「われらはみだしっ子」

 グレアムアンジーサーニンマックス、4人揃っての放浪の旅の出発地点。このときの彼らの年齢は順に7歳、7歳、5歳、5歳だった。
 それぞれがそれぞれの理由で親を嫌い家を出てきた4人。とある喫茶店に身を寄せ、そこのマスターとその妹ローリーに世話になっていたが、「ボク達がほしいのは親という名を持った人間じゃなく…ホントに愛してくれる人」なのだということを遂には誰にも理解してもらえなかった。
 喫茶店を後にした4人は雪降るクリスマス・イブの路上で“恋人”=ホントに愛してくれる人を待つ。やがて衰弱しきった彼らの前にひとりの紳士が現われ“恋人”の名乗りを上げた。ハッピー!「メリークリスマス!!」。が、物語はそこで終わらなかった。終わってしまっては「はみだしっ子」にならない。
 その紳士が実は病院勤めの医師だったことから、彼らは自分たちの立場が単に患者に過ぎないのだと悟り、だまされたお返しに病院の入院費を踏み倒してトンズラする。
 「何とでも言うがいいサ! ボク達も言ってやろう。きれいな衣をまとった人よ、さようなら! ザマアミロ!!」──最終コマにこの太々しい捨てゼリフがあってはじめてストーリーは意味を持つ。「はみだしっ子」は社会の輪からはみだされてしまった子供たちの話ではない。自らの意志ではみだして生きることを選んだ子供たちの物語である。
 ところで4人がだまされたと信じた医師だが、彼こそ実は…のタネ明かしが遥か後にある。そう、彼こそ実は…だったのだ。


<memo>
■はみだしっ子Part1
■初出:花とゆめ1975年1月号
花とゆめコミックス『われらはみだしっ子』愛蔵版『はみだしっ子全集』第1巻文庫版『はみだしっ子』第1巻に所収
■コミックス収録時にラスト1ページをさしかえ。当初シリーズ化を予想していなかったためか、初出オリジナルのラストではいきなり5年後という設定で彼らのその後が描かれていた。雪降るクリスマスの日に、4人を思い出すローリーとマスター、そして例の医師。当の4人はといえば「ボク達今だにはみだしっ子!」だが、離れ離れになることもなく、したたかに生きている様子である。「いつも…やってくる日に向かって生きているのサ! ああメリークリスマス! ボク達は誰にも…何にもへつらいはしない! ハッピー ニューイヤー!」。杯を手にしての4人の笑顔が最終コマだった。
■愛蔵版、文庫版の再編にあたり一部台詞を修正。身体的差別を考慮しての措置と思われる。
■「はみだしっ子」の構想は高校時代からあったと三原順は語っている。授業中に書いた小説もどきの習作ノートが出発点だった。そこから「われらはみだしっ子」掲載に至るまでの経緯は「はみだしっ子メモリアル」(『はみだしっ子語録』文庫版『はみだしっ子』第6巻に収録)が詳しい。
■作中の七面鳥のおじいさんのエピソードは実話が土台。「倫理の授業で聞いて、まんがの材料にしようと思っていた」(『別冊花とゆめ』1981年夏の号より)。
■シリーズ名となった「はみだしっ子」は当時の白泉社編集部長が命名(『はみだしっ子語録』あとがきより)。
1997.7.11作成/1998.6.28改訂
1997.10.8改訂


「動物園のオリの中」

 酔いどれのレディ・ローズに拾われたグレアムアンジーサーニンマックスの4人。安アパートの一室で彼女と暮らし始めるが、近所の子供たち大人たちとの衝突が続き、果ては大乱闘の末、レディ・ローズともどもアパートを追い出されることになる。
 「あんた達…他人が何考えてるか…こわくないの? 私はいやよ!こわいわ!!  他人とうまくやるためにはしたくない我慢もするし、他人の動きを見るし…なぜあんた達は知らんぷりしてふんぞりかえってるのよ!? 腹立だしいわ」。レディ・ローズとの生活も終わった。
 まるで人間の動物園みたい、と4人が思ったアパートは窮屈な人間社会の縮図だろうか。それぞれがそれぞれのオリの中、観ているつもりが、その実誰もが観られている。そして各人には各人の思惑があり、言葉を介しても互いに理解し合うことは難しく、偏見や誤解がさらに溝を深めていく。
 アパートを去って道中、4人の中にすら亀裂が生じ、図らずも自分以外は全て他人なのだということが露呈する。しかし所詮は他人という結論には至らない。迷い込んだ雑踏の片隅で「こわい…。みんな何を考えてるのかわからない!」と蹲るマックスに、見知らぬ女の子が持っていたキャンディのありったけをプレゼントする。大勢の中のどこかに誰かこういう人もいるのだと信じることで不安を解消したマックス。彼の無邪気な笑顔がまた仲間3人の笑顔を呼んで、この話はハッピーエンドとなる。
 なおアパート滞在中に4人はひとりの男と出会っている。この男が、アパートを追い出された4人に訪ねてごらんとヨット仲間を紹介してくれた。一話読み切りの形をとりながらも物語はPart3「だから旗ふるの」へと続く。


<memo>
■はみだしっ子Part2
■初出:花とゆめ1975年13号
花とゆめコミックス『われらはみだしっ子』愛蔵版『はみだしっ子全集』第1巻文庫版『はみだしっ子』第1巻に所収
■「われらはみだしっ子」同様、初出にはラスト・ページに数年後の4人が描かれていた。「(ボクと女の子との間にあったキャンディの)あの味を知らないだろう? オリの中の住人共は! ザマアミロ!!」というマックスのモノローグが締めのコマ。
■Part1、Part2ともラスト・ページがコミックス収録時にさしかえられたことに対する三原氏のコメントは「ストーリーを過去進行形ではなく“現在進行形”で書きたくなってしまったという、作者の気まぐれで、別の見方をすれば……(中略)……あの姿になるまで、このストーリーを書きつづけようかという、一種ユウウツな話にもなるわけなのです」(『花とゆめ』1977年2号より)。
■「われらはみだしっ子」同様、愛蔵版、文庫版では台詞の一部に手が加えられている。
1997.7.14作成/1998.6.28改訂
1997.10.9改訂


「だから旗ふるの」

 ヨット好きの男に紹介してもらったマーチン氏を訪ねる道中の4人。立ち寄った港町でトラブルが起こる。
 グレアムに反発して仲間の元を飛び出したアンジーだったが、潜入した停泊船の中で居眠りしてる間に離島へと運ばれてしまった。どうせみんなボクなんかおいて行ってしまったろうと諦め顔で、彼はひとり記憶と戯れる。
 リフェールという名が本名であること。私生児として生まれ、伯母夫婦の家に預けられて育ったこと。ママが定期的に自分に会いに訪れるのを心待ちにしていたこと。小児麻痺に罹患し、右足が動かなくなったこと。そんな自分を見捨てて、ママが映画スターへの道を選んだこと。それでもママに会いたいと願い、家を出たこと。けれどやっとの思いで辿り着いたママの居場所はもはや自分には遠い世界、そこで浮浪児扱いされ、みじめさを喫したこと。その後サーニンと出会ったこと。彼のせいでアンジーという名にされてしまったこと。そして彼が温かく微笑みかけてくれたこと…。
 と、こうしてアンジー自身の回想により彼の生い立ちが明らかにされる。本編の主人公は言うまでもなくアンジーである。同様にしてPart4「雪だるまに雪はふる」ではサーニンの、Part5「階段のむこうには…」ではグレアムの過去が描かれ、彼らが各々以降もそれを引きずることによりシリーズとしての「はみだしっ子」もいよいよストーリーに幅と深みを見せるようになるのだが、その意味で、いわば先陣を果たしたこの作品の存在意義は決して小さくはないと思う。
 さて物語は回想を経て現実へと戻る。沖を通るボートを見つけて、アンジーは旗を手に離島の一軒家の屋根へと登るが、過去に覚えた不安と恐怖が彼を躊躇させ、旗を振ることができない。しかし勇気を振り絞り、ついにアンジーは大きく旗を振った。果たしてボートには仲間3人。アンジーを見捨てず迎えに来たのだ。溢れ出さんばかりの喜びに言葉もなくアンジーはさらに大きく旗を振る。
 一見してここでエンドでも良さそうだが、そうならないあたりが三原順らしい。物語に複数の筋を織り込む手法がさらにスペースを要求する。そもそもアンジーが何故グレアムに反発したかの解答と2人の和解の場面が静かに描かれ、そこでようやく幕となる。結びはアンジーの心中の科白「ボク達の船には船をまとめるキャプテンがいるよ」「だから…ボクは旗ふるの…」。
 4人を船、または同じ船に乗り合わせた仲間と例える表現はシリーズを通してしばしば見られるが、それが最初に用いられたのが本作である。そしてアンジーが、グレアムをキャプテンと認め、彼に絶対の信頼を置くようになったのもこの作品から。


<memo>
■はみだしっ子Part3
■初出:花とゆめ1975年19号
花とゆめコミックス『われらはみだしっ子』愛蔵版『はみだしっ子全集』第1巻文庫版『はみだしっ子』第1巻に所収
■前2作同様、愛蔵版、文庫版では台詞の一部に手が加えられている。
1997.7.18作成
1997.10.10改訂


「雪だるまに雪はふる」

 冬のスキー場を舞台にした物語。サーニンの生い立ちが明らかになる。
 発端は雪の中に現われた幽霊。他の3人には見えないが、サーニンには見える。自分を手招きしているのだと言う。「誰の幽霊?」「…ボクのママ…」「…死んだの?」「うん。雪の降ってる日にね…雪の中でだよ…」。こうして仲間の問いに答える形でサーニンは自身の過去を語り始める。
 本名はマイケル。両親とママの祖父とが同居する家に育ったが、ひいおじいちゃんとパパは日頃から折り合いが悪く、そのことに気を揉むママには息子を顧みる余裕さえあまりなかった。誰にも何も言えず、祖父と夫との争いをただ見ているより外に術を知らなかったママ。彼女は徐々に自分を追い詰めていき、結果、ある朝雪の中で狂死する。
 ママの死後、マイケルは話せなくなり、そのためパパにも退けられた。世間体を気にした叔母は、サーニンという名のペットのインコとともに彼を家の地下室に閉じ込める。やがて記憶と言葉を取り戻していく彼だったが、その過程の中で“マイケル”という名前は封印され、なおも地下室での生活はアンジーが偶然通りかかるその日まで続いた…。
 さてこの物語には4人の他に1組の母娘が登場する。娘のほうは名をエヴァといい、生まれつき心臓の弱く、それを理由にすれば全て自分の意のままになると思っている。一方の母親は、丈夫な身体に産んでやれなかった負い目ゆえ、娘に、そして周囲にも、終始何も言えずにいる。そしてストーリーは、サーニンがこの母親、板ばさみで身動きとれない可哀相な母親に、自身のママの姿を投影することによって、山場へと向かう。
 母親が何か言い出すのを待ちたいがため、サーニンは敢えてエヴァの不当な要求を呑む。彼女の命令に従い、沢山の雪だるまを作り続ける。しかし、望みは叶わなかった。頽れたサーニンはもはや可哀相だと思ってあげることにも疲れ、再び現われたママの幽霊に対しても哀しみと怒りをぶつける。結局ママはママ自身のことしか思っていない、そんなママなら雪だるまの方がましだ、と。
 欲しかったのは母からの愛。サーニンはついぞそれを手中にすることができなかった。次のセリフが胸に迫る。手を差し伸べたアンジーに向かって言うサーニンのセリフである。「ボクは…甘え方なんか知らない。だって…ママは…教えてくれなかった…」。しかし物語をここで終わらせないために、ラストには“スリードッグナイト”と呼ばれる古い言い伝えが用いられた。
 寒い雪の夜、犬が3匹いて暖めてくれると凍えないのだそうな。「一人と3匹! ボク達頭数あうでしょ」とマックス。一人と3人、今サーニンの傍には心を暖めてくれる仲間がいるのだとして、ここで幕となる。
 なお、余談。アンジーといえばタバコ、だが、本作には彼の初喫煙シーンが描かれている。彼にタバコの味を覚えさせたのは、スキー場のロッジのお兄さんだった。


<memo>
■はみだしっ子Part4
■初出:花とゆめ1975年23号
花とゆめコミックス『われらはみだしっ子』愛蔵版『はみだしっ子全集』第1巻文庫版『はみだしっ子』第1巻に所収
■前3作同様、愛蔵版、文庫版では台詞の一部に手が加えられている。
1997.8.10作成
1997.10.10改訂


つづく


JUN MIHARA Memorial [entrance]