「すべて神の栄光のために」 コリントT 一○章二三ー一一章一節

 パウロは再び、「すべてのことが許されている」という言葉を持ち出しております。この言葉はすでに六章の一二節のところでもでてまいります。しかしここでは、少し六章とは違った展開になっております。

 六章のほうでは、すべては許されているけれど、すべてはゆるされているというって、自由奔放にふるまって、したいほうだいのことをしていたら、やがて自分の欲望の奴隷になってしまって、自分のわがままさというものに振り回されてしまって、せっかく与えられたその自由を失ってしまうぞという展開になっています。

 それに対して、このところは、すべてのことは許されているが、しかし、すべてのことが益になるわけではなく、すべてのことがわたしたたちを造りあげるわけてもない、となっています。

 「わたしたちを造りあげる」という訳は、口語訳では、「すべてのことは許されている、しかしすべてのことが人の徳を高めるわけではない」と訳されております。もともとの言葉は、ただ「立てる」という言葉が使われているだけなのです。それでこの「立てる」というのが何を立てるのかがはっきりとしないのです。これは教会を立てるという時に使われるている言葉なので、これは教会を立てるという意味だという人もおります。

 しかしその後の展開をみますと、「だれでも、自分の利益ではなく、他人の利益を追い求めなさい」とありますから、必ずしも教会を立てるということではなくて、むしろ人を立てる、人を重んじて人を立てるという意味のようであります。ですから、口語訳のように、人の徳を高める、という意味に近いと思われます。

 ある人が自由ということは、こういうことだといっております。たとえば、お城のなかですべてのことが許されていて、自分のしたい放題のことができる、しかし、そこには誰もいない、いたとしても自分にただ仕える、自分のいいなりなる奴隷とか召使いだけだったならば、本当に自由をあじあうことができるか、というのです。ちっとも楽しくはないだろう。その生活にはすこしも生き生きとした自由さはないだろう。その自由さは失われていくただだろう。ただ退屈だけだろう。しかしそこに自分が愛することのできる他者があらわれたらどうだろう。愛する対象の人が現れたら、その人に仕えることによって、その生活は豊かになり、生き生きと動き出して、その時に生きる自由というものを味合うことができるのではないかといっております。

 たとえば、定年退職して、もう朝早く起きて、満員電車に乗って会社に行かなくてもいい、そして多少はなにかをするための金ももっている、ということだけでは、われわれは真に自由になれるのかということであります。そのときに自分の趣味でも、あるいは、心からできるボランティア活動でもあれば、つまり、なにか自分の好きなことができるものがあれば、それは自由というものを発揮できるだろうと思います。

 自由というのは、ふしぎなもので、ただ自由だけあっても、かえって不自由になるだけであります。何かに夢中になれるものがあってはじめて自由というものが生かされるのであります。

 そのあと、パウロはこういいます。「だれでも、自分の利益ではなく、他人の利益を追い求めなさい」といいます。つまり、われわれは人を愛することにおいて、あのすべては許されているという自由というものが、発揮できるのだということであります。

 しかし、自分の利益ではなく、他人の利益を追い求めなさい、といわれても、われわれはすぐには納得はいかないのではないかと思います。こんな勧めの言葉を聞くと、またあの戦争中にはやった言葉、滅私奉公という言葉を思いだすのではないか。それは確かに他者のために仕えることはいいことかもしれない。しかしそういう言葉でわれわれはどんなに騙されてきたか、そうでなくても、滅私すること、自分をなくすということは決して容易なことではないし、またまた「欲しがりません勝つまでは」式の禁欲主義的な倫理をおしつけられる気がするのではないか。そんなところに自由というものがあるのかと思いたくなるのでなはいか。

 わたしは聖書の中にでてくる、こうした言葉、つまり「自分の利益ばかりではなく、他人の利益を求める」というような言葉を読むときに、警戒しながらよまざるを得ないのです。なにを警戒するかといえば、そうした倫理的な勧めの言葉がわれわれを再び律法主義的な倫理にもどしてしまうのではないかということを恐れるのです。そうしたら、あのキリストによって与えられた自由というものをやはり失ってしまうのではないかということを警戒するのであります。

 パウロは「自分の利益ではなく、他人の利益を追い求めなさい」といったあと、あの偶像に供えられた肉を食べていいかどうかという問題にふれてくるのであります。

 二六節らかみますと、「市場で売っているものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい。『地とそこに満ちているものは主のもの』だから、何を食べてもいい、何を食べても自由だ、偶像に供えられ肉だからといって、信仰が汚されることはない」というのです。そういう意味では自由だというのです、すべてのことは許されているというのです。

 しかし、その時に、一緒に同席しているひとの誰かが「これは偶像に供えられた肉です」といった場合には、その人のため、また良心のために食べてはいけないというのです。

 「これは偶像に供えられた肉です」と言う人はだれなのか。それは一緒に食事に招待されたクリスチャンの仲間の一人だと思われます。その人はまだまだ律法的な習慣というものに捕らわれているところがあって、その人は偶像に供えられた肉を食べると自分の信仰の純粋性が汚されるのではないかと思っている人なのです。だからその人の前で、それが偶像に供えられた肉だと指摘されながら、その人はその肉を食べると自分の信仰が汚されると思っているのに、その人の前で肉を平気で食べたら、その人の信仰の良心をつまずかせてしまうことになるから、その人をつまずかせないために、その肉を食べるのをやめなさいということのようであります。

 それが自分の利益ではなく、他人の利益を求めなさいということのようであります。
 そしてパウロは結びの言葉として、「あなたがたは食べるにしろ、飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい」というのです。いきなり「神の栄光のために」といわれてもぴんとこないと思います。言葉をかえていえば、すべては神を中心にして考え、行動しなさいということであります。

 つまり、自己中心の反対語は、他者中心ではなく、神中心だということなのです。

 われわれはただ他者のために他者のために、ということだと、なにか滅私奉公的な、ただただ自分を押し殺し、禁欲主義的な、あの再び律法主義的な倫理を押しつけられそうな気がいたしますが、ここではそうではなくて、神中心にしていきなさいということであります。神を中心にして生きるときに、われわれはただただ他者のことだけを考え、他者の利益だけのことを考えて生きるのではなく、他者と共に、自分もやはり神に許され、神に生かされた者として自分を位置づけることができるのではないかと思うのです。
 ここでは、二九節にあるように「どうしてわたの自由が他人の良心によって左右されることがありましょう」といっているように、ここでは自分の自由というものがきちんと確保されている、自分の良心というものがしっかりと地についている、それは他人によって左右されることなく、しっかりと地についているのです。ですから、他人の利益のために生きるせよ、それは決して自分をただ滅ぼして、我慢して、禁欲して、他人に仕えることではないということなのです。
 
 もしこの場合、偶像に供えられた肉だといわれて、それを食べないことによって、逆に自分の信仰がくずれそうならば、つまり、自分が再び禁欲主義的なものに陥るのではないかと危険を感じるというのならば、たとえ、そういわれたとして、その肉を食べればいいのです。他人の良心のことばかり配慮して、自分の良心が危うくなるようならば、無理をすることはないのです。偶像に供えられた肉を食べればいいのです。地とそこに満ちているものは神のもので、ひとつも汚れたものはないからです。
 
 自己中心の反対語は、単なる他者中心ではなく、神中心であります。われわれは神をこの世界の中心にして生きるときに、ただ自分の利益だけではなく、他人の利益のことも無理なく考えられるようになるのでないかと思います。
 
 われわれはあまり人を躓かせないように、人を躓かせないようにとばかり、気を使って生きようとすると、大変不自由になるのではないか、われわれはあまりにも神経質になるのではないか。

 パウロはコリントの信徒の手紙の第二の六章のところでこういっているところがあります。口語訳でよみますとこういっているのです。「わたしたちはどんな事にも、人につまずきを与えないようにし、かえって、あらゆる場合に、神の僕として自分を人々にあらわしている」というのです。パウロは自分は人に躓きを与えないように細心の配慮をしながら生きているというのです。

 人のことを気にしながら生きているというのです。しかしそのあと、パウロはなんていっているかというと、「極度の忍苦にも艱難にも、危機にも行き詰まりにも、そして、ほめられても、そしられても悪評を受けても、好評を博しても、神の僕として自分をあらわしている。わたしたちは人を惑わしているようであるが、しかも真実であり」というのです。

 ここでは、パウロは自分は人に躓きを与えないように、人のことを配慮しながら生きているといいながら、実際には、ほめられても悪評を受けても、そしられても、人を惑わしているようにみえても、常に神の僕として自分のことをあらわしているといっているのですから、パウロは他人をつまずかせてはいけないということばかりを配慮して、神経質にそのことばかり配慮して生きているわけではないことがわかります。

 そしられたり、悪口をいわれたり、というのですから、他人がいやがること、他人をつまずかせることも平気でいっているということであります。自分の信じていることを述べているというのです。神の僕としての自分をあらわしているというのです。そしてそれが本当の意味で、人を躓かせないようにして生きるということなのだといっているのであります。

 ですから、ただ人を躓かせてはならないと言うことばかりに気をつかっていたら、われわれは神経質になってしまうと思います。それは大筋においてそう思っていればいいのであって、大きな意味でそう思っていればいいのであって、ここでもすべては神の栄光をあらわすために、神の僕として、神を中心にして生きていけばいいということではないかと思います。

 そしてここで、パウロが最後にいっているように、「わたしも人々を救うために、自分の益ではなく、多くの人の益を求めて、すべての点ですべての人を喜ばせようとしている」というように、人を躓かせまいと神経質に生きるよりは、どうしたら人を喜ばすことができるかということのほうが大事だと思います。人を躓かせまいとするよりは、人を喜ばせるようとして配慮したほうが、自由な生き方にふさわしいと思います。何が人を躓かせるかは本当に難しいからであります。そんなことに神経質になるよりは、どうしたら人を喜ばすことができるかを考えたほうが、自由にいきられると思います。喜びのあるところには自由があるからであります。

 三一節でパウロはこういいます。「だから、あなたがたは食べるにろ、飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい」といいます。
すべては神の栄光のためにしなさいというのです。

 このことで思いだすのは、わたしの前任地で、わたしがまだ神学校を卒業して牧師になりたての頃のことを思いだすのです。その教会で、その教会の中心的な存在であった人がわたしが赴任したときには、脳卒中でしたか、病に倒れて、もう役員も引退して、自宅で療養生活をしていたかたがおりました。その一家がその教会を支えていたのですが、そのかたは病気に倒れてから、役員も退くということで、教会のためになにも奉仕ができなくなったのです。そのとき、そのかたは信仰的にもおとろえたというか、信仰がわからなくなったとご自分でいうのです。もうあまり、聖書も祈ることにも、讃美歌を歌うことにも教会の礼拝にでるのもあまり関心がいかなくなったと正直にいわれるのです。

 そのかたは、医者でしたし、市の教育委員の委員長をしたこともあるという社会的にも活躍したかたのなのですが、教会でもそうした社会的なことでも、もう何もできなくなったときに、生き甲斐を失ってしまって、信仰も失いかけていたのです。その人にとっては、自分が神のために人のためになにかをする、なにか奉仕的なことをすることが信仰的なことだと思っていたようなのです。それでそれがいっさいできなくなったときに、信仰まで失いかけていたのです。

 わたしはそのかたの病床を訪問して、困惑しました。信仰というのは、自分が何かをするということではなく、自分が何もできなくなっても、イエス・キリストが共にいてくださることを信じることなんですよ、しきりに訴えても、なかなかわかってもらえませんでした。

 その時奥様も大変悲しまれて、最後に別れる時にこう祈ったのです。「どうか主人が神の栄光を汚されないようにしてください」という意味のことを真剣に祈られたのです。その奥さんは信仰的にはご主人よりは本当に深い信仰をもっていらして、わたしが牧師になって、いちばん支えられた夫人でしたが、それこそ明治時代のクリスチャンの典型的な人で、敬虔深く、素朴なかたでした。そのかたが「どうか主人が神の栄光を汚さないようにしてください、主人の信仰をまもってください」と祈ったのです。

 わたしはそれを聞いいて、この人はなんと大げさな祈りをするのだろうとそのとき思いました。人間が信仰を失ったからといって、それで神の栄光が汚されるなんてことはない、神の栄光はそんなわれわれ人間の行動で左右されるものではないのにと、その時は思いました。少し大げさな祈りではないかと思ったものであります。

 その時はそう思いましたが、確かに少し大げさな祈りではありますが、自分の主人の信仰が危うくなるのを憂えて、すぐそのような言葉で祈れるということは今から考えますと、なんと素朴な信仰一筋に生きたかただったかと思うのです。それに比べて、今日のわれわれの信仰はいかにも世俗的になってしまったのではないかとさえ思うのです。

 「神の栄光のために」とか、「神の栄光を汚さないように」という言葉が自分の祈りのなかで、すぐ口をついてでるということは、やはりすばらしい信仰だと今は思います。

 その後、そのご主人は、四国の遍路さんの傘に書かれている「同行二人」という言葉、つまり、お遍路さんが一人で歩いていても、弘法大師様がいっしょであると言う意味の言葉なのですが、その「同行二人」という言葉から、信仰というのは、自分がなにかをするということではなく、インマヌエルということ、どんなときにも神が、イエス・キリストが共にいてくださることを信じることだということがわかって、信仰をとりもどすことができました。

 そしてその奥さんのほうは最後どうなったかといいますと、わたしがもうその教会を去って、この松原教会にきてから、何年かたってからだと思いますが、病気に倒れました。わたしも一度四国までお見舞いにいったことがありますが、その時は喜ばれましたが、その後病が重くなって、少し痴呆がすすんだのかもしれません、晩年はもうすっかり聖書も、讃美歌も、祈りにもすっかり関心を失うようになりまして、家族のかたはそのことが大変な痛みというか、嘆きを感じていました。あんなに信仰深く、信仰ひとすじに生きてきたかたが、病気とはいえ、神様はなんて過酷なことをなさるのだろうかと嘆いておられました。そしてそのまま静かに天に召されていったのです。最後に信仰的なことはなにひとつ口にしないで、天に亡くなられたのです。

 わたしは神に栄光を帰するということは、そういうことだと思うのです。最後にわれわれの口でなにか神の栄光のために祈るとか、言葉にだすとか、そういうことではないと思うのです。息子さんはその母が息を引き取る時に、母の顔にぽっと明かりがさしたといって慰められたといってますが、それは神様のその息子さんのための憐れみであったかもしれませんが、そのように明かりがささなくても、いいのです。われわれが死ぬということは、すべてを与え給うた神が最後には全て取り去り給うのですから、われわれが死ぬということは、われわれのもっている意識的な信仰も、自覚的な信仰もすべて取り去れていく、それがわれわれが死ぬということだと思うのです。そしてそれが神の栄光を現すということだと思います。

 イザヤ書の言葉にこういう言葉があります。「人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしか人は草だ。草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変わることはない」というのです。

 それはバビロン捕囚の中で望みを失っていたイスラエルの民を慰める言葉として語られる言葉なのです。望みを失ったイスラエルの民を慰め、望みを与える言葉なのです。

 神の栄光が輝くということはそういうことだと思います。そうであるならば、われわれがすべて神の栄光のために生きるということは、われわれがなにかすばらしい神のようなわざをしでかすということではなく、われわれがあくまで人間として、土の器という、弱い、もろい器の中に、神の恵みと神の力と神の栄光をもつということではないか。

 それはどんな人をもつまずかせないという小さなことにおいても、あらわすことができることかもしれないのであります。