専旺論集


 いわゆる専旺用神をとるのは、一行得気格、化気格、従格です。ここでは、日干の強い場合、従強旺格や一行得気格などについて取り上げます。
 従強旺格については、その条件、喜忌の取り方が難しく、私も悩むことが多いので、一度ここでさまざまな意見を整理しようと思いました。たぶんみなさんにも参考になるのではないかと思います。
 いくつか注意点を。この格局には術者によって呼び方が異なりますが、一応原文ではそのままあげています。また、それぞれの書には事例をつけて詳しい解説がある場合もありますが、それはその本を買って勉強してください。




『四柱推命学入門』(武田孝玄著)

 「従旺格」の成立条件は
(1)日干が月令を得ていること。
(2)比劫が重重とあること。
(3)必ず印があり、日干に近貼していること。ただし~(以下略)
(4)官殺の干支が一点もないこと。
 以上ですが、印の位置が重要であり~(以下略)
 一行得気格の成立条件は、
(1)日干が月令を得ていること。
(2)日干と同一五行の方または局をなすこと。
(3)官殺が一点もないこと。
となります。(中略)印があるほうが佳造となります。
 これがたぶん、日本の四柱推命家の間で最もオーソドックスな従旺格の条件でしょう。
 次に日本で広く知られている透派の見方です。



『四柱推命術極秘伝』(佐藤六龍著)

 日主が強く、命中に比肩・劫財が多くて官殺に根がない命式を従旺格といいます。(中略)
 最後に一行得気格の定義を説明しましょう。
 甲日または乙日の生まれで、月令も「甲」か「乙」にあたり、命中に「庚」や「辛」がなく、地支に「寅・卯・辰」または「亥・卯・未」がそろっている命式の場合を曲直格といいます。(以下略)
 透派では、官殺が一点もない、ではなく、根がないとしており、地支の官殺の存在は条件に入っていません。



『最新四柱推命理論』(陽史明著)

 旺によって決まる、ということは旺に従うか従わないかということなのです。(中略)
 一見、身を棄てないが旺に従う・・・・・・ これが「従旺格」「化格」の大部分。(以下略)
 陽史明師のこの本は考えさせられることが多いです。同意できないところもあるのですが、通説に対して根本的なところから考え直すという態度は学ぶべきところといつも感心しています。
 一行得気格については、師の結論はあってもなくても変わらないというもので、認めていません。私もその点にはうなづけるものがあります。
 さて、師は日干が強いということではなく、旺に従うといっています。考え方は異なるのですが、命式に顕れる条件としては武田師と同じです。



『子平粋言』(徐楽吾著)

 体用之変者、全局気勢偏旺於一方、不以日干配月令為主、而以全局気勢為主、用随体変、不以扶抑為用、而以順其気勢為用、特順気勢之中、有宜印劫、有宜食傷、各有不同耳、約分為三(甲)専旺(乙)従旺(丙)合化。星平大成以専旺為従旺。従旺為従強。名異実同。

 体用の変とは、命式の気勢が一方に偏って強い場合で、日干から月令に配するのを主とせず、命式中の気勢(の一方)を主とし、用は体の変に従い、扶抑を用としない。すなわちその気勢に順なものを用とする。とくに気勢に順の中で、印劫がいい場合もあるし、食傷がいい場合もあって、それぞれがあって同じではない。大きくは3つに分けられ(1)専旺(2)従旺(3)合化である。星平大成は専旺を従旺とし、従旺を従強というが、名前は違うが実は同じものである。
 ここでいう(1)専旺が一行得気格といわゆる従旺格で、(2)従旺が従官殺、従財、従児、母旺子衰(印が強い)を指します。
 徐楽吾もまた従旺格と一行得気格はことさら分けていません。例えば、壬辰、己酉、庚申、庚辰のような命式も従革格(金の強い命式)に入れています。
 最後に星平大成の呼び方を挙げてますが、このように名称は混乱しています。
 重要なことは、気勢が一方に偏っているということです。これをどうやって判断するかのノウハウは明示されてはいません。



『命理通鑑』(尤達人著)

従旺者、則前編「専旺」之意也。(中略)従強之局、則為従印之意、蓋以四柱印綬重重、比劫畳畳、日主又当令、絶無一毫財星官殺貴、謂之二人同心、強之極矣。(以下略)
専旺之格、乃満局均得五行之一気、順其勢以成専旺之局也。大抵専旺之格、只可順而不可逆。(中略)
又専旺之格、不一定須成方成局、総以與日元同類之支多者、即成専旺、小印亦可、小洩更佳、其理仍不越正格之外。

 従旺とは、前編にいう「専旺」のことである。従強の局はすなわち従印のことであり、四柱において印綬が多く、また比劫も多くて、日主が当令し、財や官殺が一つもないのが貴であり、これを二人同心といって強のきわみである。
 専旺格は、命式が全部五行のうちの一つだけが強い場合であり、その勢いにしたがうことで専旺の局をなす。たいてい専旺格はただ順がよく逆は不可である。
 また専旺の格は、必ずしも方や局をなさなくても、総じて日主と同類の支が多ければ、やはり専旺となり、わずかな印があるのはよく、またわずかな食傷があるのはさらによい。これは正格の例外というわけでもないのである。
 尤達人師は、印に従ずる命式を従強格と言っています。これは透派も同じ呼び方をしています。従強格にあっては財と官殺がないことが条件だといっています。
 さらに、専旺格は必ずしも方や局が完全でなくてもよいといっており、また印が条件というわけでもありません。食傷があるとさらによいということについては後述します。



 以上、従旺格や一行得気格の条件を挙げてみました。もちろんこの他にも論があるのですが、同じようなことが続くので省略します。
 古書の専旺格についていえば、「淵海子平」や「命理正宗」「滴天髄」には、一行得気格はあるのですが(日主が強い)従旺格にあたるような格局は挙げられていません。ただ命式例をみると、必ずしも方や局が完全にそろっていないのも一行得気格に入っていますので、概念としてなかったわけではなく、従旺格も一行得気格に含まれていると考えた方がいいと思います。
 次に、専旺用神および喜忌についてみてみましょう。




『四柱推命学入門』(武田孝玄著)

従旺格
(1)用神は、旺神の比劫の陽干をとります。
(2)喜神は、印・比劫・食傷・財となります。
(3)忌神は、官殺となります。
(4)印が日干に近貼する場合、官殺を閑神とすることもないわけではありませんが、原則的には忌神となります。ですから、官殺が旺じる大運は破格になります。
 とくに解説は不要でしょう。ただ用神を比劫の陽干ととるところは珍しいです。



『命理粋言』(徐楽吾著)

旺之極者、以洩其気為秀、専旺格局固喜食傷為用、然非無例外。亦有喜印者、蓋体性雖変、而取用之方、仍当配合気候、論其宜忌。同一格局有高低之分、亦有成格而不貴、其中弁別即在格局之純雑、與用神之是否適合於需要而已。総之専旺格局用神不外乎印與食傷然有宜印而見食傷或宜食傷而見印則格局之高低分矣。
所透之神為官殺則破格、当以官殺為重而別取用。所透為財雖不破格、亦以去之為美、所謂強衆敵寡、須去其寡也。所透為印與食傷則成格、透印者以印為用、透食傷者以食傷為用、然有宜印而見食傷者、有宜食傷而見印者、雖成格不以貴論。然専旺格局以宜食傷為通例、宜印為気候之調和乃例外也。

 旺の極まる場合はその気を洩らすのがよい。専旺格局はもとより食傷を喜び用とするが、例外がないわけではない。また印を喜ぶ場合は、これは体性の変であるが、しかして用を取る方法は、まさに気候の配合に適当なものをとり、その良し悪しを論する。同一格局にも高低があって、また成格しても貴ではないものもあるし、その弁別を分けるのは格局の純雑や必要であるかどうかの用神との是否適合にあるだけである。
 官殺が透干するのは破格であり、まさに官殺を重きとなして別に用を取る。財が透干するのは破格とはしないが、それを取り去るのがよい。いわゆる強衆は寡に敵するで、すべからく寡は去るのがよいのである。印と食傷が透干するのは成格であるが、印が透るのは印を用となし、食傷が透るのは食傷を用となす。然るに印がよくてさらに食傷を見る場合と、食傷がよくてさらに印を見る場合があり、成格といっても貴とは論じない。しかして専旺格局は食傷をよいとするのは通例であるが、印をよいとするのは気候の調和であり、すなわち例外である。

 ここでは、食神は喜神、官殺は忌神となっていますが、印はどちらかというと喜神で、財はどちらかというと忌神となっています。また貴かどうかは別問題です。



『命理通鑑』(尤達人著)

古人対於専旺之局、以喜行印比同類之方。依照余之観察、一味純旺、亦無用神可取、況人生一世所行之運、未必亦属一方、故其取用仍略同正格、惟大同小異耳。大抵有印透者、可以用官、官印相生、無碍乎専旺之勢也。有食傷透蔵者、可以用財蓋財有食傷為引、不致争奪、仍属身旺任財之局、旺極宜洩之義。(中略)
専旺之局、最宜食傷健旺、以流通其気、庶成源遠流長之勢也。

 古人は専旺格に対して、印や比劫と同類の方に行くのを喜ぶといっていた。私の観察に照らしてみると、一つの五行だけが純粋に旺じている場合、用神をとることができない。いわんや人の一生の行運については、必ずしも一方に属しているのではないのであるから、その用はおよそ正格とだいたい同じであって、ただ大同小異なだけである。たいてい印が透る場合は官を用いることができる。官印相生であり、専旺の勢いをさまたげることはない。食傷が透干していたり地支に蔵していたりする場合は財を用とすることができ、これはおよそ財が食傷を引っ張るためで、争奪には至らないし、およそ身旺に属しているので財に任ずる勢いもあって、またすなわち身旺が洩を喜ぶということである。
 専旺の局は、食傷が健旺なのが最もよく、その気を流通することで、だいたいその気勢を遠くから長くなるようにするのである。
 ここでは、食傷が最もよいが、命式の条件によっては官殺や財も用(すなわち喜神)として取れるということを示しています。
 また用の取り方は正格と同じだと言っていますが、これは喜忌が正格(内格)と同じだと言っている訳ではなく、その考え方は正格と変わりがないと言っていると思います。



『命理正宗』(張楠著)

従革格、謂庚辛日干、見申酉戌全、或巳酉丑全、此多剥雑、原非純粋可観、與壬癸潤下格理同、此二格吾見多矣、未嘗有富貴者、但当以別理推之、止有曲直稼穡二格、多富貴、火全巳午未格、亦未見其美、由是尊其所正、而闢其所謬也。

 従革格というのは庚辛日干で申酉戌か巳酉丑がそろっている場合をいうが、この多くは剥雑でもとより純粋なものを見ることがない。壬癸潤下格も同じ理屈で、この二格は私は数多く見てきたが、いまだかつて富貴なものを見たことがなく、これは別の理屈で考える必要があるだろう。ただ曲直稼穡の2格だけが多くは富貴で、火全巳午未格はまたいまだそのよいところをみたことがない。これによりその正しいことをあげ、その間違ったところを述べたものである。
 これは古来議論のある文章ですが、これはある程度その通りだと思っています。そもそも水と火は命式中に適度にあった方がよいためです。木土の場合はおよそ地支に水や火を持ったものがくる可能性が高く、極端な湿寒や燥熱に偏らないためだと思います。
 従革格の場合は、庚辛の干関係があまり生助とならないためだと考えます。
 この言をさらに広げて、私なりに考えますと、金の従旺格や従革格は金は忌神、水の従旺格や潤下格は火が喜神、火の従旺格や炎上格は水が喜神となりえる、ということを導けるのではないかと思います。すなわち、金水火の従旺格はむしろ破格になった方がよいのではないかということです。



あとがき

 「三命通会」や「滴天髄」「命理約言」とかもっと取り上げるべき論はあると思いますが、議論が拡散しそうなのでやめました。
 私がここで取り上げたかった理由は、主に火や水の従旺格では、むしろ官殺が喜神の場合が多いような気がしているからです。で、まず従旺格や一行得気格の成立条件から取り上げ、喜忌の問題まで示したのですが、整理してみるとやはり一筋縄ではいかないな、というのが私の印象です。従旺格など認めず八正格しか取らないという術者(歌川光四郎師など)や独自の方法をとる術者(小山内彰師など)が出てくるのも無理はないかな、と思います。
 では私はというと、私は従格の一部が一行得気格であるという認識で、喜忌については個別の命式で判断するしかない、と考えています。まあ「命理通鑑」に一番近い考え方です。
 また、火水の調候の問題は健康に関わる問題で、成敗とは別に考えるべきかもしれないとも考えています。
 もっとも、今後経験を積むにつれて、考え方がまた変わるかもしれません。
 とにかく従格というのは難しいというのが私の印象です。



   作成  2009年 1月11日
   改訂  2017年 5月27日  HTML5への対応