「神の僕ネブカドレツアル」 エレミヤ書二五章一ー一四節 コリント第二 一二章一

 今日の説教の題は変な説教題になりました。いつもいいますように、説教題は外に看板を掲げますので、できるだけ、教会外の人にもわかる題を心だけているのですが、今日ばかりは、どうしてもこれ以外の題をつけることができませんでした。
 つけるとしたら、大変説明的な長い説教題になりそうなので、このままにしました。

 ネブカドレツアルというのは、今まさにエルサレム、南ユダの首都エルサレムを征服しようとしているバビロンの王の名前であります。つまり、南ユダの人々にとっては、敵の王様であります。その敵の王様に対して、今預言者エレミヤは、神から「わたしの僕ネブカドレツアル」という言葉を用いさせられるのであります。自分たちを滅ぼしにくる王に対して、「わたしの僕」「神の僕」と形容詞をつけさせられるののであります。この箇所の新共同聖書の表題も「神の僕ネブカドレツアル」となっております。
 二五章の九節からです。「見よ、わたしはわたしの僕バビロンの王ネブカドレツアルに命じて、北の諸国民を動員させ、彼らにこの地とその住民、および周囲の民を襲わせ、ことごとく滅ぼしつくさせる、と主はいわれる。」

 「わたしの僕」という言葉をもって、ネブカドレツアルのことを民に語る預言者エレミヤは複雑な思いだったろうと思います。ただバビロンの王が攻めてくる、そして自分たちの住んでいるところを破滅させるというのではないのです。そのことはエレミヤはさいさい預言してきたところなのです。しかし今、その敵の王に対して、主なる神は「わたしの僕ネブカドレツアル」という言葉で語れと命ずるのであります。

 今までも申してきましたが、こうした預言者の言葉は、ただ神の言葉が突然天からふってわいたようにして聞こえてきて、それをただオウム返しに語ったのではないと思います。エレミヤは確かに神の言葉をなんらかの形で聞いたでしょうが、それを預言者は自分の中で思索に思索を重ね、熟慮し、考え尽くして、自分の言葉として語ったと思います。それは今日の説教者が説教する時に、聖書の言葉をオウム返しに語るのではなく、聖書の言葉を自分の経験のすべてぶつけて、思索に思索を重ねて語るのとそう違いはないと思います。

預言者エレミヤは、自分たちを滅ぼしにくるバビロンの王に対して、神が「わたしはわたしの僕バビロンの王、ネブカドレツアル」といっているけれど、本当にそれが神の言葉なのか、そんなことを民にそのまま語っていいのだろうかと、それを語るまでに、エレミヤはずいぶん躊躇したのではないかと思うのです。

それは、日本を攻めてくるアメリカの大統領ルーズベルトやマッカーサーに対して、神の僕ルーズベルト、マッカーサーといって、自分の同胞に呼びかけるようなものであります。そんなことをしたらたちまちお前は売国奴だといって捕まって処刑されてしまいます。現に預言者エレミヤも二六章をみれば、こうしたことを神殿で説教したために逮捕され、死刑にされようとしているのであります。

 自分たちを滅ぼすために攻めてくる敵の王に対して、神の僕という形容詞をつけなくてはならない、エレミヤも悩んだと思います。熟慮に熟慮したと思います。しかしそうした思索を積み重ねて、やはり主なる神がそう語りなさいというその命令は正しいのだ、今はこの自分たちを滅ぼすために攻めてくるバビロンの王こそ、神の僕なのだ、これは神がそうさせるのだという思いに達して、このように語ったのではないかと思うのです。

 このことで考えさせられるのがパウロの言葉であります。さきほど読みましたコリントの第二の手紙の十二章には、パウロが重い病気になって、その病気を取り去ってくださるように神に何度も祈ったということを記しているところであります。今日はエレミヤ書から少し離れますが、少しくわしくこの箇所で考えていきたいと思います。
 七節からみますと、パウロはこういいます。「また、あの啓示されたことがあまりにもすばらしいからです。それでそのために思い上がることのないようにと、わたしの身にひとつのとげが与えられました。それは思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせくださるように、わたしは三度主に願いました」と告白されております。

 これはどういうことかといいますと、パウロはある時に大変な神秘的な体験をしたらしいのです。自分は十四年前に第三の天にまだ引き上げられたというのです。このことをパウロは、自分は、という言葉で語らないで、あえて、「ある一人の人が」と、まるで他人ごとのように語っていますが、これはあきらかにパウロ自身が経験したことなのです。しかし自分がこんな経験をしたと語るといかにも自分を誇るような気がして、パウロは「ある一人の人が」と、遠慮深く記しているのです。ともかくパウロはそういう誰もが味合うことができないような神秘的な体験をした。それを語ったらみんながうらやましがり、自分のことを過大評価することになるような出来事だった、だから自分はできるだけそんな経験をしたことを語るまいと思っていたというのです。それが「あの啓示されたことがあまりにもすばらしいからです」ということなのです。

 パウロはその自分の経験したことをできるだけ人に語るまいと思っていたのです。しかし彼は自分の中にはどうしてもそれを誇りたくて、誇りたくて仕方ない思いがふつふつとわいてくるのを押さえることができなかったのです。自分はやはり並の伝道者ではない、特別な伝道者だと、自分を誇る気持ちを払拭することができなかったようなのてす。

 その時にパウロは重い病気になりました。ひとつのとげが与えられてのです。この病気がどんな病気はわかりません。それは伝道者としては、なにか致命的な病気だったのではないかともいわれております。つまり伝道者パウロの品性を損なうような、人に不快感を与えかねない病気になったようなのです。それでパウロは必死に主イエスにこの病気がいやされることを願ったというのです。

 その時パウロは少し奇妙なというか、おかしな表現を使います。「わたしの身に一つのとげがあたえられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです」というのです。

 病気は、病気それ自体はサタンの使いなのです。サタンから送られてくるものです。われわれを苦しめる病、痛み、それはサタン、悪魔からのものであります。ですから、われわれは病気になった時には、必死にその病気と闘わなくてはならないのです。なんとしてでも、あらゆる手段を使って病気とは闘わなくてはならないのです。

 ただその時、パウロは奇妙なことをいいます。「それは思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いだ」というのです。もしそれがサタンの使いであるならば、サタンはわれわれをますます思い上がらせて、神をないがしろにさせて、神よりも思い上がらせて、われわれを神から引き離すはずであります。

 サタンがパウロを思い上がらせないようにするためにこのとげを与えたのだという表現は本当はおかしいと思うのです。
つまり、この時、こういう表現をパウロがしているということは、このサタンの背後には、神がおられるのかも知れない、神がこの自分の思い上がりをたたきのめすためにサタンを用いてひとつのとげを与えているのかもしれないという思いがあったのではないかということなのです。
 
エレミヤ書にもどりますと、今南ユダ、つまりは、選民イスラエルのことですが、自分たちを滅ぼそうとして攻めてくるバビロンは、その王であるネブカドレツアルは、サタンなのです。敵なのです。悪魔のです。しかし預言者エレミヤはその背後に主なる神がおられる、主なる神は、今選民イスラエルの思い上がり、その傲慢をたたきのめすためにサタンであるバビロンの王ネブカドレツアルを使わそうとしているのだということにエレミヤは気がついたのではないか。そのために今エレミヤは、神の言葉「わたしはわたしの僕バビロンの王ネブカドレツアル」という言葉をここで用いることは正しいのだと思いいたったのではないかと思うのです。

 神が今選民イスラエルの思い上がり、その傲慢、その罪を裁くためにバビロンを使わしている、だから今はそのバビロンと戦うのではなく、いさぎよく、バビロンに降伏し、バビロンへ捕囚の民として捕らえられていくことが最善の道なのだ、降伏しなさい、それが神の裁きに服することであるし、選民イスラエルの再生の道なのだと預言者エレミヤは人々に説くのであります。

 パウロはこのサタンの使いについて、離れ去らせてくださるように、主イエスに何度も何度も祈ったというのです。それに対する主からの答えはこうでした。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」という答えでした。それはこういうことです。お前はこの病気のままでいいのだ、なぜなら、お前のこの病気のままでも、神の恵みは十二分に注がれているのだし、力はお前の弱さの中で十二分に発揮されるのだといわれるのです。ここで出てくる「力」という字を新共同訳では、ただ「力」と訳しておりますが、口語訳では、「わたしの力は」となっていて、原文をみても冠詞がついておりますし、またあとで「キリストの力がわたしの内に宿るように」と、ありますから、これは神の力、キリストの力であります。

 つまり、この病気は単なるサタンの使いではなく、自分の思い上がりを打ち砕くために神がサタンを通して与えた、神の鞭だった、神が与えた病気だったという答えだったのです。パウロとはこのとげを取り去ったくださるように、三度も、つまり何度も何度も祈ったというのです。神に対して祈ったということは、祈っているときは、もうサタンの入り込む余地はなくなるのです。だから、パウロはここではっきりとこの病は神からのものであることを受け取ることができたのです。

病そのもの、痛みそのものは、サタンの使いなのです。だからわれわれは病気になった時には、あらゆる手段をもって病気とは闘わなくてはならないのです。死はサタンの使いなのです。われわれはだから、その死を回避するために全力をあげて闘わなくてはならないのです。パウロも何度も何度もこの使いについて、つまり、この病気を離れさせてくれ、この病気を治してくださいと必死に主に祈ったのです。祈っているうちに、主から答えがきた。「わたしの恵みはお前の病気のままでも十分に注がれている。お前はあるがままでいいのだ、そのあるがままのお前をわたしは受け入れているのだから」という言葉を聞くのです。「キリストの力は、われわれの立派さとかというところにではなく、われわれの弱さにおいて現れるのだ」というのです。

 パウロはこの病気を受け入れました。病気のなかにいる自分をあるがままに受け入れることができました。そのときに、パウロはこういうのです。「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇ろう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態であっても、キリストのために満足している。なぜなら、わたしは弱い時にこそ強いからだというのです。

 パウロはもうこの時に、病気という言葉は使わない、弱さという言葉を使っています。自分の病気を誇ろうなどとはいわない。弱さを誇ろうというのです。病気を通して知らされた自分の弱さです。神秘的な体験をしてひそかに誇っていた自分がうちのめされて、謙遜にさせられ、自分の弱さを知ったときに、この弱さを誇ることができた、受け入れることができたのです。

 パウロはそのあと、この病気と闘わなかったのかといえばそんなことはないと思います。病気の痛みとその後も闘ったと思います。必死に闘ったと思います。医者にも通ったでしょう。大学病院にも行ったかもしれない。ただ、パウロはその病気が単なるサタンの使いだと思っていた時の戦いの仕方と、その背後に自分の傲慢さを打ち砕くための神がその背後にいてサタンを用いたのだと悟った時からの病気との戦いは違ってきたと思います。

 それまでは、なにがなんでもがむしゃらに病気と闘ってきたでしょう。この病気に負けたらもう終わりだと必死に闘ったと思います。しかし、この病気が自分の思い上がりを打ち砕くための神の使いなのだとわかってからは、違う戦いをしただろうと思います。この病気が完全にいやされなくてもいい、この病気のままでも、神の恵みは自分に注がれているのだから、大丈夫だ、むしろ、この病気はありがたいと思ったかもしれない。われわれは死に対してもそうだと思うのです。死に対してはわれわれは必死に闘わなくてはならないのです。しかし死はやはり最後には神がわれわれに与えるものです。ですから、われわれは最後には、その死を受け入れなくてならないときがくるのです。サンタの手からではなく、神の手からその死をうけとる時がくるのです。
 
 パウロはこの病気と共存できるようになった、この病気を受け入れることができるようになったのではないか。それが「わたしはわたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱い時にこそ強いからだ」という告白になったのだと思うのです。

 話をエレミヤにもどしますと、預言者エレミヤは、イスラエルの民に、今はバビロンにいさぎよくというか、打ち砕かれて降伏しなさいというのです。このバビロンの王ネブカドレツアルは、神がつかわした、神の僕なのだから、というのです。
 
 そしてイスラエルの歴史のなかで、あのバビロン捕囚の時代、エレミヤの預言によれば、七十年、実際は五十年といわれておりますが、あの異教の地でのバビロン捕囚時代がイスラエルの民がもっとも信仰的に深まった時なのです。今日の旧約聖書の骨格はその捕囚時代に編纂されたのです。ヨブ記などもこのバビロン捕囚の苦難の経験がその背景になって作られたものだろうといわれております。数々の詩編もこのバビロンの捕囚時代につくられました。

詩編の一三七篇ではこう歌われております。「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、わたしたちは泣いた。竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。わたしたちを捕囚した民が歌をうたえというから。わたしたちを侮る民が、楽しもうとして、歌って聞かせよ、シオンの歌を、というから。どうして歌うことができようか。主のための歌を、異教の地で。エルサレムよ、もしも、わたしがあなたを忘れるなら、わたしの右手はなえるがよい。わたしの舌は上顎に張り付くがよい。もしも、あなたを思わぬ時があるなら、もしも、エルサレムをわたしの最大の喜びとしないなら」という詩編であります。

 この詩編をもとにバッハも数々の美しいコラールを作っているのであります。

 パウロか病気をこれは神からのものと受け入れながら、しかし病気と闘ったように、イスラエルの民はバビロン捕囚は神からのものだと受け止めながら、しかし決してバビロンの神々に妥協しようとはしないで、そこでかえって、自分たちの信仰を深めていったのであります。