「病人をいやすイエス」マタイ福音書4章23−25節

 マタイによる福音書の四章一七節をみますと、イエスは「悔い改めよ。天の国は近づいた」といって、宣教を開始したと記されております。これはバプテスマのヨハネの言葉「悔い改めよ、天の国は近づいた」と同じであります。
 しかし内容は違います。

 イエスは「天の国は近づいた」といったあと、マルコによる福音書をみますと、「悔い改めて、福音を信ぜよ」となっております。ヨハネは「悔い改めて、よい業を行いなさい。悔い改めにふさわしい実を結べ。斧がすでに木の根元におかれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ」というのです。

 天の国、あるいは神の国というときの、「国」という言葉は、支配という意味をもった言葉、むしろ、いよいよ、神の支配が本格的に始まったという意味であります。
 ヨハネは、その神の支配を神の怒りがいよいよくだる時が来た、と考え、だからその怒りから逃れるために悔い改めにふさわしい良い行いをしなさい、といったのに対して、イエスは、神の支配を喜ばしい福音の訪れの時が来たと考え、だからなによりも、悔い改めて、福音を信じなさい、といったのであります。

 神の支配を、神の怒りの支配ととらえるか、それとも、神の支配を神の赦し、神の恵み、神の愛の支配の時としてとらえるかによって、悔い改める姿勢はずいぶん違ってくるのであります。

 悔い改めるとは、もともとは方向転換する、向きを変えるという意味をもった言葉であります。自分に向かっている視線を、自分から神のほうに目を向ける、そういう方向転換が悔い改めであります。
  
 神の支配を神の怒りとしてとらえ、だから今まで悪い事をしていたから、それを良い行いをするように方向転換し、それが悔い改めることなのだと考えたら、しかしそれでは本当の方向転換、向きを変えるということにはなっていないのです。それでは相変わらず、目を自分の方に向けているのであって、ひとつも神の方に目をむけていないのであります。

 しかしもし神の支配という事を、神の愛としてとらえるならば、愛というのは、それは信じる事によって自分のものになるものですから、信じることによってしか、自分のものにならないものですから、視線はもう自分にではなく、相手に向けられている。相手の思い、相手の言葉をじっと聞いていこう、そのかたにともかく従ってみようという事になるのであります。

 愛は信じる以外にないのであります。それは愛する側にたったならばよくわかるのではないでしょうか。われわれも時には愛する側に立つ時があります。その時われわれが相手に切実に望む事は、この自分の誠意を信じて欲しいということではないでしょうか。

 悔い改めるとは、もう自分についてあれこれ反省すること、あの時はこうしてしまったああしてしまったという後悔とは、違うのであります。悔い改めるとは、その後悔する事まで捨ててしまうという事であります。もう自分のことをうじうじと反省するのをやめよう、と思うことです。神の赦しと、神の恵みと、神の愛を信じてみようとすることであります。

 その時に、思いがけないほどに、良い行いも生まれてくるのであります。それは自分をふっきった良い行いですから、それによって人にどう思われようとあまり気にしなくなる。それは神経質なぴりぴりした、人を裁くような良い行いではなく、もっとおおらかな、人に赦しを与えるような良い行いになるのではないでしょうか。

 神の支配を神の恵みを信じてみる。信じた後、どうなるのでしょうか。しかし信じたのに、信じた後のことまで、どうなるのかと、こちらがあれこれと詮索するのはおかしいのであります。信じたあとどうなるのか。それは神様に任せてみてはどうでしょうか。

 一八節からみますと、イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いていて、シモンとシモンの兄弟アンデレとが湖で網をうっているのをごらんになって「わたしについてきなさい。あなたがたを人間をとる漁師にしてあげよう」と言われたのであります。すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従ったというのであります。まことにあっさりしたものであります。

 彼らはこの時始めてイエスに出会ったのだろうか、そんなに簡単に今までの職を捨て、イエスに従ったのだろうか。ゼベダイの子ヤコブとその兄弟の場合には、父ゼベダイを捨てて、とありますが、そんなに簡単に職を捨て、父を捨てて、始めて会った人に、簡単についていっていいのだろうか。それは軽率ではないか。

 ルカによる福音書ではもう少し劇的なイエスとの接触があった事を記しております。彼らが漁をしていてその日一匹も魚がとれなかった時に、イエスから沖に漕ぎだして、網をおろしてみなさいと言われて、網をおろしてみたらおびただしい魚がとれて、シモンはイエスの前にひれ伏し「わたしから離れてください。わたしは罪深いものです」と言ったというのです。
 その時、イエスは彼に向かって、「恐れることはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」と言って、それからシモン即ちペテロはイエスの弟子になったというのであります。

 本当の所、どちらが実際にあった事なのかわかりませんが、実際はもっと具体的な、イエスとペテロたちとの具多的な接触があったにせよ、その本質、そのエッセンスだけを取り出してみたら、イエスから「わたしについて来なさい」と言われ、わたしはただそれに応えて、それに従っただけだという事になるのではないかと思います。

 どんな事情があったにせよ、われわれが神に従うということ、イエスに従うということの本質は、そこにあるのであって、そのエッセンスをしっかりと抽出していなかったならば、われわれの信仰は大変あやふやなものになってしまうのではないかと思います。
 
 それにしても、彼らは「すぐに網を捨てて、イエスに従った」あるいは「父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟において」という事は、われわれにとってはずいぶん気になるところではないでしょうか。一切を捨てて、という事、われわれにそんな強い決断ができるだろうか。イエスに従うという事は、そういう、一切を捨てて、という強い決断をしなくてはならないのでしょうか。

 しかしここをみますと、彼らにそれほど強い決意、一切を捨てるのだという覚悟があったとは思えないのであります。形のうえでは、確かに今までの職を捨て、家族を捨てておりますが、それ以上に、イエスに従っていく喜び、イエスに「わたしに従ってきなさい」と声をかけられた喜びが強くて、ただ結果的に捨てたという事の方が実状なのではないでしょうか。

 このイエスとの始めての出会いの時に、イエスから「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うてわたしに従ってきなさい」といわれたら、彼らはイエスに従えただろうか。恐らくそのような事を最初に言われていたら、彼らはとうてい従えなかったのではないでしょうか。そしてもしそのように言われて、よし自分を捨て、自分の十字架を負うて、イエスに従うんだなどと覚悟して、イエスに従っていたら、その気負いが邪魔をして本当の意味でイエスに従う事はできなかったのではないでしょうか。

 イエスに声をかけられ、イエスに招かれて、自分はそれに応えて従っただけなのだという思いでなく、自分が自分の決意で一切を捨ててイエスに従ったのだという事に重点がおかれますと、もし何かの事で挫折しますと、あるいはイエスを裏切ってしまうことになると、その自分の挫折にこだわり、自分の裏切りにこだわり、そういう自分の意志の弱さにこだわり、イエスから離れていってしまうのではないでしょうか。

 大事なのは、自分の決意の強さとか清さとか、自分の決意の純粋性とかではなく、イエスの招きであり、呼びかけの方だからであります。大事なことは、イエスは自分のそうした弱さを全部知っていてわたしに声をかけ、呼びかけてくだっさったという所にあるからであります。

 二三節から見ますと、イエスは「ガリラヤ中を廻って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」、すると人々はイエスのところに、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊にとりつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人をつれてきたので、これらの人々をいやされた」と記されております。

福音書をみますと、イエスはあらゆる病気の人をいやされましたが、厳密に区別することはできないかもしれませんが、イエスはそれぞれの病人に対して、それぞれ違ったいやしかたをしているようであります。
 
 渡辺信夫という説教者が、悪霊に憑かれた人のいやしと、病人のいやしとは違うと、説明しております。

 悪霊に憑かれた人の場合は、その人がイエスの前に来ると、悪霊どもははげしく抵抗し、結局逃げて行くというのです。悪霊は炭火を近づければ氷がとけ去るように、キリストの接近によって悪霊の支配は失せ去るのだ、それはいわば機械的に起こるのだ、しかし病気は逃げ去らない、と言っているのであります。

 イエスは病にかかっている人をいやす時には、シモンのしゅうとめの場合のように、手をとって起こされたり、言葉をかけたりしていやしているというのです。それは何故かというと、病気は悪霊のわざではなく、その原因は人の罪にあるとされているからだというのであります。

 そのことは、九章一節からの記事で、イエスは中風の者の病をいやす時、「あなたの罪はゆるされた」といきなり言うことからもわかるというのです。

 もちろん、渡辺信夫は、聖書ではすべての病は罪にあるとみなすように書かれているわけではない、ヨブ記の例をみてもそれはわかるが、そんなに簡単に割り切れるものではないとは言っているのであります。
 しかし単純化してみるとそうなるというのです。悪霊は神に対抗するサタンの事ですから、イエスの姿をみると自らしっぽをまいて逃げ出していくが、人間の罪と深く結びついている病をいやす時には、イエスは手をとって、手をさしのべて、病をいやそうとする。手をさしのべるという事は和解を意味するのである、イエスは和解をもたらすものとして近づき、その罪を赦すのだというのであります。

 そして渡辺信夫はこういうのです。
「イエスは悪霊を追い出す時には、『権威あるもの』として人を驚嘆させる存在として立つのに対して、病人をいやす時には、苦難のしもべとして、自分の身を低くして、罪の赦しを与える和解者として立つ。主イエスは病めるものの外に立つことなく、病めるものの内側にかかわっておいでになる」といっているのです。

 病気は人間の罪と深く結びついているというとは、どういう事でしょうか。それは病気は人が罪を犯した結果、その罰として病に陥るのだという事でしょうか。確かに旧約聖書には、そのような罰としての病気、あるいは罰として災難不幸があるのだという考えは一般的でした。ダビテがバテシバ事件を起こした時は、罰として子供が病気になり、そして最後には死ぬのであります。
 しかし同時にそういう考えに、真っ向から疑問を投げかけたのがヨブ記であります。今日はそれについてはふれません。

 主イエスがこういわれた箇所があります。ある時生まれつきの盲人に対して、イエスの弟子が「彼が生まれつき盲人なのは、本人が何か罪を犯したためですか、それとも両親が罪を犯したためですか」とイエスに聞きますと、イエスはそういう考えをきっぱりとしりぞけて、「そうではない、本人が罪を犯したのでも、両親が罪を犯したのでもない。ただ神のみわざが彼のうえに現れるためだ」というのであります。
 
ですから、病気を直ちに、罪の結果として、罪に対する罰として考える事はできないのです。病気でない人、いかにも健康そうにまるまるふとった人は、罪を犯していないかと言えば、そんな事は到底言えないのはあきらかであります。
 
 それでは病気が罪と深く結びついているとはどういう事でしょうか。こう考えたらどうでしょうか。われわれは病気になると、自分の罪に深く気づくようになるという事であります。健康な時にはあまり気がつかない事が病気になった時、われわれはつくづく自分の弱さに気づく、そして不安を感じ、思い煩うのではないでしょうか。

 パウロが病気になった時、必死になって神に祈り「どうかこの病をわたしから取り去ってください」と何度も何度も主イエスに祈ったのであります。そしてその祈りを通して、そして病気を通して、パウロは自分の高慢さに気づいていくのであります。自分の罪に気づいていくのであります。

 われわれも病気になった時に今までどんなに祈りが少なかったかという事に気づくのではないでしょうか。自分がどんなに自分勝手に生きていたかが身に沁みてわかるのではないでしょうか。そして自分はひとりでは生きて行けない事がわかるのではないでしょうか。自分の弱さがわかり、自分の高慢さがわかり、自分がいかに自己中心であったかがわかるのではないでしょうか。

 病気が深く罪と結びついているという事は、罪の結果が病気だというのではなく、罪を沢山犯したから病気になるという事ではなく、病気になるとわれわれは自分の罪がわかり出すということであります。

 そう考えた時、われわれも、パウロのように、この病は自分の高慢さを打ち砕くために神がサタンを用いて自分にこのような病を与えたのかも知れないと考え始めて、真剣に祈り始め、そして神の恵みがいっきにわかるようになるかも知れないのであります。
 
 イエスは、病人に対しては、悪霊に対する時の様に、権威をもって、いわば力で押さえつけるようにして対するのではなく、病人に対するときには、われわれと和解を求めるように手をさしのべる、またある時には、「しっかりするのだ」と力強く諭し、またある時には「見えるようになれ」と優しく声をかけてくださるのであります。

 それは、イエスが、罪を自覚している人間に、接しようとしているからではないでしょうか。まだ罪を自覚していない人間に対する時は、あのパリサイ人や律法学者に対したように「偽善者たちよ」と激しく迫っておりますが、すでに罪を自覚し、その罪に泣いている人に対してはイエスは限りなく優しく接しておられる。

 イエスは、罪に悩み苦しんでいる人に対しては、ご自分の身を低くして、「すべて重荷を負うて苦労している人はわたしのもとに来なさい、休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい」と呼びかけ、招いてくださるのであります。

 汚れた霊に憑かれた人間は、そのような意味で罪を自覚していない。イエスに対して、聖なる者に対して恐れを感じる事はあっても、自分の罪を感じる事はないのです。

 イエスはまた重い皮膚病、これは口語訳聖書では、ライ病と訳されておりますが、その病人に対するいやしかたは違っております。

 聖書にでてまいります「らい病」は、今日でいう「らい」だけでなく、皮膚病も含んでいたようですが、ともかくそのようにらい病にかかった人は、汚れた人とみなされて社会から隔離されていたようであります。レビ記には「患部のあるらい病人は、その衣服を裂き、その頭を現し、その口髭をおおって『汚れた者、汚れた者』とよばわなければならない。その患部が身にある日の間は汚れた者としなければならない。その人は汚れた者であるから、離れて住まわなければならない。すなわち、その住まいは宿営の外でなければならない」と規定されているのであります。

 「汚れた者、汚れた者」といわれれるのは、他人がそういってはやしたてるのではなく、自分が自分の事を「自分は汚れた人間だ、汚れた人間だ」と呼ばわりながら通りを歩かなくてはならないというのであります。他人からそういわれるのではなく、自分自身がそういって人々を遠ざけなければならないというのです。
なんともひどい話であります。

 イエスの時代には、らい病患者は白い着物を着て、通りを歩く時には、鈴をならし、これかららい病患者が通るから、気をつけろと、自分自身で呼ばわりながら歩いていたそうであります。

 汚れた者とは、ただ衛生的に汚れた者という意味ではなく、宗教的に汚れた者とされたのであります。ですから、その病が治った時には、ただ治ればいいというのではなく、祭司の所に行って、捧げ物をして、つまり罪のあがないのささげものをして、これで宗教的にきれいなりました、罪ゆるされましたと、祭司に証明してもらう必要があったのであります。

 なぜ、らいという病気にかかったひとは、ただの病気ではなく、宗教的に汚れた人間になったのだと考えられたのかといえば、らいとか重い皮膚病の場合には、人に不快感を与えたからだろうと思われます。そしてそれ以上に、そういう人に触れると、その病が伝染すると思われたからではないか。

 そのためには、そのような病気にかかった人を自分達の社会から隔離したい、自分達の目に触れる所から遠ざけたいのであります。しかしそのような事はやはりなんといっても後ろめたいわけです。そういう人たちはかわいそうな人であることは確かだからであります。そんなかわいそうな人を追い出してしまったら、自分たちの良心がゆるせないわけであります。そのために自分の良心の呵責に悩まされないで、その人々を隔離するにはどうしたらよいか、を人々は考えた。

 それで考え出されたのが、宗教的汚れという事であります。その人たちはただ病気なのではないのだ、宗教的に汚れた人間なのだ、だからあんな悲惨な目にあったのだ、神の罰を受けたのだ、と考えた。それならば、われわれがあの人たちを隔離し、差別してもいっこうにかまわないではないか、そういう心理がいつのまにか働いて、自分たちにとってそういう都合のよい口実を考え出して、やがてその病気の人々をそのようにして村八分にしていったのではないかと思われるのであります。
 
 そしてその病に陥った人自身も、そのように自分で考えるようになってしまった。自分は祖先の罪の結果、その罰を受けてこういう病気になったのだと思うようになったのであります。

 一人のらい病人がイエスの所に来たのであります。人々の罪の犠牲者であるらい病人がイエスの所に来たのであります。「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」と言ったのです。イエスは深く憐れみ、手を伸ばして彼にさわり「そうしてあげよう、きよくなれ」といわれた。らい病人に手を差し伸べ、その手に触れたのであります。あのレビ記で禁じられている事をイエスは破って、汚れた者に触れたのであります。イエスは律法を破ったのであります。

 イエスは「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われて、そのらい病をいやしたのであげます。そしてその後「何も人に話さないように、注意しなさい。ただ行って、自分のからだを祭司に見せ、それから、モーセが命じた物をあなたのきよめのためにささげて、人々に証明しなさい」といったのであります。祭司の証明がないと彼は社会復帰できないからであります。

 霊に憑かれた人に対しては、権威をもって「汚れた霊よ、出ていけ」といっていやし、病人にたいしては、みずから身を低くして、多くの患いをご自分が背負っていやしたのであります。そしてこのらい病患者に対しては自ら律法を破って、直接汚れた体に触れて、その病をいやし、そしてそれだけでなく、祭司のところにいって、証明書をもらってきなさいとすすめ、彼を社会復帰させたのであります。
 イエスがどんなに一人一人の病の性格を見抜き、それにふさわしいいやしかたをなさったかという事であります。