損なう。(木)
 太陰が酉の上にあれば、腸が痛み肺の病気に悩まされる。(金)
 子が発用で天后がつけば、男子の本を由来とする。(水)

 注によると、男子の本とは腎臓のことです。

 太常と未が同じくするのは、吐き気や喉に詰まるなどの病で治まりにくい。(土)

 病状の判断も難しいもので、書かれているとおりには必ずしもなりません。まああくまで参考程度に。




「心機独悟 疾病」(抜粋)

測病症受感之源、先詳虎鬼、起沈痾臨危之際、次看生龍。
虎鬼駕馬為可畏、如逢死墓病喪傾。
子孫加臨名有救、若値貴医年命愈。
喪吊哭送姻親阻、常加而分内分外。
病符臨伝眷属亡、鬼動而詳死詳生。
引鬼為生、切忌収魂神至。
因妻致疾、還防塚墓門開。
脱敗見而虚{イン}。
鬼死逢而危篤。
鬼戸宜関、人若入而不利、天門怕渡、貴如登而反欣。
一屍入棺愁易死、両蛇夾墓病難除。
忌支病血、婦人逢崩漏傷胎、常后因婚、男子遇筵席損胃。
丁詳金水、空験新陳。
閉口絶食、忌末初之合、蓋頭孝帛、防年命之乗。
蒿矢不可見金、浴盆豈宜有水。
自墓伝生迷亦醒、虎頭蛇尾病還軽。
盧扁亦会殺人、医神乗乎天鬼、湯薬不能愈疾、薬物異於子孫。
悪徳喪禄絶、喜貴福集身。
生気死神各有吉凶、循環周遍不作禎祥。
卯戌逆而風搐、子巳会而死亡。

 病症の発生原因を知るには、まず白虎と官鬼をみる。病が治るかどうか、生命に危険があるかどうかは、生気と青龍を見る。
 白虎と官鬼が駅馬に乗るのはよくない。もし死や墓、病、病符、喪門などがつけば、生命は危ない。
 子孫が年命などにあれば救いとなる。もし貴人や医神が年命にあれば徐々に治ってくる。

 子孫は官鬼を剋するので救いとなりますが、相手が官鬼でなければ日干が弱められますので、よくありません。

 喪門、吊客があれば死ぬことになる。太常が加われば、内外を分ける。

内外を分けるというのは、注を読んでもよくわかりません。病の原因のことか?

 病符が三伝にあるのは眷属が亡くなる。日鬼が動くのは死生を詳しくみる必要がある。

 鬼が動くとは、日鬼が旺じていて三伝にあることだと思います。

 引鬼は生きるが、収魂神がくるのを切に忌む。

 注によると、引鬼とは、三伝がみな官鬼で干上に父母がある場合、あるいは三伝がみな官鬼で天将が父母である場合をいうそうです。この場合は病が重くても死ぬことはないとされます。また、収魂神とは日墓に玄武が付く場合をいうとのことです。

 妻によって病気になっても、まだ墓塚の門を開くのを防ぐ。

 これでは意味がわかりませんが、注によると、三伝がともに財であって日鬼を生じる場合を、妻財によって病気になるということだそうです。後の句は命を落とすまでには至らないということでしょう。

 脱敗の場合は、身は衰弱する。

 脱敗とは漏らすことですが、注によれば、上神が下神を生じることとなっています。しかし、干上神が日干を生じるのは決して悪くなく、むしろ日干が干上神を生じる場合には、脱気となって衰弱すると判断したほうがいいと思います。

 官鬼が死に逢うのは、危篤である。
 鬼戸は閉じるのがよく、もし鬼戸に入れば利はない。天門は渡るのを恐れるが、貴人がつけばかえって喜ばしい。

 注によれば、年命が寅に加わるのを鬼戸に入るという、とあります。天門とは亥で、渡るとは上に乗ることをいいます。すなわち年命が寅や亥に加わるのはよくないが、貴人がつけばかえって宜しい、ということになります。

 ひとたび死体が棺に入れば容易に死ぬことを愁うが、両蛇夾墓は病を除くのは難しい。

 六合が卯について申に乗じるか死気に逢うのを死屍入棺といい、必ず死ぬことになるということです。両蛇夾墓というのは、「畢法賦」にもありますが、丙日で干上神が戌の場合のことです。

 年命や干上神が血支、血忌の場合には、婦人は子宮出血や流産となる。太常、天后がつけば婚姻に起因し、男子は酒食によって胃を痛める。
 丁と金水の関係はよく見る必要がある。空亡にあえば必ず死亡するが、病が浅ければ生きる。

 この部分は注をそのまま訳しています。

 閉口課は絶食となり、初伝と末伝の合を忌む。蓋頭孝帛が年命に乗ずるのは防がねばならない。

 太常華蓋日鬼死気吊客が相併せて乗ずるのを孝帛蓋頭という、と注にあります。

 蒿矢課は金を見てはならない。浴盆はどうして水があるのがよいだろうか。
 初伝が墓で末伝が長生なのは迷ってもまた覚める。白虎が初伝で螣蛇が末伝なのは、病は軽くなる。
 盧扁(古代の伝説の名医)もまた人を殺すこともありうる。医神が天鬼に乗れば、湯薬は病にまったく効かない。子孫をみることで使う薬は異なる。

 薬物異於子孫というのは、官鬼を抑えるのが子孫であるからです。官鬼が金である場合は子孫は火ですから、針治療を忌み灸治療を採ります。以下同じように、官鬼が木の場合は散薬を忌み針治療を採ります。水の場合は湯薬を忌み丸薬を用います。火の場合は灸を忌み湯薬を用います。土の場合は丸薬を忌み、散薬を用います。

 徳神や禄神が空亡になるのはよくない。貴人や徳神、禄神が干上神にあればよい。
 生気、死神にはそれぞれ吉凶がある。生剋の作用は循環してとどまらずすべて吉というわけにはいかない。
 戌が卯上にあるのはひきつけであり、子巳が会うのは死亡する。

 字義どおりにとらえる必要はないと思います。注によれば、戌は脚で卯は手であるから、足が手の上にくるのは逆で、これはひきつけや癲癇を示すとあります。子巳が会うというのはとくに注がありませんが、水剋火が厳しいということなのでしょう。


■ あとがき

 病占に関する論を並べてみました。訳や解釈はまだまだ不十分ですが、ご容赦ください。とりあえず載せてみることに意義があると思うので。
 六壬において、病占というのは大きなウエイトを占めます。しかし、本来病気は医学的に判断すべきもので、六壬で看るべきものではないと思います。
 しかしながら、医者が診る前の判断や医者の診断が適当かどうか、あるいは薬が適当か、死生はどうかを判断するのには、六壬は有力かと思います。というのは、医者は病気は診断しますが、当然自分の診断や治療が正しいと思っていますし、また死生についてはめったに話しませんので(ガンなどの告知を除いて)、ある種のセカンドオピニオン、あるいは隠された真実を知る方法として六壬は使えるかと思います。
 それでも、やはり主たる判断は医者がやるべき、というのが、私の考えで、それなしには六壬の病占もなかなかあたるものではありません。医者の意見と課式を見比べることで、的中率が上がることは、私自身何度も経験していることです。




作成 2008年 5月19日
改訂 2021年 1月16日  HTML5への対応