再び高速道路の二人乗りについて。
バイク雑誌の伝えるところによれば、そのバイク雑誌の努力が着実に実を結びつつあり、政府もようやく重い腰を上げ、「高速道路での二人乗り禁止」が解除される方向に向かっているという。まあ、その雑誌の涙ぐましい努力はよく知っているし、尊敬もしている。なにしろ、わざわざクルマなどに使用される人間のダミーをバイクの後ろに乗せて高速道路を走り、安全性の実験をやっているくらいだから、本気でこの問題に取り組んでいることはすごく理解している。でも、その雑誌のおかげで政府が重い腰を上げたとはとても思えない。いつもの如く、アメリカの圧力に屈する形で何もしないわけに行かず、ともかく本気で取り組んでいるところを見せ始めたと言うべきかも知れない。
表面的には、一般道路では二人乗りを許していて、どう考えても安全性の高い高速道路での二人乗りを禁止しているというのは、理にかなわないということが政府側も認め始めたと言う。しかしこれもやや怪しいもので、そんなことは科学的な実験や統計的なデータを持ち出すまでもなく初めから分かっていることだ。ようやくそんなことをいい始めているのは、何だか時間稼ぎのような気がしてならない。お役所的な長い審議こそ、アメリカとの間での様々な思惑の駆け引きをするための常套手段のように思える。アメリカ側も何を優先して要求すべきか、アメリカ内部の事情でコロコロ変えているように思える。両者の都合が、今現在は「バイクの高速道路での二人乗り」ではないので、審議が長引いているのだと想像してしまう。
安全性を認めるというのであれば、即座に「バイクの高速道路での二人乗り」を認めていいはずである。でもまだ認めない。昨年の10月にバイクの高速道路での最高速度の制限を100キロにしたところで様子を見ているとしか思えない。そもそもバイクの最高速度の100キロ化は、規制緩和ではない。バイクの最高速を100キロにしたところで、この規制変更によって誰も得などしないのだ。ビジネスや生活になんの変化ももたらさないのだ。ただ、バイク業界がほんの少し喜ぶ程度のもので、これによってバイクの売り行きが大幅に伸びるはずもない。政府側は、100キロ化によって社会全体に及ぼす心理的な影響を懸念していると言っていた。高速道路でバイクが100キロで走っていいと言うことになると、国民全体が恐怖感を持つというのだろうか。恐くて高速道路が走れなくなると言うのだろうか。
実際はどうだっただろう。昨年の10月から、誰か一人でも、バイクが100キロで走れるようになって以来高速道路が恐い、などと言っている人がいるのだろうか。正直に言おう。昨年の10月以前もバイクは100キロ以上で走っていたし、バイクが100キロ以下の制限速度だったなんて、クルマのドライバーのほとんどが意識もしていなかった。そんなこと賢い政府なら百も承知のはずだ。いろいろな取引の材料に、まず誰にとっても痛くも痒くもない最高速度の規制緩和をした。次の取引に備えて、「高速道路での二人乗り」のカードを準備している。実際はそんなところだと思う。アメリカ側が強く言ってきたら、やろう。それまでは、カードとして温存しようというのだ。

高速道路での二人乗りについての安全性はある程度理解を示した政府側。ある程度の進歩を示さなければアメリカに対して審議していることにならない。だからほんの少し前進したように振る舞っている。そして今度は、何を言い出したかというと、「後は国民全体のコンセンサス」だと言う。100キロ化の時と全く同じだ。これまた時間稼ぎでしかない。最もいいタイミングでカードを切りたいだけである。高速道路での二人乗りにたいして国民のコンセンサスなんて取りようがない。バイクに対する理解を国民レベルで高めなければならないそうだ。それにもっと企業も努力しなさいといいたげである。でもそんなのは、前述したようにすべてが嘘だ。本当は、時間稼ぎだ。いまは、アメリカの圧力が、この問題に対してあまり高くないので、(だって選挙でアメリカはそれどころじゃなかったもんね)いいようにほっぽらかしているだけだ。だから、今の所、雑誌社の努力もさることながら、「国民のコンセンサス」と言うところで終わっている。

とても残念だし、無力感を感じてしまう。

でもね。バイクと言えば何か悪者というイメージがどうしてもあるのは否めない。それを政府側に利用されていることも事実だ。バイク=不良。バイク=暴走族。バイク=危険。バイク=道路の邪魔者。こんなイメージが定着しているのも悔しいけど事実だ。首都高速では最近電光掲示板で「バイクの死亡事故急増。注意」みたいな掲示が頻繁になっている。データ的には事実だし、その事自体には反論しようもない。でもその内実は、夜中の集団的な暴走行為による事故による死亡なんだ。普通の善良なたくさんのバイク乗りには関係のない特殊な事故なんだ。でもそういう風にプロパガンダされてしまう。クルマを使って首都高速でレースまがいのことをやって起こした死亡事故を取り上げて「クルマの死亡事故急増。注意」なんて掲示をしないじゃないですか。一方でバイクに対する国民的な理解を高めなければならない、と言っておいて、他方ではバイクは危険、と喧伝されてしまう。こんな事じゃいつまで経っても、バイクの悪いイメージを利用されてしまうのです。

悪いのは確かに一部のアホなバイク乗りだ。でもそいつらもバイク乗りの一部ではある。責任は、バイク乗り全体にあると言ってもいい。バイク乗りというブランドイメージを少しでも上げていかなければ、いつまで経っても悪いイメージを利用されるばかりだ。一部のアホを許さない気持ち。そして、あいつらはバイク乗りとは一線を画すべき特殊なアホだというイメージを作っていくことを我々バイク乗りは心がけなくてはならないと思う。乗馬が趣味と言えば、尊敬されても、「バイク乗りです」と言えば、軽蔑されてしまう環境は、私たち自身のバイクの乗り方にも少しは責任があるのかも知れない。自分で自分の首を絞め、本来当然認められてもいい権利を行使でないのは、とてもとても残念なことだ。アメリカに頼らざる得ない「規制緩和」も情けない話だけれど、その前にそういう状況にしたバイク乗りの責任を、あなたに責任はないにしても自覚しなければならないのではないだろうか。

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