「心印賦」和訳


■ はじめに

「心印賦」は大六壬の基礎的なことをごく簡単にまとめた賦で、大六壬の賦としてはポピュラーなものです。「六壬指南」の巻一に取り上げられていることからも、基礎だと考えられていたことがわかるでしょう。
 今回、この「心印賦」を訳すにあたり、なるべく意味を損なわない程度に、簡明に訳すことを心がけました。テキストおよび注釈は「六壬指南」を参考にしていますが、注釈にあるようなごたごたした説明は省き、原文の意味をほぼそのまま訳しています。ただ、ところどころ私なりの訳になっていますが、あくまで基礎ということで、六壬の一般的な考え方からは逸脱していないつもりです。





六壬如入先明日辰、以月将加占時之上、視陰陽為四課之分。
賊克為初用之始、相因作中末之身。克多比用渉害。無克是以遥嗔。夫昴星当俯仰於酉上。若別責取干支之合神。伏吟以刑冲為定。八専以逆順為真

 六壬の課式を立てるには、まず日干支を明らかにして、占時の上に月将を加え、陽神陰神を求めて四課とする。
 賊剋をまずは発用の第一候補として、それをもとに中伝と末伝を求める。剋が多い場合は、比用、渉害をとり、剋がない場合は遥剋をとる。
 昴星というのは酉の上神あるいは下神を発用としてとる。もし別責ならば日干支の合神をとる。伏吟は刑冲をもって発用を決定し、八専は逆順をもって発用をとるのが正しい。

 ここでいう陰陽とは、陽神と陰神のことです。一課は日干の陽神であり、二課は日干の陰神です。三課は日支の陽神であり、四課は日支の陰神です。
 嗔というのは憤るという意味ですが、ここでは剋と同じような意味でしょう。注においても遥剋の説明をしています。


天乙居中、後六前五。
解紛必嘱事於童僕。
升堂宜投書於公府。
憑幾可謁見於家。
登車宜訴詞於路。
巳午受貢兮君喜臣歓。
辰戌懐怒兮下憂上辱。
移途則有求幹之栄。
列席則有酒筵之娯。
還絳宮担然安居。
入私室不遑寧所。

 天乙貴人を真ん中にして、後ろに六つ、前に五つの十二天将がある。
 貴人が子に居る場合を解紛といい、部下や目下の者に業務を委嘱することを表す。
 貴人が丑に居る場合を升堂といい、文書を公の役所に提出するのがよい。
 貴人が寅に居る場合を憑幾といい、私邸でえらい人に会うのがよい。
 貴人が卯に居る場合を登車といい、訴状を公開して皆に訴えるのがよい。
 貴人が巳午に居る場合を受貢といい、君も臣も皆喜ぶ。ただし君臣の別は必要である。
 貴人が辰戌に居る場合を懐怒といい、下々は心配し上は辱しめをうける。
 貴人が申に居る場合を移途といい、求めたことを得られる。
 貴人が未に居る場合を列席といい、宴会の楽しみがある。
 貴人が亥に居る場合を還絳宮といい、物事を担ってかつ安泰である。
 貴人が酉に居る場合を入私室といい、あわてふためくことがない。

 以下、”居る”という言葉を使いますが、これは”乗ずる”と”居る”の二つの言葉を兼ねていると考えてください。「六壬指南」の注では”居る”という言葉を使っていますが、”乗ずる”場合の象意も含みます。ところで、”乗ずる”とはその支神に付くことであり、”居る”というのは”乗ずる”支神の地盤支であることを指すとされますが、ここではややこしいので、”居る”という言葉で統一しています。ちなみに、”乗ずる”場合でないのは、例えば貴人と辰戌の場合です。貴人は決して辰戌に乗ずることはありません。すなわち、その場合は”居る”でいいわけです。
 3行目の升堂ですが、文書を公の役所に提出するとは、私心をもたずに公明正大であるのがよく、そうすれば公の役所に堂々と申し出ることができる、というぐらいの意味でしょう。以下、このように寓意的に書かれているので、同じように類推を働かせてみてください。
 最後の行の「遑」とは、暇という意味とあわてるという相反する意味があります。注釈からこのような訳としました。


但見螣蛇驚疑擾乱。
掩目則無患無憂。
蟠亀則禍消福善。
生角露歯禍福両途。
乗霧飛空休祥不弁。
入林兮鋒不可砍。
墜水兮従心無患。
当門而御剣総是成災。
入塚而象龍並為釈難。
 螣蛇というのは、驚きや疑い、擾乱を示すものである。
 螣蛇が子に居る場合を掩目といい、苦労や心配ごとはない。
 螣蛇が丑に居る場合を蟠亀といい、禍は消え善ならば福となる。
 螣蛇が寅に居る場合を生角といい、酉に居る場合を露歯という。禍福が分かれる。
 螣蛇が巳に居る場合を乗霧といい、午に居る場合を飛空という。良し悪しがはっきりしない。
 螣蛇が未に居る場合を入林といい、その木は鋒でも切ることができない。
 螣蛇が亥に居る場合を墜水といい、自分の思うところに従えば悪いことはない。
 螣蛇が卯に居る場合を当門といい、申に居る場合を御剣という。総じて災いとなる。
 螣蛇が戌に居る場合を入塚といい、辰に居る場合を象龍という。困難を解消するとする。

 一部の訳は注を参考にしています。
 4行目の生角、露歯ですが、生角が福、露歯が禍です。


朱雀南方文書可防。
損羽也自傷難進。
掩目也動静得昌。
安巣兮遅滞沈溺。
投網兮乖錯遺亡。
励嘴御符怪異経官詞訟。
臨墳入水悲哀且在鶏窗。
官災起蓋因夜噪。
音信至都縁画翔。

 朱雀は南方、文書などを示す凶将である。
 朱雀が子に居るのを損羽といい、自ら傷つき進むのが難しい。
 朱雀が丑に居るのを掩目といい、動静ともに吉とする。
 朱雀が寅、卯に居るのを安巣といい、遅滞や溺れることを意味する。
 朱雀が辰、戌に居るのを投網といい、間違いや亡失することを意味する。
 朱雀が申に居るのを励嘴といい、午に居るのを御符という。怪異や訴訟事を意味する。
 朱雀が未に居るのを臨墳といい、亥に居るのを入水という。悲しみ哀れで、さらに鳥小屋にいるようなものである。
 朱雀が酉に居るのを夜噪といい、役人につかまるような災いがある。
 朱雀が巳に居るのを画翔といい、音信、文書にまつわることがある。

 5行目の乖錯遺亡とはもっぱら文書のことであるとする考え方もあります。
 7行目は何だか表現がおどろおどろしいですが、注によると、文書が役に立たず悲しいことを意味しているとのことです。原文から考えるに思うようにならないことではないかと思います。


粤有六合之神婚姻佳会。
待命和同、不諧驚悸。
反目兮無礼之事端。
私竄兮不明之囚地。
乗軒結髪従媒酌而成歓。
違礼亡羞因妄冒而加罪。
升堂入室併為已就之占。
納采粧厳総是欲成之例。

 六合は婚姻や宴会を意味する。
 六合が亥に居るのを待命といい、和同を意味する。
 六合が巳に居るのを不諧といい、驚き恐れることがある。
 六合が子に居るのを反目といい、無礼なことの発端となる。
 六合が酉に居るのを私竄といい、事が明らかにならない(方がよい)。
 六合が寅に居るのを乗軒といい、髪を結って媒酌に従って喜びがある。(結婚、婚約の象)
 六合が辰に居るのを違礼といい、戌に居るのを亡羞という。自制を失い罪をうけることになる。
 六合が午に居るのを升堂といい、卯に居るのを入室という。すでに事は成就したり成就可能であるということを意味する。
 六合が未に居るのを納采といい、丑に居るのを粧厳という。総じて物事をなそうとして成就することとなる。

 3行目の反目ですが、六合は乙卯の木神ですから、子と卯がいわゆる無礼の刑になるためです。


或逢勾陳発用必然闘訟争官。
更遇受越投機被辱暗遭毒害。
遭囚兮宜上書。
捧印兮有封拝。
臨門兮家不和。
披刃兮身遭責。
升堂有獄吏以勾通。
反目因他人而逆戻。
入駅下獄往来詞訟稽留。
趨戸搴裳返復勾連改革。

 勾陳が発用にあれば、必ず闘争や訴訟ごとに関することとなる。
 勾陳が丑に居るのを受越といい、子に居るのを投機という。人のはずかしめや害を受けることになる。
 勾陳が寅に居るのを遭囚といい、訴え出るのによい。
 勾陳が巳に居るのを捧印といい、地位や名誉を受ける。
 勾陳が卯に居るのを臨門といい、家庭不和となる。
 勾陳が酉に居るのを披刃といい、自分が責めを負うことになる。
 勾陳が辰に居るのを升堂といい、獄吏が結託する。(罪を負う)
 勾陳が午に居るのを反目といい、他人に逆に引き戻される。
 勾陳が未に居るのを入駅といい、戌に居るのを下獄という。訴訟の行方はわからず、先へ進まない。
 勾陳が申に居るのを趨戸といい、亥に居るのを搴裳という。変化と停滞を行ったりきたりする。

 以下は訳を読めばわかると思いますので、注はしばらく付けません。


青龍財喜雖主亨通。
在陸蟠泥所謀未遂。
登魁兮小人争財。
飛天兮君子欲動。
乗雲駆雷利以経営。
傷鱗摧角宜乎安静。
焼身掩目因財有不測之憂。
入海遊江因動有非常之慶。

 青龍は財帛、喜慶、享通をあらわす。
 青龍が未に居るのを在陸といい、丑に居るのを蟠泥という。望むところは実現できない。
 青龍が戌に居るのを登魁といい、つまらぬ者たちが財を争う。
 青龍が辰に居るのを飛天といい、君子が物事を始めるときである。
 青龍が寅に居るのを乗雲といい、卯に居るのを駆雷という。計画、商売について利がある。
 青龍が申に居るのを傷鱗といい、酉に居るのを摧角という。身を慎んで安静にしているのがよい。
 青龍が午に居るのを焼身といい、巳に居るのを掩目という。財によって思いがけない心配事がある。
 青龍が子に居るのを入海といい、亥に居るのを遊江という。行動することでたいへんな喜びがある。



後一天后之神蔽匿陰私之婦。
守閨治事動止多宜。
倚戸臨門奸淫未足。
搴幃伏枕非嘆息而呻吟。
裸体毀粧不悲哭而羞辱。
優遊間暇蓋因理髪修容。
悚懼恐惶縁為偸窺沐浴。

 貴人の一つ後ろが天后であり、隠しごとや秘密、女性をあらわす。
 天后が子に居るのを守閨といい、亥に居るのを治事という。動くによく止まるによい。
 天后が酉に居るのを倚戸といい、卯に居るのを臨門という。よこしまでみだらなことが続く。
 天后が戌に居るのを搴幃といい、午に居るのを伏枕という。嘆息したり事に困って呻吟したりする。
 天后が巳に居るのを裸体といい、辰に居るのを毀粧という。嘆き悲しんだり辱しめを受けたりする。
 天后が寅に居るのを理髪といい、申に居るのを修容という。ゆったりとして平穏な時間を楽しむ。
 天后が丑に居るのを偸窺といい、未に居るのを沐浴という。おそれたり疑ったりするようなことがある。



太陰所為蔽匿禍福其来不明。
垂簾則妾婦相侮。
入内則尊貴相蒙。
被察兮当憂怪異。
造庭兮宜備乖争。
跣足脱巾財物文書暗動。
裸形伏枕盗賊口舌憂驚。
閉戸観書雅称士人之致。
微行執政偏宜君子之貞。

 太陰は隠し事であり、禍福ともはっきりしない。
 太陰が子に居るのを垂簾といい、妾婦、慢心、侮蔑を意味する。
 太陰が丑に居るのを入内といい、尊いりっぱな人でも先はわからない。
 太陰が戌に居るのを被察といい、まさに怪異を心配する。
 太陰が辰に居るのを造庭といい、争いごとに備えるのがよい。
 太陰が寅に居るのを跣足といい、午に居るのを脱巾という。財や文書が知らないうちに行き来する。
 太陰が亥に居るのを裸形といい、巳に居るのを伏枕という。盗賊や口舌、心配事、驚くようなことを意味する。
 太陰が酉に居るのを閉戸といい、未に居るのを観書という。風雅な大人の境地である。
 太陰が卯に居るのを微行といい、申に居るのを執政という。ひとえに身を慎んで君子のように正道を歩むのがよい。



玄武遺亡陰賊走失。
撒髪有畏捕之心。
升堂有干求之意。
愛寅兮入林難尋。
悪辰兮失路自制。
窺戸也家有盗賊。
反顧也虚獲驚悸。
伏蔵則隠於深邃之郷。
不成必敗於酒食之地。
截路抜剣賊懐悪攻之而反傷。
折足遭囚賊失勢擒之而可得。

 玄武は遺亡、賊、隠し事、失踪、紛失などを意味する。
 玄武が子に居るのを撒髪といい、(賊などを)捕まえるのを恐れる。
 玄武が丑に居るのを升堂といい、物事を要求する意味がある。
 玄武が寅に居るのを入林といい、盗賊などを探すのは難しい。
 玄武が辰に居るのを失路といい、君子自ら盗賊などを制して消えうせるという意味がある。
 玄武が卯に居るのを窺戸といい、盗賊が家にいる象である。
 玄武が巳に居るのを反顧といい、盗賊が捕らえられるのではとびくびくしている象である。
 玄武が亥に居るのを伏蔵といい、盗賊は奥深いところに隠れており捕まえるのが難しい。
 玄武が未に居るのを不成といい、盗賊は酒食の場所にいて容易に捕まる。
 玄武が午に居るのを截路といい、酉に居るのを抜剣という。盗賊を捕まえようと攻めてもかえって傷を負う。
 玄武が申に居るのを折足といい、戌に居るのを遭囚という。賊は勢いを失いとりこにすることができる。



太常筵会酒食相奉。
遭枷必値決罰。
側目須遭讒佞。
遣冠也財物遭傷。
逆命也尊卑起訟。
御杯受爵不転職而遷官。
鋳印捧觴不徴召而喜慶。
乗軒有改拝之封。
佩印有用遷之命。
亥為徴召難喜而必下憎。
酉作券書雖順而防後競。
 太常は宴会、酒食、衣類等を意味する。
 太常が子に居るのを遭枷といい、必ず罰を受けることになる。
 太常が寅に居るのを側目といい、必ず他人にうまいことを言われておとしいれられる。
 太常が卯に居るのを遣冠といい、財物が傷つけられる。
 太常が戌に居るのを逆命といい、尊い者と卑しい者が争いを起こす。
 太常が申に居るのを御杯といい、丑に居るのを受爵という。職はかわらないのがよく、さらに昇進する。
 太常が巳に居るのを鋳印といい、未に居るのを捧觴という。召集されず用いられなくても喜びがある。
 太常が午に居るのを乗軒といい、主君が変わって褒美をもらう、君子の喜びの象である。
 太常が辰に居るのを佩印といい、職をうつる象である。
 太常が亥に居るのを徴召といい、喜びごとがあっても目下の者から憎まれる。
 太常が酉に居るのを券書といい、始めは順調でも後からの争いごとを防ぐ必要がある。



白虎道路官災病喪。
溺水音書不至。
焚身禍害反昌。
臨門兮折傷人口。
在野兮損壊牛羊。
登山掌生殺之柄。
落穽脱桎梏之殃。
御牒無凶主可持其喜信。
咥人有害終不見乎休祥。
 白虎は道路、官災、病気、喪亡などを意味する。
 白虎が子に居るのを溺水といい、連絡が途絶える意味がある。
 白虎が午に居るのを焚身といい、災いや害が消失して繁栄する。
 白虎が丑に居るのを在野といい、牛羊などの家畜が損壊する。
 白虎が寅に居るのを登山といい、生きるか死ぬかのことになる。普通の人にとっては凶。
 白虎が戌に居るのを落穽といい、束縛される災いから逃れられる。
 白虎が申に居るのを御牒といい、凶ではなくよい知らせを得ることになる。
 白虎が辰に居るのを咥人といい、害がありついにはいいことがなく終わってしまう。



天空奏書之神以天乙尊者無封。
神将所主休徴必察卦名之義。
 天空とは天子に向って書を奏上する意味があり、貴人に対しても封ぜられることはない。
 十二支と十二天将での意味するところは、必ず卦名の意味を察しなければならない。



元首象天重審法地、象天者先喜而後憂、法地者先迷而後利。
知一則得一為宜。
見機則不俟終日。
遥克所卜難成。
別責所占罔済。
冬蛇掩目虚驚而終不傷人。
虎視転蓬出外而稽留不起。
伏吟任信宜用静去盗非遥。
返吟無依則復旧往来不一。
八専之意不宜男子波波、幃薄之名不利婦人嬉嬉。
 元首は象天で重審は法地である。象天とはまず喜びがあり後に憂いがあることであり、法地とはまず悩むことがありそして後に利があることである。
 知一はすなわち一つを選ぶことがよい。  渉害の深いものを見機といい、時機をみてすぐに手をうたなければならない。
 遥剋は占うことが明らかになりにくい。
 別責は占うことに終わりがない。
 冬蛇掩目は驚くようなことがあっても、人を傷つけることはない。
 虎視転蓬は出て行ったものは留まり戻ってこない。
 伏吟任信は静かにしているのがよく、盗賊はそう遠くへは行っていない。
 返吟は頼るものがなく、往来は一定しない。
 八専の意味は男子がそわそわすることはよくなく、幃薄においては婦人が笑っているのには利はない。

 最後の行の幃薄とは幃薄不修課のことであり、八専課で六合、天后が三伝にある課をいいます。淫乱の意味があります。


龍首塁逢君命恩賜頻加。
龍戦屡見改革災禍不定。
官爵改拝升遷。
富貴増財吉慶。
斫輪鋳印、官職須遷。
高蓋乗軒、鼎席必致。
蕪淫主琴瑟不調。
泆女必涜乱太甚。
是知三交為蔵匿。
九醜定災殃。
斬関不利安居、波波不定。
遊子不遑寧処、碌碌無常。
天獄憂刑罪責。
天網囚繋災傷。
懸胎主隠匿蔵懐為胎孕。
贅婿主伏潜屈辱或依傍。
無禄之名是上驕而下弱。
絶嗣之意乃下逆而上傷。
又為励徳以動揺為意。
乱首以悖逆為心。
 龍首(龍徳課)は君命を受けて恩賜を何度も受けることになる。
 龍戦は物事はどんどん変わり、災いは定まらない。
 官爵は主君がかわったり昇進、転職したりする。
 富貴は財が増え喜びごとが多い。
 斫輪、鋳印は官職において昇進することになる。
 高蓋乗軒(軒蓋課)は重要な地位につくことになる。
 蕪淫は主に夫婦仲が悪くなる。
 泆女は必ず淫乱、背徳がはなはだしい。
 三交は秘密の隠し事とする。
 九醜はきっと災いがある。
 斬関はじっとしているのは不利であり、そわそわして安定しない。
 遊子もまた安定しておらず、あくせくとしてじっとしていない。
 天獄は刑罰を心配し罪を責められる。
 天網は獄につながれ、災いで傷つく。
 懸胎(玄胎課)は主として隠し事であり、妊娠胎児のこととする。
 贅婿は主に人に屈し辱しめをうけることであり、あるいは他人にたよることになる。
 無禄は上はおごりたかぶり下は弱いの象がある。
 絶嗣は下が反逆し上が傷つくことになる。
 励徳は動揺するという意味がある。
 乱首は背き反逆するという意味がある。



稼穡定自微而至著。
曲直必福善而禍淫。
巳酉丑倶逢則傷情革故。
寅午戌全見則意欲成親。
原夫潤下之道惟宜施恵於人。
 稼穡はわずかなことが大きくなるようなことがある。
 曲直は福ならばますます福が大きくなり、災いがあれば災いはますます深くなる。
 従革は傷をうけ、ものごとは新しくなる。
 炎上は物事が急に進みまた相親しくなろうとする。
 潤下は人に施しをするのがよい。



凡断吉凶占従将意。
大抵功曹為用木器文書。
伝送加臨行程信息。
太衝盗賊及車船。
従魁金銀與奴婢。
辰為闘訟兼主喪亡。
戌為欺詐或称印綬。
登明徴召太乙非災。
勝光火怪絲綿。
神后陰私婦女。
未為衣物筵賓。
丑号田宅園囿。
 およそ吉凶を判断するに将や神の意味に従って占う。
 だいたい功曹寅は木器や文書を意味する。
 伝送申は旅行や手紙、信書を意味する。
 太衝卯は盗賊や車、船を意味する。
 従魁酉は金銀や奴婢を意味する。
 天罡辰は戦闘、訴訟および死亡などを意味する。
 河魁戌は詐欺や印綬を意味する。
 登明亥は徴召を意味し貴人があれば災いはない。
 勝光午は光明や怪異、綿糸や布などを意味する。
 神后子は秘密や婦女を意味する。
 小吉未は衣服や冠、宴席や賓客などを意味する。
 大吉丑は田んぼや家、庭などを意味する。



大吉小吉会勾陳因田宅而争訟。
従魁河魁乗六合為奴僕之逃亡。
文宜青龍不戦、武欲太常無事。
登科者禄馬扶会。不第者刑害倶併。
投書宜虎勾無気。
捕賊欲玄武相侵。
若候雨占風須看青龍白虎。
若遷官進職宜観天吏天城。
動望行人視二八卯酉之限。
追逃亡盗捕四六玄武之陰。
失件必詳勝光而可見。
亡財則察玄武而可尋。
 丑未が勾陳に会うのは田宅による訴訟を意味する。
 酉戌に六合があるのは奴僕が逃亡することを意味する。
 文をみるならば青龍が剋にあったり刑せられたりしないのがよい。
 武をみるならば太常が剋にあったり刑せられたりしないのがよい。
 試験に合格するのは、禄神と駅馬があり生じられている。
 試験に不合格なのは、刑害がともにある場合である。
 意見を訴える場合には、白虎や勾陳が強くないのがよい。
 賊を捕まえるには、玄武が剋されるのがよい。
 天候を占って風雨を示すのは、青龍と白虎である。
 転職、昇進等は寅申(天吏、天城)を見るときである。
 旅行や移動する人を占うには、二八卯酉の限を見る。
 盗賊の逃げた場所は、四六玄武の陰をみる。
 失物は必ず勝光午を詳しくみれば見つかる。
 財をなくしたら玄武をよくみればさがすべきところがわかる。

 二八卯酉之限ですが、注によると、東南に行く人を占えば、酉を途中とし子の上神が応期(到着する時)であり、西北に行く人を占えば卯を途中とし午の上神が応期であるとするとあります。ちょっと意味不明で、これについては後日検討します。
 四六玄武之陰とは、盗賊を捕らえるためには、玄武の陰神をみて彼がどこにいるかを知る、という意味です。


此皆略挙其綱要在智者臨時而審情。
若夫旺気求就官職、相気経営利禄、囚気囚繋呻吟、死気死亡悲哭、休気疾病淹延、詳在四時丘墓。
相加孟仲万事新鮮、季上逢之互為故旧。歓欣在旺相之中、悲哀在死囚之処。
 これらはみなその綱要の大体をあげたものだが、占うにあたっては情況をよく審査せよ。
 旺気は官職につく。生気は経営利益を得るのによい。囚気は刑につながれて苦しむ。死気は死亡や悲しみがある。休気は疾病が長く続く。丘墓があるのは必ず凶である。
 孟仲神が発用であるのは万事新しいことであり、季神が発用なのは旧事のことである。発用が旺相するのは喜びであり、死囚であるのは悲哀がある。

 一部注を参考にして訳しています。


凡見火加水上亡遺口舌非寧。火入金郷淫泆奸邪未息。水加土位逢財、若在火官遷職。木逢水則流落他郷。水遇土則人財散失。金居火上則疾病死亡。土臨木地則田宅訟起。金加火位中伝有水無妨。火入水郷末得鎮星復歓。
 火が水の上にあるのは、口舌、遺亡のことがあり不安になる。火が金の上にあれば、淫らでよこしまなことが終わらない。水が土の上にあるときは財となり、火の上にあるときは官職、転職に関することである。木が水の上にあるときは落ちぶれて故郷を離れる。水が土の上にあるときは財であるが、散財失財となる。金が火の上にあるのは疾病死亡である。土が木の上にあるときは田宅についての訴訟が起きる。金が火の上にあるとき中伝に水があれば大丈夫である。火が水の上にあって末伝に土があれば凶とならない。

 ここも注を参考にして訳しています。


貴人順行凶将少降禍殃、天乙逆行吉将聊施恩恵。逢災遇悩上下皆凶、招利求祥始終倶吉。凶神刑害災禍連綿、吉将相生歓欣不已。凶神和合逢災不至深危、吉将逢傷賜福終非全美。
 順貴人であって、凶の天将がある場合は災いは多少少なくなり、貴人が逆行であって吉の天将がある場合は多少の恩恵がある。災いにあったり悩みがあったりするのは、課伝がみな凶である。利を招いたり幸福が得られたりするのは、三伝とも吉の場合である。凶神で刑や害があるのは災いが続き、吉将が相生しているのは喜びがつきないものである。凶神が緩和されれば災いがそこまで深刻にならないし、吉将が傷に合うのは福といってもたいしたことにはならないのである。



日辰有彼此之殊、神将有尊卑之異。辰来克日諸事難成、日往克辰所謀皆遂。
男逢災厄須以日上推窮、女遇迍邅但向辰宮尋覚。
先凶後吉終成喜慶之徴、始吉終凶必見悲哀之兆。
初刑末位災来果係無軽、末克初伝禍至須知亦小。
 日干支は自分と相手の関係であり、支神と天将にはそれぞれ尊卑の差がある。
 日支が日干を剋するのは物事が成就しないが、日干が日支を剋するのは思うようになる。
 男性が災厄にあうのは、干上が悪いと考えられ、女性が物事が滞るのは日支に対する作用をみる必要がある。
 始めが凶で終わりが吉なのは喜ばしいしるしであり、始めが吉で終わりが凶なのは結局悲哀をみることになる。
 初伝が末伝を刑するのは、災いが来れば、結果は軽くない。末伝が初伝を剋するのは災いがあっても小さくなると考えればよい。

 注によると、貴神が上に来るのは尊であり、月将が下にくるのは卑であるとあります。月将とは太陽(の位置)ですから、月将は下に来ない方がいいわけです。


先賢以時作先鋒、占万事皆必可指。
若乃被刑則侵欺詭詐、乗馬則揺動遷移。
冲支冲干彼己不遑寧処、同辰同日爾我蹇滞逢疑。
時日相生迭為恩恵、生克其辰宅有災祥。
所以遇子遇午若往若来、値卯値酉為門為戸。
更宜視以用及伝、終当察其生與畏。
大抵克多則事繁、克少則事一。
鬼臨所畏当憂而不憂、財在鬼郷聞喜而不喜。
神将互克占及夫妻、同類来傷事因兄弟。
財遇天空兮産業須傷、鬼臨旬尾兮官災不起。
吉神臨凶卦之中無咎争之道、悪殺臨吉卦之内無歓忻之理。
殺雖悪生我則其喜終至、将雖良克我則其憂不已。
凶神無吉也合干則訟休、吉神無凶也克日則禍起。
更若識其通変挙一隅而不待復矣。
 先賢は占時を先鋒として、占時がキーポイントだとした。
 占時が刑せられれば詐欺とかだまされることになり、駅馬、天馬が乗れば動きがあったり引っ越したりするとする。
 日支を冲したり日干を冲したりすれば、相手も自分も落ち着かない。日支と日干が同じであれば相手も自分も困難にあい物事は滞り疑心暗鬼になる。
 時日が相生するのは恩恵にあう。日支を生剋するのは家のことに災いや幸運がある。また子にあい午にあうのは往来を示し、卯があり酉があるのは門戸とする。
 さらに発用と三伝をみて、その生や刑剋などを観察しなければならない。
 大抵は剋が多いのは物事は繁雑であり、剋が少ないのは物事が一つに定まる。
 官鬼だからといって弱くなれば憂いも憂いでなくなる。財が官鬼の上にあれば、財といっても喜びではなくなる。
 神将が互いに剋の場合は夫妻のことに及び、同じであれば兄弟のことを示す。
 財が天空に遇えば事業には傷がつく。官鬼が旬尾であれば官の災いは起きない。
 吉神が凶卦にあっても争いごとや咎めはなく、悪殺が吉卦にあれば喜ぶことはない。
 神殺が悪くても我を生じるのは結果は喜びとなる。将がよくても我を剋するのは憂いがやむことがない。
 凶神で吉がなくても日干を合すれば訴訟はやみ、吉神で凶がなくても日干を剋せば災いが起こる。
 このようにその通変を知るならば、一を聞いて何度も繰り返す必要がない。

 各論をずっと述べてきましたが、最後に全体的な見方をまとめとしています。なかなかしゃれた構成だと思います。


■ あとがき

 「心印賦」の訳はこれで終わりです。後半になればなるほど、かなり意訳したりはしょったりしていますが、これは訳者が疲れたためです。簡単な訳になっているところも、実は深い意味がある場合が多く、こまめに注を付けなければいけなかったのでしょうが、いつものとおり気力がだんだんを失せてしまうのです。訳しているうちに新鮮味に欠けてくるというべきか…。
 はじめにも書いたとおり、「大六壬指南巻一」を参考にしています。比較的手に入りやすいので、一読をお薦めします。




   作成 :  2009年5月 5日
   改訂 :  2021年1月21日  内容修正およびHTML5への対応

このページのトップに戻る