化干論集


 四柱推命の理論の一つに干合、化干というのがあります。これらは特殊な理論ですが、とくに化干(合化)については術者によって考え方に大きな差があります。今回はその差をとりあげることにしました。私の考えもありますが、とくにそれを押し付けるわけではありません。化干については、いまも推命家の間で意見が分かれるものですから、みなさんがこれと思う考えをとればいいと思います。
 まずはわかりやすいところで、日本の四柱推命書からあげてみます。最近の名著(と私は思います)陽史明師の『最新四柱推命理論』から抜粋します。




『最新四柱推命理論』 第八章の9(一部を抜粋)

(干合が化す条件として)
①日干に関わっているため、二干はともに自ら立とうとはするのですが、
②(日干が)月干または時干と専一の干合となり、
③甲己なら月令が土、乙庚ならば月令本気が金、丙辛なら月令本気が水、丁壬なら月令本気が木、戊癸なら月令本気が火であって、
④その上これらの旺の五行の干支が重々とあって(その五行を生ずる干や支もあり)
⑤本来我を忘れてはならない、我の義務を棄ててはならない日干でありながら幇助弱く、この旺に従うしか道がない、という場合で、
⑥この旺の五行に逆らう五行の干支がない
という条件に当てはまれば、「干合の理」「旺に従うの理」より干合の二者は化してもとの干ではなくなります。もとの日干は全く存在しないことになります。これが化すということなのです。
 これは化について、もっとも厳しい条件をつけていると思います。しかしながら、陽史明師は、干合の中にも化ける合があり、その場合はもとの干の五行は存在しなくなるという考えです。
 ところがこれに真っ向から対立するのが小山内彰師で、その論を紹介します。



『四柱推命学入門』 「雑論 合」(一部を抜粋)

 また四柱推命においては、合が成立するなら、ある条件下において、干自体が変化するとして、さまざまな論が展開されている。(中略)化気格というものを創り出しているが、あまりにも構成が複雑なため、つじつまが合わなくなって話が行き詰ると、「化気格は難解である」と音を上げているという代物なのである。四柱推命の聖典と言われている『滴天髄』でさえ、「化得真者只論化。化神還有幾般話」《化が真を得るならただ化を論じる。(しかし)化神にはまだなお、いくつかの解決すべき問題がある。》とお茶を濁して、これ以上のことは何も言われていないありさまなのである。(中略)
 私の実証的経験から言えば、干の合と言われているものは陰干と陽干の剋でしかなく、ましてや合によって干が他の干に変化するなどと考えることはまったく無理があると考える。甲木と己土の合は、陽干の甲木が陰干の己土を剋す関係であって、合などという別称はまったく必要ないのである。
 実証的経験に基づいた考えということで、これはこれで尊重すべきです。ただ、この説は四柱推命家の間では少数意見です。(小山内師だけの論ではありません。同様の論を述べた書を読んだことがあります。ただし誰だったかはさだかでありません。ちょっと思い出せません。)
 『滴天髄』の従化論が引用されていますが、その訳文は誤訳とまでは言いませんが、多くの評注とは違う訳となってます。「幾般話」というのは、化する条件のことを指していると解釈しているのが一般的で、”解決すべき問題”とは私は聞いたことがありません。例えば、鐘義明師はこの部分を指して”化気格の付帯条件について指したもので、命運に対して化気五行のつくる影響因素を述べたもの”と注をつけてます。お茶を濁しているわけではありません。だいたい『滴天髄』は子平のさまざまな内容を短い詩文で表現している書なのです。
 ところで、パメラさんによれば、陽史明師も小山内彰師も武田孝玄師の弟子だそうですが、どうしてこう考え方が違うのでしょうね。いや弟子だから同じである必要はもちろんないのですが。

 ところで、日本の旧書には、干合をみな化すると解した書が多いです。というのは、『淵海子平』の「論運化気」や「化気十段錦」などには化ける条件などが明示されていないためです。後述する「神趣八法」にもさらっと書かれているだけです。
 日本の書のうち極端な2説を紹介しましたので、次からは中国、台湾の書から抜粋して紹介します。



『命理通鑑』 「第二章第二節の五 化之喜忌」(一部を抜粋)

 十干配合有合而化、有合而不化者。何謂能化、所臨之支、通根乗旺也。日干相合而化、即為化気格局。如、己卯、丁卯、壬午、甲辰。丁壬相合、生於卯月、木旺乗令、時逢甲辰、乃以化木格論。又如、戊辰、壬戌、甲辰、己巳。甲己相合、生於戌月、土旺乗権、年逢戊辰、乃以化土格論。至若余干之化、亦有化成者、然日主之質不変也。丁亥、壬寅、丙子、丁酉。年月丁壬相合、支臨寅亥、乃作丁壬化木論、為日主之印論也。又如、癸巳、戊午、丙午、庚寅。年月戊癸相合、支臨巳午、乃作戊癸化火、為日主之劫論也。
 化気有真有仮。又有化気有余、而日帯根苗劫印者。有日主無根、而化神不足者。更有合化雖真、而間神来傷化気者、皆仮化。(中略)
 近人不察、拘於化気十段錦之説、而将四柱干支以及行運均作化論、誤会殊深、以致乖謬百出、此点応特別注意。然天干五合、須得地支之助、方能化気。地支之三会六合、亦須天干之助、方能会合而化。総之、月令気候、固為緊要、而四柱干支之配合、尤須参看也。

 十干の合には化する合と化さない合がある。どういう場合に化すかといえば、干が臨む支をみて、通根したり旺じたりした場合に化す。日干が合して化すとはすなわち化気格となる。例えば、己卯、丁卯、壬午、甲辰の命。丁壬は相合して、卯月に生まれ、木が当令して旺じて、さらに時柱には甲辰があり、それで化木格と論じる。また例えば、戊辰、壬戌、甲辰、己巳の命。甲己が相合し、戌月に生まれ、土が当令して旺じて、年柱に戊辰がある。それで化土格と論じる。日干でない場合もまた化するものがある。その場合は日主の質は不変である。丁亥、壬寅、丙子、丁酉の命。年月丁壬が相合し、支が寅亥に臨み、それで丁壬の化木と論じ、日主の印と論じるのである。また例えば、癸巳、戊午、丙午、庚寅の命。年月戊癸が相合し、支に巳午を臨み、それで戊癸の化火として、日主の劫(比劫)として論じる。
 化気には真と仮がある。また化気には余というものがあって、それは日に根苗劫印を帯びる場合である。日主に根がないのは化神に足りないものである。さらに合化が真であっても間神が来て化を傷つけるものは、仮化である。
 最近の人はこれがわからず、化気十段錦の説に拘泥して、四柱干支行運に何でもかんでも化する論を持ち出しているが、誤解も甚だしく、間違った説が数多く出ている。この点は特に注意すること。すなわち、天干の五合は、必ず地支の助けがあって、化気となることができるのである。地支の三会六合は、天干の助けがあって、会合が化することができるのである。総じていえば、月令気候がもとより緊要なのであり、四柱干支の配合を必ず見て判断する必要がある。
 平易な文章でありますので、とくに注釈は必要ないでしょう。途中「間神が来て化を傷つける」とあるのは、行運で化した干を剋す干支が来た場合には化が傷つけられて化でなくなることを言っています。例えば甲己の合は土化しますが、木の行運がめぐってきた場合に化が解ける場合があるということです。化する条件が弱い場合にそういうことがあります。
 さて、この論はおおむね中国、台湾での化に対するごく一般的な説です。陽史明師は年月干の化を認めませんでしたが、この書の著者尤達人師は年月の化合もあるという考えです。この考え方の方が一般的でしょう。
 とにもかくにも、何でもかんでも化するのは間違いだとはっきり言っています。



「神趣八法」(一部を抜粋)

化象者乃甲乙日生人、在辰戌丑未月、天干有一己字合甲字、謂之甲己化土、喜行火運、如逢甲乙木生旺運、化不成反為不吉、己字中露出二甲字、謂之争合、有一個乙字露出、謂之妬合、為破格不成。

 化象とは、甲乙日辰戌丑未月生まれの人が、天干に一つの己があって甲と合しているとき、これを甲己化土という。火の行運を喜ぶ。もし甲乙木が生旺運に行く場合は化は成らず、かえってよくない。己が一つに対して二つの甲があればこれを争合といい、乙が出ていれば、妬合といい、破格として成功しない。
 これは『淵海子平』の「神趣八法」の一節です。ここには化する条件として、月支が旺じていることをあげています。ただし、乙も己と化するような文になっています。乙と己は合ではないわけですが、これは面白いところです。(正しいかどうかはまた別の問題)
 生旺運では化はならないというのは木運の場合は土を剋すということで、前の『命理通鑑』の説と同じです。



『命理約言』 「看化局法」(一部を抜粋)

凡看命先看有無合化、若日干或與月干相合、或與時干相合、化作他神、則生剋倶変矣、化木以木論生剋、化火以火論生剋、雖己合甲仍是土、庚合乙仍是金、然単己之土、丁壬両見、自以印財論、合甲之土、丁壬両見、即以木論矣、独庚之金、戊癸両見、自以印傷論、合乙之庚、戊癸両見、即以火論矣、凡化局之成否、化神之喜忌、皆詳合化賦中、若旧書所載、某局生某月則化、不生某月則不化、亦不尽然、如云甲己生辰月不化、中有木気也、見戊字有損、亦為[ト]合也、乃又云、甲己得戊辰時、化土方真、既取辰又取戊、不自相矛盾乎、若柱中辰戌丑未全見、此反不能化、蓋四支雖皆土気、然互相冲撃、不成化局矣、要之化局看天干易、看地支難、不特化神貴生旺、忌死絶、更須字字理会、孰能助化。孰能破化、孰助化而反伏破損、孰損化時仍可調停、至於行運、又須細看日主情勢、化神意向、而変通推測之、総不可粗心率略也、更有柱中化局不真、而行運一路助化、亦能栄達、但此運過後、依然不利耳、若世術於日干之外、余干見甲己二字、輒云化土、可作土用、見丁壬二字、輒云化木、可作木用、夫化局以日為主、合月時乃化、即合年亦不在化例、若余干自相合、亦以化気取用、則四柱五行、倶無一定、不甚紛紜矣乎、此雖通根得時、必無化理、勿因柱缺某神、勉強借湊也。

 およそ看命にあたってはまず合化の有無を見る。もし日干と月干の相合あるいは時干との相合があれば、化して他神となり、生剋ともに変わる。化木は木で生剋を論じ、化火は火で生剋を論じる。己は甲と合して土となり、庚は乙と合して金となる。そして単に己土が丁壬をみれば、印と財とするし、甲と合しての土であれば、丁壬を見れば、すなわち木を以って論じる。単独の庚金ならば、戊癸は印と傷官とみればいいが、乙と合しての庚ならば、戊癸は火をもって論ずる。およそ化局の成否は、化神の喜忌にあり、皆合化賦の中に詳しく述べている。旧書に所載されているように、某局は某月生まれならば化し、某月に生まれでないなら化さないというのは、全く正しいというわけではない。甲己が辰月に生まれれば化さないとは、中に木気があり、戊を損なうから、また[ト]合([ト]は女へんに戸)であると。またいう、甲己が戊辰時生まれなら、化土はまさに真とは、すでに辰をとり戊をとっているわけで、これ自体矛盾していないだろうか。もし柱中に辰戌丑未がすべてそろえば、これはかえって化しないというのは、だいたい四支が皆土気であれば、互いに冲撃するわけで、化局とはならない。要するに化局とは天干が変わるのを見て、地支を見るのは難しく、特に化神が生旺を貴び、死絶を忌むというわけではない。さらに命式をよく理解して、どれが化の助けとなり、どれが化を破り、どれが化を助けてかえって破損を伏するか、どれが化を損ない調停するのか、を見極める。行運においては、また細かく日主の情勢、化神の意向を見極めて柔軟に推測する。総じて荒っぽく粗略に見るのはだめで、さらに命式で化局が真かどうか、行運においては化を助けるか、また栄達するか、ただしこの運がすぎれば、そのつど化土というか、土を用とすべきかをみる。また丁壬の二字では、そのつど化木か、木を用とすべきかをみる。およそ化局は日を主とし、月、時と合したときに化とし、年と合するのは化とはしない。もし日干以外の干が相合した場合は化気をもって用ととり、すなわち命式中での五行は一定ではない。以上は甚だ紛糾する話ではないだろうか。これは通根して時を得たといっても、必ず化する理屈はなくなり、命式に某神がないことを理由にしてはならない。これらはこじつけである。
 もってまわった言い方でわかりにくいのですが、『命理約言』の説は、日干との合は化して、余干すなわち年干と月干の合は化さないと言っていると思います。
 しかし始めの方の話だと、日干と時干が化した場合は、年干と月干は化するような話になっています。これ自体がまたややこしい。
 ま、いずれにしても、『命理約言』では、化すことは化すが、化に当たっての地支の条件はないということです。



あとがき

 以上、合化について論を拾ってみました。論集というわりには数が少ないですね。そのうち、また新たな発見があればリバイズします。
 化干についての基本文献である「論運化気」や「化気十段錦」については、日本の旧書にほぼ全訳がありますので、それを参照してください。
 最後に私の考え方ですが、私の考え方はほぼ「命理通鑑」に同じです。ただし、私はややへそまがりなせいか、全く一緒ではありません。違うのは、果たして月令に旺じることが絶対条件なのかどうかです。月令に旺じていなくても周囲の干支(とくに地支)が会とか同一五行が多ければ化するのではないかと考えています。従旺格は必ずしも月令に旺じる必要はないのと同じです。もっともこれは折衷的といえば折衷的ですが。
 といって、「命理約言」のように地支の条件なしに化するというのも、私の数少ない経験からはどうも合いません。
 最初にも書きましたが、どれを採用するかはみなさんの経験をもとに判断してもらえばいいことです。占いは学問ではなく実践ですから。(私は鑑定師ではありませんけど)



   作成  2008年 5月19日
   改訂  2017年 5月20日  HTML5への対応