「わたしはあなたを聖別し」エレミヤ1  エレミヤ書一章一ー一○節
                            ガラテヤ書一章一一ー一七節

 今日からエレミヤ書を学んでいきたいと思います。旧約聖書を学ぶ時には、特に預言者を学ぶ時には、その預言者がどういう時代に預言したのかという歴史的背景がどうしても必要になります。そのために、説教の中でも時々そうしたイスラエル民族の歴史的背景に言及していかざるを得ないので、どうしても説教がなにか学校の歴史の授業でも聞いているような感じなるかもしれませんが、その点はお許し願いたいと思います。こうした歴史的背景というのは、聖書の学者の間でもさまざまな学説というものがありますから、できるだけ、一般的な定説になっている説を受け入れて、学んでいきたいと思います。
 
 さて、預言者エレミヤが神からお前は預言者になりさいと召命を受けたのは、ユダの王、アモンの子ヨシヤの時代、その治世の第十三年のことであり、さらにユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの時代にも臨み、ユダの王、ヨシヤの子ゼデキヤの治世の第十一年の終わり、すなわち、その年の五月に、エルサレムの住民が捕囚となる時まで続いたと記されております。

 もうこの時には、イスラエル民族は、二つの国に分裂していたのであります。ダビデの次の王ソロモンの時代に国としては繁栄しましたが、そのソロモンが死んでからは、その繁栄がたたって、王位継承をめぐって、二つの国に分裂してしまうい、北イスラエルと南ユダという二つの国に分裂してしまったのであります。その北イスラエルは西暦前七二一年、すでにアッシリアという国に滅ぼされてしまい、独立国としては南ユダだけになっている時代であります。ですから、南ユダが神の選民イスラエルを代表していることになっているときであります。

 そしてその後、南ユダも宗教的に唯一の神、ヤハウェに対する信仰が曖昧になり、よその国の神々を拝むという偶像礼拝が行われてきましたが、その偶像礼拝を一掃して宗教改革をしたのが、ヨシヤ王であります。
 そのヨシヤ王の時代、その治世の十三年の時、西暦前六二六年、エレミヤは預言者として召命を受けたのであります。この時、ヨシヤ王は八歳の時に王になり、その治世の十三年の時というのですから、ヨシヤが二十一歳の時に、エレミヤは召命を受けたということになります。

 そしてその時、エレミヤは「わたしは若者にすぎません」といって、自分は預言者などという召しに到底応じられない、自分は若すぎますといって、辞退しておりますが、この「若者」という言葉は、十八歳を意味しているということなので、もしそうだとすれば、ヨシヤよりも三歳若い青年だということであります。

 ヨシヤ王も若かったですけれど、エレミヤも若かったのであります。しかもそのエレミヤが神から託された預言は、自分の民の滅亡の預言であります。九節からみますと、「見よ、わたしはあなたの口にわたしの言葉を授ける。見よ、今日あなたに、諸国民、諸王国に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し、あるいは、建て、植えるために」といわれているように、最後にはかろうじて、「建て、植えるために」と、慰めの言葉が記されておりますが、その大部分は、「抜き、壊し、滅ぼし、破壊し」というのですから、裁きの言葉であります。具体的には、南ユダがバビロンという国に滅ぼされ、南のユダの主だった住民が捕虜としてつれていかれるというバビロン捕囚を預言するという裁きの預言を告げなくてはならないわけで、若者エレミヤにとっては、その任に到底堪えられないことであったのであります。
 
 その若いエレミヤがこの時代の預言者として、裁きを伝える預言者として神に召されたのであります。

 エレミヤはその時のことをこう伝えております。主の言葉がわたしに臨んだというのです。「わたしはあなたを母の胎内に造る前から、あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に、わたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた」という言葉を聞いたというのです。

 「主の言葉が臨んだ」と記されておりますが、そしてこれから預言者を学んでいくときに、その言葉は始終でてまいりますけれど、それはいったいどういうことなのでしょうか。突然そういう神の語りかけの言葉が天から聞こえてくるのでしょうか。天理教の教祖中山みきという一人の平凡な農夫の主婦が、ある時、突然天から啓示をうけて、その言葉をそのまま人々に伝えたということから天理教が始まったといわれておりますが、そういうことなのでしょうか。
 
 聖書の言葉をそのまま受け取れば、そういうことになるのかもしれませんが、しかし預言書を読んでいけばわかりますが、それは預言といいましても、なにか未来のある時にこういうことが起こるという言葉が予言されているわけではなく、一つの思想といってもいいくらいの言葉が述べられているのであります。そこには、その時代の政治的判断も語られ、人間の罪に対する厳しい糾弾もあれば、また罪に対する赦しの言葉も語られる。ですから、預言者という字は、未来のことを予言するいう字は使われずに、神の言葉を預かるという意味での預かるという字を使った預言者という字が使われるのであります。

 もちろんある時、神からの言葉が天から聞こえるようにして聞こえたということはあるでしょう。それは幻を伴ったり、あるいは夢で語られたりしたことだと思います。そういういわば神秘的な体験ということは確かにあったに違いないと思います。ある聖書学者の言葉ですけれど、旧約聖書に出てくる預言者は神秘的体験をして恍惚状態のままに何か語るということはしていない、そうした経験をしたあと、その恍惚状態が醒めてから、語りだしているといっておりますが、そういうことだろうと思います。
 
 神の啓示を受けたあと、預言者はその神の啓示はどういうことなのか、それは本当に神の語る言葉なのか、それともそれは自分自身の勝手な思い込み、政治的判断なのではないかと吟味したに違いないと思います。
 
 エレミヤ自身の言葉にこういう言葉があります。一七章九節ですが、「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知り得ようか」と自問自答しているのであります。エレミヤがこれは神の言葉だ人々に語れば語るほど、人々はそんなものは神の言葉かといって、エレミヤを迫害するのであります。そのうちにエレミヤ自身も自分の語る言葉は本当に神の言葉なのかわからなくなっていくのであります。それがこのエレミヤの述懐ともいうべき言葉であります。口語訳では、「心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができよう」となっております。そのように自問自答しているときに、神の言葉が臨んで、「心を探り、そのはらわたを究めるのは主なるわたしである」という言葉がエレミヤに迫ってきたというのであります。

 ですから、預言者は、旧約聖書に出てくる預言者は確かに幻を見たり、そういう神秘的体験をしたに違いないと思いますが、その自分の経験したものをそのままストレートに語るというよりは、それをもとにして、預言者自身が自己吟味し、思索に思索をして、そしてこれは間違いなく神の言葉だという確信を得て語ったのが、預言者のいう、「主なる神はこういわれる」という内容だろうと思います。ですから、それは今日の思想家、哲学者、神学者、あるいは、大変おこがましいですが、今日の説教者とそれほど違いがあるわけではないと思います。

 今日学びたいことは、預言者エレミヤが一八歳の時に預言者の召命を受けた時の言葉であります。「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前に、わたしはあなたを聖別し、諸国民の預言者として立てた」という言葉、その言葉をエレミヤは主の言葉として受けたというところであります。
 これは簡単にいえば、神はエレミヤが生まれる前からもう預言者になるように聖別していた、聖別していたというのは、神のものとしてとっておかれたということであります。なにかそんなことをいわれたら、われわれの人生というのは、もうわれわれが生まれる前から神に決められているようで、われわれ人間は神の操り人形なのかとおもわせられかもしれません。
これはそういうことではなく、神がエレミヤを預言者として選んだのは、エレミヤが立派な人間だから、頭がいいから、預言者として選んだのではない、もうそういうことの前に神はお前を預言者として選んでいたということ、それほどお前が預言者として立つということは、確かなことなのだということを言い表している言葉であります。神の決定の確かさであります。
 
 これについて、パウロが言っている言葉があります。ローマ人の手紙のなかで、イサクにはエサウとヤコブという双子がうまれましたが、後にヤコブが選ばれてイスラエル民族の父祖になっていくのですが、そのことをとらえて、パウロはこういうのであります。「その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、兄は弟に仕えるであろう」と母親リベカに告げられたというのです。それは「自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになるかたによって進めるられるためでした」と述べ、そしてこういいます。神は、「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」といわれる。それは人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものだということを示しているとパウロはいうのであります。

そのように述べて、パウロは、われわれが救われるのはわれわれ人間のわざが優れているとか、立派だとかという人間の行いによるのではなく、ただ神の憐れみによる、神の恵みの選びによるのだ、と述べるのであります。

 選びといいますと、われわれはすぐ優秀な人間が選ばれるという、そういう選抜という意味にしかとりませんが、聖書が神の選びをいう時には、そういう選抜のことではなく、われわれの救いの確かさは神の側にある、人間の行いによって左右されるものではない、救いの優先権は神にあるということ、それを述べるために使われるのであります。救いの確かさは神の側にある、だから安心だというのであります。

 エレミヤが預言者として召されたのは、エレミヤが人格が立派だとか、頭がいいとか、行動力があるから、指導者としての資質があるからとか、そういうことではない、そういうことを超えて神が選んだのだ、もうエレミヤの生まれる前から神は選んでいたのだから、その決定はエレミヤの能力に左右されるものではないということであります。

パウロもまた自分が伝道者として自分が立っているのは、神によるものだと述べる時にこういうのであります。「わたしを母の胎内にある時から選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示してくださって、その福音を異邦人に告げ知らせようされた」と、述べているのであります。

この言葉は、エレミヤのように神からそういう啓示を受けたというのではなく、パウロが自分の伝道者の歩みを考えた時に、そのように受け止めたということなのですが、しかしこの言葉は実に大胆な言葉であります。といいますのは、その前にパウロはこういっているからであります。「あなたがたはわたしがかつてユダヤ教徒としてどのように振る舞っていたかを聞いている。わたしは徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていたのだ。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では、同じ年頃の多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていた」と、述べて、そしてその次に「しかし、わたしを母の胎内にある時から選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して」と述べるのであります。

 あれほど、ユダヤ教徒としてキリスト者を迫害してきた自分のことを、その時にも、つまりキリスト者を迫害していたときにも、自分はキリスト教の伝道者として神に召されていたのだとパウロはいうのであります。母の胎内にある時から、自分はキリスト教の伝道者としてもう選び分かたれていた、というのです。それなのに、彼はユダヤ教徒として、キリスト者を迫害し、ある時に、キリスト教の最初の殉教者ともいうべきステパノの迫害のときにも加わっていた、みんなの着物の番をしていたというのですから、不思議であります。
 
 これを見ても神に選ばれるということは、まだ生まれる前から神に選ばれているということは、神の操り人形になるわけではないということがわかると思います。

 パウロがどんなに自分の意志で、自分の考えで、浅はかにも自分の正義を振りかざして、キリスト教徒を迫害していようが、そのようにパウロは自由にふるまっていようと、神がパウロをキリスト教の伝道者として選ばれているという神の決定はゆるがないのだということであります。そしてそのようにパウロが熱心なユダヤ教徒として歩んできたこと、彼らがこちこちの律法主義者として歩んできたことが、後に彼がキリスト教の伝道者になった時に、そのすべて活かされているのであります。人間は律法に熱心であればあるほど、人間は自分の義を主張し、人間はますます悪くなる、傲慢になる、罪人になっていくということを、パウロはユダヤ教徒として、熱心な律法主義者として経験してるのであります。それが、われわれが救われるのは人間の行いによるのではなく、ただ神の恵みを信じる信仰によるというパウロの福音の発見につながるのであります。

 「わたしを母の胎内にいる時から選び分け、恵みによってよって召し出してくださった神が」というこのパウロの言葉は、パウロが伝道者になってからパウロが自分のことをふりかえってみての言葉であります。特にこれはこのガラテヤの教会ではパウロは悪口を言われ、あんなパウロみたいな人間はキリスト教の伝道者ではないと非難されていた時に、いわばパウロが自分のことを必死に守ろうとして、自分はれっきとしたキリスト教の伝道者だ、それは自分が生まれる前から神が決定してくださっていたことだと、その生涯をふりかえっての自分の伝道者としての弁明と自覚の言葉であります。

 わたしが好きな言葉に、竹森満佐一の説教の中にある言葉ですが、こういう言葉があります。「われわれは決断するということは『こう決めた』ということだと思いがちだけれど、そうではない。決断というのは、まず自分の中に何かが生まれるてくることだ、何かができてくることだ、そしてそれを豊かに育てていくことだ、そしてそれを清めることだ、そしてそれを本当に実現していくことだ。決断するということは、手をぱっとたたいて、こう決めたというようなことではない」という言葉であります。

 パウロが伝道者になっていった過程にはこうした決断の熟成というものがあったのではないか。それが自分をふりかえった時に、ああ、自分は考えてみれば、母の胎内の時から神が自分を伝道者として召してくださっていたのだ、もうその時にその芽が芽生えていたのだという思いになったのだと思います。そして紆余曲折を経て、それを清くしてもらっていった、清くしていただいたということが、、聖別されていたという自覚であります、そしてそれを神が実現させてくださって、今自分はキリスト教の伝道者として立っているのだということであります。

 エレミヤは確かに一八歳の時に神の言葉を聞いたのかもしれません。しかしそれ以前にエレミヤの中にやはり預言者になるなにものかが芽生えていたのではないか、そしてそれを豊かに育てていったのではないか、そしてこの一八歳の時に、それを清めていただいた、それがこの時の神の言葉なのではないか。

 伝道者になるためには、よく召命感がなければいけないといわれます。召命感というのは、神に召される、神にお前は伝道者になれという神の声を聞いていないとだめだということであります。しかしわたしは、自分のことをいうとおかしいかもしれまれんが、わたし自身は、神学校にいこうとした時には、召命感などというのはひとつもなかったのです。自分が大学でて、ある学校の英語の教師になって、英語教師になってみて、自分は英語がしゃべれないということで、英語教師としてお先真っ暗という時に、ある時、牧師からあなたは神学校にいってみませんかといわれて、今までまったくそんなことは考えたこともなく、牧師になりたいとも思ったことはないし、自分のような者がなれるはずはないと思っていたのですが、そういわれた時に、ああ、これで英語教師をやめられる、好きな聖書の勉強ができるという、ただその思いだけで、自分の人生に一筋の明かりが見えてきて、神学校にいくようになっただけであります。わたしにそのように勧めた牧師は次の日曜日に会った時には、もうそのことには一言もふれないのです。まるでそんな話はしなかったのような顔をしているのです。あとで聞く と、牧師の先生である渡辺善太から、そんなことは人に勧めるものではないと叱られたそうです。しかしわたしはもうただ英語教師から逃れたいという理由と聖書の勉強をしたいというだけで、神学校にいこうと決心していたのであります。それで牧師にそのことを告げると、牧師はあわてて、神学校の学長に会いにいって、召命感がない人なのですが、神学校にいれてくれますかと聞きにいっているのです。そうしたら、学長が、いや召命感などというものはあてにならないから、そんなものは大切ではないと答えたというのです。それでわたしは神学校にいくようになったのですが、確かに召命感などというのは、はなはだ主観的なものであります。

 召命感というものも、その時にいっとき熱に浮かされるようにして与えられるものではなく、神に呼ばれるという時は確かにあるでしょうが、それを大事に自分の中で育てていく、そしてそれを豊かにしていく、そして最後にその決断を清めていただく、そうしてそれを本当に実現していくということが大事なのだと思います。エレミヤがそれを神によって清めていただき、そして本当に実現していったのが、この一八の時だったということなのではないかと思います。これからエレミヤ書を学んでいきたいと思います。