98年度北京師範大学短期留学の引率を終えて
外国語学部中国語学科講師 加藤晴子

 今年度の短期留学も無事終了した。今年の北京は日本や韓国からの観光客が少なく,これも経済状況の反映かと思われた。北京師範大学で受け入れた短期留学生も今年は少なかったそうで,宿舎と教員の不足もあり,特に交流協定のある大学に限って受け入れたとのこと。おかげで,例年より落ち着いた,勉学に相応しい雰囲気の中で過ごすことができた。
 今回参加したほとんどの学生にとって,初めての滞在になる北京は,私にとっては1年半ぶりの北京だった。90年代に入ってから激しく変化し続けている北京だが,今回もパソコンの普及振りや冷房バスの登場,香港・日本並みのデパートの開店など,新しい顔を見せてくれた。10年前留学した頃には想像もできなかったような留学生活を,今の留学生は送ることができる。
 一方で,北京師範大学の宿舎自体は古いスタイルで,冷房なし,トイレ・シャワーは共同,便利な日本での生活に慣れた学生たちには,最初かなり辛かったようだ。毎朝8時からみっちり3時間半の授業に疲れ,慣れない生活に体調を崩し,出掛けようにも右も左も分からず不安で,師範大学で万里の長城や故宮観光、京劇観賞に連れて行ってくれる他は,宿舎でおとなしくしていることが多かった。
 そんな学生を尻目に,引率教員は旧知を訪ね,書店に通い,お気に入りの場所を回ったりなどするのだが,何度行っても結局いつも同じ場所を同じコースで訪ねることになる。私にとってはすっかり変わってしまった北京だが,旧友と話して見ると,北京にずっと住んでいる彼らより、むしろ時々出かける私の方が変化に敏感なようだ。前はこうだった、ああだったと言ってみても、そっけない返事が多く、すべてが一旅行者の感傷に過ぎないことを思い知らされる。
 そう気づいてみれば,初めて来た学生にとっては今,目の前の北京がすべて,一人一人がそれぞれの北京のイメージを作りつつあるのだ。いつまでも古いものにこだわっていては取り残されてしまう。最初はおとなしかった学生達も,帰国する頃にはすっかり自信をつけ,引率教員も行ったことのないような場所に出入したりし始める。心配でもあり,うれしくもあり,少し羨ましいような,複雑な気持ちになるのであった。
 最後に、帰国便に乗り合わせた大勢の日本人を見て、ある学生が発したことばをお伝えしよう。「日本人って……顔に力がない。」(1989.8.27記)

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