「十字架につけられたキリストのみ」 コリント第一 二章一ー五節

 パウロはコリント教会の人々にこう書くのであります。「兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉の知恵を用いませんでした。なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト
それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです」と、書くのであります。

 この世的な知恵、この世的な雄弁な説教はもうしない、ただひたすらイエス・キリスト、しかも十字架につけられたイエス・キリストだけを伝えようと決心したというのです。これにはパウロの苦い経験があったことが予想されるのであります。といいますのは、使徒言行録の一七章をみますと、パウロはギリシャの中心であるアテネで説教をして大変苦い経験をして、そのあと、アテネを去ってコリントに行ったと記されているからであります。

 使徒言行録はパウロが書いたわけではないので、パウロの説教をどれだけ正確に伝えているかはわかりませんが、しかしそれにしても、やはりパウロがそこで語った趣旨を曲げて書くはずはないわけで、そこでのパウロの説教の片鱗をうかがうことはできると思います。

 そこでは、パウロは大変雄弁な説教をしたようであります。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけるからです。それであなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしは知らせましょう。世界とその中の万物とを造られた方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません」と話はじめて、この天地を造られた神はわたしたちから遠く離れてはいないと述べて、神を人間の手で造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはいけないことをのべて、「神はこのような無知な時代を大目に見てくださったが、今はどこにいる人でも悔い改めるようにと命じている。それは先にお選びになったひとりの方によってこの世を正しく裁く日をお決めになったからだ。神はこのかたを死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったかのです」と語るのであります。

しかし、パウロが死者の復活について話しだすと、「それについてはいずれまた聞かせてくれ」といって、みんながあざ笑いながら去っていったというのです。

 これがその時パウロが説教した全部ではないでしょうが、これだけをみてもずいぶん雄弁な説教をうかがわせます。最初は相手をほめて、くすぐって、そして最後には悔い改めを迫り、終末の裁きを迫り、そのために神はイエス・キリストを死人の中からよみがえらせたのだと語ろうとしている。

 しかしその説教はみじめにも失敗してしまうのであります。ここではイエスの十字架のことはひとつも出ていない、おそらくパウロとしたら、これからイエス・キリストの十字架について話しだそうとしたのかもしれません。しかし話が死人のよみがえりのことになると、教養のある知識人の多いアテネ人々からはあざ笑われて、みんなパウロのもとを去っていったというのです。
 そしてそのあと、パウロはアテネを去ってコリントにいったと使徒言行録は記しているのであります。

 こういう苦い経験があったから、パウロは「もう自分は優れた言葉や知恵を用いない、ただイエス・キリスト、しかも十字架につけられたイエス・キリストだけを伝えると決心した」と書いているのかもしれません。

 二章の一節をみますと、「わたしも」とありますが、この「も」というのは、「わたしもまた」という意味で、一章の一八節から語ってきたことを受けて、わたしもまたこの世の知恵を用いない、十字架の愚かさに徹しようとして、コリントの町に入ったのだということであります。

 パウロは学問をした人ですから、いわば教養人でありました。当時のいろんな哲学を知っていたのです。しかしもうそうした哲学をすべて捨てて、ただキリスト・イエス、十字架につけられたキリストのみを知ろうとしたというのです。それは主イエスがあのマルタに語られた言葉、「なくてならないものは多くはない。いや、一つだけである。マリアはその良い方を選んだのだ」という言葉を思いださせます。

 それはある時、主イエスがマルタとマリアの家に入った時の話です。姉さんのマルタはイエスがいらしたということで、イエスを接待するので忙しくしていた。とろが、マリアは姉の手伝いをいっさいしないで、ひたすらイエスの言葉に耳を傾けていた。それをみてマルタはいらだち、イエスに妹に手伝うようにいってくれといいますと、主イエスが答えた言葉が「マルタ、マルタ、あなたは多くことに心を配って思い煩っている。しかし、なくてならなぬものは多くはない。いや、一つである。マリアはそれを選んだのだ」といわれたのであります。

 マルタもほかならないイエスがいらしたのだから、イエスの話を聞きたくてたまらないのです。しかしお客さんであるイエスに接待しなくてはならない、それは女の仕事だと思っていた。イエスの話は聞きたい、しかし接待もしなくてはならない、それでいらいらしていたのです。
 しかしマリアのほうは見事に接待することを捨てている、そしてただひとつのこと、イエスの話を聞くほうを選んだのです。それをイエスも高く評価したのです。

 ひとつのことを選びとるということは、他のことは捨てるということです。イエスの話をひたすら聞くためには、ここでは、お茶の接待を捨てなくてはならない。マルタは捨てるということをしなかった。そのためにイエスの話を聞くという、自分でも一番大事だと思っていることを失ったしまったということであります。
 なくてならぬただ一つのことを選びとるためには、他のどうでもいいことは捨てなくてはならない、そうしないと、折角、これが一番大事だと思っていることが曖昧になり、それを失ってしまうのであります。

 今、パウロはアテネでの経験をふまえて、それを痛切に味わったのではないか。キリスト教の宣教の中心は、十字架である、しかもその十字架は神の子が不様にも十字架の上で殺されるというこの世の知恵からすれば、愚かさの極みである十字架、それに徹することだ、それだけを語ればいい、それに徹しよう、それ以外のものを捨てようとパウロは決心したということであります。

 使徒言行録のパウロの説教がどれだけパウロの説教を忠実に記しているかはわかりませんが、そこに出ているかぎりでは、まだ十字架のことには語り出す前に人々は去っていってしまった、死人のよみがえりを語りだしたらみんなにあざ笑われてしまった。そこではパウロは十字架を語ることに失敗しているのです。復活ということも、あの十字架にかけられた神の子の復活ということでなければ意味がないのだとパウロは思ったのかもしれません。

 もうこれからは、素朴に愚直にただ十字架につけられたキリストのみを語ろうと心に決めたのであります。

 ここで面白いと思うのは、パウロは「あなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めた」ということ、つまり「あなたがたの間で、十字架につけられたキリスト以外何も語るまいと心決めた」とはいわないで、「何も知るまい」と心に決めたと書いていることであります。本当なら、話の筋道からいえば、「あなたがたの間で」というのですから、「何も語るまいと心に決めた」になると思うのですが、そうはいわないで、「何も知るまいと心に決めた」というのです。リビングバイブルはそれはおかしいと思ったのか、ちゃんと「その十字架上の死以外は語るまいと決心した」と訳しているのであります。

 しかし、ここでパウロが、「十字架につけられたキリスト以外のことは何も知るまいと心に決めた」というのです。このことが大事だと思うのです。つまり、人に語る前に、何よりも自分自身がこの事以外には、もう何も知るまいと決めるということが大事なのではないか。まず自分自身が心の中でそのように決断する、だからまたそのように語ることもできるようになるということであります。

 もちろん、キリスト教が伝えなくてならないことは、十字架以外にも多くのことがりあます。現に使徒信条も十字架のことだけを告白しているわけではありません。しかし、その中心は十字架であります。だから、われわれはなにかで思い煩ったり、信仰がぐらついた時には、十字架につけられたキリスト以外のことは何も知るまいと心に決めるということが大事なのではないか。そうしたら、われわれはもっともっと謙遜になることができるし、愚かさに徹することができる、そして勇気も与えられるのではないか。

 そのために捨てなくてはならないものが一杯あるのではないか。われわれは自分の人生のなかで、捨てることができないばっかりに、大切なことを失ってしまったということが多いのではないか。
 
 われわれの生活はもちろん、ふだんは十字架のことだけを考えて生きているわけではないし、またそんなことをしていたら、この世の生活はできなくなると思います。会社勤めの人は、会社の利益を上げるために競争もしなくてはならないと思います。いや、会社の利益だけでなく、自分自身の利益のために会社での生存競争に勝たなくてはならないかもしれません。
 問題は、この時という時です、このとき、この今の時、それらのすべてを捨てて、十字架のこと、主イエスが十字架について死んでくださった、そのことだけを考えようとするということです。

 パウロはこういいます。「あなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めた」というのです。「あなたがたの間で」というのです、これは、ある意味では「あなたがたの間では」ということです。口語訳では、「あなたがたの間では」と訳されております。特にコリント教会の間では、そちらに行くときには特に、十字架につけられたキリスト以外のことは知るまい、語るまいと思ったというのてす。

 逆にいえば、そうでないときもあるが、特に「あなたがたの間では」ということです。それはなぜかというと、コリント教会には、分裂があったからです。権力闘争というような自己主張する争いが教会の中にあったからです。それを解決するためには、どうしても十字架につけられたキリスト以外のことを知るまい、語るまいということが必要だとパウロは思ったのです。

 われわれの人生において、われわれがキリスト者として生きるということもそういうことだと思います。この時、この場所で、この人に対しては、十字架につけられたキリスト以外のことは知るまいと思わなくてはならい時があるということなのです。親の介護のために、自分の仕事を一ヶ月も二ヶ月も休まなくてはならない時がある、ということ、そういう決断をするということであります。しかしそういう大事な時に、そういう決断をするということは、そういう決断ができるということは、やはりふだんから絶えず十字架のことを思って生活をしていなくてはならないと思います。

 そしてパウロは三節でこういいます。「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れにとりつかれ、ひどく不安でした」といいます。ここは口語訳はこうなっております。「わたしがあなたがたの所に行ったときには、弱くかつ恐れ、ひどく不安であった」とあります。今われわれが読んでいる新共同訳聖書では、「わたしは衰弱していて」とありますが、これだと、なにかパウロが肉体の病気のままコリントの教会に行ったということを伝えているという印象を与えてしまいます。しかしここはそうではないと思います。

 もうひとつの訳では、ここは原文に忠実に訳すとこうなるというのです。「私もまた、弱さとそして恐れと、そして多くのおののきの中にあって、あなたがたの所に行ったのである」となっていて、ここでは、「わたしもまた」と、「また」という言葉があるというのです。この「わたしもまた」という「また」はどういう「また」かというと、それはパウロが十字架につけられたキリストと同様、自分も「また」といおうとしているのだというのです。だから、これは肉体的に衰弱していたというようなことではなく、主の十字架のことを、それだけを語ろうとする時には、パウロ自身も弱さと恐れとおののきの中で語る以外にないということであります。

 それは主イエスご自身が十字架で殺される前の夜、ゲッセマネの園であれだけ恐れおののき、父なる神に祈ったのであります。十字架の上でも、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と、叫びつつ死んでいったのであります。それは決してかっこいい死に方でもなかったし、堂々とした死に方でもなかったのです。なぜならば、それは罪人のひとりとして死んでいかれたからです。罪人のひとりとして、ただ神の赦しと、神に救いを求めて、神だけを頼りにして、神だけに助けを求めて死んでいかれたからであります。

 つまり、十字架につけられたキリストを宣べ伝えようとする者が、あまり自信たっぷりに、あまり声をはりあげて、堂々と語るわけにはいかないのではないか。

 茨木のり子さんの「初々しさが大切なの」という詩を思いだします。こういう詩です。「大人になるというのは、すれっからしになることだと思いこんでいた少女の頃、立ち居振る舞いの美しい発音の正確な素敵な女のひとと会いました。そのひとは私の背伸びをみすかしたようになにげない話にいいました。初々しさが大切なの、人に対しても世の中に対しても、人を人と思わなくなったとき、堕落が始まるのね、堕ちてゆくのを隠そうとしても、隠せなくなった人を何人も見ました。私はどきんとした、そして深く悟りました。大人になってもどきまぎしたっていいんだな、ぎこちない挨拶、醜く赤くなる失語症、なめらがてないしぐさ、子供の悪態にさえ傷ついてしまう頼りない生牡蠣のような感受性、それらを鍛える必要は少しもなかったのだな、年老いても咲きたての薔薇、柔らかく外にむかってひらかれるのこそ難しい、あらゆる仕事、すべてのいい仕事の核には、震える弱いアンテナが隠されている、きっと、」という詩です。まだ少しつづくのですが、「すべてのいい仕事には、震える弱いアンテナが隠されている」というのです。「頼りない生牡蠣のような感受性、それらを鍛える必要は少 しもなかった」というのです。

 パウロもまたコリント教会にいくとき、ただ十字架につけられたキリストのみを知り、それだけを語ろうと心に決めたときに、「弱くかつ恐れ、ひどく不安であつた」、それをひとつも鍛えようとはしなかったのであります。

 パウロは「知恵にあふれた言葉によらず、霊と力の証明にるもの、人の知恵ではなく、神の力によって、信じるようになってもらいたいと思って、コリント教会に行ったというのです。だから、パウロは自分の弱さを隠そうとはしなかったし、鍛えようとはしなかったし、いつも「弱い時にこそ、強い」という信仰をもつて宣教にあたったのであります。