あとがき

 カール・バルトが説教というものは、説教がし終わったら、すぐ出版社がいつ取りに来てもよいように、完全原稿に整えておかなくてならないと言っているそうですが、わたしもそれを信じて完全原稿を作っておりましたが、出版社の方でいっこうに取りに来てくれないので、仕方がないので、自分で出す事にしました。死んでから出されても、天国まではその反響は伝わってこないのではつまらないので、生きているときに、まだ現役の時に、いちど本にしてみたかったのです。

 マルコ福音書の講解説教からは、説教は直接パソコンに入力して説教を作りましたので、なんとか本にしたかったのです。説教は話し言葉ですので、なるべくそのままそれを活かしたかったのですが、しかしやはり文章にするには多少手直ししなくてはなりませんでした。その校正を教会員の一人の婦人に依頼いたしました。ところが返って来た原稿は赤線だらけ、徹底的に直されて来ましたので、あぜんとしました。如何に自分の日本語に対する教養のなさがわかり、もう本にするのを断念しようと一度は思ったほどてした。自分の癖というものがいやというほど知らされました。自分の思い込みの激しさにも驚きました。彼女の指摘は実に的確でした。そのうち、彼女も忙しそうなので、最初の二○回分ぐらいをみてまらいましたが、自分の癖や欠点がよくわかりましたので、あとは自分で校正しました。本当は彼女から返ってくる原稿をみると、いつも士気阻喪してしまって本にする気力を失ってしまうので、目をつぶって自分でする事にしたのです。四度も読み返しましたが、その都度、間違いを発見する始末でした。彼女に原稿をみてもらっていなかったならば、どんなに恥ずかしい説教集になって いたかと思うと本当に冷や汗がでます。

 説教について、わたしが一番学んだのは、竹森満佐一先生からです。神学校時代は、礼拝で、その短い説教に心うたれました。先生は始めは、学校の礼拝の中では説教はしないで、聖書朗読だけで終わっていたのではないかと思います。まずその聖書の朗読に本当に驚きました。それだけで充分礼拝が成り立つということを体験しました。しばらくして、説教もするようになったのではないかと思います。
 
 牧師になってから、先生の「ローマ書講解説教」の三巻が出版されて、それからそれを何度繰り返し読んだかわかりません。ローマ書のどんな注解書よりも深く、わかりやすく、わたしにとっては、最高の注解書でした。ローマ書だけでなく、わたしにとっては説教の度に、説教に行き詰まると、まず手にしたのはこの本でした。ローマ書の講解だけでなく、この説教集を通して、何よりも信仰そのものを学びました。東京に来てから、ある人を通して、吉祥寺教会の礼拝の説教のテープを十数本いただき、それはピリピ書と創世記の講解説教の一部でしたが、それも何度繰り返し聞いたかわかりません。そのテープを通しては、何よりも感心したのは、日本語の表現の巧みさ、同じことを言っても、その表現によってこんなにも人を納得させるものかと、感心しました。その先生の口調や表現を無意識のうちに真似をしてきたのではないかと思います。このわたしの説教集でも、従っていやになるくらい、いやひとつもいやにならないで、竹森満佐一の説教からの引用があります。

 このマルコ福音書の講解説教では、渡辺信夫の「マルコ福音書講解説教」からもずいぶん教えられました。従ってその引用も多いと思います。しかし、わたしは渡辺信夫の説教からはいつも福音の厳しさ、教えられましたが、福音の慰めはどうも感じとれないのです。竹森満佐一も渡辺信夫も同じカルブァン派なのに、どうしてこうも違うのかと不思議に思います。

この説教集はなによりも、毎日曜日、忍耐して、時には眠りながらも説教を聞いてくれている松原教会のかたがたに読んでいただきたいと思い本にしました。そうしたらきっと、眠っていた時に聞きのがした説教も聞けるだろうと思うという、牧師の牧会的配慮というものです。それと、前任地の四国の大洲教会のかたにも読んでいただきたいと思って本にしました。

 表紙の絵は、その大洲教会時代からおつきあいのある 三木曜子さんに描いていただきました、彼女はわたしの絵の先生です。と言っても、絵を描くのを教わるのではなく、良い美術展があると必ず、使用済みのチケットを同封して、行きなさいと命令してくれるので、わたしは彼女から絵を教えてもらっています。何よりも彼女のさわやかな信仰と生き方にいつもほほえましい敬意を覚えております。
 また、本にするにあたっては、ロゴス社の富岡  氏に大変お世話になりました。心からお礼申し上げます。
一九九三年一○月         山田京二