「苦難の中にある者を慰める」 コリントU 一章一ー七節

 今日から引き続いて、コリントの信徒の手紙の第二の手紙といわれている手紙を学んでいきたいと思います。コリントの信徒への宛てた手紙は、今日の聖書では、第一の手紙、第二の手紙という形になっていますが、新約聖書学者の間にはいろいろな説があって、第一の手紙の中に、「先に送った手紙」と言う言葉があったてりして、今日の第一の手紙の前にコリント教会あての手紙があったのではないかと推測されたり、またこの第二の手紙のなかに、二章の四節のところに、「わたしは悩みと憂いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました」とあるので、そうした涙の手紙というのがあったのではないか、そしてそれがこの第二の手紙のなかに入り込んでいたのではないかと、いろいろと推察されていますが、そうした議論は、これから学ぼうとしております講解説教にはあまり関係のないことなので、それについてはこれ以上のことは詮索しないで、一つ一つこれから順にそって学んでいきたいと思います。

 今日のところは、三節から七節のところであります。ここのところには、慰めという言葉が、この短い節のななかで、八回も出てまいりますので、説教の題として「苦難の中にある者を慰める」という題をつけましたが、しかしここのところを改めて説教しようとしたときに、われわれは果たして、苦難の中にある人を本当に慰めたことがあるだろうか、慰めようとしたことはあるでしょう、また慰めなくてはならないと思ったことはあると思いますが、しかし、本当に苦難の中にある人を慰めたことなんかあるのだろうか、と思って、こんな題をつけたことを恥ずかしくなったのであります。
 
 われわれは苦難の中にある人を慰めようとして、むしろ、慰められることを拒否されたことのほうが多いのではないか。口ではあからさまにそういうことはいわれないまでも、あるいは慰められたふりはされるかもしれませんが、本当は少しも慰めにもならないことを口走っているということのほうが多いのではないか。
 
 本当に深い苦しみの中にある人、悲しみのなかにある人は、慰められることを拒否しようとするのではいなか。
 
 主イエスが誕生したときに、それは将来イスラエルの王となる者が誕生したのだという噂が流れて、自分の王位が危うくされることを恐れたヘロデ王がそのイエスを抹殺しようとして、イエスが生まれたという噂の中にある二歳以下の幼児をことごとく殺していったというです。そしてそのようにして理不尽に自分の赤ちゃんが殺された母親は、慰められるのを拒否したと聖書は記しているのであります。そこではエレミヤ書の言葉が引用されて「ラマで声が聞こえた。激しく泣き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない。子供たちがもういないから」という言葉が成就したのだというのです。

 その悲しみがあまりに深い時、人は慰められることを拒否したくなる、拒否するのであります。そういう人を慰めることなんか到底できないのであります。

 わたしが四国にいたとき、その牧師仲間のひとりが、岡山の水島というところの教会に移ってから、お子さんを不慮の事故でなくしました。確か三歳か四歳のお子さんだったと思います。隣の家の庭の池に落ちてしまって、なくなったのです。それはもうかわいい盛りの時です。

 その時に近くの牧師がきて、自分も同じように子供を亡くしたといって、彼を慰めにきたというのです。一緒に讃美歌を歌いましょうといって歌い出したというのです。彼はもうなんともやりきれなかったというのです。そんなことは彼にとってひとつも慰めにはならないのです。むしろ不快だった、怒りを感じたというのです。

 そしてそのとき、彼はつくづく思ったというのです。同じように子供を亡くしたという経験をしても、それはもう本当に人それぞれであって、同じような経験をしたからといって、それをもとにして、人を慰めるなんてことはできないということを知ったというのです。悲しみというのは、それぞれに悲しいのだと言うことを知ったというのです。

 わたしはその不慮の事故を知ったときに、距離も遠いということもあって、葬儀にはいきませんでした。いけなかったというよりは、行く気がしませんでした。とうていいけない、いっても慰めようがないと思っていきませんでした。それから一年くらい経ってからでしたか、近くまでいく集会がありましたので、彼のところにいきました。もう一年も経っているというのに、彼の奥さんは買い物にもいけないで、外に一歩もでない状態が続いて、すべてを主人である彼がしていました。お見舞いにいったわけですが、奥さんは最初顔をみせませんでした。翌日ようやく顔をみせたという状態でした。
 
 それはまさに「ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから」という状況で、彼の奥さんは慰められることを拒んだのであります。

 苦難の中にある人を慰める、深い悲しみのなかにある人を慰めることは、たとえ似たような経験をしたとしても、それをもって慰めるなんてことは到底できないのであります。

 それなのに、ここでパウロは「神は、あらゆる苦難に際して私達を慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難のなかにある者を慰めることがてぎる」といっているのは、どうしてだろうか。

 パウロはどのように神に慰められてきたのだろうか。
 パウロが受けた試練の中で最大の試練は、この手紙の十二章に記されておりますが、彼が重い病気になって、それは伝道者パウロにとっては致命的な障害になるような病気になった時ではないかと思います。パウロはそのとき必死に神に祈った。この病を治してくださいと祈った。しかしその祈りはなかなか聞かれませんでした。そうした中でパウロが聞いた主イエスの言葉は、「わたしの恵みはお前に対して十分注がれている。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」という言葉でした。その主イエスの言葉を聞いて、パウロは「キリストの力がわたしのうちに宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇ろう。わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足している。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからだ」というのです。

 パウロが受けた神からの慰めとはそういう慰めだったのです。それは病気が治ったという慰めではないのです。パウロの病が何だったのかわかりませんが、彼は恐らく生涯その病を背負ったまま伝道者として働いたと思うのです。パウロは強くなったわけではない、相変わらず弱さの中にあり、何度も行き詰まりを経験するのです。しかしそのときに、神の力、神の恵みは、この自分の弱さの中にこそ十分に発揮するのだ、わたしは弱いときにこそ強いのだという慰めを与えられたのであります。

 旧約聖書の中で用いられる慰めというヘブル語は様々な意味をもった言葉だと竹森満佐一はいうのです。本来この字は激しい息づかいをするという意味をもっているといいます。そこから動詞の形によって、悔い改める、憐れむ、慰めるという意味に用いられるようになったのだ。いずれにせよ、激しい息づかいをするということから始まった字なのだから、それがどう変化したにせよ、人間の生活を根本的に揺るがすような調子が含まれている、人間を悔い改めに導くような激しいものを含んでいるというのです。
 そうであるならば、慰めるということは、日本語の慰めという言葉から想像するような何かセンチメンタルな甘いものではないということであります。

 慰めるとは、もともとは激しい息づかいをするという意味をもっているといわれますと、あの苦難の中にあったヨブに対する神の慰めのことを思い出すのであります。ヨブは自分の全財産を突然奪われ、自分の子供達も奪われ、そればかりでなく、彼自身が全身重い皮膚病に冒されてしまうという試練に見舞われます。その中でヨブは自分は今まで少しも悪いことはしてこなかった、こんな重い試練を受けなくてはならないほどの罪を犯してこなかった、なぜこんな不幸な目に会わなくてはならないのかと必死に神に訴えるのであります。

 それに対して神はなかなか答えてくれませんでした。そして神がついに登場しました。それはヨブを優しい言葉でいたわるような慰めの言葉をいいに来たのではなく、つむじ風の中から、嵐の中からヨブをしかりとばすのです。
 「お前は何者か。知識もないのに、言葉を重ねて神の経綸を暗くするのは。お前は神か」としかりとばすのです。「なにもかも自分の知恵で、人間の知識でわかろうとするな。自分中心にしてすべてのことを推し量ろうとするな。お前は人間に過ぎない」といわれてしまうのです。

 それはまさに神の激しい息づかいのする言葉だったのです。それは嵐の中からという声の調子だけが激しい息づかいだったというだけでなく、その内容もヨブの思いを打ち砕くような激しいものだったのです。

 それを聞いてヨブはこう答えたのです。「あなたは全能であり、御旨の成就を妨げるもことはできないと分かりました。今までわたしはあなたのことを耳にしておりましたが、今、この目であなたを仰ぎ見ます」というのです。そして「わたしは塵灰のなかで主に伏し、自らを退け、悔い改めます」と主なる神の前にひれ伏すのであります。
 ヨブは彼の病気が治ってから主なる神の前にひれ伏したのではないのです。その試練のまっただ中で、その苦しみの中で、その悲しみの中で、その苦しみが具体的にはなにひとつ取り去れていないなかで、神の前にひれ伏して、慰められたのでりあます。

 それは試練の中で、だんだん強くなって、それこそいわゆる人生の練達の士とか、人生の熟練者になって、どんな試練にも動じなくなるようになって、救われるというようなことはではないのです。
 試練の中でますます自分の弱さを覚えて、ますます神のみに信頼するようになる、弱い時にこそ強いという信仰を与えられる、そのようにして、苦難の中で慰められるということであります。

 旧約聖書の慰めという字は、もともとは激しい息づかいをするという意味をもった言葉だとすれば、新約聖書のギリシャ語で慰めるというのはどういう意味をもった言葉かといえば、自分のほうに招くという意味の言葉だということであります。自分を弁護してくれるかたを自分のほうに招く、自分の味方につけるという字だということであります。それはつまり、神が自分の味方になってくださる、神が共にいてくださる、それが慰められるという字なのだということであります。

 旧約聖書のヘブル語の慰めという字が激しい息つがいをするという意味で、新約聖書のギリシャ語の慰めという字は、自分の味方してくれる人を自分の方に招く、引き寄せるという意味の字だというのです。

 苦しい時、苦難の中にいる時は、われわれはいつでも自分のことしか考えられなくなっているのです、自分の狭い穴のなかにどんどん陥っていって、そこから抜け出せなくなって、ますます自分を苦しめていくのです。そういう時に、激しい息づかいをして、しかりとばし、苦しんでいる者を根底から根こそぎにに揺さぶって、その自己中心の世界から解放してくれる、それが慰めであるとするならば、それはさらに自己中心性から解放されて、本当の味方を自分に引き寄せる、招く、それがいっそう強く慰められることになるのであります。
 
 パウロは苦難の中にあって、そのように慰められたのであります。「もし神が味方ならば、だれがわたしたちに敵対できるか」というのです。たとえどんな強力な敵がいたとしても、どんな苦難の中にあるときにも、神が味方であるならば、主イエス・キリストによって示された神の愛から私達を引き離すことができるものは何もないのだから、大丈夫だと、慰めを得ているというのです。

 ちなみに日本語で慰めという字はどういう意味かと思って辞書をひきましたら、「不満な心をしずめ、満足させる、気をまぎらす、苦しみをなだめる、なごます」と出ておりました。われわれが使う慰めという字は、なごます、という意味だということであります。それはつまり、苦しみの中でかたくなになっている心、閉ざされている心、そのこわばりを崩して和ませる、柔軟にしてあげるという意味ではないかと思います。
 
 慰めという言葉と一番すぐ結びつくのは、苦難とか痛みというよりは、悲しみと結びつくと思います。苦しみとか痛みの場合には、その苦しみとか痛みを取り去る、あるいは和らげるとかいうように、「取り除く」とか「和らげる」という言葉とむしろ結びつくのではないかと思います。

 慰めという言葉と結びつくのは、悲しみではないかと思います。苦しんでいる人がただ苦しいのではなく、その苦しみのなかで悲しんでいるとき、われわれはその悲しを慰めることができるのであって、苦しみとか痛みのただ中にあるときには、とうてい慰めになんかにはいけないと思うのです。それはもうお医者さんが痛み止めの注射をうつ以外にないと思います。そんな状態のときに慰めにはいけないと思います。苦しみとか痛みはそれはただ取り去る以外にないと思います。

 しかし、悲しんでいる人を慰めるということは、苦しみや痛みを取り去るように、その人から悲しみを取り去るのではなく、その悲しみのなかで味方になってあげる、その悲しみの傍らにいてあげるということではないか、そしてわれわれ自身が本当の意味で味方になることなんかはできないわけですから、本当のあなたの味方は誰か、どんなときにもあなたの味方になってくださるかたは誰か、そのかたをその悲しんでいる人に示してあげるということではないかと思います。

 新約聖書の慰めという字は、誰かを自分のほうに引き寄せる、味方につけるという字だというのは、そういうことであります。

 われわれは悲しい音楽を聴くと慰められるのであります。それはまるでわざわざ悲しみたいからではないかと思うほどに、われわれは悲しみの音楽は好きだし、悲しい曲を聴きたくなるのではないかと思うのです。それはやはり悲しい曲を聴くときに、自分の弱さとか、人間の弱さというものをしみじみと感じて、自分を超えた、人間を超えた存在に触れたいという気持に、触れたという思いになるからではないかと思うのです。
 
 このあと、讃美歌の三九九番を歌いますが、そこでは繰り返し、「天の力にいやしえぬ悲しみは地にあらじ」と歌います。ここでは天の力に取り去ることのできない悲しみはない、とは歌わないのです。いやしえない悲しみはない、とくりかえし歌うのです。それはつまり悲しんでいてもいいんだ、その悲しみの中でいやしえが神から与えられるということであります。

 苦しみの中にあるときには、悲しみを取り去る必要はないのです。むしろ悲しむことによっていやされていくのではないか。泣くことによっていやされていくのではないか。

 子を失ったラケルは慰められることを拒んだ、慰められたいと願わなかったのは、子を理不尽にも殺された母親たちは、自分たちの悲しみを取り去るような慰められかたを拒んだということではないかと思います。理不尽な運命のなかで、悲しんでいたかった、いつまでも悲しみのなかにいたかったということではないかと思います。
お子さんを失った親は生涯悲しみ続けるだろうと思います。

 しかし、讃美歌の三九九番は、そして聖書は、その悲しみの中にいやしえがあると歌うのであります。神がその悲しみのかたわらにいてくださるのだから、というのであります。これが慰めなのだというのであります。