「宣教の愚かさによって」 コリントT 一章一○ー二五節

 コリントの信徒への第一の手紙は、一章から四章でひとつの区切りになっているようであります。五章からは、コリント教会に起こっている異邦人にもない不品行という深刻な問題に対してパウロが答えております。あまり深刻な問題なので、この年末の最後の聖日の礼拝ではとりあげたくない気がするのです、また新しい年を迎えての最初の聖日礼拝でもこれを取り上げる気がどうしてもなりません。それで今日の礼拝は一章から四章まででパウロが論じてきたことのまとめのようなことをしたいと思います。また新しい年を迎えての最初の礼拝では、コリントの手紙から離れて説教を考えようかと思っております。

 さて、パウロが一章の一○節から取り上げている問題は、コリント教会のなかで起こっている分裂の問題であります。「わたしはアポロにつく」、「わたしはパウロにつく」といって、教会のなかで分派ができてきて、教会のなかが分裂しそうになっている。それをとりあげて、パウロはそもそもそのような分裂が起こった背景には、あなたがたが自分たちの知識とか自分たちの知恵を誇るところから起こっているのだというのであります。自分を誇ってはならないというのです。

 神の前に、そして人の前にもっと謙虚にならなくてはならないというのであります。それは能ある鷹は爪を隠すというように手段としての謙虚さではなく、自分たちのことを考えみたら、もともと自分を誇るようなもの、誇れるようなものは何一つもっていないではないかというのです。

 自分たちが救われた時のこと、召された時のことを考えたら、神は無に等しい者を選ぼうとして、神はわれわれを選ばれたのではないかというのです。それは神がわれわれ人間を救う時に、まずわれわれのそのような人間的誇り、自分たちの知恵を誇るその誇りを打ち砕いてわれわれを救われたのだ。それは十字架の言葉によってわれわれを救われたからだというのです。

 十字架の言葉というのは、神の子がみんなから軽蔑され、卑しめられ、そうして十字架で死ぬということで、それは神の子がわれわれ人間の一番低いところまでくだってきてくださった、それによって、われわれの中に救いというものをもたらしてくださったという救いなのだ、それを宣べ伝えることがキリスト教の宣教ということなのだということであります。

 だから神は宣教という愚かな手段によって、信じる者を救おうとされたのだというのです。「宣教という愚かな手段」といいますと、宣教の仕方が愚かなような印象を与えます。つまり、キリスト教の伝道の手段は、信じたらお金がもらえるとか、あるいは信じないと殺すぞとか、そういうお金とか武力とか、そういう手段ではなく、宣教という言葉での伝道、それは世間の人からみれば、本当に無力な、力のない、愚かな手段のようにみえるわけですが、そのような言葉による宣教の愚かさをいっているように見えるのですが、ここでいっている「宣教という愚かな手段」というのは、そういう意味ではなくて、むしろ、愚かな宣教、つまり、愚かさを宣べ伝えるという、宣教の内容が愚かさを含んでいるという意味であります。

 つまり、宣教という手段が愚かなのではなく、宣教の内容そのものが愚かなものを含んでいる、だから宣教の愚かさによってということなのであります。

 ここはリビングバイブルが一番内容をつかんで訳していると思います。こうなっています。「この世がいかに人間のすぐれた知恵を結集しても神様を見いだせないのは、神様のお考えによることです。そして、神様は、一般の人には、ばかばかしくて話しにならないような神の言葉を信じる人を、救うことにされたのです」と訳しています。

 宣教する内容が、神の子が侮辱されて殺される、それを甘んじて受ける、いわば勝利することではなく、負けること、それが救いにつながるのだということなのですから、それは世間の人からみれば、愚かに見える、そういう愚かさを宣教するのだということであります。それが人間の知恵を打ち砕き、人間の自己主張というものを打ち砕き、救うことになるのだということであります。
 
 それは後にコリントの信徒への第二の手紙のなかでパウロが言っていることであります。「わたしたちはわたしたちの主の恵みを知っている。主は豊であったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは主の貧しさによって、あなたがたが豊になるためだったのです」とありますように、主イエスの貧しさによってわれわれが豊にされ、救われるという宣教のなのであります。

 主イエスの貧しさによって豊になる、ということで、思い出すのは、預言者エリヤの危機を救ったサレプタのやもめ女のことであります。それは列王記上の一七章のところに記されている記事ですが、預言者エリヤは、当時のイスラエルの王アハブの偶像礼拝を批判したために迫害にあって山のなかに逃げ込むのであります。最初神はその預言者にカラスに朝と夕に、パンと肉を運ばせて彼を養うのであります。そして水は川の水を飲んだ。そのうち、神の裁きのためにイスラエルに雨が降らなくなったために、川の水が涸れてしまった。今度は神は預言者エリヤにシドンのサレプタに行き、そこに住めというのです。「そこにはひとりのやもめ女がいて、お前を養ってくれる」というのです。

 それで預言者はサレプタに行った。そこにひとりの女が薪をひろっていた。エリヤは「器に少々水をもってきてわたしに飲ませてください」という。やもめが行こうとすると、エリヤぱ「パンも一切れもってきてほしい」と頼みますと、彼女は「わたしには焼いたパンなどありません。ただ壺の中に一握りの小麦粉と瓶の中にわずかな油があるだけです。わたしは二本のたきぎを拾って帰り、わたしと息子の食べ物を作るところです。わたしたちは、それを食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです」と答えるのです。

すると預言者エリヤは、「恐れてはならない。あなたの言った通りにしなさい。しかしまずわたしのために小さいパンを作ってもってきてほしい。そうしてその後、あなたとあなたの息子のためにパンを作りなさい。なぜなら、神はこう約束するからだ。『主が地の面に雨を降らせる日まで、壺の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならない』」。
 女はエリヤのいわれた通りにしたというのです。 このようにして預言者エリヤは助けられたという記事であります。

 この預言者を助け、救ったのは、豊かな人間によってではないのです。貧しいやもめ女なのです。彼女はただもうパンを作る小麦粉がないという経済的な貧しさだけではない、心も貧しく、到底ひとにパンを与える心のゆとりもなかったという貧しさだったのです。しかし、彼女は預言者の言葉を信じ、神の約束を信じて、まずエリヤのためにパンを作ってあげた。そうしたら、彼女もまた息子も助かったというのです。

 預言者エリヤは、このやもめ女の貧しさによって救われ、豊にされたのであります。やもめ女の貧しさによって、というのは正確ではない、むしろ、貧しいやもめ女が主の言葉を信じて、預言者を救ったということであります。

 しかしそれにしても、この女が貧しい人間であったことには変わりないのです。豊かな女が預言者を助けたのではないのです。神の恵みを一杯受けて豊になっている女によって助けられたのではないのです。

 もうこの最後のパンを食べたら息子と共に一家心中しようとまで追いつめられていた貧しい女によって助けられたのであります。このやもめ女はエリヤを助けることによって、彼女自身も息子と共に救われていくのですが、しかしだからといってその心が豊かになっていくわけでもないのです。この後、彼女の息子が病気になって死にそうになると、彼女は神を呪い、預言者を呪う始末です。ですからこの女は相変わらず心が貧しいことには変わらないのです。しかし彼女はそのつど神からの助けを受けて救われるのであります。

 そういう貧しい人間によって預言者エリヤは助けられ、救われたのであります。貧しい人間がただ神の約束を信じ、神が助けてくださるという神の恵みを信じて、人を助けることができたのであります。その貧しい人はそれ以後も貧しいことには変わりないのです。しかしそのつど神の恵みを信じて、そのつど豊にされて、人をも助けることができるようになるのであります。

 それはまさにわれわれは土の器のなかに神の宝をもっているということであります。それは量り知ることのできない力が自分の中からではなく、自分の外から自分の上からくることを示されるためなのであります。

 宣教の愚かさによって救われるということは、宣教の内容がもともと愚かさをもっている、つまりわれわれ人間は愚かでもいい、貧しくてもいい、その愚かさのなかに、神の知恵を指し示し、その貧しさのまま神の豊かさを示すことによって、人を救いに導くのだということであります。
 自分自身の豊かさとか、自分の立派さとか、自分の知恵だとかを見せるのではなく、また自分が神様を信じて、こんなに豊になった、立派になった、強くなったという、その豊かさを示すことによってでもなく、あいかわらずの自分の貧しさを通し、自分の愚かさを通して、神の豊かさ、神の知恵を指し示すことによって救いへと導くのであります。
 
 わたしが四国にいたときに、近くの教会の牧師がまだ四十代だったと思いますが、胃ガンのために亡くなりました。彼は神学校を卒業して、北海道で十年牧会をして、それから四国に赴任してわれわれの仲間になりました。彼は北海道でも、また四国にきても、ひとりも受洗者をださなかった、いや出せなかったということであります。人柄は大変優しい、岡山の田舎の出で、大変木訥な人柄の人で、みんなに愛される人でした。しかし受洗者を出せなかったのであります。これは伝道者になって痛恨の極みだろうと思います。

 教師会というのが毎月一回ありましたが、その教師会では、日曜日の礼拝の説教をテープに録音してきて、みんなで批評しようということになって、その時に彼の説教を聞いたわけですが、彼はほとんど聖書そのものを淡々と話しをするというような説教でした。これならいっそうのこと、聖書朗読のほうがいいてはないかと、わたしなどは悪口をいったものでした。

 ある時などは、クリスマスが終わった直後の教師会だと思いますが、彼のクリスマス礼拝のテープの説教をみんなで聞くというまわりあわせになったわけです。それは大変立派な説教でみんなはすっかり感心していたのです。これで四国の南予分区にも希望がでてきたとか最大限でみんな喜んでいたのです。しかしそれは竹森満佐一が降誕節でした説教が本になっておりましたが、その説教そのままの説教で、それこそ一字一句ちがわないものでした。わたしはその説教はそれこそ何十回と熟読しておりましたら、すぐ分かってしまったわけです。みんながあんまりほめるものですから、これは竹森さんの説教だといいますと、みんなも唖然としたということがありますした。

 そういう説教をしてはいけないとは思わないのです。説教にゆきづまったら、人の説教を借りるということも許されるとは思うのですが、しかしそれならば、これはこういう人の説教ですと断ればいいと思うのですが、彼はそれもしていないのです。しかも教師会で、牧師達の前で平然としてそのテープを聴かせるということに、わたしなどは唖然としましたが、彼はそれを指摘してもあまり悪びれることもありませんでした。あまり憎めない人でした。

 その彼が胃ガンで倒れました。自分がガンになったということを知ったためか、一時精神錯乱を起こして、精神病院に入院させなくてはならないといこうもありました。しかしそれも収まり、最後はちょうどクリスマスの季節が終わって、わたしがその教会の代務者をしておりましたから、クリスマスのキャロルをみんなで彼の入院している病院にいって、歌って、その翌日でしたか、彼は静かに息を引き取ったのであります。 

 その教会は、わりと広い敷地があって、いつも年末には牧師である彼が庭の雑草をとっていたのですが、彼が病気で倒れたために、それができないので、彼の奥さんが彼の代わりに雑草取りをしたそうです。そのことを奥さんが彼に話しをしたときに、彼がこういったというのです。「雑草をとらないでほしい。何か自分が抜き取られるような気がする」といったというのです。

 わたしはそれを後に奥さんから聞いて、胸をつかれました。彼は自分のことを自分の牧師としてのありかたをそのように受け取っていたのだなと思って、胸をつかれたのです。
 彼は決して優秀な伝道者ではなかったと思うのです。しかし神は彼を伝道者として召したのであります。

 もし日本の教会、いやそもそも教会というのが、大変優れた伝道者、牧師だけで宣教というものがなされていたら、教会というところは、エリートだけの教会になってしまって、それはもはや教会とはいえなくなるのではないか。

 パウロがいっているように、教会につながるということは、人間のからだの肢体のように、人間のからだには重要な働きをする頭脳とか心臓とかという肢体もあれば、ある意味では、それがなくてもそれほど致命的なことにはならない小指の爪とかという肢体もある、しかしそれぞれの肢体が同じキリストというからだに属している、つながっていると言う点で、みなそれぞれに尊いのだということであります。

 自分は雑草のような存在だと自覚している伝道者、そして事実そのようなものとして生涯を終えしてしまった伝道者もまた「愚かさ」という宣教の一翼をになってきたのだということであります。神はそのようにして、われわれの人間的な誇りを打ち砕き、われわれを謙遜にさせて、救ってくださったのであります。

 神は無きに等しい者をあえて選ばれた。それはどんな人間でも、神のみ前に誇ることがないためであるというのであります。