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かつての近代日本の一般家庭で女児が遊んでいた「双六(すごろく)」はこうだった、と紹介する本を読んだことがあります。
その双六は、少女が世事を学び手習いを身につけて、勝ちとなる上がりは”お嫁さん”です。良妻賢母となるのが誉められるべき女性の姿ですよと、うやうやしく描かれています。
(*脚注をご参照ください。双六の負けに、”お妾さん”や”職業婦人”など入れたりしたら、ブラックユーモアですが。)
昔はそうだったんだ、と笑話にして終わりではありません。現代の日本でも”お嫁さん”を「上がり」だと考える人は、老若男女を問わず、いらっしゃると思います。
ゲームや小説、ドラマ、映画などでは、価値をはかる尺度が設定された上で、ストーリーが展開します。
ゲーム等に興奮し面白いと感じるのは、ゲーム等での価値尺度と自分が持っている価値尺度が合致しているときです。
優れた価値尺度には、ゲーム等が展開される舞台の文化、経済、政治などがキチンと整備され、また、尺度を作り上げるための価値の基準についての詳細な情報が前提として体系づけられています。
価値尺度を成立させる情報を体系づける際には、誰が(主体)、何のために(目的)、どのように(方法)して、どんな情報を構成しているか、がゲームの展開を大きく左右します。
表1の例をもとに考えてみましょう。
表1:構成する主体が異なると価値尺度はどう異なるか
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地域/国 |
職業/職種 |
勤務先/組織 |
個人 |
| 文化 |
日本文化 |
サラリーマン文化 |
(株)**社文化 |
私文化 |
| 経済 |
日本経済 |
サラリーマン経済 |
(株)**社経済 |
私経済 |
| 政治 |
日本政治 |
サラリーマン政治 |
(株)**社政治 |
私政治 |
日本国に暮らす、サラリーマンの「私」が、株式会社**社に勤務している、とします。
「私」は自分の趣味・思考・思想信条にもとづいて生きています。それと同時に、株式会社**社の就業規則、人事評価の基準、所属部署のミッション、自分の業務の年間目標などにより、毎日仕事をしています。また、毎月の給与から源泉所得税、社会保険料等を支払い、妻子を扶養家族として暮らしています。更に、消費税を払って買い物をし、自治体の選挙に投票し、盆暮れには実家の両親のもとへ帰省します。
「私」の身体はどこを切っても、金太郎飴のように「私」です。が、尺度となる情報を構成する主体が違うと「私」の意識と行動の見え方は違ってきます。国か、職業か、勤務先か、単に一個人なのか。
また逆に見て、「私」自身の文化、経済、政治などの尺度は、勤務先や職業、国が設けた尺度とは違います。「私」が会社を退職して無職になったり、自営業やフリーターである場合も、尺度は以前とは変化します。
「私」が”上がり”となる姿は、価値尺度が違えばまったくの別物に変わる、というわけです。
たとえば、今まで勤めていた(株)**社文化の「私」がそのまま新たな会社に転職したとします。転職先では価値尺度が違う別のゲームが展開せれています。しかし、価値尺度が前の会社のままでいると、転職先の会社文化と自分との間に隙間ができてしまいます。ゲームが成り立っていないことに気づかないでいるのです。その結果、「私」は私文化の崩壊に至るようになり、退職してしまうことにもなりかねません。
このホームページを書いている私自身のことを言います。
前職を退職後、再就職先を求めて人材紹介会社への登録やハローワークへ通うことを繰り返しました。
何社かの面接で履歴書、職務経歴書をもとに自己紹介・PRを行い、会社・業務の説明を受けました。
採用面接は、採用する会社側の求める人材像と私の実像とのマッチングの場です。
先ほどの双六のゲームでの見方からすると、会社にお勤めできる立派な”お嫁さん”を選ぶ/”お嫁さん”に上がるところです。
私は”お嫁さん”になれるか?
結論としては、難しいですね。「脱出」意識がまだなかった私は、採用されないことがイコール自分を否定されている、ように感じました。また、自分の別な感情も見えてきました。「もう、今までのようなサラリーマンにはなりたくないな」
私は、今までの「サラリーマンの自分」を拒絶したのです。自分が考えてきた”サラリーマンってこんな人”という形に自分を当てはめて生きることに、うんざりしていました。
サラリーマン双六を終わりにしたい。しかし、家庭がある。働いてお金を稼がないと、生きていけない。
そんなやるせない心のまま、職務経歴書のデータを経験した業務スキルごとに分類し、一覧表に作り直していた時に私は、はっと気づきました。自分の価値を組み替えてみたら、何かできるじゃないか、と。
それが、自分自身の「再構成(リコンフィギュレーション)」です。
一つの職種、一つの業務経験、一つの価値尺度に自分を切り取ったり、はめ込むのは、もう止めよう。
今までの自分が経験したことを振り返って、全く別な視点から世の中のことを、そして自分自身を捉え直してみようという野望を持つまでになりました。
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