「預言者エレミヤの運命 その二」エレミヤ書四○章一ー六節 マルコ福音書一四章三二ー四二節

 今日でエレミヤ書の講解説教を終わりにしたいと思います。預言者エレミヤの運命の最後はどうなったのかを学びたいと思うのですが、しかし聖書はエレミヤが最後にどのように死んだのかは記してはいないのです。預言者というのは、神の言葉をとりつぐところに使命があるのであって、ある意味ではその生涯の最後がどうなったかということは関心事ではないということかもしれません。ともかく、聖書はどんなに偉大な人物でも、その人物を英雄的に取り扱うことはしないのであります。

 バビロン軍がとうとうエルサレムを攻めて、エルサレムは崩壊されました。そしてその南ユダの王ゼデキヤは、バビロンの反逆し、エジプトと手を結ぼうとしたために、最後は悲惨な目に会って、両眼の目はつぶされ、足は銅の鎖でつながれて、バビロンに連れていかれたのであります。

 バビロン軍は王宮と民家に火を放って焼き払い、エルサレムの城壁を取り壊した。民のうち都に残っていた者、投降した者、その他の生き残った民は、バビロンの親衛隊長ネブザルアダンによって捕囚としてバビロンに連れていかれました。そして貧しい民の一部だけがユダの土地に残されて、ぶどう畑と耕地を与えられたのであります。そしてバビロンの王ははアヒカムの子ゲダルヤを総督として任命しました。
 
 預言者エレミヤはどうなったのかといいますと、彼もまたバビロンに連れて行かれようとしていたのであります。エレミヤもまた捕虜として鎖につながれていたようなのですが、ラマに来た時に預言者エレミヤは釈放するようにという伝令が入ったようで、そのところで彼は釈放され、親衛隊の長ネブザルアダンにこういわれます。
 「主なるあなたの神は、この場所にこの災いをくだすと告げておられたが、その通りに災いをくだし、実行された。それはあなたたちが主に対して罪を犯し、その声に聞き従わなかったからである。だから、この事があなたたちに起こったのだ」というのです。考えてみれば、こんなことをバビロンの親衛隊長がいうはずはないのです。これはこれを記したエレミヤの弟子バルクの筆によるものだと思われます。この四○章の一節に「主から言葉がエレミヤに臨んだ」という書き出しで、この章が始まりますが、そのあと、どこにもその主の言葉は記されていないので、不思議な感じがしますが、それはこのバビロンの親衛隊長の言葉が主からの言葉だという意味のようであります。

 そして親衛隊長はエレミヤにこういいます。
「さあ、今日わたしはあなたの手の鎖を解く。もし、あなたがわたしと共にバビロンに来るのが良いと思うならば、来るがよい。あなたの面倒を見よう。一緒に来るのが良くなければ、やめるがよい。目の前に広がっているこのすべてのとろへ行くがよい。アヒカムの子ゲダルヤのもとに戻り、彼と共に民の間に住むが良い。彼はバビロンの王がユダの町々の監督を委ねた者である。さもなければ、あなたが正しいとするところへ行くがよい」。

 バビロンに行くか、もしバビロンにゆくならば、あなたを最優遇しましょうというのです、バビロンに行くか、それともこのユダにとどまるか、あなたの自由に任せます、あなたが選択してください、とエレミヤはいわれるのです。これは親衛隊長の言葉ではありますが、その背後には、バビロンの王の意向がありますし、あの四○章の一節の言葉からすれば、それは主の言葉でもあるということだと思います。

 預言者エレミヤはどうしたか。彼はバビロンに行かないで、アヒカムの子ゲダルヤのところに身を寄せ、ユダの国に残っている人々のとろに帰っていった、そちらのほうをエレミヤは選択したのであります。エレミヤはみんなにあれほど今はバビロンに降伏しなさい、そしていさぎよく、バビロンに捕虜としてとらわれていきなさい、それが自分たちの罪を悔いる道だと説いていたにもかかわらず、エレミヤ自身はバビロンにゆくことを選ばないで、ユダにとどまったのであります。

 聖書はそれがなぜかは書いておりません。考えられることは、彼がバビロンに行けば、優遇されるということがわかっている、だからむしろ彼にとっては、バビロンに行く方が安泰だったのかもしれません。そしてユダに残るということはバビロンにいくことよりも、もっと厳しいことが待ちかまえていることが予想できたと思います。それでエレミヤはユダにとどまって共に苦難を担おうとしたのかもしれません。

 なにしろ、南ユダに残された者は、民の中でも、貧しい人々、そういっては語弊があるかもしれませんが、無力な人々、有能でない人々が残されているから困難が予想されるのでりあります。だから預言者エレミヤは、自ら、困難の道を選んで、ユダにとどまったのかもしれません。

 それにしても不思議だと思うのは、主なる神はエレミヤに「どちらを選ぶかはお前が決めなさい」と選択をさせているということであります。
 
 預言者エレミヤはユダの人々には、今はいさぎよくバビロンに降伏しなさい、そしてバビロンに捕虜として行きなさい、さもなければ、災いが来るだけだと、もう選択の余地などない」と述べてきた、そしてそれは神の言葉でありました。

 しかし今神は、預言者エレミヤに対しては、自分で決めろ、とその選択をエレミヤに任せているのであります。この大事な選択を神はエレミヤにさせているのであります。それはこれからの運命の分かれ道であります。その重大な選択を今神はエレミヤにさせているのであります。

 最近わたしは、鶴見和子という社会科が者と、上田敏という医者、このかたは日本でのリハビリテーションの第一人者だそうですが、この二人の対談の書物を読んで大変教えられました。その書物の題は、「患者学のすすめ」という題がついていて、副題に「内発的リハビリテーション」とつけられております。「内発的」という言葉は、自発的といいかえたほうがわかりやすいと思います。

 鶴見和子という人は、わたしが敬愛しております鶴見俊輔の姉に当たる人なので、わたしは興味をいだいていたのですが、彼女が数年前で脳梗塞で倒れて、半身不随になったのです。そしてその後リハビリテーションに励んだ。しかしどうもうまくいかない。その時にこの上田敏というリハビリテーションの専門家に出会って、見事に回復した。著作活動もできるようになり、講演もできるようになったというのです。

 上田敏の主張するリハビリテーションは、何よりも患者の自己決定権というものを重んじるやりかたであります。鶴見和子がそれまでに受けたリハビリのやりかたは、すべて上からのおしつけ、医者からのおしつけで、すべて一律であった、それを鶴見和子は軍隊式訓練だと悪口を言っておりますけれど、それに対して上田敏のやりかたは、まず一人一人の個性に合わせたリハビリのプランを立てる、医者が主体ではなく、まず患者が自分の意志を明確に持って、自分にあったリハビリの方法を考ええるやりかたなのだそうです。
 たとえば、鶴見和子は病気に倒れるまでは、毎日リンゴを一つ食べるのが習慣だった。それで半身不随のからだで、まずリンゴの皮むきを片手でやるというリハビリから始められた。また普通のリハビリでは、料理を作るということもリハビリの課程にあるのだそうですけれど、そうするとまずカレーライスの料理を作ることから始められる、ところが鶴見和子はカレーライスほど嫌いなものはないというのです。それをやらされるのはたまらないというのです。 それまでのリハビリのやりかたは、訓練させる医者が主体であった、しかしリハビリは本当はそれではだめだというのです。

 上田敏はこういうことをいっているのです。「リハビリで一番大事なのは、自己決定権だ。それは一般の医療でもものすごく大事なことで、そこが日本人が世界の大勢でいちばん遅れているところだ。アメリカで一年間勉強して日本に帰ってきてショックを受けたことは、日本の患者さんはいかに自分の権利を主張しないかということだ。こちらが病気のことを説明しようとしても、患者はわたしは素人ですから、すべてはお任せします、よろしくお願いしますという。そういわれてもなにをどうよろしくなのかわからない。自分の人生のもっとも根本的な事を人の手に委ねてなんとも思わないような社会に驚いてしまった。リハビリテーションをちゃんとやるためには、自己決定権を発揮してもらなくてはいけない。そうすると自己決定権の自覚と、それを支える自己決定能力をもってもらうというとをリハビリの目的として日本では意識的に組み込まなくてはならない」と言っているのであります。

 少し長すぎる引用になりましたが、人生の一番だいじなことを決めるときに自己決定権が大事だということであります。そしてその自己決定権を行使するためには、その裏に自己決定能力がなければならないということなのであります。
 
 主なる神は、預言者エレミヤに対して、お前はバビロンに行くか、ユダにとどまるかという大事なことを決定するときに、お前が決めなさいと、エレミヤに委ねたのであります。いわば、神はエレミヤの自己決定権を尊重したということであります。それはエレミヤには、自己決定能力というものを彼が持っていたからであります。

 上田敏がいうには、自己決定権を行使できるためには、自己決定能力をもっていなくてはならないというのです。たとえば、子供とか痴呆性の老人とかには、自己決定権を行使させることはできないというのです。まわりの人が医者が指導する以外にない。自己決定能力を持っている人が、自己決定権を行使できるというのです。自己決定能力というのは、たとえば患者が自分の病気について自分自身がいろいろと学んでおく、自分のこれからの人生の目標を明確にもつとか、そういう自己決定能力というものをもつということなのです。患者に対して、医者はもちろん病気について深い知識をもっている、だから医者にそのことについていろいろと聞くとが必要だというのです。そのようにして、自己決定権を行使できるのだというのです。

 預言者エレミヤにはそういう能力があったというこだと思います。だから神はエレミヤにどちらかを選ぶかと、選ばせたのであります。しかしこの時代の南ユダの人々は、もはや自己決定能力を喪失していた。それほど自分たちの罪のなかにいた。だから主なる神は、預言者エレミヤを通して、今はお前達はバビロンに降伏しなさい、そして捕虜となって自分たちの罪を自覚しなさいとしきりに、そちらにしか選択の余地はないといわせたのではないか。

 主イエスは十字架につく前にゲッセマネで必死に祈りました。それまでイエスは自分は十字架で死ぬのだ、それが神のみこころであるし、それが人間の罪を救う道なのだと思い、またそれを弟子達に語りながら、その直前になって、いわばその期に及んで、「自分は十字架で死ななければならないのですか。どうかこの苦き杯を過ぎ去らせてください。自分を十字架につけないでください」と神に祈ったのです。そして「しかし、自分の願いどおりではなく、あなたのみこころのままになさってください」と必死に祈ったのです。それに対して、この一番重大な時に、神は何も答えないのです。神は沈黙を守り通すのであります。

 いわば、この時、主なる神はイエスに「お前は自分で決定しなさい」と突き放すかのようにして、沈黙を守り通したのであります。
 それでイエスは、最後に「時は来た。自分は罪人らの手に渡されるのだ。立て、さあ、行こう」と言われて、その祈りをやめたのであります。イエスは最後にはご自分の意志で十字架におつきなったのであります。

 これは何もイエスや預言者エレミヤだけでなく、われわれも同じではないかと思うのです。自分の人生の決定をわれわれはよく神に委ねなくてはならない、神に委ねましょうと言っておりますが、われわれも最後のとろでは、自分で自分の責任で自己決定権を行使してきているのではないかと思うのです。そしてその決定をするまでに、聖書を読んで、神のみこころはどこにあるかを学んできたかもしれません。友人の意見も聞いたかもしれません。いろんなことを学んできたと思います。それがいわば、自己決定能力を養うということであります。だから聖書を読んでいれば、「自分の命を得ようとおもうならば、それを失う」とか、「敵を愛しなさない」とか、「人の罪を七の七十倍も赦しなさい」とか、学んでいるのです。そうしたことをすべて学んだうえで、最後のところでは、われわれもまた自分の責任で自己決定権を行使して道を選んできたのではないかと思うのです。

 預言者エレミヤもそうだったと思います。だから彼は自分が今バビロンにいったら、自分だけは優遇されるかもしれない、それはいやだ、むしろ南ユダにとどまって自分がしなくてはならないことをしようと決めたのであります。

 神に委ねるといっても、われわれは神の声が天から聞こえてくるわけでもないし、夢の中でこうしなさいと指示されるわけでもないのです。そういうこともあるかも知れませんが、その夢の中の指示が果たして神の声なのか、それとも単なる自分の願望の現れなのかを判断するのは、やはりこの自分なのです。自己決定するのは自分なのです。

 神に委ねて生きるということと、自己決定権を行使して生きるということは、決して矛盾していることではないのです。
興味深いことは、預言者エレミヤもイエスも、最後のとろこでは、自分で決めてその道を歩んでいくわけですが、聖書はそのことはあまり強調していない、自分が決めた、自分が決めたとなどと叫ばずに、淡々とその道を歩んだということであります。自分で決めながら、神のみこころに自分は従っているだけだという歩み方をしているということであります。

 イエスは病人をいやすときに、しばしばその病人に対して、「お前は治りたいのか、本当に治りたいのか」と聞いているのです。当たり前のことなのに、あたらためてそのことを問いただして、病気をいやしているのです。またその病をいやしたあと、「お前の信仰がお前を救ったのだ」ともいわれるのです。これはイエスが病人の自己決定権というものをどんなに尊重したかということだと思うのです。

 自己決定権を行使して何かを選べば、すべてが正しい方向にいくとは限りません。その結果、間違った選び方をしたということもわれわれはいくらでもあると思います。その結果不幸になったということもあるかもれしません。結婚という選びもまた自己決定権を行使して行うことであるかもしれません。そしてその結果それがうまくいかなくなる、その選択は間違っていたかもしれないということはいくらでもあると思います。しかしたとえそういう結果になったとしても、その時に自己決定権を行使したのだという自覚があれば、それに対する責任のとりかたも違ってくるし、それは大きな意味で、長い人生の課程を考えてみれば、そのように自己決定権を行使して生きてきたということは、われわれの人生を豊にし、深くして行くに違いないと思います。

 預言者エレミヤは、南ユダにとどまり、バビロンが南ユダの総督として据えたゲダルヤと行動を共にしました。しかしゲダルヤは、彼を妬んでいた高官のひとりイシュマエルによって殺されてしまいます。そしてゲダルヤに代わってイシュマエルが南ユダの実権を握ります。しかし、そのイシュマエルも民の信頼を得ることができずに、反乱にあい、アンモン人のところに逃げていくことになります。そしてその代わりにヨハナンが実権を握ります。そしてヨハナンはバビロンが総督として据えたゲダルヤを内乱によって殺してしまったことを恐れ、バビロンの支配下から逃れようとして、エジプトに逃亡しようとするのであります。それでこれが神のみこころかどうか、このことで神のお墨付きを貰おうとして、預言者エレミヤのところに聞きにくるのであります。

 預言者エレミヤが語ったことは、今まで預言したことと同じでした。エジプトに逃亡してはならない、この南ユダにとどまれ、バビロンを恐れてはならないということでした。しかし、ヨハナンたちはその預言者エレミヤの言葉を聞き入れることはできずに、エジプトに逃げていくのであります。エレミヤもまたエジプトに連れて行かれます。

 そしてエレミヤ書は、先日も少しふれしたが、四十四章で預言者エレミヤが語った預言はそのエジプトでユダの人々に語った言葉が最後になるのであります。それは大変悲しいことに、エジプトでエジプトの神々の影響を受けて偶像礼拝に走ってしまう民に対する裁きの言葉で終わるのであります。

 預言者エレミヤは、自分みずからの意志で、バビロンに行くことをせず、南ユダにとどまったのです。その結果はおそらく、全く自分の不本意なことにエジプトでその生涯を閉じることになったようなのです。これはこの世的にいったら、幸福な生涯ではなかったでしょう。しかしこれはまことに預言者エレミヤにとってもっとも預言者らしい生涯の終わりかたであったということだと思います。

 最後に学びたいところは、四十五章のところであります。ここは「ユダの王ヨシヤの子ヨヤキムの第四年に」とありますので、時代的には、ずっと前の時代のエレミヤの言葉なのですが、なぜか弟子のバルクはこのエレミヤ書の最後にこのエレミヤの言葉を持ってきているのであります。エレミヤは弟子のバルクにこういったというのです。
「バルクよ、イスラエルの神、主はあなたについて、こう言われる。あなたはかつてこう言った。『ああ、災いだ、主はわたしの苦しみに悲しみを加えられた。わたしは疲れ果てて呻き、安らぎを得ない』。主なる神はお前に対してこういいなさいといわれた。『わたしは建てたものを破壊し、植えたものを抜く。全世界をこのようにする。あなたは自分に何か大きなことを期待しているのか。そのような期待を抱いてはならない。なぜなら、わたしは生けるものすべてに災いをくだそうとしているからだ。ただ、あなたの命だけはどこへ行っても守り、あなたに与える』」。

 これがエレミヤ書の最後の箇所なのであります。バルクが自分が預言者エレミヤと行動を共にしたために迫害につぐ迫害で疲れ果てて嘆いていたのであります。そのとき、主なる神は、お前はそんなことで嘆いているのか。わたしを見よ、わたしこそ、今自分が造った全世界を破壊し、自分が選んだ選民イスラエルの民を抜こうとしているのだ、お前の悲しみにくらべたら、わたしの悲しみがどんなに大きなものか、と主なる神はいわれたというのです。この弟子バルクの嘆きはそれこそエレミヤの嘆きであります。エレミヤの悲しみであります。そしてそれ以上に人間の罪、われわれの罪に対する主イエス・キリストの悲しみであり、あの十字架の苦しみであり、父なる神の悲しみであったのであります。