女性とバイクの関係は、とってもスペシャル。
男も女も、それを理解していないと、お互いに理解できそうもありません。
もつと女性ライダーが増えるには、バイクのちょっとした厳しさを
お互いに知り、理解し合うことが大切だと思います。

                              2004年3月20日

女性のためのバイクとLoveLoveになる方法」を書いたのは、何でもいいから書いてくれと依頼を受けたメールマガジンに、女性の読者を増やしてみようと思ったからです。この企画なら、若くて可愛い女の子がいっぱい来るぞ、と下心丸出しでメールマガジンの主催者と始めた企画だったのです。約1年をかけて、「女性のためのバイクとLoveLoveになる方法」は、何とか書き上げました。その結果、女性読者が増えたかどうかは聞いていないものの、その後、書いた文章の全てを、自分のホームページにアップしたのです。しばらくなんの反応もなかったのですが、最近になって、掲示板への書き込みが増えてきました。Yahoo!のトピックスに掲載されたらしいのです。女性からの書き込みが増えてきました。それはそれで、とても嬉しいことで、いまもみなさんと仲良くさせていただいています。
そんな状況の中で、昨年(2003年)の暮れに三重の女性からの書き込みがありました。あの女性ライダーの世界的先駆者井形マリさんの「チームマリ」が運営する女性のためのバイクスクール「ホンダ・ビューティ・ライディンク」が2004年からは中止になると言う知らせでした。「ビューティ・ライディング」の名は、前々から知ってはいました。むろん私は男性のため、「女性のための」スクールには参加できませんでしたが、ホンダの桶川の施設でやっていることは、耳にしていました。井形さんの名もレース好きなら知っている程度には知っていたものの、ずいぶん遠いい存在で、別世界の人でした。三重の方の書き込みの内容は、「終わってしまうと宣告されたこのスクールを、何とか継続させるために署名を募っている。この掲示板でも告知させていただきたい」というものでした。主催しているホンダに対し、女性の切なる願いを伝えようと言うものでした。私としては反対する理由もなければ、むしろ積極的にバイクの安全な普及のために、積極的に協力したいと伝え、掲示板を中心に訴えたのです。私の掲示板ごときがどれほどの力になるはずもないのですが、できることであれば何でもしたいという気持ちでした。結果はわずか2ヶ月足らずで、6000人以上の署名が集まり、ホンダに届け、ホンダ側も継続を表明してくれたのでした。私もほんの少しでもお手伝いできて良かったと思いました。
年が明けて、たまたま三重の方からのお声がけで、井形マリ、トモ姉妹にお会いする機会ができました。それはもう、感激です。何しろ世界GPのライダーだったお二人です。逢えるだけでも光栄なのに、いろいろなお話を長時間させていただきました。今後の「チームマリ」の活動に何かの形で協力させていただくことにもなりました。その場で、「チームマリ」新年会にもお誘いいただき、喜んで参加させていただくことになったのです。
新年会は、東京、町田市の多摩センター近くにある「ウェルサンピア多摩」というホテル付き健康センターで行われました。「チームマリ」のインストラクターの方々の集まりで、夫婦でいらっしゃっている方もいて、男性の私も遠慮なく参加できたのです。夕食は、レストランですまし、各自部屋に戻ってから、また広めの部屋に集まり、バイク談義が始まったのです。この日は、スクール再開が決まった後でもあり、また、運営自体を「チームマリ」で行うことになったため、今後の計画を自分たちで考えなければならず、「今後」について熱い意見交換となったのでした。「今後」については、私自身の意見も言わせていただいたのですが、その場で最も強く感じたのは、「女性とバイクの特別な関係」でした。男性では決して気が付かない、バイクと女性との特殊とも言うべき関係を切実に感じたのです。
男性であれば、バイクの免許を取り、自分のバイクを買って乗り回すことは、それほど大変なことではありません。私自身背が低く、足が短く、歳も歳なので、大型バイクはかなりの負担だとは思っています。とは言うものの男性ではあるので、苦労さえすれば何とか乗りこなし、全国いろいろなところに出かけています。だから、女性も同じようなものだろうと考えていました。ところが、これが全然違うのです。女性にとってバイクとは、人生の壁そのものなのです。超えると超えないでは、生き方まで違ってしまうような巨大な壁なのです。バイクを自由に乗り回す夢を見て、それを実現できるかどうかに、人生の哲学さえかかっているのです。「チームマリ」が何故これほどまでに支持されているのかの理由が、実はここにあることに気が付き、その壁を超えることで、女性達が美しく強くなることが分かったのです。だから、女性にもっとバイクに乗ってもらいたいと強く感じるようになったのでした。

歴史的に見て、女性は本当に自由だったのでしょうか。もちろん時代時代を全て生きてきたわけではないので、本当のところは分かりません。でも、何となく知っている知識でも、例えば江戸時代の女性は、決して自由ではなかったのだと思います。「親に従い、夫に従い、老いては子に従う」。こんなことが本当に事実ではなかったのと思います。職業的にも、社会的な権利も強い制限があったのだと思います。いまの時代とは大違いでしょう。しかし、それではいまの時代の女性は自由なのでしょうか。明治維新以後、近代化されてゆく日本の歴史の中で、女性の立場や権利は確かに強くなっています。男女平等が、実現されているように言われています。でも考えてみれば、男女平等は法律的な権利だけの出来事で、実際の生活の上では、女性はまだまだ平等ではなかったのだと思ったのです。例えば、女性がバイクに乗ると「女のくせに、バイクに乗りやがって」という男達の声が聞こえてきます。これは、ひとつの例えであって、世の中のあらゆるところに男女の差別が存在しています。世の中のあらゆるところと言うより、人々の心の中に存在していると言った方がいいと思います。自分はそんなことはないと考えている男性諸子、あなたにもあるのです。いいえ、それはなにも男性の中だけではなく、女性の心の中にもあります。そんなことはないと思っている女性のみなさん、あなたにもあるのです。「女性は、男性に従属するもの」、これが当たり前だという気持ちを、あなたは完全に否定できますか。「女のくせに・・・」と思ったことは一度もありませんか。「女だから仕方ない・・・」と思ったことは一度もありませんか。絶対にないと答えられる人は、ほとんどいない気がします。それを責めているわけではありません。男性も女性もまず、それを認めていただきたいだけです。長い生活経験と、教育と、社会の制度、仕組みから、自然にそうなるように私たちは育てられてきたのです。しかたのないことです。それを責めてみても意味のないことです。ただ、それを認めた上で、女性も男性ももっと幸せになれる関係と社会を創っていくことが大切だと思うのです。

問題のほとんどは、確かに男性側にあると思います。男性が本当の意味での女性の自立と尊厳を認めていないからだと思います。しかし、それを解決するためには女性側の意識の変革も必要だと思うのです。男性に従属することだけが、女性の幸せだなんて思わないで欲しいです。男性が結婚しないでいても、変な奴と思われるくらいで、生活に困ることはないでしょう。しかし、女性の間で結婚しない、できないの話になると、とたんに「生活」の話が出てきます。経済的に自立できないだろうと言う恐怖が、女性の従属の大きな原因になっています。女性は、従属するものという「常識」はこんな風に創られているのだと思います。しかし、経済的な自立だけが、必ずしも人間としての自立のすべであるとは言えないのではないか、そう考えるようになりました。子育て中の専業主婦で、経済的な側面は亭主に頼っている。だからといって自立できないのは経済的な面だけで、精神的な面はきちんと自立して欲しいのです。人間としての価値、女性としての尊厳を美しく持っていて欲しいのです。
そこに、バイクに乗り続けようという強い意志を持つ女性達が登場します。精神的な自立というか、女性としての尊厳を持つというか、強くて美しい女性達が、実際にいるのです。そして、そうした女性の存在は、確実に男性を幸せにし、社会全体を「男女の時代」から新しい「人間の時代」に変えていく気がしてならないのです。

バイクは、女性にとっても男性にとっても、それが好きになると憧れの対象です。乗ってみたい。自由に走り回ってみたい。自分だけの世界をそこに持ちたい。男性が感じるバイクの魅力を女性も同じように感じます。そこには男女の差はないはずです。でも、男性には容易くても、女性にとっては様々な障壁があるのです。まず、回りの目や意見。例の「女のくせに・・・」が多方面から届きます。そして、「危ない」攻撃。さらに「向かない」攻撃。男性でもあるとは思いますが、女性のそれは、およそ想像を絶するものだと思います。オヤジが、旦那がバイクに乗っている、という恵まれた環境であれば、少しは楽にクリアできるでしょう。そして、その壁を超えると次に、肉体的なハンディが襲いかかってきます。どんなに力が強いと言っても女性の力と男性の力とでは、やはり根本的に違います。バイク自身、女性を乗せることを考えて作られているわけではないので、やはり辛いと言えば辛い乗り物です。ちょっとしたコツを知らなければ、男性でも起こすことができないバイクを女性が力ずくで起こせる道理もありません。しかし、当然のことですが、日本の免許制度は男性と同じ条件を女性に求めます。できなければ、乗せないと立ちはだかるのです。しかも全てだとは思いませんが、教習所では男性の教習員がほとんどで、女性に対する教習の専門性もないまま、ある時は都合の良い女性として、ある時は男性と同じ条件で、バイクの教習を強制します。それは女性にとっては、失礼であったり、差別的であったり、また屈辱的であったりもします。現に教習員のあまりの身勝手と失礼さに傷つき、教習を途中で断念せざる得なかった女性も存在します。そんな場合「女は根性がねえなぁ」としか思わない男性に根元的な原因があることなど、教習員達は考えもしないのでしょう。
我慢に我慢を重ね、ようやく教習が軌道に乗り始めても、まだまだ壁は続きます。男性なら比較的容易に通過できる様々な教習項目も、女性にとってはやはり大変です。しかしこれは、バイクに安全に乗るからには習得しなければならない最低の技術です。男性女性の区別は許されません。それだけの理由で、男性と同じ成果を期待されます。1時間でできるはずだ。出来なれければ、諦めろ。こんな雰囲気が教習所に溢れています。男の身勝手です。女性達は、とまどい、悩み、悔しさに涙さえ流します。しかし、はじめから女性にとっては大変で、ハンディがあると分かっているならば、女性専用のカリキュラムを準備すべきです。男女が同じカリキュラムで、同じ料金というのは、どう考えても不合理です。それだけ、女性について考えられていないことの証明です。まあ、その議論は別に譲るとして、大変な苦労と心に傷を負いながら、女性達は二輪免許を手にしていきます。そしてようやく自分のバイクを手に入れ、自由な世界に飛び出そうとするのです。

自らのバイクと夢と希望と共に教習所の檻から飛び出したとたん、女性達は、もっともっと大きな現実の壁に直面します。こんなはずじゃなかったと心の底から反省し、激しい後悔を経験します。それは、街をスムースに走ることが難しいことでも、男達のまなざしがいやらしいことでもありません。「実は、私は今日まで、たった一人では、何もしたことがなかった」ことに気が付くのです。バイクは、たった一人の乗り物です。バイクに跨って、スタートして、目的地について、バイクから降りるまで、全てをたった一人の思考と判断と責任で行わなければなりません。隣にパパや彼氏が乗ってくれ、あれやこれやうるさく言うこともなければ、前のクルマに付いていけばいい、だけで運転ができるものでもないのです。バランスを取り、足をつき、クルマのタイミングを上手に判断して、アクセルとブレーキを使い分けなければなりません。自分が瞬時に行う判断というものに見事に直面するのです。歴史的なDNAに「女性は従属するもの」という記憶があると、この自立していなければならない現実にとまどい、混乱し、激しく後悔するのです。教習所は、まだまだ不出来ながらも教習員が付いていました。それすらいない現実に、女性の心は耐えきれなくさえなるのです。男性は、歴史的に「男らしく」とか「一人前」とかいう教育を受けているので、まだ耐えられ、容易に克服できます。しかし、女性は諦めてしまう。克服することを止めてしまうのです。やっと免許を取って、バイクも新車で買って、少し乗ると辞めてしまう女性の何と多いことか。私は、こんな女性の心の構造、精神の歴史が反映されたものだと思います。
それでも諦めきれない女性が、井形マリさんのスクールに駆け込みます。女性だけの練習、女性だけのインストラクター。一人一人にカルテが用意され、強い部分、弱い部分を分析しながら、その人にあった練習を繰り返します。最初はできなくても、できることはインストラクターには分かっています。だからいくら厳しくても、女性達はついていきます。悔しくて流す涙の質が違います。男達の身勝手さに涙を流すのではなく、純粋に自分のなさけなさに対し涙します。自分が悔しくてたまらないのです。それは人が、自分の壁を超える瞬間です。新しい自分に生まれ変わる瞬間です。だから女性達は、このスクールをなくして欲しくないと声を上げたのです。続けられることに喜んだのです。

そして、女性ライダーが誕生します。自分の意志と責任で自由にバイクを操れる女性達。バイクだけでなく人間としても素晴らしい女性が生まれます。克服し、自分の心の弱さに勝ち、自立をバイクによって成し遂げた素晴らしい女性達です。短い間で、そんな女性達とたくさん知り合うことができました。最初に「女性のためのバイクとLoveLoveになる方法」を書き始めた下心のおかげです。インターネットを通じて、様々な人の気持ちと、人間に触れられたおかげです。そういう女性は、どんな世界に行っても強い。自分をはっきり、しっかり持っている。普段は普通の主婦にしか見えなくとも、自分の価値と自信を持ち、それに基づいて生きている。同じように見える夫婦の間も、もっともっと強く、信頼と協力によって結ばれている。子育てや、環境から、経済的に自立していなくとも、人間的にはきちんと自立している。むやみに人に頼らない。誰にも従属していない。そんな生き方をしています。それらの全てが、バイクのおかげだとは思いませんが、そのうちの多くは、バイクが与えてくれた強さだと感じます。
バイクが女性にとって「特別」な乗り物だと言ったのは、こうした理由からです。男性には分からない、女性だけの世界がある気がしてならないのです。男性のみなさん、女性が強く、美しく、優しくなることが嫌ですか。女性はいつも男性に従属し、自立しないままの存在が、お望みですか。女性が、女性として人間的であり、自由であり、同じ立場と視線で、互いにパートナーとなりうることの方が、人間としては勿論、男性としても幸せになれそうな気がしませんか。またそうした世界を作っていくことが、人間としての責任だと思いませんか。そのためには女性にも克服してもらわなければならないことがあります。女性としての弱音は認められますが、人間としての弱音は認められません。
バイクは、男にも、女にも、人生のそんな大切なことを教えてくれる乗り物だ、そう思うのです。

だから、女性達よ、バイクに乗ろうよ。男性達よ、思い切り応援しようよ。