「エレミヤの手紙」 エレミヤ書二九章 テサロニケ第一 四章九ー一二節

 二七章から二八章にかけては、こういうことが記されております。
 預言者エレミヤが主なる神から、くびきの横木と綱を作って、それをお前の首にはめて、町を歩け、その格好をして、ユダの王ゼデキヤのところに行き、首を差し出して、「このようにして首を差し出して、バビロンの王のくびきを負い、彼とその民に仕えよ、そうすれば、命を保つことができる。それを拒否したら、王も民も剣と飢饉と疫病で死ぬ」と、言いなさいといわれるのであります。そのことを今ゼデキヤの王のとろにきている近隣の王たちにも示せといわれて、そうするのであります。

 今のわれわれには、預言者がみすがら木で作られたくびきを首にかけて、町を歩くということは、なにか大変滑稽にみえますが、当時の預言者はしばしばそういうことをして、いわばパフォーマンスとして、神の言葉を示したのであります。

また祭司たちに対しては、バビロンに奪われた主の神殿の祭具はすぐにももどってくるという預言者の言葉など信じるなと訴えるのであります。

 またハナンヤという預言者が「二年のうちにバビロンの王、ネブカドネツァルが失脚して、バビロンにもっていかれたエルサレム神殿の祭具はもどってくるし、バビロンに連行された捕囚の民も帰ってくる」と預言するのであります。それに対して、預言者エレミヤは、「アーメン、どうか主がそのとおりにしてぐさるように」と、皮肉をいいます。そして「平和を預言する者は、その言葉が成就するとき初めて、まことに主が遣わされた預言者であることがわかる」というのであります。

口先だけで、平和だ、平和だといって、民を安心させてはいけない、そんな迎合的な預言をするなというのです。そういう民が好みそうな、民を安心させる預言をする預言者は、その預言が成就したときに、彼が言ったことが真実であるということが証明されるのだというのです。平和を預言する預言者は、その言葉が成就して、本当の平和がきたときに、その預言者が本当に神から遣わされた預言者であることがわかるのだと、エレミヤは大変厳しいことをいうのであります。口先だけならば、誰だって民が喜びそうなことをいいたいのだということであります。
 
怒ったハナンヤという預言者は、エレミヤの首から木のくびきをはずして、それを地面にたたきつけて壊すのであります。
 すると主の言葉がエレミヤに臨んだ。「お前は木のくびきを打ち砕いたが、その代わりに鉄のくびきを作った。そしてお前は今年のうちに死ぬ、主に逆らったからだ」と、ハナンヤに告げる。すると預言者ハナンヤはその時の七月に死んだと聖書は記します。

 今日学びたいことは、二九章の預言者エレミヤがバビロンに捕囚としてつれて行かれた長老、祭司、預言者たち、そして民に対して送った手紙であります。四節からみていきます。
 「イスラエルの神、万軍の主はこういわれる。わたしは、エルサレムからバビロンへ捕囚として送ったすべての者に告げる。家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子は嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだ」と書いて、エルサレムにいるエレミヤは、バビロンにいる人々におくります。

 今囚われの身である敵地で、バビロンという国で、しっかりと腰をどっかりと下ろして、そこで生活しなさいというのです。すぐ帰れるなどという夢のようなことを語る偽りの預言者の言葉にまどわされてはならないと書くのであります
そしてこう書きます。 
 「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。わたしはあなたたちのために立てた計画をよく心に留めている。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたがたはわたしを呼び、来て、わたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしはを尋ね求めるならば、見いだし、心を尽くしてわたしを求めるならば、わたしに出会うであろう。わたしは捕囚の民を帰らせる。」
 七十年たったならば、わたしは捕囚の民を解放して、故郷に帰らせる、それまでは、敵地で、囚われの身として、腰をすえて、生活をしなさいというのであります。考えてみれば、七十年の年月であります、これは当時の人々にとっては、生涯の年齢であります。つまりこの時に捕囚されていった人々はみな死んでしまう年月であります。彼らは実質的には、もう故郷のエルサレムには帰ることができない年月であります。それでも主なる神は、「将来と希望を与える」ものだというのです。

 今日、われわれがこの言葉を聞いて、本当に希望をもてるでしょうか。つまり自分の死を超えて、そこに将来と希望を見いだせるか。
 
 これは一昔前の日本だったならば、こういう希望と将来を抱くことができたかもしれません。それはあの戦争中の若い人たちは、みなそういう希望と将来をもって戦争に行ったのではないか。特に特攻隊に志願した若者は、自分が死んでも将来の日本のためにという望みをもてたからこそ、そのような道を選択することができたのではないか。日本民族の再生のためにという大義名分のために若い人たちは自分の命を捨てることができたのであります。
 
しかしそれがすべて偽りに終わってしまった。そんなことは、日本の上層部の偽りの宣伝に踊らされたものであることが暴露されてしまった。それからは、もうわれわれ日本人は、日本のためにとか、国家のためにという大義名分を失ってしまった。自分の死を超えて、なにかに望みをおくということはできなくなってしまったのではないか。もうみんな自分の人生のことだけしか考えなくなった。自分のたかが七十年の人生計画のことしか考えられなくなってしまった。もう自分が死んだあとの時代のことなど考えられなくなってしまった。みんなが目先の幸福、目先の平和、自分が生きているときが平和であれば、それでいいと思うようになってしまったのではないか。
 
 列王記の下の二十章にこういう記事があります。ユダの王ヒゼキヤのことであります。彼が重い病にかかった時であります。そのとき、バビロンから病気見舞の使者がきた。ヒゼキヤはその病気見舞いに感激して、王宮にある金、銀、香料、上等な油、など、宝物庫のすべての武器、また倉庫にあるいつさいのものを彼らにみせたというのです。それを知って預言者イザヤがどうしてそんなことをするのかと厳しく叱責するのであります。どうして他の国の使者にそんな軽率なことをするのかと叱る。そしてこう告げます。「あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが、ことごとくバビロンに運び去られる時がくる」と、預言者イザヤは告げるのであります。自分の国の財力、武器の量がすべて相手国に知られてしまうということは、国の指導者としてすべきことではないのであります。そして事実、やがてこれがバビロンがエルサレムに攻めてくる原因のひとつになるのであります。
 
その時、預言者イザヤの言葉をきいて、ヒゼキヤ王はなんと答えたか。「あなたの告げる言葉はありがたいものです」と答えたというのです。そしてそのあと、聖書は注釈を加えて、「彼は自分の在世中は平和と安定が続くのではないかと思っていた」と書くのです。「あなたの告げる言葉はありがたいものです」というヒゼキヤの言葉は、自分が生きている間は少なくも戦争はおこならない、だからありがたいという意味なのだということであります。
 
口語訳ではもっと辛辣にここを訳しております。「彼はせめて自分が世にあるあいだ、平和と安全があれば良いことではなかろうかと思ったからだ」と記すのであります。ちなみに、リビングバイブルでは、「実をいうと、王は自分が生きている間は平和と安全が保証されると考え、ほっとしていたのです。」と訳しております。

 こういう王がいたために、南ユダはやがてバビロンに征服させてしまったのだと聖書は告げるのであります。ヒゼキヤという王は南ユダのなかでは、立派な信仰をもち、忠実に真実の神、ヤハウエに仕えていた王として評価されている王なのであります。しかし彼は晩年に重い病気になってしまった。そのために彼はもう自分の命のことしか考えなくなってしまったということなのかもしれません。もう自分の命がないことを知ったからこそ、本当は次の世代のことを考えるべきなのに、ヒゼキヤ王はもう年のせいで自分のことしか考えられなくなってしまったというのです。
 
 今の日本はまさにそういう国になってしまったのではないか。先日もある新聞である人が書いていて、今日本は、自分以外はすべてバカだと思っている、そういう国になってしまったと大きな見出しの文が載っておりました。

 自分のことしか考えられなくなってしまっている、それは自分の死を超えてのことは考えられなくなっているということであります。もうわれわれは自分の死を超えて、日本の国の繁栄を願いもとめるなんてはできなくなっていると思います。せいぜい自分が死んだあとの家族のことを思うぐらいのことでしかないかもしれない。しかしそれでいいのだろうか。日本の将来だけのこと、自分の家族の将来のことだけしか考えられなくなっていったら、みんなそのようになってしまったら、この地球は滅亡していくことは明らかであります。地球の環境破壊の問題は、それこそ、たかだか七十年後のことだけ、日本の安泰だけを考えていたら、とうてい解決できない問題であります。それこそ、百年さき、二百年さき、千年先のことまで考えることのできるイマジネーションをもてなければ、真剣にこの問題に取り組むことはできないことであります。

 ヨーロッパの巨大な教会堂の写真をときどきみて驚くのは、それが百年とかの規模で作られて言っているということなのです。自分が生きている間にそれが完成されなくても、いいと思って、そんなケチなことで教会堂の建築に当たっているのではないということなのであります。

 どこからそんな想像力が生まれるのか。それはやはり自分だけのこと、いや人間のことだけを考えているのではなく、そこに人間を超えた神の存在をはっきりと意識していたからこそ、できたことだと思わざるをえないのであります。ある人が言っておりますが、中世の人々はみな神様のために仕事をした、神様に喜んでもらおうとして仕事をした、だからあんなにすばらしい芸術作品を作ることができた、しかし現代では神を失ってしまった、もう神様に喜んでもらおうとして作品をつくることはできなくなってしまった、だから現代芸術というのは、みな人をいらいらさせるばかりの作品が生み出せなくなってしまったというのであります。

 預言者エレミヤは、バビロンで捕囚されている南ユダの人々に対して、七十年後にバビロンから解放されて、自分たちの故郷エルサレムに帰るという希望をもって、このバビロンという敵地で、どっかりと腰を落ち着けて生活しなさいと書き送るのであります。捕囚の民はこのエレミヤの手紙を受け入れたのであります。そしてこの七十年の間に、イスラエルの民は今日の旧約聖書の骨格を作っていったのであります。信仰的に、今日いわゆるユダヤ教といわれる宗教を作ったのであります。もっとも信仰的に深まった七十年だったのであります。
 
 捕囚の民はこのエレミヤの手紙を受け入れたといいましたが、エレミヤ書の二九章の二四節からみますと、このエレミヤの手紙に怒り、直ちに本国に手紙を送り、このような手紙を書いたエレミヤをどうして取り締まらないかと書いてきたシェマヤという人がいたことが書き記されております。だから、捕囚の民はすべてエレミヤの勧告を受け入れたわけではないようであります。特にエレミヤがここで、「家を建てて住め、園に果樹を植えて、その実を食べよ」と言って捕囚が長引くことを告げたことがけしからんというのであります。

 それにしてもこのエレミヤの手紙で不思議なことに、預言者エレミヤは、その手紙のことで、信仰的なことは一言も書いていないのであります。「家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、子供を産みなさい」ということだけであります。「そしてその地のバビロンの町のために平安を祈りなさい。なぜなら、その町が平安があってこそ、あなたたちも平安があるからだ」というのです。こではエレミヤは敵のために祈り、あなたの敵を愛しなさいなどと高尚なことを勧めているわけではないです。
 
 宗教的なことといえば、ただひとつ、偽預言者にまどわされてはならないということであります。偽りの預言者、夢を語る占い師に惑わされるなということであります。

 家を建て、そこに住みつく、そして妻をめとり、子供を作る、このことが大事なのだというのです。この七十年の間にイスラエルはもっとも信仰的に深まり、旧約聖書の骨格を作ったと先ほどいいましたが、それはこうした日常的な生活がしっかりしていたからこそではないか、みんながみんな、熱狂的な信仰、信仰、信仰といって浮き足たっていたら、決してそうした宗教的なものを形成することはできなかったのでないかと思います。

 初代教会において、終末はもうすぐ来るという信仰が広まって人々が浮き足だたったようなのです。そのために日常生活を放棄してしまって、労働をしなくなった人々がいたらしいのです。終末がくるのだから、こんな仕事をしても意味がないと思うようになった。それを口実にして、怠ける人々ができたのです。それでパウロが戒めたのがこのテサロニケの手紙だといわれております。そのことを四章の九節から告げます。

 ここでパウロは「わたしが命じたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい」と勧めるのであります。そして一三節から、確かに終末は来る、ということを述べます。しかし、五章の一節から、終末は必ず来る、しかし、その時や時期についてはわからないというのです。それは盗人が夜やってくるように突然やってくるからだというのです。だから、終末がいつ来てもいいように

、五章の六節からは、「目を覚まし、身を慎んでいましょう。眠る者は夜眠り、酒に酔う者は夜酔います。しかし、わたしたちは昼に属しているから、信仰と愛を胸当てにして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいよう」という勧めの言葉が続くのでりあます。

 終末は必ずくる、その希望をもつが故に、慎んで、落ち着いた日常生活をしていこうという勧めの言葉であります。

 宗教改革者のマルチン・ルターが言ったという有名な言葉があります。「終末が明日くるということを知らされても、自分は果樹の苗を今日も植える」という言葉であります。

 七十年後に捕囚の民は故郷のエルサレムに帰ることができる、そういう希望を与えられるのであります。だから捕囚の民は、今は家を建て、果樹を植え、妻を娶り、日常生活をしっかりと落ち着いてしていきなさいというであります。七十年後、自分が死んでもであります。

 ここには、確かに、イスラエル民族の再生という狭い民族主義的な希望というものに支えられての希望であるかもしれません。ちょうど戦時中の日本のために命を捨てていった若者のようにであります。しかしその希望を与えるのが主なる神であるならば、この全世界を作り、すべての民を裁かれる主なる神がこの捕囚の民に希望を与えるというのであるならば、この民族主義的、選民意識的な希望はやがて乗り越えられていくのではないか。そして事実このユダヤ教を母体としたキリスト教がそれを乗り越えていったのであります。

 われわれに希望を与えるのは、神なのです。自分の単なる夢のような願望ではなく、神なのです。そうであるならば、われわれもまた単なる自分だけの幸福、「自分が生きている間は、平和であればいい」というみみっちい幸福感を乗り越えて、もっと大きな希望を与えられて、自分の死を超えて希望を与えられて、今、現在の日常生活を誠実に落ち着いて営んでいけるのではないか。

 今日はこのあと、讃美歌の二八八番を歌いますが、その二節の言葉を味わいながら歌いたいと思うのです。「ゆくすえ遠く見るを願わじ、主よ、わが弱き足を、まもりて、ひとあし、またひと足、道をば示したまえ」と言う言葉であります。自分の死は、あるいは終末は必ず来るのです、しかしそんなことばかり考えていたら、われわれは浮き足たってしまうのであります。自分の死のこと、終末のことは、神様に任せておけばいい、それよりも大事なことは、今日一日、今日一日のひと足、ひと足なのだ、そのわが足を守って道を示してくださいと歌うのであります。