1973年8月〜1975年3月   YAMAHA FS-1
大学に入って、普通免許を取って、初めて買ったバイクです。ヤマハのFS-1。50ccのバイクです。自転車で大阪まで行ってみようと思っていたところ。友達から、「それは辛いので、せめて原付にしろ」と言われ、上野で買いました。なにしろバイクというものに乗るのは全くの初めて。よく上野から乗って帰って来れたものだと思います。これで夏休みに岡山まで行って、帰りは能登を回って10日間の旅をしましした。その時の話は、また別に書く予定です。

1979年4月〜1981年10月 YAMAHA DT125
就職から1年。折からのオフロードブーム。しばらく乗っていなかったバイクに無性に乗りたくなりました。中型免許を取りにいって、近くの中古屋さんで買ったDT125。バイクなんてどれも同じと思っていたので、値段に合うものを何も悩みもせずに買ったのでした。バイク友達がいっぱいできて、ツーリングに出掛けると、みんなは楽々走っているのに、何故か自分だけ辛い思い。その原因は、4ストロークのXL125に乗せてもらって初めて分かりました。「えーっ、4ストってこんなに楽なの」って感じです。大概の坂道はシフトダウンせずに登って行くではありませんか。俺も4ストと瞬間的に欲しくなったのでした。

1981年10月〜1984年3月    HONDA XL250R
2ストロークから4ストロークへ。125から250へ。免許取り立ての癖に無理して買ったのはXL-250R。嬉しくて嬉しくて眠れないほどでした。でも足の短い私には、正直言って辛いときもありました。バイク屋さんから乗って帰るとき、緊張のあまり足がふるえ、爪先がつってしまったことを覚えています。これに乗っていろいろなところに出掛けたかったのですが、それは、夢のまま終わりました。5000キロほど乗った頃、どうしても手放さなくてはならなくなりました。大好きなバイクだっただけに、とても寂しい想いをしました。好きな彼女と好きなのに別れるみたいな。その理由は、モトクロスにありました。

担当していたヤマハで、バイクスクールを開催してくれました。写真は、その時のもの。バイクはDT-125だったと思います。天竜川の川原で20人くらい集まってジャンプだとか、川の渡り方とかを教えてもらったように思います。東京からわざわざ新幹線で行ったことが、何だかとても嬉しくて、仕事していて良かったと思ったのを今でも覚えています。

この頃モトクロスに凝りました。会社の仲間とアルバイトをしてお金を稼ぎ、すべてモトクロスにつぎ込みました。おそらくその当時で200万くらい。モトクロッサー2台。運搬用のバン、工具、ウエア、すべてを揃えて多摩川の川原で随分乗りました。
ところが下手が無理したためマシンが勝手にジャンプ。その下敷きになった私は、右足首8箇所の複雑骨折。すべてがそれで終わりました。入院1カ月、自宅療養2カ月。バイクに乗れるようになったのは1年後。チームは解散。会社の上司、お得意さまからも禁止命令。おまけに背の高い、キックの重いXL250Rは、無理になってしまったのです。モトクロスは止めて、これからはトライアルだ。トライアルならおじんになっても続けられるし、低いバイクだから、チビの自分にもできるはずだ。てなことで、本質は全く変わらないまま、方向転換がはかられたのです。

1984年3月〜89年4月       HONDA TLR200
足の骨を折った後、低くて楽なバイクということで、これにしました。その頃のトライアル・チャンピオンはエディー・ルジャーン。ビデオを買ってきて、憧れるままに、多摩川に行って随分練習しました。8の字の練習も何時間もやりました。それにしては全然上手にならないのです。スタンディングなんかもやっては見るけど数秒程度。そういえば、この頃最も仕事が忙しい頃でもありました。上手にならなかったわけは、仕事のせいにしておきましょう。

バイクのCM撮影でスペインに行ったときの写真です。このロケはかなり長期で、コマーシャル以外にもPR-VTRの撮影も行いました。バイクはSRX500。バイクと移動撮影車、ロケバス、機材車、そしてバイク運搬のトラックとコンボイを組んで、スペインの南部を走り回りました。スペインの風景の中では、どこを走っても絵になって、随分いろいろな撮影をしたように思います。この時の写真はもっといいのが沢山あると思うのですが、どこかにしまい込んだまま分かりません。まあ、取りあえずの写真です。場所は、スペインの南部の町です。町の名前も場所も正確には覚えていません。出もこの町には一泊して、町のディスコに行ったら、チークタイムがなく、フラメンコタイムだったのに驚かされました。まあ、思い出深いロケです。