墓庫冲開論集


 これは、とある人からの質問がもとになっています。その質問とは、土支はどういうときに冲開するのか、ということでした。
 ここでは主に土支の冲開についての論を紹介しますが、関連して、土支そのものの考え方や他の支の冲なども触れます。




『滴天髄 論地支』(一部抜粋)

生方怕動庫宜開、敗地逢冲仔細推。
支神只以冲為重、刑與穿兮動不動。
暗冲暗合尤為喜、我冲彼冲皆冲起。
旺者冲衰衰者抜、衰者冲旺旺者発。

 寅申巳亥の四長生は冲動を忌む。辰戌丑未の四墓庫は冲開するのがよい。子午卯酉の四敗は冲を要する場合と冲を喜ばない場合があるので詳しくみる必要がある。
 支神は冲を重んじて、刑と穿(六害)とはたいした作用はない。
 暗冲暗合は最も喜とし、冲はどちらかが冲を受けるというわけではなく、お互いに作用がある。
 強い支が弱い支を冲すれば、弱い支はなくなり、弱い支が強い支を冲すれば、強い支の方の作用が表れる。
 冲と刑害の強弱や暗冲暗合については、ここでは主題とかけ離れるので説明は省略します。
 第一句について、訳文は確かに上のとおりなのですが、「仔細に推せ」とあるだけで、そのため、いろんな人がいろいろと解釈をしているわけです。例えば、陽史明師は『中級からの滴天髄』で、「(庫宜開は)蔵干冲の干を現れさせるためというそれまでの迷信的な論を引き継いでいると考えられますが、現在ではおおかたのところで無視されている論であります」と述べています。それはそれで一つの考え方でしょうが、日本で無視されている理由はおそらく現在の日本の研究家が透派や武田考玄流を引き継いでいるためだと思います。
 なお、『四柱推命術奥義』(張耀文、佐藤六龍著)には『生方怕動敗怕開、墓庫逢冲仔細裁』という透派独特の原文があげてあります。これによれば、墓庫が冲にあえば詳しく検討しなければならないということになりますが、透派は冲は解冲する場合を除き、すべて去とみなしています。
 第四句ですが、そのまま読めば冲は強い方が残ると解釈できます。が、これもまた術者によって解釈がまちまちであります。



『淵海子平 論雑気』(一部抜粋)

但庫中物皆閉蔵、須待有以開其門[ヤク]、方言発福、所以開門[ヤク]者、何者也。乃刑冲破害耳。且如四柱中元有刑冲破害、復行此等運気、則刑冲破害多、反傷其福。

 ただ庫中のものはみな閉蔵されており、すべからくその門の鍵を開かなければならず、そうすればまさに発福する。門の鍵を開けるものとは何かといえば、すなわち刑冲破害のみである。そのうえで、もし四柱にもともと刑冲破害があって、さらに行運で刑冲破害の運にめぐれば、それは刑冲破害が多いわけで、かえってその福を傷つけることになる。
 雑気というのは土支のことです。『淵海子平』では庫とのみ書いてありますが、これは墓庫のことだと思います。で、その墓庫はふだんは閉蔵されており(作用がないという意味でしょう)、刑冲破害によって開く(作用が発現するという意味でしょう)と書いています。冲だけではなく、刑や破害もそうだと言っています。ただし、最近の四柱推命では、破や害はあまり重視しないのが一般的です。



『四言独歩』(一部抜粋)

 財官臨庫、不冲不発、四柱支干、喜行相合、提綱有用、最怕刑冲、冲運則緩、冲用則凶

 財官が墓庫に臨む場合には冲しないと作用を表さない。命式の干支は行運との相合を喜ぶ。月支が喜神のときには刑冲を恐れる。行運を冲するのは作用がゆるいが、喜神を冲するのは凶である。
 ここでの着目点は最初の句で、財官の墓庫は冲を受けないと作用を表さないということです。すなわち墓庫の冲は作用を失うのではなく、むしろ作用を発動させるということになります。
 ただ、これも解釈次第で、例えば財官が忌神の場合には庫支を冲しなければならないととれば、冲は去なり剋なりの作用があるといえます。しかしこの解釈は無理筋でしょう。



『命理正宗 動静説』(一部抜粋)

又如辰戌丑未四地支之物、乃天地四方収蔵之庫、極牢固、仮如八字地支、辰中有戊土、乙木癸水、運或行寅、寅中雖有甲木、亦不能破其戊、又運行酉、酉中雖有辛金、亦不能破其乙、又或行午、午中雖有己土、亦不能破其癸。非不能破也、蓋其庫中、鎖[ヤク]甚牢、真要戌字運来冲開之、就如有了鎖匙、開了其鎖、而放出戊土乙木癸水出来、如丑字就要未字冲、別物不能攻之、故曰、雑気財官喜見冲、正此意也。

 また辰戌丑未の四地支は、天地四方の収蔵の庫であり、きわめて牢固である。例えば八字地支の辰には戊土乙木癸水がある。行運で寅に行けば、寅中に甲木があるといっても、辰の戊土を破ることはできず、また酉の行運では酉中の辛金では辰中の乙木は破ることはできず、また午の行運では午中の己土では辰中の癸水は破ることはできない。破ることができないわけではなく、およそその庫の鎖の鍵というのは非常に堅固だが、まことに必要なのは戌が来て冲して開くことである。ただ鎖をとく鍵があればその鎖は開き、そうすれば戊土乙木癸水が放出される。同様に丑の場合も未の冲を要する。別の物では攻めることはできない。ゆえに、雑気財官は冲を見て喜ぶとはまさにこの意味である。
 これを読むと、土支の場合は行運からの冲を受けなければ、支の作用はないと言っているようにとれます。すなわち、地支にあるだけでは作用がないということになりますが、実占上からもそういうことはないように思います。
 張楠だって実例ではそんなことは言っておらず、土支はやはり土としての作用を見ています。おそらく張楠の言いたかったことは、冲によって土支の作用がなくなるのではなく、むしろ土支の作用が強まるということなのだろうと思います。



『子平真詮 論墓庫刑冲説』(一部抜粋)

辰戌丑未最喜刑冲、財官入庫、不冲不発、此説雖俗書盛称之、然子平先生造命、無是説也。夫雑気透干会支、豈不甚美。又何労刑冲乎。仮如甲生辰月、戊土透豈非偏財、申子会豈非印綬。若戊土不透、即辰戌相冲、財格猶不甚清也。至於透壬為印、辰戌相冲、将以累印、謂之冲開印庫可乎。
況四庫之中、雖五行倶有、而終以土為主。土冲則霊、金木水火豈能以四庫之冲而動乎。故財官属土、冲則庫啓。如甲用戊財而辰戌冲、壬用己官而丑未冲之類是也。然終以戊己干頭為清用、干既透、即不冲而亦得也。至於財官為水、冲則反累。如己生辰月、壬透為財、戌中則劫動、何益之有。丁生辰月、透壬為官、戌冲則傷官、豈能無害。其可謂之逢冲而壬水之財庫官庫開乎。
(中略)
然亦有逢冲而発者、何也。如官最忌冲而癸生辰月、透戊為官、與戌相冲、不見破格、四庫喜冲。不為不是。却不知子午卯酉之類、二者相仇、乃冲剋之冲。而四墓土自為冲、乃冲動之冲、非冲剋之冲也。然既以土為官、何害於事乎。


 辰戌丑未は刑冲を最も喜び、財官入庫は冲せざれば発せず、という説は俗書にはよく書かれるが、子平先生(徐子平のこと)の四柱推命にはこの説はないのである。雑気(土支)の透干や会支がどうして良くないことがあろうか。またなんで刑冲で作用を起こす必要があろうか。仮に甲日辰月生まれで、戊土が透干している場合には偏財とならないわけではないし、申子の会が印綬にならないわけでもない。もし戊土が透干していなければ、辰戌の冲があっても財格としてはまだ清とはいえないし、壬が透干して印となれば、辰戌の冲があって、印を弱めることになるが、これを印庫を冲開したとすべきだろうか?
 まして、四庫には五行がともにあるといっても、結局土が主である。土の冲は作用があるといっても、金木水火がどうして四庫の冲によって動くといえるだろうか。ゆえに、財官が土に属すれば冲はすなわち庫を開くといえる。例えば甲が戊を財として用いるとき、辰戌の冲である場合であり、壬が己を官とするとき、丑未の冲があるというような場合である。そして結局のところ、戊己が天干に出ている場合で喜神で清であり、すでに透干していれば、冲はなくても力があるのである。水が財官である場合には、冲はかえって弱めることになる。もし己日辰月生まれで、壬が財として透干していれば、戌の中の劫財が動き、何の益があるだろうか?丁日辰月生まれで、壬が官として透干すれば、戌冲はすなわち傷官となり、どうして害がないことがあろうか。それは冲にあって壬水の財庫や官庫が開くといえるだろうか?
(中略)
 しかるに、冲に逢えば発するとはどういうことであろうか。もし官が最も冲も忌むといっても、癸日辰月であれば、戊が透干して官となるが、戌と冲しても破格とはみず、四庫は冲を喜ぶ、これを是としないというわけではない。一方子午卯酉の冲は二者が相仇をなすわけで、冲剋の冲である。しかるに四墓は土自ら冲となるので、冲動の冲であり、冲剋の冲ではない。そのため土を官とする場合には、何の害もないのである。

 子平先生にはないとありますが、『淵海子平』では明らかに刑冲破害で発福すると書いてあるので、沈孝膽は勘違いしたのかもしれません。
 これを読むと、辰戌丑未の冲はやはり冲去ではなく冲動、すなわち冲によって作用があるが、単純に良いとはいえないというふうに述べています。
 面白いと思うのは、土が財官で喜神の場合は土支の冲によって良くなるということ、水が財官で喜神の場合は土が水を弱めるので害があると述べていることです。



『命理約言 看雑気墓庫法』(一部を抜粋)

且動称墓庫、取必刑冲、夫戊之在辰戌、己之在丑未、乃本気用事、非墓也。乙辛之在辰戌、癸丁之在丑未、乃本方分正、亦非墓也。特辰中之癸、戌中之丁、丑中之辛、未中之乙、乃誠墓耳。故生於四月、如用辰戌中之戊、丑未中之己、猶之用余八支中之本気。如用辰戌中之乙辛、丑未中之癸丁、猶之用余八支中之所蔵、皆不待刑冲而後得力也。惟用辰戌中之丁癸、丑未中之辛乙、慮其閉蔵、当求其透出。天干苟得透出、亦不待刑冲而後得力也。不能透出、乃講刑冲、然墓神強旺、遇刑則動、遇冲則発、是為開庫。墓神衰弱、遇刑則敗、遇冲則抜、是為剋倒。亦或日主、或六神、属水火、而生辰戌之月、属金木、而生丑未之月、恐其入墓、亦宜刑冲。然須看本神強弱、強則欲脱墓而出、固利疏通、弱則須依墓以存、深嫌破壊、是亦有開庫剋倒之別歟。要皆未可概取刑冲也。若土則本無墓庫、愈不待言矣。至於命理多変更、有日主六神、過於発揚震動、而用此季庫以歛之者、則翕闢亦随其耳。或曰、向伝季支所蔵、皆為庫中物、今者之論、無乃強為分別否、余曰、信如旧説、是乙不特墓於未、而又墓於辰、辛不特墓於丑、而又墓於戌、癸不特墓於辰、而又墓於丑、丁不特墓於戌、而又墓於未、戊則墓於辰、而又墓於戌、己則墓於丑、又墓於未、是則木火金水、各増一墓、而土竟有四墓矣。豈不大可怪乎、是故生月遇辰戌丑未、只照寅申巳亥等支、一例取用、先以土論、後及所蔵、其或用所蔵之墓神、或為日主六神之墓地、則斟酌宜否刑冲可也。

(前略)
そのうえ、墓庫と称して動くには、必ず刑冲を取るとする。戊は辰戌、己は丑未にあるが、これは本気であって墓ではない。乙辛は辰戌、癸丁は丑未にあるが、これは本方の分かれたものであり、やはり墓ではない。辰中の癸、戌中の丁、丑中の辛、未中の乙がほんとうの墓である。ゆえに四月(四土用のことと思われる)生まれで、辰戌中の戊や丑未中の己を用神とするなら、これはあとの八支の本気を用とするのと同じことである。もし辰戌中の乙辛、丑未中の癸丁を用神とするなら、これはあとの八支の方蔵干を用神とするようなものである。みな刑冲なくとも力を得ることになる。ただ辰戌中の丁癸、丑未中の辛乙を用神とする場合、それを閉蔵と考え、まさにその透干を求めるのである。天干にもし透干するならば、また刑冲なくとも力を得ることになる。透干しない場合はすなわち刑冲をもって墓神が強旺となり、刑にあって動き、冲にあってすなわち発する、これを開庫とする。墓神は衰弱なら、刑にあって敗れ、冲にあって抜かれる、これを剋倒とする。また日主や六神が水火に属して、辰戌月に生まれ、金木に属して丑未の月に生まれるのはその墓に入るのを恐れ、また刑冲があるのがよい。必ず本神の強弱をみて、強なら墓を脱して出るのを欲する。もとより疏通するのがよい。弱ならばすなわち墓に依って存して、破壊されるのを深く嫌う。これもまた開庫と剋倒の別であろう。皆およそ刑冲を取るべきだというわけではない。土ならもとより墓庫はないことは言を待たない。
 ところで命理には多く変更がある。日主六神に発揚震動が過ぎれば、その季庫を用いてこれを抑えるのは、すなわち合わせ開いてそれに随うのみ。ある人曰く、季支の蔵干に対してはみな庫中の物とする。今の論は、強としてごっちゃにしている。私思うに、旧説の如く、乙の墓は未に限定するのではなく、辰もまた墓とし、辛の墓は丑に限定するのではなく、戌もまた墓とし、癸の墓は辰に限定するのではなく、丑もまた墓とし、丁の墓は戌に限定するのではなく、未もまた墓とし、戊は辰も戌も墓とし、己は丑も未も墓とすると、木火金水は一つずつ墓支が増え、土は四墓となる。これはかなり変である。ゆえに生月が辰戌丑未の場合、ただ寅申巳亥などの支に照らして、同じように用神を取る。まずは土をもって論じ、次に蔵干、あるいはその墓神、あるいは日主六神の墓地としてとる。それから刑冲の良し悪しを考えるべきである。
 『命理約言』はあいかわらずというか、もって回った言い回しで、結論があまりはっきりしません。この中で私が着目するのは、開庫と剋倒の別があるということです。はっきりとはわかりませんが、開庫とは作用を表し(疏通)、剋倒とは作用をなくす(去抜)、ということかと思います。その条件は墓神の強弱にあるとしていますが、この強弱がどういうことなのかがわかりません。透干すればもとより刑冲を考えなくてよいということですので、単純な強弱ではないと思います。



『明通賦』(一部抜粋)

 官庫財庫、衝開則栄封爵禄、塞閉則貧乏資財

 官庫財庫は冲開すれば名誉や地位や禄を得るが、閉塞したままでは資財に貧しく乏しい。
 明通賦は多くは古論に拠っているので、たぶんこの句もそのアレンジでしょう。
 ちょっとひねくれた解釈をすれば、官庫財庫は冲によって開き、その他は冲開しないともとれます。ま、深読みしすぎかもしれません。



『子平粋言 六冲』(一部抜粋)

子午巳亥之冲為水剋火、寅申卯酉之冲為金剋木、辰戌丑未皆土也、同類相冲名為朋冲。然辰中墓庫之水未始不剋戌中墓庫之火、戌中余気之金亦能剋辰中余気之木也、丑未亦然。丑中金水能剋未中木火、為喜為忌。須察命造中喜用之物是否被剋而受損傷、故六冲之中以辰戌丑未之冲最複雑也。

 子午や巳亥の冲は水剋火で、寅申や卯酉の冲は金剋木だが、辰戌や丑未はみな土であり、同類の相冲ということで朋冲と名づけられている。しかるに、辰中の墓である水は戌中の墓である火を剋さないというわけではなく、戌中の余気の金もまた辰中の余気の木を剋することができるのである。丑未も同様で、丑中の金水が未中の木火を剋するわけで、それは喜としたり忌としたりするのである。およそ命式中の用神が剋されて損傷を受けるかどうかをよくみなければならないのであり、ゆえに六冲の中でも辰戌丑未が最も複雑であるといえるのである。
 訳の説明は不要だと思います。ここで言っているのは、地支の冲は蔵干五行の剋をもとにしているということですが、辰戌、丑未の冲はよく考えなければならないということで、他の冲とは一線を画しています。しかし、例えば寅申の場合なら申は水の長生であり、寅木を生じるという考え方はできないのでしょうか?



『命理通鑑 地支六冲』(一部抜粋)

 辰戌丑未、名庫地之冲、又名朋冲、四庫皆土、朋比一類也。如用在墓気或余気之神、則有被剋之虞。譬如用戌中之火、墓神也、見辰冲為忌。用戌中之金、見辰冲不剋而不忌也。用未中之火、余気也、見丑冲為忌。用未中之木、墓神也、見丑冲亦忌。因丑中有水與金也。若用在土、則土與土冲、名為朋冲、間有因冲而発、無被剋而去者也。古人所謂墓庫喜冲者、殆以此耳。

 辰戌丑未は庫地の冲とよび、また朋冲というが、四庫はみな土であり、比劫であるということである。もし墓気または余気に喜神があれば、剋されることを恐れる。例えば戌中の火は墓神であるが、辰の冲を忌む。戌中の金が喜神であれば、辰の冲は剋せずまた忌むこともない。未中の火は余気で喜神であれば、丑の冲を忌む。未中の木は墓神で喜神であれば、丑の冲をやはり忌む。丑には水と金があるからである。もし土が喜神であれば、土と土の冲で朋冲であるから、冲によって発福することがあり、剋されて去るわけではないからである。古人のいわゆる墓庫は冲を喜ぶとは、ほとんどこの意味のみである。
 尤達人師は喜神の場合は冲を忌むが、土が喜神の場合は発福するとしています。さらにいえば、土支の冲の場合、木金火水は弱くなるが、土のみ強くなると解釈することができるかと思います。



『系統八字学 地支六衝』(一部抜粋)

 辰戌丑未四庫之衝為本気之衝、愈衝則土気愈旺。

 辰戌丑未の四庫の冲は本気の冲であり、冲にあえば土気はますます旺じる。
 読んでのとおりで、楊維傑師は土気の冲は土気が強くなると言っています。


 ここからは、最近の日本の四柱推命の入門書から、冲開に関する部分を述べていきます。

 まずは、陽史明師の『最新四柱推命理論』には、土支の冲は燥湿の競い合いであり共に勢いは衰える、としています。さらに土支の天干への作用はもともと弱いとしています。また前にも述べたように、『中級からの滴天髄』には墓庫を開く論を迷信的とし、現在ではおおかたのところで無視されている論としています。
 小山内彰師の『四柱推命学入門』では、冲という支の関係はまったく無意味とはいわないが、用語として価値がない、と言っています。師は地支の関係を地支蔵干の関係に還元(という言い方がいいかわからないが)しているので、冲自体に重きをおいていません。

 武田考玄師の『四柱推命学入門』をみてみますと、原則として土支の冲も冲去とみますが、土支のみにかぎらず、四生支、四正支、四庫支がそろった場合には冲去としないとしています。

 透派と十把ひとからげにするのは申し訳ないのですが、透派では土支も冲去として冲開は認めていません。例えば、張耀文、佐藤六龍両師の『四柱推命術奥義』の滴天髄の「衰者冲旺旺者発」の部分の「発」は「抜」と同じとしています。すなわち冲ではすべて冲去ということで一貫しています。透派の他の師の方々の書(例えば福妥友嘉利師や小山真樹代師など)も同様です。

 泰山流といえば阿部泰山師の四柱推命ですが、そのお弟子さんの緒方泰州師の著作には、冲開という言葉を使って、ほぼ古説どおりの説明をしています。すなわち「土の十二支同士が隣り同士に有って冲となれば、扉を開くように地支の蔵干も出易くなります」(『泰山流四柱推命学入門』)と書かれています。

 ちょっと古いですが、歌丸光四郎師の『四柱推命の秘密』には、「丑未辰戌の相冲は冲散ではなくて冲起と解釈してよい場合が多い」とあります。冲起とは冲開とほとんど同じと考えていいでしょう。また、正官格の項に「正官の十二運が墓の場合は、冲に逢って発福する」とあり、師は古説を採っていたことがわかります。

 内田勝郎師の『四柱推命術の見方』をひもとくと、対冲は力を弱めあうという原則ですが、辰戌丑未の対冲は他の対冲に比較して作用はあまり強くないとしています。

 その他にも冲について書かれた本はいろいろありますが、代表的な考え方は示しましたので、このくらいにしておきましょう。



あとがき

 おおざっぱにいって、古い説は財官は冲開するという考えが強く、比較的新しい説は冲開というのはなく、冲によって支は作用を失うか土支のみ強くなるという考え方のようです。最近購入した『四柱博観』(2004年刊)には、辰戌丑未の冲で土気以外は天干や地支の相互作用をよくみて判断するとあり、うがった見方をすれば定則はないといっているように思えます。
 私は最近は日本の四柱推命書をあまり購入していないので、現状についてはよく知りませんが、張耀文、佐藤六龍、武田考玄等の各師の影響により、とくに冲開とか冲起とかいう考え方をとっていないのが主流ではないかと思います。
 ただ、古い説を「迷信的」と断ずる姿勢は、私には違和感を感じます。昔の術者だって多くの人の命を見て確かめていたでしょうし、その書(賦や論)の作者は真実と思って著したでしょうから、全くの間違いと断ずるには慎重な姿勢が必要だと思います。量子力学が出てきたからといって、相対論や古典力学が否定されるわけではないし、相対論や古典力学の誤りは、その後実験で観測されたから誤りとされたわけで、占術における誤りとは意味を異にします。(もっといえば、占術は当たればいいのであって、明確な誤りということはできないと思っています)
 私は、どちらかといえばひねくれ者ですので、そういう主流とは違い、冲開ということはあると考えています。しかし、その条件は何か、という(はじめに書いた)質問者に対しては、どうもうまく回答ができませんでした。また、こうして論を集めてもその回答が得られたという感じはしません。今のところは、財官(あるいは印)が強い場合には冲開するのではないかと考えていますが、まだ確信にまで至っていません。実占で検証していくしかないのでしょうが、占術というのは数字的に(デジタル的に)割り切れるものではありませんから、なかなか結論を出すのは難しそうです。(先人たちがいまだ定説を見出していないのですから)



   作成 2011年10月9日