H兄式辞

 H兄弔辞

 H兄は、内弁慶のようだったそうです。というのは、わたしは松原教会の牧師としてHさんと交わっていて、一度も不愉快な思いはしたことがなくて、いつも優しいHさんしか知りませんでしたが、家では、奥さんに対しても、また娘さんに対しても、大変暴君的にふるまったそうです。それは甘えからでたものでしょうが、ご家族のかたはそれは苦労したようであります。

 しかし、骨折して入院してからは、ともかく早く退院して、家に帰りたいと駄々をこね、見舞いにいくと、「ありがとう、ものすごくうれしい」となんども素直に、幼子のように甘えたということです。そういうお父さんに接して、今までの暴君的なふるまいが、すべて許せるようになったと娘さんがいっておりますが、Hさんの最後は幼子が親に甘えるようにして、そしてなによりも、父なる神様に幼子のようになって、神様のもとに召されたようであります。

 先日、あるキリスト教関連の雑誌を読んでおりましたら、こういう文章に出会いました。最近教団で出版した「牧師論」に関する本の紹介の記事なのですが、こういっていたのです。「坊さんは歳をとったら、高僧とか、名僧と呼ばれるけど、牧師は、特に、プロテスタントの牧師は、歳をとるつれて俗ぽっくなるといった人があるけれど、自分のことを考えてみても当たっていると思う」といっていたのであります。そしてそこにわれわれプロテスタント教会の弱さがあるとそこでは論じられていたのであります。
われわれプロテスタント教会には、そういう高僧とか、名僧とかいわれる牧師などいないからであります。

 わたしはそれを読んで、最初、なるほどなあ、面白いこというなあ、本当だなあ、と感心したのですけれど、そのうち、それは違うのではないかと思いはじめたのです。

 聖書のなかに、そういう高僧とか、名僧といわれるような人物がいたかどうか。あのモーセはどうだったか。彼は自分の犯した過ちのために、約束の地カナンに入ることができないで、ヨルダン川の手前で神に裁かれて死んでいくのであります。彼はモアブの地にある谷に葬られたが、今日に至るまで誰も彼が葬られた場所を知らないと記されているのです。

 イスラエルの王、ダビデの晩年はもっと惨めであります。衣を何枚も着ても体が温まらず、若い処女の子に添え寝させて体をあたためさせたと記されているのです。

 聖書は、あのペテロの晩年もそして死も、パウロの晩年もそして死も、一つも書こうとはしないのです。殉教の死を遂げたのではないかと暗示はしておりますが、ペテロもパウロも高僧とか名僧として晩年を飾ったなどということは、一つも描こうとしないてのです。
後に、モーセもあるいは、ペテロもパウロも、そしてダビデすら、聖人として描かれるようになりますが、それは後の教会が作り出したもので、聖書そのものは、彼らを決して聖人扱いはしないのです。聖書には、高僧とか名僧といわれる人物は一人として描かれていないのです。

 ヨブは、すべてのものを失ったときに、こういうのです。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名は褒め称えられよ」といって、神を賛美したというのです。
 神はわれわれにすべてのものを、そして信仰を与えてくださるのです。しかし神はまた最後にはすべてのものを、奪ってしまう、それは、われわれのもっているとおもっている信仰までも奪ってしまうということです。

 われわれの自覚的な信仰などは、われわれがこの地上で生きている間は、われわれを支えるかもしれませんが、その自覚的な信仰をもって、その自覚的な信仰を根拠にして、天国にいくことはできないのです。ヘブル書には「この人たちはみな、信仰をいだいて死んだ」と書かれていますが、その信仰は、われわれの自覚的な信仰ではなくて、ただただ神の憐れみに望みをおいて死んだという信仰であります。

 主イエスは「幼子のようにならなくては、天国にいくことはできない」といわれました。それは人々が乳飲み子を抱いてイエスに祝福してもらおうとして来たときに、弟子達がそれを叱ったときにいわれたのです。恐らく、乳飲み子はわあわあと泣き叫んで、うるさかったので、弟子達が叱ったのだと思います。そのときにイエスは、その弟子達をしかり飛ばし、「天国はこのように幼子にならなくては入れない」といわれたのです。ここでいわれている幼子は、罪のない純朴な幼子のことではないのです、乳をもとめて泣き止まない、騒がしい幼子です。そのように幼子のようにして、乳飲み子のようにして、神の憐れみを求めないと天国に入ることはできないといわれたのです。

モーツアルトのレクイエムは、彼が作曲した部分は、ただただひたすら、慈悲深き主よ、われを憐れみ給え、罪人のわたしをおゆるしください、わたしを山羊の群れにおかずに、羊の群れのなかに、あなたの右の座におかせてくださいと悲痛に訴え続けるのです。台本はモーツアルトのものではないかもしれませんが、彼は三十五歳の若さで、自分の死を意識し、ただ慈悲深き主イエス・キリストに訴えて死んでいったのです。

 われわれは生まれたときに、幼子として生まれ、育てられ、そうして死ぬときもまた幼子になって、幼子のようになって、ただただ神の憐れみを呼び求めて死んでいくのではないかと思います。われわれは決して高僧や名僧になって死んでいくわけではないと思います。

 神様は、今そのHさんからすべてのものを奪い取り、その自覚的な信仰までも取り去り、幼子のようにさせて、天国に導かれたのではないかと思います。
 今Hさんは、すべての労苦を解かれて安らぎを受けて神のみもとにいかれたのです。主イエスにあって死ぬことのさいわいをあらためて思います。残されたご家族のかたに主の慰めを祈ります。