この寄稿を、
故大森君に捧げます。








平成13年10月8日
植野 純


日本中にバイクを愛好する沢山の中年世代が存在していることを、最近特に嬉しく感じています。「不良中年友の会」のメンバーも、それぞれにバイクのある自由を思いきり楽しんでいらっしゃる。それはそれですごく良いことだし、その生き生きしている姿は、しょぼくれた都会の中年サラリーマンにはない輝きを持っています。自分自身もその仲間の端くれであることを誇りに思います。そして、そのバイクの自由をそれぞれの人がいつまでも続けてもらいたいためにも、また自分自身の自戒も含めて、「事故」について触れてみたいと思います。

誰もが事故を起こしたいとは決して思っていない。むしろ起きないことを願っている。当たり前のことです。でも、バイクは危険な乗り物だと、周囲からあまりに普通に言われているために、心の何処かに「事故はしかたないもの」という甘えはないでしょうか。または、一度や二度事故を知らなければ、一人前のライダーじゃない、という間違った意識が心の片隅にでもないでしょうか。また、自分だけ気をつけていても「もらい事故」と言うものがある。不可抗力、不可避な事故だってある。しかたない場合があるんだよ、と思う気持ちはないでしょうか。免停の時の講習をする公安のようなつもりは全くないけど、自分自身心のどこかにあるこんな気持ちを払拭しなければ、事故は必ず起こるように感じているのです。

「事故は絶対に起こさない」
すべてに例外なく、言い訳なく、そう心に誓い、強い意思を持つこと、そこから事故は無くせるように思っています。

私も含めて中年世代がバイクに乗ることは、残念ながら社会的な常識から言って特別なことの部類に属してしまいます。しかも人によっては、反社会的にも映ってしまいます。それは、暴走族を初めとした非行化の問題とは全く別で、
「いい歳をして、おかしいんじゃない。」とか
「奥さんよく許すわね。」とか
「何かあったら家族が可哀想。」とか、
いわば異なるものに対する否定、敵対の対象とされやすいのです。ご主人の趣味が、テニスや釣り、ゴルフであれば、自分の亭主もそうなので、
「困っちゃうわよねー。」
くらいで済むのですが、バイクとなると自分の暮らしに無縁なものであり、無用なものであることから排斥しようと言う立場に平気でなってしまいます。これは、人間の性ですからどうすることもできません。甘んじて受ける以外にないのです。バイクに乗る中年世代は、その家族共々そうした世間の目に晒されている事を十分に認識しなくてはなりません。こうした状況の中で、若者ではなく、社会と家族に責任ある中心人物の中年世代が、バイクで事故を起こすことは、本人は元より家族共々、場合によっては職場の上司まで含めて、恰好の餌食にされる危険が高いのです。私はこうした状況を肯定したいのではありません。でも現実はこうなんだという認識が必要です。一旦事故を起こすと、
「だから危ないって言ってたのよ。」とか
「お前のとーちゃん、バイクでぶつかって人に怪我させたんだろ」とか
「君の部下は何をやっとるんじゃ、管理がなってないぞ」
とか言われてしまうのです。中年世代のバイクには、乗って走る時のリスクとは別に、社会的なリスクも背負って乗っているのです。クルマで事故を起こした時の反応と、バイクで事故を起こした時の反応がまるで違うのはこうした社会的背景があることを、充分認識しなくてはいけないと思うのです。

つまり、中年世代がバイクに乗るということは、社会への大きな(余計なかも知れない)責任を負わされているのです。これを犯し、何らか社会に迷惑をかけた途端に、社会は同情的であった中年世代のバイクに対し、一瞬にして敵対するのです。バイク=危険=反社会。理性のない、節操のない、責任感のない大人のレッテルを貼られてしまうのです。迷惑が直接かかっていなくても、バイクというだけで、嫌悪感を露にするのです。
だから、絶対に事故を起こしてはいけないのです。自分が事故を起こすことに、100万分の1の甘えも許してはならないのです。「仕方ないことだってある」ですら、自分自身の中で許してはいけないのです。「絶対に事故は起こさない」という強い意思を持つ必要があり、その意思の下で、あらゆる危険を自ら取り除く努力を惜しんではならないのです。それは、自分との戦いです。もう少しアクセルを空けたい気持ちを押さえることかもしれません。若造の原付きに先を越されてカッときて、信号で飛び足したい気持ちを押さえることかもしれません。路面の状況がわからない公道で、サーキットではできたと同じコーナリングをやってみたい衝動を押さえることかもしれません。自分自身を律すること、それができなければ、「大人のバイク乗り」の資格はないと断言すらしたい気持ちなのです。

事故と言っても、いろいろあります。私がここで事故と言っているものには、一応の定義があります。例えば、ツーリングで山道を走り、やっと着いた休憩所で気が抜けて「立ちゴケ」した。これは、事故ではありません。やはりツーリングで、初心者の女の子に後ろから突っ込まれて、自分は大丈夫だったけど、突っ込んだ方が転けて擦りむいた。どんなにバイクにダメージがあっても、これも事故ではありません。また、林道を走っていて、立ちゴケ状態で道路下の崖から落ちて、脳震盪を起こした。これもそのおかげで、翌日から会社を休んだと言うことになると、立派な事故です。サーキット走行で、180キロで転倒して、病院、入院、これは事故。バイクはバラバラでも、本人はケロッとしている。これは事故ではない。
何が事故であり、事故でないのかと言えば、それは、社会に迷惑を掛けたかどうかで決まります。あなたが一日でもバイクが原因で休めば、事故なのです。あなただけではない。ぶつかった相手が、社会的に迷惑を掛ける結果になれば、事故なのです。ぶつかった相手ばかりでなく、その家族、会社、友達。誰かに影響を及ぼしたとたんに事故なのです。
だから、どんなことがあっても他人を傷つけてはいけない。そのとたんに、すべてバイクが悪者です。バイクに乗る中年なんて常識外れ、と言うことになります。次に、自分が傷ついてはいけない。少なくとも他人に知られてはいけない。クルマで追突されて首に輪を巻いて翌日会社にいっても、
「大変だったねー」で済んでしまうのに、バイクだと、
「いい歳してバイクなんか乗ってるからだ」となってしまうのです。だから何かあっても、社会に気が付かれてはならないのです。
事故を起こすとは、こう言うことです。

さて、起こさないようにするには、どうするのか。次のことを守ってもらいたいのです。
バイクに乗るとき、あらゆる場面で「事故は絶対に起こさない」と呟きましょう。そうすれば、まず気持ちが引き締まります。そして、自分の行動に自信が持てます。そして、自分が置かれている立場を想像しましょう。まず家族の顔、親や親戚の顔、友達、会社の上司、同僚、部下。近所の嫌なおばさん。一人一人の顔を思い出しながら、「事故は絶対起こさない」と呟くのです。ヘルメットの顎紐を締めて「事故は絶対起こさない」。バイクのイグニッションを入れて、エンジンの爆音とともに「事故は絶対起こさない」。ローに入れ、スタートを切る瞬間にも「事故は絶対起こさない」。信号で止まってスタートを切る瞬間にも「事故は絶対起こさない」。ひとつひとつ角を曲がろうとする瞬間も「事故は絶対起こさない」。そう、呟いてほしいのです。常にその気持ちを忘れず、自分を甘やかさないでほしいのです。

いま、バイクのある自由を満喫できる幸せを、いつまでも維持するために、事故は絶対起こしてはいけないのです。一瞬にして幸せが消え去る例は、あなたもご存知のはずです。あなたにそうなってもらいたくないのです。わたしもそうならないよう、心に固く誓います。