「福音を宣べ始める」 マルコ福音書一章九ー一五節


 主イエスが、福音をみんなに宣べ伝え始めたのは、三十才になってからだと、ルカによる福音書には記されております。

 ある人が決断するということについて、こう述べております。
「われわれは決断するという事は『こう決めた』ということだと思いがちであるが、そうではない。決断という事は、まず自分の中に何かが生まれてくる事だ、何かができて来ることだ、そしてそれを豊かに育てていく事だ、そしてそれを清めることだ、そのようにしてそれを本当に実現する事なのだ。何かを決めるという事は、手をたたいてぱっと決めるような事とは違う」というのであります。

 何か大切な事を決めようとする時、私はいつもこの言葉を思い出し、また人が、特に若い人が何か重大な事を決める時、たとえば、結婚の相手を決めるときに、この言葉を紹介するのであります。決断ということ、何かを選ぶという事の大切さを知って貰いたいからであります。

 イエスが、三十才になって、公に活動しようとしたときに、自分の使命の時が来たと思った時に、まず言われた言葉は「時が満ちた」という言葉だったというのでありま

 口語訳聖書ではこうなっております。「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。」
 新共同訳では、「時は満ち、神の国が近づいた。」と訳されておりますが、ここは口語訳のほうが原文に忠実で、このほうがいいと思います。

 このイエスの第一声の「時は満ちた」という言葉は、いよいよ自分が宣教する時が来たという思いを込めた言葉、そういう深い決断を表す言葉としてとってもいいと思います。

 イエスはそれまでじっと時の熟するのを待っていらしたのであります。三十年間待っていた。そしてヨハネからバプテスマを受け、荒野でサタンの試みに会われ、それからも待ち続けたのであります。あのヨハネからバプテスマを受けた時、天が裂け、聖霊が鳩の様に下って「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」という声を聞き、確信を得ているのであります。それならばその時、宣教を開始してもいい筈なのに、この時までじっと待っておられた。

 イエスはそのような聖霊の御言葉を聞いて、神の子としての自覚を持ち、自分のメシヤとしての救い主としての使命を感じ、一日も早く行動を開始したいと思ったことだろうと思います。しかし待っていた。

 われわれは何かをしたいと思う気持ちだけでは、その決心はまだまだ弱いのではないでしょうか。それはうっかりすると、自分はこうしたいのだという、ただ自分の個人的な欲求、利己的な要求から、そうしたいのだということに過ぎないかも知れないからであります。そうして、そういう個人的な欲求、利己的な要求というのは、強そうでいて、何かの障害にぶつかると、たちまち萎えてしまうという弱い決意なのではないでしょうか。

 しかし、その「なになにをしたい」という欲求が「そうせざるを得ない」という、やむにやまれぬ思いにまで高まる時、それは大変強いものになるのではないでしょうか。つまりもう単なる自分の個人的な欲望、野心とかを越えて、外からつき動かされるようにして、そうせざるを得ないと促される時、その決断は強いものになるのではないか。

 モーセは、ある時自分の同胞がエジプト人に虐げられているのを見て、我慢できなくなって左右を見回し人のいないのを確かめて、そのエジプト人を殺し、土の中に埋めて知らん顔していたのであります。翌日、今度は同じイスラエル人どうしでケンカをしているのをみて、どうして同じ仲間で争うのかと諌めますと、「誰がお前をわれわれの裁判人にしたのか。お前は昨日エジプト人を殺したように、われわれをも殺そうとするのか」と言われて、自分がエジプト人を殺していた事がもう町中に知れわたっている事を知って、恐くなって遠いミデアンの地まで逃げていったのであります。

 モーセは、そこで結婚をし、子どもをもうけ、そうして多くの日を経て、モーセはあの神の山ホレブで神の啓示を受けて、自分の同胞の民をエジプトから導き出す使命を神から与えられるのであります。その時はもうモーセは自分の同胞を助けようなどという熱意はすっかりなくなっていて、、自分はとてもそんな任には耐えられませんと、さいさい辞退して神様に叱られるのであります。しかしそれでも神に促されて、イスラエルの民をエジプトから連れ出す指導者として立ち上がるのであります。ただ自分がそうしたいと思うだけの決心だけでは、何かの障害にぶつかったら、たちまち挫折してしまうのであります。

 モーセは、同胞を救おうとしてエジプト人を殺してから何年待たされたかわからないのであります。そして「時が満ちて」神がモーセを召したのであります。

 「決断とは、自分の中に何かが生まれて来て、そしてそれを豊かに育て、そしてそれを清めることだ」という、清めるという事は、この事を指しているのではないか。その決心が自分の単なる欲望か、野心というものだろうか、と自問自答して、そうではない、本当に自分はこの事をしたいのだ、そうせざるを得ないのだと考える事ができるようになる、それが「清める」ということなのではないかと思うのであります。

 イエスがこの地上に神の子として生まれ、そして公に活動し始めたのがおおよそ三十才とルカによる福音書が書いておりますが、その三十年間何をしていたのか、公に救い主として活動するまでの準備の時、何をしていたのかと言えば、お父さんの大工の職を受け継ぎ、大工の子として三十年を過ごしていたのではないか。たぶんお父さんは早くなくなったのではないかと推察されております。といいますのは、福音書をみますとお父さんはあの誕生の時以来殆ど登場してきませんので、早い時になくなったのではないかと推察されるのです。イエスは長男として、母と兄弟たちを支えるために大工の仕事をしていたのではないかと考えられます。

 イエスはその三十年間なにをしていたかと言えば、ともかく人として暮らし、生活していたという事だけは確かだろうと思います。だから福音書にはその時代についてのイエスの記述はひとつもないのです。目立ったところは何一つなかったからだと思われるのであります。そこには神の子らしい神々しい姿は一つもあらわれなかったのであります。

 イエスの少年時代を伝える唯一の記事がルカによる福音書にありますが、そこでは十二才の時、イエスが神殿で盛んに学者たちを相手に聖書について聞いたり質問したりしている姿がでてくるのであります。人々はイエスの賢さに驚嘆したとありますが、それはイエスがなによりも人間として、ひとりの少年として一生懸命学者たちに質問したり、学んだりした姿に、その賢さに感心しているのであります。そこでは、人々に教えるイエスの姿ではなく、人々から教えられ、学んでいるイエスが記されているのであります。

 そうして、いよいよ三十才になった時、イエスがしたことは何かというと、バプテスマのヨハネの所に出向いて、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けたという事なのであります。そしてそれから荒野で悪魔の試練に会われたというのであります。この二つの事は、イエスが人間として生きた事の締めくくりのような事かも知れないと思います。

 ここでも大事な事は、バプテスマを受けてから、悪魔の試練に会われたのであって、その逆ではないという事であります。つまり、あらゆる試練に合格してから、その卒業証書を貰うようにして、バプテスマを受けられたのではないという事であります。バプテスマを受けるという事は、何か資格を受けるとか、もうこれで一人前になったとか、そういう卒業証書を貰う事ではなく、これから自分は生涯神に頼って生きていきますという宣誓の行為なのであります。

 マルコは、「そのころイエスはガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった」と記しております。ここをみますとイエスは民衆の一人として、ヨハネからバプテスマを受けたのではないかと思われます。

 イエスがヨハネからバブテスマをうけますと、「天が裂け、聖霊がはとのように下って来た」と記されておりますが、それを見たのはただイエスご自身だけであります。それはイエスだけがご自分ひとりでそういう体験しただけであって、ほかの人は誰も気がつかなかった事なのであります。マタイ福音書は少し違った書き方をしておりますが、ルカ福音書はマルコと一緒であります。

 イエスはひとりの無名の庶民としてヨハネからバプテスマを受けられたのではないかと思われます。そして、そこにこの洗礼の大事な所があるのではないか。洗礼を受けるという事は、一人の無力な人間として、ただの人として、神の前に畏れおののいて立つという事、そこに何の資格も持ち出さないで、ただの人として神の前に立つという事であります。罪人のひとりとして立つという事であります。

 このヨハネのバプテスマは、「罪のゆるしを得させる悔い改めのバプテスマ」というのです。ですからわれわれがこのバプテスマを受けるには、自分の罪を悔いるという事が必要でありましょう、それをいちいち言葉に出す出さないは別として、罪を悔いる必要があります。
 しかしイエスはヘブル書によれば「罪は犯さなかったが」とありますから、イエスは、あの時こういう過ちをした、この時こういう罪を犯したという悔い改めをしたわけではなかっただろうと思います。

 この時のイエスの洗礼は、いわば幼児洗礼のようなもので、具体的な罪の告白がともなうものではなく、ただ神の前に立ち、これから神の恵みのもとで生きていきますという告白としての洗礼だったのではないかと思います。

 そして、洗礼の一番大切な点も実はそこにあるのであります。罪の告白が大事なのではなく、これから自覚的に神の恵みと導きを信じて歩きますという表明が大切なのであります。罪の告白ごっこは滑稽であります、偽善的であります。

 イエスは徹頭徹尾、人間としてわれわれ人間の低さに立たれた、そしてヨハネからバプテスマを受けられた。それが神のみこころにかない、天から聖霊がくだり「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」という父なる神からの承認があったのであります。それはイエスが悪魔の試練に勝利したからでなく、何か献身的な業をしたからでもなく、ただ一人の人間として庶民の一人になりきって、ヨハネからバプテスマを受けたというだけなのであります。

 そしてそれから悪魔の試練に会われたのであります。この順序は大切であります。悪魔の試練に打ち勝ってから、バプテスマを受けることができたのでないのです。
 もしわれわれが、そのようにして、何かの資格を得るために、悪魔の試練に会おうとするならば、われわれは必ず悪魔の試練に敗北するだろうという事であります。

 バプテスマを受けて、自分はどんな時にも、神に信頼し、必ず神が助けてくださる事を信じますと告白し、洗礼を受けてから、悪魔の試みに会うのでなければ、われわれは悪魔に敗北するだろうと思います。

 イエスはみずから進んで荒野に出向いて、悪魔の試練に会われたのではないのです。「御霊がイエスを荒野に追いやった」とマルコは記しているのであります。 イエスは自分の信仰の力を試すために自ら進んで、荒野に出向いて、悪魔に戦いを挑んだというような事ではなかったのです。

 試練というのはみずから進んで挑むものではないのです。向こうからやって来るものが試練なのであります。

 ある人の言葉に「人間が事件を選ぶのではなく、事件が人間を選ぶのだ」とありますが、そういう事から言えば、人間が試練を選ぶのではなく、試練が試練の方が人間を選ぶのであります。
 生涯平凡に暮らして一生を静かに終える人もいれば、次から次と試練がその人に襲いかかって、波乱万丈の人生を送る人もおります。それは試練の方がその人を選んでいるのではないか。それはその人がそうした試練に耐えられる人だからではないでしょうか。そして不思議にその人は、その試練にいつのまにか耐えて、そして成長しているのではないでしょうか。

 自分から求める試練などは試練ではないのです。神がいわばいやがるイエスを無理やりに荒野に追いやって、悪魔の試みに会わせられたのであります。

 「イエスは四十日間、そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが使えていた」。ここは口語訳では、「獣もそこにいたが、御使たちはイエスに仕えていた」となっております。

 マタイやルカでは、このサタンの誘惑の内容について書いておりますが、マルコはその内容にはふれておりません。ただサタンの試みに会われたという事実だけを書いております。

 イエスはサタンに勝ったのか、勝たなかったのか、どちらなのでしょうか。

 獣もそこにいたが、という獣は何をあらわしているのでしょうか。新共同訳では、野獣となっていて、それだとただ、野獣という意味にしかとれないかもしれまんが、獣と訳されますと、この獣はサタンを現しているようであります。
 
 「獣もそこにいた」という荒野の獣、それは人間を脅かす存在で、それは悪魔の使いと解釈してもいいと思います。原文をみますと、「獣はそこにいた、そして御使たちはイエスに仕えていた」と書いているだけであります。マルコ福音書には、イエスはここで、悪魔をやっつけた、悪魔に勝利したなどとは書いていないのです。ここには獣がいた、悪魔はいた、御使たちはイエスに仕えていたという事であります。そしてそれがイエスが悪魔の誘惑に勝った、勝っているということなのだ、と書くのであります。

 イエスが力をふるって悪魔を追い出して、悪魔に勝利したのではない。たとえそこに悪魔がいたとしても、そこに御使たちがいてイエスを守っている、神が共にいてくださる、それがわれわれがサタンに勝利するという事なのであります。

 マタイやルカは、イエスが悪魔に勝利したのは、イエスが悪魔をやっつけたのではなく、自分はあくまで神に信頼するんだという姿勢を貫いて、悪魔に勝利しているのだと書いておりますが、その事をマルコは、非常に簡潔に、そして絵画的に、獣もそこにいたが御使たちはイエスに仕えていたと記して、イエスは悪魔に勝利したのだと書こうとしているのであります。

 イエスはバプテスマを受けて、神のみを畏れ敬うという信仰を与えられて、そのバプテスマという武器を与えられてから、悪魔の誘惑に会わせられ、本当に神のみを信じ通すことを、身をもって体験させられたのであります。そしてそれがイエスがいよいよ公に救い主としての使命を歩み始める準備の時だったのであります。

 イエスはヨハネが捕らえられたと聞いて、自分の故郷ナザレを去って、ガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝え始めたのであります。「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」と宣教を開始したのであります。

 マタイによる福音書をみますと、バプテスマのヨハネも「悔い改めよ、天の国は近づいた」と宣べ伝え、イエスも「悔い改めよ、天の国は近づいた」と宣べ伝えたと記されております。全く同じ言葉なのです。しかし、マルコによる福音書では、「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」となっております。
 神の国も天の国も同じことをさしております。ヨハネの宣教とイエスの宣教はよく似ているのであります。ヨハネは無惨な死を遂げ、イエスもまた無惨な死を遂げたという事でもよく似ているのであります。しかし根本的に違っておりました。

 イエスは「悔い改めて、福音を信ぜよ」というのであります。ヨハネは「悔い改めて、よい業を行いなさい。悔い改めにふさわしい実を結べ。斧がすでに木の根元におかれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ」というのです。

 「神の国は近づいた」と、イエスもヨハネも言って、だから「悔い改めなさい」というのです。

 神の国という、この「国」という字は、ギリシャ語では、支配という意味をもった言葉であります。ですから、神の国というのは神の支配する時がいよいよ来たという意味であります。いよいよ神が行動を起こす時が来た、というのであります。
 ヨハネは、その神の支配を神の怒りがいよいよくだる時が来た、と考え、だからその怒りから逃れるために悔い改めにふさわしい良い行いをしなさい、といったのに対して、イエスは、神の支配を喜ばしい福音の訪れの時が来たと考え、だからなによりも、悔い改めて、福音を信じなさい、といったのであります。

 神の支配を、神の怒りの支配ととらえるか、神の赦し、神の恵み、神の愛の支配の時としてとらえるかによって、悔い改める姿勢はずいぶん違ってくるのであります。

 悔い改めるとは、もともとは方向転換する、向きを変えるという意味をもった言葉であります。自分に向かっている視線を、自分から神のほうに目を向ける、そういう方向転換が悔い改めであります。
  
 神の支配を神の怒りとしてとらえ、だから今まで悪い事をしていたから、それを良い行いをするように方向転換し、それが悔い改めることなのだと考えたら、しかしそれでは本当の方向転換、向きを変えるということにはなっていないのです。それでは相変わらず、目を自分の方に向けているのであって、ひとつも神の方に目をむけていないのであります。

 しかしもし神の支配という事を、神の愛としてとらえるならば、愛というのは、それは信じる事によって自分のものになるものですから、信じることによってしか、自分のものにならないものですから、視線はもう自分にではなく、相手に向けられている。相手の思い、相手の言葉をじっと聞いていこう、そのかたにともかく従ってみようという事になるのであります。

 愛は信じる以外にないのであります。それは愛する側にたったならばよくわかるのではないでしょうか。われわれも時には愛する側に立つ時があります。その時われわれが相手に切実に望む事は、この自分の誠意を信じて欲しいということではないでしょうか。

 悔い改めるとは、もう自分についてあれこれ反省すること、あの時はこうしてしまったああしてしまったという後悔とは、違うのであります。悔い改めるとは、その後悔する事まで捨ててしまうという事であります。もう自分のことをうじうじと反省するのをやめよう、と思うことです。神の赦しと、神の恵みと、神の愛を信じてみようとすることであります。
 その時に、思いがけないほどに、良い行いも生まれてくるのであります。それは自分をふっきった良い行いですから、それによって人にどう思われようとあまり気にしなくなる。それは神経質なぴりぴりした、人を裁くような良い行いではなく、もっとおおらかな、人に赦しを与えるような良い行いになるのではないでしょうか。

 神の支配を神の恵みを信じてみる。信じた後、どうなるのでしょうか。しかし信じたのに、信じた後のことまで、どうなるのかと、こちらがあれこれと詮索するのはおかしいのであります。信じたあとどうなるのか。それは神様に任せてみてはどうでしょうか。