行運干合論集


 とある方から、「命式と行運との干合についてはどう考えたらいいのでしょうか?台湾や香港ではどう考えられていますか?」という質問メールをいただきました。このことについては私も今まできちんと整理したことがなかったので、後ほど調べてHPに載せますとひとまず回答しました。その回答がこの論集というわけです。
 ところが、行運干合論集と銘打ったのですが、実は論集になるほどの文献が見当たりませんでした。実際、行運と命式の干合の作用について、最近の入門書や研究書では論じているものは比較的多いのにもかかわらず、中国の古典ではほとんど論じられていません。書かれていても「論運與看命無二法也」(行運と命式の見方は同じである。「子平真詮」)というようなそっけない書かれ方がほとんどであり、具体的に行運と命式の干合をどうみるのかというのはよくわかりません。
 ただ、実例を細かくみると、その術者が干合をどうみているかをさぐることができます。
 ということで、ここで挙げるのは、実例と干合に関する論ですが、論についていえば、ほとんどが最近の著書です。

 行運と命式の干合の見方として考えうる(筆者が確認した)のは次の4つです。
   (1)干合は全く考慮せず、すべて剋関係とみる。
   (2)干合の作用は命式における作用と同じである。
       ①無作用  ②倍化  ③合化  ④去留 etc.
   (3)干合あるいは合化には成立条件がある。
       ①条件なし  ②有情(専一)  ③季節  ④旺相  etc.
   (4)干合に特別な意味を付す。
       ①婚姻  ②協同  ③災禍  etc.
 術者は上のどれか一つを採用しているというわけではありません。例えば(1)と(4)とか。

 はじめに日本の入門書ではどうなっているかを挙げますと、
 張耀文師、佐藤六龍師など透派は、命式と行運の干合は日干については作用が残り、その他の干との干合は無作用としています。
 武田考玄師は命式における作用と同じで、ある条件下(情専一)において干合、合化が成立するとしています。
 陽史明師は、命式の干合は認めるが、行運の干が命式の干と合することを認めません。ただし、命式の合を解く作用や、結果的に合と同じような作用になる場合があることは認めています。
 小山内彰師は干合そのものを認めていません。すなわち(1)です。
 増永篤彦師は干合、干化の説明はありますが、行運でそれを使っている様子はありません。
 昭和初期以前の推命家はおおむね行運と命式の干合を考慮していません。というよりは、説明がありません。これは古い中国の推命書には行運と命式の干合の説明がほとんどないからでしょう。
 以上、手元にある日本の本をみたものです。ほんとはもっと多くの日本の術者の意見を集めたいところですが、海外(韓国)駐在中で日本語の四柱推命書をほとんど持ってこなかったので確認ができません。
 しかし、ここにあげた数少ない術者の間でも意見は相当に違うのです。

 手元にあるのは、圧倒的に中国、台湾の本が多いので、(韓国の本もあるが、まだ読みこなせないというか読むのに時間がかかる)以下は、手元にある中国、台湾の書で行運と命式の干合をどう考えているかを紹介します。




『命理正宗』 「偏官格」

丙戌、丁酉、乙巳、戊寅
乙木生臨酉月、坐下夫星得禄、本為好也。(中略)癸巳壬辰両運、衣食満給、夫子如故、蓋喜壬癸水破火而存金也。

 乙木酉月生まれで、地支に夫星が禄を得て、この命式はよい。(中略)癸巳壬辰の両大運では、衣食は十分で、夫子も旧知の如くで、これは壬癸水が火を破り金が存在できる(護られる)からである。
 これをみると、行運の壬が丁を合して無作用にするという感じではなく、あくまで火を抑えるという剋関係のみをみているようです。もちろん化することは考えていません。
 他の命式例も見たのですが、張楠は行運と命式との合については考慮していないようにみえます。



『子平真詮』 「行運論」

論運與看命無二法也。(中略)又有干同一類而不両行者何也。如丁生亥月而年透壬官、逢丙則幇身、逢丁則合干之類是也。

 行運と命式を見るのに違いがあるわけではないのである。(中略)また同一五行の干でも行運では同じではないとはどういうことか。もし丁日亥月生まれで年干に壬正官が透る場合、丙の行運では身を助けるが、丁の行運では壬と合してしまうというような場合である。
 『子平真詮』では干合の作用があるとはっきり書いています。ところが例にあがっている壬年亥月丁日の場合、月干は辛です。もし干合の作用があるとすれば、丙運では辛と合するので、化すれば水が強くなりますし、また合去するとすれば壬が丁を剋す作用はますます強くなります。したがって、この文章に従うかぎり、丙の合の作用は剋に近く、辛の作用は失うが丙の作用は残ると考えるべきなのでしょう。もっとも沈孝膽(『子平真詮』の作者)は月干辛まで考えなかったのかもしれませんが・・・。



『三命通会』 「総論歳運」

日干與時干不宜與太歳天元合、合則名為晦気。又要分、日干合太歳、如甲日己年之例、太歳合日干、如己日甲年之例、甲合己災重、己合甲災軽。

 日干と時干は太歳の天干と合するのはよくない。合はすなわち晦気と名づける。また区別して考える必要があるのは、日干が太歳を合する、例えば甲日干で己年の場合、太歳が日干を合する、例えば己日干で甲年の場合で、甲が己年を合するのは災いが重く、己が甲年を合するのは災いが軽い。
 これを読むと、日干と時干は流年干との合を考えることになります。ただ後半の日干との合はいわゆる剋関係と考えても説明がつきます。すなわち「太歳を犯すなかれ」ということで、太歳干を剋するのはよくないということです。
 ただし、『命理通鑑』には、甲日で己太歳ならば財年であり、一概に悪いとはいえない、とあります。私もそう思います。



『命理約言』 「看運法一」

又上干與原柱干支、止論生剋、理亦易見、下支與原柱干支、生剋之外、更有相冲、相合、相刑、相害、種種道理、未易草率論断也。

 また上干と命式の干支は生剋の論でとどめ、理屈は簡単である。下支と命式の干支は生剋以外にも、相冲、相合、相刑、相害などの種々の見方があり、十把一絡げに論じるわけにはいかない。
 上干というのは行運干のことで、これをみると行運干は生剋のみ見ればよいということになります。もっとも『命理約言』はそれほど簡単ではないのですが、まあ先へ進みましょう。



「滴天髄 歳運論」

休咎係乎運、尤係乎歳。戦冲視其孰降、和好視其孰切。

吉凶は大運、太歳に関係する。戦(剋)や冲はそのいずれが降りるのか、和(合)や好(助)はそのいずれを切るのかをみる。
 この項は、大運と太歳の関係を述べたものとする意見と、命式と行運との関係も含んでいるとする意見があります。後者だとすれば、命式中の干と行運の干の合がある、ということになります。
 ただ“切”とあるので、無作用になるということではないように思います。



『命理探原』 「潤徳堂存稿」

為李鴻沢先生推
辛丑 戊戌 戊辰 庚申
33甲午 43癸巳 53壬辰
40歳午運会戌合火、接行癸運、合戊化火、14年先憂後楽。(以下略)

為某先生推
甲寅 乙亥 己亥 丁卯
25戊寅 35己卯 45庚辰
推已往之運、寅卯最困、刻行庚運、舒暢多矣。

賎造付
辛巳 丁酉 乙巳 戊寅
21甲午 31癸巳
21歳交甲運、比劫幇身、学術稍進名誉漸佳、完姻之後連挙二男、似藉慰椿庭、[キョ]料丙午年己巳限丙辛化水不成、而巳復会金剋木、先君於是年四月竟棄養矣。

 李鴻沢先生のために推命する。
 40歳は午運で戌と会して火と合する。続く癸運は戊と合して火と化し、(40~53歳の)14年は先憂後楽。
 某先生のために推命する。
 すでに過ぎた行運をみれば、寅卯運は最も困難であり、庚運にいけばゆったり心地よいことが多くなる。
 自分の命式を付す。
 21歳甲運に入ると、比劫が身を助け、学問ややや進み名誉も徐々によくなってきた。結婚したのち二人の男の子ができて、これで父を慰めることになるかと思ったが、なんと丙午年己巳小限で、丙辛は化水にならず、さらに巳も会して金剋木となり、父はこの年の4月に亡くなってしまった。
 上の3つ例をみると、袁樹珊師は大運流年と命式の合を認めていますし、しかも化する場合と化しない場合があると言っています。
 李鴻沢先生の例は、命式でとくに火が強いわけではないので、化さないと判断するのが普通でしょう。
 次の例は化するか化しないかははっきり書いていませんが、化すにしろ化さないにしろ己を剋する作用はなくなると判断できます。



『星命術語宝鑑』

従財成格
丁亥 丙午 癸未 乙卯
39歳壬寅 49辛丑
壬運合丁化木生財、寅運会午化財。

官印相生格
己卯 丙子 丙寅 丁酉
壬運壬子年、双官攻身、再度亡命。

 従財格例
 壬運は丁と合して化木して財を生じ、寅運は午と会して財と化す。
 官印相生格
 壬運壬子年は、二つの官(子のこと)が日主を攻めて、再度亡命する。
 この書では、上の例では壬運と年干丁の干合を化合としています。下の例では、丁との合は見ずにいると思います。
 この差はよくわかりません。まあたぶん天干地支の木水の強さの差だろうと思います。月令に旺じていたら化するというのならまだわかりますが。



『命理通鑑』 「歳運月令」

一童造、甲申 丁卯 丙子 癸巳。初行戊運食神合官、尚属安和。
曽観一造、丁巳 丙午 庚戌 乙酉。交壬運、表面似属佳運、無如丁壬相合有情、反化木生火、戊戌流年、梟神奪食、経営失敗甚重。
曽観一造、乙卯 癸未 丁未 庚子。中年行戊運、土気更重、洩弱堪虞。

 子供の命。始めに戊運の食神が官(癸)を合して、まだ安和に属するといえる。
 かつて観た命式。壬運では、丁壬の相合が有情でなければ、表面上はよい運にみえるが、それに反して化木して火を生じ、戊戌流年では偏印が奪食(傷官)するので、経営失敗は甚だしい。
 かつて観た命式。中年で戊運にいけば、土気はさらに重く、日主はよわくなり、堪えるのは厳しい。
 はじめの例は行運が忌神を合して力を弱めるということでしょう。
 二番目の例は、化するとは私には思えないのですが、丁壬が木化するということでしょう。流年戊癸の合では食神の力を弱めるということで合去の例。
 三番目の例は戊癸の合でこれはどうも合としてみてないようです。或いは合の条件によるのかもしれません。



『鵲橋命理2』 「歳運與命局的関係」

会導致本末動揺、多因歳運出現下列各種情況。
1.反吟  2.伏吟  3.天剋地刑  4.天剋地合
5.天合地刑  6.天合地合  7.刑冲畳畳等 (以下略)

 命式と歳運とが動揺するにいたる可能性があるのは、多くは歳運に次のようなものが来た場合である。(以下略)
 さらにこの章では、天合にも化と不化があると書かれています。はじめに述べた分類でいえば、行運の干合(あるいは合化)について、(4)特殊関係を認めているということになろうかと思います。



『現代破訳 滴天髄』

丁酉 丙午 辛酉 戊子
20甲辰 30癸卯 40壬寅
「運以辰字最美、癸字合戊潤土晦火而生金亦佳、少年得意可知。卯運四冲全備、有破家之危。壬寅十年、亦非順境(以下略)」
鐘按、(中略)徐大師所説的「癸字合戊潤土晦火生金」筆者絶対不同意。戊癸合在午月、天干有丙丁引化、当作「化火」看、決非徐大師所説的那[マ]「多効能」。

 「辰運のときが最もよく、癸運では戊を合して土を潤し火を暗くして金を生じてまたよい。若いときが順調であることを知ることになる。卯運は冲をすべて備え、家を破るおそれがある。壬寅の十年もまたうまくいかない。」(以上は徐楽吾の滴天髄補注の引用)
 私(著者の鐘義明)が考えるに、徐大師の所説の「癸運では戊を潤し火を暗くして金を生じる」というのには筆者は絶対同意しない。戊癸は合して午月にあり、天干に丙丁があって化する力をもつので、まさに「化火」とみるべきで、決して徐大師の所説のようなそんな「多くの効能」を持つような作用にはならない。
 これを見るとわかりますが、徐楽吾師は行運との合化を認めず、鐘義明師は行運との合化を認めています。彼は化する条件として月令および他干支からの作用をあげており、すべて化すると言っているわけではありません。



あとがき

 まだまだ事例の調査はできますが、これぐらいにしておきましょう。新たな見解が見つかればまた付け加えるということで。
 以上みてきたように、命式と行運の干合(あるいは化)について、術者によって考え方が違うということがわかりました。整理してみると意外とみな意見が違うなあというのが私の感想です。
 日本の最近の術者は合をとらないようですが、台湾、香港には干合を採用する術者が比較的多いように思います。もっとも、四柱推命の理論は多数決で決めるものではないので、いろいろ命式をみて、自分の納得できる考えを採用すればよいのではないかと思います。
 さて、私の考え方ですが、行運と命式の干合というのはありうると考えています。行運と命式は独立したものではなく、行運は命式の一部である、いうのがそう考える理由です。
 行運が命式の一部というのはどういうことかというと、例えば、丁酉 丙午 辛酉 戊子、男命立運10年、という命式があれば、行運は自動的に決まります。例えば10歳(満年齢)は乙巳運丁未年ですし、20歳は甲辰運丁巳年です。行運というのは後天的という人がいますが、そうではなく、行運も生まれた瞬間に決まっている先天的なものです。ただ、ある年齢にならないと行運の作用が表に出てこないというだけにすぎません。ですから、私は行運は命式の一部(しいていえば延長)と考えて差し支えないと思っています。そう考えると、『子平真詮』にいう「論運與看命無二法也」ということに得心が行くのですが、皆さんはどうでしょう。
 さらに、大運も流年(太歳)も命式の一部だと考えると、大運と流年の相互関係もまたありうると考えるのが自然でしょう。これについては、また別の機会に紹介することとします。



   作成  2009年 2月23日
   改訂  2017年 5月27日  HTML5への対応