神殺論集


 “hiroto的”四柱推命古法推命編の第3回として神殺を書き進めようと思ったのですが、その前に、個々の神殺ではなく神殺全般について、先人たちは何と言っているかを紹介します。神殺の各論については“hiroto的”四柱推命古法推命編の第3回に書きます。
 ここでいう神殺論集というのは、神殺について論じたものではなく、単に「あの人は神殺についてこう言っています」というものを集めたものです。
 ついでにいえば、この章に限らず「論集」と名付けたものは、いわゆる論文集ではなく、単なる研究者の論を集めたもの、というぐらいのものです。
 この神殺論集についていえば、論とまでも言わない単なる意見表明みたいなものも集めています。ただ、意外と意見にはバリエーションがなくて、結構多くの術者が同じようなことを言っていますので、結果として数は少なくなりました。
 ところで、古法推命を論じるときは神殺は必須なのですが、格局用神を重んじる術者は概して神殺を使わない、もしくは軽くみています。それはなぜなのか、そのあたりも終わりの方で論じたいと思います。
 なお、私の手元にある書から引いているので、多少偏りはあるかもしれませんが、そのへんはご容赦ください。
 まずは日本の神殺否定論者の著書から。




『五術占い全書』(張耀文、佐藤六龍著)

現在行われているある一部の推命術は、五行の多少・強弱の調和をいう推命術よりさらに程度のひくい神殺推命術で、これは正しいとか誤ったとかいう以前のもので、「推命」という名称は使えない別の幼稚な占術です。
 私が四柱推命に本格的に取り組んだ最初の本がこの『五術占い全書』で、この本を最初に取り上げたのはそういう理由です。この部分を読んだとき軽いショックを受けたのを覚えています。というのは、それまでも竹内照夫氏や千種堅氏の四柱推命の本は読んでいてそれで四柱推命は事足れりと思っていたのですが(我ながら浅はかでした)、それを真っ向から否定された感じを受けたからです。
 で、長らく透派は神殺否定派だと思っていたのですが、透派は必ずしも神殺を否定しているものではないことがそのうちにわかりました。それがわかってこの文をよく読むと、神殺を全否定しているわけではなく、神殺(文意からは変通星や十二運も含んでいる)の一つを取り上げて、それで判断する推命を批判しているわけです。実際透派の『子平大法』には神殺も取り上げられています。それは後ほど紹介します。
 次はもっと神殺に手厳しい書を。



『未来予知学としての四柱推命入門』(武田考玄著)

つまり、“一切の神殺は不用”であります。もし神殺をあれこれ言うようでしたなら、占い的四柱推命家であると断じてよろしいのです。
 こう言われると、ひねくれ者の私は、四柱推命は占いではないのでしょうか? と突っ込みたくなります。また、占い的四柱推命で結構です、と開き直りたくなります。
 また、同書では「中国の名著、良書とされている命書では、神殺は一切否定されております。」と書かれています。うーん、この言い方もどうかと。おそらく武田師の名著とは『滴天髄』とか『子平真詮』とか『命理約言』とかなのでしょう。もちろんその三書は名著であるということは私も認めますが、名著とか良書とかの基準は、多分に主観的であり、武田師は神殺を認めない書を名著・良書と見ているのではないかと思いたくなるぐらいです。
 何だか、私は武田氏を悪者扱いしているようですが、そうではなく、武田師は日本の推命界の巨星といってもいい存在であり、また多くの優秀なお弟子さんを生み出した方で、立派な術者だと思っています。この本は入門と称してはいますが、非常に中身の濃い高度な本です。私も多くの人に薦めました。ただ、こうやって頭から神殺を否定する態度には、私はうなづけないということです。

 張耀文師、佐藤六龍師や武田考玄師師のお弟子さんはたくさんおられて、その方々もだいたいは神殺否定論者なのでありますが、その一人である陽史明師の著作をみてみましょう。



『最新四柱推命理論 神殺と雑格』(陽史明著)

 「神殺」とは閑殺とも呼ばれているもので、日本では特に好まれて使用されているものですが、それのみでかなりの事象を推察しようとしている命家もあり、その歴史を見るに四柱推命がここまで発展する家庭においてはいたし方ない必要悪のようなところもありましたが、現在においては本来の四柱推命理論で推察するべきであり、そうしたものには不必要、というより間違った推察に走ること疑いなく無視すべきであります。排除すべきであります。
(中略しますが、いろいろな神殺の由来などを述べています)
 ひとつ「神殺」とされていますが例外的なものがあります。『魁[ゴウ]』
 この「魁[ゴウ]とは戌を河魁とし、辰を天[ゴウ]とした奇門遁甲よりの命名であるのは明白ですが、十干支あるうちの四干支のみをあげている根拠は多くの経験則からという以外には見つかりません。私自身も異常に体験し証明もできますが、生時不明でも認知できたのでしょう。実証的にも論理的にも無視できないところあり暗示としては参考とすべきものがあるのは認めざるを得ません。
 この本は日本の四柱推命書の入門書(にしてはちょっと難しいが)の中では、非常に良い本であると思います。ですから、神殺についてもバッサリと切ってしまえばいいのに、と思うのですが、なぜか魁[ゴウ]だけは認めています。それと“論理的にも無視できない”とはどういう意味でしょうか?“実証的に無視できない”というのは意味がわかりますが…。
 まあ、神殺嫌いの陽史明師が魁[ゴウ]だけは認めているということは注目すべきことかと思います。

 ここまで日本の神殺否定論者をあげてきましたが、次に多くの師らが良書としている原書を見てみましょう。



『滴天髄 婦孺』(一部抜粋)

 三奇二徳虚好語、咸池駅馬半推詳

 三奇や天徳月徳は虚構の話であり、咸池や駅馬はあまり詳しく考えないことである。
 何の本だったか忘れてしまい探せていないのですが、とある日本の推命書にこの部分を取り上げて、「このように滴天髄も神殺を否定している」とありました。その書にあげられた後半は「咸池駅馬莫推詳」だったかもしれません。そうであればなおさら神殺を否定しているような句であります。
 ただ、この句は『滴天髄』の「婦孺」(女命章)にあるのであり、「神殺論」というような章で述べているのではありません。とすれば、この句は女命の話限定とは言えないでしょうか?すなわち、三奇や二徳のような神殺は女性には当てはまりませんよ、咸池や駅馬はまあ半分程度ですよ、ということで、言外には男性には適用できるというニュアンスを含んでいるのではないかという感じがします。
 ただし、神殺を否定しないにしても、『滴天髄』は神殺を重視はしていない(というかほとんど見ない)のは間違いないところです。それは日干を中心として干支五行の強弱旺衰で推命する方法においては、神殺は(正しい間違いは別として)むしろ邪魔でしょう。



『命理約言 諸神殺論一』

旧書称神殺一百二十位、一一細推起例、毫無義理者、十嘗七八且一字毎聚吉凶神殺十余、禍福何以取断、此皆術家逞臆妄造、毎一書出、則増数種、欲以何説惑人、即立何等名色、往往数殺只是一殺、嘗稽歴日所載、尚多相沿之弊、何況通書命書乎、今考定神殺如天徳、月徳、貴人、月将、空亡、之類、皆有義理、其余従太歳起者、為真、不従太歳起者為妄、真者精択而存之、妄者悉挙而削之、或疑相沿既久、未必無験、不知人命吉凶、皆由格局運気、安可以偶合神殺而信之、即如桃花、流霞、紅艶、等殺、為男女淫欲之徴、然端人正士、烈婦貞女、犯之者甚多、況桃花殺亥卯未在子、寅午戌在卯、巳酉丑在午、申子辰在酉、皆五行生印、流霞殺如乙遇申乃正官、丙遇寅乃長生、辛遇酉乃禄神、何所見其淫褻乎、且春花無不妖冶、何独桃為淫花、干支字面相見、有何紅色艶態、神殺誕妄、皆此類也、但一一闢之、太費辞説、達理之士、自当暁然耳。

(多少意訳しています)  旧書に神殺と言われるものは120ぐらいあって、一つひとつの出し方を説明しているが、いささかも意味のないものが7、8割であり、さらに1つの字に吉凶神殺が10余りもついている。禍福をどうとればいいのであろうか。これらはみな術家の憶測妄想に基づくものであり、一書が出るたびまた数種の神殺が増える。言説で人を惑わし、新たに名前や意味づけをしているが、往々にしていろいろな神殺は元をただせば一つの神殺なのである。かつて暦日につながっていたものが多く徐々に広まっていき、通書命書まで広がりその弊害は大きくなっている。(このあたり意訳)今天徳、月徳、貴人、月将、空亡の類の神殺を考えると、それらは意味があるものであり、またその他の太歳から起こす神殺も真とするが、太歳から起こさないものは妄想である。真なるものは詳しくそれを選んでいけばよいが、妄なるものは悉く削る。あるいは徐々に広まり長く言われるものは、必ずしも効験のないものとも言えない。人命の吉凶は皆格局運気によることを知らず、たまたまうまく合った神殺を信じてしまう。例えば桃花とか流霞とか紅艶とかの殺は男女淫欲の徴とされているが、身持ちのいい男性でも豪快であったり貞淑であったりする女性でもこの殺を持っている人は多いのである。さらに桃花殺は亥卯未の子、寅午戌の卯、巳酉丑の午、申子辰の酉であり、みな五行の印である。流霞殺は乙が申正官に遇う場合、丙が寅長生に遇う場合、辛が酉禄神に遇う場合であり、どうして淫猥であろうか。さらにいえば春の花はなにも妖しくはないのに、なぜ桃を淫花とするのか、干支字面をみると、どうして紅色が艶態であろうか。神殺は妄想の産物とはこのようなことである。いちいちこれについて解き明かすのは言説の浪費であり、達理の士は自ら明らかにするべきである。
 『諸神殺論 二』もあるのですが、やや各論に入っていくのでここでは訳すのをやめました。作者の陳素庵(と言われる)は、これだけ読めば神殺に対してきちんと選択すればいいような意見ですが、他の論も読むと神殺に対しては概して否定的です。おおざっぱにいえば干支五行の強弱生剋制化をきちんと見れれば神殺は必要ではないという立場です。その見方からは確かに神殺は不要(というより見るべきではない)というのは筋が通っていると私は思います。
 なお、中村文聡師の『推命判断秘法』の諸神殺論には、この部分が引用されて、そのあといろいろな神殺を説明しています。面白いのは、その節の後半で「日本人はどういうものか、鑑定に際してコマゴマと調べてみると、鑑定者が非常に親切で丁寧にみてくれたと思ったりするくせがある」と述べています。それで、神殺を縷々論じているとのこと。



『子平真詮 論星辰無関格局』(一部抜粋)

八字格局、専以月令配四柱、至於星辰好悪、既不能為生剋之用、又何以操成敗之権、況於局有礙、即財官美物、尚不能済、何論吉星、於局有用、即七殺傷官、何謂凶神乎、是以格局既成、即使満盤孤辰八殺、何損其貴、格局既破、即便満盤天徳貴人、何以為功、今人、不知軽重、見是吉星、遂致放却用神、不管四柱、妄論貴賤、謬談禍福、甚可笑也。


 命式の格局はもっぱら月令から四柱に配すれば、神殺の良し悪しはすでにその生剋の用とはならないのであって、どうして成敗を左右するようなことがあるだろうか。さらに局に障害があれば、財官などのよい変通があってもそれは解決できないのであり、どうして吉星を論じる必要があるだろうか。また局が有用であれば、七殺傷官も凶神とは言えないのである。格局がすでに成立しているところに、孤辰八殺がいっぱいであろうともその貴を損なうことはなく、格局が既に破れていれば、天徳や貴人がいっぱいであろうと、その効果はないのである。今の人は、その軽重を知らず、吉星をみれば用神は放り出して、四柱全体をみずに、みだりに貴賤を論じ、間違った禍福を談ずる。まったくもって可笑しなことである。

 沈孝膽は格局を重視するのが正しい「子平」であるという立場なので、上の陳素庵と同様、神殺に対しては否定的です。沈孝膽のいう格局というのは、まあ端的にいえば、命式における干支五行のバランスのことであり、それらのバランスがとれていれば、何も神殺を論じる必要はないと言っていますわけです。それが彼の命式の見方であり、それはそれでいいのではないでしょうか。



『子平粋言 古法論命 引言』(一部抜粋)

子平沿虚中之旧、而虚中之法、出於五星、故至今有許多格局名称、與五星同、如月建称為月垣、同在一支称為同宮皆沿五星之旧也。
推算禄命於格局地位富貴貧賎寿夭、子平法実較古法為準確而有把握流年月建、則根本未有論及、研習命理者不能不求之於古法、然以神殺合子平、又矛盾重重、異説蜂起、今為窮源竟委起見、述古法論命於右。

 子平の古書である『李虚中命書』をみると、その方法は五星(七政推命術)から出ており、よって今にいたるまで多くの格局や名称が、五星と同じである。たとえば月建を月垣と言ったり、同じ支がある場合を同宮と言ったりするのはみな五星の旧法に沿ったものである。
格局によって地位、富貴、貧賎、寿夭を推命する、子平の法は実際古法に比べると正確に合っていて、流年月建を把握することができるが、根本はいまだに論及されていず、命理を学ぶ者は古法にそれを求めずにはいられない。しかし子平に合わせて神殺を見るのは、矛盾が非常に多く、異説もどんどん出てくるのであって、いまその根源と経過を究明してみるために、古法論命を述べた。

 後で私の考えは述べますが、格局的な見方と神殺は矛盾が多々出てくると述べているようです。徐楽吾師は、この書において神殺についてかなりページをさいて記述していますが、どちらかといえば否定派でしょう。


 これまでは神殺否定論者の説でした。いずれも格局や干支五行の関係で推命をする師なので、神殺を不要とするのは至極当然のことです。
 ただ、そういう見方をする人でも神殺を部分的に用いている人はいます。そういう人の論をあげてみました。



『四柱推命の秘密』(歌丸光四郎著)

 四柱推命の最初は四柱に干支を配当するだけで、あとは五行陰陽の理論によって運命を判断したものである。これがオーソドックスなやり方である。神殺などというのは後世の添加物に過ぎないものであって、確たる理論的根拠の乏しいものであるから、こういうものをどれほどたくさん並べてみても、推論の足しにはならない。
 私は神殺を捨てて、貴人を採用することにした。貴人というのは守護神のことである。貴人も一種の神殺ではないかと言われれば、それは確かにその通りであるが、少しくニュアンスが違う。(以下略)
 読めばわかるとおりです。歌丸師は正格のみを採用して、従格などの外格はとらない見方をするのですが、なぜか貴人だけは採用しています。その理由は原本を読んでください。まあかいつまんでいえば、本人の経験から貴人だけはどうも不思議な作用があるようだとしています。また、歌丸師は現代のほとんどの術者が否定する納音五行についても作用があるようだとしています。そのあたりも本をご参照ください。



『先天八字推命術入門』(鮑黎明著)

 あくまでも格局を主に、吉凶星(神殺のこと)を副にして判断するわけですが、だからといって吉凶星を重視しないということではありません。吉凶星は吉凶星でまた格局からは洞察できない微妙な特徴や人生におけるさまざまな禍福を知ることができるのです。
 ちなみに「先天八字」の源流である唐代の李虚中の占術は、この吉凶星を縦横に駆使して判断するというものでした。ですから、数多くの吉凶星を命式に配して占うのは、「先天八字」の古流であるともいえるのです。(中略)
 筆者がここでいいたいのは、吉凶星による判断はあくまで参考程度にとどめてほしいということ。つまり、吉凶星は格局からみた吉凶判断を補足するものというふうに認識しておいてください。
 透派や武田考玄師のお弟子さんたちは別として、日本の四柱推命家の多くが鮑師と同じような考えだろうと思います。私も“hiroto的”第1の方法で見る場合は、この考え方に近いです。



『第二編 子平』(福妥友嘉利著)

 月運は神殺でなければ当たりません。必ずしも喜忌をくわしく見る必要がありません。月運の喜忌ははっきりしないということです。多くの説がありますが、どの説を取ってよいのか信じがたいのです。この透派の説が最も真実です。
 これは『透派子平大法』の訳文だということです。私は透派ではないので、ほんとかどうかはわかりません。透派は先にも述べましたように干支五行の強弱、格局を重視するのですが、月運だけは神殺で見るとしています。この説は、四柱推命の見方では割と独特な考え方です。私思うに、これは七政占星術の影響だと思います。というより神殺というのは占星術(星宿)が源流でしょう。
 具体的な神殺の使い方は本を参照してください。



『新命理探原 凡例』(袁樹珊著中村文聡訳)

 子平神峯に記載してある神殺は同じでないので詳略した。また、吉凶のよるところの理、用法も不完備であり、人毎にこれを疑うような説は避けるべきだと思ったからである。故に理が通り用いるべきだと信じた神殺二十種をあげ、各家の意見を参考とし、その諸説を折衷し、その本原を明らかにして、その用法を述べてみた。それは後賢の便をはかるためばかりでなく、古人の星命の真諦を伝えるためでもある。
 近代(という時代区分がいいのかはおいといて)の名人袁樹珊の手になる『命理探原』の序文ですが、師は20ぐらいは用いるべきだとしており、神殺否定ではありません。この書によって学んだ日本の推命家は多いと思いますし、影響を与えていると思います。

 現在の日本の四柱推命家(算命学は別として)で、神殺を(補佐的な見方ではなく)重視していると公言している術者は私は寡聞にして知りません。よって日本の推命家の神殺重視の論は紹介できません。が、最近中国香港台湾では盲派命理が徐々に流行ってきているようで、その派では神殺を重視しています。最後にそれを紹介します。



『盲派批命大掲秘 神殺批命「真霊」』(玄真著)

宋代的《淵海子平》一書是我国首部成系統的命理学著作、他余後来的《三命通会》、《神峰通考》一直到民国的〈千里命稿〉等命理著作、都提到了用神殺批命的内容。但是〈滴天髄〉這部命理経典著作却主張「廃神殺」、「軽格局」、対後来命理学産生了不小的影響。当今不少命理研究者和応用者也認為神殺是「糟粕」、一概廃棄不用。據筆者親眼所見、建国前夕和解放初期、不少被当地群衆喩為「神算」、「半仙」的算命先生中、批命時幾乎都離不開神殺。今天、仍然有「専靠神殺吃飯」的算命先生、他們的準確率也並不低下。
早在上世紀五、六十年代、筆者親眼見両位盲師伝現場批命、前一位只用神殺其準確率可達七成、後一位盲師伝準確率在八成以上、令筆者佩服得五体投地。為将「神殺批命」這一絶招学到手、還拝這位年過八旬的盲師伝為筆者的「乾爺」、筆者即是盲師伝的関門弟子、又是盲師伝的乾孫、有了這双重関係、自然師伝無保留地将「神殺批命」絶招伝給了筆者、現将部分絶招公開。

 宋代の『淵海子平』は我が国最初の系統だった命理学の著作である。またその後に出た『三命通会』『神峰通考』から『千里命稿』にいたるまで、みな神殺で命を見る方法を取り上げている。ただ『滴天髄』は「神殺を捨てるべき」「格局は軽く見る」と主張した著作であり、その後に出た命理学には多大な影響を与えている。今や少なからぬ命理研究者や応用者が神殺を「かす」みたいに思っており、すべてを廃棄して利用していない。しかしながら筆者の見るところでは、建国前と解放初期には、少なからず当地の民衆が「神算」とか「半仙」とか例えていた算命先生のうち、ほとんどは神殺から離れず(つまりは神殺によって)推命していた。今日も、まだ依然として「もっぱら神殺に頼って生活している」算命先生はいるが、彼らの当たる確率は別に低下しているわけではない。
 20世紀の5、60年代、筆者は二人の盲目の先生の推命の現場を見たが、前者はただ神殺を用いただけで当たる確率は7割はあったし、もう一人は8割以上であった。筆者は感服して拝み倒し、まさに「神殺推命」というほとんど失われた学を手に入れ、なおまだ80歳を過ぎた師を「乾爺」(義理の爺さん)として拝み、すなわち筆者はその弟子となり、また「乾孫」となったのである。この二つの関係から、自然と師は「神殺推命」をあますところなく筆者に伝えたのである。いままさにその一部を公開しよう。
 とくに解説は不要でしょう。四柱推命書を上梓するような術者で、いまや神殺をこのように擁護するのは、盲派の人たちぐらいになっているような感じです。(本を出さない市井の術者にはまだまだ神殺重視の人が多いとは思いますが)



 ここで、各書でどのような神殺が解説されているか、列挙してみましょう。多くは『淵海子平』に拠っていると思われるので、それと同じ神殺を取り上げている術者、研究者が多いです。
 なお、『星平会海』『三命通会』『子平粋言』や阿部泰山師の著作は、取り上げている神殺が多く、載せるのも大変なので割愛しました。また日本や中国台湾の著作で他と同じようなものは省略しました。

徐升淵海子平 玉堂天乙貴人、天官貴人、太極貴人、三奇貴人、月徳貴人、月徳合、天徳貴人、天厨貴人、
福星貴人、三元、十干禄、駅馬、天赦、華蓋、十干学堂、十干食禄、金輿禄、拱禄、交禄、
暗禄、夾禄、垣城、帝座、六甲空亡(天中殺)、截路空亡、四大空亡、十悪大敗日、
四廃日、天地転殺、天羅地網、羊刃
張楠命理正宗 天乙貴人、天徳、月徳、学堂、官貴学館、華蓋、将星、駅馬、天赦、福徳秀気、福星貴人、
六甲空亡、喪門、弔客、勾神、絞神、孤神、寡宿、隔角、咸池、返吟、伏吟、元辰、劫殺、
破軍、懸針、紫暗星、流霞殺、衝天殺、五鬼殺、紅艶殺、呑陥、三丘五墓、天羅地網、
馬前神殺、流年星曜、太白星、斧劈星、孤虚星
袁樹珊命理探原 天徳、月徳、月将、天赦、天乙貴人、文昌、華蓋、将星、駅馬、三奇、六甲空亡、四大空亡、
十悪大敗、四廃、天地転殺、劫殺、亡神、天羅、地網、咸池、羊刃
尤達人命理通鑑(1961) 天徳、天徳合、月徳、月徳合、月将、天赦、天乙貴人、文昌、六神、陽刃飛刃、紅艶殺、
咸池、華蓋、将星、駅馬、劫殺、亡神、学堂詞館、六甲空亡及孤虚、四大空亡、四廃日、
三奇、十悪大敗、天地転殺、天羅地網、紅鸞天喜解神、十霊日、六秀日、魁[ゴウ]日、
天医星
張g平星命術語宝鑑 丙徳、癸徳、天徳、月徳、三会徳、六合徳、日徳、福徳、官貴、天乙貴人、日貴、拱貴、
文昌貴、八馬分金(駅馬天馬当の解説)、花壇春秋(桃花の解説)、禄空、差錯、天赦、
天殺星、六吉曜、六凶曜、華蓋、進神、孤鸞
星雲山人流年点断真訣(1985) 昼貴人、夜貴人、文昌、食神禄、官星貴人、福星貴人、陽刃、流霞、紅艶、六秀、魁[ゴウ]、
進神、金神、金輿、学堂、暗禄、禄勲、天徳貴人、月徳貴人、紅鸞、天喜、月合、月空、
血刃、喪門、白虎、吊客、病符、天哭、披頭、勾殺、絞殺、飛符、暴敗、天狗、刃殺、鋒殺、
天解、地解、桃花、的殺、亡神、劫殺、天耗、飛廉、穿心六害、三刑、伏吟、孤辰、寡宿、
黄幡、豹尾、馬前諸殺、駕前神殺、駕後神殺、陰錯陽差、呻吟殺、桃花劫
凌志軒四柱博観(2003) 天乙貴人、天禄、羊刃、文昌、学堂、駅馬、桃花、将星、華蓋、劫殺、亡神、天干桃花、
日支桃花、倒挿桃花、裸体桃花、遍野桃花、滾浪桃花、紅艶殺、正桃花、桃花劫、
淫欲妨害殺、陽陰殺、墻外桃花、桃花殺、桃花刃、官星桃花、正印桃花、天徳桃花、
傷官桃花、五殺簪花、日主桃花、登明足艶、荐枕星、紅鸞、天喜、天徳、月徳、三奇、
日貴、日徳、十天禄、魁[ゴウ]、六甲空亡、金輿、学堂
歌丸光四郎四柱推命の秘密(1979) 太極貴人、天乙貴人、福星貴人、天厨貴人、天官貴人、天福貴人、文星貴人、節度貴人
内田勝郎四柱推命術の見方(1976) 命宮、注受、魁[ゴウ]、淫欲殺、日刃、陽差、陰差、妨害殺、禄馬同郷、三奇、天乙貴人、
文昌貴人、福星貴人、暗禄、羊刃、金輿禄、紅艶、天徳貴人、天徳合、月徳貴人、月徳合、
華蓋、咸池、劫殺、駅馬、
洪ピ謨
姜玉珍
中国算命術(1992訳) 天徳、月徳、三奇、天乙貴人、天赦、十干禄、文昌、将星、魁[ゴウ]、華蓋、駅馬、羊刃、
桃花殺、孤辰寡宿、亡神、六甲空亡、十悪大敗
鮑黎明先天八字推命入門(1994) 天乙貴人、文昌貴人、羊刃、禄元、紅艶、天徳貴人、月徳貴人、将星、華蓋、駅馬、亡神、
劫殺、桃花、孤辰寡宿、喪門弔客、元辰、桃花劫、陰錯陽差、魁[ゴウ]、日貴、日徳、
天赦日、四廃日、十悪大敗日、空亡、月将
福妥友嘉利第二編・子平(2002)
(子平大法から)
陰刃、陽刃、天存、天魁、天姚、天刑、右弼、左輔、駅馬、将星、攀鞍、歳駅、息神、華蓋、
劫殺、災殺、天殺、指背、咸池、月殺、亡神、月建、晦気、喪門、貫索、官符、少耗、大耗、
龍徳、白虎、天徳




あとがき

 私の所有する書の著者が神殺をどうみているかを一覧表にまとめようかと思っていたのですが、とてもめんどくさいので、それはやめにしました。(本が多すぎるし)
 非常におおざっぱにいうと、現在の日本の四柱推命家の半分くらいは、神殺は補助的なものとみており、あとの3〜4割は神殺否定派、その他の1割は神殺はそもそも見ない派(増永篤彦師を代表とするいわゆる生日類型学の人たちなど)で、神殺を肯定して縦横無尽に使い倒す術者はごくわずか(1割もいないんじゃないかなあ)だと思います。(算命学の術者はまた違うとは思いますが)
 私の考えはというと、「当たれば何でもいいんじゃない」という、いつものとおりいいかげんなものです。
 しかしながら、ちょっと理屈を言わせてもらうと(私の場合はへりくつだとかみさんに言われますが)、現在広く行われている子平命理というのは、日干を中心として干支五行の強弱やその関係をもとに命式をある格局や用神に「一元」化して(『四柱推命術密儀』の用語を拝借しました)評価するものです。ですから、一元化したあとは神殺という判断基準を用いる必要はなく、またせっかく一元的に評価したものをひっくり返すようなものは不要というか、却って邪魔なものだといえるでしょう。したがって格局用神を使う術者が神殺を使うのはその推命の方法からいって、邪道とまではいいませんが、どちらかといえば正しくないといえます。
 ところが、古法の神殺を使う見方というのは、命式を多角的に捉えて判断(推命)の蓋然性を高める見方であり(これは“hiroto的”古法推命編で述べています)、格局用神を使う見方とは異なります。この見方の場合は、ある一つの神殺だけを取って判断するのは無謀であり、判断を誤る可能性が大きくなります。数多くの命式の特徴を総合することが必要で、その特徴を示す神殺は多ければ多いほどよく、であるがゆえに神殺は自然と増えていくわけです。よく神殺が数多い理由を「江湖の術者が自らの見方を誇示するために勝手に名前を付けて加えていった」という人がいますが、まあそういう面もあるでしょうが、蓋然性を高めるためには数が増えていくのはやむを得なかっただろうと、私は思います。
 話は変わりますが、個人的な趣味を言わせてもらえば、神殺の名称には独特のものがあり、その字面が示す雰囲気というのは、推命に彩りを与えてくれるような気がします。これは推命の正しさとか正統性とかとは関係なく、あくまで個人の好みなわけですが、そういう彩りを与えてくれる神殺について研究を深めていきたいと考えています。“hiroto的”四柱推命古法推命編で、神殺の効用を追求していく予定です。



   作成 2014年3月22日