命式雑論


 命式それ自体については、まとめて論じた本があまりないように思います。とりあえず、次の本を参考書としてあげておきます。
  「四柱推命術密儀」(張耀文、佐藤六龍著 香草社)
この本は、香草社の分類で行くと上級者向けだそうですが、上級者でなくとも四柱推命をある程度勉強したら是非読んでみることをお薦めします。透派の考え方がわかります。

 私は、命式自体が何を示すかということが四柱推命を見る上で非常に重要で、それにより性格や六親、才能や職業等の判断のしかたがはっきりしてくるのではないかと思っています。それでこのページでは、命式そのものについて、先人の論を紹介しながら、考えてみたいと思います。
 なお、従来の一般的な考え方とは違う私独自の考えもところどころに入っております。ですから、「そんなことは私の先生は教えなかった」ということがあるかと思いますが、その場合は気にしないでください。
 なお、ここでは引用などは色を変えています。ご了承ください。



1.日干

 日干とは、日主とか身主とか言われます。先にあげた「四柱推命術密儀」には、「本来の自分」と書かれています。
 また、他書をみてみますと、
  ・日干を我としてみる(「最新四柱推命理論」)
  ・生日の干が主体、すなわち自分の命(「推命の秘訣」)
  ・日を以って主と為す。(「淵海子平」)
などとあり、四柱推命においては日干を自分とする見方には異論がありません。これがなくてはこの推命術は成立しないといいでしょう。
 ところが、気学九星など、年を自分とする占術があります。また推命術の初期においては、年干支を自分とみていたこともあったとか聞いたことがあります。この辺の事情について、高島正龍師は「大体は本命(年の九星)で用は足りた」と書いています。言い換えれば、昔は個性を重視する社会ではなかったということなのでしょう。
 エッセイにも書きましたが、今の四柱推命の考え方からみても、生まれ年によって、いくぶんの傾向はあるといえます。例えば丙午年生まれの人の命式は火が強くなる可能性が他の年の生まれの人よりも高いわけで、火行の示す性格傾向、体質があるといえるでしょう。ですから、年だけで占うことは全然根拠がないとも言えないと思います。
 しかしながら、年だけでみるというのは、四柱推命という占術を前提にすれば、あまりに乱暴な見方であるといえます。
 とにかく、日干を自分とするのは、四柱推命の見方の基本であるといえるでしょう。
 以降、話は脱線しますが、では、日干が自分であるとしましょう。そのためには、地上においては10日周期で変動する何かがあるということを前提としなければなりません。そして、その10日周期変動が、人の出生に影響を与えるということも認めなければなりません。しかし、このことは科学的に説明することは少なくとも現時点では無理です。おそらく将来も無理でしょう。
 無条件におく前提とは、科学(とくに数学)でいえば公理にあたるわけですが、数学上の公理とはほとんど疑いのない事実として納得できることです。しかし、上の四柱推命の前提は、普通は納得できないことですから、公理というわけにはいきません。すなわち四柱推命は演繹的な科学とはなりえません。
 しかし、四柱推命をやる以上は、10ないし12の周期的な変動があり、それが人間に影響を与えるということを無条件に納得しなければなりません。


2.日支

 日支について、小山内彰師の「四柱推命学入門」には、「日干と最も密接な位置関係にあることから、配偶者の定位とされ、」とあります。また、「日の蔵干が配偶者の定位であるとされることも、正しい視点であると言える。」とも書かれています。また、「星命術語宝鑑」には、「日支主配偶」とあります。このように、日支を配偶者とする考えは一般的のようです。
 しかしながら、日支は必ずしも配偶者だけをみるものではないようで、「日支は自分自身が持って生まれた性格」(「泰山流四柱推命学入門」)と書いてあるものもあります。
 日柱(干支)は自分のこと、あるいは配偶者も含めた自分の生活を示しているという考え方は、おおむね術者の間では違いはないようです。


3.月支

 月支については、月支論と銘打って、本を一冊書いてもいいぐらいに重要なところであります。これについて「最新四柱推命理論」では「月支なくしては四柱推命は存在しない」と言い切っています。全くそのとおりだと私も思います。ページには限りがありますので、ここでは簡単に月支の意義を述べたいと思います。
 月支は何を示すのでしょうか。月支は年によってその位置が変わることはありません。冬至は子月にありますし、立春はかならず寅月の初日です。すなわち、月支は季節を表すわけです。
 四柱推命の考え方の根底には、人は生まれたときの季節の影響を受ける、という考え方があります。さらに、人の一生は四季の移り変わりと同じようなものがある、という考え方もあります。前者は月令、またいわゆる格局用神法(の一つ)であり、後者は大運の考え方のもとです。
 よく新聞や週刊誌などに、東洋占術の術者が、1月生まれの人の運勢、2月生まれの人の運勢、、、などと書いてますが、あれもまるっきりでたらめというわけでなく、月支または月の九星をもとに判断しているわけです。もののわかったふうな人が、”でたらめだ”というのはわかりますが、全くのでたらめでもないのです。ただ、”でたらめだ”といわれるくらい精度(という言葉が適切かどうかは別として)の非常に低い占いといえます。
 さて、ここからは私の想像です。月支は季節といいました。季節というのは地上の現象です。もちろんそれは太陽と地球のコラボレーションなのですが、季節の変化によっておきる現象は地球上のものです。月支というのはすなわち大地を示すということです。天は陽、地は陰で、地は女性です。また地は万物を生むということで、母なる大地とも言われることはご存知のとおりです。
 さて、命式というのは生年月日時で、一生のスタート地点を示します。大運というのは、人の一生を一年になぞらえるものですが、大運の始めは生月干支です。生まれたときに最初に接するのは母親、そして父親、また兄弟です。
 以上から想像するのは、月支は季節なのですが、四柱推命においては母を示す場所として扱われただろうということです。さらに、月支と日干の関係で性格を見ることが多いですが、これは、性格が母親との関係によって形成されていくことを示しているように私には思えます。
 短い説明でしたが、理解していただけたでしょうか。ほんとは、季節との関わりあいや、陰陽説などを敷衍したいのですが、この程度にしておきます。とにかく、月支は人生における出発点であり、その影響を強く受けるものということだけは頭に入れておいてほしいと思います。


4.根苗花果

 この根苗花果という言葉は「定真論」にあります。引用すると、「四柱を分けるに、年を以って根となし、月を以って苗となし、日を以って花となし、時を以って果となす。」と書かれています。これには大きくいって二つのことを指すのだと思います。
  ・年柱は祖先、月柱は父母、日柱は自分、時柱は子孫
  ・年柱は幼年期、月柱は青年期、日柱は壮年期、時柱は晩年期
これについて、「四柱推命学入門」(小山内彰著)には、「年月日時になんらかの意味づけをしなくてはならないという形式的なこだわりがあり、実証的にも無理が生じている」とあります。それは確かにそのとおりかもしれませんが、はたして形式的なこだわりだけかというと、そうではないように思います。また実証的にも無理かといえば、そうでもなく、実際にこれらの見方を使って活断している術者は少なくなく、全否定するには惜しいと考えます。


5.天干地支

 天干と地支については、見方が術者で分かれるようです。
 一つの代表的な見方は、次のようなものです。
「天干に表れている星は起り来る現象の気配・姿・可能性です。この星が(中略)実際に作用するためには、通根してくるエネルギーが必要です。また、地支にある星の力は、現実の方向性を持たないエネルギー・可能性を意味します。」(「泰山流四柱推命学入門」)
これは、変通星と十二運のことを言っているかと思いますが、天干は現象、地支はエネルギーというのは、なかなかうまい表現だと感じます。
 この考え方に近いですが、少し違う考え方に動静説というのがあります。「命理正宗」にその考え方が示されています。(すでに私が抄訳しております)そこでは、「天干透露を動、地支隠蔵を静」としています。そして、天干と地支の相互作用は薄いとしています。続いて蓋頭説(これも訳しています)が展開され、そこでは、「天干は頭、地支は腹や四肢」とされています。端的にいえば、天干は外面、地支は内面ということになるでしょうか。
 上にあげたのとは別に、天干と地支を別のものとしてみるのではなく、地支蔵干を出して、地支蔵干を天干と同じようにみる方法をとっている術者もあります。この場合は、天干は地支に通根するとかという考えはなく、あくまで並列にみている見方です。この場合は、基本的には宮位と変通星で判断するということになります。そして変通星の数や相互作用が基本となります。ただ、最近はこういう見方をする術者は少なくなっているようです。
 私の考えですが、基本的には天干は外面、地支は内面という見方をしています。行運も同様で、干関係が表に出やすく、支関係はその出やすさ、というふうにとらえています。ただし、行運といっても、大運から年運、月運、日運、時運、また大限、小限とありますから、地支に根がある場合は、いずれ表面に出てくると考えるべきでしょう。そう考えると、地支蔵干も含めた干の数で見る方法では全く当たらないということにはならないでしょう。
 なお、四柱推命の行運では、ふつうは日運、時運や小限は使いません。私も時運や小限は使いません(日運は病占、択日など特殊な場合に限る)。そこまで命式に縛られたら動きがとれませんから、、、。


6.透派の四柱のとらえかた

 これは、透派の秘伝なのかもしれませんので、軽々しく書いてはいけないのかもしれません。でも書いてしまうと、「四柱推命術密儀」によると、
  ・年柱を社会、月日時柱を家庭とする。
  ・月柱を父母、日柱を夫妻、時柱を子女とする。
としています。月日時柱については他派と同じですが、年柱を社会とみるのは、私は寡聞にして透派以外にはみたことはありません。
 このような考え方が出てきた背景として、貼身という考え方があります。これは、日干に近いほど自己に対する影響が大きいという考え方です。自分に最も影響を与えるのは配偶者、次に父母、そして子女、さらに自分をとりまく社会、環境でしょう。それを命式において、日干に近い順にみると、日支、月柱、時柱、年柱となり、透派の見方に符合します。
 ところで、とくに日本においては、会社が家族みたいなところがありますから、類推すると、月柱を会社、時柱を部下とみることもできるでしょう。私はとある術者(透派)から、体用の関係で、月柱を会社とみる場合があると教えられました。(正確にいうと、彼の勉強ノートのコピーをもらった)
 この見方はなかなか当てはまるとズバッと決まります。このようなパターン化というのは、難しい命式をときほぐす場合にはとくに有効で、考えを進めるきっかけになるものです。




筆者のあとがき

 命式自体が何を示すかについて、いくつか論じてきました。もちろん命式自体の話はこれだけではなく、また何か思いついたら随時加えていくつもりでいます。
 まえがきにも書いたように、命式自体が何を示すかを明らかにしておかないと、今後書いていく予定の、「命式の見方各論」の理解が進まないと思うからです。また、何度も同じようなことを書かなくてならなくなるおそれもあり、この「命式雑論」を書きました。
 変通星や十二運をみて、インスタント的に判断するのは別に悪いとはいいませんが、それはそれで終わってしまいます。四柱推命の面白さは命式の干支をみて、その位置、相互作用から意味を探る作業の過程だと思います。その意味を探るにあたって、命式自体が何を示すかを知ることが重要だと思います。
 初級者の方には、この章はとくに参考になるものと確信しています。