「権利を利用しない」 コリント第一 九章一ー一八節

 
 今日から再び、コリントの信徒の手紙の説教にもどります。
九章の一節からは、「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。わたしたちの主イエスを見たではないか」という言葉で始まります。まるでケンカごしのような言葉であります。この手紙はコリントの教会からの質問状というか、批判に答えるという形で書かれております。

 今までも、コリント教会内部での分派争いを巡っての問題、コリント教会内部での性の乱れを巡っての問題、偶像に供えられた肉を食べていいかどうかの問題とか、未信者との結婚を巡っての問題とか、パウロは彼の考えを述べてまいりました。

 九章からの問題は、伝道者パウロが伝道しながら、それを自分の食い扶持にしているのではないか。結局は伝道などときれいごとをいっているけれど、伝道を食い物にしているのではないかと、という非難に対してパウロが答えているのであります。

 その問題は、あの誇り高いパウロのプライドを一番傷つけた問題のようであります。そのためにいきなり何かケンカ腰のような口調から始められたようであります。伝道する者が伝道することによって、その報酬を受けてそれを生活の資にするのは、伝道者の権利ではないか、それについてとやかくいわれたくないということであります。それは律法にもきちんと、「脱穀している牛に口籠をはめてはいけない」と書いているように、つまり、脱穀という労働をしている牛には、きちんと食料としての麦を与えなくてはならないと書いているように、神殿で働く人は神殿から下がるものを食べることは当然のこととして許されるし、それは権利ではないかとパウロはいうのです。。

 主イエスも弟子を派遣するときに、「その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである」と言っているではないかというのです。

 福音を食い物にしている、宗教を食い物にしているといわれることは、パウロにとっては一番プライドを傷つけられることだったのです。なぜなら、パウロは自分がそうしたいから、するのではなく、ただそうすせざるを得ないからしているのだ、それを福音を食い物にしているといわれたら、パウロにとっては我慢ならなかったようであります。

 だから、パウロはまず自分は主イエスを直接、見たのだ、そしてその主イエスから直接使徒として任命された者だということを強調するのであります。

 「わたしたちの主イエスを見た」とパウロがいうのは、これは恐らく、パウロはあの十二弟子のように地上での肉としてのイエスに直接お会いしたということではないようであります。パウロは別の箇所で、自分は肉によってキリストを知ろうとはしないといっているからであります。パウロがここで自分は「主イエスを見た」というのは、彼が復活の主イエスに会ったということのようであります。復活の主は死んで三日目に復活し、まず十二人に現れ、ついで五百人以上の兄弟たちに現れ、そして最後に月足らずで生まれたようなわたしにも現れた、といっているのであります。

 これは復活の主イエスが四十日にわたってこの地上でその姿をあらわした時期ではなく、パウロがキリスト者たちを迫害していたとき、あのダマスコの途上で主イエスの幻にあったことをさしているようであります。

 「見た」ということは、それが幻の主イエスを見たということであったとしても、ただ主イエスを信じたというよりは、もっと強烈な体験、つまり主イエスのほうからパウロのところに下ってきてくださって、パウロにその姿を見せて信じさせてくれた、それで自分は使徒になったのだ、伝道者になったのだということ、つまりは自分は正真正銘の伝道者ということをパウロはいいたいのです。

 だから、自分はそのキリストに対しては、キリストの僕、キリストの奴隷ではあるが、人に対しては全く自由なのだということであります。それが「わたしは自由な者でないか」ということであります。だれからも、人間には束縛されないということであります。ただキリストだけに束縛されるのだいうことであります。

 三節からは、「わたしを批判する人たちについては、こう弁明する。わたしたちには、食べたり、飲んだりする権利がないのか。わたしたちは他の使徒たちや主の兄弟たちやケファ、つまりペテロのことですが、ペテロのように結婚して妻をもつ権利はないのかというのです。そしてパウロとバルナバだけは、他の使徒とは劣っていて、宣教にたずさわることによってそこから生活の資を得る権利がないのか」というのであります。

 自分は自由人なのだから、飲み食いしたり、結婚したり、伝道して、それによって生活の資を得てもいいではないか、それは当然の権利ではないかというのです。そのことでとやかく批判されたくはないというのであります。
 
 そして、パウロは一二節の後半で、「しかし、わたしたちはこの権利を用いなかった。かえってキリストの福音を少しでも妨げてはならないようにと、すべてを忍んでいる」というのであります。そして、さらに、「主は福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示された。しかし、わたしはその権利を何一つ利用したことはない。こう書いたのは自分もこの権利を利用したいからではない。それくらいなら、死んだほうがましだ、だれでもわたしのこの誇りを無意味なものにしてはならない」と、啖呵を切るのであります。

 伝道から生活の資を得るくらいなら、死んだほうがましだというのです。そんな権利を利用したくない、それを利用しないのが自分の伝道者としての誇りだというのです。それでパウロは自分の生活の資は、天幕作りという仕事をしてお金をかせいだというのであります。

 伝道者が伝道することによって、そこから生活の資を得るのは当然だし、それは権利だと一方ではいいながら、他の人はそうであっても、自分はその権利を利用しない、それをするくらいなら死んだほうがましだというのですから、なにかここでは、パウロは大変子どもじみたことを言っているような気がいたします。パウロらしいといえば大変パウロらしい、あの誇り高い、プライドの高いパウロが思わず出てしまったというところなのかもしれません。

 ここはパウロが宗教を食い物にしているという批判があったために、パウロの誇りが傷つけられたために、このようにいっておりますが、同じことをたとえばテサロニケの手紙などでは、「だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えたのだ」といっているところがありまして、こちらのパウロはもっと謙遜であります。つまりここでは、パウロは信徒に経済的な負担をかけたくないから、自分の生活費は自分でかせぐ、天幕作りは自分の職業でもあったから、それで稼ぐのだといっているのです。
 本当は伝道者パウロの気持ちは、ここにあったと思います。

 パウロがこのコリントの手紙で、自分はその権利を利用しないと啖呵を切っている理由は、一二節にある言葉です。
「わたしたちはこの権利を用いませんでした。かえって、キリストの福音を少しでも妨げてはならないようにと、すべてを耐え忍んでいます」という言葉であります。パウロがこの権利を用いないのは、伝道することによって、そこから生活の資をえないというのは、パウロの美学なんかではなく、それによって少しでも福音の妨げにならないようにということからなのであります。

 それはキリストの福音、つまり、あの十字架による罪の赦しというのは、全く一方的にな神の側の無償の行為だったからであります。

 福音というのは、パウロが後にローマの信徒への手紙で書いておりますように、「ただキリスト・イエスによる贖いのわざを通して、神の恵みにより無償で、ただで、義とされる」という福音なのです。

 福音というのは、もともと神の一方的な無償の恵みのわざなのであります。そうであるならば、それを宣べ伝える者がそれによって報酬を得るというようになると、それは神が無償で与えたものを、伝道者がゆがめてしまって、福音を誤解させてしまう、福音のさまたげになってしまっては困るということであります。それが「福音が少しでも妨げにならないように、耐え忍ぶだ」ということなのであります。

 一八節からこういいます。「ではわたしの報酬とは何か。それは福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしたが当然もっている権利を用いないということだ」というのです。

 ここでパウロは「権利」という言葉をさかに用いていますが、伝道者が伝道することによって生活の資を得るということは、果たして権利といえるか、伝道者はそんなふうに考えていないのではないかと思うのです。パウロがそれを権利などと考えたために、それを受けるならば、死んだほうがましだということになってしまうのではないかと思うのです。
 
 わたしは牧師になってからずっと、いわば、伝道することによって、そこから生活の資を得ているわけであります。しかしそれは権利だからそうしているのではないのです。昔から、牧師の、今日でいえば、給料になるものを、教会では、謝儀という言葉を用いてきました。それは報酬というものでもなく、謝儀といわれて来たのであります。それはもちろんなにかきれい事すぎますから、わたしは別に給料といわれてもかまわないと思いますが、しかしわたし自身は、少なくも権利としてそれを受け取ったことは一度もないのです。むしろ、感謝としてそれを受けってきているのであります。

 言葉の表現のことはともかくとして、わたしは伝道者が、牧師が、伝道することによって、教会からその生活費をいただくということは大事なことだと思います。それはパウロのように、天幕作りをして生活費をかせぐ、今日でいえば、牧師がアルバイトして生活費をかせぐというよになると、そちらのほうに勢力と時間がとられてしまうからよくないということだけではなく、牧師が教会から生活費をもらう、もっとあからさまにいえば、お金をもらうということが牧師にとってどんなに大事かと思います。つまり、人からお金をもらうということが、どんなに人間を謙遜にさせるかということなのです。

 教会員からその生活を養われるということは、場合によっては、牧師は教会員に媚びるようになるかもしれません。しかしそういう苦労をするということが大事だと思います。そういう媚びと戦って、しかし福音の真実を宣べ伝えるということが大事なのであって、自分だけは、金銭的にひとつも苦労しないで伝道するということは、牧師というものを大変傲慢な人間にしてしまうのではないかと思います。

 人の悪口をいうのは、説教ではあまりしたくはないのですが、日本には無教会という派がありますが、無教会の指導者は専門の牧師はいなくて、たいていどこかの大学の教授とか、そういう人がなっているようであります。そうすると、当然その生活の資は教会員から得るのではなく、自分でかせいでいるわけです。ですから無教会の先生というのは、大変いばっているのです。ある意味では大変傲慢であります。見た目には大変人格的にも立派で、清廉潔白な人が多いかもしれません。しかしそれがかえって、福音の宣教の妨げになっていないか。律法主義的な福音の宣教になりかねないのではないかと思うのです。牧師が清廉潔白でありすぎますと、牧師だけが崇められてしまって、本当にそれは福音を宣べ伝えることの妨げになるのではないか。

 お金をもらうということが、人間をどんなに謙遜にさせるかわからないと思います。このごろは、会社をリタイアしてから、神学校にいって、牧師になる人がふえていますが、自分の生活の資は、会社からもらった多額の退職金や年金でまかなう、だから教会員に経済的な負担をかけないということで地方の教会に赴任するのですが、しかし例外はあるでしょうが、四国での経験からいいますと、そういう人はあまり良い働きはしていないのです。何か説教とか、牧会というのが自分の趣味の延長というような形でなされる場合が多いのです。それでは本当に教会員に仕えるという姿勢が感じられないのです。

 永六輔という人がおりますが、彼がなにかに書いていたか、何かで言っていたかわすれましたが、彼はどこかの貧しいお寺の住職の子どもとして育ったのです。子どものころ、檀家の誰かが亡くなると、親である住職は夫婦でなにかほっとしている様子を布団のなかで聞いていた、つまり葬式代が入ってこれでなんとかやっていけると夫婦が密かに話し合っていたのを布団の中で聞いて育ったのだといっていて、わたしは四国で牧師をしている時にそれを聞いて、永六輔というひとはなんと謙虚な人だろうと思ったものです。

 都会の牧師が、しかも神学大学の教授を兼務しているどこかの大きな教会の牧師が自分は葬儀のお礼はいっさいいただかないといばっているのを聞くと、この牧師は地方の田舎の牧師の実情というものをどれだけ知っているだろうかと腹ただしくなるのであります。

牧師は清廉潔白、人格的に高潔になっては、かえって福音の宣教の妨げになるのではないかと思います。

 わたしは主イエスの弟子に対する言葉では、「その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである」という言葉よりは、この言葉のほうが好きです。「わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける」という言葉です。

 ここでは主イエスが弟子達をどんなに深くあたたかくみておられか。あの十二弟子をこの世に派遣するとき、主イエスはどんなに心配なさったか、それは羊を狼の中に送るようなものであると心配して派遣しているのです。弟子達はこの世的には、決して強くない。

人格的に精励潔白でもないし、すぐ躓いてしまう弱い存在でしかない。その弱い弟子に、彼が主イエスの弟子だという、ただその一点の理由だけで、彼がともかく福音を宣べ伝えていると言う理由だけで、水一杯を飲ませてあげるものを主イエスは祝福するというのです。それほど弟子達は小さく、弱い存在にすぎない、だから、そのものに水を飲ませ、食物を与えてあげて欲しいというのです。弟子達もまた自分たちがそのような存在でうあることを自覚しながら、福音を宣べ伝えなさいということだと思います。ここには権利などという考えはみじんもないのです。ただ感謝だけがあるのであります。