夏の盛り、今年2回目の桶川でのレインボーモータースクール。立っているだけでも汗がにじむ程の暑さの中での練習。それでも定員いっぱい、欠席者なし。バイクの何がここまで人を魅了するのだろう。来ている誰もが、上手になりたいという一心で一致している。私に比べればみんなずいぶん上手い。練習の必要なんてあるのかと思えるほど。でもなぜかみんなもっと上手になりたいと思っている。20人の悩めるライダー達。
バイクが上手とは、一体どういうことなのだろう。クルマではあまり考えられない世界。ただ走って、目的地に向かうだけならば、大型自動二輪免許を持っている腕前であれば、そうそう不自由はないはず。まあ、無理をしない、スピードを出さない、カッコイイところを見せようとしない、など注意点は様々あるけど、移動の道具として徹するならば、それでいいはず。ところがもっと上手になりたいと思う。それは先ほどの注意点を克服したい気持ちがバイクの場合、どうしてもニョキニョキと出てきてしまう乗り物だからなのだろう。
比較的狭い駐車場などで、どうしてもユーターンをしなくてはならない時、「無理をしない」の鉄則に従えば、バイクを降りて、押してユーターン。これが最も確実。でもバイク乗りには何故か屈辱。無理をしても、乗ったままユーターン。回り始めて、こんなつもりじゃなかったとコケる原因を自ら作ってしまう。
気持ちのよいワインディング・ロード。スイスイと走り抜けたい。しかも圧倒的なスピードで。しかし現実は、何故かいつも低レベルの限界で、コーナーもスピードもノタノタ。欲求不満が募るばかり。カッコイイという最後のテーマも、自分自身が納得していないのだから、カッコなんて好い訳がない。そう、つまりバイクは自分自身の技量が、自分で嫌と言うほど分かってしまう乗り物なんだ。渋滞のすり抜け然り、パーキングのスタート然り、ライダーとしての自分自身の一挙一動を自分自身が一番よく分かってる。「俺って、ほんとへたくそだよなー。もっとうまくなりてーな。」バイクってそう言う乗り物なんだ。だから、暑い中でも必死に練習するんだ。レインボーモータースクールに集まったライダー達は、少なくともこんな傾向があるだろう。今回の話は、一応それが前提。

練習の楽しみのひとつ、昼飯。この時に教官から全員に声がかかった。「高速道路での二人乗り走行についてご意見を伺いたい。何名か残ってほしい。」高速道路のタンデムについては、興味の深い私自身だ。よし、参加しようと言うわけで名乗りをあげた。へとへとに疲れた後のことだから、出来れば止めて早く帰りたい。でも、意見が言えるなら言いたいことが山ほどある。帰りはノロノロ安全運転で帰ればいいのさ。
というわけで練習終了後の5時から、会議室に集合。初級や上級のメンバーもいて、10名程度の参加者。最初にアンケートに答える。まあ、あなたは高速道路の二人乗りに賛成ですか、反対ですか。賛成の場合練習の必要はありますか。普段二人乗りをしていますか。などなど常識的な質問。その後、フリートーク。このフリートークで驚いた。
おそらく全員が「高速道路の二人乗り賛成」だと固く信じていたのに、賛成の方、と手を上げさせたら約半分。いや、反対のほうが多いくらい。えーっ、なぜ。あまりの期待はずれに驚く間もなく、その理由を聞いて、またまたびっくり。「二人乗りは危ないから反対」「僕のバイクは二人乗りに適さないから反対」「暴走族が高速に乗るから反対」。ちょっと待ってくれ。もう少し考えてくれ。心の中だけで押さえきれず、思わず発言してしまいました。

いま議論しているのは、「二人乗り」の問題ではなく、「高速道路での二人乗り」の問題なのです。二人乗りが危険であれば、「二人乗り」自体を禁止すべきで、一般道路は許されていて、高速道路だけが禁止されている現在の状況で、高速道路での二人乗りを許すべきかという議論とは根本的に異なります。確かに二人乗りは、一人で乗るより重量的に負荷がかかるわけで、バイクの安定性から言って良い方には向かわないことは確かで、それが即危険とされるのも不本意ですが、分からないではありません。しかし、現在二人乗りは、免許取得1年以上の経験があれば、法律的に許されているのです。ただし、高速道路での二人乗りが許されていない。その高速道路での二人乗りについて議論しようと言うのに、いきなり「二人乗りは危険だから反対」と言われてしまうと、議論の余地がない。せめて、「高い速度での二人乗りは、危険だから、高速道路での二人乗りは反対です」とくらい言ってほしい。まして、「僕の持ってるバイクは二人乗りに適さないから反対」などと言われてしまうと、せいぜい良いほうに考えても、「高速での二人乗りに適さないバイクもある。適さないバイクでの,,二人乗りは規制すべきだ。」くらいの曲解をしなくては、理解しがたい意見になってしまう。「暴走族が高速に乗るから反対」に至っては、じゃあ、いま暴走族が二人乗りで高速に乗らないのは、規制があるからですか、と聞きたくなる。本来違法行為をしている暴走族なのだから、いくら規制があっても高速道路に乗ろうと思えば乗る連中なのです。いま乗っていないのは、禁止されているからではなく、高速道路を暴走しても彼らは楽しくないからです。暴走族になったつもりで考えてください。彼らは、人のいる街中を目立つように騒音を立てて、敵と対立しながら走るのが楽しくてしかたないのです。そもそも長距離の移動を目的とした高速道路では、彼らは困ってしまうだけです。首都高速だって、つまらないでしょう。環状線などクルマばかりの所をぐるぐる回るだけしか出来ないのですから。そして、それは本来議論されるべき「高速道路での二人乗りの自由」という問題とはやっぱり外れているのです。
現在世界中で、高速道路、いわゆる自動車専用道路で、二輪車の二人乗りが禁止されているのは、日本と韓国だけです。しかし韓国は、二輪車自体が通行を禁止されていますから、実質的には日本だけが、「二人乗り禁止」なのです。もともと他国では、自動車専用道路だからと言って、料金を徴収することが殆どありません。アメリカのフリーウエイもドイツのアウトバーンも基本的に無料で、料金所なんてないのです。だから、どんな車が走っていい、悪いなんてとてもとても規制できないのが現状です。夫婦で二輪でタンデムで、長距離のツーリングにフリーウエイやアウトバーンを使うのは当たり前なのです。ハーレーやBMWは、そうした伝統から生まれてきてバイクです。アウトバーンには、制限速度もありません。ドイツ的な法律の考え方で、「どのくらいのスピードで走れば危険なのか、そんなことくらい大人のあなたは分かっているはずです。スピードを出しすぎて起こしたことはすべてあなたの責任です。その範囲内で、スピードを出すのはあなたの自由です。その自由を法律が規制すべきではありません。」という考え方です。だから高速道路で二人乗りをして、例え事故を起こしても、それは個人の責任です。道路管理者や行政に文句が言える筋合いではありません。それが社会のコモンセンスになっているのです。こうして考えてみると、確かに法律とか規制と言うものには大きく二つの考え方があります。
一つ目は、幼稚園の園児に統一的な生活をさせる時のような、「総縛り」の規制です。つまり、規制とは、危ないところに張り巡らした柵のようなもので、危険があると思われているところは、すべて規制してしまえ、側に近づけるなと言う考えです。高速道路は、何がなんでも制限速度100キロ。大型トラックは80キロ。ここのカーブは危ないかもしれないので、60キロが制限速度。それに違反したら罰するぞ、というものです。これはまさに園児を相手にしている園長先生です。騒いじゃいけない、そこに座ってなきゃいけない、鉄棒の高いほうはぶら下がっちゃいけない、木に登っちゃいけない、落ちたものを拾って食べちゃいけない。しかし良く考えてみるとこの規制の方法は、規制する側の責任逃れがその発想の発端になっていることに気が着くと思います。事故が起きた。でも道路管理者としては規制していた。規制を破ったから事故が起きた。ほら、規制を上回る猛スピードの110キロで走っていたようだ。私たちの責任じゃない。こんな考え、声が聞こえてきそうです。
もうひとつは、自由が基本で、出来るだけ規制をしないと言う考え方です。常識ある大人ならば、ここは危険だと言うことが分かるはずです。すべて良識に任せましょう。でも共同生活や他人の自由を侵すことがあって、法律的な違反を犯せば厳しく罰します。だから高速道路に制限速度など設けません。何キロで走ってもあなたの自由です。でもそれによって起こったことには全責任があなたにあるのです。現代が民主主義の世界観であり、個人の基本的な人権を出来るだけ尊重しようと言う考えに立てば、こちらも極めて合理的です。ただ、人間は良い人ばかりじゃない。悪い奴もいるんだ。危ない危ないという声も聞こえてきます。

どちらが正しいと結論をここで出したいのではありません。規制に対し、特に「高速道路での二人乗りの禁止」と言うことについての私たちの見解を持つべきだと思うのです。この問題に対し、規制がどのように働くのが最も多くの人にメリットを与えるのかを判断の基準にすべきです。危なそうだから、止めさせよう、では、納得できない人が沢山いるのですから。不合理な規制のために、返って危険を強いられている場合もあるのですから。

たとえば、400ccの普通のネイキッドバイク、SRとかCB400とかで二人乗りをします。彼女のお母さんが急病で、どうしても早く行かなくてはなりません。夜中、電車はない。車もない。大好きな彼女のために、バイクに乗せていってあげるよ、とあなたは男を見せます。東京から、静岡です。このとき、高速道路が使えないのです。一般道路を走らなくてはいけないのです。どちらが早く、しかも安全に彼女を送り届けられますか。信号だらけ、わき道だらけ、対向車も歩行者もいる一般道路。箱根を超えていくのですよ。1号線ですよ。でも高速が使えれば、80キロのスピードを守ったまま、殆どノンストップで、静岡のインターまでは行けるのです。走行の安定性も考えてみてください。二人乗りを経験したことがある人なら、低速ほど安定しないという事実を体で感じているでしょう。高速道路で80キロで走っているより、一般道路の信号のゴーストップと渋滞のすり抜けをしているほうが安全だと感じますか。もちろん感じだけで判断してはいけないでしょう。しかしそれはメーカーや行政の努力で証明すべき事柄です。私たちは、私たちが感じていることを、,,おかしいと思ったことは素直におかしい、と主張すれば良いのです。

私は、高速道路での二人乗りは個人の自由の裁量の中で判断されるべき事柄であると考えています。乗せる側の技量やバイクの性能もその人が判断して決めるべきです。なにしろ大体の場合、自分にとって大切な人を乗せるのですから、「やばい」と思うことをするのは避けたくなるでしょう。自分の技量やバイクの性能を過信して、高速道路の二人乗りを許せば、死亡事故が続発する。本当ですか。だったら現在の危険極まりない一般道路上で、バイク乗りたちはとっくに全滅しています。みんな良識の中で、きちんと乗っている大人であることを、お互いに信じ合うべきです。行政ががんじがらめにしなければ、何をしでかすか分からない馬鹿ばかりがバイク乗りだということを許して良いのですか。バイクを愛している仲間達がそんな人間だと思いたくないのです。

反対意見も沢山あるでしょう。大歓迎です。議論をしましょう。そして私たちの見識を高めていきましょう。私たちにタンデムの自由はあるのか。皆さんと真剣に考えてみたいと思っています。